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(09.09.26更新)


・『自覚なき感情』

 

 前線基地トライアンフ。
 旧ユーラシア大陸の東端の海沿いに聳え立つ巨大な三つの棟から構成されるそれは、R
NA有数の巨大軍事施設だ。
 周辺地区のRNAの兵達すべてを管轄するトライアンフは、眠る事を知らない24時間
フル稼働の施設で、そこにかかわる人間の数も相当な人数だ。
 とはいえ、現在の時刻は午前四時。
 この時間ともなるとさすがに人の気配はまばらで、三棟の正面にある演習場にも昼間と
はうってかわって人の姿は皆無だった。
 ただ、研究・倉庫棟である西棟、司令室のある中央棟の窓には所々明かりが付いており、
それはトライアンフが今日も正常に稼動している事を示しているのだった。

 だが、そんな夜も明けきらぬ時刻に、隠れるようにして立つ人影があった。
 10階建ての中央棟の屋上、普段から人が来る事もない(というよりも入る事の制限さ
れている)場所に、小さな明かりがちらついていた。
「……」
 誰かを待っているのか、その視線は屋上から建物の中へと続く非常用の扉に注がれてい
た。
 不意に、その足元にある淡い赤い明かりがふわりと明るくなり、その人物をぼんやりと
照らし上げる。
 それは人――いや、一体のVRだった。

 短めに纏められた深緑の髪、若くシャープな顔立ち。扉を見つめる赤い瞳は、威圧感す
らある鋭さがあり、年相応とは言いがたい迫力がある。
 そんな彼の体を守るように覆うのは、厚みのある漆黒の装甲だった。
 シャドウカラーを思わせる夜に溶け込む様な漆黒のアーマー、両腕にあるのは使い込ま
れた一対のトンファー。
 超格闘対応機体、漆黒のアファームド・ザ・バトラー。
 トライアンフの中で、その存在を知らない者など、居はしなかった。
 伝説と呼ばれ、数々の戦場に勝利をもたらしたVR。
 タイマンで戦えるのは、赤バッジか白虹の騎士くらいだと言わしめた男。
 若干22歳で大尉という階級とその地位以上の権限を与えられ、連戦連勝のアファーム
ド部隊を率いた若き雄、その名をジン・ファマードという。

 だが、今のジンは『動かぬVR』と呼ばれ、この監獄の様な軍事基地に事実上軟禁され
ている状態だった。
 ――リバースコンバート後に全く動けなくなるという故障。
 心的なものか、Vクリスタルの引き起こす未知の現象なのか。
 原因不明のこの現象によって、ジンは『伝説』、つまり過去の存在になってしまってい
るのだった。

 だがその現象が密かに解消されつつあった。
 突然、リバースコンバート後の装甲に包まれた体に、ピシッと熱が走る。
(……ん)
 ジンは何者かが階段を駆け上がってくる気配を感じていた。
 それは最近知った存在だった。
 気配が近づくにつれ、体がゆっくりと動き始める。
 手に赤みが差し、体の筋肉がぎちりと震える。
 
 まるで何かに急かされる様に。
 やる気も目標さえも見失った自分に何かを提示するように。

(そろそろ……か)
 気配が濃くなり、ジンは扉へと視線を注ぐ。
 それと同時にバタン、と非常扉が開いた。


「……遅いぞ、コラル」


 屋上への非常扉を開け放ったその気配に向かって、ジンが冷たく言い放つ。
 冷たいその声を聞いて、その気配はビクリと体を揺らし慌てた。
 淡い紫色の短めのツインテールを揺らし、赤い珊瑚色の瞳を潤ませ、あわあわとしなが
らもその気配――薄紫の髪の少女はジンに向かって深く頭を下げた。
「も、申し訳ありません、大尉っ! と、途中で見回りの兵士に見つかりそうに、なっち
ゃって……!」
 夜の海風と共に、可憐な少女の声がジンの耳に届く。
 戦士というにはあまりに甘い、優しい声を放つ少女だった。

 彼女の名は、コラル・リーフ。
 VRになったばかりで、階級は候補生。
 未だ初々しさの抜けない、可愛らしい少女だった。
 だがそんな少女の体を覆う装甲は、その階級とはかけ離れた貴重なものだった。

