RNA前線基地のひとつ、トライアンフ前線基地。
海沿いに位置するその基地は、あらゆる機能を有している巨大軍事施設だった。
トライアンフには巨大な箱型の棟が三つ並んで存在していた。
左に位置する棟は、装備、弾薬、食料などの軍需物資の備蓄されており、一部VR開発
や改良なども行われている。通称倉庫棟と呼ばれているのがこの建物だ。
中央の棟は通称本館と呼ばれており、作戦の指令、各戦場へ赴く戦士達への指示、近隣
の独立部隊などの指示などもここから行われる。他にも、新しい戦士の選抜や新人達への
訓練も本館の人間の担当だ。
右の棟は兵舎で兵士達の住居だ。そこでは傷ついた戦士達の回復施設や食堂等、生活に
必要な物はある程度そろっており、住居区では上の階へいけばいくほど階級の高いものが
住んでいるという図式になっていた。
そこで生活する戦士の数は、およそ百。
トライアンフにいる戦士達は皆ある程度選抜されたメンバーで構成されており、RNA
の中でもそこそこ腕の立つ者が暮らしていた。
そんな前線基地の兵舎の最奥、最上階の突き当たりの角に、明らかに優遇され広めに作
られた部屋があった。
まるで小さな家族が住まえるような3DKの部屋。
その一番奥の部屋のベッドの上に、死んだように横たわる男の姿があった。
死んだよう、といっても、傷ついて疲れ果てているわけではない。
目が、死んでいるのだ。
部屋の中にはあまり荷物は無く、殺風景な事この上ない。床には乱雑に衣服が積まれ、
生活しているというにはあまりに生気がなかった。
不意に、横たわる男の指がぴくりと動く。
「……夕方、かよ」
頭上の時計に目をやり、男はもそりと身を起こした。
男の年齢は二十二。
深緑の髪、光のない赤い瞳。鍛えられた筋肉で覆われた締まった体は、いかにも『戦士』
といった風貌だ。
だが、戦士であるはずの男の瞳には戦う意欲など全く見えなかった。
ふと、男は枕元に無造作に置かれたバッジに目を向ける。
青地に六角形のマークが中央に一つ、それはこの男の階級が『大尉』であるという事を
示していた。
「……」
男は目を細め、薄く笑った。
戦場での出来事が、もう何年も前の様に思えたからだ。
男の名はジン・ファマード。
かつて戦場で名を馳せ、その実力ゆえに階級を無視してRNAの上層部にいる事を許さ
れた男だった。
彼が駆るのは漆黒のアファームド・ザ・バトラー。
シャドウカラーを思わせる漆黒のアファームドは、どの戦場においても抜群の存在感を
放っていた。
彼が戦場に現れるたびに、DNAの戦士達は身を震わせた。
彼が往く戦場は、常にRNAが勝利を収めた。
ジンといえばアファームド、ジンという名を知らぬものはいない、そう言わしめる程だ
った。
だが、彼は突然戦う事をやめた。
いや、戦えなくなってしまったのだ。
理由は単純なものだった。
戦う事に、意味を見出せなくなってしまったのだ。
戦場でいつも感じていた昂ぶりはぷつんと途切れたように感じなくなり、命を削りあう
ような戦いも、もう彼を燃やす事はできなかった。
戦おうにも、体が動く事を拒否していたのである。
Vコンバーターを起動させ、強引にアーマーを身にまとってもそれは無駄な事だった。
アファームドの装甲を身に纏った瞬間、体が動かなくなるのだった。
自身も困惑していたが、もっと困惑したのは周りのほうだった。
戦場でしか生きられぬと言われた戦闘狂のジンの突然の決断に、RNAは揺れた。
実力主義のRNAでは、戦わなくなった男など必要無い。
ジンも切り捨てられると思っていた。
だが、RNAはジンを手放しはしなかった。
彼の写る戦闘映像は人気が高く、放送されれば必ず高視聴率を収めていた。
実力は確かで、彼を有しているというだけで戦術のカードになる程だった。
放逐し、どこか他の勢力に加担されても厄介だ。
――そこに『存在する』というだけで、価値がある男――
結果、ジンは軟禁とも言える状態に置かれた。
特別に作られた部屋をあてがわれ、前線基地の外へ行く事を禁じられ、
そうして一年の時が過ぎた。
