☆桃兎の小説コーナー☆
(08.02
.07更新)

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 レスは日記でしております〜。

 


 ドラゴンマウンテン 番外編
 
 1. ドラゴンの難題 (メインキャラ・クロフォード)(時系列14話後)
 
       

「じょ、冗談じゃないわっ!!」
 娘は屋敷中に声を響かせて、机をバンと叩いた。
「そうは言うがな、シスカ。お前も十九、そろそろ年頃だ。それに相手はエジア伯爵の次
男だ。向こうは強くお前を望んでおられるんだぞ」
「私の意見は無視なの!?」
 シスカと呼ばれる娘は、大きな青い瞳で父親を睨みつつもう一度机を叩いた。
 そのはずみで、机の上に乗っていた冴えない男の絵姿と身の上を書いた書類がごとりと
下へ落ちる。
「大体、何故私に一言も言わずに了承したのよ!? 信じられないわっ!」
 亜麻色の髪を躍らせて、シスカは激しく首を振った。
「向こうは伯爵、うちは男爵だ。向こうの言う事には逆らえん。だが、完全に了承した訳
ではないんだぞ」
 娘の剣幕に負けない迫力を持った父が、ちらりと娘を見る。
 父親の体は大きく、元は冒険者か何かだったような体つきだ。だが、その手元には杖が
常に置いてあり、それは父親の足の具合が悪い事を示していた。
「私だってだな、大切な娘をあんな奴に渡したくは無い。だが、向こうが出してきた条件
は厳しい。うちのような冒険者上がりで爵位を得た物では、到底手に入らない物を交換条
件で出してきたんだ。その物を探させてはいる、だがな……」
 シスカはその話にピクンと反応する。
「交換条件…? 何?」
 強い意志を秘めたその青い瞳で、シスカは父の顔を見つめる。
 その質問に答えたのは、横に居た初老の執事だった。
「ドラゴンの角、爪、牙。そのいずれかを二週間以内に用意せよ。との事だそうです。ド
ラゴンのアイテムは今や貴重な品。お金を積んで買える物では到底無いのですよ、お嬢様」
 
 この世界には、ドラゴンという何にも影響される事の無く生きるモンスターが居る。
 それは誰にも支配される事も無く、自由で、強い、モンスターの中でも最大級の存在だ。
 ドラゴンを倒すという事は、戦士達にとって最大の名誉だ。
 熟練の戦士でも倒せるとは限らないその強さのせいもあるが、なんせドラゴン自体数が
少ない。
 そんなドラゴンのアイテムは、今や超がつくほどの貴重品で、いくら貴族の位を持つ者
であってもそうそう手に入る物では無いのだった。

「ワイバーンや、亜竜でなく、ドラゴンの品を求めてくるとは…。伯爵はよほどお嬢様を
手に入れたいと見えます」
 執事は淡々と、だが少しつらそうに言葉をつなげた。
「私じゃないわよ。うちの領地が欲しいのよ」
 腕組みをして、シスカは吐き捨てる。
 だが、少し考えた後で、シスカはふと顔を上げた。
「……、そうだわ。私が取りに行けば良いのよ」
 その呟きに、父親と執事が顔を驚いて上げる。
「な、何を言っているんだ!? ドラゴンを倒しに行くとでも言うのか!?」
「お嬢様! 無茶な…!!」
「ううん、決めたわっ!」
 父と執事の言葉を振り切り、シスカは慣れた手つきで髪を結い上げる。するすると結い
上げられた髪はお団子のように纏まって、頭の後ろにぴたりと止められる。
「私、お兄様に剣術を少し習った事があるし、癒しの術だって使えるわ」
 少しつりあがった目を光らせ、娘は颯爽と部屋の扉を開ける。
「ど、何処へ行くというんだ!?」
 叫ぶ父に向かってシスカは振り返り、にこりと笑う。
「隣の国のグランディオーソ。あそこには竜の住む山があるんでしょう? 私、知ってい
るわ。そこには護衛でも何でも山に関することは引き受けてくれる『レンジャー』って存
在が居る事も。お父様、シスカは旅に出ます!」
「待て! シスカ!!」
 父のとめる声も聞かず、シスカは風のように部屋から去っていった。

「……、シスカも俺の娘って事か」
 父親は頭をがしがしと掻いて、机に突っ伏す。
「お父上である貴方様の冒険譚を聞くたびに冒険に出たがっておられたお嬢様です。いず
れ一度旅に出られるのではないかと、私は思っておりましたが」
「だがなぁ。……くそ、わが国が戦争中で無ければ、誰か他の者をグランディオーソにや
る事も出来たかもしれないが……いや、むしろ俺が行きたい位だというのに……」
 突っ伏したまま、父親はぶつぶつと呟く。
「大丈夫でございますよ。お嬢様は気が強い方にございます。それに…」
 執事はちらりと壁に掛けられた絵姿を見やる。
 そこには立派な鎧を身に纏った青年が描かれていた。
「兄上様が戦争で亡くなってからずっと沈んでおられたお嬢様の瞳に光が戻られて、こん
な形では不本意ではありますが私は少し嬉しくもあります。旦那様もそれをわかった上で、
条件の事を話されたのではありませんか?」
 執事の目線に気付き、父親が顔を上げる。
「……、お前さんにはお見通しか」
 苦笑いを浮かべながら、男は窓の外を見る。
 窓の外に広がる小さいながらも大事な領地。
「いずれは娘が領主だ。……、スレイ、我が息子よ、天でシスカを見守ってくれ」
 父は十字を切り、天に祈った。

     1

 冬の早朝、一人の男が機嫌よく手帳をめくっていた。
 『今昔亭』のロビーのソファーに腰掛け、鼻歌を歌いながらその愛用の手帳を一枚、一
枚めくっていく。
 流れるような金色の髪に、透き通った青い瞳、高く細い鼻梁。誰が見ても認めざるを得
ない超がつくほどの美形。
 ――『今昔亭』のナンバーワンレンジャー、クロフォードである。
「今日の予定は…、昼のランチは三丁目のマイアと。ディナーは冒険者の宿に泊まってい
るエリーゼと。うん、今日も楽しめそうだ」
 手帳にびっしりと書き込まれた予定の1つをなぞりながら、クロフォードは満足げに頷く。

