『ほんの少し、その向こう』


 持っていた食料や水は、この村に辿り着く前に全て食べてしまった。
 この二ヶ月間一日も休まず歩き続けた足は、疲れ果てて痛みやしびれを感じる事すら無くなっている。
 けれど、ほんの少しだけ食事を摂り、座って休憩をすれば、後しばらくの間は歩き続けられるはずだ。
 たとえ、老いた僕の手足が石のように固まってしまったとしても、頭が、もっとはっきり言うなら脳さえ無傷なら事は足りる。
 僕は僕の役割を全うできればそれで良い。
 とは言え、目的地に到達できなければ、今ここに居る意味も、僕が生まれた意味すら無くしてしまうのだけど。
 疲れと空腹に耐えかねて立ち寄った古く小さな喫茶店で、僕はサンドイッチとホットコーヒーを注文した。
 人の良さそうな中年のマスターが作ったサンドイッチは、お世辞にも極上とは言えないが、柔らかい食感と舌に優しいほど良い温かさが、疲れ切った身体に染み渡る。
 水質が良いらしく、水もコーヒーも美味しい。携帯食やちょっと人には言えないような物ばかりを食べていた口には十分ご馳走だ。
 中途半端な時間だからか、客が僕一人なのでマスターは気安く声を掛けてくる。
 彼曰わく、この喫茶店は村最後の休憩所で、ここを過ぎれば道は有っても誰もその先へ行く事はできないらしい。
 道の先には、航空写真か地図か古い写真でしか見る事ができない、小さな廃村が有るだけだと教えてくれた。
 その村が地理的不便さによる人口流出で廃村なったのは五十年少し前。
 廃村になってからも、定期的に珍しい物好きの登山者達や、テレビクルーが番組製作に訪れていた。
 しかし、十二年前の長雨で唯一の道を土砂崩れが覆って以降は、何も無い廃村をわざわざ訪ねる人はほぼ居なくなってしまったのだそうだ。
 ところが、最近になって以前とは全く違う意味で、この先の廃村は脚光を浴びている。
 ヘリコプターや航空機を使った上空からなら村を撮影できる。有名なウェブサイトの地図にも載っている。
 だが、地上ルートではどんな手段を使っても、村に辿り着く前に足止めされてしまうらしい。
 マスターは本当に不思議な事と首を傾げながら、「おそらく、土砂崩れで何かが露出して磁場がおかしくなったのでは無いだろうか」と、言う。
 その根拠として、崩れた場所に近づくと方位磁石は身体の向きに関係無くくるくる回ったり、振れ続けたりして、使い物にならない事、村に近づくまで正常だったGPSも機能しない。ドローンを飛ばせば、どういう訳か村に入る前に電波が途切れて墜落してしまうとの事。
 ならばと、古い地図を持って人間の記憶力と目と耳、犬の嗅覚を駆使して崩れた道に挑戦した人々が出た。
 結果、誰が何度挑戦しても、自分達がどこをどう通ったのか理解できないまま、この村まで戻ってきてしまったのだそうだ。
 険しい山間なので他のルートから入る事も難しく、風向きから低空で気球やハングライダーも飛ばせない。
 一時は現代のオカルトスポットとして、マスコミや雑誌や正体不明の宗教団体が廃村に向かったが、カメラを始めとする機材は廃村に近づくと、携帯電話まで全て壊れてマスコミはあえなく撤退。
 罰が当たったのだと、我々こそ選ばれたグループと意気込んで廃村に入ろうとした宗教団体は全員が途中で行方不明となり、警察や消防、捜索隊まで出動して探す羽目になった。
 どこをどう歩いたのか、廃村からこの村より遠い麓の村や町に、ふらふらの姿で彼らは全員発見された。
 そんな事が短期間に続いた為、自治体は廃村への完全に立ち入り禁止を決定した。
 地理的に旅行者の多くがこの喫茶店に立ち寄るので、マスターは町役場から様子を見るように言われてるのだとか。本当にお疲れ様としか言いようが無い。
 悪い事は言わないから村に行くのは止めた方が良いと、僕に気を遣ったマスターは控えめな笑顔で言う。
「マスターのおっしゃる通り、村に行くのは大変な事なのでしょう。でもね、この歳になるとね、やはり一度は故郷に帰りたいと思うもんですよ。こうして誰の手も借りず、自分の足で歩ける内にね。たとえ村まで行き着けなくても、遠目に一目でも故郷を見られたらと思いまして」
 笑って膝を軽く叩きつつも、疲れを隠せずにいる僕を見たマスターは、逆に真剣な顔になる。
「貴方のお気持ちは理解できます。私ももっと歳を取れば、貴方のように思い出に浸りたくなる時が来るのでしょう。だけど、今は貴方を止めたい気持ちが強い。どうか、私と約束してください。無茶をしてまで村に戻ろうとしないと。あそこは本当に危険なんですよ」
 これまでのマスターの話に嘘や誇張は感じ取れなかった。彼にここまで言わせる根拠は何だろう。
