1985/8/29〜30
せせらぎキャンプ場
埼玉県入間郡名栗村上名栗
04297(9)0062 8月29日(土)晴
初めてのキャンプ。7月にプレキャンプに来たが、泊まるのは初めてのことだ。
3:00にキャンプサイトに到着。車を駐車場に置いて、丸木橋を渡り、小川のそばにテントを張る。夕食は焼肉。飯合で炊いたご飯が、もう抜群の出来。天才的な仕上がりだった。
(実はこのときから飯炊きの難しさを知るのだが。)
子供達も一緒だったはずだが記憶にない。テントを設営して、火を起こして、ご飯を焚いて、心のゆとりがなかったのだろう。この時の夜の感じは今覚えていない。名栗川のせせらぎが耳障りなような、そんな記憶が何となくある。
夜は満点の星。焚火を肴に飲む酒は最高だ。オレンジ色のおき火が宝石のようにまたたき、生命がある如く輝いては消える。こんなにうまい酒は生まれてこのかた飲んだことがない。こんなにうまいものを食べた記憶もない。
こんなに心が解放されたのは何年振りのことだろう。ただ闇があり、火があり、星がある。そして妻もいた。
8月30日(日)曇り
次の日の朝は麻婆春雨。(この日以来、初期キャンプの定番メニューの一つになる。)
昼から小雨、と書いてある。
僕が34才、郁子33才、長男元気が小学二年生7才、元子は幼稚園年長組5才、麻子は年小さんで3才と5カ月だった。あれからもう10余年の月日がたった。
1985/9/21〜22
このまざわキャンプ場
神奈川県津久井群津久井町青根
042(87)2735
9月21日(土)晴れ
午後1:00自宅出発。中央高速に入るまでが渋滞で大変、また降りてからも、迷ってしまいキャンプサイトには6:00すぎに到着。先発の仲間(樋口、大西、松村、古田一家)サイトを確保していてくれたので助かった。
夕食はバーベキュー、はんごう飯は強火で炊いたせいか、いわゆるめっこ飯。初めてのときはうまく行ったのに、なかなか難しい。焚火を囲んで12:00すぎまで大騒ぎ。大勢でやるのが一番だ。楽しさにまかせて、ちょっと飲みすぎてしまった。おやすみ〜
9月22日(日)小雨後曇り後また雨
やはり昨夜の飲みすぎたたって、ちょっと頭がいたい。昨日は暗かったのでわからなかったが、小川沿いにサイトが広がっている、なかなか良い環境のキャンプ場。管理が行き届いているかんじだった。
朝食はキャンプ場で拾った栗を使った栗ご飯と、これも現地調達の山菜てんぷら。朝食ご解散。
都内に近づくにしたがって渋滞がひどくなり、調布で中央高速を降りる。一般道を走り自宅到着が午後7:00すぎ。調布から2時間以上かかってしまった。慣れた関越道にくらべ、中央高速道は走りにくい。
今振り返って見ると何と稚拙なキャンピングであろうか。飲んで騒ぐだけだったような気がする。キャンプサイトがほかのキャンパーから離れたキャンプファイアー場だったので、迷惑はかからなかったようの思うが。騒がしそうな団体だったので、管理人さんに初めから隔離されていたりなんかして。はははは…
焚火、外飯、野外遊び、確実にキャンプライフにはまっていく菅原一家ではあった。
1985/10/5〜6
みどりの村キャンプ場
群馬県吾妻群高山村中山
0279(63)2431 10月5日(土)晴れ
関越道を渋川伊香保ICで降りて午後4:00頃へ到着。ちょっと寂しいような心細いような、ぼくら以外誰もいないキャンプ場。テントを設営して、焚火をおこしてこれでひと安心。夕食はカレー(ジャブジャブになってしまった。オマケにご飯もベチャベチャ、飯焚きは難しい。
夕食後、国民宿舎の風呂に入りにいく。高い割にはたいした風呂じゃなかった。
静寂と星空と焚火と酒と。気持ちが解放される。最高の夜だ。妻と二人、おき火を眺めながらひっそりと酒を酌み交わす。心地よい時間が流れる。