 そう、彼は女性が大好きなのだ。それは周りがあきれるほどに。   

「あー、また手帳眺めてにやにやしてるー」
 後ろから同じレンジャーのマリンがひょいと覗き込む。
「うっわ、今日も予定はいってるし……、って、明日も明後日も?! それにみんな女の人
の名前違うし……」
 その手帳を見て、マリンは驚いた。いや、いつもの事なのだが、それでもマリンは驚い
てしまうのだった。
「どうだ、凄いだろう? 俺様はそれだけ魅力的だと言う事だよ」
 さらりと髪をかきあげ、自慢げにクロフォードはポーズをキめる。
「いくら冬の仕事が無い時期とはいえ、クロフォードそんな遊んでいいの……?」
「女性が俺様を求めるんだ。仕方ないだろう? 女性の願いに答える事は、俺様の義務だ」
 マリンの言う事など気にも留めないように、クロフォードはフフンと笑う。
 そんなクロフォードを見て、マリンがはい!と手を上げる。
「あ、質問ー! なんでデートの時までレンジャー服なの?」
 今クロフォードが着ているのは白い革の服に青い縁の入ったレンジャー服。そのレンジ
ャー服はレンジャーの正規服を少し改造したものだ。
「これか? この服のほうが女性にウケが良いんだよ。それに、似合っているだろう?」
「うん、確かに。カッコイイと思う。似合ってる」
 マリンは素直に頷く。そのマリンの反応を見て、クロフォードは満足げだ。
 だが一変して、クロフォードはマリンをつつきながらちくちくと話し始める。
「大体だな、この冬の仕事の少ない時期に誰かさんが張り切って全部仕事持ってっちまう
から、俺様が暇するんだよ」
「そ、そんな事私に言わないでよぉっ!」
 そう言って頬を染めるマリンを見て、更にクロフォードが続ける。
「お前のせいでもあるだろうが。何の為にガントはそこまでぎりぎりの予定組んで頑張っ
てんだよ、おい」
「な、なうううあああ!」
 ガントという言葉に反応して、マリンが一気に赤くなる。
 ニヤリと口の端を上げて、クロフォードは更にマリンをつっつく。
「何の為だ? そりゃ決まってるよな? お前の為だよな」
「そ、それは解るけど……! けど……」
 急に勢いを失くすマリンに、クロフォードの手がぴたりと止まる。
「ん、何だ?」
「私の為ってのは解るんだけどね? でも、そこまでお金を用意する理由がいまいち……
分かんないの。想像は出来るんだけどね? ガントに聞いても教えてくんないし……私、
あんなぎりぎりで仕事して欲しくないよ。最近、すぐ疲れて寝ちゃうから、その心配で…
…」
「ふぅん、なるほどね。心配半分、相手して欲しいの半分、……ってトコか」
「!?」
 いきなり本心を突かれて、マリンはびくっとなる。
「お前は素直すぎるんだよ。それに分かんないなら分かんないで、お前に出来る事がある
だろう?」
「出来る……事?」
 マリンは首をかしげて、クロフォードの青い瞳を見つめる。
「そう。あいつはこうと決めたらテコでも動かないからな。だが、無茶はしない奴だ。無
理はするがな。そんなアイツを、お前は笑顔で迎えて、疲れを癒してやればいいんだ。だ
ろ?」
 穏やかに語るクロフォードの声に、マリンは暫く聞き入っていた。
 そして少ししてから、マリンがうんと頷く。
「……うん、そう、だね! すごい、クロフォードって凄い!」
 なにかわだかまっていた物がすっきりしたのか、マリンの表情に笑顔が戻る。
「小さな事気にするより、目の前の相手を大事にってね。うむ、いい事言った」 
 満足げにクロフォードはうんうんと頷く。
「だからマリンも、俺様の事、気にしなくても良いぜ? 俺様は俺様で、精一杯レディ達
と楽しく過ごさせてもらうからな」
「……、あぁ、それさえなければカッコイイのに」
 マリンはがっくりとうな垂れる。
 どうもマリンには、とっかえひっかえ女性とすごしているのクロフォードの事が理解で
きないのだった。
 そして、唯もてるという範囲を超えて熱狂的なファンが居る事も。  
 その時だった。バァンと大きな音を立てて、『今昔亭』の扉が勢い良く開いた。

「此処が『今昔亭』ね! レンジャーは居る?!」

 良く通るハッキリした声。明らかに女性と思えるその声に、クロフォードがピクリと反
応する。
「確かに此処は……」
 カウンターから答える女将を遮って、いつの間にかその娘の前に立っていたクロフォー
ドが語りかける。
「レディ、確かに此処は『今昔亭』だが、君の用件はなんだい? その身なり、どう見て
も良いとこのお嬢様の様だが、なにか急用でも?」
「は……速い」
 マリンはずっこけそうになるのをぎりぎりで我慢して、娘の手をとるクロフォードをみ
やる。素早いというのもあるが、その変わり身っぷりも凄い。
 だが、娘はそんな彼を見つめ、時が止まった様に固まった。
 理由は簡単。絵に描いたような綺麗な男が目の前に立っていたからだ。
 自然と頬が紅潮し、どくどくと心臓が暴れる。
 だが、ぶんぶんと首を振り、娘は話し出した。
「良いとこの……? そんな事解るの?」
 首を傾げる娘に、クロフォードは思いっきり良い顔で微笑む。
「貴方の羽織っている毛皮は銀ぎつねの毛皮だ。そんな物、庶民が持てるはずが無い。そ
れにその背に背負っている剣。まだ使った様子が無い。飾られているのをそのまま持って
来た感じだ。……違うかい?」
「……、大当たりよ。貴方は何者なの?」
 良くぞ聞いてくれたとばかりに、クロフォードはふわりとマントを翻らせる。
「クロフォード。『今昔亭』ナンバーワンレンジャーだ」 
 あまりにキザなその振る舞いに、マリンはまたしてもずっこけそうになる。
 だが、娘の方はすっかりクロフォードに見とれてしまっている。
 その振る舞いは一流の騎士の様だし、格好良さだって半端無い。
「丁度良いわ。お金はあるのよ。私を山へ連れて行って。ドラゴンを倒したいの」

「「ど、ドラゴン!?」」

 女将とマリンが同時に声をあげる。
「お嬢ちゃん、失礼だけど、貴方は魔法使いか何かかい? 素人には冬の山を行くのはも
ちろん、ドラゴンを倒すなんて無理だよ?」
 女将のその声に、娘は首を振る。
「いえ、私に出来るのは、少々の剣術と癒しの魔法ぐらい。でも、あと7日以内にどうし
てもドラゴンの角、牙、爪のどれかが必要なのよ! その為にわざわざリゾルートから来
たのよ、今更帰れないわ」
「お嬢ちゃん、悪い事は言わない、それは諦めた方がいいよ。冬の山は厳しいし、ドラゴ
ンは高い場所に住んでるんだ。場合によっちゃ、ドラゴンマウンテンを越えて、『連なる
山々』に足を踏み入れなくちゃならないんだよ?」
 女将の言う事など気にせず、娘はクロフォードの手を握りかえす。
「この山のレンジャーは凄いと聞きます。どんな事でも助けてくれると。お願いよ! 私
自ら行かなければ、意味が無いのよ!」
「……、どんな意味が?」
 あくまでも優しい微笑を浮かべながら、クロフォードが語りかける。
「……自ら、運命を切り開く為。よ」
 その娘の言葉から何かを読み取ったのか、ニヤリとクロフォードが笑う。
「女将、この仕事俺様が引き受ける。構わないだろう? 俺様はドラゴンすら倒すぜ?」
 クロフォードの答えに一瞬躊躇うが、女将は確認をとるように話しだす。
「……、あんたの実力はよく知ってるよ。無事に山へ行き無事に戻ってくるというのなら
私は止めないよ」
「じゃあ決まりだ。レディ、覚悟すると良い。山は想像を超えるくらい厳しい。俺様は、
きっちりと君を守ると宣言しよう。だが、君の心が折れた時点で、すぐに下山だ。いいね。
どうしても物が必要なら、後日俺様が単体で取りに行くから、心配は無用だ」
「……感謝するわ。私の名前はシスカ。よろしく、クロフォード」
 そういって二人は握手を交わす。
 前金を受け取った女将は、それを片手に、ぼそりと呟いた。
「やれやれ、勝気なお嬢様っているもんだねぇ」
「うん、びっくりだよ……」
 マリンも彼女の勢いに押されて、動けない。
「さて、山へ向かうなら時間的に今すぐ行かないとまずいんだが、シスカお嬢様は問題な
いかな?」
「シスカで結構。今すぐ行けるわ」
 シスカは口をくっと結んで、深く頷く。
「あ、クロフォード」
 ふと気付いて、マリンが顔を上げる。
「なんだ、マリン」
「今日の予定、どうすんの?」
「仕事だから仕方ないな。マリン、いつもの頼むぜ」
 そう言うと、クロフォードは手帳を取り出し、一筆書き出す。同じ内容のものを複数枚。
「えー、また? もー。みんな泣くよ?」
「な、なんの話?」
 二人の会話の内容が見えず、シスカはクロフォードに問いかける。
「色々予定が入っていてね。だが、仕事の方が優先だ。レディー達には諦めて頂く事にな
った、それだけだ」
「……複数の女性と、関係を持ってる……の?」
「深く、浅くね。俺様は俺様を求める全ての女性を大事にしてるだけさ」
「……」
「あ、シスカさんの中でクロフォードへのイメージが変わった」
 シスカの目つきが一気に変わり、クロフォードを見る目がきつくなる。 
「さ、俺様は今すぐに用意をしてこよう。シスカはその重いだけの剣を置いていくんだ」
「なんですって!?」
 あくまでも笑顔を崩さず、クロフォードは話を続ける。
「言っただろう? 山は厳しい。無駄な体力を使わない方が良いんだ。さ、装備は『今昔
亭』の物を使うと良い。武器は…、そうだな。癒しの術を使うのならロッドが良い。山を
登る時に杖代わりにもなる。マリン、女将、頼むぜ」
 そういうとクロフォードはたんたんと階段を上がっていった。
「…、なんなの? あのレンジャーは」
 困惑した表情のシスカに、マリンが苦笑する。
「えと…、見たまんまの人だよ。女の人が大好きな。でも、腕はみんな認めてるから」
「そうだよ。期間が決まってなかったら他のレンジャーでも構わないんだろうけど…、諦
める気はないんだろ?」
 女将の質問に、シスカはこくんと頷く。
 剣を預け、客用の装備を借り、シスカは装備を整える。
 程なくして、装備を整えたクロフォードが降りてきた。
「さ、行こうか。シスカ」
 クロフォードは手を差し出すが、シスカはその手をとらずに返事をする。
 だが、クロフォードはそんな事さほど気にもせずに、すっとマリンに振り返る。
「じゃ、マリン頼んだぜ。礼はいつもの、するからな」
「らじゃー! まかせてっ!!」
「女将、行って来る」
「クロフォード、わかってるとは思うけど…」
 女将のその言葉に、クロフォードはうんうんと頷く。
「わかってるさ、『客』には手を出さない。当然じゃないか」
「ならいいよ。じゃ、気をつけてね」
 クロフォードとシスカは『今昔亭』を出て行き、そこに女将とマリンが残される。
「…、大丈夫かなクロフォード」
「10年の経験は伊達じゃないよ。私生活は知らないけど、仕事は完璧だからね」
 女将は無事を祈りつつも、はぁ、と深くため息をついた。