「ひょっとして、僕みたいに村へ帰って来る人がいましたか?」
 思わず探るような口調になってしまった。しかし、不躾でも僕は確認しなければならない。
 僕と一緒に村を出た仲間達は全員死んでしまったが、僕の後に村を出て、無事に村へ帰った仲間が居るかもしれない。
 自分の失言に気づいたマスターは、頬を人差し指で掻きながら苦笑して、「実は」と続けた。
「私もこの店を経営していた時代の母に聞いたので、随分と古い話なんですが、過去に村へ帰って行く人は何人も居たそうです。廃村後も皆さん、特にお年寄りは新しい土地に馴染めず、もう誰も住んで居なくても最期を故郷の村で迎えたいと。この店で最後のコーヒーやお茶を飲んで、そしてどなたも二度と帰って来なかったそうです」
 本当に古い話だった。彼の母親の時代とは一体何十年前の話なんだろう。
「土砂崩れ以降は村に入れなくなってしまったから滅多にはいらっしゃらないんですが、やはり、お歳を召した方は諦められないと、道にテントを張って数日過ごされたり、無理矢理土砂を越えて捜索隊が出たりとかね。お子さんやお孫さんが慌てて探しに来て、何度も大騒ぎになったんです。その度に警察や役場から怒られるのは私でしてね。正直に申し上げると、ほとほと参りましたよ」
 マスターが言っているのは本物の地球人の話で、廃村出身者の事だ。
 故郷の技術者達が地球との恒星間ルートを最初に造ったのは、この星の時間で十二年前だが、一期の僕がスターゲートを通って、この星に来たのはたった三年前だ。
 廃村を出てから起こった事を考えると、もう三年前と言うべきだろうか。
 今のマスターの口ぶりからして去年、一昨年だけのの話では無いだろう。
 そうなら、僕より後続の仲間達は、今頃どこで何をして居るのだろうか。一刻も早く村に行って確認しなければ。
「あ、すみません。おかしな話を始めてしまって」
 僕が黙り込んでしまったので、益々マスターから自殺願望者と疑われている気がする。急に口調が優しくなった。今すぐに訂正しないと。残された時間は少ないのいのに、役人や警察を呼ばれたら面倒だ。
「いえ、こちらこそすみませんでした。ずっと前にも僕と同じように、懐かしさで村を見に来た人が居るとは知らなかったので。意外とセンチメンタルでロマンチストが多いのだなと思ったんです。ですが、僕は現実派なので故郷を見たらすぐに仕事に戻ります。村を出た時はまだ若造でしたのでね。懐かしさも有るのですが、なにぶん記憶が曖昧で、どんな場所で生まれ育ったのか一度くらい確認してみたいだけ、という気持ちの方が強いのですよ」
 笑って首を横に振ると、マスターは驚きと安堵の両方が入り混じった顔になって、慌てて頭を下げて来た。
「それは重ね重ね失礼しました。そのお歳で今も現役とは素晴らしい。それを聞いて私も安心しました。どうか、気を悪くされないでください。お詫びに食事のお代は結構です。また、帰りにここに立ち寄って土産話をしてください。楽しみにしています」
「それはありがとうございます」
 にっこり笑って僕は喫茶店を後にした。
 手の平を返したマスターの対応に苦笑しそうになったがこれで良い。僕達は地球人と争う意思は全く無いのだから。
 手持ちの金ででなんとか足りたが、食事代がタダになったのはありがたい。僕はもう使わなくても、次の誰かが使う時が来るかもしれない。
 僕達が持つ物質を見分けるセンサーは、落ちているお金を拾うのにも便利な力だが、毎日多額のお金を拾えるはずも無く、金銭面ではずっとカツカツな三年を送ってきた。
 身分を証明する物が一切無いので、宿は野宿、行程は徒歩か拾ったボロボロの自転車(決して地球人から盗んだ物じゃない)。
 服や荷物のほとんどは、深夜に捨てられていたゴミ袋を漁り、集めて公園の水道で洗って使った。
 味覚的に地球人が食べない昆虫や草は、充分僕達の食料になった。傷んで地球人に廃棄された食品はご馳走の部類に入る。食料で地球人と争わずに済みそうなのは本当にありがたい事だ。
 今のままではカラスや猫、昆虫達とは壮絶なバトルになりそうな気もするが、僕には故郷の上層部が出した物とは別の計画が有る。
 上層部がこの廃村をゲート口に選んだのも、人間がずっと住んで居なかったからだし、磁場や近寄った生き物の感覚を狂わせているのは、長年探査してきた地球と故郷の星を繋ぐスターゲートのエネルギー波が原因だ。
 大きな騒ぎを起こすつもりは無かったのだが、地球人には申し訳無い事をしてしまった。さっきの喫茶店のマスターにも申し訳無い事をした。
 後、ほんの少しだけ。ほんのわずかな時間だけ我慢して貰おう。


