☆桃兎の小説コーナー☆
(07.12.13更新)

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 レスは日記でしております〜。



 ドラゴンマウンテン 
  第10話
 最強と呼ばれるレンジャー(上)
 


     1

 雪がちらつく、静かな冬の朝。
 うっすらと雪の積もった『今昔亭』の裏庭で、二人の若者が作業していた。
 一人は赤毛の瞳の大きな少年で、半そでのシャツからちらちら覗く腕の筋肉はくっと盛
り上がっており、どこかたくましい印象をうける。
 だが決して身長は高くはなく、少年のすぐ傍にいる少女と同じくらいしかなかった。
 はっきり言ってしまえば、ちびっ子だ。
「よっ!!」
 赤毛の少年が、掛け声と共に勢いよくぶんっと斧を振り下ろす。
 と、斧は見事にど真ん中に命中し、丸太は綺麗に両断されてからころと両端に転がって
いく。
 少年は新たに丸太を手に取ると、切り株の上に乗せて慣れた手つきで次々に割り続ける。
 少年の背後に山の様に積まれていた丸太は、次々に薪へと姿を変えていくのだった。
「はーい、これで町長さんとこの分の薪割り終了ー」
 少年の傍にいた黒髪のポニーテールの少女が、散らばった薪をいくつかの束にしながら
声をかけた。
 少女はそれらを器用にロープで括ると、ふぅと白い息を吐いて立ちあがる。
 防寒用のマントを冬の冷たい風になびかせながら、薪を運ぶ為の大きな台車を取りに行
こうと少女は物置小屋に向かった。
 そんな少女の様子を見ながら、少年は首を振り「あーあ」とうな垂れた。
「あーもー、俺はこの季節大ッ嫌いだぜ。冬ってだけで依頼が減って仕事が少なくなって、
そのせいでこんなバイトしなきゃいけねぇんだもんな」
 斧を切り株にゴスッと突き立て、少年は大きく背伸びをすると空を見上げた。
 雪雲に覆われた空は暗く、昼頃にはかなりの雪が降りそうな気配だ。
 更には強い北風。
 この時期になると山から降りてくる風のせいで、気温がぐっと下がる。
 少年はうんざりした顔で「はぁ」とため息をついた。
 台車を押しながら戻ってきた少女が、そんな少年の肩をぽんとたたく。
「しょうがないじゃない。誰も好んで危ない雪山になんかに行かないわよ。行くのは大概
上級者ばっかり。私達レンジャー暦の浅い人間は、山に行っても仕事にならないって。…
…こうでもしないと、ご飯食べそびれちゃうよ?」

 そう少年に語る少女の胸に、キラリと光る金のバッジ。
 そのバッジはドラゴンマウンテンの正式なレンジャーの証だった。


 ドラゴンマウンテンの麓にある、チークの町。
 そこには山の恩恵を受けて暮らす人々と、レンジャー達が生活している。
 無数のドラゴンが住み、数々の遺跡と洞窟を抱える大きな山は決して人に優しいとは言
えないが、その分生命力にあふれており、人々の食料となる獣も沢山いるのだった。
 だが、山の恩恵は何も自然の恵みだけでは無い。
 山の遺跡、モンスター、ドラゴン、それらを目当てに各国から腕に覚えのある冒険者や
研究者達が、度々訪れるのだ。
 町の人、そしてレンジャーたちはそれらの人々を相手にして日々暮らしているのだった。


 だが、今の季節は冬。
 十二月を過ぎ、新年を迎える頃には雪が厚く積もりだす。
 そうなると、本当の上級者しか山に行けなくなるほど、山は過酷な環境になる。
 雪山というだけで既に厄介なのに、ここはドラゴンマウンテン、それに増してさらにモ
ンスターという存在がある。
 雪と寒さのせいでモンスターの出現率は下がるが、その分冬ならではのモンスターがで
てきたりと全く油断のならない山なのだ。
 十二月半ばの今の時期は雪の降り始めの時期で、本格的な冬に比べると幾分ましではあ
る。が、それでも経験の浅いレンジャーにとっては危険な事に変わりは無かった。
 最低三年は経験を積まないと、冬のドラゴンマウンテンで仕事をする事は許されないの だ。
 単独で登るだけなら出来なくは無いだろうが、レンジャーの主な仕事は冒険者や研究者
を山へ連れて行って、そして無事に帰ってくる事だ。 
 依頼主の安全を確保するためには、豊富な経験と強さが求められるのだった。

 だが、依頼をこなす事で生活の糧を得ているレンジャーにとって、依頼を受けられない
のは死活問題だ。
 故に、経験の浅いレンジャーは、冬の間こうして町の皆から仕事を引き受け、バイトを
こなす毎日が続くのだった。


 少女は持ってきた台車に薪の束を積み上げると、指差しながら数を数えていく。
「いち、に、…うん、全部で十二束。さ、リオン運んできてねー」
 リオンと呼ばれた少年は、それを聞いて嫌そうに口を歪める。
「えー、今日はマリンの番じゃなかったっけか?」
「なーにいってんのよ、昨日は私が薪割って運んだじゃない」
「…、ちぇっ」
 だまされなかったか、と、リオンは悔しそうな表情を浮かべたが、マリンは気する様子
もなく残りの散らばっている薪を拾い集め、裏庭の隅に積み上げ片付けていく。
 リオンはめんどくさそうに足元の雪を蹴っ飛ばすと、諦めたのかぐっと台車を持ち上げ
た。
 だが、のろのろと数歩歩いた所で、ふと気付いたように顔を上げ足を止める。

「なぁ、マリン。ガントは上行ってんだろ? いつ頃帰ってくんだ?」

 少年の何気ない問いに、少女は真っ赤になってうろたえる。
「えっ、あっ、たしか冒険者の護衛って言ってたから……四、五日かかるんじゃないかな。
四合目の遺跡に行くとか行ってたし……」
「あそこかー。あんなトコ、何も宝なんて残ってないのになー」
「まぁ……ね。でも変わった魔物が出るじゃない。きっとそれ目当てだよ」
「それしかないよなー。……、っていうかほんっとにガント好きよな、お前」
 赤くなりながら話すマリンにリオンが突っ込むと、マリンは更に真っ赤になって俯く。
「うぇっ、ちょ、あうあ」
「ほら、また赤くなった。んな事だから、アレイス達にからかわれるんだぜ?」
「そんな事言っても…!!」
 リオンは言葉を遮るように、マリンの肩をぽんぽんと叩いた。
「分かってるよ。ガントになかなか会えねぇんだもんな。恋しさは募るわな」
 思いがけないリオンの言葉に、マリンはどきりとなる。
 