     2

 薄暗い森の中。通称『迷いの森』と言われるこの森は、普段から日の光があまり入らず、
薄暗い。それが日差しの弱い冬ともなるとその暗さは一層増す。
「今…、10時よね、なにこの暗さは…」
 辺りを見回しながら、シスカは眉を寄せる。
「怖いかい? 必要ならば何時でも手を貸すぜ?」
「いいえ、要りません!」
 シスカは険しい顔になって、先頭を行く。
「これから往復6日。仲良く行きたいんだが、君はそれを望んでいない様だ」
 ほんの少し寂しそうな声でクロフォードは後ろから声をかける。
 シスカからはその表情は見えないが、シスカは彼がまたにやついているんだと思ってい
た。だが、クロフォードの表情は驚くほどに真剣なものだった。その眼差しは鋭く、常に
周りを警戒しているのだった。
 いくらモンスターの少ない冬の森とはいえ、出ることは出るのだ。
 そんな事これっぽっちも知らずに、シスカは指示された道をひたすら前へと進んでいく。
 足が沈み込むような、ぬかるんだ冬の森の地面。
 シスカはすぐに息切れを起こしていたが、こんな所で負けていられないと、そっと回復
魔法をかけて、疲労を誤魔化していた。さらに、筋肉強化の呪文もさりげなく施してある。
そしてたった今も、足がつりそうになり弱い魔法を唱えようと小さく呟いていた。
「シスカ」
 突然声をかけられて、シスカは詠唱を止める。
「魔法を使うのは構わないが、そんなに小声で唱えなくても構わないぜ? 別に恥ずかし
い事じゃない。常人にはましてや君みたいなレディーには相当無理な道だからね。今日は
森を越えて山小屋にまでいければそれでいいのだから」
「な、なによ! ほっといて!」
 隠れて行っていたはずの自分の行動がそっくり読まれていて、シスカは激しく動揺する。
 そんな風に動揺しながら進むシスカの後ろで、クロフォードがすっと腰のポーチを開け、
何かを掴み指先に力を込める。
 誰も気付かないような、素早く穏やかな流れ。
 目線は前のままで、クロフォードはひゅんとそれを横に投げる。
 しばらくして後ろの方からどさり、と何かが崩れる音がシスカの耳に届いた。
「…、今の、何?」
 振り返ったシスカがクロフォードを見る。
 だがクロフォードは微笑みを浮かべたまま、二人分のバックパックを背負い何も変わら
ず歩いている。
「なんでもないさ。さ、お嬢様、前へ」
「気の…せいかしら。確かに何か……」
 シスカのそれは気のせいではなかった。
 音のした方向へ、クロフォードが一瞬目線を送る。
 そこには麻痺したイノシシが数体転がっていた。
 先ほど放ったのは、クロフォードの隠し道具の一つ投げナイフ。しかも強力な麻痺薬が
ぬってある代物だ。命中さえすれば森に住む大抵のモンスターに有効な武器だった。
 ナイフは一つも外さず命中していて、イノシシの額にぴんと突き刺さっていた。
 クロフォードは自分の仕事に満足した顔を浮かべ、再び鋭い眼差しになって辺りを警戒
する。
「……ねぇ、クロフォード。一つ聞いてもいい?」
「なんなりと?」
 綺麗な透き通る声で、クロフォードが返事をする。
「ドラゴンを倒した…って本当?」
 ドラゴンは熟練の戦士でも倒せるかわからないモンスターだ。
 いくらナンバーワンと仲間が言おうと、こんな軽そうなレンジャーにそんな事ができる
のかシスカには信じられないのだった。
「あぁ、幾度かね。俺様はお偉いさんの護衛につくことが多い。お偉いさんはドラゴンが
大好きだからね。必ず会えるとは限らないが、ついていった時に出てきたら、こちらも彼
らを守らなければならない。そうなると、お偉いさんが元から連れている戦士は大概お偉
いさんを守る役目にまわる。まぁ、当然だな。そうなったら、俺様一人でドラゴンを止め
なければいけない。…、あとは解るだろう?」
「ふぅん……そうなの」
 少しだけ、語気を和らげて、シスカは返事をする。
 だが、次の瞬間、ふと気がついて勢いよく振り返る。
「まって、確実に会えないって…!! そんな、6日程度で何とかならないじゃないっ!」
 だが、クロフォードは何も焦った様子もなくフッと笑う。
「大丈夫、今回みたいな時の為に、俺様には秘策がある。10年の経験を舐めてもらって
は困るね」
 自信満々のクロフォードを見て、シスカは眉を寄せる。
「い、いまいち信用ならないけど…、そうだというのなら、信じるわ」
「あぁ、信じていただきたいね。それは確実に俺様の力になる。レディの信頼は心地がい
いもんだ」
 端正な顔立ちの美形が自分だけに向けるその微笑に、シスカは一瞬くらりとなる。
 だが、次の瞬間首を激しく振ってキッとクロフォードを睨みつける。
「そう言いながら、貴方は女性の信頼を裏切っているわ!」
「それは違う」
 表情を一切崩さず、クロフォードはそれを否定する。
「みな、俺様の事を全て承知した上でその貴重な時間を俺様にくれるんだ。一度たりとて
裏切った事などないさ」
「……そのわけの分かんない自信、一体何処から沸いてくるのよ」
 眉間に皺をよせ、シスカは再びくるりと前を向いて歩き出す。
「君も、すぐに解るさ。その時はいつでもおいで。両手を広げて君を受け止めてあげるよ」
「……馬鹿じゃないの?」
 シスカはふんっと怒った様子で前をずんずんと進んでいく。
 その後ろで、クロフォードは再びポーチからナイフを投げつける。
 それは再びイノシシ達に命中し、どさりという音が森に響く。
「それにしても、モンスターが出ないのね」
「そうだな。シスカの美しさの前に、皆ひれ伏したのさ」
「ば、馬鹿じゃないの!?」
 シスカは自分が可愛いだなどと思った事はなかった。母は美しく、綺麗な人だったが、
自分はどう見ても父親似だ。兄は母に似て綺麗な人だった。
(そう、クロフォードと同じくらい…って何考えてるの!? お兄様となんか、全然違うん
だから!)
 首を振り、そして死んだ兄を思い出し目線を地面に落とす。