 崩れた土砂の前に立つと不意に風が止み、僕達にしか見えない扉が姿を現す。
 地球の生命体は目に見えない壁の圧力を受けて、無意識の内にここでUターンしてしまうのだ。
 その際に記憶まで曖昧になってしまうのは、地球には無い僕達の星が発するエネルギーの影響で、これまで経験した事が無い種類の負荷が脳に掛かるからだろう。
「おじいちゃん、誰?」(仲間なの?)
「止まれ。どこから来た?」(地球人だったらどうしよう)
 前方の物陰から子供の声が聞こえ、それと同事に僕達特有の原語も聞こえてくる。
「やあ、子供達、初めましてかな? 見ての通り只の年寄りだ。怖がらなくて良いよ」(僕の名前はいちのはじめだ。ここの記録に残っているかな?)
 音を使わない言葉で返事をすると、少年と少女の表情は一変した。
(仲間だ)
(そう、仲間ね)
 二人から緊張した雰囲気が消え、僕に向けられてた鋭い視線も柔らかくなる。
 人間にして十歳前後の少年と少女が、音も立てずに土砂の上から飛び降りてきた。
 年長の姿を取っている少年は、顔をしかめながら僕の全身をじろじろ見る。
「じいちゃん、あんたの身体はもう」
「うん。とっくにボロボロだ。ここまで帰ってこなくちゃならなかったから、四肢はなんとか形を保ったが、地球人を再現したこの身体の内臓のほとんどは石になっている。非効率だけど、口にした栄養は残った体細胞が直に摂っているんだ。後数時間もこの身体を維持できないだろう」
 少女がおそるおそる僕の右手に触れる。
「今にも崩れそう。地球人はこうして死んでいくの?」
「いや違うよ。とりあえず村に入っても良いかな? 小さなゲートキーパー達」
「歓迎だ。と言うか、よくこんな身体になっても帰ってきてくれた」
 少年が僕の左手を支えるように掴む。
 二人は両側から僕の手を優しく引いて、ゆっくりと険しい坂道を降り始めた。
「いちのはじめ、最初にこの星に来た調査団で完全人型の一人ね。あなたと一緒に来た、ふたば、みつまた、しろ、いちごはどうしたの?」
 地球人にはあり得ない銀色の瞳を輝かせて少女が聞いてくる。少年の目は黒目全てが闇色で耳が標準より大きい。
 成る程、それぞれが目と耳の役割に重きを置いているのか。ほとんど生体センサーだな。
 見た目はともかくこの二人は、第一団の僕達とは全然違う仕様らしい。
「答えは僕の中に有る。後で君達に全部渡そう。その前に答えて欲しい。計画では三度地球に調査団を送ったはずだ。第二団、第三団はどうなったんだい?」
「第二団は計画通り獣になった。けど、記録では二ヶ月も持たずに全員死亡した。身体を保てずに崩壊してしまったり、俺達の標準時間でもあり得ないくらい急激に歳を取り、老衰で死んでしまったらしい」
「第二団を踏まえて、第三団は鳥になったの。けど、全員がほんの数日か数週間で死んでしまったわ。わたし達は最終テストとゲート管理を兼ねて、エネルギーを捻出して地球に辿り着いたの。人型を選んだのは第一団のあなた達が死亡したという記録が無かったから。これは地球時間で三日前の事よ。あなたは一人で基地に戻ってきたのね。事情と理由を説明してくれる?」
 不安を抱えた二人の相貌を見て、僕は遅くなった事を詫びるべきか、それとも僕一人だけでも戻ってこれた事を喜ぶべきか迷った。
「子供達、よく聞いて。君達の様子からして、僕とは体組織が違うね?」
「そうだ。外見上人間に擬態したのはこの形を維持するグループだけ。中身は元のままだ。俺は、俺達は二固体で有り十万の同胞だ。この姿を失っても違う姿を数回は取れるはすだ」
「そうか、良かった。君達は、故郷の同胞達はかしこいね。僕をよく見て。僕がこの星に来た三年前は、姿こそ地球の若い成人男性のものだけど、故郷では生まれて間もない子供だった。できるだけ長く生きて調査ができるようにと選ばれたんだ。けどね、地球は僕達にあまり優しい星でなかったんだ」
 僕の言葉を受けて少女と少年は人間そっくりに息を飲む。
 なるほど。中身はともかく、うっかりでも地球人と出会った時に、違和感を持たれないように擬態しているのか。
 丁度、坂を下りきった所で石化していた僕の両腕が付け根から取れ、地面に落ちて砕け散った。
 少年と少女は子供らしくない厳しい表情で、僕の腕を構成していた者達の亡骸を見つめた。
「大丈夫。痛みは無い。この辺りはとうに死んでいたんだ。それは解るね?」
 笑顔で問いかけると二人は黙って頷いた。
 二人に腰を支えられながら村の入り口に着くと、今度は右膝から下が取れてしまい、僕は横倒しになった。
 慌てた少年が僕を助け起こそうとしたが、僕は首を横に振ってそれを断った。
 ここまで来ればスターゲートが正面に見える。僕が出立した時よりもはるかに大きく立派で、母星で今も生き残って移動を待ちわびている同胞達全員の移動に耐えられるだろう。


