駄理雑言 '97/2月上旬



2月1日/午前さまの寒い帰り道

 宵の口から大阪で会合があって、9時すぎにお開きになったあと空腹をかかえつつビールへと突入したので、予想どおり終電に近い帰宅となりました。駅からはとうぜんのことながらバスはありません。タクシーに乗るほどの距離でもなく(もっとも、乗ればワンメーターでは行けない程度の距離はあります)、いつものように住宅街の暗い坂道を20分ほど歩いて帰りました。
 飲んでいた時間が短かったのでさほど酔いはありません。歩き出してすぐに日付が変わる時刻が過ぎ、うーん、これはまた午前さま。ほかに道を歩く人はだれもなく、たまにタクシーが横をすり抜けていきます。歩きはじめは寒かったものの、歩いているうちに身体が暖まってきました。
 帰宅したとき、なんとうっすらと汗がにじむほどではありましたが、しかし耳は切れそうな感覚になるほどの冷たさ。やはり冬なんだと実感した夜です。

2月2日/やっぱりワシは単なるおっさんかもしれん

 そりゃあ私はもうすぐ50才になるかというおっさんですが、でもまあ日頃は「若作り」のつもりはないものの、あんまりおっさん臭くならないようにと、服装にはそれなりに気遣いをしているのですよ、無駄な努力かもしれませんけど。
 今日の日曜は何も予定なく、ダラダラと起きてきて怠惰に過ごしていまして、それでもじっとしているのが嫌いな性分、午後から近くの駅前商店街に出かけてきました。偶然みつけた大きな自然食品の店でいろいろ買って、書店を覗いて、商店街の裏道を散策して(変な趣味でしょ)、ふとある店の前で自分の姿がガラスに映っているのに気がつきました。
 自然食品店で買ったもののポリ袋を持って、ダラリンとした普段着を着た自分は、ひょええ完全に「単なるおっさん」ではありませんか。いわゆる「ジャージ」など着てヘップサンダル履いてたりしなかったのが不幸中の幸い(私はジャージは持ってませんけど)。
 でも、これでめげてはあきまへん。気の持ちようが姿に出ますからねえ。

2月3日/巻き寿司

 節分に恵方(えほう)を向いて巻き寿司を食べるという習慣はいつから始まったのでしょうか。
 少なくとも大阪では私の子どものころにはありませんでした。豆をまいたり、門口に「柊に鰯の頭」という厄除けはありました。
 ま、家族が楽しみにして(笑)いますので、いちおう名の通った寿司屋の巻き寿司を買って帰りました。その巻き寿司は半分に切り、食べる前に恵方に向かって柏手を打って、そのあとは好きに食いました。こちらでは、巻き寿司は、まるごと一本を恵方を向いたまま食べおえるまでは無言で食うべし、とされています。でも、家族みんなが巻き寿司を同じ方向を向いて咥えている図を想像するに、ちょっと恐いものがありますでしょ。私はすこし抵抗があります。
 もうひとつ。恵方は誰が決めるんでしょう。今年は北北西だとのことです。うーむ。

2月4日/立春の雪

 節分がすぎたので今日は当然立春ですが、朝、出かけようとしたらいきなり空が暗くなり、ワッと雪が降ってきて、みるみるうちにあたりが白くなってしまいました。
 昼過ぎに用があって市役所まで出向いたのですが、雪こそやんでいたものの風が冷たく、あるいは痛く、まだまだ春にはほど遠い感じ。
 今度の家が山に近いところにあるだけに、寒さはより厳しいように感じています。

2月5日/頭痛持ちの愚痴

 私はいわゆる頭痛持ちです。
 私の頭痛は、頭痛のなかでいちばん多いとされている「緊張性頭痛」なんですが、最近、しばらく鳴りをひそめていました。頭痛のときの常備薬というのも確保しています。でもここのところ頭痛に襲われることがなくて油断していました。
 今日の午後、唐突に頭が痛くなってきました。油断で常備薬も持っておらず、悶々としてしばらく耐えていましたが、もうどうにも我慢ができなくなって(痛さが我慢できないというより、痛さが行動の邪魔をするのに我慢できない)、カルテを出して処方をしてもらって薬を飲みました。
 頭痛というのはどうにもしゃーないものです。恐ろしい病気と関係するものではないものの、痛みだすと根気や集中力が低下してしまいますので、業務に差し支えるのがつらい。
 ここ数年、タバコをやめ自分のペースを強く主張し実行するようになってずいぶん減った頭痛ですが、やはりまだ絶滅することはできないようです。やれやれ…。