 優しい兄。強かった兄。
 戦場で領地の小隊を率いて死んで、遺体すら戻らなかった兄。

「どうした? そんな死にそうな顔をして」
 不意に肩に置かれた手にビクリとなり、シスカは跳ね上がる。
「な、なんでもないわっ! 早くこんな森、抜けたいだけよ!」
「そうかい? ならば構わないが。気持ちを溜めておくのは良くないぜ?」
「何でもないったら!」
 この男はいい加減で、どうも好きになれない。なのに、心の奥を見抜くような事ばかり
言ってくる。シスカは確実に動揺していた。
「さ、モンスターが居ない今がチャンス。丁度今で半分だ、休もう」
「休まないわ!」
「無理はいけない。さっきから幾度魔法を使った? 詠唱だって疲労を伴うだろう? さ、
お嬢様」
 不意にクロフォードに抱き上げられ、シスカの顔が真っ赤になる。
 まさにお姫様抱っこだ。
「や、やめっ…!」
 目の前にきたその顔に、心臓が跳ね上がる。
 澄んだ青い目は吸い込まれそうだし、さらりと流れる金髪はきらめく太陽の光のようだ。
(な、なんでこんな男にどきどきしなきゃいけないのよ!)
 シスカは頬を膨らませて、ぷいっとそっぽを向く。
「さ、何か食べないと、ね」
 どうも納得がいかないが、4時間歩きっぱなしで流石にお腹ははすいている。
 そっと木の根の上に降ろされ、シスカはとりあえず休む事にしたのだった。

       3

「や、やっと抜けたわ…」
 森を抜けると、すっかり日も暮れて夜になっていた。
 空には星がキラキラと瞬いていたが、疲れ果てたシスカにはそれに気付く余裕すらなか
った。
 足はガクガクして軽く震えているし、魔力もすっかり空だ。
「良く頑張ったよ。一度も俺様の手をとらないとは、参ったね」
 フッと笑うクロフォードの横で、シスカはへたり込む。足がもう限界だった。
「山小屋まではすぐだ。俺様が運んで差し上げよう」
「そ、そんな事…!」
 シスカは否定しようとしたが、実際は足が一切動かないのでそうも言ってられない。
「こういう時は、ありがとう、と言えば良いんだよ。それだけで俺様は幸せだ」
「…、あ、ありがとう」
 シスカをお姫様抱っこして、クロフォードは何事も無いかのようにその雪道を進む。
(あんなに重い荷物背負って、あの森を抜けて、私までだっこして…、この人一体…)
 一切その表情を崩さない上に疲れすら見せないクロフォードに、シスカは少しどきりと
する。
「ん、山小屋に明かりがついているな。先客か」
 シスカをすっとその場に立たせ、山小屋の扉を開ける。
 すると中には、三人の冒険者と、一人のレンジャーがそこに居た。
「お、ガントじゃないか。下山途中か?」
「誰かと思えばクロフォードか。あぁ、そうだ。山を降りる途中だ」
 いびきをかいて豪快に眠る冒険者達の横で、大柄な男が返事をする。
 銀色の髪に、深い紺の瞳、彫りの深い精悍な顔。強い意志を感じるその瞳を、シスカは
ちらりと見る。
「クロフォード、あの人も……レンジャー?」
「あぁ、そうだよ。あいつはガント。愛する彼女の為にせっせと働く男さ」
「てめぇ、降りてきたら一発殴ってやるからな」
 変な紹介のされ方をして、少し赤くなりながらガントはクロフォードを睨む。
「真実だろう? あぁ、そうそう。頑張るのは構わんが、たまには休んでマリンの相手も
してやれ」
「なんだ、マリンが何か言っていたのか?」
 マリンの名を聞いて、ガントがその表情を一瞬で素に戻す。
 その変わりっぷりがおかしくて、クロフォードは噴出しそうになる。
「いや、別に?」
 何か含みのある微笑を浮かべながら、クロフォードはシスカの背中にそっと手を回す。
「メインルームはお前達が使ってるなら、隔離部屋はこっちが使わせてもらうぜ」
「あぁ、依頼人が女性のようだしな」
 すっと表情を元に戻し、ガントはいつもの低い声で答える。
「隔離…部屋?」
 シスカは眉を寄せながら、部屋の奥へと進むクロフォードについていく。
「この山小屋は入り口から入ってすぐの大きなメインルームのほかに、もう一つ部屋があ
る。そこが隔離部屋だ。主にお偉いさんが一人で休めるように作ってあるんだが、今日の
ように他の冒険者とかち合う場合は、トラブルを避けるために片方が隔離部屋に行くとい
うルールがあるのさ。特に、君のような美しい女性なら、尚更そうだ。あんな、危ない奴
らの傍に置いておけないだろう?」
 良い顔で微笑みドアノブを開けるクロフォードに、シスカはふんと横を向く。
「貴方の方が危ない気がするわ。こんな狭い部屋で一緒に休むなんて…」
 ベッドが一つ置いてある狭い部屋。
 野宿だったら別かも知れないが、こんな部屋で男と一緒に休むなどとシスカにとっては
初めての出来事だ。自然と警戒心が高まっていく。
「大丈夫さ、シスカ。俺様はさっきのレンジャー達と一緒に向こうで休む。警備を兼ねて
ね。何? それとも一緒に眠りたかったかい?」
「ば、馬鹿!? さっさと出ていって!! 着替えるから!」
 勝手に勘違いしていた自分が恥ずかしくて、シスカは真っ赤になって叫んだ。
「何かあれば、すぐに呼んでくれ。食料は置いていくからな」
 クロフォードはぴっとポーズをキめて、丁寧にドアを閉めていった。
「……、何なのよ、アイツ……!」
 手に持ったままだったロッドを壁に立てかけ、そのままベッドに倒れこむ。
 森は過酷な道だった。
 ロッドを借りずに剣を背負ったまま山に来ていれば、間違いなく途中で動けなくなって
いただろう。
「……一応、ナンバーワンと言うだけの気配りはあるってことかしら」
 大好きだった兄も、自分の事をいつも気にかけてくれた。
 だから、シスカはいつも兄ばかり見ていた。シスカにとって、まさに理想の男だったの
だ。
 兄が死んだと聞かされて一ヶ月の間、生きる意味さえ解らなくなって部屋に塞ぎこんだ。
 今だって生きる意味なんて見出せてなんかいない。唯、嫁になど行きたくなくてこうし
て出てきただけで、ぽっかり空いてしまった心の穴には今も冷たい風が吹いている。
 だけど。
「何よ、何でアイツの顔がよぎるのよ…!」
 清潔な布の巻かれた枕に顔を埋め、シスカは首を振る。
 シスカは不思議だった。 
 毎晩必ず泣いていたのに、今日に限っては涙が出ない事が。
 どこか気持ちが明るくなっているが、それが何かわからずもやもやしている。
 今すぐ眠ってしまいたいくらい疲れてはいるが、こんな気持ちのままでは眠れそうにな
い。こういう時は、その原因に立ち向かうのが一番だ。
「そうね、じっとしてちゃだめ! 私の場合は…。そう、今のままじゃ、だめなのよ」
 クロフォードと話をしようと、シスカは起き上がった。

「クロフォード? 居る? …って、あら?」
 メインルームにやってきたが、そこには相変わらずいびきの合唱をしている冒険者達と、
壁にもたれかかって休むガントが居るだけだった。
「ん、何か用か?」
 閉じていた目をすっと開け、低い声でガントが尋ねる。
「べ、別に何というわけじゃないのよ。クロフォードを…」
「クロフォードならきっと今は屋根の上だ」
「や、……屋根?」
 予想外の答えに、シスカは眉を寄せる。
「俺が起きている間は、何も起こる心配は無いからな。その間だけ、奴は屋根にいくんだ。
星を見に…な」
 淡々と話すこの男はクロフォードと正反対で、静かで何か深い。
「星……? またえらくロマンチストなのね」
「……どうかな。少し違うようだが。そうだ、森ではモンスターに会っただろう? ここ
一週間急激に暖かくなったからな。モンスターの動きが活発になっている」
「え……?」
 ガントの言葉に、シスカは面食らう。道中、一度もモンスターには会わなかったからだ。
「いいえ、一度も。……どういうこと?」
 シスカの反応をみて、ガントは小さく笑う。
「なるほどな、アイツらしい」
 シスカは意味が解らず、首を傾げる。
「屋根に行くには隔離部屋の前にあるはしごから屋根裏に上がればいい。屋根裏に小さな
扉があるがその真上に屋根へ出る為の取っ手があるはずだ。行けば解る」
「別に屋根に行くつもりじゃ……! …すぐ…解る?」
「あぁ、大丈夫だ。気をつけてな」
 ガントはそういうと再び目を閉じた。

