それは穏やかな午後の昼下がりだった。
戦艦リーベルタース三階にあるカフェテリア、(といっても、食堂から突き出した甲板
部分に、いくつか椅子とテーブルを置いただけの簡素なものだが)その一番端のテーブル
に満面の笑みで座る者がいた。
うっとりとした表情を浮かべ、頬を染め、なにやら「いいですわ……」と呟く、赤い髪
の女性、独立部隊カルディアの美人担当、エンジェランのフレーズだ。
「……なんて顔して空眺めてんだよ」
サイファーのノイモンドが、ティーカップ片手にフレーズを見下ろすが、そんな声など
聞こえないのかフレーズはうっとりとしたままだ。
「……おい」
「……!? な、何ですの!?」
肩に手を置かれ、ビクリとなってフレーズは振り返る。
「ノ、ノイでしたの、はぁ、驚きましたわ」
頬を染めたまま、若干息をあらくしてフレーズは耳にはまったイヤホンをすぽっと外す。
これで聞こえなかったのか、とノイは納得しつつ、フレーズの向かいの椅子に腰掛けた。
「……何聞いてたんだよ」
きっとろくな答えが返ってこないな、とそう思いながら、ノイは紅茶を口にする。
紅茶の香りがふわりと広がり、ノイは満足げに微笑むと通常の紅茶よりも淡い水色のそ
れにすっと目を落とす。久しぶりのまとまった空き時間だからと、とっておきの茶葉をだ
してきたのだ。
ダージリンのファーストフラッシュ。
若々しい一番摘みの茶葉は、ノイの気分を爽快にさせていた。
そんな機嫌のよさそうなノイに、フレーズはにこりと笑って小声で囁く。
「隊長と、エピカが、いま、真っ最中なんですのよ?」
ぶふぉおおおお!
ノイが激しく紅茶を噴出し、フレーズはハンカチを素早く取り出してそれをガードする。
優雅なティータイムは、突然反転してしまったのだった。
「て、お前な!? ……盗聴してんのか!?」
「あら、人聞きの悪い。私の『ラボ』ですわよ?」
「関係あるかよ!?」
リーベルタースには調整用のラボがあり、そこで回復や修復を行う。そしてそこをしき
っているのは、フレーズだ。だからといって、いい訳が無い。
「ちょっとした好奇心ですわ。設置してみたら……感度良好、バッチリですわ!」
つぅっと鼻血を垂らしながら、ぐっと親指を立てるフレーズだったが、ノイはふるふる
と首を振る。
「……たしかに、そんな所でおっぱじめる隊長もどうかしてるがな、お前、隊長に知れた
らどうなると思ってるんだよ?」
ノイの問いかけに、フレーズは、んふふ、と笑う。
「……そんな事、最初にラボに来た時点でとっくに気付かれてましたわよ? 隊長ったら
ね、それを『わかって』始めましたのよ」
「……っ、マジかよ」
「んもう、隊長ってば、ドS」
「……ドS、ねぇ」
ノイがやれやれとばかりに額に手をやる。
隊長のエルンは、普段はクールであるものの、戦闘や何かでスイッチが入ると通常では
見せないような表情に変わる。隊長と二人で戦場にいった時、ノイはエルンのそういう一
面を垣間見たのだった。
問答無用に敵のVRを屠る、その有様を。
「……まさか、エピカにバカなことやってんじゃねえだろうな?」
もしエルンに過度の加虐性があったら、それはいくら二人の問題とはいえ黙ってはいら
れない。怒りにも似た顔で心配するノイだが、フレーズはにこやかに笑っているだけだ。
「バカ、かも知れませんわね。あの隊長ったら、相当エピカを『よく』してるみたいです
わよ? 気持ちいいをしっかり教え込んでるみたいですし、それに、焦らして、焦らして、
もうそれに耐えられないエピカが甘えて超可愛い声を!!」
「……んだよ、そっちのドSかよ」
肉体的な加虐ではなく、精神的な方なのかと理解し、ノイは少しほっとして紅茶のカッ
プに口をつけ……
「って、よくねぇよ」
と、即座に否定する。
「いいじゃないですの。エピカもかなり悦んでますわよ。あぁ、エピカ……なんて可愛ら
しい声……隊長もそんなに焦らさなくても……」
イヤホンを片耳につけ、再びフレーズはうっとりだ。
「……お前」
「ノイも聞きます?」
「ぜってえ聞きたくねえ」
妹の様に可愛がっているエピカのそんな声など、興味が無い訳じゃないが聞きたくはな
い。
「ふふふ、これは私だけのものですわ〜!」