  リオンはマリンと同じ年のレンジャーで、レンジャー暦も同じ、ココに来た時期も同じ
という間柄だ。
 年が一緒という事もあって、二人は仲のよい友達の様な仲だ。
 そこには男女なんて垣根はあまり無く、二人を知らない者が見れば仲の良い兄妹に見え
るかもしれない。
 普段は若さに任せて無茶や暴走しがちなこの少年だったが、人の心を素直に感じる事が
出来る真っ直ぐな性格を持っている。
 そのせいか、時々ドキッとするようなことを平気で言ってのけるのだ。

「冬は難易度の高い依頼しか来ない。しかも、そういうのに限って一週間はかかるとかザ
 ラだもんな。でもな、寂しそうなお前はつまんねぇよ」
「さ、寂しそう……!?」
 意外なコメントにマリンは戸惑う。
「おう。時々山見上げて、ふぅ、ってなってんじゃん。女将さんも心配してたぜ? 食う
量が最近減ったんじゃないかって」
「そうなの……かな」
 マリンには心当たりがなかったが、女将までそう言ってたんじゃそうなのだろう。
 マリンはうーんと唸りながら、おなかをぽんぽんとたたいた。
「ま、元気出せよ?今回は四、五日なんだろ? あさってか、運よかったら明日には帰っ
てくるじゃん」
「うん……、ありがと、リオン」
 リオンの大きな茶色の瞳を見つめて、マリンはこくんと頷く。
「おう、気にすんな。普段みたいに仕事してたら気になんない日数でも、ここでこんな風
にじっとしてたら、倍くらいに感じるもんな」
「……、ふふっ、そうだね、全くだよ」
 二人は顔を見合わせて、くくくっと笑いあう。
「そうそう、ガントで思い出したんだけどさ、背ぇ高いよなー、ガントって。何センチあ
んだ? マリン知ってるか?」
「うん、たしか一八七センチくらいだったと思うよ?」
 リオンの問いに即答したマリンが、ぴょんと飛び跳ねて、このくらい、と手を上げる。
 マリンが一六〇、リオンが一六三だから、ガントとの差は二十センチを越える。
「たけぇよな……。俺、ガントに負けないくらい食ってるのにさ。……伸びねーんだよな。
あーもー、……何でだろ」
 リオンは大きくため息をつき、がくんとうな垂れた。

 リオンの唯一の悩みの種は、背が低い事だった。
 毎日牛乳だって飲んでいるし、筋肉で固まって身長が伸びなくなってしまわないように
トレーニングだってちゃんと考えてやっているのに、リオンの身長は毎年きっちり一セン
チづつしか伸びてくれないのだった。

 おもいっきり落ち込むリオンの肩を両手でがしっと掴み、マリンはふんっと胸を張った。
「リオンはまだ伸びるって!大丈夫だよ」
「マリン・・・…、適当にいい加減な事言うなよ?」
 訝しげに少しふくれるリオンに、マリンは大真面目で言葉を続ける。
「ううん、適当じゃないよ? そう信じてるの。じゃないと……」
「じゃないと?」

「……私の胸もこれ以上成長しないみたいじゃない」

 顔を真っ赤にして、マリンはぼそりと呟く。
 真っ赤になってはいたが、マリンのその表情は真剣そのものだ。
「……、そっか。お互い深刻だな」
 リオンもまじめな顔で頷く。

「リオンは身長伸びる!」
「マリンは乳でかくなるっ!!」

 2人は拳をつき合わせうんうんと頷きあう。
 傍からみたら、なんとも間抜けな光景である。

 お互い気持ちを確かめ合いすっきりしたのか、リオンは再び台車を持ち上げる。
「んじゃ、俺、薪届けてくるぜ。後の片付け、頼むな!」
 リオンは元気良くそう言うと、台車をひいて歩きだした。
「了解ー! 雪道気をつけてねー」
 マリンは手を振り、片付けの続きをしようとしゃがみ込む。

「マリン、ちょっといいかい?」
 その時、窓から女将がひょいと顔をだし、マリンを呼んだ。
「? なんですか??」
 片手に薪を持ったまま、マリンは窓の女将の元へ駆け寄る。
「今ね、黒鷹のダスクが伝言を持ってきてね?」
「ダスクって、……いっつも連絡係してくれてるあの鷹?」
「そうそう。そのダスクだよ。ダスクの持ってた手紙によるとだね? レンジャーが十時
頃に下山してくるらしいんだよ。なんだか荷物がとんでもなく多いらしいから、誰かに入
り口のトコまで迎えに来て欲しいんだとさ。マリン、行ってくれるかい?」
 女将の言うレンジャーが誰か分からなくて、マリンは首を傾げる。

 今、山に行ってるレンジャーは三組。
 昨日山へ出かけたばかりのクロフォードと、三日前に冒険者と上に行ったガント。
 後は、町からの依頼で山の七合目で山小屋を作っているレンジャーと。

 しばらく考えて、マリンはぽんと手を打った。
「ガント? ガントが降りてくるの?!」
「残念。はずれ」
 女将さんがふるふると首を振る。


「降りてくるのは、アシュレイとローラだよ」


 女将のその台詞に、マリンははっとなる。
 そして、しばらくしてマリンの顔がぱぁっと明るくなった。
「あ、あの最強夫婦、帰ってくるの!!?」
「例の山小屋、完成したんだってさ」
「い、行く行く! 行きます!!」
 即座に快諾し、マリンは手に持っていた薪を振り回した。
「……、でも山小屋建てに行ってるのに、何でそんなに大荷物なの?」
 首を傾げるマリンに、女将さんが大笑いする。
「また旦那の方が色々見つけたんじゃないかい? まぁ、そういうことだからよろしくね」
 女将さんはマリンに手紙を手渡すと、窓を閉め『今昔亭』の奥に戻っていった。

「うわー!! 帰ってくるんだ!! 会うのなんて二ヶ月ぶりだよ! 早く片付けて、迎えに
行かなきゃ!」

 マリンはちらちら雪の舞う空を見上げふんっと気合を入れると、大急ぎで片付け始めた。

     2

『任務完了、只今迷いの森の一合目付近を通過中。
 十時頃に麓に到着予定。
 荷物が多いので、入り口までお願いします。
                     アシュレイ&ローラ』  

 マリンは森の入り口の前で、手紙を広げて読んでいた。
 綺麗な文字で書かれたその手紙をポケットにしまい、かじかんだ手にはぁっと息をかけ
る。
「うぅ、冷えてきたなぁ。雪も大分降ってきたし……」
 マリンが上を見上げると、黒く重い雪雲からぽろぽろと雪が降ってくる。
 持って来た手袋をはめてマリンがぶるぶると震えたと同時に、森の中から低く澄んだ女
性の声がした。