 僕達の最後の希望。
 地球人の目には見えない、紫に近い透明なスターゲート。
 栄養を失って白化し、徐々に崩れていく身体を感じながら、僕は故郷を旅立った時の事を思い出していた。


 僕達の母星は地球より少しばかり大きい分重力も大きく、水素と酸素の割合が高い。
 水が豊富で気候は極地でも温暖。一年を通して氷らない。大気は地球より重たく、暖かい霧に包まれた星だった。
 水棲生物や両生類の種類が多く、僕達の種族は柔らかく暖かい大気の中で、ゆっくりと進化してきた。
 僕達の身体は地球上の生命、特に人間も含まれる哺乳類に比べたらとても小さい。
 僕達は群体と言われる種族で、それぞれの個体の大きさはまちまちだ。
 重力に潰される為、大きな身体には成長できず、自力で動きづらい大きさに成長すると分裂し、数を増やしていった。
 僕達の祖先は、何周期毎に起こる地殻変動や気候変動に対抗する為、植物、鉱物、亡くなった仲間達の身体を使い、道具や家や機器を作った。
 星の生命達は全てが主星の動きに翻弄される事が多いので、大きな望遠鏡を作り、様々な観測機器が発達した。
 地球では太陽に当たる主星や、他の恒星のエネルギーを活用して、重力レンズや重力加速器を造り出したのは、二百周期くらい前だ。
 それから百五十周期くらいが僕達の一番発展した時期だったそうだ。
 気温も海も大地も穏やかで、過ごしやすい時が続いた。
 
