日々雑談 '96/10月下旬



10月16日/能勢という町

 在宅患者さんの秋の遠足が能勢牧場であったので、昼どきを見つけて私も顔を出してきました。好天でしたが、風が少し強くて冷たい、しかしまあ秋らしいといえば秋らしい一日でした。
 ついでといっては叱られそうですが、12月に能勢の「浄瑠璃シアター」で予定されている「鬼太鼓座(おんでこざ)」公演の前売券を求めに、当の浄瑠璃シアターに立ち寄ってきました。この施設は知っていましたが、内部に入ったのは初めて。能勢町は浄瑠璃の盛んなところだということは、意外に知られていないのですが、そのための劇場を新たに作ってしまうほどのものです。浄瑠璃そのものは私はちょっと分からないし、好んで鑑賞しようとは思わないのですが、それはそれで能勢の伝統文化として受け継がれるべきものでしょう。
 ご他聞にもれず能勢もまた宅地開発が盛んです。能勢の雰囲気が破壊しつくされないような発展をしてほしいものだと、しかしよそ者の言いたい放題やと言われそうですね。

10月17日/旨いじゃがいも

 思いもかけず、北海道真狩村の「新じゃがいも」の10Kg箱をいただきました *1)。
 早く食べたいので、今日は車で帰宅、ただちに蒸しにかかってもらいましたが、できあがるまで空腹を我慢しての辛抱が続きます。
 おおおお、でけたでけた、ほこほこほこのじゃがいも、(普段はダイエットのために使わない)バターを乗せて、粉チーズと胡椒を振りかけて、はこはこ言いながら口にしました。うーむ、至福。ビールが旨い :-)
    *1) じつは、某クレジットカード会社から、ご利用が多い顧客なので
    お礼の品、というものでした。ニフティおよびその他のネットワーク
    通信や携帯電話関係、その他、ほとんどすべてをこのカード決済にし
    ているだけのことなのですが、突然こういうものをいただいて、うむ、
    今後とも別に持っているクレジットカードより、このカードを使おう
    などと考える単細胞おじさんになっています。

10月18日/イヌたちは気が立っておるのか…

 数日まえにウチの訪問看護ステーションの看護婦さんが、患家の飼犬に足を噛まれました。ま、さいわいキズはたいしたことはありませんでしたが、よくなついたおとなしいヤツなので驚きました。
 今夜はひさしぶりの当直でついさきほど隣町の救急隊がイヌに噛まれたおばあさんを搬送してきました。夜診では何人かのイヌ咬創の患者さんの消毒がありました。
 イヌたちの気が立つ時期なのでしょうか。
 亡くなったウチのイヌには噛まないようにかなり強いしつけをしていましたが、それでもときに反射的に噛つこうとすることがありました。もっとも、彼は本気に噛む直前で止めていたようですが…。

10月19日/水上さん、お身体はいかがですか

 1980年に単行本が出て、今年9月に朝日文庫でリリースされた、水上勉さんの「停車場有情」を読了しました。
 水上さんのこういうしっとりとした文章を好んで読むようになったのは、ある意味では年をとったということなのかもしれませんが、それを差し引いても、この本は私にいろいろと示唆を与えてくれました。
水上さんの感性には及ぶべくもありませんが、これからしばらくは私の「停車場有情」を書いていきたいと思います。

10月20日/高安駅は私のルーツだ



 高安駅は私の生まれた家の最寄り駅です。いわゆる橋上駅*1) のはしりでもあります。早くに橋上駅になったぶん、エレベータなどの設備が整っていないのが、いまや残念です。まだ仕事を続けている私の両親が利用している駅ですから、あの長い階段が、高齢の父母にはえらいだろうな、と思っています。
 高安というところは、いまの近鉄が大阪電気軌道といっていたころから車庫のあった駅で、したがって私はものごころついたころから車庫で近鉄の電車(写真は往年の名車、2200系編成の伊勢急行―長谷寺付近)を間近に見ていたわけです。鉄道マニアのルーツでもあります。しかし、大阪から15分ほどのこの地では、車庫の拡張はもう無理になって、いまやその地位は奈良県のほうに移っています。
 それにしても、いまだに実家に行くと、この駅の40年以上前からの景色が思い出されてくるという、やはり私にとっての原風景ともいえる駅なのです。
    *1) 線路の真上に橋状に駅舎を作ってある構造。スペースの有効利用
    ではあるが、障害を持ったかたや高齢者には利用しにくいものである
    ので、最近の橋上駅では、エレベータが設置されているものが多い。