 ――高機動型可憐機体、フェイイェン・ザ・ナイト。

 しかも唯のフェイではなく、淡い青にも似た紫色をした特注のカスタマイズカラーのフ
ェイだ。
 女性型機体のフェイイェンとエンジェランは数が少なく、見た目の可憐さから人気が高
い機体だ。しかもそれらは使役する人を選ぶ難儀な特性をもっており、それ故に乗りこな
せる者も少なかった。
 つまり典型的なレア機体という事になる。
 そして、その希少性から階級の低い者の手に渡る事など、皆無に等しい機体だった。

 だがコラルは新人で候補生だ。
 そんな身分でコラルがフェイイェンを駆るのには、ちょっとした理由があった。



 巨大前線基地トライアンフを指揮する男の一人、エアガイツ・アンハイサー。
 通称『変態少将』と呼ばれる若干不名誉なあだ名のついたガイツがこの少女を気に入り、
ぶっちゃけ贔屓して(恐らくは強引に手を回して)コラルにフェイを授けたのだった。
 運良くフェイはコラルの体に見事に適合し、コラルはフェイイェンとなった。
 だが、そんなレア機体を無償で授けられる筈はなかった。
 ガイツはコラルを自ら直属の部隊への編入しようと考えていたからこその優遇措置だっ
たのだ。
 コラルは見た目、感覚共々この機体を気に入ってはいたが、ガイツの配下の部隊に入る
事は望んではいなかった。
 彼の指揮する部隊は通称『桃源郷部隊』。
 幼い少年少女のみで構成されたその部隊は、戦闘目的というよりもアイドル的存在とし
て存在していた。
 コラルは、戦いたくて自らVRになることを選んだ少女だった。
 出来れば通常の部隊へ配属されたい、とそう思っていた。
 だが、基地を指揮するほどの権力の意向は早々変えられるものではない。
 それでもコラルは戦う事を望み、ガイツに自らの意思を伝えた。
 そんな少女の姿を見て、ガイツはひとつの提案をコラルに持ちかけた。


 ――1週間後、尉官クラスのVRと勝負し、勝利する事。


 それだけで、コラルは自由に配属先を選んでいいと言われたのだった。
 だがそれは、入ったばかりの新人には甚だ無茶な注文であった。
 それでも、コラルは諦めてはいなかった。
 自ら望んでVRになった事、そして、あきらめない、強くなりたいという強い意志は揺
るがず、ついにコラルは行動に出た。
 
 『伝説』と呼ばれたVR、ジンを探し出し、教えを請う為に直談判したのだった。

 動けない筈のアファームド。
 だがしかし、その熱意に触発されたのか、動けない筈のジンはコラルと出会う事によっ
て再びVRとして機能し始めたのだった。



 そんなこんながあって、ジンはコラルをこっそり個人指導することになったのだった。
 何故こんなめんどくさい事をやろうと思ったのか、ジン自身も実は良く解ってはいなか
った。なんとなく気付きかけてはいたが、ジンは「どうでもいい」と深く考えずスルーす
る。
 ジンはそういう男なのだ。
 ただ、そんなめんどくさがりのジンも、必死な表情で教えを請う少女を見捨てられるほ
ど、無情ではなかった。
 そして「大尉!」と呼び慕ってくるコラルを、悪くないなと思っているのだった。

 しかし問題もあった。
 今のジンは軟禁中の身であり、動けるようになった事を他に知られるのは色々と面倒だ
った。体が動くようになったからといって戦線に復帰する気にはなれなかったし、あの頃
に感じていた戦場への熱さの様な感覚は未だに戻ってきてはいないからだ。
 だから、ジンはコラルに条件を出した。


 ――指導してやる。ただし、見つかったらそれで終わりだ。


 コラルはそれを即快諾した。
 伝説の、皆が憧れるアファームドに教えを請えるだけでも十分だと思っていたのだ。
 それ故、こんな早朝の人気の無い場所で、密かに事は行われているのだった。