 決定的な始まりは僕が生まれる三十周期前の事だった。
 それまで活発に活動していた主星の活力が急激に衰えた。
 両極地が氷り始め、僕達の種族はどんどん赤道近くまで生息地を狭まられた。
 少なくなった生息地に、あらゆる生命の生存競争は激化した。
 文明を発達させた僕達も例外では無く、五周期ばかりは全面戦争になり、僕達の数は氷河期が始まる前の百分の一まで数を減らした。
 星全体の命に関わる天変地異の前に、宗教や思想は全く役に立たない。
 当時の政治家達は、全滅を避ける為に戦争を煽ってきた既存の宗教や思想を廃止し、科学を筆頭にした学問を唯一の教えに定め、結果、それが僕達の希望になった。
 気象学者達は主星の観測をこれまでの数百倍も細かく行い、母星がどれだけのスピードで氷っていくか計算した。
 天文学者達は近くに僕達が移住できる星が無いか探し始めた。
 技術者達はそれまで地方間や衛星との移動にしか使用しなかった重力加速器を発展させ、恒星間ワープ技術を開発し始めた。
 幸いと言うか、氷らずに死んで行った動植物や仲間達の身体が沢山有ったので、衰えた主星の熱エネルギーを代用する材料には困らなかった。
 ある者達は自ら壁や天井に変化して仲間達を寒さから守り、ある者達は燃料になって大気を温めた。
 また、多くの者達は観測機器やスターゲート建造に必要な、膨大なエネルギーに変わっていった。


 僕が生まれる八周期前に天文学者達は地球を見つけ、三周期前に技術者達は恒星の重力波を利用した地球へのスターゲートを完成させた。
 その間も母星は氷の範囲を広げ、年老いた者達は氷柱になるくらいならと、喜んで若者達の為にエネルギーや糧になった。
 その年生まれた子供達の中でも一番丈夫な者から一千万の仲間が選ばれ、僕はその内の一人だった。
 地球生命はあまりに僕達と違いすぎるので、二十万の仲間が一つの群体を作り、地球で文明を営む人に擬態する事に決めた。
 地球人は僕達に比べたら未発達な種族だが、だからこそ、こっそり紛れ込めば全員が平和に暮らせると信じた。
 最も、発見した他の星々はあらゆる面で移住に向かず、唯一、地球だけスターゲート移動距離内で、僕達が居住可能な惑星だったのだが。
 地球生命がどういう活動をしていようとも、先人達は他に選ぶ余地が無かったのだと、三年間この星で過ごした今なら僕にも分かる。