眠気覚ましの熱いシャワーを浴びながら、ジンはうつむく。
「……、いつまで俺を飼っとく気なんだ」
この一年、何もしてなかったにもかかわらず、RNAはジンを手放さなかった。
「……」
バスタオルで荒く体を拭い、いつもの様にその辺に投げ、ジンはベッドに座りこむ。
目を閉じれば、戦闘の様子が見えてくる。
それはもう、癖の様なものだった。
勝手に始まったシュミレーションに反応して、体がぴくりと動く。
ぎりぎりでの戦い、牽制、競り合い、近接での攻防、あの戦場での光景がよみがえり、
鼓動が高まり、口の端がにやりと上がる。生気の無かった瞳に、わずかに光が灯る。
が。
相手を打ち倒した瞬間、ジンの瞳が曇る。
理由など、分からなかった。
つまらない、と、そう感じるのだ。
ただ戦うという事が、ジンにはできなくなっていたのだ。
もう殆ど敵なしの状態だったせいもあるだろう。
ジンと単体で張り合えるのは、赤バッジの連中か、白虹の騎士くらいだと言われている。
いくら戦場広しと言えど、そんな戦士がごろごろいるはずも無く。
「……」
戦場の空気は好きだった。
別に、戦いが嫌いになったわけでもなかった。
だが、もう行く気になれなかった。
行く為の、理由が無かった。
不意に海風がばさばさとカーテンを煽る。
そういえば、もう一週間は部屋から出てなかったな、と思い窓の外を見た。
時刻は16時30分。
沈みかけた太陽が、海岸線を赤く彩り始めていた。
なんとなく外が恋しくなり、ジンはTシャツを引っ張り出す。軍から支給された迷彩の
ズボンを履き、ベルトで軽く締める。
「……少し、歩くか」
床に散らばった衣服やタオルを適当に足でまとると、彼は部屋を後にした。
「……お! お前、ジンじゃねえか!」
兵舎から本館へとつながる巨大な渡り廊下の上で、うつむき歩くジンを引き止める声が
あった。
中途半端に長い黒髪をうしろでまとめ「よう!」と片手を挙げたのは、かつて同じ部隊
で共に戦ったローキス・レマンドだった。機体はストライカー。見た目の相性からか、二
人はよく組まされて戦場へ行ったものだった。
「ん、ロキか」
「んだよ、相変わらず引きこもってんだな。てめぇはよ。こっちが命削って戦ってるって
のにな!」
「しゃぁねえだろ」
「ま、わからんでもねぇよ」
戦友は拳を差し出し、にっと笑う。
ジンはその拳に自らの拳をつき合わせ、同じように笑う。
だが、戦友の表情はすぐに曇っていった。以前とは明らかに違う、ジン生気の無い笑顔
に耐えられなかったのだ。
「……お前、ホント死んでるのな」
「……」
ジンは無言だった。
そんなジンに、ロキは大げさに明るく笑ってみせる。
「今はそれでいいけどよ、俺らはさ、お前が戻ってくるのをずっと待ってるぜ?」
「もう一年も戦ってねぇんだ、戻ったところで足手まといだよ」
「んなことねぇって。体に染み付いた動きはそうそう消えやしない。その気になって戦場
に戻れば、考えるよりも勝手に体が動くって」
「だといいがな」
目を伏せつぶやくジンの拳が、ぎちりと固く軋む。
「……本当に、動かなくなっちまったんだな」
「あぁ。なんでだろな」
動けなくなったジンを治そうと幾人かの研究者がついたが、いずれも解決には至らなか
った。
初めはVクリスタルが何らかの影響をあたえているのかとの意見もあったが、ジンのV
ディスクは最上級の品質の物だからそれはまずありえないとされた。
心理的ななにかが影響しているのは明らかだった。
かといって、ジンにそれをどうにかできるわけでもなかった。
「わりぃって、思うよ……どうしてもな、リバコンしたら体が動かなくなるんだよ」
目を逸らすジンをみて、ロキは笑って話題を変える。
「……。そうだ、俺さ、ようやく中尉になったんだぜ? お前にゃまだ追いつかねえけど
さ?」
「お、良かったじゃねえか」
「お前もさ、大尉なんて実力と見合ってねえ階級与えられてさ」
「RNAは階級なんかよりも、実績だ。ここはそういうトコだろ」
「ま、そうだよな。俺もそれがあるからRNAを選んだ訳で」