 シスカは再び部屋に向かって歩き、木で出来たはしごをたんたんと上がっていく。
 中腰でも頭がつっかえそうな狭い屋根裏の空間。目の前はすぐ壁で仕切られていて、小
さな扉がある。そしてその真上にガントの言ったとおり取っ手があり、それを押し上げる
とあっさり屋根が開いた。冷たい風が入ってくると共に星が煌く夜空が見える。
「……、いた」
 そこから顔を出してひょいと見回すと、屋根の端の方に男の影が見えた。
「おや、何か用かな?」
 クロフォードはすぐにシスカに気付き、屋根から顔を出す娘の下に歩み寄る。
「星を見ていると聞いたから、来たのよ」
 クロフォードの手を借りながら、屋根の上に立つ。
 高くて随分遠くまで見渡せる。だが風景を楽しむ間もなく、凍てつく冬の山風にシスカ
は身を震わせた。
「こんな寒い所にまで来て、お転婆なお嬢様だな。シスカは」
 クロフォードはマントを翻し、風からシスカを守る。思わず抱き寄せられる格好になっ
てシスカは赤くなる。
「お転婆で悪かったわね。星を見てうっとりしてるロマンチストになんか言われたくない
わ」
 そういってぷいと顔を背けるシスカに、クロフォードは苦笑する。
「お転婆なお嬢さんは嫌いじゃないぜ? ただ大人しいだけの姫君より、よっぽど魅力的
じゃないか」
「な、なによ、それ。口説いてるつもり?」
「魅力的なレディを前にして、口説かない男なんて最低だ。さ、ここは寒い。下へ降りよ
う。話をしにきたんだろう?」
 またも心を読まれた気分になって、シスカは目をそらす。 
「別にここでも構わないわよ。リゾルートの北部出身だから、寒さは平気よ」
 そういってシスカはその場に腰を下ろす。
 下のほうには迷いの森が広がり、そして小さくチークの町が見える。
「リゾルート、か。ここから右手の方向に君が馬に乗ってきた街道が見えるな。さ、何を
話してくれるのかな? お嬢様」
 隣にそっと腰を降ろし、クロフォードは白いマントでシスカを包み込む。
「あ……」
 何か話そうと思ってきたはずだったが、それがなんなのか良く分からず、シスカは黙り
込んでしまう。
 それを見てクロフォードがフッと微笑む。
「ではニ、三聞きたいことがあるんだが。答えてくれるかな?」
「い、いいわよ?」
 静かな冬の夜、クロフォードの穏やかな声だけがシスカの耳に届く。
 その声は聞いていて何故か心地よく、つい警戒が解けそうになる。
「リゾルート出身といったね? しかも良いとこのお嬢様ときた。君のファミリーネーム
を当ててみようか?」
「ファミリーネームを?」
 名乗る時に名前しか告げなかったのにそんな事が出来るのかと、シスカは眉をよせる。
「今の俺様の持っている情報全てで推理しよう。うん、君のファミリーネームはおそらく
レイフェル。君はレイフェル男爵家の令嬢、シスカ・レイフェル。違うかな?」
「……、あ、当たりよ、何故解るの!?」
 驚くシスカを見て、クロフォードは満足げに頷く。
「一つはリゾルート出身という事だ。あそこは階級にうるさい国だからね。58ある貴族
の内のどれかだと推測できる。第二に<聖>属性の魔法を使うことだ。リゾルートは<聖>
の属性を重んじる国だ。あそこの国の令嬢は、みな一度は修道院に入れられてその奇跡を
学ぶ。君の詠唱には韻を踏むような独特のクセがあるから確定だ。そして、ドラゴンのア
イテムを欲しているという事。戦争中のリゾルートでは、ドラゴンのアイテムは色々と使
える有効なアイテムだ。位の高い家の奴なら、わざわざこんな所まで取りに来ないさ。し
かもこんな綺麗なお嬢様自らなんて、ありえない」
 淀むことなく話すクロフォードに、シスカはただただ驚く。
 そんなシスカをよそに、更にクロフォードは続ける。
「それに大事な令嬢に一人旅をさせるなんて、普通の貴族になら絶対に許さない事だ。そ
れを許すとなると、ただの変わり者か経験者という事になる。そうなると、思い当たる家
が一つある。リゾルートとこの国の国境付近にある新しい男爵家の主が確かレイフェルと
いった。あそこの領主は元冒険者のはずだ。どうだ? 完璧だろう?」
 誇らしげに腕を広げ、クロフォードはシスカを流し見る。
「よくそこまで…、っていうか、一介のレンジャーである貴方が何故そんなにリゾルート
に詳しいのよ」
 まるで58貴族の全ての名を覚えていると言わんばかりのクロフォードに、シスカは首
を振る。自分だって流石に全ては覚えきれていないのだ。
「さ、それは秘密さ。じゃあ次は今度こそ聞こう。何故、ドラゴンのアイテムが必要なの
か? その答え次第では、君はドラゴンに会えなくなる」
「何ですって!?」
 突然の事に、シスカは声をあげる。だが、クロフォードは微笑んだまま表情を変えず、
優しい声で答えを促した。
「さ、答えて」
「…解ったわよ」
 シスカは自分の元に来た結婚話のことを全て話した。
 その言葉の一つ一つに相槌をうち、クロフォードは真剣に聞いてくれているようだった。
「なるほどね。貴族間では政略結婚なんぞ良くあることだが、確かに君の性格では受け入
れられ無いだろうね。だが」
「だが?」
「それだけでは足りないな。あくまでも深窓の令嬢として育てられた君が、家を飛び出し
一人で旅立つにはもうニ、三理由があるはずだ。聞かせてもらおう」
「べ、別に言う必要なんか…!」
 クロフォードの答えに、シスカは戸惑った。
 だが、クロフォードの表情が今までと違い真剣な物に変わったのに気付き、シスカは言
葉を飲み込んだ。
「いいかい、シスカ。俺様達レンジャーは、古くは竜の山そのものを守る集団だったとい
う。今は形を変え、こういう仕事をしているが、竜に対する尊敬の念はレンジャーの皆が
変わらず持っていると断言できる。そう言って山に誓いを立て、皆レンジャーになるのだ
からな。ドラゴンと戦い勝利する事は名誉ある事だが、むやみに殺めるわけにはいかない。
ドラゴンは悠久の時を生きる大きな存在だ。四天王と呼ばれるドラゴン達はみな人の世を
見守り全ての真実を知る力すら持っているんだ」
「クロ…フォード?」
「今は別に言わなくても構わないさ。明日の昼にとある洞窟に行く。そこは今日と違って
確実に魔物が出るはずだ。おそらくモンスターを傷つけた事のない君が、何処までそれに
耐えられるか。俺様はそれを見守る」
 クロフォードは立ち上がり、大きく両手を広げる。
 冷たい冬の風にマントが舞い、薄い月明かりが白のレンジャーを照らす。
 それは幻想的で、まるで一枚の絵画を見ているかの様な不思議な感覚にシスカの心が揺
れる。
「君は運命を変えるために此処に来た。そう言った。俺様はそれを信じている。変えてみ
るといい。この山は色々な人の運命を変えてきた。ドラゴンはいつでも君の心を見ている」
 そう言うとクロフォードはシスカを立たせ、屋根から下りる様に促した。
「おやすみシスカ。明日は早い。安心してゆっくり休むと良い」
 はしごを降り、部屋に戻ったシスカは、そのままベッドの上に座り込んだ。
「何なのよ、どうしてあんな事言うのよ。心がざわついて…、変な感じ」
 自分がモンスターと戦った事が無い事も、貴族の娘だという事も、全て見抜かれていた。
 ああいういい加減な男は大嫌いなのに、心が揺れて、考えがどうにもまとまらない。
「なんなの……よ…、あいつは…」
 今までの疲れが一気に来たのか、急激に眠気に襲われシスカはそのままベッドに倒れこ
んだ。