 コラルはよほど慌てたのか、息を切らし肩で呼吸していた。
 だが、それを隠すようにコラルはピンと胸を張り敬礼する。
「……見つからなかっただろうな」
「も、もちろんです! 大尉!」
 大きな声を出さないように小声でだったが、コラルははっきりと返事を返す。
 コラルの目は今日もやる気に漲って、きらきらしていた。
「……ん」
 ジンは適当に返事をすると、その場にしゃがみこみ、屋上の四隅に8面体の結晶を配置
し、特殊な隔離フィールドを展開させた。
 バルバドスの能力を応用して作られたそれは、光も音も衝撃も完全にシャットアウトす
る簡易結界だった。
「じゃ、いつものように……」
 結界が完全に機能しだしたのを確認して、コラルはいつものようにCPUプログラムを
作動させ仮想の半透明のテムジンをその場に出現させた。
 こうやって仮想の敵と戦い、ジンはそれを見て動きのダメ出しをするのがいつもの訓練
だった。
 ジンと秘密の特訓を始めて4日、尉官との対戦は3日後という事で残る時間は少ない。
 元々一週間しか猶予がないと言う事もあって、ジンは容赦ない短期間の集中特訓をコラ
ルに施していた。
 ジンの指摘はストレートで厳しいものだった。
 時には「動きを直さねぇなら帰れ。それか俺が帰る」と、実際帰ろうとしてコラルを泣
かせたりもした。
 だが、コラルはそれに負ける事なく、必死にしがみ付き基本を繰り返した。
 折角のチャンスだから、逃したくなかったのだ。
 結果、動きはじょじょに改善され、基本的な動きをマスターするまでになっていたのだ
った。

 そして、今日もいつもどおりの指導が始まる、筈だった。


 ――リリリリリ


 不意にコラルの腕にある時計から、ベルが鳴った。
「え、な、何!?」
 聞いた事も無い音が腕時計から鳴ったのに驚いて、コラルは思わず右腕をぴんと伸ばし
た。この腕時計は通信用に本部から配布されたもので、携帯の機能も兼ね備えた便利な物
だった。
「……指令のベルだな、と、お前、はじめてかよ」
「え、はい。候補生の私になんだろう……」
 戸惑いながら時計のスイッチを押し、小さな画面を空中に展開させる。
 コラルはまだ腕時計の機能を理解していないのか、不慣れな様子だ。そしてメールを確
認して……

 ぴくり、と、少女の顔が引きつった。

「……んだよ、変な顔しやがって」
「ど、どうしよう大尉、私……」
「んだよ」
 ジンは若干苛立ちながら、動揺して上手く説明できていない少女の手元を強引に覗き込
む。そして慣れた手つきでメールを勝手に展開させ、ふんふんと読み始めた。
「……なるほど、緊急の出撃命令じゃないか」
「で、ですよね。っていうか、まさか候補生の私にこんなに早く……」
 おろおろとするコラルを鼻で笑い、ジンはやれやれと首を振った。
「速いも遅いも関係ねぇよ。VRになった以上、俺達は戦場の駒だ。……なるほど、タイ
マンの勝ち抜き戦、か。候補生同士のやりあいとは、物好きな投資家も居たもんだな」
 勝手にメールを読み進め、ジンは一人で納得する。
 そんなジンのペースについていけず、コラルはオロオロする一方だ。
「え、えと、明日の昼、この基地の演習場で、対戦……、でいいんですよね?」
「あぁ、そうだな。まぁ、がんばれよ」
「そんなぁ……」
 初めての戦闘、しかも突然の出来事にコラルは不安で仕方ない。
 だが、一方のジンはあっさりしたものだ。
 そんなジンにコラルは涙目になりつつも、「これも大尉なりの指導なんだ、甘えるなっ
て事だ」といいように解釈して涙を拭う。
 ふと、何かに気づいたのか、コラルはふんと気合を入れなおすとぴんと胸を張った。
「だ、大丈夫……! そうよ、相手も同じ候補生だし。うん、こうして大尉に見てもらっ
て毎日がんばってる、と思うし、うん。それに負ける訳には……!」
 自分で自分を励ますコラルを横目で見ながら、ジンは勝手にメールを自分に転送し、対
戦表に目を通し始めた。

(…………これは、厄介だな)

 それまでどうでもよさそうにしていたジンだったが、対戦表に目を通した瞬間、表情が
僅かに濁った。
 DNA対RNA。それはいい。
 5人対5人の勝ち抜き戦、これも構わない。
 唯、問題は大将の位置にコラルの名が書かれていることだった。
 コラルはフェイイェンで、通常候補生が所持する事がない機体だ。
 VR達の戦いは、所詮は見世物で、喧嘩の道具。
 派手な方がウケがいいし、フェイは戦場の華だ。
 それ故にこの位置に配置されたのだろうが……

(それにしても、どうだろうな)

