駄理雑言 '97/1月下旬
1月16日/エアコンディショニング
当直をしますとまる二日近く病院内にいることになりますから、院内のエアコンディショニングに慣れてしまって、外界ではどんな気候なのかつい忘れてしまいます。今日の午後から往診に出ようとして、マフラーもコートもなしに外に出て、ありゃこんなに寒かったのかとようやく気がつきました。
しかしよく考えてみますと、それほどの暖房をしてしまっているのは、ひょっとしたら健康に悪いのではないか、病院から外に出たとたんに寒さにさらされて血圧が急上昇したり、厚着で室内にいて汗をかき、そのまま外に出て風邪をひくとか、逆に寒いところから院内に入って気分が悪くなるとか、しかし、そういう苦情はあまり聞かないし、たとえば百貨店などでもすさまじい暖かさになっていたりしますから、うーん、多くの人はこういう強い暖房を望んでいるのでしょうか。
自宅に火を使った暖房器具がない、コタツもない私としては、自分が変だとは思いたくもないのですが。
1月17日/震災を忘れない日
昨夜は新年会があって今朝早くは起きることができなかったという不謹慎はありましたが、今日は言うまでもなく阪神淡路大震災の日です。慰霊祭があったりテレビが震災一色だったりしまして、それはそれでなんとなく釈然としないこともままありましたが、もうあまり多くを書かず静かに喪に服していたいと思います。
合掌。
1月18日/町歩きあるいは初厄神
引っ越しの忙しさなどに邪魔されてしばらく町歩きをしていませんでした。
ひさしぶりに午後の予定のない土曜日、遅い目の昼食を職場の最寄り駅駅前のテナントビルの地下でとったあと、いちもならバスで帰るルートを裏道をたどって歩きました。
そして、おおそういえば、と気がついたのですが、途中で突然人通りが多くなり、屋台がたくさん出てきて、今日は18日、厄神さんの縁日、釋迦院(このへんでは尊鉢厄神さんといいます)の狭い参道と境内が人で溢れかえっていました。ついでといったら厄神さんに叱られそうですが、お参りだけはきっちりしてから、つぼみがたくさんついてきた梅の木がたくさんある水月公園(写真)を横切って帰宅。
ひさしぶりにゆったりとした町歩きができた午後でありました。
1月19日/趣味は写真でもええけど
ひさしぶりに京都に行ってきました。車を知恩院の駐車場に停めたので、まず知恩院にお参りしましたら、本堂で成人式が行なわれていました。本堂前にはアマチュアカメラマンがおおぜい待ち受けています。京都ではしばしばアマチュアカメラマンをみますが、みんなとはいわないものの、この人たちの行動の横暴にはしばしば眉をひそめたくなりまして、今日もやはり同じでした。ほとんどが中年以上のおじさんおばさんなんですが、カメラを持ってたら何をしてもええと思ってるのか、蹴ったろかとさえ思う場面もしばしばでした。
あるお寺で、苔の上に三脚を立てるな、という注意看板をみたこともあります。
そして私がいつも不思議に思うのは、なんでみんな同じ被写体に群がり集まるのだろ、ということです。私ならそんなに群れて撮りまくることはしたくないのですが…。
ま、人それぞれですから、何をどう撮ろうと、みんなでいっしょの写真を撮ろうと、それはべつにいいのですけれども、ファインダーの中からだけしか世間が見えていないような行動をしているエエ大人に対しては、私は容赦のないケーベツ光線を浴びせてしまうかもしれません。
※写真は知恩院で成人式をすませて記念写真のためにならびかけている新成人と、その若者たちを撮ろうと集まったアマチュアカメラマンの人垣。
1月20日/朝礼でしゃべるネタはむずかしい
私の職場では、いわゆる管理職が月曜日に順番に朝礼で訓示(!)を垂れることになっています。だいたい3ヶ月に一度ほど順番が回ってきます。
朝っぱらからアホな漫談をやるわけにもいきませんし、かといっていつもいつも偉そーなことを言うほどの生活をしているわけではありませんから、当番にあたりますと、それはそれでなかなか悩むことになります。ことに最近の私は、この日記のネタに毎日四苦八苦しているわけですから、これ以上に何かしゃべるというのはなかなかの苦労です。今朝になるまでいいテーマが浮かばず、通勤のバスや歩く間ずっと悶々としていました。
けっきょく、「ネタのないときの『ネタがない』というネタ」で話を始めてなんとか取り繕うという荒業で乗り切りましたが、どうにも後味が悪いものでした。