と、ここまでは良かったのだけれど、夜中に誰かがテントの周りをうろついている。誰もいなかったはずなのに、こっ怖い!!犯人は野良犬だったのだが、気になって寝付けなかった。(このやろ〜)
10月6日(日)晴れ
麻婆春雨で朝食。食事後、腹ごなしに子持牧場のある山へ。山(というより単なる斜面に近いが)を歩くのは久しぶり。子供たちが楽しそうだ。
夜中に着いたというキャンピングカーの一家がいた。渓谷沿いの温泉を教えてもらい谷川温泉、金盛館へ向かう。お風呂が掃除中だったので、谷川岳ホワイトバレースキー場へ。もちろん雪はない。ロッジに客はいない。屋外のテーブルでぼくらだけの昼食。ぼくらのためだけにバーベキューを調理してもらった。ソーセージにポテトにコーンに…ありきたりの材料がなんとおいしいことか。なんと贅沢な時間か。
露天風呂も最高だった。昼下がりでほかの客はいない。せせらぎの音がBGM。家族みんなでゆっくりと、貸切で楽しむ。笑顔。
ぼくと、家族のキャンプの原体験がここにある。オフシーズンの誰もいないキャンプ場。オートキャンプ人気のはしりの時期であったが、この時期にキャンプをしようなんて奴はあまりいなかった。今では考えられないが。そして露天風呂もそれほどのブームでもなかったし、入浴料も安かった。
また一つキャンプの楽しさを知ってしまった菅原一家は、ますますアウトドアライフのとりこになってしまうのであった。
1985/11/2〜3
菖蒲が浜キャンプ場
栃木県日光市中宮祠菖蒲が浜
0288(55)0227
11月2日(土)晴れ
12:00出発。大渋滞の東北自動車道から2:00に日光宇都宮道路へ。いろは坂がまたまた大渋滞。車(アコード1800EXL)の調子がイマイチ。上り坂のうえのろのろ運転なので、水温が上がりオーバーヒートしてしまいそうだ。
中禅寺湖の北側湖畔にあるキャンプ場への到着が午後7:00になってしまった。あたりは真っ暗で、誰もいない。10月末まででクローズドなので管理人もいなければ、常夜灯もついていない。駐車場から備え付けのリヤカーで道具を運ぶ。一面の闇。寒い。薪が見つからないので焚火ができない。おまけに水場もわからない。最悪。
しかしその日に限ってジャグに水をいれてきたので助かった。とりあえず缶詰とカップラーメンを作って子供達に食べさせる。寒さも平気でテントの中ではしゃぎ回っている。子供は元気だ。
EPIガスコンロで日本酒を暖めて飲むが、足元から冷気が上がってくる。三人の子供を真ん中に夫婦で挟んで眠る。寒さでなかなか寝付けなかった。
11月3日(日)晴れ
朝、気がつくと目の前が真っ白。なんだこれは?爪で引っ掻いて見て初めてわかった。霜、霜なのである。寒かったわけだ。冷蔵庫の中にいるのと変わらなかったのである。
朝食。定番の麻婆春雨である。日光菖蒲が浜の朝は最高だった。澄んだ空気、湖畔のロケーション、紅葉の終わった白い灰色の森も素晴しい。日が高くなってきた。
湖畔で老夫婦が穏やかな笑顔でランチをとっている。わが家の昼食は焼芋とお餅。落ち葉を集めて焚火、子供達が大いに喜ぶ。普通の子供はこの楽しさを知らんだろうな。ファミリーキャンプで良かった。郁子が自然好きで良かった。偉大なる女房殿に感謝。
湯元温泉で入浴。湯滝で鮎の塩焼きを食べ、源泉と温泉寺を観光して帰路につく。
今考えると、3人の子供を連れて11月の日光へよくいったと思う。シュラフすらまともになかったのだ。装備もロッジ型テントとキャンプテーブル&イスと一口ガスコンロ、ガスランタンだけ。それだけキャンプにはまっていたということだろう。不便さも、ピリッとした寒さもキャンプの楽しみと知った。
クローズドされたキャンプ場でキャンプをすることを、「山賊キャンプ」と言っているが、あの頃はマナーさへ守っていれば特にとがめられることもなかった。今はどうだろうか。
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