『解体屋-0-』


 ここ数日の高浜愛は、5年前に警視庁特殊装備捜査課に配属以来初めての、有りもしない胃痛に悩まされている。
 存在しない物が痛むはずはないと、頭では十分に理解しているのだが、今現在斜め後ろを穏やかな笑顔で歩いている男を意識すると、どうしても全身サイボーグ体が疼くのだ。
 愛は自分が不安を感じたら、新人のこいつはもっと不安になるはずだと自分を叱咤して、自分の後ろを歩く男、宮田に気づかれないように小さく息を吐いた。


 愛が7歳の時に事故で身体を無くし、サイボーグ体に移植されて早10年。
 違和感無しで動く機械体の性能の良さで幻肢痛こそ無いものの、明らかに自分の身体で無い身体が、自分の意思で思い通りに動き過ぎる事に気持ち悪さは有った。本来の身体より早く反応するのだから尚更だ。身体は疲れなくても脳は疲労する。
 移植後の1年間、愛は機械の身体に順応させるリハビリ、事故後のPTSD防止と親元を離れた生活への不安を除く為のカウンセリング、遅れた勉強の取り返しと、忙しい入院生活を送った。
 脳の成長が安定する18歳まで、愛の身体は量産型医療ロボットだった。個性も無く顔や体型も本来の自分とは違う事から、自宅や通っていた学校に戻る事はできないので、退院後は子供の医療ロボットの扱いに慣れており、同様の立場の子供が多い寮の有る学校に転校した。
 そこは、増殖細胞による有機組織の移植待ちの部分機械サイボーグ体、重大な疾患で身体のほどんどを機械に置き換えなければならなかった者、愛のように事故で身体の大半を失った子供たちが生徒の半数を占める特殊学校だった。
 学校や病院で心身の様々なケアは万端で有ったが、将来を悲観してサイボーグ体に認められている自殺権を行使する子供はそれなりの人数に上った。特に若年層の全身サイボーグはその割合が多い。脳以外に生身を持たないからだと予想されている。
 成人後に全身サイボーグ体になった人が数年以内に自殺を選ぶ割合は高く、過去に自暴自棄に陥ったあげくに犯罪に走る者も多かった為、サイボーグ体のカウンセリングは、半年に1度行われる身体のメンテナンス時に義務付けられている。本来なら年に1度適用される自殺権も、カウンセリングで本人の強い希望と医師の判断が有れば叶えられる。
 その際、「1度は生きる事を選んだのに」と患者が非難される事は決して無い。
 残念ながら、未だにサイボーグ体に対する健常者の偏見は、完全には無くなっていないからだ。
 特に若年層だとリハビリ後に迎える就職、結婚等で健常者と同じ条件にはならない。普通の人より疲れにくく、病気もしない身体の為、長時間の重労働を求められる事すら当然という風潮も有る。
 愛の場合は、国と契約した企業の重大過失事故だった為、高性能なサイボーグ体の支給、24時間体制の完全な心身のバックアップシステム、生涯のメンテナンス他全てが国費負担となり、また、社会的大問題になりかねない事故を追いかけるマスコミを、事故当初から完全にシャットダウンできた事も大きかった。国が事故の危険性を危惧して隠匿したのでも有るが。
 7歳の子供の将来を気遣った周囲が異常に厚い保護が施した結果、愛は余計な悪意に晒されずに育つ事ができた。
 とはいえ、愛と同じ学校に通う生徒が、治療やリハビリも終わっていないのに時々姿を消して2度と学校や寮に戻ってこなかった事例や、医師のカウンセリングが間に合わず、授業中でも大声で泣き叫びだす生徒の姿もたまに目にしていたのだ。
 その為、特別待遇(これを当時小学生だった愛本人に言った関係者は発覚後に処分された)と呼ばれている自分は、全てにおいて優遇されているのでは無く、「国の第1級の保護下に有る子供に、人前で自殺でもされたら自分たちの責任になる」と、周囲に居る多くの大人たちに思われている事に気づいていた。
 しかし、医師や看護師、バックアップスタッフも自分と同じように感情を持ち、守りたい生活が有り、大事にしている人や物事は当然有るはずで、それでも忙しい仕事中に自分に親切に接してくれているのだから、彼らに感謝こそすれ、癇癪や八つ当たりなどするべきでないと、愛は今でも思っている。
 プラスの感情よりマイナスの感情の方が伝達し易いのはどこでも一緒なのだ。生きる事を選んだのは自分自身。その自分の境遇を自分が悲観しても何も始まらない。
 親元を離れて特殊な集団生活を長く送っていたからか、子供らしくない感性を持ち、ひねくれた性格をしている自覚は愛自身にも有った。
 愛が後に同僚になる立花たちから「鋼の精神の持ち主」と言われるようになる土壌は、主にこの頃に作られた。
 成長過程で色々有ったが、結局、愛は自分の特性を活かすべく警察官を目指し、警視庁に入った。
 一部の口が悪い者は、「子供に一生働いても返せない額の借金を背負わさせて、成長した後に就職先に危険が多い国家公務員以外を選べなくさせた」と言っているが、愛からすれば、「たとえ賠償金代わりだとしても、異常に手厚いケアを貰った分は返さないと、後々怖い気がする上に気持ちが悪い」である。
 民間企業に行くより公務員の方が通院休暇等を取得する際に便利そうだという打算も有った。しかも、生身の職員と同じようにサイボーグ体でも危険手当が出るのだ。他と比べたら、警察は破格の扱いをしていると愛は思っている。
 警察職員の負傷による離職率と殉死率が、サイボーグ化の導入で微妙に下がっているという悲しい現実は見て見ぬふりをしている。いやむしろ知らん顔をしてくれと、当事者である古町たちに愛は言われてるのだが。