「ん、マリンが来てくれたのか」

 その声に、顔を上げるマリン。
 森から出てきたのは、なんとも威圧感のある二人組だった。


 先頭にいるのは紫色のふわりとした髪が印象的な女性で、その身長は一七〇を超える高
さだ。
 赤い鎧に白いマントを身にまとい、大剣を背中に背負うその姿は、まさに女剣士といっ
た風貌だ。
 だが、最も印象的なのはその切れ長の瞳だった。
 目の前に立ちはだかる敵を幾度も倒してきたのだろう。
 綺麗な赤い瞳から放たれる鋭い眼光は、鍛えられた鋼の剣のような強さがある。
 そこいらの戦士では到底太刀打ちできない、そんな雰囲気が漂っているのだった。

 そして、その後ろに控えている男性は更に背が高かった。
 ガントをも越えるその身長は、ちょっとした巨人のようだったが、細めの体のせいでど
ちらかと言えば『柱が歩いている』感じに近い印象がある。
 背中には大きなリュックと愛用のハルバードを背負い、両手には大きな袋。
 淡い茶色の髪に透き通るような水色の瞳は、一見優しい印象を見る者に与える。
 だが、その瞳の奥には前を行く女性に負けないくらいの意志の強さが垣間見える。
 温和な表情でにこにこと微笑む男性は、なんとも不思議な雰囲気を醸しだしていた。


「ローラさん! アシュレイさん! お帰りなさいっ!!」
「やぁ、マリン。二ヶ月ぶりかな。会えて嬉しいよ」
 背の高い女性が両手を広げ、マリンを抱きしめる。
「わっ、ちょっ! ローラさん、鎧が冷え切って冷たい〜〜!」
 マリンの悲鳴をあえて無視して、少し意地悪な表情でぎゅっと抱きしめ続けるローラに、
背後の男性が控えめに声をかけた。
「ローラ、嬉しいのは分かるけど、このままじゃマリンが風邪引いちゃうよ? 離してあ
げなよ」
「……、それはダメだな」
 そういうとローラはすっとマリンを自分から離し、「すまない」と一言謝った。 
「はふー、でも二人とも無事帰ってこれて良かったです! 七合目に行って、なおかつ山
小屋を建ててきちゃうなんて……。さすが『最強夫婦』と呼ばれるだけあるよ、うん」
 マリンはうんうんと頷きながら、アシュレイの荷物を一つ持とうと手を出した。
「あ、マリン、その袋重いから気をつけて?」
「……え?」
 アシュレイが手を離した瞬間、その荷物の重さにガクンとなって、マリンは思わずこけ
そうになった。
「……、アシュレイさん、コレ、何入ってるんですか?」
 じと目のマリンに、アシュレイは申し訳なさそうに頭をかく。
「いや、なんというか。一ヶ月も山にいるとさ、自然にアイテムを見つけてしまうという
か、なんというか。その中は上で拾ったアイテムが入ってるんだ。んで、僕が持ってる方
は、帰り道に拾った分」
 がしゃりと音を立てながら、アシュレイはもう片方の袋をマリンに見せた。
「……、相変わらずアイテムセンサーが凄いんですね、アシュレイさん」
「本人は探してもいないのになぁ。ははは」
 苦笑いを浮かべながら、アシュレイは小さく笑った。


 ローラとアシュレイは四年前から『今昔亭』でレンジャーをしている夫婦で、その強さ
故に『最強夫婦』と呼ばれている。
 ローラはかつてモンスターハンターとして名を馳せた女戦士で、アシュレイはグランデ
ィオーソでは有名なトレジャーハンターだ。
 その強さをかわれて二人はレンジャーになったのだが、二人の性格上、冒険者達を相手
にするのが苦手らしく、裏方の仕事にまわる事が多い。
 今回も七合目に新たに山小屋を作るということで、ずっと山に篭るような状態になって
いたのだった。
 だが無事に山小屋も完成し、二人は下山してきたのだった。

「そうそう、マリン。マリンに土産があるんだ」
「え? 何?」
 入り口から町への道を歩きつつ、ローラはにやりと笑った。
 そんなローラを見て、アシュレイがごそごそとポケットを探る。
「ローラがね、是非マリンにって。こういうの、似合いそうだからってさ。僕もあってる
と思うよ。面白い物が拾えてよかったよ」
 アシュレイが差し出したのは、何の変哲も無い銀色の腕輪だった。
「……??」
 不思議そうに腕輪を受け取るマリンに、アシュレイは柔らかい声で説明を始めた。

「それはね、アニマルバングルって言うらしんだ。それを装備すると、動物や知能の高い
モンスターの話が分かる様になるらしいんだよ。ただ、そのバングル、所有者を選ぶらし
くてね、マリンが認められたら体に模様となって吸い込まれると思うよ? そしたら、死
ぬか腕がなくなるかしないと外れないんだけどね。うーん、こうやって話してると、なん
か呪いのアイテムみたいだな。ホントにあげていいのかな? ローラ」
  
 自信なさそうに話すアシュレイに、ローラはフフッと小さく笑った。
「マリンが嫌なら、返してくれれば良いんだ。他にもアイテムはあるからな。ただ、動物
と話す、なんて、なんかマリンに合うんじゃないかな? って思ったんだ」
 正直マリンはそのバングルの効果に惹かれていた。
 コレがあれば、仲良しのフェアリードラゴンともちゃんと会話が出来るかもしれないの
だ。
 だが、そんな高価そうなアイテムをあっさり貰うのも悪い気がしたりもする。
「いいんですか……? こんな高そうなの……」
「構わないよ、マリン。ローラが是非っていうんだ。僕はローラに逆らえないよ」
 苦笑いを浮かべるアシュレイに、ローラは照れた顔で横を向く。
「そんな事、気にするな。それくらいのアイテム、別に惜しくはない。それに、アッシュ
がいくらでも拾ってきて困るんだ。だから、な?」
 必死に話すローラにマリンはなんだか嬉しくなって、えへへと笑う。
「わかりました! ありがたく受け取ります!! ……でも、この腕輪、認めてくれるかな。
ダメだったら笑っちゃうよね!」
 そう言いながら、マリンは荷物を持つ左腕を捲くり上げ、そっと銀の腕輪を嵌める。

「!?」

 その瞬間、腕輪がぶわっと黒い紋様に姿を変え、マリンの腕に絡みついた。
 マリンは派手なその変化にビックリして、思わず足を止める。
 蠢く紋様は手首のあたりにすっと集まると、程なくして刺青のように定着した。