海風にあおられながら、ロキは海岸線へと目をやった。
トライアンフの三つの棟は十階建てで、ここは最上階の十階の渡り廊下だ。眺めはいい。
ここが軍事基地でなければ、最高級のリゾート地だったかもしれない。
左側には巨大な演習場が複数、そして右の方には延々と続く海岸線が見える。
「俺さ、今度でかい作戦に参加すんだよ」
赤く染まっていく砂浜を眺めながら、ロキはタバコを取り出し咥える。
ライターの火がちりちりとタバコの先を炙り、ロキが軽く吸うとタバコの先がじりじり
と燃えていく。
「……でかい、か」
「最近大規模なのが増えてきてんだよ。もう安い戦闘じゃ誰も反応しないのさ。あとは、
精鋭同士が殺しあうようなのがうけてるくらいだ。おかげで名のある戦士もお前が知って
そうなのは半分は死んだ筈だ。金を出すスポンサーの二割はどっかの企業でさ、けりの付
けあいに俺らを使う。残った八割はバカみたいな金持ちばっかりで、この戦争はさ、完全
に金持ちの道楽になっちまったんだよ。あいつらは俺たちで陣地取りゲームやって暇潰し
てんのさ」
細く煙を吐き出しながら、ロキは苦笑する。
自分達はただの戦う駒であって、それ以上でも以下でもないのだ。
ただ、与えられた戦場で命を懸けるだけ。
生き残れればめっけもの、死んだらそこで終わりなだけだ。
「……長いよな、この戦争は」
タバコを燻らせるロキの隣で、ジンは手すりにもたれかりながら呟いた。
「オラトリオタングラムが始まってもう五年になる。今や戦場は火星、木星にまで広がっ
た。……おわりゃしねぇよ。こんな戦い」
「だよな。……でも俺はそんなバカな人間は嫌いじゃねえ。……だから志願した、なのに
な」
「はは、俺ら、同期だったよな。四年前、一緒の試験会場でさ。お前が強いのなんのって」
「お前も相当めんどくさい奴だったよ」
お互い苦笑しながら沈みゆく夕日を眺める。
海風が二人の間をすり抜け、どこからともなくやってくる夜の匂いをふわり置いていく。
「……じゃ、俺はいくわ。またな」
「……おう」
こつんと拳をぶつけ合い、ロキは本館へと戻っていく。
苦いタバコの香りと潮風だけが、ジンの周りに残った。
ふと、反対側に目をやる。
そこには巨大な演習場があった。色んな場所での戦闘を想定し、三種の趣の異なる演習
場が並んでいる。
三種の演習場の中央、エアポートを模した演習場には幾人かの兵士があつまっており、
VR達が一対一の模擬戦を行っていた。
「……ちょろいな。新人か」
上からだと分かりにくいが、戦ってるVRの動きを見ていると明らかに錬度が足りない
動作だと分かる。
審判として場を監視しているのは、若いテムジンだ。カラーは薄い桃色。
(桃色……って、あぁ、桃源郷部隊のテムか)
桃源郷部隊とは、少年少女ばかりで構成された特別部隊で、外観の優れた兵士ばかりを
集めて作られた私設部隊の事だ。それを見て、ジンは思い出したくもない変態の顔を思い
出し、思わず苦い顔になった。
エアガイツ少将である。
ロリ・ショタ・変態等、いささか不名誉な二つ名で有名なガイツだが、その実力は確か
で、RNAでもかなりの力を持つ男だった。もちろん、桃源郷部隊はガイツの私設部隊だ。
そんなガイツは、トライアンフでは新人研修の部門を統括していた。
明らかに私情の混じった役回りだが、彼の人を見る目はかなりのものだから仕方がない
気もする。
「……ん」
そんな事を考えてるうちに戦闘が終わり、休む間も無く再び次の戦闘が始まる。
負けた者が起き上がり、また新たな敵役に向かって走っていったのだ。
「……ふぅん」
なんとなく覗いてみたくなり、バイザーだけを部分的にリバースコンバートさせる。
久しぶりに稼動させたにもかかわらず、背中に現れたVコンバータは機嫌よくバイザー
を具現化させる。
まるで、動き出すのを待っていたかのように。
「……んだよ」
バイザーにすら現場復帰を促されているようななんともいえない気分になりながら、ジ
ンは演習場へと視線を向ける。
バイザーの表示を外部モードに切り替え、戦闘のライブ映像を写すモニタに無線のチャ