 最初に地球に降りた僕は、その軽い大気と小さな重力で、身体がはじけ飛ぶ恐怖に襲われた。
 スターゲートから完全に身体が出てしまう前に、事前に調査した人型に身体を形成する。
 最初に乾燥した空気に耐える皮膚を、次に骨格、血液、筋肉、内臓、降り立った土地に合わせた黒髪と茶色の瞳を持つ完全な人間になる。
 僕の恐怖を感じ取った二人目のふたば、三人目のみつまた、四人目のしろは、重力が切り替わる前に人型を取って事無きを得た。
 地球に来るまでに九千の同胞がエネルギーにその身を変えて僕達を守った。
 その為か、最後に地球に降り立ったいちごは、人間なら赤ん坊かせいぜい幼児の大きさで、自分の二本足で地球を歩く前に身体が石化し砕け散った。
 これには僕達も心底から怯えた。
 どうやら、地球の大気は僕達の母星に比べて薄く、また軽い重力が僕達の細胞を不安定にさせているらしい。
 常に汗をかいて皮膚を乾燥から守らなければならない。
 そう、地球人には汗腺という物があるのだ。なぜこんな物がと思ったが、身体のほとんどが禿げている人間には必要なのだろう。それに気温差も大きいので体温調整も大切だ。
 地球に降りて生き残った僕達四人が最初にしたのは、母星より寒い地球の気温に耐え為に、無人の村から僕達が着れる服と靴を見つける事と、何でも良いからエネルギー補給ができる食べ物を探す事だった。
 幸いそこらに生えている草も、虫も、カエルもそのまま手づかみで食べられたので、飢え死には逃れられた。
 全身を毛に覆われた小さな動物や、川を泳ぐ魚はとても素早く、鳥も近寄ると飛んで行ってしまう。無理矢理小動物を捕まえようと試みたしろとみつまたは、腕や足に怪我をした。
 身体から流れる赤い血も同胞の身体だ。無駄にはできない。僕達は早々に身体の無駄使いは止めた。
 全く、こんなに弱くもろい身体で、地球の人間達は何を食べて生きているのだろう。
 廃村を出た僕達は、どうすれば僕達や仲間達がこの地球で生きていけるのか模索した。
 言葉は割と簡単に覚えられた。人間が使う通貨という便利な物も拾い集めて使う内に慣れた。人間が出す生ゴミという物は意外にご馳走だとこの頃知った。
 傷口から何か人体には悪い菌が入ったのだろう。日々弱っていったしろは地球に降りて一ヶ月目で石になって砕けた。
 僕達の身体は強い日光にも弱いらしい。皮膚から急激に老化が始まったみつまたは一年後に細胞の全てが石になり壊れて行った。
 ふたばと僕は、僕達の種族は地球の地上で生きるのは無理だという結論に達しつつ有った。
 文字を覚えた僕達は、図書館で様々な本を読んで知識を増やした。紙が湿気を嫌がるからか、館内はとても乾燥していて、僕とふたばは度々全身を水で濡らして調査を続けた。
 調べていく内に地球に僕達によく似た生態を持つ生き物をいくつか見つけた。
 地球上で暮らす僕達は単細胞生物や、もっと小さい物なら菌と呼ばれるのだと初めて知った。とても不安定で僕達より寿命が短く、擬態は不可能という結論に至った。
 そして、最終的に僕達と最も類似点の多い生命のほぼ全ては海洋生物だった。
 これは目から鱗だった。
 地球は母星より大気が薄く重力も軽い。
 しかし、地球の海は地上より圧力が高く、液体、水なので当然湿度も高い。温度も安定しているので、少なくとも歩いているだけで身体が壊れてしまう地上よりはるかに安全だと知った。
 僕とふたばは歩いて海に向かった。
 ゲートの有る廃村は山奥に有ったので、それまで僕達の活動範囲もその周辺の町に限られていただけに、海岸までの道のりは人間の足はとても遠く感じた。
 水は欠かせないので川沿いをひたすら下った。疲れたら草むらで休憩した。
 僕達が初めて海を見た時、ふたばは「あ、ここ」と言った直後、瞬間的に身体が石化し大量の砂粒に変化した。
 ふたばの身体は砂になって海に消えてしまった。
 おそらく内部から乾燥が始まっていたのだろう。海へ急いでいた僕はふたばの体調の変化に気づけなかった。
 その上僕は、ふたばが命掛けで集めたデータを回収する事すらできなかった。
 それから二ヶ月、僕は孤独と老化と疲労と戦いながらこの村まで戻ってきた。


 厳しい事実を告げられて子供達は表情を無くした。
 それはそうだ。予想はしていても未来が無いと言われて平気でいられるはずがない。
「子供達、聞いて。僕は、僕とふたばは僕達がこの地球で生き延びる方法を見つけた」
「何だって?」(俺達に希望は有るのか?)
「それはどんな方法なの?」(もう時間が無いの。解ってるでしょ)
 乾燥に弱い僕達の身体は、摂取したエネルギーのほぼ全てを、保湿と身体維持に使用せざるを得ない。喫茶店で補充した栄養も水分もそろそろ枯渇しつつある。
 僕はゆっくり呼吸をすると少女の顔を見上げた。
「君、僕の頭を、少なくとも脳は全部食べてくれ。どんな情報も欠片も残さず仲間に渡したい」
 僕の視線を受けて、少女は人ではありえない大きさの口を開けると、僕の頭部を一口で噛みきった。
 それと同事に少女の身体の中に居た仲間達が僕を吸収して、この三年間で僕が体験した全てをコピーする。
 視界の端には頭部を噛みきられた僕の身体を構成していた仲間達の死骸が横たわり、エネルギーを失って急激に細かく砕けていく。
 そう、僕が一緒に旅した仲間四人が消えた時と同じように。
 よくぞここまでこの身体を維持し動いて頑張ってくれた。感謝する。
 少年も僕だった身体を見て切迫した状況を理解した。
 少年は身体の前半分を二つに割ると、一体化した僕と少女を一瞬で飲み込んだ。