ま、つぎの朝礼では時期からして新年度の何か気のきいた話を用意して穴埋めしようと思いました。
1月21日/京都東寺の初弘法を見てきた
以前からの予定どおり、休暇をとって京都東寺の初弘法に行ってきました。有給休暇をとってお参りするというほど信心深くはありません。京都のかたはご存じかと思いますが、毎月21日の東寺には大きな市(いち)が立つのです。食べ物の屋台などはもちろんですが、骨董屋さんがたくさん店を出す、これを見に行ったわけです(写真)。
いや、掘り出し物を探しに行くほどの目利きでありませんし、金の余裕もありません。骨董のお店というのはなかなか入りにくいものですが、市の出店なら店主とわあわあ言いながら冷やかしができます。いちおう探す目的のものを念頭に置きつつ、ま、お勉強と見物というところでしょうか。
初めて行ったのですが、いやもう聞きしにまさるものすごい市でした。迷路に迷いこんだような、異界をさまよったような経験をしてきました。
クセになりそうだ。
1月22日/えらい大雪でした
昨夜から雪が降り続き、恐れていたとおり今朝はたいへんな積雪になりました。写真のように我が家の車も雪に埋もれてしまっていました。私の住まいのあたりで約20センチほど。バスはもちろん動いていません。電車が走っていることを確認したうえで、最寄り駅まで歩いていきました。同じように歩いている人がおおぜい。
こういうときにさえ車で出ようという無謀な人がいて、列をなして冷たい雪道を歩いている人の横をけっこう無神経に走っていく車があります。そういうのがくるたびにトバッチリを受けないように端によって身構えねばなりません。あとのニュースで知ったことですが、大阪と奈良でそういう状況で登校する子どもたちの列に突っ込んだ車のために2人の小学生が亡くなっています。
駅では電車の運行が乱れているために、とくに大阪方向のプラットホームはたいへんな混雑です。そして電車はなかなかきません。私のほうは、それでもまもなく到着した電車に乗って無事に職場に着くことができました。
こういうときにはそれぞれの人の性格がモロに出ているようで興味深いものがあります。
1月23日/大雪のあと
朝、街角の駐車場に前後が大破した車がありました。いつも見ていた車の変わり果てた姿です。昨日、どこかで事故にあったのでしょう。新聞によりますと、昨日は午前中だけで普通のときの2日間分の物損事故が発生した地域もあるとか。
病院の外来では、昨日は雪のためにくることができなかった患者さんがたがおいでになって、いつもよりもかなり混雑していました。
夕刻になるまで屋根の雪が解けてほうぼうで水が滴れ続けています。日陰にはまだ残っている雪があります。
あちこちの空き地に半分形が崩れた雪ダルマがボーッと立っています。
16年ぶりとやらの大雪は、翌日にもしっかりと余韻を残していました。
1月24日/冷たい雨やな
一昨日の大雪の余韻が残っているまま、今日の北摂は朝から冷たい雨でした。山のほうではまた雪になってしまっているようです。
「大寒」が何日か前にありまして、暦からはいまからしばらくが一番寒い時期。比較的寒さには強い私も毎日毎日の天候が気になる季節のまっただなかです。正月の松竹梅の盆栽の梅は、室内の暖かさのためにもう花を散らせてしまいましたが、外の梅はまだまだ堅いつぼみのままです。
いまふと外を見ましたが、まだ冷たい雨が降っています。
1月25日/そんなに車がいるか・そんなに歩きたくないか
この水曜日は例の大雪の日でしたので、予定していた訪問診察をすべてキャンセルさせていただきました。その患家へ今日回ってきました。土曜日に回ることはいままでもほとんどありません。
今日回ったお宅のある地域は、いわゆる新興住宅地が並んでいる地域です。そして、いつもの平日と比べて、ともかく車が多い。そのうえ好きなときに好きなところに駐車なさる。くわえて運転が下手な人が多い。うーん、そんなに車がいるか、というのが今日の感想です。
大きなスーパーの近くでは路上駐車のすさまじいこと。ちゃんと駐車場はあるのですが、駐車場からではすこし距離があるのですね。たかが100メートルほどの距離を歩くことも嫌がって店の前の道にお停めになるのでありました。
そんなに車がいるか? そんなに足を使いたくないのかい?