 初の戦場で、しかも仲間達の最後を任され、そして相手は……おそらくDNAの大将の
サイファーになるだろうとジンは予測する。

 ふと気になって、ジンはRNAのデータバンクにアクセスし、データの海をバイザーに
表示させた。
 ジンは大尉という階級のそれ以上の権限をもっている。そのせいでシークレット扱いの
データにも容易にアクセス出来るのだった。
 ジンが調べたのは、相手のサイファーの素性。
 上層部の誰かが一度調べていたのか、そのデータはあっさりと発見する事が出来た。
 
 が。 

「……これは、お前には少し荷がおもいぜ?」
「……え?」
 ジンのつぶやきを聞いて、コラルが顔を強張らせる。

 データによると、このサイファーは唯の候補生ではなかった。
 傭兵上がりの候補生、と記されていたのだ。
 つまり、階級が低いだけで実力はそこそこある、という事だ。
 
「どうしたんですか? 大尉……」
 不安げなコラル呟きを聞きつつ、ジンは更にデータを漁る。
 相手が『嫌な戦い』をする相手でないことは資料で理解できた。回避重視の典型的なサ
イファーらしかった。
「た、大尉?」
「お前」
「は、はい?」
「とりあえず落ち着いてやれ、んだら勝てるかもしれん」
「は、はいっ」
「まぁ、負けても気にするな。どうせ下っ端の戦いだ、戦局にでかい影響はない」
「は、はい」

 コラルが戦場へ向かう様を思うと、ざわざわと、ジンの心が揺れた。
 ――周りのざわめき、ダメージから来る体の痛み、緊張感、焦り。
 昔の自分を、初めて戦場に立ったその時の事を思い出し、揺れた。

 自然と、ジンの頭の中でシュミレーションが開始される。
 データで知ったサイファーの動き、思考を分析し、それを今のコラルに当てはめて戦わ
せる。
 結果は、あっさりしたものだった。
 コラルの敗退、だ。

 ざらり、と心がざらついた。
 コラルがいい様にあしらわれるさまがシュミレーションで導き出される程、心のノイズ
が激しくなる。
 それと同時に、過去に受けた激痛を思い出しそれをコラルに重ねて拳を握り締める。
 コラルの対戦をシュミレーションする事で過去の対戦をリアルに思い出し、その痛みが
今になって新鮮に蘇ってきていたのだった。


「お前、『殺された』事、あるか?」


「……え?」
 ジンの言う言葉の意味が解らず、コラルは眉根を寄せる。
「VRになってから、体を『殺された』事があるか、と聞いてるんだ」
「え、あ、ない、です。話に聞いた事しか……」
「……だろうな」
 そういうとジンは、眉根をぎしりとよせ、険しい顔になっていった。
 
 人がVRになると、超人的な能力が体に付加される。
 骨折などの大怪我も、内臓への無茶苦茶なダメージも、極端に言えば腕や足が吹っ飛ん
でも、Vディスクのコンバート能力とそれを応用した治癒施設の技術のおかげで、ものの
数時間で回復(再生)できる体になるのだ。
 つまり、VRになる=簡単には死なない体になるという事でもあった。
 最悪、肉体が死んでしまったとしても、数時間のうちに回収、治療が出来れば蘇生は可
能だった。それがVRだった。
 命を懸けて挑み、戦わされ、治される。
 例え死にたくても、終わらせたくても簡単には終わらない。


 そして、その時に受ける痛みは、人間であった時となんら変わらないのだ。


 痛みに耐え切れず心が負けてしまえば、それは精神が死んだも同意義だった。
 そうなってしまった魂はいとも簡単にVディスクに取り込まれ、無限ともいえる出口の
無い電脳空間に迷い込み、二度と帰っては来ない。
 それほどの痛みであっても、幾度も繰り返すにつれ、人は慣れて順応していく。
 徐々に慣れるとはいえ、あの感覚が好きな奴は狂ったバカ位なものだろう。

 問題は、コラルがこの痛みを知らない事にあった。
 候補生はまだ簡易的な模擬戦しかやらせてはもらえず、基本、データでダメージを換算、
成績を判断する。それ故、本当の痛みを知らないまま戦場に派遣される事が殆どなのだ。

 RNAは実力主義だ。
 力の無いものは必要ないし、弱い者の存在は認められない。
 耐え切れなかった候補生は魂の死を向かえ、使い物にならなくなったらあっさり廃棄さ
れる。
 ふるいにかけられるのだ。