ンネルを合わせ、下で戦う者と照らし合わせ捕捉する。
戦っているのはフェイ―イェンとテムジンだった。
(新人でフェイとは、珍しいな。しかもカラーを変えてやがる)
ベビーブルーに似たカラーの青いフェイを見て、ジンはふぅん? と眉を上げる。
フェイ―イェンは高価な機体で、下っ端に与えられる機体ではない。
だが、戦闘成績が優秀だったり相性の問題だったりで、時折こうして初期段階からレア
機体を駆る事を許される者もいる。
青いフェイの動きを見る限り、成績というよりは相性で与えられたパターンのようだっ
た。
動きは悪くないが、なにせ戦術が甘い。というか基礎ができていない。
まだまだフェイの力を理解しきれていないようで、じわじわとテムジンに追い詰められ
……
「負けだな」
テムジンの牽制にひっかかり足が止まった所を狙われ、あえなく沈められる。
だが勝負はそこで終わらなかった。
フェイはまたふらふらと立ち上がり、そして勝利したはずのテムジンが再び襲い掛かっ
ていったのだ。
「……お?」
一瞬、レア機体を標的にした弱いものいじめなのかと勘ぐる。
だが、そうではないようだった。
フェイが、自ら望んで戦っている様だった。
よく見ると、フェイを駆っているのは女だという事が分かる。フェイのディスクに気に
いられ体の成長が変化したのか、例の如く年齢は十四前後に見えた。
短いツインテールを夕闇の風に揺らしながら、少女は果敢に立ち向かう。
フェイは牽制の弾にぶつかりながらも前へ前へと走って行き、ソードを振りかぶってテ
ムジンへと斬りかかっていった。
「……ふぅん?」
なかなか前向きな戦い方だ。悪くはないな、と目を細める。
不意に仕掛けられた近接に対応できず、テムジンはバッサリと斬られ……
「お、勝った」
フェイは勝利し、しゃなり、とポーズを決める。
どこかしっとりとした可愛らしい勝利の舞だった。
これで終わるか……と思ったら、
「……んあ?」
再びフェイはほかの者を相手に戦いだす。
どこか必死にも見えるその様子に、ジンは眉を寄せた。
「……なんだ、あいつ」
ジンは、ちょっとの間眺めていようと思い、渡り廊下の手すりにもたれかかり下を向く。
負けても負けても食い下がる。勝っても戦いを止めない。
昔の俺もあんな時があったな、と、ふと思い出す。今はVRとして体を動かす気にもな
れない。だが、ジンの中で何かがじわりと疼いた。
気がつけば、あっというまに二十戦目だ。ここまで連続で戦う者もそうはいない。
「……お、やっと戦うのをやめたな」
結局、青いフェイの挑戦は日が沈むまで続いたのだった。
再び部屋に戻ったジンは、ベッドの上にごろりと横たわる。
ジンの部屋は最上階の角部屋だ。
最上階は上層部クラスの人間が住む場所で、立ち入りも厳しく制限されている階でもあ
った。大尉という階級でこの階に住んでいるのはジン一人で、ほかの住民は将官クラスの
人間ばかりだ。
開けっ放しの窓から、夜の匂いと潮の香りが容赦なく入ってくる。
なんともいえない緩い空気を感じながら、ジンは頭の中でまたシュミレートを始めた。
不思議と、ジンの相手はあの新人の青いフェイだった。
(……あいつ、やたらがんばってたな)
シュミレートが始まり、――だが一瞬でフェイが崩れ落ちる。
漆黒のトンファーが少女をぶん殴り、鮮やかに吹っ飛ばして『終了』だ。
(……なんでこんな無駄なシュミレートしてんだよ)
ずっと見ていたせいかもしれない。
やれやれ……と思っていたその時、事は起きた。
「ジ、ジン大尉!!!」
部屋のロックが勝手に解除され、開いたドアの向こうで震えた可愛らしい声が自分を呼
んでいる。
「……あ?」
緊急事態の呼び出しかとも思ったが、引きこもりのジンにそんなものが来る筈も無い。
もし何かあったなら、通信で何か先に連絡が入る筈だ。
入り口のセンサーが、入ってきた人間をRNAの一般兵士だと読み取り、ジンの枕元に
あったTVモニターにその事を映し出す。
(どうやってロックを解除したんだよ、ていうかここは一般兵士は立ち入り禁止だぞ?)