1月26日/無苦集滅道
死には至らないが治らない病気というものがあります。「ものがある」というより、そういう病気のほうが多いかも知れません。たとえば私の持病である頭痛。私も以前は頭痛に悩まされていました。しかし、これは治らない、これとはずっと道連れにならなくてはならない、これは私の個性の一部だ、と思った時点から、頭痛が苦にならなくなりました。あ、いや、頭痛のときは苦ですが、頭痛が治らないという悩みを苦にすることがなくなったのです。
ちょっと回りくどい話になっていますが、苦になることを気にしすぎてそれ自体が苦の原因になってしまうという、そういう病気も少なくないと、最近はつくづく思うのでありました。
そういうことを考えていましたら、今の日本はまさにそういう状態なのではないかと…。
色即是空空即是色。
1月27日/寒行・南無妙法蓮華経
転居してから一ヶ月が過ぎました。ようやくこちらの生活に落ち着きができて、周りの様子を気にする余裕もできてきたようです。
午後9時半か10時ごろ、南無妙法蓮華経を唱えながら歩き抜ける寒行の女性が回ってこられます。悪いが窓からそっと覗きますと、薄く黒い法衣を着て早足で一心に太鼓を打っておられる姿が見えました。私が河内に住んでいた子どものころ、こういう寒行は何人かのグループで一晩に何グループも回っておられました。その記憶があるので、たったおひとりで行をしておられるのが意外でしたが、考えてみれば人数は関係ないわけです。
で、じつは、毎晩のこの寒行、どういうかたがやっておられるのか、たいへん気になっています。ま、そのうち酒を飲んで帰ってくる途中ででも、このかたとすれ違うような機会ができるかもしれないなあ、と思っているのでした。
1月28日/痴漢
病院の周辺で痴漢というか変質者というか、へんな男が出るというので騒ぎになっています。宵に複数の女性職員が追いかけられたというのですが、彼ズボンや下着をずり下げながら追ってくるのだそうです。
もしものことがあるといけないので男性職員によるガードをしばらくすることになったようですが、それにしてもこの寒い時期に下半身ハダカで女性を追回すとはなかなか根性のあるヤツだという無責任な評論が院内でとびかっていたりします。
ま、いろいろと困った人がいるものです。
1月29日/スーパーマーケット
前の家の近くで散髪をしたついでに、よく通ったスーパーマーケットへ久しぶりに行って買い物をしてきました。
引っ越してからまだ行きつけた店ができていないので、何となく買い物がおっくうになっているところですが、やはり十年通い慣れた店ではたいへん動きやすく、ほとんど無駄のない動きで必要なものを調達することができました。計ってはいませんでしたが、店に入ってからレジに並ぶまで10分以内だったと思います。
車がないと気楽に行くことができない地理的条件なので、どんどん疎遠→不慣れになることだろうとは思いますが、お年寄りが馴染んだ環境では水を得た魚のようになる気持ちを少し実感できたような気がします。
1月30日/あ〜今日は何をしたのでしょうか
たいへんひさしぶりに予定の入っていない一日でしたが、その一日を終えてみますと、いったい今日は何をしたのか分からん一日でもありました。
今日はいろいろできるわと思っていたものの、あれもこれもと思い描いていたぶん、けっきょくたいしてまとまったことができなかったのでした。予定がタイトに入っていたほうが、一日を終えたときの充実感が大きいとは考えられますが、ヒマなぶんだけいつもはできない仕事をこなせるはずだと目論んでいたアテがはずれたことが情けない。
けっきょく、ヒマを作っても何もできない程度の能力しかない自分に、それでも夜になると乾杯、だ。
1月31日/煙(けむ)に巻く
唐突ですが、煙(けむ)に巻くのが嫌いではありません。
私に巻かれやすいのは、電話セールスをしてきた人とか、患者さんの味方とはとても思えないバックを背負っている保険会社の人とか、マニュアルどおりの接客しかできない飲み屋の女性とか、自分がとった電話がどういう要件であるか理解できていない在宅介護支援センターの電話番の人とかだったりします。
対応に腹がたって、ふつうなら怒鳴りまくるところを、嫌みと揶揄とケーベツがたっぷり混ざった反応で煙に巻いてしまうこと、これが私の精神衛生のための方策なのかもしれません。
ページの先頭へ
駄理雑言の目次へ
湾処屋摂霞亭へ
湾処屋のホームページへ