鼻息荒くするフレーズに、ノイはすっかり呆れ顔だ。
「あれ、お二人、いたんですか!」
ソフトクリーム片手に、10/80のエイヤが駆け寄る。
「お、テンパチじゃねえか。トレーニングすんだのかよ?」
「て、テンパチって言わないでくださいよ! ……はい、今すんだ所です。隣、よろしい
ですか?」
「ん? かまわねえけどな?」
エイヤは椅子を引いてそっとすわり、ソフトクリームを口にしようとして……異様な表
情のフレーズに気がつきビクリとなる。
「……ノイさん、フレーズさんは……一体……」
「……知らねえ方が幸せだと思うぜ?」
「……ですか」
エイヤはフレーズの表情からエピカがらみの何かなんだろうなぁと思いつつ、そっと目
をそらした。
そんなエイヤを見て、ノイは少し視線を鋭くした。
この10/80、エイヤはエピカに絶賛『片思い中』なのだ。
隊長とエピカの仲は、隊内でも公認もいい所だ。
相手のいるエピカだし、二人の仲を邪魔する気はさらさらないのだろうが、やはり恋す
る心は止められないのか今もその思いは継続中なエイヤだった。
まさしく、エピカにめろめろ、の状態なのだ。
本人はその気持ちを隠しているようだったが、エピカとシュトラ以外はその視線にしっ
かり気付いていた。
っていうか、ばればれなのだ。
「フレーズ、いい加減に止めと……!?」
ノイが荒く吐き捨てたその時。
それぞれの携帯に荒々しく警告音が鳴り響いた。
「これ……緊急出動ですか!?」
「……だな。本部からの緊急要請か、機体指定が入っている、ライデン、フェイ―イェン
エンジェラン……で、俺様か。このラインナップ、如何にも、だな」
ノイは苛立つように眉を寄せる。
「まぁ、いいんじゃありませんの? さっさと終わらせて帰るだけですわ」
名残惜しそうにイヤホンを外し、フレーズは冷めた目で携帯を操作する。
「って、隊長達は……?」
エイヤの声に、ノイとフレーズがぴくり、となる。
「……どうすんだよ」
フレーズはもう一度イヤホンを耳にするが、聞こえるのはエピカの声だけだ。
どうやら、二人共携帯の音に気付いてないようだ。
ふと、フレーズが何かに気付いて顔をあげる。
で、涼しげだった表情が一変する。
まるで、楽しい悪戯を思いついた、子供のような顔だ。
そんなフレーズに眉を寄せながら、ノイが口を開こうとして……
「いけませんわ! テンパチ! 隊長たち、気づいてないみたいですの!!」
ノイを押しのけ、フレーズが今まで見せたことないほどの焦った表情でエイヤに振り返
る。
「ま、マジですか!?」
「えぇ、状況は一刻を争います、呼んで来ていただけませんか?!」
「もちろんですよ! で、二人は何処に!?」
「ラボですわ! これが一度限りの緊急用のキーですわ。これでロックがかかっていても
開くはずですわよ!」
「行ってきます!」
使命感に漲った顔で、エイヤは走り去る。
「いってらっしゃいませ〜」
笑顔で見送るフレーズに、ノイは呆れたように眉を寄せる。
「お前、趣味が悪いぜ?」
「あら、エイヤはエピカが大好き。今のエピカの姿……きっといい物が見れると思います
わ。私、いい事しましたわよ? んふふ。やーん、私が! 見に行きたい!」
満面の笑みで首を左右に振るフレーズに、ノイはやれやれと深くため息をついた。
「ラボ、ラボ……っと!」
廊下を駆け抜け、エイヤは船首にあるラボへとむかう。
一番の新入りではあるが、もう船内の構造は頭に入っている。
角を曲がり、キーをだして入り口に翳し……
「隊長、フェイ! きんきゅ……!!」

エイヤの顔から、表情が消え、固まる。
扉の向こうに見えたのは、恍惚とした表情のエピカと、それを抱きかかえたエルンだっ
た。
二人共一糸も纏っておらず、それどころか隠すべき所を隠しもしていなかった。
ごくり、とエイヤの喉がなる。
エルンは一瞬驚いた様の表情をした後で、凍りつくような威圧感を放ち、エイヤを見据
える。
「あ……え……」
エイヤは言葉を失う。
だが、目が離せないでいた。
思いを寄せる少女の見せる、あられもない姿から、目が、離せない。
まだ幼さの残る体、呼吸荒く上下する胸。溶けるような表情で空ろに見上げる少女。汗