10月21日/阪神電鉄カーブ式会社

 東京オリンピックのころ、私は甲子園駅のすぐ前にあった高校に大阪市内から通っていました。高校野球やプロ野球のあるときは、この駅はとんでもなく活気に満ちます。電車の運用はもう奇跡のような状況(これはいまでもおそらく同じでしょう)。
 駅から甲子園球場までの道筋、つまり我が高校の正門の前には、野球見物客目当ての食堂が連なっていて、私ら高校生も放課後にはうどんやおでんを食べつつ時間潰しをしていたものです。いまそれらのお店がどうなっているのかよく知らないのですが、それというのも、高校が移転してしまい、いまや甲子園駅に縁がなくなってしまったからなのでした。

10月22日/いやー温泉温泉

 ひさしぶりに遊びのための有給休暇をとって温泉三昧をやってきました。
 「スーパー雷鳥サンダーバード」に乗りたいために、目的地を北陸方面と定めて、なかでも静かそうな粟津温泉の歴史のある宿「法師」に泊まってきたのですが、実際には宿泊以外の時間をほとんど金沢市の近江町市場(写真)の見物にあててしまいました。魚介類と野菜の種類の多さとや安さは、大阪日本橋の黒門市場や京都の錦市場を見慣れていても、かなりなインパクトがあり、一泊二日の行程なのに、二日とも近江町に入り浸っていたのが実情です。
 今回私が泊まった粟津温泉をはじめ、山中、山代、片山津などの有名温泉町へのアプローチ駅が加賀温泉駅です。この駅は、駅から北側を見ると金色に輝く巨大な観音像が見えることで(どういう意味かはともかく)知られています(知られてませんかね)。同じようなシチュエーションは、近鉄の榊原温泉口駅でも見られますが、はて、温泉の入口の駅と観音さまの関係とは如何に…。
 閑話休題、片山津温泉へは大聖寺駅、山中、山代へは動橋(いぶりはし)駅、粟津温泉へは粟津駅、という棲み分けができていた数十年前の地方電鉄全盛のころをギリギリ知っている私としましては、特急の停車駅を絞って駅からタクシーで温泉宿へという、考えてみれば味気ないルートになってしまって、少々寂しい思いのする駅風景でした。なにしろこの駅、かつてはな〜んにもない単なる停車場だったのですから…。

10月23日/能勢電鉄妙見口駅

 能勢電鉄はかつて能勢妙見参詣のための電車でした。妙見口駅はその目的のために作られた駅だったわけです。
 しかし、いまやこの鉄道は、大阪の巨大なベッドタウンの足として機能しています。今年の春に阪急との乗り換え駅である川西能勢口駅が改装完成されて、昔の能勢電の雰囲気を持った駅は妙見口駅だけになってしまいました。
 川西方面から走ってきた電車は、日生線を山下駅で分岐したあと、それまでの「都市近郊」の景色が突然変化します。単線でカーブが多く、窓の外には狭い渓谷の景色が続きます。もっとも、登山電車のようなこの景色は、窓のすぐ外だけで、上の尾根筋を見ますと、木立の間からびっしりとした宅地が見えています。つまり、電車は住宅地にある巨大な溝状の谷筋に沿って走っているのです。途中駅では尾根筋にある駅前広場までエスカレータが通じていたりします。
 最後に短いトンネルをくぐりますと、線路のまわりは突然田舎になります。そうしてすぐに妙見口駅に到着するのでした。要するに、かつての参拝電車たる能勢電で、その名残は妙見口駅が唯一になってしまったわけです。
 この駅のホームで電車を待っていますと、35年ほど前に父親やその友人といっしょに一庫(ひとくら)渓谷*1) での飯盒炊さんを楽しんだことを思い出します。あの頃の能勢電は木造車輌にポール集電*2) でありましたな。
    *1) 一庫渓谷は一庫ダムによって消滅しました。一昨年の異常渇水で
    ダム湖が干上がったとき、渓谷の名残が見てとれましたが、ま、いず
    れにしても、北摂の山の変化の象徴のようなスポットではあります。