2月6日/感無量ですわ

 往診の途中でついでの用件があってJRの駅前に車を置いて歩道橋を渡りました。川西には阪急電車の川西能勢口駅とJRの川西池田駅があって、その間が長い歩道橋で結ばれています。その歩道橋を歩いたわけです。
 歩道橋からの景色を見ながら、ふと私がいまの職場に赴任したころのことを思い出しました。いまから13年ほど前、駅前を通る県道には歩道もなく、バス同士のすれ違いができないほど、阪急もJRも県道と平面交叉していて開かずの踏切といわれていました。それがいまや百貨店をはじめ大きな商業ビルがいくつも建ち、鉄道と片側3車線にもなった県道は立体交差になっています。そのありさまが歩道橋からよく見えます。
 当時、駅前再開発の計画を見せられて、いったいどのくらい先の話やと思っていた、いまその再開発が終了まぎわになっているのです。歳をとるのも無理はない。
 場違いにも感無量になってしまった午後でありました。

2月7日/眠れたか眠れなかったか

 昨夜から当直勤務をしていました。
 仮眠室で横になりながら、新潮文庫「大阪学」(大谷晃一著)をニタニタしながら読んでいました。ふと枕もとの時計を見ると午前1時半、いかんいかん夜更かしはいかんと電気を消して眠りにつきました。
 ボケットペルの音に起こされ、病棟に急いで患者さんを看取ってご臨終時刻を午前4時43分と伝え、仮眠室にもどってすこし本を読んでからまた寝ようと思って時計をみるとなんともう7時。えっもう寝る時間がないやんか、と情けなくなりながら仮眠室から出てきたものの、外はまだ真っ暗。どーなってるのかよく分からずにふと壁の時計を見ますとまだ5時半です。つまり仮眠室の時計が1時間半進んでいたのです。
 もう時間の流れがどうなったのか、眠い頭で混乱してしまってなにがなにやら…。私はどれだけの時間眠れたのか…。
 ま、今日1日たいして睡眠不足という感覚がありませんでしたので、おそらくじゅうぶんに眠れた勤務だったのでしょう。

2月8日/段取り

 夕食にちょっと馴染みの居酒屋さんにでかけました。
 ここはいつもたいへん繁盛していて、お運びさんや板場のスタッフがほとんど変らないので、いつ行っても馴染みの客のことをよく覚えてくれているのが行きやすい理由でもあります。
 それで、今夜はとりわけ忙しくて、私は珍しくカウンタに座って飲んでいたのでスタッフの動きがよく観察できました。段取りのすばらしいことと、お客の不満をかわす態度ならびに話術の巧みなこと。忙しさがものすごくても仕事を楽しんでいるように見える自然な態度、この店にくるたびに感心させられます。客商売はこうでなくては…。病院も見習わなくては…。
2月9日/荒神(こうじん)さん  荒神(こうじん)さんといえば、その昔、娘がまだ幼児だったころに、当時よく私が遊んでいたアマチュア無銭仲間と野営した紀州の「立里荒神(たてりのこうじん)」さんを思い出しますが、いまの私の環境からすれば、宝塚市の清荒神(きよしこうじん)さんを忘れるわけにはまいりません。
 以前から親になんども説教されていたのが、火と水を守っていただく三宝さん(清荒神さん)を祭らなくてどうする、ということでした。私もなんとなく気になり続けていましたので、混雑にめげずに参拝し三宝さんをわが台所に奉ることになった今日、ある意味ではちとすっきりした気分になっています。
 若いころには気にもしなかったこういうこと、近ごろはじわじわと身にしみるようになりつつあります。ま、一種の文化の記憶が歳とともに再燃してきたのかもしれません。
 ん、今日のは読み返してみますと何を言っているのかわかりません。

2月10日/夢だよ夢

 夕食のあと年甲斐もなくパートナーと「将来の夢」の話に夢中になっていました。はは、齢(よわい)50近くにして「将来の夢」もないもんですが、うーんと、若い人は仰天するかもしれないが、私にはまだ夢がありますのですよ。
 それもちゃちなものではなくてですね、具体的なことは「ひ・み・つ」ですけど、でも夢物語ではなくて、なんとか実現してやろうというくらいには現実的なのです。
 なんだか今夜の酒が開放的な気分にしてくれたので、とってもパーッと未来が開けるような気持ちになってしまいました。このテンションをずっと持続したいものです。

