駄理雑言 '97/4月下旬



4月30日/ハイテクの売り込み

 私の通勤ルートというのは、まあ、郊外というかなんというか、通勤ルートの主流ではないようなところでありますが、サラ金のティッシュ配りはほぼ日常化しているのに加え、最近は PHSの売り込みが目立ちます。こんな駅で営業してどのくらい効果があるのか疑問に思うのですが、今朝も夕刻も某 PHS会社が活動していました。

 最近は PHSなどは「タダ」というのが多くて、誘われたからといってあらためて購入する人がそれほど多くないのではないかと思うのですが、それでもやらねばならないのでしょうね。

 私なんか声をかけられたら上着を開きます。すると携帯電話と PHSの二丁拳銃が見えまして、たいていは恐れ入ってくださいます。

 よーく考えたら、なんだかすごい時代になりましたね。

4月29日/みどりの日

 ひさしぶりに朝寝ができて、9時を過ぎてから起きだしました。今日も抜けるような晴天で、行楽地はきっと賑わっていることだろうと考えながら遅い朝食。えーと、それで今日はなんで休みなんだ、とふと思ってしまいました。天皇誕生日の期間が長かったので、平成になってからの休日の名前をつい忘れてしまうのです。

 新聞を見てようやく「みどりの日」だということに気がつきました。毎日新聞はいつもは題字がブルーに白抜きなのですが、今日だけはグリーンに白抜き文字なので思い出したわけです。

 それにちなんだということでもないのですが、午後から<敷地内でいろいろな植物を栽培していてときには陶磁器の展覧会なんかもしている野菜を材料にしたお菓子を作っている店>に出かけてきました。ここは私の生家から近くて以前から知っている不思議なスポットです。もちろんマイナーなところですから、客はそれほどおらず、花がいろいろ咲いた庭をゆっくり見てまわり、縁台で涼しい風にあたりながらゆったりとした時間を過ごしてきました。ただ、私は甘いものを食べませんから、ここの独特のお菓子に手を出すことがないのは残念といえば残念です。

4月28日/ちょっとかなわんねんやけど

 世はゴルデンウイークと浮かれています(もっとも今年はゴールデンのなかでは最悪のパターンだそうですがね)が、じつは先週くらいから知り合いや長いおつきあいの患者さんがつぎつぎと亡くなられてちょっとかなわんなぁと思っています。そのなかには、父が親しくしていたかたもおられまして、そういうかたの死が父をかなり堪えさせているのが見えるので、さらにかなわんわけです。父の寂しがっているのが、本人は隠していても私らのようなプロには見えてしまうだけに気を遣います。

 私の父は七十代の後半ですが、じつはまだ現役で経理の仕事をしています。ずっとワーカホリックできている父には、仕事をしていただくのがいちばんの老化防止だと思って、私はあえて隠居をしないでいただいているのです。このもくろみはみごとに当たっていて、父はなおカクシャクとしていて、私はなお子ども扱いされているわけです。

 しかし、やはり同世代の人たちがつぎつぎと欠けていくのはつらいようです。そういう人が亡くなったと聞くたびに、回りまわって私がストレスを感じるのは父についてのそういうこともあるからなのでした。

4月27日/40年ぶりの街

 先日、小学校の低学年のころに住んでいた家が夢に出てきました。目覚めてから間取りや調度などほとんどはっきりと覚えているのに驚きました。大学を出てから住んでいた家のほうが思い出しにくいくらいで、いかに子どものころの印象というのは強いものかと思いました。

 それで、その家のあたりがどうなっているのか、とくに予定もない今日、天気もいいのでぶらりと出かけてきました。大阪府八尾市本町界隈。河内音頭の中心地です。私の住んでいた家そのものはもう建てかわっているのは聞いていました。隣の酒屋さんの店は酒も置いているコンビニになっていました。

 デシタルカメラと一眼レフでしっかり写真を撮って、時間のあるときにまとめてホームページに掲載しておくことにします。

 40年ぶりにしてはほうぼうに名残のある街はなつかしかった。

 ※写真で「ほねつぎ」の看板がある建物の場所に私の家があった。当時私の家は、どういう経緯でか毎日新聞の販売店であった。二階建の看板建築で、道に面して店があり、真上が私たちが寝ていた部屋になっていて、いつも深夜3時ごろに新聞社からトラックで新聞を運んできて、店の前にドーンドーンと音をさせながら落としていた。向こうの隣はいまコンビニエンスショップだが、当時は酒屋さん。もっともいまでもこのコンビニは「関口酒店」がやっているのを確認した。ここの末娘(「ここいこいはん」といってた)は私の一学年上。そしてその同級生に向かいの「重尾タンス店」の娘もいたのだが、このタンス店はいまはなかった。手前に会計士の事務所のビルがあるが、ここは当時は氷屋さん。氷を運んできたトラックから滑り降ろされる氷を飽きず見ていたのだった。