    *2) 電車が架線から電気を集めるときに用いる部品の一。一本の棒の
    先、架線と接する部分には小さな滑車様の回転部分があって、これが
    架線をころがりつつ集電する。最近の電車のそれはほとんどが「パン
    タグラフ」であり、路面電車でみられるラケット型のものは「ピュー
    ゲル」、ポールの滑車の代わりに板がついているのを「ボウ」と言い
    ます。ポールは、線路の分岐部では、滑車部分をいちいち架線にひっ
    かけなおさなければなりませんが、それは車掌さんの仕事でした。と
    きどきひっかけ損なって、ポールが天にそびえてしまうこともありま
    したが、そういうのんきな時代だったのですね。

10月24日/国鉄片町線あるいはJR学研都市線の徳庵

 私の本籍地は、大阪市鶴見区今津北というところにあります。ここは徳庵駅の駅前にあたります。私の父の生家、つまりご本家です。
 私はものごころついたころから、盆暮れ、父に連れられてのご本家にしばしば行っていました。高安に住んでいましたから、近鉄電車で鶴橋へ、そこで国鉄城東線(現在の大阪環状線)に乗り換え、左手に荒涼とした旧大阪造兵工廠跡が見えたらまもなく京橋、戦時中の名残を残す「73系」といわれた粗末な電車に乗って、鴫野、放出(はなてん)、そして徳庵に着くのでした。
 徳庵の駅には、単線であったために電車のすれ違いのための設備と、貨物の積みおろしに使う側線があり、これは当時の国鉄の標準的な駅のかたちでありました。木造の小さな駅舎から出ますと、埃っぽい駅前広場にボンネットバスが止まっていて、ご本家は広場を横切った(というほどの広さのものでもなかったのですが、小さい子どもには広く感じたのですな)正面にありました。
 正月や祭のときには、ご本家のお座敷いっぱいにごちそうが並べられていて、家は古いが華やかな飾りつけに心が躍ったものでした。
 いまや片町線は「学研都市線」などというモダンな名前で呼ばれるようになり、徳庵駅には快速電車が停車し、駅そのものも典型的な郊外型のそれになっていまして、さすがに40年の月日の流れを感じます。しかし、舗装されて砂埃はなくなつたとはいえ、駅前広場とそれを横切ったご本家が面する駅前の道路は、40年前となんにも変らない狭さでこの時代の交通事情に汲々としているのであります。もちろん、バスが駅前に乗り入れることなど、できっこありません。

10月25日/消耗

 嬉しいお給料日の今日なのに、私の一日はたいへんでした。いやなに、バタバタ忙しかったのではなく、おそらく今までで最も消耗した外来日だったと記録しておきたいのです。
 金曜日の午前は予約外来をしていますから、診察室に入ったのが午前10時、昼休みに40分ほど休憩したのをはさんで、午後は3時に受け付け終了して、しかし診察がすんだのが午後6時。新幹線で東京へ行ってあちらでちょっと仕事をかたづけてきたくらいの時間を使ってしまいました。
 もう今日はしゃべりたくない。

10月26日/京橋ターミナル

 医療情報通信シンポジウムを聴講するためにOBP(写真は夕景)(大阪ビジネスパーク)に出かけてきました。最寄りの駅が京橋です。
 京橋駅というのは、かつては、言葉は悪いが「場末の乗り換え駅」という雰囲気がありました。片町線は大阪近郊の路線にもかかわらず、なんとなく陽の当たらない線区という感じが濃厚でしたし、京阪電車の駅は商店街の片隅の狭いホームが印象的でした。もっとも、そのあたりの商店街は、今でもそうですが、庶民的といいますか、気がおけないといいますか、かつての若いころの私 :-)にとっての岡場所だったのです。
 いまや京阪は巨大な複々線の駅になり、片町線はまもなく「片福連絡線」として生まれかわることになります。大阪での新しいスポットであるOBPができただけでも京橋の印象が大きく変ったうえに、来年はもっと大きく変化することになるわけです。
 時代ですな。

