1999.05 |
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ビクトリー伝説、すがpapaとミクロマンの日々 |
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ある日、部下のHから、徳間書店から取材に来るから時間をとってくださいといわれた。なんの話かと確認したら、ムック発行のためにミクロマンの話が聞きたいとのこと。インタビュー記事にするらしい。そういえばタカラからNEWミクロマンが発売されるといっていた。「ミクロマンか〜。懐かしいね〜。でもすっかり忘れてしまったよ。」 数日後、徳間書店の取材の人が来た。僕はぽつぽつと話し出すが、記憶がなかなかつながらない。でもひとつひとつ話を紡いでいくと、あの頃のなつかしい甘酸っぱい時間が蘇ってきた。 ミクロマンを知っているだろうか?20数年前、1974年(昭和49年)にタカラから発売された、身長10センチのSF人形だ。僕にとっては忘れ得ぬ、時の証人なのだ。 |
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その頃僕は23才。ちょうどmamaと結婚する直前の年。結婚式を前にすでにふたりは同棲をしていた。(同棲時代ってマンガが流行っていて、歌にも映画にもなった。)金はなかったが夢だけは溢れるほど持っていたし、エネルギーもあった。 mamaは東京・丸の内の船舶会社のOL。僕は田端(北区)にある小さなデザイン会社のかけ出しのデザイナー。僕の会社から歩いて2分の恐ろしく古くエレベーターもないビルの4階に住んでいた。僕があまりにも帰りが遅いので、mamaが見つけてきた部屋だ。食住近接。とにかく仕事に熱中していて、帰宅はほとんど12時すぎ。週に2回は会社に泊まっていた。共稼ぎをしていたとはいえ、よく結婚生活が成り立ったものだと、今思えば不思議だ。(mamaの忍耐力のたまものなのだが) 気分はほとんど独身。土曜日ともなれば会社の連中と夜どうし飲んで、朝方帰るのがつねだった。時にはカギを忘れ、ビルの下から大声で叫んで、ドアを開けてもらったりもした。そんなほとんど仕事ばっかりの生活の中で巡り会ったのがミクロマンだった。 ![]() ミクロマンに関しては、キャラクター設定や細かいストーリー作り、パンフレット、パッケージデザインまでほとんど僕が手掛けていた。(もちろんプロデュースする人はいたが。)それに、基地や乗り物などのメカニックデザインも手掛けていた。朝から晩までスケッチをして、玩具が完成すれば、撮影、コピー制作、パンフレット、パッケージ、雑誌広告のデザイン。特にパンフレット作りには命をかけていた。細かい背景作りから撮影のセッティングなど、夢中でやっていると、あっという間に時間が過ぎて、気がつけば朝方。そんなことが何度もあった。20数年前まさに僕の青春だった。 |
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徳間書店発行 ROMAN ALBUM HYPER MOOK 6 「ビクトリー伝説」より ミクロマンの最大の魅力は、手のひらサイズの人形と、それを中心に遊べる乗り物や基地の組み合わせという、コンセプトそのものの秀逸差にあったが、同時に、商品に同梱されているパンフレットやカタログ、後には雑誌「テレビマガジン」などで展開された、SFマインドあふれるバックグラウンドストーリーも、当時の子供立ちの興味を一層かき立てたことは間違いない。その物語の発端はこうだった。ミクロマンたちは、故郷の惑星ミクロアースを突然の爆発で失い、宇宙を放浪した末に地球にたどりつく。彼らの故郷とよく似た美しい星・地球は、しかし、彼らにとっては巨人と巨獣が闊歩する、脅威の惑星でもあった…… |
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思わぬ話だった。20数年も前の話だし、この頃は玩具からすっかり離れていたのでまともにインタビューに答えられるか心配だった。でも僕がその頃の証人であることは間違いない。あの頃のエネルギーというか、情熱というか、そんなものを少しでも伝えられればな〜と思いインタビューこたえた。 「ビクトリー伝説」は5月5日に発行。 |
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