 このままではさすがに動けないので、ほぼ二倍の質量になった身体を再構成させる。
 少年や少女の体表を維持してきた仲間達は内部に移動し、骨格に姿を変えて身体を支え、これまで外皮のすぐ内部に居た仲間達が大きくなった身体を維持する表皮となった。
 鏡が無いので自分の姿を見る事はできないが、おそらく僕は僕がこの星に到着して最初に取った姿に変化しているだろう。
 着れなくなった少女と少年の服が、僕のそれと共にそこらに散らばっているが、時間が無いので放置する。人間は色々な理由で取らない全裸姿だが、誰も見ていないので気にもしない。
 地球人が造った監視撮影型人工衛星の動きはきになるが、間もなく日も暮れるし、廃村になって久しい土地で闇に紛れた全裸の成人男性など、データエラーとして処理されるか、なにか他の動物として認識され誰も気に留めないだろう。
 僕達三人は本当の再会と融合を歓喜する時間も惜しんで、地球側のゲートナビゲータに向かった。もう余り時間が無い。

 先に地球に送られた僕達の使命は、故郷に残っている仲間全員を移住させられる土地を探索し、地球でとるべき姿を選択。ワープ範囲内でかつ、最も安全な場所に最終着地点を入力する事。
 この廃村は故郷に居る学者達が選んだ最高の場所だった。
 だけど、本当は違う。僕達は人間になってはいけない。
 重量はもとより惑星の温度、湿度、故郷よりはるかに薄い大気の質、太陽の強い日差し、あらゆるデータが僕達が人になる事を否定している。
 しかし、悲観する事は無い。
 恒星間ワープに比べたら地球上の百キロなど、ほんの少し、ちょっとだけ向こう側のお隣レベルの近さにすぎない。
 僕達は慎重にかつ、素早く目標座標を修正し、データを母星に転送した。
 
 僕達はほんの少し角度を変えた淡く輝くスターゲートを見つめながら河原に移動した。
 僕達のやれる事はもう何もない。後は仲間と合流するだけだ。
 少年と少女から許しを貰い、僕を構成していた直径十センチメートルくらいの一部が身体から出て行った。
 知識の全てを二人にコピーさせた僕はもう自由の身のはずだ。ほんの少し我が儘になっても良いだろう。
 転がり落ちた小さな固まりはやがてネズミのような形をとって荒れ地を全力で走る。
 僕の身体が着ていた服の、胸ポケットに入れておいた紙一枚を咥えて、昼間通った道を戻る。
 夜道にも昼間入った喫茶店の小さな明かりは心強い目標だ。
 ギリギリのエネルギーしか持ってこなかったので、小さな僕の身体は喫茶店のドアからほんの少し離れた場所で止まり、完全に動きを止めた。
 さようなら、故郷の仲間達。
 ふたば、みつまた、しろ、いちご、僕は約束を守ったよ。そろそろ休んで良いよね。
 もう……何も…………感じ……………………な――――――――。


 翌朝、店を開けた喫茶店のマスターは玄関扉のすぐ側に丸く綺麗な真っ白い石で押さえられた一枚の紙を見つけた。
 マスターが二つに折りたたまれた紙を広げて見ると、「ありがとう なかまのところにかえります」と、たどたどしいが丁寧に書かれたと分かる文字が書かれていた。
 昨日の老人の置き手紙と当たりを付けたマスターは、警察への連絡を取りやめた。
 いつ死んでもおかしくないくらい歳を取った老人だったので、どうなるかとひやひやして一晩を過ごしたのだ。
 元気な姿を見れなかったのは残念だが、無事にここまで帰れたのなら問題は無い。
 行方不明者に慣れたマスターは、手紙はファイルにしまい、老人が置いていった石は喫茶店の窓辺に置いて、何年かは飾りとして楽しんだ。


