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(09.07.08更新)


・『にゃんこと浪人とゴリマッチョ』

 

「これが……『獣人』ですか」
 男達の口から驚きの声が漏れる。
 だがすぐに、その表情は醜く歪んでいった。
 新しい『おもちゃ』を見つけた、醜い大人の顔だった。
「これは、遺伝子操作の粋を集めて作ったものです。しかもただの獣人ではありません。
『これ』はVRでもあるのです」
 僅かな明かりしかない薄暗い地下室――そこに集められた男達に向かって白衣の老人が
しわがれた声でその『獣人』を指差した。
「にゃ……」
 指差され、男達の好奇の目にさらされ、獣人はか細く啼いた。
 その甘い声に、男達がごくりと息をのむ。
「それにしても博士、これは獣人というよりは、まるで――人の子ですな」
 男達の中から小太りの男が前に出て、檻に入れられた獣人を舐める様に見まわした。
 獣人は、まるで人間の『幼子』の様だった。
 赤い大きな若干つりあがった瞳、クリームの様な色合いの二つに括られた髪、十歳前後
に見える幼い体つき。身に纏うのは胸元をわずかに隠す布と、短パンのみ。
 そして、唯一人と異なるのは、細く長い尻尾と頭の上に生えた猫の耳だけだった。
「そこがいいんじゃないか」
 小太りの男に向かって、後ろにいた背の高い男がにやりと笑う。
 周りの男達も彼に同意見なのか、しきりにうんうんと頷いている。
 男達の反応を見て、「これはいける」と博士は満足そうに笑った。
「今までの『獣人』は獣の要素がきつ過ぎて扱いが困難だった。このタイプはそうではあ
りません。獣の可愛らしさを残しつつ、極力人に近くしてあります。知能も以前の物より
あがっており……十歳前後、といった所でしょうか。コミュニケーションも容易です。さ
らにVRにした事によって、かなりの荒事にも耐えられる様になっており、例え大きく破
損したとしても人間を治すより容易です。ディスクはガラヤカ。よってこの娘は寿命まで
この見た目のまま生きる事になる。そうそう、もちろん愛玩獣人です故『躾』も施してあ
ります」
 博士の枯れ枝の様な指が、檻の隙間から獣人の少女の体をつぅっとなぞる。
 すると少女はそれに反応して「にゃぁ……っ」と身をのけぞらせた。
 だがその表情は嫌悪に満ちている。老人を嫌っている事を隠そうともしていない。
 なのに、頬を染め、息を荒げていた。
 それは『躾』が完璧に施されているという証拠だった。
「……これは」
 男達が息を呑む。
 次第に、いくらで売ってくれるのだと、そんな会話が広がっていく。
「この獣人、NYAタイプ、としましょう、これはかなり値段が張ります。……が?」
 老人は白衣を震わせ、ひゃひゃひゃと笑った。
 それでもひるまず、男達は金を積み上げていった。


(もう、やだよう)
 好奇の目にさらされ、獣人の少女は目に涙を浮かべていた。
(熱いよう、うずうずするよう)
 薬と機械で躾けられた体が、快楽を求めてびくびくとはねる。
 だが、目の前の男達になんか触れられたくなかった。
 ましてやあの老人にも触られたくなかった。 

<――暴れて逃げちゃえば?>
 
 体の中から、小さな声が聞こえた気がした。
(ガラヤカ……)
 体内に封じられた一枚のディスク。
 それは博士が苦心して手に入れたガラヤカのディスクだった。
「にゃああぁっ!」
 獣人の少女が叫ぶと同時に、薄暗い地下室に赤い光が走った。
 まるで、荒れ狂う火星の大地の様な、赤い光の風だった。
「黙れ小娘!」
 老人が手元のリモコンの赤いスイッチを押す。
 すると赤い風がぴたりと止んで、獣人の少女はその場に突っ伏すように倒れこんだ。
 強い電気ショックを受け体を痙攣させながらも、それでも少女は老人を睨む。
「……まぁ、時折反抗を見せますが、このリモコンさえあれば黙らせる事ができます。こ
れさえあれば、リバースコンバートは不可能。VRにはなれません」
「博士、これは見事な!」
 ざわめき、拍手が起きる。
(くやしいよう、逃げたいよう)
 少女は床に倒れこんだまま、涙と涎で頬を濡らしていた。
(こわしたいよう、壊れちゃえばいいのに……!)