「……、あ、引っ付いた」
 なんともいえない汗を流しながら、マリンは呟く。
「あ、認められたね。良かったねマリン」
 アシュレイのその言葉に、ローラもうんうんと頷く。
「後は動物なりモンスターに強く念じれば、何言ってるか分かるようになると思うよ。動
物とかがマリンに話しかけてくる場合は、自然と翻訳されるって。ま、その声が邪魔時は
また強く念じれば、唯の動物の声として聞こえるようになるらしいけど」
 よどむことなく、アシュレイはすらすらとアイテムの説明をする。 
「……、アシュレイさんって、博識ですよね」
 マリンが紋様の入った手首を撫でながら、関心していると「いやぁ」とアシュレイは頭
をかいた。
「いや、これもアイテムのお陰なんだよ? 勝手にこのイヤカフスが解説してくれるんだ。
無駄にアイテムと遭遇する機会のある僕にとって、一番の宝物だよ」
 耳につけられた銀のカフスを撫でて、アシュレイが笑う。
「……、アシュレイさん達といると、高価なアイテムの見すぎでおかしくなっちゃいそう」
 むー、と頭を抱えるマリンをみて、アシュレイとローラは小さく笑った。

「うん、町が見えてきたな。マリン、まずは『今昔亭』に行く。アイテムを皆に配りたい
からな」
「了解、ローラさん」
「その後、残ったアイテムを我が家に置きに行く。そこまでマリンに手伝ってもらおうか
な」

 ローラ達夫婦は、チークに2人の家を持っている。
 ゴードンと同じように、『通い』のレンジャーなのだ。

「でも、これでやっとお家でゆっくり出来ますね!」
 マリンが笑顔でローラの方を向く。
 だがローラは、厳しい表情で真っ直ぐ前を見つめたままで首を縦には振らなかった。
「いや、そういう訳にもいかないんだ」
「……え?」
「詳しくは『今昔亭』で皆に話す」
 マリンはその深刻な雰囲気に、背筋が少し寒くなる感じがした。
 町に入ると、『今昔亭』を目指す三人の足は自然と速くなっていった。

     3

「お帰り、お二人さん」
 『今昔亭』に帰ってきた二人は、満面の笑みの女将に迎えられた。
 二人が帰ってきたのを見て、ロビーの奥の暖炉で暖をとっていたリオンとアレイスも慌
てて駆け寄る。
「女将、七合目の山小屋、しっかり建ててきました。三合目の祠にきちんと『お供え』も
してきたので、近いうちにドラゴンが結界を張ってくれるはずです」
「長い間、ご苦労だったねぇ。山小屋建設に半年。二人だけで良く頑張ってくれたよ」
 上機嫌な女将さんと会話するローラをよそに、アシュレイはアイテム袋を抱えてロビー
のテーブルへと向かう。
 そして、袋に手を突っ込み、ごそごそとアイテムを出してテーブルに並べていった。
「これ、今回の拾い物なんだけど。早いもん勝ちで。人数分、置いてきますから」
 テーブルに並べられたアイテムを見て、リオンとアレイスが飛びつく。
「うっわ、ナンやこれ、相変わらず大盤振る舞いやな」
「まじで!? どれもらってもいいんですか!? どれにしよう!」
 騒ぎを聞きつけたのか、二階からもレンジャーが一人降りてきた。
 こつ、こつ、と杖の音がロビーに響く。
「お、恒例のアイテム市か? 俺にも見せろよ」
「……、モースさん、その姿、本当にやられちゃったんですね……」
 杖をついて現れたモースに、アシュレイが酷く悲しそうに俯く。
「おう、知ってたのか?」
 なんでもないように返事をすると、テーブルの傍のソファーにモースは腰を下ろす。
「上にいる間、ダスクが定期的に下の情報を送ってくれてましたから……。残念です」
「死んだわけじゃないんだ。俺には第二の人生が待ってんだよ。分かったら、そろそろそ
のカフスを俺に譲ってくれよ。これから要るんだよ」
 モースはニヤリと笑い、杖でアシュレイを突っついた。
 お宝好きのモースにとって、毎度毎度お宝背負って現れるアシュレイは憎たらしくも可
愛らしい弟子だった。
「だ、だめですよ、コレは僕のお宝なんですっ! お店、開くんですよね? 開店祝いに
色々差し上げますから、コレだけは勘弁してくださいよ」
 そういって苦笑するアシュレイに、みんなが大笑いする。

「さて、聞きたいんだが、今日いるレンジャーはこれで全部か?」
 ローラが女将との会話を終えて、皆に問いかける。
「せやな、今日はコレで全員や。ココに居るんは俺、マリン、リオン、モースさん。そし
てローラさんにアシュレイさんの全部で六人や。クロフォードとガントは山で依頼。クロ
のヤツは昨日国のお偉いさん連れて森の奥へ行ったし、ガントは三日前から冒険者の護衛
で四合目の遺跡。ゴードンのオヤジは嫁の実家に行くゆうて年末まで帰ってこんし、メデ
ィはモースさんの抜けた穴を埋める人員確保の旅に出た所や」
「ん、ありがとうアレイス」
 アレイスの返事を聞いて少し考えたあと、ローラはすっと顔を上げた。

「やはり、私達がやるしかない……か」

 その言葉をきいて、アシュレイも少し暗い顔になる。
「一体……なんなんだい?」
 怪訝そうな表情をしながら、お茶を運んできた女将が問いかけると、ローラはため息を
ついて話し出した。
「長い話になるかもしれない。皆座ってくれ」
 ローラの真剣な表情に、全員が注目する。
「よしよし、聞こうじゃないか、皆座れよ」
 モースの声に、全員がロビーのソファーに座る。
 女将が全員に紅茶を入れ終わったのを見て、ローラは話し始めた。

「私とアッシュは、昼飯を食べたらすぐに山へ戻る。魔力付与(エンチャント)した武器
をもってな」

「エン……チャント……?」
 リオンが首をかしげて横に座ったマリンを突っつく。
「な、マリン、エンチャンってなんだ?」
「エンチャントってのは、魔力を武器に注いで、属性を与える魔法のことだよ。たとえば
ファイアエレメンタルみたいな敵がいたとするでしょ? 精霊って実体が無いに等しいか
ら、通常の武器じゃダメージが行かないんだよ。そこで、エンチャントの登場。剣に属性
を与える事によって、この場合だと<水>ね、ダメージがいくようになるんだよ」
「ふーん、……でもなんで、そんなんがいるんだ? しかもすぐに山へって……。明日じ
ゃだめなんですか?」
「明日じゃ、ダメなんだ。なるべく、急いだ方が良いと思うんだ」
 リオンの問いにアシュレイが答える。
「二人とも、何に会ったんだ? そんなエンチャントが必要なモンスターなんて、俺は数
回しか会った事ねぇが。大体、戦闘の強さだけで言えば『今昔亭』最強のお前さんたちが、
何をそんなに慎重になってるんだ? まさかフロストドラゴンでも出たってのか?」
 鋭い眼差しでモースが話す。 
「順を追って説明しましょう」
 アシュレイが紅茶を一口のみ、こほんと咳払いをして話し出した。

