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(08.10.29更新)


・『平和な昼下がり、平和な。』

 

「……緩いな」
 見張り台に座りこんだ男は小さく呟くと、真上から照りつける太陽を睨んだ。
 下から聞こえてくるのはエピカとフレーズがはしゃいでいる声。それに混じって、ガル
の悲鳴が時折聞こえてくる。
 おそらくはエピカが演習と称して二対一の対戦でもしているのだろう。
 氷竜の啼く声やボムの爆音以外は、海風と波の音が聞こえるだけだ。

 戦艦リーベルタース。

 独立部隊カルディアの本拠地であるこの戦艦は、海のど真ん中に浮く巨大な鉄塊だった。
衣食住に困る事の無い設備、物資の補給も整ったこの戦艦は、戦う戦士にとってまさに楽
園といえる場所で、そこに住む戦士達は皆気ままにのんびり過ごしているのだった。

「おや、こんな所に珍しい奴がいるな」
 見張り台にかかるはしごをのぼり、端正な顔立ちの青年が姿を見せる。
「ノイ、か」
 姿を見せたのはサイファーのノイモンドだった。
 薄く紫がかった青い髪に、薄めの紅い瞳。何処か透き通るようなイメージのその青年を
見て、男は目を細める。男の自分が見ても、納得のいく美形、それがノイの印象だった。
 それに対して、男はどこか特異な雰囲気の纏っていた。
 闇を溶かし込んだような褐色の肌、戦士というには細い締まった体、血を思わせる深紅
の瞳。そして不自然なまでに白い、長く一つにまとめられた髪。
 だが、そんな事など全く気にもしないかの様に、ノイは涼しい顔のまま男の横に並んだ。
「悪いね。俺様も混ぜてくれ。下はドンパチうるさいからな。のんびりしたいんだよ」
 そう言うとノイはぐっと背のびして、男の隣に座り込んだ。
「……、あの様子じゃ、今日もガルはやられるな」
 男は視線を下に向けると、ぼそりと小さく呟いた。
 バトラーのガルは氷竜に追い込まれ、そこに嬉々としてエピカが剣を振りかざしている。
バトラー相手に無謀とも言えるその攻撃をガルは余裕でトンファーで弾き返すと、「う
らあっ!!」と一声、必殺のトンファーを振り上げた。だがそれはごちんという鈍い音と同
時にぴたりと動きを止めてしまった。絶妙のタイミングでフレーズがガルに氷柱をぶつけ
たのだ。その隙にエピカが素早いステップで攻撃をかわし紅い目を光らせた。僅かに怯ん
だガルの隙を狙い、一気に剣を横なぎに振るう。
「あぁ、ガルの奴、負けたな」
 結果が読めたとばかりにノイは口の端をにぃと上げる。  
 「ぐおお!」という低い呻き声と喜びジャンプするフェイの喜ぶ声が戦艦に響き、一気
に明るい雰囲気が広がる。
 勝負ありだ。
「隊長が単独任務で姫様が暇なのさ。馬鹿で頑丈でないと姫様の暇つぶしには付き合えな
い。だろ? アルシオン」
 そう言うとノイは横の男に向かってひらひらと手を振った。
 アルシオン、そう自分の名を呼ばれ、男は目を細めた。

 アルシオンは通称『死神』と呼ばれる男だった。
 RVR−87、スペシネフ。禍々しい作られ方をした異端のVRだ。

 戦闘力向上の為に、スペシネフのVディスクには悪性のVクリスタル質が使われていた。
 人の精神を取り込み、狂気や怨念を残留思念として抱く悪性のVクリスタルは、周りの
人間に負の影響を与えるだけでなく、本人の精神をも蝕む極悪の仕様だった。
 
 戦う者を狂わし、周りにも狂気を振りまき、見たものを死に追いやる『死神』。
 
 リミッターが架せられているとはいえ、アルシオンの参加した戦場はまた無残な物だっ
た。アルシオンはスペシネフの怨念を精神力でぎりぎり押さえ込み、その力を存分に引き
出して戦場を荒らした。いや、戦っている時はその狂気に酔っていた部分もあったに違い
ない。
 その戦いぶりから、『忌まわしい装甲を纏い戦う本人の意思すら狂っているのではない
か』とそう言われ、やがては唯の兵器としてしか見られなくなり、近寄るものも居なくな
っていった。

 アルシオンもまた、居場所を失った男だったのだ。

 だが、騒がしい下の光景を深紅の瞳に写す男からは、見た目は兎も角、人を狂わせる死
神という雰囲気は全くなかった。

「……!」

 ふと、アルシオンが眉を寄せる。
 静かに、誰にも悟られぬ様に艦に帰って来た者の気配を感じ取ったのだった。
 そのアルシオンの様子に、ノイも表情を曇らせる。
「……、隊長か?」
「……らしいな。この戻り方は……」
「『良くない』な」

 アルシオンはゆらりと立ち上がると静かに両手を広げた。
 じわりと背中のVコンバーターが起動し、そこから純白のものがあふれ出す。
 それはまるで翼のようなものだった。
 だがそれは美しい白い翼ではなく、骨ばかりで出来た奇怪な翼だった。