そんな事を考えながら身を起こし、ジンは入り口へ向かう廊下へと目を向ける。
「し、失礼、しますっ!」
バン、と寝室の扉を開け放って現れたのは、青い髪の少女だった。
頭上で髪を二つに括り短めのツインテールにしていて、身に着けているのは黒いチュニ
ックと軍支給の迷彩のミニスカート。幼さの残る面立ち、薄い桃色の唇をきゅっと引き結
び、珊瑚の様に赤い大きな瞳でがっちりとジンを見据えている。緊張しているのかなんな
のか、胸の前で揃えている両手は若干震えていた。
(え、女……かよ?!)
女と男は宿舎が分かれており、夜間のお互いの行き来は禁じられている。その上ここは
セキュリティーの一番厳しい最上階だ。そう簡単に最上階の住人以外が入れるはずも無い。
最上階にこんな住人はいない。ましてやモニターの表示では一般兵士と出ている。
だから、今ここにこの少女がいる事が何かの夢か冗談にしか思えなかった。
「お前……なんだよ。勝手に他人の部屋に入ってきた上に、軍の規律まで破ってよ」
低めの声で威嚇すると、少女は怯えたように一歩下がる。
が、少女は引き下がりはしなかった。
むしろ、恐る恐る一歩前へと踏み出し、そしてすぅっと息を吸い込む。
「大尉……ジン・ファマード大尉、ですよね?」
少女は声を震わせながら、ジンに名を尋ねる。
やけに真剣なその声が、非常ボタンに手をかけていたジンを引き止める。
「……そうだが、お前は誰だよ」
「わ、私は、コラル・リーフです! 先週、RNAに入隊が決まり入ったばかりです、階
級は候補生です!」
精一杯敬礼し、少女は名乗りを上げる。
なるほど、胸元には真新しい候補生のバッジが光っている。
「……で、候補生が、何しにきたんだよ。俺が誰か、知ってるんだろ?」
ジンは低く問いかけた。
こんなただの引きこもりに規律を破ってまで何の用があるというのか。
ましてや夜の男の部屋に女が乗り込んでくるなど、常識で考えても無防備にも程がある。
「知ってます! 一年前、突然戦場から姿を消した、伝説のアファームド……、新人でジ
ン大尉の名を知らない者なんていません、から」
少女の熱を帯びた瞳に、ジンの表情がわずかに緩む。だが、ジンは声のトーンを変えず
に、もう一度問いかけた。
「……知ってるなら尚更だ。俺が今戦ってねえ事も知ってるだろ? ……戦いを忘れたア
ファームドに、何の用だってんだ」
ジンのその言葉を待っていたかのように、少女の瞳に一層熱がこもる。
「お願いします、私を……、私を、弟子にして下さい!!」
「…………あ、何だ……と?」
予想外の少女の台詞に、思わず声が裏返る。
「私、どうしても強くなりたいんです。夕方、大尉が上から見てるの、見たんです。噂の
アファームドは、生きてたんだって、私、嬉しかったです」
(おい、俺、死んだ事にされてんのかよ)
まぁ、考えれば兵士の安否確認はTVで流れる戦闘が手っ取り早いわけで、強者がTV
に写らなくなれば、死んだと思われてもおかしくはない。
それに、ある意味本当に死んでるようなものだからそれに反論できそうもない訳だが。
「お願いです、私を……!」
「って、うるせぇよ、何で俺が……、って、お前ッ!?」
ジンの台詞を無視して、不意に少女の体が光に覆われる。
これはリバースコンバートだ。しかも――
「……おい」
ベビーブルーに似た青いカラーの装甲が少女の体を覆っていく。胸元にはハートの装甲、
左手には剣、ふわりとしたスカートをなびかせて、間違いない、夕方に見たあの――
「お前、あのフェイか――って」
「やあぁっ!!」
問答無用で少女はジンへと斬りかかる。横薙ぎに払われた剣が、ジンに迫り――
「――っ!」
迫る切っ先、少女の必死な眼差し。
とっさの事態は、戦士の目に僅かに光を引き戻した。
ゴウッ、と唸りを上げ、ジンのVコンバータがリバースコンバートを始める。
漆黒のアーマーが体を覆い、バイザーが装着される。
両腕には使い慣れた漆黒のトンファー。
わずか数secの短い時間。通常ではありえないほどの恐るべき速さでリバースコンバート
が終了する。
そして。
「きゃっ!?」
「…………遅いんだよ、この素人が」
フェイの斬戟を軽くトンファーで受け止めジンは唸った。