「僕達は丁度五日前、山小屋を完成させました。山の上は雪が大分積もってきていて、少
し焦ってました。それでもまぁ、無事出来たんでダスクを連れて帰る事にしたんですよ。
山を降りながら感じたのは、何かにつけられている様な違和感でした。三合目まで降りて
きて、祠で『お供え』を置いて。山小屋へ向かおうとしたその時、突然モンスターが現れ
たんです。そのモンスターは、イエティ。雪男です。口を血で湿らせたイエティが僕達に
襲い掛かったんです」

 その名をきいて、モースが顔をしかめる。
「待て、イエティはそんなに危険じゃないはずだ。あいつらは馬鹿じゃねぇ」
「仰るとおりです。ですが真実です」


 イエティはドラゴンマウンテンが雪の季節になると、山の更に奥にあるといわれている
『連なる山々』からふらりとやってくる。
 イエティは知能が高く、人間を見てもまず襲い掛かる事は無い。
 どちらかというと驚いて逃げてしまうくらいだ。
 本来危険性はなく、こちらから襲ったり、イエティが腹を空かせていたりしなければ戦
闘にはならない。
 ただ、一度でも戦闘になると、イエティは凶暴そのものだ。
 雪山に行くレンジャーは、イエティと戦闘にならないようにするのが一番大事になって
くるのだった。


「腹でもすかせてたんやろか? その雪男は」
 アレイスの問いにアシュレイはふるふると首を振る。
「いや、それなら口の周りを血だらけにしてた理由が分からない。多分、アレは食事して
きた後って所だと思う。それに、普通のイエティ一体なら僕達二人なら勝てなくは無い、
いや勝てないはずが無い」
 自信を持って言い切るアシュレイに、モースがにやりと笑う。
「おう、たいした自信だ。確かにイエティくらいなら、二人だったらなんとかしてしまい
そうだが。……何とかならなかったって事か?」
 モースの問いかけにアシュレイは頷く。
「えぇ。今回襲ってきたイエティは、一切の剣による攻撃が……効かなかったんです。ロ
ーラは変異種じゃないかと」
「変異……種?」
 マリンはその言葉に首を傾げる。
「そう、変異種。本来の力を超えた能力を得たモンスターの事だ。モンスターには時々い
るもんだ。私がハンターをやっていた時代に、何度か遭遇した事がある」
 ローラは目を伏せて話し出す。
「コレは私の直感だったんだが、「奴には魔法しか効かない可能性がある」そう思ったん
だ。だから、一つだけ所持していたマジックアイテムを使って、やつに炎をぶつけた。す
ると僅かながらダメージがいったよ。そして分かったんだ。今の自分達じゃ勝てないって
ね。そう判断して、煙幕を張り、急いで森へ逃げた。まだ森には雪が無い。イエティは雪
の無い所には来ないからね。急いで下山する事にしたんだ」
 ローラの話にモースはうんうんと頷く。
「うむ、その判断は正しいな。変異して、凶暴化したイエティ……ってトコか。厄介だな」
 そういうとモースは頭をバリバリとかいた。
「放っておくわけにはいかないと思うんです。凶暴化した変異種、ということだったら、
また他の誰かを確実に襲うだろうし、雪が沢山降りだしたら森を越え、町まで降りてこな
いとも限りません。年末には祠で祭りの儀式もやるじゃないですか、それに影響がでる可
能性もあります」
 アシュレイの話を聞いて、レンジャー達は唸った。
「それで、エンチャントした武器がいるって事なんですね。よし、私が<火>のエンチャ
ントかけます。武器、貸してもらえますか?」
「そうか、助かるよ。頼む」

 ローラは愛用の大剣とアシュレイのハルバードを、がしゃりとマリンに手渡す。
 マリンの胸元まである大きな剣と背の高さを越えるハルバードにふらつきながら、マリ
ンは魔石をかざす。
 丁寧に呪文を唱えて刻印を空中に刻むと、マリンにまとわりつくように生まれた炎が、
武器に絡みつき、赤い色を付けた。
 武器に色が定着すると同時に、魔石は砕け、光の砂になって消えていった。

「…、ほう、マリンの魔法は綺麗だな」
 ローラが感心したように呟くと、マリンは照れたように顔を両手で隠す。
「このエンチャントは、どのくらい持つ?」
「今の魔石の魔力だと一日半くらいは持つはずです」
「なるほど」

 普通の魔法使いがエンチャントをかけたら、一回かけるとせいぜい数時間が精一杯だろ
う。そういう意味ではマリンのかけた魔法は、かなり優秀だということになる。
 だが、なにか思うところがあるのか、ローラは難しい顔をしたままだ。
 そんなローラを見て、アレイスがすかさず突っ込む。

「マリンはそんなもんちゃうで。俺、本気のマリンの魔法見たことあるけど、アレはゴツ
かった。なんせ、先のドラゴンフェスティバルでカヒュラに認められて、ドラゴンバスタ
ーの名まで持ってるんやしな?」
「ちょ、アレイス! 恥ずかしいからやーめーてー!! あれは、ガントが居たから……
っ!」
「……そうか」
 アレイスの口を塞ごうと暴れるマリンをよそに、ローラは少し考えてから、何か納得し
た様に頷いた。

「よし、マリン、マリンも山へ連れて行こう」


「「「えええ!!?」」」」


 ローラの予想外の答えに、一同がざわめく。
「そりゃ無茶だっ! マリンはまだ経験が浅い!!」
 真っ先に止めたのはモースだった。
 だがそれを遮るように、アシュレイも意見を述べる。
「いや、僕もマリンが必要だと思います。なぜなら、魔法無しじゃ対応できないかも知れ
ないからです。……いくらエンチャントした武器があるとはいえ、もし変異種が一匹じゃ
なかったら……、僕達がやられるでしょう。そう、複数ってことも考えなきゃいけないん
です。それに、元から町の魔法使いを無理にでも一人連れて行こうと思ってましたから」
 そういうアシュレイの表情からは、いつもの温厚な雰囲気は一切なかった。
「ゆ、雪山……へ……」
 突然の事にマリンの頭は真っ白になった。
 自分の未熟さは重々分かっているつもりだったし、なによりイエティを相手にするとい
う事が恐ろしかった。

「私達のレベルなら、一人の優秀な魔法使いを雇って連れて行くのも、マリンを連れ歩く
のもさして変わりはない、問題はないと考えます。むしろ、体力の無い『町の魔法使い』
を雇うより、レンジャーであるマリンを連れて行くほうがずっといいと考えます」
「だが、マリンは一度も雪山に行った事の無いんだぞ? しかもつい二ヶ月ほど前に単独
で仕事を引き受けられるレベルになった所だ。レンジャーになって二年、三年以上たって
からじゃないと通常は雪山になんぞ行かせられんよ。そんなマリンをイエティと戦わせる
っていうんだ。……それを分かって言っているのか?」
 モースのもっともな厳しい意見に、ローラは眉間に皺を寄せる。
 だが、自分達二人だけで行くのはあまりにも分が悪いのも事実だった。
 そして、他に手段が無いことは皆が良く分かっていた。