     4

「お、行くのか?」
 クロフォードが出発しようとするガントに声をかけた。
 時刻は朝の6時。
 出発には少し早いが、冒険者達の朝は早い。
「あぁ、そっちも気をつけてな」
 お互い目も合わさずに拳だけぶつけあい、ガント達はすぐに山小屋を出て行った。
「さて、こっちもお嬢様を起こしに行くか」
 さっさと準備を終えたクロフォードがすっと立ち上がり、隔離部屋の方へと向かう。
 きっと今頃、あのお嬢様は足の痛みで目が覚めているはずだ。
 あの森を抜けた後だ。一日休んだ所で常人では筋肉痛になるのがオチなのだ。
 案の定、部屋の中からは呪文を詠唱する声が聞こえてきて、クロフォードはにやりと笑
う。
「シスカ、用意が出来たら出ておいで。あと、呪文は節約してくれ」
「わ、解っているわよ!」
 ドアの向こうから聞こえてきた勢いのある声に、クロフォードはフッと笑う。
「な、なんなのよ、もう、いたっ」
 体を襲う筋肉痛に、シスカは悶えていた。
 詠唱を再開して体の回復を神に祈るものの、あまりの痛さに集中が途切れ、なかなか成
功させることが出来ない。
「あぁもう、一ヶ月も部屋で泣いているからよ! 私の馬鹿!」
 体力が落ちてしまった自分を呪うも、すぎてしまった時間はどうしようもない。
 一向に回復しない体に、気持ちは焦り、また呪文が失敗に終わる。
 数十分後、ようやく成功させた時には魔力を四分の一も使ってしまった後だった。
「さ、行くわよ!」
 暫くして部屋から出てきたシスカは、ロッドを片手に涙目だった。

 朝の太陽が降り注ぐドラゴンマウンテン。
 ここ最近の暖かさのせいか、山の雪は大分溶けていたが未だに数センチの積雪があり、
その雪が太陽の光を反射して眩しく輝いていた。
 その雪原を歩く影が二つ。
 先頭はクロフォードで、その後ろから必死についていくのはシスカだ。
「森を越えて雪道を歩いて、まだ音を上げないとは根性のあるお嬢様だ」
「父が言っていたわ。人は諦めたら死ぬって」
「それは名言だ」
 不意に先頭を行くクロフォードが立ち止まり、あたりを伺う。
「な、なんなの?」
「今から洞窟へ入るんだよ」
「な、どういう事?」
 シスカが辺りを見回すも、だだっ広い雪原が見えるだけで何処にも洞窟なんて見えやし
ない。

「君にだけは特別だ。俺様の秘密を見せてあげるよ。さぁ、君の強さが試される。覚悟は
いいかな?」

 ニヤリと微笑み、妖しい瞳が光る。
 クロフォードがすらりと剣を抜き、短いワードを唱えながら剣を振るう。
「きゃぁっ!?」
 不意にまぶしい光が剣から放たれ、シスカは思わず目を閉じる。
 ぐいっと何かが歪むような感覚の後、先ほどまでふいていた山の風がぴたりと止まった
のをシスカは感じた。

「……!?」
 そして目を開けた瞬間、シスカは予想だにしない展開に言葉を失った。

 そこは今まで居た所とは全く違う空間だった。
 岩だらけで薄暗く、見たまんま洞窟の中だったのだ。
 天井は高く、ただただ広い空間で、所々魔法の明かりが灯してありそこが唯の洞窟では
無い事を示していた。
「ク、クロフォード!?」
 気がつくと、横に居るはずのクロフォードが居ない。
「クロフォード、何処!?」
 叫んでみるも、声は洞窟の壁に反響するばかりで返事は返ってこない。
「う、嘘つき! 私を守ると言ったのに! あぁもう、やっぱり信用できない!!」
 いきなりこの空間に一人にされて、シスカは急に心細くなる。
 その場に居ても仕方が無いので、シスカは歩き出す事にした。

 シスカにとって洞窟は初体験の場所だった。
 父から幾度も話には聞いたことがあったが、湿っていて微妙に蒸し暑いこの洞窟は今ま
で聞いた洞窟とは全然イメージが違っていた。
 だだっ広い部屋を歩く事数分、目の前に人影が見えた気がしてふと足を止める。
「……クロフォード!?」
 ほっとして駆け寄るも、その姿を確認するや否や、シスカはその動きをぴたりと止める。
「え…う、嘘。まさか……」
 目の前に立って居る人間。
 亜麻色の短髪に、青い瞳。良く知っている、最愛の人の顔。

「お、お兄様……!?」    

 間違えるはずも無い、愛しい人の顔。
 死んだと聞かされた兄が、確かに目の前に居たのだ。

「シスカ」

 自分の名前を呼ぶ、いつも夢に見る声。
 そのやさしい声は心の奥に響き、ぽかんと開いた心の穴にじわりと広がっていく。
「ゆ、幽霊…じゃない」
 その兄は確かに呼吸をし、その優しい瞳でシスカを見つめている。
 美しい鎧を身に纏い、凛々しい兄は出立していったあの時となんら変わらない姿でそこ
にいたのだった。
「シスカ。帰ろう。僕は何時だってお前の幸せを望んでいただろう? そして僕はいつも
こういってた筈だ。シスカの花嫁姿が楽しみだ、と」
 兄は手を差しだし、いつもの優しさで微笑みかける。
 会えた感動と嬉しさで、目からぽろぽろと涙が零れる。
「お…兄様」
 シスカはその手の上に、自らの手を重ねるべく手を差し出す。

 ――!

  不意にクロフォードの声が聞こえた気がして、シスカははっとなり手を引っ込める。
「どうしたんだい? シスカ」
 戸惑う兄を見つめ、シスカは涙を拭う。
 片手に握っていたロッドを両手で握り締め、そのままの顔でにこりと笑う。
「うぅん。御免ねお兄様。私、まだ帰れない。私、決めてたんだ。お兄様を越える人とじ
ゃないと、結婚なんかしないって」
 とめどなく零れる涙は頬を伝い、ぽたぽたと手の上に落ちてくる。
「お兄様、私、お父様みたいに旅に出れば、自分の行く道がみえるんじゃないかってそう
思ったんだ。私、この数日間で色々見たんだよ。自分の領地も、国境も、町も、人も」
 ぎゅっとロッドを握り締め、泣き顔で精一杯の笑顔をみせる。
 それは大好きな兄に対する決別。
 次の瞬間、青い目を見開き、シスカは激しい表情に一気に変わる。
「お兄様は死んだ! こんな所にお兄様なんて……居るはずが無い!!」
 シスカの口から零れる、聖なる祈りの詠唱。
 ロッドに祈りが集まり、まばゆい光となる。光は輝きを増し、閃光に変わる。
「光よ!真実を照らせ!」
 シスカは両手を前に差し出し、ロッドの先端を迷うことなく兄に向ける。
 ロッドから溢れ出した閃光が兄を貫き、貫かれた兄がその場に崩れ落ちる。

 一瞬の出来事だった。  

 その場に居たはずの兄は消え、その場には何も残ってはいなかった。
「やっぱり……違っ、ふうっ、っ!!」
 肩で息をし呼吸を整えようとするものの、零れる涙は止まらないし呼吸も落ち着かない。
「良く幻影を破ったね。今見えていた幻影は君の心の影。これならドラゴンも認めてくれ
るだろう」
「なによ! 今頃来て…! 遅いじゃないっ!!」
 目の前にようやく現れたレンジャーにもたれかかり、シスカは大声で泣いた。
 クロフォードは彼女を抱きしめ、落ち着くのをまって話しかけた。
「シスカ、見てごらん。幻影の居た場所を」
 クロフォードに促され、シスカは涙をぬぐう。
 そして、兄が居た筈の場所には――。