 強く思った、その時だった。



 ガゴン! と派手な破壊音と共に、入り口から光が差し込む。
 突然の強い光に皆が一斉に目を覆い、そして破壊された入り口へと目を向けた。

「おーおー、火星の悪人が一斉に顔揃えて人身売買とは、いだたけねぇなぁ」

 太く低い声が地下室に響く。
 粉々になった鉄の扉を踏みしめ、金髪のバカでかい男がニィっと笑った。
 マッシブな肉体に筋肉を模した厳つい武装を身に纏い、肩と腕には大きな砲身。
 鋭い赤い瞳が獲物を見つけたとぎらついていた。
「な、VRだと!?」
 現れたのは紛れもなくVRだった。
「RVR―36−F、アファームド・ザ・タイガー、Fタイプ……」
 VRに詳しい男が、そのVRが何なのか、震えながら呟いた。
「正解。さ、命惜しくば金を置いていきな。じゃなきゃMARZあたりにチクるぜ?」
 アファームドの脅しに「冗談じゃない」と小太りの男が檻の横にある裏口へと走り出す。
 が、扉を開けたところで男の顔からさぁっと血の気が引いていった。

「…………死にたいか?」

 凍るような涼やかな声が、男の前を塞いでいた。
 血のように赤い瞳、闇を溶かし込んだような濡羽色の髪、端正な顔立ち。
 鎧武者の様な白い装甲に身を包んで、右手には一振りの刀――焔乃剣を握り締めていた。
「カゲキヨ……!?」
 小太りの男が、突然現れた二対のVRをかわるがわる見て、身を震わせ叫ぶ。


「景清「火」にアファームドT……、こいつら、『フランマティグリス』だ!!」


 その名を聞いて、男達がいっせいに黙り込んだ。
 
 フランマティグリスは、この二人に名づけられたあだ名だった。
 治安の悪い火星の都市に現れては、金持ちの闇取引の場に乱入し金を巻き上げる盗賊――。
 常に火星を放浪しており、どこの組織にも所属しないVR。
 たった二人で名のある富豪の私設部隊をつぶしたという噂まである。

 男達は持っていた金をいとも簡単に手放し、地下室から這い上がる様にして逃げていく。
 金に汚い彼らも命だけは惜しかったようだ。
「今回は楽に金が入ったぜ、と……ジジィ、逃げねえのか?」
 たった一人残った人間を見下ろし、アファームドが笑う。
 老人はそれにひるむ事も無く、檻の前でふぉふぉふぉ肩を揺らしていた。
「わしは逃げたりなんぞせんよ。どうせこの研究を最後にくたばる予定だったからな。だ
が、ただで死のうなどと思わん。金は……わたさん!!」
 狂ったの形相で、老人はリモコンのスイッチを押した。
 押されたのは青いボタン。それと同時に、老人の後ろから赤い光の風が一気に溢れ出し
た。