「マリンにはイエティ戦以外、一切戦わせません。『客』として扱います。マリンは雪山
を登る事だけ、私達についてくる事だけを考えさせます。それに、奴らと遭遇したのは三
合目付近……。まだ雪も深くはありません。それならば問題ないはずです」

 ローラとモースがしばし見つめ合い、沈黙の後、モースが目を瞑った。
「……、少し早いかもしれないが、一度雪山を経験しても良いかもしれない……な。遭難
だけはさせるなよ? いいな」
 モースの言葉に、夫婦は深く頷いた。
「マリン、マリン自身はどうだ? お前が少しでも無理と感じたら辞退しろ」
 モースの問いに、マリンはゆっくり考えて、それから顔を上げた。
「雪山は正直怖い。けれど、町を護るのもレンジャーの仕事の一つ……。そう、ガントは
教えてくれた。私……、頑張ってみる」
 震えながら答えるマリンの手を、ローラが握る。
「ありがとう。だが心配するな。私の剣の腕を信用してくれ」
「……はい!」
 その様子を見て、女将がうんと頷く。

「よし、話はまとまったね。今十一時だね。とりあえず山へ行く三人は食事。残りのメン
バーでマリンの雪山用装備をかって来てやっておくれ。モース、頼むよ」
「おう、道具の事は任せろ。よし、アレイス、リオン、早速行くぞ」
「了解や!」
「マリン、しっかり食っとけよ!!」
 三人は外へと出て行き、残った三人は食堂へと向かった。


「……、あぁ、モースさん迫力あったなぁ。引退してもレンジャー、だな」
 アシュレイがうんうんと頷き、嬉しそうに食堂へと入っていくと、ローラが首を振った。
「私はモースさんより、ガントのほうが怖いね。二人、付き合い始めたんだろ? コレを
知ったら、私達は殺されかねないね」
「……、ありえるなぁ」
 アシュレイは苦笑しながら、マリンをちらりと見た。
 マリンはすっかり緊張した様子で、少し固まっていた。

 雪山の厳しさは、依頼をおえて帰ってきたレンジャーを見れば良く分かる事だった。
 皆、依頼の後三日は休みを入れて休養するのだ。
 あのタフなガントですら、帰ってきたら半日は眠ったまま起きてこないのだ。
 そんなレンジャー達の様子を見ていると雪山について直接詳しく聞く気になれず、マリ
ンの雪山に対する知識はノートに載っている範囲に留まっていた。
 だが、相当きついという事だけは、マリンにも容易に想像できたのだった。

「マリン、大丈夫だ。一つだけ心に留めておけばいい。山はいつもと確実に違う。それだ
けを。誰だって初めての時は怖いもんだ。……こんな形の初雪山登山になって申し訳ない
が」
 本当に申し訳なさそうにするローラに、マリンはふるふると首を振った。
「いいえ、いいんです。ただ……」
「ただ……?」
「……私、ほら、魔石が無いと呪文が打てないじゃないですか。今手持ちの魔石が少なく
て……。そんな状態で雪山に行くと思うと……、ちょっとびびっちゃって」
「なるほどな」
 席についたローラがパンを手に取り、皿に乗せる。
「さっきの袋の中に、いくつか宝石があったはずだ。全部マリンが持っていって構わない。
良いだろ? アッシュ」
 心の余裕が無いと、できる事も出来なくなる。
 そう思い、ローラはアッシュをちらりと見る。
 宝石やアイテムは彼女達の貴重な生活費だったが、ローラにとって、そんな事は関係無
かった。
「僕に反対する権利なんてないよ。マリン、持って行くと良いよ」
「あ、ありがとうございます!」
 マリンはぺこりと頭を下げると、席に着き、ふん! と気合を入れて昼ごはんを食べ始
めた。
「……、相変わらず凄い勢いだね」
 ぱくぱくと食べるマリンの食欲に、ただただ驚くアシュレイだった。

     4

「はぁっ、はぁっ」
 息を切らせながら、マリンは迷いの森を進んでいた。

 時刻は昼の二時を過ぎた頃だろうか。
 太陽が真上に居るはずの時刻だというのに、森の中は酷く寒くて気持ち悪いほどだった。
 足元はぐずぐずとぬかるみ、歩くたびにマリンの足を捉える。
 雪山仕様ブーツは濡れないし暖かいのだが、慣れていないせいか歩きづらくて仕方ない。
 背負いなれているはずのリュックも、今日に限ってとても重く感じる。
 歩くのにも困っている様なこんな状態では、とても戦う事など出来そうになかった。

 マリンの前を行くローラがちらりと振り返り、手を差し伸べる。
「どうだ? きついだろう。コレが冬の森だ。この先で少し休もう」
「ご、ごめんなさい、森歩くの自体は、慣れてるはずなのに、はぁっ、きつ……いです」
 マリンはローラの手に手袋に包まれた自分の手をのせる。
 ちょっとした段差を越えるのにも、マリンはローラの手を借りねば越えられなくなって
いた。
 そんなマリンを見て、後ろを歩くアシュレイが疲れた少女の背中をぽんと叩いた。
「初めてなんだから、そんなもんだよ。僕も初めて歩いた時は、嫌になったくらいだから
ね」
 優しい光を湛える水色の瞳に、マリンは少しほっとする思いだった。

「よし、この木の根の上に座れ。ココなら濡れない」
 ローラはあたりを警戒しつつ、マリンを座らせる。
 想像以上の疲労に、マリンは軽く混乱していた。
「まだ、ここ一合目……、これから二合目に向かう急斜面だって言うのに……っ」
 息を荒くするマリンに、アシュレイは暖かい飲み物を差し出す。
 マリンはよい香りのするそれを受け取ると、ぐっと一気に飲み干した。
 口の中一杯に広がるジンジャーの香りが体を温め、マリンの頬を桃色に染めた。
「足元が悪いのもあるけどね、一番の曲者はこの寒さなんだ。寒くなると体が一気に動か
なくなる」
 マリンから空になったコップを受け取り、水ですすぐ。
「モースさん、言ってただろ? 三年レンジャーをやってからじゃないと雪山に行かせな
いって。アレには意味があるんだ。三年以上経験を積めば、一人で五合目まで難なく行け
る脚力がつく。それからじゃないとこの森を抜けられないよ。そういう意味なんだ」
 優しく話すアシュレイの言葉を、マリンは頷きながら心に刻む。
「そうだったんですね……。でもこんなに厳しいなんて、思ってませんでした」
 モースたちが急いで買いに行ってくれた防寒用のズボンが暖かくて、レンジャーとして
の未熟さが身にしみて、マリンは少し泣きそうになる。