「きゃぁああああああああっ!?」

 そこには見たことも無い大きな瞳が二つ光っていた。
 人の手の平ほどもある大きな瞳。   
 不意に周りの魔法の明かりが明るさを増し、その姿を照らす。
「やぁ、デイオス。彼女の覚悟を見ただろう? さぁ、七十四回目の試合といこうか!」
 身長の半分ほどもある剣を振るい、シスカを抱きしめたままその切っ先を目の前の存在
に突きつける。
「クロフォード、我が友よ。そなたの欲する物をかけて戦うが良い!」
 洞窟全体を震わせるような低く濁った大きな声。
 シスカの目の前に居たのは、家ほどの大きさのある真紅のドラゴンだった。

     5

「う、嘘、本物のドラゴン!?」
 前に居る偉大な存在に、シスカは完全に圧倒されていた。
 大きな目、大きく裂けた口から覗く鋭い牙、地面を掴む鋭い爪。頭に四本の角を持つ真
紅のドラゴンは、シスカの心に圧倒的な恐怖を植えつけた。
「そうだ。彼は俺様の知り合いでね、比較的若いドラゴンだ。人に興味があるらしくてね。
俺様は喧嘩仲間みたいな所だ」
 だが、クロフォードはそんなドラゴンに怯む事もなく、さらりと言ってのけた。
「け、喧嘩……!?」
 理解を超えたあまりにスケールの大きな話に、シスカは言葉を失う。
「そうだ。さて、此処からは俺様の出番だ。シスカ、君の必要とするものを手に入れる為
に俺様は全力で戦おう!」
 髪をかきあげ、剣を正面にぴたりと構え、斜め四十五度の角度でびしっとキめる。
 ドラゴンの鼻息で地面の砂が舞い上がり、クロフォードのマントもふわりと舞う。
 勇者か騎士か。そう思わせる立ち姿は絵になりすぎていて怖いくらいだ。
 その瞳は妖しく光り、口元に笑みすら浮かべてクロフォードはその場に立っていた。
 自信に満ちたその姿に、シスカは思わず釘付けになってしまう。
 鼓動が高鳴り、胸の奥がきゅっとしまる。
 だが、ふと我に返ってシスカは叫んだ。
「だ、ダメよ! 死ぬわ! ドラゴン相手に人間一人でなんて勝てっこな…」
 シスカの叫びが止まる。
 不意に口を塞がれ、その言葉は発せられることなくシスカの中に止められる。
 シスカの心臓がどくんと大きく脈を打ち、一気にシスカの体温を上げる。
 ほんの数秒の口づけ。
 形の良い唇がすっと離れ、男は娘の青い瞳を見つめて囁く。
「レディ、俺様の勝利を祈ってくれ。たった一つの君の祈りは千の祈りを越える力になる」
「クロフォード……」
「さ、結界を張って。<聖>の魔法の基本の一つだ。君はそこで俺様の戦いを見ていれば
いい」
「ゆくぞ! クロフォード!!」
「ち、もう少し話させてくれてもかまわんだろうに!」
 優しい眼差しが一気に鋭い物に変わる。
 まるでレイピアを扱うように軽々と剣を構え、クロフォードはドラゴンに向かって駆け
出した。
「ちょっと、無茶よ!!」
 慌てて手を伸ばすも、その手は届かない。
「燃えつきろぉっ!!」
 ドラゴンは大きく息を吸い込むとごうと激しい炎を吐く。
 それは人間二人を軽く焼き尽くすほどの高温の赤い炎だった。
「やだっ! 聖なる衣よ! 聖なる壁よ!!」
 シスカは慌てて二つの呪文を唱える。
 光の壁がシスカの前に現れ、それは強固な結界となる。
 ドラゴンの炎をぎりぎりで受け止め、シスカの背中を嫌な汗が伝う。
「な、なんて凄い炎なの…!? っ! クロフォード!?」
 咄嗟に放った呪文が効果を発揮したのか、クロフォードは無傷だった。
「この野郎っ!」
 ドラゴンが低い声で唸り、鋭い爪を振り下ろす。
 振り下ろされた爪をぎりぎりでかわし、クロフォードは素早く竜の横にまわりこむ。そ
してすり抜けざまに剣を横薙ぎに放ち、一閃する。
 ガツッ!と大きな音をたてて、鋼鉄の白い刃がドラゴンの足を強烈に打ちつける。
 強固なうろこは引き裂かれ、バッとドラゴンの血が飛び散る。
「…うそ、ちょっと、何あれ」
 相手がドラゴンだというのに、目の前の男は怯むことなく確実にダメージを与えていく。
 しかも、動きの一つ一つが剣舞のように派手で鮮やかだ。
 兄は言っていた。剣舞のような見た目が派手な物は実戦では何の役にも立たない、と。
 だが、クロフォードの動きは華麗で、まるで演劇を見ているかのような錯覚に陥ってし
まうほどに美しい。
 ふと、クロフォードを必死になって目で追っていることに気がついてシスカははっとな
る。
「やだ…どうしよう……」
 シスカの鼓動が再び高鳴り、頬が熱くなる。
「さ、降参したらどうだ? デイオス!」
「やかましいわっ!」
 ドラゴンは羽を広げ大きく羽ばたくと、その強烈な風でクロフォードの軸が一瞬ぶれる。
「クロフォード!!」
 その隙を見逃すまいと振り下ろされた爪がクロフォードの背中を引き裂く。
 鮮血が飛び散り、それを見たシスカが真っ青になる。
 自分の魔力は空に近い。だが、シスカはじっとしていられなかった。
「癒しの光よ! クロフォードを…っ!!」
 祈りは届き、娘の魔力の残り全てと引き換えに、クロフォードの傷が消えていく。
 不意に回復された傷に、クロフォードは驚き笑みをもらす。
「シスカ、君の祈りに感謝するよ」
 そう呟くと、クロフォードは一気にドラゴンとの間合いを詰める。
 一気に懐に入り、ずんと剣を腹に突き立てる。そして飛び上がりざまにその剣を下から
縦一線に放つ。
「ゴアァッ!?」
 胸から首までを切り裂かれ、ドラゴンは大きく血を吐いた。
 ドラゴンはぐらりと傾き、その場に轟音と共に倒れこむ。
「フッ、チェックメイトだ」
 刃を振るって血を飛ばし、きらりと輝く剣を竜の喉元にぴたりと突きつける。
「なんて奴だ。仕方が無い、今日は負けと言う事にしてやろう」
 赤いドラゴンはニヤリと笑い、低い声で小さく笑った。
「く、クロフォード!!」
 決着がついたと見て、シスカはクロフォードの元へ駆け寄った。
「言ったろ? 君の信頼は俺様の力になると」
「馬鹿! 私の無茶に命なんかかけて…」
 クロフォードの胸におでこをこつんとあてて、シスカは首を振る。
「それがレンジャーであり、俺様なんだ」
 目を細めて、クロフォードはシスカの頭を撫でる。
 その足元で、ごふぅとドラゴンがため息をついた。
「とどめ……ささないの?」
「彼に関してはさす必要はないね。言ったろう? 知り合いだと。此処に直結で来れるの
も俺様だけだ。それに…」
 言葉を切ったクロフォードを見上げて、シスカは首を傾げる。
「何も殺さなくても望みのものは手に入る。モンスターだからと言ってなんでも殺せばい
いってわけじゃないさ。逆に聞くが、シスカはこの竜に止めをさすかい?」
「いいえ、例え力を持っていても…、ささないと思うわ」
「だろ?」
 フッと笑って、クロフォードは赤いドラゴンに向きなおす。
「さ、今回は爪を頂こうかな?」
「好きにしろ」
 ドラゴンはぷいとそっぽを向きながら、右手をどんと二人の前に差し出した。
「さ、爪をきるのはシスカの役目だ」
 クロフォードは自分の剣をシスカに握らせ、一歩下がる。
「娘、お前が斬るのは構わんが、一発で斬れよ。この爪には神経も通っているし、血だっ
て通っている」
「わ、解ったわ」
 腕の長さほどの大きな爪。
 兄に習ったとおりに正眼に構え、ふんっと振りぬく。
 ダンッ!
 その剣の切れ味もあって、さっくり斬られた爪が地面に転がる。
「イテェ、ほら、お前らさっさと帰れっ」
 途端に機嫌の悪くなったドラゴンが文句を言う。
 その声にシスカは慌てて爪を拾い上げる。
「帰るさ。またなデイオス」
「あ、ありがとう、赤いドラゴンさん」
 クロフォードはシスカを肩に抱きワードを唱え、剣を振るう。