そして素早く回り込み、一気にトンファーを振るう。
――終わった、と思った。が、その場にフェイはいなかった。
その代わり「きゃんっ!?」と間抜けな声が上から響いた。
「…………室内でジャンプかますバカがいるとはな」
頭を激しく天井に打ちつけ、目を回したフェイはふらふらとへたり込む。
若干あきれながらも、ジンは目を回すフェイに掴みかかった。
フェイの胸元を掴み、ドンと壁に押し付け、トンファーを頬に押し当て、睨む。
トンファーから伝わったぷにっとした頬の感触は、兵士とは程遠い、なんとも言えない
違和感があった。なんというか、調子が狂う。
「……なんでそんな必死なんだよ。規則破ってまでして男の部屋に押し入るだなんて、お
前、尋常じゃねぇよ。気づかれれば除隊、下手すりゃ死ぬぞ。……つか、男をなめてんの
か?」
脅しのつもりで少女のあごを掴む。
「……ひぅっ」
ジンが触れた瞬間、少女は声を震わせる。
(んだよ、めっさんこ怯えてるじゃねえかよ)
よく見れば可愛らしい顔をしている。
若干Sッ気のあるジンからすると、この反応はかなりおいしい反応ではあった。
まぁ、そういうことはおいといて。
気持ちを切り替え、もう一度少女を睨む。
目に涙をいっぱいに浮かべた少女は、だがそれでもジンから視線を離そうとはしなかっ
た。
「……言えよ。な、ここまでするには理由があるんだろ? な、言えよ」
一体何がこの少女にここまでの無茶をさせるのか、それが気になった。
「わ、私……」
「なんだ」
「強くなりたくて、RNAに来たんです。だから……戦えないVRになんか、なりたくな
いんです」
「……は?」
意味が分からず、思わず間抜けた声がジンからもれた。
(戦えない、それは俺に対するあてつけ……か?)
不意にそんな考えがよぎり、イラりと眉が軋む。
「私、所属する部隊がもう決まってるんです」
「いい事じゃねぇか。どこだよ」
「ガイツ将官私設部隊……あの、桃源郷部隊、です」
「……あー……なるほど、な」
それを聞いて、この少女がなぜ『フェイ―イェン』なのかをジンは一気に理解した。
おそらくガイツがこの少女を気に入ったのだ。確かにこの少女はかなり可愛らしい部類
にはいる外見を持っているから、あのロリコンが興味を持つのも解らなくはない。
あのガイツがこの少女を自分の好みに仕上げる為に(ついでに相性も良かったこともあ
るだろう)フェイの機体を特別に与えたであろう事は、容易に想像できた。
「別に問題ないだろう。あそこにいりゃまず死ぬ事は無い。いい思いもさせてもらえるぜ
? 一応あいつは『紳士』だからな。お前が拒めば手は出されずにすむだろ」
桃源郷部隊の少年少女は、大概がガイツの『恋人』になっているのは周知の事実だった。
ただ、ガイツは自ら手は下さない。少年少女がガイツに酔いしれ、自ら望むまでは手を出
したりはしないのだった。
一体あの男にそんな酔いしれる程のなにがあるのかジンには全く解らなかったが(とい
うか、解りたくもない)なんにせよ、あの部隊は志願しても入れるわけではないので、出
世やなにかを目指すなら、ある意味悪い部隊ではないのだ。むしろラッキーな筈だ。
「……んだよ、ガイツがイヤなのか?」
「……それも……、少しだけあります。でもそれ以上に……あの部隊に行くのがいやなん
です。あの部隊は、年に三度ほどしか出撃しないと聞きました。……そんなの、私の望み
ではありません」
「……ふぅん?」
たしかに桃源郷部隊はあまり出撃する事は無い。見た目の良さから広報的な活動にまわ
る事が多い特殊な部隊なのだ。ある意味、アイドル部隊とも言える。
身の安全よりも戦場に身を置きたいというこのRNA向きな少女の考えは、少し好まし
くも思えた。
「で、私、ガイツ少将に直接言ったんです。フェイのディスクはお返しします、どうか普
通の部隊へ編入して下さいって」
「……お前、勇気あるな」
入りたての新人が、将官からの優遇を蹴り、それを進言するなど、通常では考えにくい
事だ。行動力がある、という事なんだろう。
「……ガイツ少将は言いました。『フェイのディスクはプレゼントだ。返却は不要だ。た