がにじみほてった体、隊長の指が白く濡れていて、フェイの、秘部が……濡れ……
「てん……ぱ……ち?」
少女の上ずった声に、ビクリとなり、下へ向かった視線が少女の顔へと引き戻される。
もはや、少年の頭はパニックになっていた。
そんな少年の様子に、エルンは冷たい表情を少し緩めて少し口角を上げる。
「…………何の用だ?」
そう低く尋ねながら、エルンはほんの少し、右手を強く握った。
「……っあ」
それに反応して、エピカの口から甘い声が漏れる。
男の右手の中にあるのは、控えめなエピカの胸だった。
「!」
声に驚き、ビクリ、とエイヤの体が震える。
あからさまに動揺するエイヤを見て、エルンはニヤリと笑った。
エイヤは必死に呼吸を整えながら、「緊急要請、です」と短く答える。
エルンの発する威圧感に、エイヤの体はガタガタと震えていた。
なのに、それでも少年は、目の前の少女から目を離せないでいた。
まるで、幻でも見ているように、何故か眩しいその光景から。まるでがっちりとロック
されてしまった様に。
隊長は、見せつけているのだ。
自分の所有物である、この少女を。
とけきった表情で快楽に身をゆだねている、この少女を。
「……用件はわかった。……行けよ」
隊長の低い声にはっとなり、エイヤはそこでようやく後ろを向かなければ、と焦った。
後ろへと振り返る瞬間、エルンが涼しげに言い放つ。
「……んだよ、人の女(モノ)見て、勃ててたのかよ? ……焼くぞ?」
焼くぞ、の一言は、今まで聴いたことない程凄みのある低い声だった。
もちろん、エイヤのモノは勃ってなどいない。
エピカの艶姿と、エルンの威圧感で、ただ、ひたすら混乱しているのだ。
だが、エルンはそれをわかっていて、わざとそう言った。
何も言わず、エイヤはただ走った。
見てはいけないものを見た後悔にも似た感情、衝撃。
だが、脳裏には思いを寄せる少女の姿が焼きついていた。
いやではなかった。
そんな自分にエイヤは戸惑っていた。
――あれほど、見せ付けられたのに。
それでも、やっぱり好きだという思いはかき消せないでいた。
それどころか、脳裏に焼きついた姿で頭が一杯だ。
「……はぁ、はぁ」
駆け込んだのは自室だった。
扉をロックし、その場にへたり込み、大きく深呼吸する。
そして、ふるふると首をふった。
「……隊長のレーザーで、焼かれる」
あれほど縮みあがっていたのに、今になって、ガチガチだ。
「…………オレ、どうしようもないや」
力なく呟くと、エイヤはがっくりと俯いた。
「しゅつ、どう、なの?」
朦朧とするエピカを抱えたまま、エルンは携帯を確認する。
「だな、……ん、なんだ?」
「イったけど、まだ……くれてないよぉ」
エピカは泣きそうな顔で、エルンのそれをきゅっと握る。
「……っ」
細い指の感覚に僅かに眉を動かした後、エルンはエピカの耳元で小さく囁いた。
「……みてたぜ? エイヤ。お前をずっとな?」
「やぁ……」
困ったようにしながらも、切なげに見上げてくるエピカはこの上なく可愛い。
というか、苛めたくなる。
「……帰ってくるまでおあずけだ。いやなら絶対被弾するな。速攻で終わらせればいい」
「んぅ、がんばる」
エピカはのそりと起き上がって、ぽわんとなった頭のまま、Vディスクを起動させよう
とする。
「の前に、シャワーあびないとな? そんな甘い匂い撒き散らしながら戦うのか?」
「あぁ、そうだった!」
「俺はそれでも全然構わんがな?」
「やだ……! 恥ずかしくて死んじゃうよ……」
緊急要請から十二分後、エルン、エピカ両名はノイとフレーズに合流、ノイに「遅い」
と言われながら四人は飛び立つ。
フレーズが楽しそうにエピカを見ていたのは言うまでもない。
「エピカってば、可愛いですわね?」
エルンにそっとフレーズが耳打ちする。
「……当然だ」
自信に満ちた笑みでライデンが笑う。
「……目標確認、速攻で終わらせるぞ!」
「「「了解っ!」」」
容赦ないライデンに、絶好調のエンジェラン。
そんな二人を前にして、DNAの小隊は太刀打ちできずに崩れていく。
あっという間に決着がつき、ノイはつまらなさげに一言ぼやいた。
「俺様の出番がねぇ」
おわり
|