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題名 |
ゲゲゲのげ |
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出演者 |
菅野久夫・新谷一洋・中進・東銀之介・白石禎・前野修・稲垣広貴・藤堂貴也 ・小野正隆聖あやみ・もたいまさこ・光永吉江・村田ユチコ・竹内久美・渡辺えり子 |
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作 |
渡辺えり子 |
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演出 |
渡辺えり子 |
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作曲 |
渡辺えり子 |
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編曲・演奏 |
福島一幸 |
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照明 |
森田三郎 |
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美術 |
松野潤 |
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振付 |
菅原鷹志 |
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音響 |
原島正治(舞台音響・囃組) / 堀江由美子 |
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舞台監督 |
武川喜俊 / 助手 井原陽子 |
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スタイリスト |
久我山もえ |
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惹句・挨拶 |
逢魔が時に揺れるブランコ 昼と夜との中途の時刻 渡辺えり子 私は子供の頃から真夏の暑い日でも重たい冬の布団を掛けて寝る。そして手足をきちんと布団の中におさめないと眠れない。それはどうしてかというと、恐ろしげな何物かが、知らず知らずのうちに私の手や足をさわりにきたり、のこぎりやおのなどの凶器でバラバラにされたりするのじやないかという恐怖心があるからで、今でもその癖は直らない。 昼間眠っている私の回りの物達が、私の眠っている間に起き出して想像のできぬ活動をし始めるのではないかと思っていたのである。 夜中に、ふと目ざめて明かりをつけると、何か生温い気配が充満している時がある。部屋を真暗にしないと眠れないのは、明るいまま眠っていると、ふと目ざめた時に、見てはいけないものを見てしまう怖さからのがれるためだ。−現に、上京して間もない項、寝ている私の布団の上に目まで髪をたらした数十人の小さな童子達がキャッキャッ笑いながら遊んでいるのを見た事がある-。 押し入れの戸が少し開いている時なんかは怖くて心が凍る思いがする、押し入れの中はいつも夜の世界を孕んでいるから、少しの隙間でもあるとこちら側が夜になった時にはものすごい濃度の夜の妖気がそこここに漂ってしまう。そうなると、あちら側にひっぱられてしまっても低抗できないのじやないかと考えたりもする。 しかしこちらが眠っている間は動き出さないのだからまだ助かる。手足をちぢめて眠っていれば、いつもの朝がやがて来る事は確実だ。しかし、昼でもない夜でもない時間はある。明かりをつける前のちょっとの時刻、たそがれ時というやつだ。普段は眠っているはずのものがひょこっと姿を現わす時刻だ。 外で遊んでいて、知らず知らずにこの時刻があたりをおおっている事がある。そんな時は胸がキューンとして腹の底から孤独惑がおそってくる。帰らなくちや、帰らなくちや、神社の石段を勢い良く降りて息もしないで家までの道を走る。 けれどその時刻に迷って二度と帰れぬ子供らがいる。今でも神社の縁の下にうずくまって「もういいかいっ」と言い続けるかくれんぼの鬼がいる。たそがれの逢魔が「まだよ」「まだよ」と帰してくれないのだ。山奥の沼の底でゲタを枕に眠り続ける女の子がいる。逢魔の歌う美しい子守歌に酔いしれて、もうこちら側にはもどらない。 昼と夜の中途半端の時刻、置きざりにしていた後悔があちら側からゆっくりと追り来て、後ろからひょいと肩に手を乗せる。振り向くともうもどれない。 たそがれの迷路の中でものの影とたわむれながら影となって止まるのだ。永遠のたそがれ時の中で、もう目ざめる時を忘れてしまう。
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その他・ |
これも実物がなく、コピーを使用しています。 |
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