2月11日/檜

 檜の盥(たらい)を買ってきました。石鹸置きは今の家に引っ越したときに檜製にしました。湯船に浮かす檜のボールもあります。さすがに盥は大きいので香りを強く感じて、なかなかいいものです。
 私が子どものころ、家の風呂は小さいものでしたが檜の湯船でした。でも当時は木の香りを至福と思うような歳でもなかったし、だいいち今から40年も前のそのころには回りになんぼでも木の匂い土の匂いがありました。
 いっときは工業製品に美学を見たこともありましたが、最近は自然の香りに拘泥してしまいます。
 つぎは風呂椅子も檜にするぞ。

2月12日/腰痛だ

 ひさしぶりに、というといいことのようですが、ひさしぶりに腰痛に襲われています。かつて減量する前にはずっと腰痛がありました。あの当時は、あの大きな腹を支えなければならないので、腰もたいへんだったのだろうと思いますが、腹をへこませることに成功した今、なぜ腰痛なのかというのがちょっと不思議です。思いあたることは、昨日、狭いベランダで正月飾りの鉢から梅や松を植えかえたことくらいです。とはいえ、しばらくやっていなかったこういう作業が腰に堪えた恐れはあります。
 今日一日の仕事でずっと腰がつらかったのが情けない。
 歯、目、××、筋力、そのうえ腰か… ^^;

2月13日/バ、バレンタイン前夜ぁっ

 帰宅途中に旨いサシミはないかと駅前の魚屋さんに立ち寄ったついでに、いつものように隣接した阪急百貨店の地下食品売り場を覗きました。ここでは、明石の魚の棚の天ぷらとか、勝浦のさんま寿司とか、ま、そういう名産の店が出ていることがありまして、今週はどこが店を出してるのかなーというのはおじさんの密かな楽しみであります。
 迂闊にも忘れていたのですが、今夜覗いたそこはバレンタインデー一色でした。甘すぎる香りに早々に逃げ出さざるをえませんでしたが、そこから出てきたこのテナントビルの吹きぬけのホールでもどーーっとチョコレート関係屋さんが…。空気が甘い ^^;
 家に帰れば娘がチョコレート菓子を手作り中。誰にあげるんだろなんて詮索はヤボだからしませんけどね。

2月14日/はなきん

 バレンタインねたには触れません :-)
 「はなもく」が興隆して「はなきん」がすたれてから久しい。バブル時代のキーワードのようなこれらの言葉ですが、ひさしぶりに大阪という都会の夜に出た私は、これまたひさしぶりに「はなきん」を感じてしまいました。
 夕刻からの所用がすんで、では食事をと思って出たターミナル、ここぞと思うお店は軒並み満席でした。んじゃ次のあの店と歩くと、道路は真昼のような人の流れ。なんとか食事とビールにありついて、いろいろと喚き散らしたあと、ややホロ酔いで乗り込んだ阪急電車の宝塚行き急行、発車するころには車内はほとんど身動きできないほどの超満員。
 うーん、都会人は金曜日にはこういうリズムで一日の後半を過ごすのね、と再確認してしまったのでありました。
 で、電車を降りてバス停に出向いたら次のバスは20分後発。しゃーないので坂道をタラタラと歩いて帰ったバレンタインデーのはなきん。

2月15日/新幹線書斎としゃれてみる

 所用があって東京日帰りしてきました。
 何回か前から、新幹線の車内で溜まっている書き物をしたり原稿を書いたり(書くというより、実際にはノートパソコンで入力)するのが習慣になっていまして、これがまたかなり集中できます。新幹線書斎。
 職場ではなんやかやとポケベルが鳴ったり電話がかかったり訪問者があったりしますし、自宅だとついテレビに気をとられたり酒を飲んでしまったり植木をいじってみたり…。要するに私の意思が弱いのですが、なかなかコンセントレーションできないのです。
 でもひとりで新幹線に乗っていますと、大阪東京間はだいたい景色も見慣れていますし、本を読むとすぐに眠くなる。ですから迷わずノートパソコンを出してきて仕事をしようという気になるのでした。段取りのいいときは「のぞみ」車輌の「ひかり」の指定をとりますから、FMラジオで車内FMの音楽を聞きながらサクサクとお仕事ができるのです。疲れたら流れる景色をぼんやりと眺める、喉が渇けば車販がくる、眠くなればリクライニングを倒して一眠りできる。そのうえ仕事をしながら移動もできる :-)




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