 それがRNAの兵士として生き残る為の、最初の難関でもあるのだった。


「知らない、か」
「?」
 ジンが目を伏せる意味が理解できず、コラルは首を傾げた。

 不意にジンが何処かに向かって通信回線を開く。
 そしてコラルから少し離れると、小声でなにやら話し始めた。


「あぁ。朝から悪いな。……うるせぇよ、頼みがあるんだ。そうだ。文句言うなよ、ロキ。
俺のが貸しが多いだろうが。……なんてことねぇよ、今から俺用のラボを起動させてほし
い。……聞くなよ、うるせぇ。俺のを俺が使うんだ。使い道? どうでもいいだろ、じゃ、
頼む」


 ぷつ、と回線を一方的に切り、ジンはコラルに視線を向けた。
 その視線に、コラルの背筋がゾクリと総毛立つ。
 さっきまでとは全く違う、あまりに鋭い、赤い視線だった。
 それはまるで危険を知らせる鮮やかなシグナルレッドの様な色だった。


「――俺が、相手してやる」


 ギチリと拳を握り、鋭い目線でコラルを射抜く。
 その圧力に押され、自然とコラルの足がガクガクと震えだした。
「……た、大尉?!」
 今まで「めんどくせぇ」と直接相手をしてくれなかったジンが、今初めてコラルに向け
て戦意を放っていた。
 初めて憧れの伝説のアファームドと戦えるという喜びも、どこかにあったかもしれない。
 ただそれ以上に、コラルはその迫力に押されていた。
 ジンの意図が見えなくて、不安にも似た揺らぎを感じてしまう。
 感じた事の無い恐怖が、じわりと滲み出す。

(でも)

 コラルは顔をあげ、ジンを見上げる。
 コラルはジンを信じていた。
 ジンと出会って数日しかたっていなかったが、この数日が何よりもジンを信じる事につ
ながっていた。
 大尉の言う事を忠実に守って動くだけで、確実に勝率が上がっていった。
 知らなかった動きを覚える楽しさを知った。
 その事実は確実にジンへの信頼に繋がっていたのだ。
 意図は見えないが、何か配慮のあっての事と思い、コラルは震える手で剣を翳す。
「わ、解りました、精一杯行きます」
「全力で来い。相手がサイファーだろうがなんだろうが、所詮は下っ端だ。俺より強くね
ぇ。俺が教えてやる。俺を知ってれば、『怖くない』筈だ」
「…………!! は、はい!」
 そういう事か、と納得し、コラルは意識を研ぎ澄ませる。
 ――この恐怖に打ち勝てれば、これを知ればきっと明日の相手は怖くない。
 相手は伝説のアファームド。
 DNAの戦士達を震え上がらせた戦士。
 信頼すべき師匠で、意味のないことなんかしない尊敬する大尉なのだ。
 コラルはありったけの勇気を込めて、ジンを睨み返した。
 少しも目を離すこと無く、あの冷たい赤い瞳を睨む。
 心に蘇るのは、ジンにダメ出しされた注意すべき動きの数々。
 いつも言われている事を心の中で反復し、ぐっと手に力を入れる。


「正し、――俺は手加減しない」


「……え?」


 ――get ready?
 戸惑うまもなく、耳元で機械音声が響く。
 開幕、ジンがどう動くか、把握しようとして――だが、もう目の前にはいなかった。
 CPUや同じ候補生たちと全く違う、異質なまでの速さ。
 一瞬、前に迫ってきたかと思うともう消えていたのだった。
「っ!?」
 ゴス、と背中から重い一撃が入り、視界が歪む。
「ひぁっ……」
 それは予想を超える痛みだった。
 感じた事の無い痛みが、コラルの背に響いた。
「まだだ、立て直せ」 
「いうっ……!」
 激痛をこらえ、走り――そこからは無我夢中だった。




「ジン! 止めろ!」
 結界を強制的に解除し、突然赤いVRが乱入してきた。
 ジンが振り下ろそうとした腕にミサイルを撃ち込み、背後から喉元にナイフを突きつけ
た。
「……」
 ジンは忌々しげにゆっくりと視線を後ろに向けた。
 赤い機体は、ストライカーのロキ――昔の同僚だった。
「……んだよロキ、何しに来た」
「何しにって、お前が変な事頼むから何事かと見に来たんだよ!」
「来いとは一言もいってねぇよ」
 苛立った瞳でロキを睨み、ジンは突きつけられたナイフを何の迷いもなく素手で握った。
 ナイフが手のひらに食い込み血が溢れるのも無視して、ジンはそのナイフを首元から引
き剥がした。
「もう十分だろ、ジン。早く連れていかねぇと、この嬢ちゃん死ぬぞ!? 『殺す』気か!?」
 凄むロキに、ジンはにやりと笑う。
「そうだよ、なんだよ、文句あるか?」
「候補生相手に大人気ねぇことすんなよ!」