「いやああああああああああああ!」

 獣耳の少女が苦しそうにもがき、悲痛な叫び声を上げた。
 少女の意思と関係なく、強制的にリバースコンバートが始まったのだ。
「おい、焔鬼(えんき)、あれ『獣人』だぜ……、しかもVRにされてる。ジジィてめぇ
腐ってんな」
 獣人、それは人が己の欲の為に作り出した愚かで哀れな生き物だと皆が知っている。
 ぎりり、と、カゲキヨは拳を軋ませた。
 彼はこの老博士のした事がどうしても許せなかったのだ。
「…………ティグリス、切り伏せて構わないか?」
「お前、ああいうのキライだしなぁ。好きにしろよ」
「……承知」
 右手に持っていた愛刀を鞘に収め、静かな怒りを滲ませながらカゲキヨは博士へと近づ
いていく。未だ獣人の少女のリバースコンバートは完成しておらず、博士はそれに焦り、
後ろを振り返り叫んだ。
「何をごちゃごちゃいうておるか! くうううぅっ、早く変わるんだ! ガラヤカになり、
こいつらを黙らせるがいい!」


「……黙るのは、お前だ」


 それは一瞬の出来事だった。

 チン、と刀が納まった音だけが、地下室に響いた。
 瞬速の居合いが老人の胴を二つに分かち、手にしていたリモコンも真っ二つにしていた。
「おおう、いつもながら速い事で」
「……それよりも、だ」
 焔鬼(えんき)と呼ばれたカゲキヨは呻く老人を無視して檻へと向かった。
 鋼鉄の柵を刀で斬り、苦しむ少女の前で膝をつく。
「にゃ……あああああ」
 強引なリバースコンバートに身を震わせる少女を見て、焔鬼は眉を顰めた。
「……つらいか」
「にゃああ、やぁあ」 
 力をどう扱ったらいいのか解らないのだろう。
 命令が中断されたガラヤカの装甲は半透明で、不安定なその状況は今にも暴発しそうだ
った。
(哀れな。……このまま生きていても、いい事などあるまい)
 作られた命。必要のない感情を教え込まれた体。その上VRという戦闘兵器にされてし
まって。
 今ここで、息の根を絶ってやるのが、一番だろうと考える。
 焔乃剣に手をかけた、その時だった。

「たす、けて」

 甘い声が、懇願していた。
 震える小さな手で、必死に焔鬼の足の装甲を掴んでいた。

「……っ、は、離せ」
 言葉とは裏腹に、焔鬼はその手を振り払えないでいた。
 それを見てアファームドがにやりと笑う。
「助けたいんだろ? わぁってるって」
「お前と私は盗賊だ。……連れて行っていい事など、ない」
 硬い表情でうつむく焔鬼を見て、ティグリスは「ハハハハ!」と笑い飛ばした。
「んだよ、お前、『連れてく気』満々じゃねぇか! 俺はさ、どっかの施設にでもおいて
くれば? って言おうとしたんだがな?」
「愛玩獣人が、どの施設で幸せになれるというんだ」
「ま、そうだけど?」
 ニヤニヤと笑って、ティグリスは腕組みする。
「で、連れて行きたいんだな?」
「……」
「飼い主はお前だかんな? ま、俺も世話くらいはしてやんよ」
「……すまん」
 一言詫び、焔鬼は少女へと手を差し出した。
 そうと決まれば、この少女を助けるまでだ。
 焔鬼は少女にできるだけ優しい声で語りかけ、頭をそっと撫でてやった。
「……大丈夫だ、落ち着け。VRの力はそなたの物だ。アーマーを少しずつ消していくイ
メージだ。解るか」
 焔鬼の言葉に、少女はこくんと頷きそれに従った。
 目を閉じ、震えながら必死にイメージする。だが。
「うまく、でき、ない」
 やった事もない作業に戸惑い、少女は涙を零す。
 乱れたままの心ではイメージする事すら困難だったのだ。
 荒れ狂う感情を制御する事も出来ず、少女は男を見上げる。