「でも、……お二人は大丈夫なんですか? 良く考えたら下山してきた所ですよね? ま
た山へ……なんて、相当疲れてるんじゃ……」

 良く考えなくても、この夫婦は迷いの森を一日のうちに二回も抜けようとしているのだ。
 こんな過酷な森を往復するなんて、マリンには想像もできない事だった。
「慣れ……だな」
 ローラは小さく笑う。
「僕達はさ、人と関わるのが苦手だから。こうやって裏方の仕事をするだろ? そうなる
と自然とモンスターの駆除や山の高い所での仕事ばっかりになる。ローラの言うとおり、
慣れじゃないかな。でも、森を一日で二回も通るのはやっぱりやだなぁ」
 苦笑いを浮かべながら、アシュレイは頭をかいた。
「まぁ、いつだって私達は二人セットで使ってもらってるからな。それが一番つらくない
要因かと思う。……マリンだって、ガントと一緒の時の方が、疲れないだろう?」
 突然ガントの名を出されて、マリンはかぁっと赤くなる。
「た、確かにっ、そう、かも」
 かみかみのマリンを見て、ローラがくくっと笑った。
「よほど好きなのだな、顔が林檎みたいに真っ赤だぞ」
「あっ、あううぅっ!」
 さらに真っ赤になるマリンを見て、ローラはニヤリと笑った。
「こら、ローラ、マリンを困らせちゃ可哀想だろ? ……でも、ジンジャーティーよりガ
ントの方がマリンをあっためるには効果的だったんだなぁ」
「……、アッシュも大概だな。その一言で、マリンが耳まで赤くなったぞ?」
 もうマリンは何も言えず、顔を隠して俯くしか出来なかった。

「さ、森で出るはずのイノシシは私達に怯えて出てこないようだし。今のうちだ。日が暮
れる前に森を抜けるぞ」
 差し出されたローラの手に捕まり、マリンは再び立ち上がった。
「大丈夫、マリンなら絶対越えられるはずだから」
 やさしいアシュレイの笑顔に、マリンもつられて笑顔になる。
「……はいっ! 頑張ります!!」
 マリンは気合を込めて返事をすると、再び重く沈むような道をゆっくりと歩き出した。

      5

 森を抜けると、そこはマリンが見たことも無い世界だった。
「う……、うわ……、地面が真っ白……、銀色だ」
 いつもの見慣れた青い草原は、昼から降り続けたの雪のせいで白の大地に変わっていた。
 雪は止んで、雲は消え、赤い夕日が地面を照らす。
 夕日を反射する山の斜面はキラキラと光り、夢のような光景だった。
 が、次の瞬間、山の上から降りてきた刺すような北風が容赦なくマリンを襲った。
「って、寒っ!!!!」
 迷いの森は足元から凍りつくようないやな寒さだったが、草原は体から一気に体温を奪
う様な寒さだった。どちらにしても嫌な寒さである。
 現に、厳しい風のせいでマリンは息をする事すらままならなかった。
 あまりの事態に、マリンはもはや笑うしかなかった。
「ふぅ、ようやく森を抜けたな。……、むぅ、私達が山を降りてきたときより、雪が多い
な。コレは少しマリンにはきつい、か」
 周りを見渡し、ローラが呟く。

「いや、僕達にとってもコレは不利な事だよ」
 アシュレイが足元の雪をブーツで掘り返す。
「積雪は八センチ以上……。風もきつい。うーん、雪が止んだのが唯一の救い……かな」
「アシュレイさん……?」
 少し困った顔のアシュレイに、マリンはおろおろしてしまう。
「雪の影響で普段通りの動きが出来ないのは、確かに危険だ。だが、引くわけにもいかな
い」
 森で進むよりもゆっくりとした速度で、ローラは歩き出す。
(ローラさん、ゆっくり進んでくれてる……私、足ひっぱってるよなぁ……)
 マリンはローラのつけた足跡をそのままトレースするように、その後をとぼとぼとつい
ていく。
「今日は一晩山小屋で休む。さ、山小屋へ向かうぞ」
「あい、了解、です」
 森の出口から山小屋まで、普段なら五分かからない距離なのに、五分過ぎても山小屋が
遠い。
 積もった雪になだらかな坂道。
 森とは別の意味での厳しさが、マリンを待っていたのだった。


「うはーーん! 生き返るーー!!」
 マリンの叫びが山小屋に響く。
 山小屋の暖炉の前に陣取ったマリンは、暖かい火に照らされていた。
 マリンの十七年の人生の中で、これほど暖炉が愛しいと感じたのは、おそらく初めてだ
ろう。
「ははは、マリン、あったまるのもいいけど、ちゃんとお鍋の中も見といてー。煮えてき
たら教えてくれよ?」
「はーいっ! ……って、ぶふぉっ!!!?」
 振り返ったそこには、晩御飯の仕度をするエプロン姿のアシュレイがいた。
 思わず噴出してしまい、マリンは慌てて目をそらす。
「エプロン姿のアッシュ、似合うだろう?」
「いや、似合うというか、なんというか……!」

 温和な彼がまとうシンプルなエプロンは相当年季が入ってるらしく、あまりにもしっく
りきすぎていてマリンはコメントに困っていた。
 いや、それよりもマリンが気になっていたのは、そのエプロンの長さだった。
 一九〇を越える長身のアシュレイが身に着けるエプロンは相当長く、きっとマリンが着
たら引きずってしまうに違いない。
 そんなマリンをよそに、アシュレイはテキパキと晩御飯の用意を進めるのだった。

「アッシュは料理が上手いんだ。期待して良いぞ? マリン」
 自慢げにそう言うローラは、とても嬉しそうだった。
「やだなぁ、あんまり期待しないでおくれよ? 普通の具沢山スープだから」
 アシュレイはそう言うと、切った野菜を鍋の中に投入する。
「……、アシュレイさんのリュックがめちゃくちゃおっきい理由は……コレだったんだ」
 マリンはリュックの中から出された食材をみて、驚いた。
「普通はこんなに持ち歩かないって……」
 ジャガイモ、にんじん、たまねぎ、ベーコン…、ゆうに四日分はありそうな量だ。
「うちではいつもこうなんだ。私が戦う役。アッシュが荷物&ご飯役」
 そう言いながら、ローラはアシュレイのリュックから、パンを取り出し、山小屋に備え
つけで置いてある木皿に並べた。
「そ、そうなんですか……」
 次から次へと物の出てくるそのリュックに、マリンは呆然となる。
 何かのマジックアイテムなんじゃないか、そんな考えすら出てくる始末だ。
「嫁さんは、料理が苦……ぐっは!!」
 鍋をかき回すアシュレイに、ローラのヘッドロックが見事に決まる。
「な、なんでもない! まだ食事は出来そうに無いからな、マリンはゆっくりしてろ。あ、
なんなら変わりにレンジャーノートに使用記録を残しておいてくれ」
「は、はーい」
 苦痛に悶えるアシュレイをみながら、マリンは渇いた笑いを浮かべる。
(なんだか……私、二人の邪魔してるみたいだー)
 仲の良い二人を見て、マリンはちょっぴり寂しくなった。