「俺がこいつを『殺す』。……他にやらせてたまるかよ!」


「……って、お前……」
 ジンが発した言葉に、意外、とでも言うようにロキは表情を変える。
 そんなロキの顔を見ると、ジンは興が殺がれたとでも言わんばかりに表情を素に戻した。
 そしてやれやれと首を振った。
「……るせぇ、ほっとけよ」
 地に伏せたコラルは意識を失い、最早動いてはいなかった。
 だが心は死んでいないようで、まだ左手は剣を硬く握ったままだった。
「……っていうか、お前、動けてるの、か?」
 ロキの問いに、ジンはしらを切った。
「さぁな。気のせいだ。忘れろ。いいな」
 ジンはロキを振り払うと、コラルを適当に背負い歩き出した。
 少女の体からとろとろと流れる血が、男の体を赤く濡らしていた。
「……まぁ、やりすぎた、かもな」
 どうして急にコラルを『殺そう』と思ったのか、自分でも良く解らなかった。
 ただ、「他の奴にやらせるくらいなら、最初は俺の手で」とそう思ったのかもしれなか
った。
 たんたんと中央階段を降り、早々に自室の隣にあるラボへと足を向ける。
 もう1年は使ってないラボだったが、入ってみれば昨日まで使ってたかのように自然に
機能していた。



「……おい」
 巨大なカプセルの中に少女を寝かせ、呼びかける。
 すると、苦悶の表情を浮かべながらも、少女は目を開いた。
「痛いか」
「……は、い」
 痛いのは当然だった。
 普通の人間なら、もう死んでいておかしくない攻撃を叩き込んだからだ。
「……もう、戦いたくないだろ」
 事実、この痛みのせいでVRになった事を後悔する者も多かった。だが、VRは止めよ
うと思って止められるものではなく、特別な処置を施さない限りは『人間』という位置に
戻る事は出来ない。
 コラルは、いや、全VRは敗北の度にこの痛みと戦い続ける事になるのだ。
「止めたかったら言え。今ここで息の根止めてもいいんだぜ?」
「……」
 少女は無言で、だがゆっくりと首を横に振った。


「……平気、です。だって、大尉が、本気で、教えてくれた、痛み、だから」


 笑顔だった。
 眉を寄せて、体を震わせて、それでも少女はジンを見て笑ったのだった。
 その笑顔はジンの奥を切なく握り締めた。
 妙に、胸の奥が苦しくなった。


「……んな事、言うなよ」


 視線を逸らし、荒々しく蓋を閉め、スイッチを押してカプセルに治癒用の溶液を満たし
ていく。
『たい、い』
「心配すんな、ここのは無駄に高性能だからな。昼までには余裕で完治する」
 少女の体は溶液に満たされ、こぷん、と沈み、たゆたう。
 赤い溶液は淡い光を放ちつつ、『殺された』コラルを治していった。

 ジンの中で、色んな感情が渦巻いていた。

 久しぶりの実戦。
 絶対敵わぬ敵にも向かおうとするコラルの強い意志。
 そのコラルの発する悲鳴、呻き。

 『殺したい』と思った、その理由。

 だがジンは、わざとそれらから目を背けた。
 考えないように、むしろ考えてはいけない、気づいてはいけないというように感情に蓋
をして、いつものようにただ天井を見上げる。
 何も考えない。考えたくなかった。

 ふと横を見る。
 溶液の中をたゆたうコラルは、どこか心地よさそうに眠っていた。

 ざらり、と、また心がざらついた。
  
「……めんどくせぇ」

 力なく呟き、ジンはソファーに身を投げ出した。





「はい、ジンは覚醒しています。動きは当時より劣っているものの……えぇ。問題はなさ
そうです。……了解、……監視を続けます」

 海風に黒髪をなびかせつつ、赤いストライカーはぷつりと回線を切った。
「……あー、俺、いつかきっとジンにマジ殺しされるよなぁ。あぁあ、全く、軍人ってめ
んどくせぇなぁ」
 かつて一緒に戦ったジンを思い、ロキは苦笑した。


 夜が明け、トライアンフを鮮やかな朝日が照らし上げていく。
 運命の歯車が、動き出していた。





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