10月27日/世紀の愚行の京都駅ビル

 物議をかもした京都駅の駅ビルが姿をなしてきています。
 新幹線から見ていて、なんとも大きなものだと圧倒されていましたが、先日北陸からの帰りの在来線特急の窓から見ますと、これはもう見上げてようやく空が見えるという大きさがありました。
 JRは、列車から京都の街を隠したいのだろうかと思ってしまいましたが、これはやはり造ったのは間違いだったのではないでしょうか。
 完成は来年の秋だそうですが…。

10月28日/もうじき箕面駅は賑わいまっせ

 私が毎日お世話になっているのは箕面駅ですが、この駅は年に一回、いまごろにたいへん活気づきます。なにしろ、大阪では、箕面といえばお猿と滝と並んで「紅葉」なのです。モミジの葉っぱの天ぷらが名物の地です。
 駅には箕面の山のハイキング地図が置かれ、滝道への案内の手作りの看板が置かれます。仕事を終えて帰る道で、日ごと日ごと箕面の山に歩きにきなさいよ、あんたお見限りだよん、歩かないと体が鈍りますよぉ、と言われているような気分。しゃあないやん、休みがとれへんねんからぁ、とお山に言いわけしつつバスに乗っています。
 馴染みの駅だからというわけではありませんが、いまのところ私はこの駅がたいへん好きです。

10月29日/うんこ座り

 「うんこ座り」というのが、いっとき有名でした。暴走族のにいちゃんなんかが代表とされる若者の風俗のひとつとして、24時間営業のコンビニの前などでよく見かけた「たむろのしかた」でした。にいちゃんが女もののヘップサンダルを足をはみ出させつつ履いて、しゃがみこむ姿を「うんこ座り」といいました。これはけっこう体力というか脚力がいったのではないかと思います。
 それはそれとして、最近、大阪近辺だけのことかもしれませんが、若者が男女を問わず地べたにべちゃっと尻をつけて座り込んでいるのをよく見かけます。駅のコンコースとか、劇場のホールとか、コンビニの横の道端とか、ゲーセンの店の前とか、要するに若者の集まる場所で見るのです。
 私がハイティーンのころには、うんこ座りもこういうべったり座りもした記憶がありません。いつからこういうことになっていたのかよく分かりませんが、少なくとも駅のホールの柱にもたれてべったり座っているのは、なんだかたいへん情けなく見えます。
 べったり座って 500mlのペットボトルのミネラルウォーターを飲みながらダベるというのが、若者のコミュニケーションの標準になっているのでしょうか。

10月30日/もう来年のことが…

京都修学院離宮の秋景色

 業者さんが来年の手帳を持ってきました。
 をゐをゐまだ10月やんか、もう来年の手帳かいな、せわしないなあ、バブルの時代とちゃうねんからそんなにあせらんでもえやんか、まだ二ヶ月もあるんやでぇ。
 帰宅途中に紀伊國屋書店をふらりと覗いたら、なんと店頭の一等地の平台には来年の日記と手帳が…。
 うーん、世の中のリズムってそうなのか…。

10月31日/シトロエンと別れました

 2年ほど前からほとんど乗っていなかったこの車を、11月4日で車検が切れるのを機会に、今日手放してきました。前回車検から1万キロも乗っていないので、このまま持っていることはきわめて不経済と判断しました。しかし、7年前にはたいへん入れこんで買った車でしたし、気に入って乗ってきましたから、やはり置いて帰るときにはすこし寂しさが…。
 最後に自分の車に乗った今夜、大阪は雨になって、道路はすさまじい混雑、空いていれば20分ほどの距離を1時間以上かかって走りました。大阪ではやはりもう自家用車の時代ではないことを再確認し、車を手放す決断が間違いではないと確信したのでありました。




ページの先頭へ
日々雑談の目次へ
湾処屋摂霞亭へ
湾処屋のホームページへ