4月26日/芸風

 パートナーの車を置いている駐車場の前のお宅に白と茶のブチ模様のイヌがいます。あまり世話をされていないのか、いつも覇気のない顔をして、私らが相手になりにゆくと、寂しそうな目をしながら鼻先を塀から出して愛想するのです。可哀想なので前を通るたびにひとしきり相手をしてあげています。

 今日、そのイヌの声を初めて聞きました。ちょうど前をご近所のかたがイヌを散歩させているとき、そのイヌに向かって彼が吠えたのです。そうして、夕刻になってもう一度相手し、離れかけると彼は訴えるように吠えたのでした。あれだけ無口だった :-) のに、なんだか彼は芸風が変わったようです。

 発情期なのではないかという説もあるんですが…。

4月25日/におい

 病院のエレベータに乗ると、点滴台を引いた患者さんがひとり乗っておられました。乗ったとたんにタバコのにおいが私の鼻をつきます。私の勤務している病院は全館禁煙になっていまして、玄関横の小さな部屋だけが喫煙場所なので、歩くことのできる患者さんはこのように点滴台を引っ張ってでもタバコを吸いにいかれるのです。

 それにしても現に吸っておられなくても呼気や服についたにおいがかなり強烈に分かるのは、私自身が喫煙をやめて8年あまりになったことと無関係ではなさそうです。喫煙していたころはこれほどにおいに敏感ではなかったような気がします。

 いまは、50メートル先を吸いながら歩いている人がいても分かるくらいですから、宴会のあとのなどは自分の服についたにおいに辟易してしまうこともあります。そしてにおいの感じかたは、タバコだけではなく、いろいろなものについても感度がよくなっているように思います。車の排気ガスについてもそうですし、単に室内の空気が汚れているだけでも堪えることがあります。もちろんこの敏感さは悪いにおいだけではなく、芳香についてもそうですから、花や香辛料の楽しみもあります。香水のたぐいはいいとも悪いとも言えませんけど。

 喫煙している人の嗅覚がそうでない人のそれより衰えているとしたら、この街の悪臭のひどさに気付かれないように禁煙を進めていないのではないかと邪推したりもしてしまいます。だってみんないっせいに排気ガスがくさいと言い出したら困るでしょうに。

4月24日/マンネリやねん

 そもそもこの公開日記を始めた理由のひとつは、あまりにも毎日毎日が同じことのくり返し、ともすれば惰性に流されるオッサン化を恐れてのものでした。

 始めのころは確かに自分の生活を改めて見てみるという効能もあり、あるいは、街を漫然と歩くことなく視界が広くなったような気がしたものです。しかし、それも4年にもなりますと、こんどはこの日記そのものがマンネリになってしまいます。街で見えるものにも限界がある。仕事のうえでは次々と興味深いことが起こりますが、仕事に関係したことは書かないという大前提を堅持していますので、いわゆるネタにはできません。

 ときどき波状にスランプ化するので困るんですが、ここ数日がまたその状況です。うーん、なんとか乗り切らねば。

4月23日/春たけなわ

 能勢方面の往診に行ってきました。

 冬のあいだ、採れるもんがないねん、といいながら、ミズナやハクサイをくださっていた農家で、今日はワラビやゼンマイをたくさんいただいてきました。私らは処理法も知らんだろうというので、ちゃんと灰でアク抜きまでして、あとは調理するだけという状態でたくさんいただきました。

 能勢の山は明るさが何段階にもなった緑のモザイクが、昨夜雨が降ったためもあって、いちだんとすっきりと光っていました。

 いちばんいい季節です。

4月22日/春雨にタクシー

 愉快な話で盛り上がった飲み屋さんから出てきたら、外はかなりの雨足。春雨じゃ濡れてまいろう、というような悠長なことを行ってはれないほどの本降りでした。

 最近ではめったに利用しないタクシーに、傘なしではたまらぬほどの降りかたについ乗ってしまいました。たまにタクシーに乗ると、運転手さんとの二人っきりの空間に息が詰まりそうな感じ。

 なんにしても苦労をかけさせる春雨です。

4月21日/寄せ植え

 前に住んでいたマンションには専用庭があっていろいろと植物を楽しんでいたことはたびたび書いているとおりですが、いまの家にはそれほど広くもないベランダしかありませんので、そういう楽しみが極端に少なくなっています。