だ、私の部隊に入りたくないというのは悲しい事だ。……ならばこうしよう。一週間後、
とある相手と戦ってもらう。相手は尉官クラスだ。何をしてもかまわない、それに勝てば
君を君の望む部隊に配属しよう』と……」
「…………んだと、ガイツの奴、新人の候補生相手に……尉官ぶつけるのかよ」
ガイツにしてはやけに強引なやり口だ。
よほどこの少女を手に入れたいのか。それとも。
「このままじゃ、私、絶対に勝てません。だから、私、ジン大尉に指導してもらいたくて
……こんな事を。時間も無くて、方法も他に思いつかなかったんです。申し訳ありません」
「……でもな、何で俺なんだよ」
「ずっと……大尉の戦いに憧れてたんです。今はもう戦えないって聞いてましたけど、こ
うやって、私の剣を受けてくださいました」
「……、剣を、って…………ん」
そういえば、と、リバースコンバートした自分の体を見る。
漆黒のアーマーは戦場にいた当時と全く何もかわってはいなかった。
なによりも、あれほど動かなかった体がまるで昔の様にするりと動いた。
ジンは少女に言われるまで、動いた事に気がついていなかった。
まるで動いた事が当たり前だった様に。
動かなかった事など、忘れていたかのように。
「無茶なお願いだとはわかっています。大尉は私となんの関係もないですから。警備兵に
私を突き出して下さってもかまいません。でも、大尉以外、考えられなかったんです。夕
方、お姿を見たその時、確信したんです」
少女の声が震えていた。
泣くのを、必死で止めているような声だった。
ジンは押さえつけていた手を離し、少女はどさりとその場にへたり込んだ。
「……あきらめな」
「……っ!」
「このディスクに入ってる動き。一日でやってみせろ。できなきゃあきらめな」
「……大尉っ! ありがとう、ございます! 私、どんな事でもやってみせます! どう
しよう……嬉しい」
ジンの差し出したディスクを受け取り、少女は瞳を潤ませ微笑んだ。
「この事は他言無用だ。後がめんどくさいからな」
「了解です!」
「ほら、行けよ。長居は無用だ」
「は、はいっ! で、では失礼します! 夜分に申し訳ありませんでした!」
少女は深々と礼をし、ディスクを抱えて部屋を出て行った。
少女が去り、ジンは部屋に立ち尽くしていた。
漆黒のアファームドの装甲を身に纏ったまま。
両腕のトンファーを懐かしく感じながら。
「……何故動いた」
あらゆる方法を試しても動かなかったこの体が、動いた。
命の危険を感じたからだろうか?
いや、それは違う。
じゃあ、一体なんなのか?
「……わかんねぇよ」
少女の熱意に当てられたのかもしれない。
戦いたいという気持ち、それは強くなりたいと同義だ。
別に無視してもかまわなかったが、あの必死な少女を追い返せるほどジンは無情ではな
かった。
「…………たく、ガイツの野郎、めんどくさい事しやがって」
やれやれとベッドに座り込む。
だが不思議と悪い気分ではなかった。
「コラル、って言ったな、あいつ」
少女の名を反芻し、あのまなざしを脳裏によみがえらせる。
コラルに渡したディスクの中には、VRの基礎的な動きがみっしりと詰まっていた。
それを一日で覚えて来いとは、我ながら無茶な宿題を出したなぁ、と思う。
「半分も出来てりゃ、上等だな」
リバースコンバートを解除し、漆黒のアーマーは宙へ光となって消えていく。
アファームドの赤い瞳には、僅かな光が灯っていた。
窓から入ってくる夜風が、やけにやさしかった。
そのころ。
ワンルームの自分の部屋に帰ったコラルは愕然としていた。
「え……何これっ!?」
早速ディスクの中身を確認しようと起動させたら……
「こ、これ、一日、なの?!」
中にはゆうに一週間分のトレーニングメニューが詰まっていた。
「う、嘘ぅ! で、でもやらなきゃ、強く……なりたいもの!」
少女は決意を新たにふんと身構える。
「それに……、あの伝説のアファームドが、見てくれるかもしれないんだもの。凄い事だ
よ。……絶対認めてもらわなきゃ。弟子にしてもらわなくっちゃ!」
だが、改めてディスク内容をみて、やはり愕然とする。
明日は早起きしなきゃ、と涙目になるコラルだった。 |