 ふと、心が一瞬楽になった。

 何故かは解らないが、本能が大丈夫だ、と言っている様だった。
 あの男に近づきたい、と自然に手が伸びる。 
「お願い、だっこ、して」
「……」
 焔鬼は戸惑いつつも、少女を抱きあげた。
 少女は小さくて、怖いほど軽かった。 
 猫の耳がさわさわと頬に触れ、必死に抱きついてくる小さな手は真っ直ぐに自分を求め
ていた。
 焔鬼の心が、ざわりと疼く。
「にゃぁ……」
 焔鬼に抱かれ、少女は次第に心を落ち着つかせていった。
 それにあわせるようにリバースコンバートが徐々に解除されていく。
「お見事お見事。――と、焔鬼、そろそろずらからねぇと、やべーぞ」
 アタッシュケースを両手いっぱいに抱えたティグリスが、脱出だと告げる。
「ティグリス、いつの間に回収したんだ、それ」
「お金は大事だよー、ってな?」
 焔鬼は獣人の少女を、ティグリスは大量の金を抱えて地下室から脱出する。
 薄暗い通路を駆けぬけると、そこは荒れ果てた火星の大地だった。
 二人はそのまま一気に赤い大地を駆けていく。
 少女を苦しめた忌まわしい研究所は、どんどんと遠くなっていった。



「赤い、広い」
 焔鬼に抱かれた少女が周りを見回してぽつりとつぶやく。
「ここは、火星だからな。地球は緑色らしいが」
「あのね、外見るのは初めてなの。ずっと、部屋の中だったから」
 耳をぴくぴくと動かし周りを見回す少女を抱え、焔鬼は目を細めた。
 これからは外で自由にしてやれる、そう思うと少し気が楽だった。
「そなた、名前は?」
「ないよ」
「無い、か」
 ふと、少女の背中を見ると首の付け根辺りに文字が見えた。
 タトゥーなのか、そこにはアルファベットで「AーNYA」と書かれていた。
 NYAタイプ、ナンバリングAと言った所か。
「А―NYA、アーニャ、アーニャで、どうか?」
「あーにゃ? それが私の名前?」
「気に入らないか」
「ううん、それでいいー!」
 耳をぴんとたてて、少女は焔鬼にぎゅっと抱きついた。
「おー、すっかりなつかれてんな、焔鬼よぉ」
「エンキ? エンキが、名前?」
「そうだぞ、こいつは焔鬼だ。俺はティグリスな」
「うん、わかった! エンキ、エンキ、好きー」
「……ッ!?」
「ぶははは! お前、猫の言う事に真っ赤になってんじゃねぇよ!」
「なってなどおらぬ!」
「ティグも好きだよー」
「おー、アーニャ、ありがとな!」
「でもティグはエンキの次ね?」
「焔鬼が一番か! まぁ、飼い主だしな?」
 飼い主というのが今ひとつ納得いかないのか、焔鬼は微妙な表情だ。
 それがおかしくて、ティグリスは笑いが止まらない。
「ま、焔鬼、がんばれや。愛玩獣人は性欲強いかんな、そっちの相手もちゃんとしてやん
ねぇと、アーニャがストレスで暴れるぞ。ましてやガラヤカだしなぁ!」
「こ、こんな幼子にその様な事……!」
「アーニャは一応『躾けられてる』みたいだし? 裏とはいえ売りに出そうとしてたんだ
からきっと『成猫』なんだろ。ちゃんといろいろできんじゃね? ま、いい思いしろよ」
「絶対やらんからな!」
「えー、しないのぅ?」
「そなたもそのような事を言うでない!」
「あーにゃ、エンキだったらいいよ」
「良かったな焔鬼、気に入られてるぞ! よし、アーニャ、喰いたくなったら襲っちまえ」
「うん!」
「うん! ではないだろう!!」
 
 <よかったね>とアーニャの心の奥で誰かが呟く。
 えへへ、と笑顔なアーニャに反して焔鬼の表情は複雑になる一方だ。
 そして、面白い事になってきた、と、ティグリスはひたすら上機嫌だ。


 赤い火星の大地に乾いた風が吹く。
 後に火星の闇を揺るがす、盗賊団『フランマティグリス』誕生の瞬間だった。





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