 周囲の環境は前の家よりかなり自然の多いところなので、平均しますとどっちがいいのか判断に困るのではありますが、しかし、自分たちでいじれる植物が少ないというのはやはり寂しい。

 それで、春先から大きい目の鉢を用意して、いくつかの寄せ植えを作っています。いまふうにいいますと「ベランダ・ガーデニング」をやってるわけです。その寄せ植えがここ数日でワッと花をつけだしました。いや、これは雑誌の写真でみるようなカッコええもんやとひとり悦に入ってたりしますが、ベランダの狭さを補ってあまりある楽しさではあります。

4月20日/ふつかよい

 ネット関係のオフのときにはしばしば飲みすぎてしまう傾向にあるので、昨夜も気をつけてはいたのですが、ある時期になるとその抑制力そのものが抑制されてしまうようです。

 宿泊先のホテルへ帰りながら、ああやってしまった飲みすぎたと反省しはじめていました。ま、そういう病識があるだけまだ正常な部分も残っていたのでしょう。新宿の東口から西口高層ビル街までとはいえ、歩いて帰れるだけの状態でもありましたし。

 しかし今朝は最悪でした。頭痛などはなかったのですが、食欲皆無。消化器がぜんぜん動いていないのが実感できます。こんなときに無理にモノを食べればどうなるかが分かっている程度には飲酒歴は長い。

 10時すぎに新幹線の指定をとっていたのが正解でした。電車にはお茶の缶を2本だけ持って入って、そのままぐったりと寝てしまいました。目覚めたら名古屋。したがって今日の富士山は見ることができませんでした。

 大阪についてそのまま往診先に出向いて、仕事がすんだらもう午後4時。けっきょく昼も食べなかったので、さすがに帰宅したら低血糖でぐったり。チーズを食べてようやく落ち着いたことでありました。あーしんどかった。

4月19日/山

 この話はいままでに何度か書いたことがあるかもしれません。

 ニフティの行事に酸化するために上京しています。新幹線で東京に向かうとき、伊吹山と富士山を見るのが習慣になっています。私はそれほど新幹線に乗ることは多くはなく、だからこそ季節季節での山の姿を見るのが楽しみなのでした。

 いまは新緑で明るい山が見えるはずでしたが、天気はいまひとつ、ぼんやり霞がかかっていて視界はよくありません。伊吹はそれでも大きな姿を確認できましたが、富士のほうは三合目あたりから上が雲に隠れてしまっていました。

 明日は用件が入って、当初の、最終近くの列車での帰阪予定を変更して午前中に帰りますので、ひさしぶりに反対側から山が見られます。

4月18日/ウグイスがきます

 毎朝ウグイスがやってきます。

 私の家の近所はお屋敷が多くて(私の家はたんなる小さなマンションですけれども)、大きな庭に古い木が植わっていたりしますし、数百メートル北は五月山から箕面の山に連なる里山になっていますから、自然の移ろいには敏感な土地柄ではありますが、それにしてもウグイスが毎朝きてくれるとは思ってもいませんでした。

 ときどきちょうどウグイスが鳴いているときに、ご近所のイヌが何かに吠えて邪魔をすることもありますが、それにしても気持ちのいいものです。

4月17日/なむ…

 私の勤務している病院は1980年に開院しました。私がここに入職したのは1985年、しかしその3年前からパートタイムで出入りしていましたから、ま、ほぼ創設期から知っていることになります。

 今夜、私より前、病院が開設される前に採用されて、以来ずっと事務部で縁の下をしてくれてきた男性職員の壮行会がありました。彼は事務の二番手まで登り詰めて、今回さらに系列施設のてこ入れのために栄転することになったのです。

 いろいろと個性の強い人物の相手をし続けて18年。彼の人柄がいい意味でのバッファになっていたと思いました。

 人の「縁」というものはどこでどうなるか分かりません。毎日毎日の人さまとの縁を、あだやおろそかにしてはなりますまい。なむ…。

4月16日/居眠り寸前運転

 今日は往診先のなかでいちばん遠方のお宅に伺う日でした。

 病院からひたすら北部に向かったところで、往路は何軒かのご患家に往診しつつであったのでそれほど苦痛はありませんでした。ラジオでもおもろい番組をしていましたし…。

 問題は帰路でした。そのお宅を出たのが17時少し前、たんたんとした県道をずっと走って、徐々に混みだして、病院に近づくと渋滞という経路、今日はいい天気でポカポカと暖かく、日差しは強いし、うーーもう眠いったらありゃしない。さすがに居眠り運転にはならないのは無事故無違反運転歴30年の貫禄だと思いますが、いやまあ「居眠り寸前運転」だったのは正直なところ。

 宵っ張りの悪いクセは治さなければなりませんなあ。





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