 元は少年と少女だった青年は、再び身体の一部を分裂させると、いちのはじめの身体へ向かわせた。
 今更ながらお疲れ様でしたと言いたくなったのだ。いちのはじめの記憶と意志をコピーをした事で、感情も人間臭くなったのかもしれない。
 けど、それで良い。三年もの間、どんどん消えて行く仲間達を見つめていた彼の側に居たくなった。
 分裂した欠片はころころ転がって、いちのはじめの側に辿り着くと粒子となり、すでに数十もの欠片になっているいちのはじめの身体を優しく覆った。
 少年と少女だった青年は満天の空を見上げて、薄紫に輝くスターゲートを通り仲間達が続々地球に押し寄せてくるのを見守った。
 母星に残っていた最後のエネルギーを使い切って到着した同胞達は、喜びに満ちあふれながら南の海へ姿を消し、役割を終えたスターゲートも消失した。
 青年はまた身体を変態させて数十匹の鮎となり、仲間達を追って海を目指して泳ぎだした。
 海に辿り着くまでにどれだけの個体が生き残れるか判らない。無事に海に辿り着いても仲間が降りた場所は遙か先だ。
 しかし、鮎達はそんな儚い運命を喜んだ。水を通して遠くに居る仲間の気配を感じ取れるからだ。自分達は孤独じゃない。なんて素晴らしい事だろう。


 いちのはじめのデータを受け取った母星の同胞達は、いちのはじめの意志を尊重し、また、何より彼の決定を喜んだ。
 元々、自分達は地球生命との争いを望んで居なかった。
 母星で起こった厳しい生存競争や戦争で、彼らは心底から疲れ切っていた。
 ましてや、生存を掛けて地球の生命と戦争行為をするなどあり得ないと考えていた。
 いちのはじめの決定は『融和と融合』。
 第一団のいちのはじめ達がそうだったように、擬態ではなく完全に地球の生命に自分達の身体を作り替える。
 地球生命の生命連鎖に自分達も同調し、融合する事に希望を見いだした。
 母星を追われたり失ったりしたのではない。
 他の場所に比べたら、ほんの少し、その向こうの星への引っ越しだ。
 ここまで来るのにずいぶんと仲間を失ってしまったが、また、新たな仲間達が地球で待っていてくれる。我々はこの宇宙で孤独では無い。
 地球の温かい海水に触れた時、仲間達全員で涙を流しながら喜んだ。
 なんて多種多様の生命に満ちあふれた星だろう。
 なんて活気の有る星だろう。
 なんて美しい生き方を選べる星だろうか。


 その年の六月の大潮の晩、沖縄県南海の珊瑚達は一斉に産卵した。
 多くは待ち構えていた魚達に食べられてしまったが、それを逃れた卵達は波に揉まれ、潮に流され、黒潮に乗って旅立とうとしていた。
 そこへ満月に釣られるように、受精済みの数億の卵が流れに加わった。
 魚達は歓喜して卵を飲み込んで行った。
 こうして、別の星からやってきた同胞達の多くが地球の魚達と同化し、運命を共にする事になった。
 その夏、ここ数年無かった程の豊漁に猟師達は喜んだ。
 水揚げされた魚は市場に流れて人間達の口に入り、多くの同胞達は何もしなくても人間の一部として生活をし、最後まで人間と運命を共にした。
 海を漂い続けた一部の同胞は、浅く光のよく通る海底に降り立った。
 まるで母星でそうしていたように珊瑚礁を形成し、長い時を掛けてその勢力を拡大していった。
 珊瑚礁を形成したごくごくわずかな同胞達は数千年の時を経て地上へ隆起し、ついに地球の大地の一部になった。


おわり


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From POE of さんしょううお