「俺が行く。フェイを……とめていてくれ」
「フン、お前がフェイの元に行けば良いだろ? ……行きたいだろ?」
 ノイの挑発に、アルシオンがピクリと眉を動かす。
「……」
 深紅の瞳がノイを無言で睨みつける。
 絡みつく視線。
 それはさっきまでは微塵も感じることの出来なかった死神の気配だった。
「……解ったよ。行けよ。俺様が足止めしててやる」
「……」
 アルシオンは無言のまま骨だけの翼で空へ飛んだ。骨の隙間から何かの力が働き、そ
れが空を掴みアルシオンを浮かび上がらせていた。
 アルシオンはゆっくりと船尾の方へ向かい、非常口を開けて使われていない出入り口
へとその身をくぐらせる。

 案の定、その先に居たのは座り込んだ隊長――ライデンのエルンの姿だった。

「隊長」
「……気付かれたか」
 腹部を押さえながらエルンは苦笑する。
「気付いたのが『死神』の俺でよかったな」
「……本当のお迎えでなくてよかった。死神が味方で助かる」
 細身のアルシオンに支えられ、エルンはゆっくりと立ち上がった。脇が深く抉れている
らしく、血がぽつぽつと滴って鋼鉄の床を濡らす。

 単独任務の内容は、エルン本人しか知らない。
 だが、時折こうして大きな傷を負って帰ってくるのだ。
 その事を知っているのは隊でもごく一部の者だけだった。

「……いつまであいつに黙ってる気だ?」
 アルシオンの問いかけに、エルンの足が止まる。
 無言のまま何も返してこないエルンに、アルシオンは決定的な一言を放った。

「……タングラム」

「……」
「タングラムを、追っているんだな」
「……」
 エルンは険しい顔のまま、何も語らない。
 そんなエルンにアルシオンは苛立つ様にぎりりと奥歯を鳴らした。
「……エピカには。いずれ、話すつもりだ」
「当然だ。俺らに黙っててもかまわんが、この隊を作ったのはあの娘だ」
「解っている」
 エピカに心配を掛けたくない隊長の気持ちは、この件を知っている皆が理解をしていた。
同時に、もしそれを知ったならその事で彼女が無茶をしでかすのではないかという思いも
あった。

 だからこそ、こうして『何かあった時』は悟られぬように協力しているのだった。
 
 だが何時までも隠し通せるものではない。
 隊長の一番近くに居るのは、副隊長であり恋人であるエピカなのだ。
 この男の心の一番傍に寄り添えるのも、またエピカだけなのだ。
 だからこそ。


 ――おそらくはもう気付いている。


 それはこの件を知っている皆が思っていることだった。
 危うい一本の綱。
 エルンが隠している事を皆に、そしてエピカに告げたとき、この隊はどうなってしまう
のか。

 居心地のいいこの空間は無くなってしまうのか。
 彼女から笑顔が消えるのだろうか。
 皆が唯戦うだけの戦士に戻っていくのだろうか。 

 背後で何かがにやりと笑う。
 黒い念がざわりと渦巻き、アルシオンの心にそっと囁く。

 
 ――いっその事この男を壊してしまえば――  


「また酷い怪我ね。……こっそり治すのも限界があるのよ?」

 気がつけば、そこは目指すメディカルルームの前だった。
 扉の前でフレーズが腕組みして不機嫌そうにエルンを睨みつけている。
「エピカは……」
「あの子はノイが相手をしていますわ。全く。さぁ、早くこちらへいらして下さいな。す
ぐに治してしまわないと、気付かれてしまいますわよ」

 アルシオンは手負いの隊長をフレーズに受け渡すと、そのままその場を立ち去った。

 向かったのは自室だった。
 窓もない、閉じた空間。だが、アルシオンにはそこが一番落ち着ける場所だった。
 ガッと、拳を壁にぶつける。
 拳からは黒い念が漏れ出し、今の気持ちを増幅させるように、唸りをあげる。
 怒りにも似た気持ちを静めたい。狂気を鎮めなければいけない。
 こんな自分は、好きではない。認めたくはない。

 ――自分に負けるの? アルシオンなら負けないわ、だって強いもの。
 
 少女の何気ない一言。根拠も何も無いようなその一言が、男を狂気の淵から救っていた。
 狂った残留思念はどんな隙をも見逃さない。
 僅かな隙を狙って、狂気と絶望の底へと引きずり込もうとするのだ。
 真っ暗な部屋の中で身を震わせ、溢れる気持ちを押さえ込むように目を見開く。


「もう! 任務から帰ってきたなら言いなさいよ! 今日に限ってどうして正面から帰っ
てこないのよ!?」


 不意に部屋の外から明るい声が響いた。
 声の主はこの隊を作った張本人。
 わがままで気ままで、どこか人の心を捉える、常に笑顔の愛らしい娘だ。
 
 最大の恩人であり、居場所をくれた――

「……」

 気がつけば黒い念は散り、『いつもの』自分がそこに居た。

「悪かった。……上に報告する事があったので、な」
「関係ないわ。まずは私に『ただいま』って言うべきじゃない?」
「……あぁ、ただいま」
「……お帰りなさい。無事でよかった」

 外から聞こえてくる会話は、甘いものだった。
 溶けるような甘い声は少女のもの、不器用な受け答えは隊長のもの。
 隊長は傷を隠し、何処までも真っ直ぐな少女を抱きとめているに違いない。

 そして嘘が下手な隊長に対してじわじわと笑いがこみ上げてくる。 


「緩い……な」

 
 床に座り込み、アルシオンは小さく笑った。


 穏やかな平和な午後。
 それはいつもどおりの昼下がりの出来事。

 平和な。平和な。



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