 次の瞬間シスカが目を開けると、夕暮れの雪原だった。
「…、夢……じゃないよね」
 両手に重くのしかかるドラゴンの爪。それが今まであったことが真実だと告げていた。
「さ、山小屋へ帰ろうか」
「あの……!」
「なんだい? シスカ」
 行きと全く変わらぬ様子で、クロフォードはシスカを見つめる。
「私の運命…! 変わったと、変えられたと思う!?」
 真剣な表情のシスカをそっと撫で、クロフォードは頷く。
「君は自分の力で兄の呪縛を断ち切り、そして自らの手で爪を手に入れた。それは自分が
一番良く分かっている筈だ。後は自信を持って、前へ進めばいい」
「もう一つ…、どうして森でモンスターに会わなかったの? あのレンジャーは動きが活
発にって言っていたわ」
「それかい? 俺様達の仕事は依頼人の命を守ることだ。不要な戦闘は必要ないね。気が
立っているモンスターは殺さねばいけない場合が多い。だが、無駄に殺す事もないだろ?
それに…」
「それに?」
「君に残酷なシーンを見せるのはどうかと思ってね。これは俺様の勝手な判断だが。世の
中には見なくていい事だってたくさんある。そのうち見ることになるかもしれないが、そ
れはシスカの心がもっと強くなってからでもいいだろう?」
「……クロフォード」
 圧倒的な強さ。しらない間に施された配慮。そして教えられた大事な事。
 それらが深くシスカの心に染み込み、空いていた穴が優しく埋まっていく。
「あの…、クロフォード」
 夕日に照らされ頬を染めたシスカが、クロフォードを見上げる。
「今なら…少し解るの。どうして貴方が沢山の女性に人気があるのか」
「ふぅん?」
「私…、今の気持ち、忘れないでいたいの。か、体に深く、刻んでいたい…の」
「えらく大胆なお誘いだね? でもだめだな」
「な、何故!?」
 顔を更に真っ赤にして、シスカは目を吊り上げる。
「後金を払ってくれたら、考えるぜ? なんせ俺様は『客』に手は出さない主義だからな」
「わ、わかったわよ、小屋に着いたら、渡すわ」
 ぷいと目を逸らし、シスカはボソリと呟く。
「俺様に惚れると、後悔するぜ? 俺様は誰の物にもならないからな。取り消すなら今の
うちだ」
「そ、そんな事、解っているわよ! だ、だから、一度…だけ」
「ふぅん? 解った。ならば今の時間から朝まで、俺様はシスカの物だ」
「や、やだ、そんな事言わないでよ!」
 あまりの恥ずかしさに、シスカはずんずんと歩き出す。
「誘ったのは君の方だぜ?」
 金色の髪をかきあげ、クロフォードはフッと笑う。
「何よ、貴方だって口説いていたじゃないっ」
 軽口を叩きながら、山の雪原を歩く二人。 
 夕暮れの赤い光を受けながら、二人は山小屋へと帰っていった。

       6

「あ、クロフォード、おかえりー!」
 日も暮れた夕方の6時。『今昔亭』に無事帰ってきた二人を、マリンが元気良く迎えた。
「おや、本当にドラゴンの爪を手に入れてきたのかい…!?」
「わ、ホントだ!! す、すご…」
 驚き固まる女将とマリンに、シスカがやさしく微笑む。
「えぇ、彼のお陰で無事に…。では、家に帰るのに丸3日かかるので、私はすぐに発ちま
す。お世話になりました」
 シスカは深々と頭を下げて、女将の下へ向かい、装備の返却を始める。
「…、ちょっといい? クロフォード」
「あ、なんだマリン」
 マリンはクロフォードを隅っこにひっぱっていき、ぼそりと呟く。
「ね、シスカさんに手出したでしょ」
「お、わかるか? マリンも大分勘が鋭くなってきたじゃねぇか」
「…、もう、知らないよ? 相手、お偉いさんの娘さんなんでしょ?」
「フッ、そんな事に恐れをなしていたら、今頃俺様は唯のつまらねぇ男だよ」
 誇らしげに向こうにいるシスカを眺めて、クロフォードはにやりと笑う。
「それよかお前、ガントといい事したんだろ? あの後」
「!? ちょっと、なんでわかるの!?」
「お、当たりか。それ、俺様のお陰だぜ? 感謝しな?」
「ば、馬鹿!」
 マリンは軽くクロフォードをどつき、ソファーにぽすっと座り込む。
「では、私は行きます。本当にお世話になりました。後日、改めてお礼します」
「いいんだよ、そんな事気にしなくて」
 女将は柔らかく笑って、うんうんと頷く。
「町はずれに夜でも馬車を出してくれる所があるから、そこを使うといいよ。クロフォー
ド、そこまで送っておあげ?」
「もちろんだとも女将。レディの送り迎えは基本だ」
 すっとシスカの手をとり、優しく微笑む。
 シスカはさっと頬を染め、クロフォードに連れられるままに『今昔亭』を去っていく。
「……、あーあ、女将さん、またクロフォードのファンが増えたみたいだよ? なんだか
可哀想。私クロフォードの良さが全然わかんないよ。友達としては大いにアリだけど、あ
ーわかんない」
 マリンはソファーに後ろ向きに乗って、窓の外を歩いていく二人を眺める。
「解らんでもいい。ほら、飯食いに行くぞ?」
「あ、ガント! 行く行く!」
 マリンは勢いよく立ち上がり、ガントに駆け寄る。
「なら、私も台所に行くとするかねぇ」
 女将やれやれと首を振って、『今昔亭』の看板を「クローズ」にひっくり返した。


 夕暮れの賑やかな大通り。
 町外れへと向かう途中で、シスカが口を開く。
「ね、クロフォード、もう一度、聞いても言い?」
「何度問われてもだめだね。俺様はこの町を離れる気はないね」
「そう…よね。ごめん」
 シスカは小さく笑って、クロフォードに寄り添う。
「落ち着いたら、またこの町に来るわ。ね、私の事、忘れないで居てくれる?」
 シスカは目に涙を溜めて、クロフォードにしがみつく。
「俺様は今まで愛し合った女性の名を全て言えるぜ? 忘れるわけ無いだろ」
 震えるシスカの顎に手をやり、すっと口づける。
 その甘い口づけに、シスカは震える。
「さ、丁度馬車が来ている。行っておいで。そして運命が変わったかどうか、その目で確
かめてくるといい」
「えぇ、もちろんよ!」
 シスカは馬車の御者に金を払い、行き先を告げ乗り込む。
「…、さよなら。クロフォード」
「あぁ、さよならだ」
 クロフォードはぴっとポーズを決めて、最高に良い顔で微笑む。
「あぁそうだ、父上にお礼を言っておいてくれ。もしかして俺様のことを覚えているかも
しれない。10年前は世話になった。無事国境を越え、生きている、と」
「…え、何?!」
 不意にふいた冬の風に、クロフォードの言葉がかき消される。
 だが聞き返したときにはもうそこにクロフォードの姿はなく、それと同時に馬車が走り
出す。
「……不思議な人。きっとこれからまた違う人を愛するのね。なんて罪深いのかしら」
 ドラゴンの爪を抱え、シスカは小さく微笑む。  

 遠く離れていく、雄大なドラゴンマウンテン。
 リズム良く走る馬車に揺られながら、シスカはそっと目を閉じる。
「お父様、私、立派な領主になるわ。お兄様に負けないくらい素敵な人を見つけて…」
 旅の終わりはどことなく切なくて、胸が詰まる。
 だが、これが新しい自分の旅立ちだとおもうと、その気持ちは自然と消え、再び明るい
気持ちになるのだった。




終わり


   


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