『十二月十二日 レンジャー、アシュレイ・ハーヴェスト、ローラ・ハーヴェスト
        マリン・ローラント山小屋を使用。
        明日は変異種のイエティを追う予定』

 かじかむ手でレンジャーノートに記録を残すマリン。
「うわ、字ゆがみまくりだよ……、恥ずかしいなぁ」
 革の表紙の分厚いノートは最近新しくなったのか、『no.一八二』と記されていた。
 マリンはそのノートを抱えて、暖炉の近くに持っていく。
(まだ時間あるし、ゆっくり中見よっと)
 
 レンジャーノートを見るのは、マリンにとって山小屋でのメインイベントだった。
 他のレンジャーの情報が分かるだけでなく、面白い事や為になる事が沢山書いてあるの
だ。

 中でもマリンが楽しみにしているのが、ゴードンの詩だ。
 いかにもなゴツイ戦士の趣味が、詩を書くことなのだ、面白くないはずが無い。
 あのゴードンが、ノートを抱えて詩を書いてる様を想像するとおかしくて仕方ない。
 しかも詩がいちいち乙女チックで、その大半は奥さんを想って書かれた詩なのだ。
 だが面白いとは別の方向ででも、マリンは楽しみで仕方なかった。
 純粋にその愛の詩が大好きだったりもするのだ。

「あ! 新作だ!! まってたよー」
 日付は十二月の頭。
 マリンはどきどきしながら、ページをめくった。

『 夜明け前に 目が覚めた
  おひさまの代わりに 月が優しく微笑む
  冷たい風が 頬を撫でる
  頬をつたい落ちていく 雫は涙だろうか。

  羽の様に ふわりふわり 舞い降りた奇跡
  傷だらけの貴方の笑顔が
  私には眩しくて 泣きそうだった

  私の天使   君の為に 傍に居る為に
  できる事の全てを 命に代えて……』

「……、こ、これまた乙女チックな……!」
 詩の深い意味などマリンには分からなかったが、ゴードンの奥さんへの溢れんばかりの
愛がその詩には込められている事だけは理解できた。
 大真面目なその詩は、マリンの心を色んな意味で動かす。
 まぁ、アレイスあたりがこの詩を読んだら『じんましんがでる!』と悶える事間違い無
しだったが。
「うーん、傷だらけのって、きっと昔、奥さんに何かあったんだろなー。よし、今度ゴー
ドンさんに聞いてみよう」
 ほくほくした気分で次のページをみると、一番下の荒々しい文字が目にとび込む。
(ガントの字だ……!!)   
  
『十二月九日 レンジャー、ガントレット・アゲンスタ、山小屋を使用。
       冒険者二名を四合目の遺跡へ連れて行く』

 マリンはその字をなぞり、ガントの筆跡を追う。
「荒い字だなぁ」
 そう言いながらもマリンは笑顔だった。
 早く……会えるといいな。そんな想いばかりが頭をよぎる。
「ん? 何を見てるんだ?」
 ニコニコとするマリンを見て、剣の手入れをしていたローラがひょいとマリンを覗き込
む。
 慌てて隠そうとするマリンの手を片手で掴み、ローラはすっとノートを取り上げた。
「ふむ、ガントの記録か」
「う、うん」
 慌てるまりんを見て、ローラはフッと笑う。
「隠す事無いだろう? 別に変なことじゃない。……、四合目の遺跡か。あそこには金色
の毛皮を持った狼が稀にでてくるからな。冒険者はそれ目当てってトコか。……二、三日
は遺跡に篭る事になるな。場合によっては四日か」
 ローラの話にうんうんと頷くマリン。
「でも、ちょっと心配。イエティに会わなきゃいいなって……」
 暗くなるマリンの頭にぽんと手をのせ、ローラはにやりと笑った。
「なんだ? マリンはガントが対処できないと思っているのか?」
「いや、そうじゃないけど……! ……でも」
「大丈夫だ。ガントは私達よりもレンジャー暦が長い。無理な戦闘は回避するさ。ほら、
晩御飯が出来たみたいだぞ。行こう」
「あ、行きますっ!」
 小屋を包む、暖かい優しい香りにマリンのおなかがきゅうと鳴る。
 マリン達がアシュレイの手作り料理に手をつけようとした、その時だった。


「!」


 ローラの眼光が鋭く光る。
 剣に右手をかけ「静かに」という合図をマリン達に送り、ローラは神経を研ぎ澄ます。
 ただならぬ緊張感に、マリンも思わず構える。  

 ドスドス。  

  遠くから聞こえてくる音。  

 ドスドスドスドス。

 音は徐々に近く、大きくなっていく。


 ドスドスドスドスドス!


 その音がモンスターの足音だと確認した瞬間、ローラはマントを羽織った。 
「来たか! 戦闘の準備だ!」
 ローラの叫びと同時に、『ぶおおおおおんっ!!!』とモンスターが唸った。
「イエティ……?! う、うわあぁああ!」
 マリンが立ち上がろうとした瞬間、山小屋がぐらりと揺れた。
「結界を破ろうとしている! 外へ出るぞ! このままじゃ小屋がやられるっ!!」
「マリン、ちゃんと万全の装備で外へ出るんだよ。もう日が暮れてるから外は極端に寒く
なってるはずだ。僕達は先に行ってイエティをここから離れた所に誘導するから。いいね」
 そう言うと、ローラとアシュレイは勢い良く扉を開けて外へと飛び出していく。
 
「落ち着いて、行かなきゃっ……!!」
 マントを羽織り、銀の爪を装備し、ポーチの中身を確認する。
 魔石は六つ。
「マリン、大丈夫だよ、二人が居てくれるからっ……! 私は戦うよりも、身を守る事。
魔法で二人を助ける事……!」
 マリンは自分自身に語りかけ、震える自分を押さえる。
 近づく足音だけでこんなに恐怖を感じるとは思っていなかった。
「よし、行こうっ!!」

 マリンが外に出た瞬間、物凄いスピードの塊が目の前をよぎった。

「! ……今の、イエティ?!」  

 マリンは雪原を走り、ローラ達の元へ向かう。
 雪のせいでいつものスピードで走れず、山小屋から離れた場所にいる二人に少し遅れて
追いついた。
「マリン、気をつけろ。奴は凶暴さを増している」
 ローラとアシュレイの視線の先に、白い塊がゆらりと揺れる。
 白銀の世界の真ん中で、二メートルはあろうかという巨体が唸り、吼える。

 空には満点の星空と、眩く輝く満月。
 初めての雪山での戦いが、幕を開けたのだった。



 続く。

 

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