 気晴らしで余所事を考えていても、今現在も愛の無い胃は不調を訴え続けていた。
 愛は歩きながら普段は見ない脳内の一角に有る自己メンテナンスマニュアルを開き、自分の不調の原因を探っていた。
 そして、サイボーグ体も「少しでも生身の身体に近づける為」という目的で敢えて付けられている、骨折や打ち身、捻挫の痛みと同様に、ストレスで胃(本来食事の要らない愛の場合は、飲食した物を熱処理で完全に無害化する場所)が不快感を覚えているように脳に指令を送るという、全然ありがたくない機能が最近になって追加された記事を見つけ、脳内で設計者や関係者への呪詛を唱え続けた。
 愛の不調の原因は他でもない宮田の存在だ。愛にとっては初めての後輩。どれだけ図太い神経をしていても緊張はする。
 生身だった頃と同じレベルを機械に求めて、見た目度外視の改造まで施したスペシャリストだけらの特殊装備捜査課内で、再現型サイボーグは課長の石手川と愛だけだ。今後、全身をサイボーグ化する宮田がどういう捜査官になるにしても、課の基本捜査方法を教えられるのは自分しかいない。
 大学を卒業して研修を終えたばかりの新人で、配属されて右も左も判らない自分を教育したのは清水だったのだが、その清水から「次はお前の番」と言われてしまっているのだ。他のメンバー全員からも自分たちには無理と宮田の教育を押しつけられたのだが、それぞれの専門を考えると愛も文句は言えない。


 珍しく気持ちを全然隠せていない愛の横顔を見つめる宮田は、1週間前まで教育担当者だった清水の言葉を思い出していた。
「良いか宮田。愛はな、オリジナルが成長した姿を再現した美人顔が、逆に残念にしかならないくらい無愛想で言葉遣いも悪いが、これはほとんど愛と出会った当時の俺たちが悪かったんだ。最初は愛も目上の俺たちに丁寧に接し笑顔で敬語を使っていた。それを「いかにも研修明けっぽくて固すぎる」と言ったのは山西、「態度が嘘くさくて逆に疲れる」と言ったのは古町、「敬語の分時間の伝たちが遅くなるから時間の無駄じゃね?」と言ったのは立花だ。教育を担当をした俺には愛は今も敬語を使ってくれているが、他の面子に厳しいのは未だに愛が根に持っているからだと俺は思っている」
「つまり、皆さんは新人だった愛さんに、何年も根に持たれるような事をしたんですね」
 呆れたように宮田が突っ込みを入れると、話の腰を折られた清水は唇を尖らせた。
「仕方無いだろう。俺ら全員が生身の頃から独身だって段階で色々と察しろ。ともかく、愛は態度がでかいように見えても、神経は細かいから、ちょっとした事でも傷つくし拗ねたりもする。またそれを無表情で必死に隠そうとするのが可愛いんだがな。宮田、お前は愛より1つ年上だ。ぶっきらぼうな態度を取られても暖かい目で見てやってくれ。間違っても生温い目じゃないぞ。愛をじっくり観察していると趣が有って楽しいぞ」
 独身中年男の集団が、10歳以上年下とはいえ成人している相手に親馬鹿を発揮しているのはどういう現象なんだろか、などと考えながら宮田は答える。
「1日交替で僕の教育を担当してくれた、山西さん、古町さん、立花さんも同じ事を言ってました。愛さんはみんなの娘みたいなものだと。ですが、皆さんがそろってそういう態度だから、愛さんは余計に拗ねているんじゃないですか? 皆さんがよくご存じの通り、愛さんは全然鈍く無いんです。むしろ相手にそれと気づかせないレベルの気配りができる人でしょ。10歳以上年下相手に対等の態度や言葉を要求しておいて、いつまでも子供扱いをし続けていたら、そりゃ怒りますよ。余所での愛さんの評価はかなり高いでしょ。他部門の僕でも名前を知っていたくらいなんですから」
 そう切り返した時の清水の顔は見物だった。普段は冷静なのに大きく目と口を開けて数秒固まっていた。
 その直後に他のメンバーに連絡を取り、再び宮田を振り返ると嘘くさい笑顔を貼り付けて、「後はお前に任せた。これが俺たちの総意だ」と言った。
 課長の石手川を始めとして、特殊装備捜査課の年長組が目に入れても痛くないくらいに愛を可愛がっているのは、宮田は転属されたその日に気づいていた。
 そして、自分と接する事で将来有望な愛が更に成長する事を期待をしている事にも。


 愛は研修直後に特殊装備捜査課に配属され、5年の間に新人とは思えない成果を上げている。
 他のメンバーが10年以上の実務経験を活かして捜査や警備、護衛等の特殊任務に就いているのに対して、愛は完全再現型の身体を活かし、日日、自分の足で様々な場所に出向いて、情報を集めている。今日もその為に港地区へ足を運んでいた。
「ここ数日愛さんと歩いていてつくづく感じます。僕たちがやっている事は昔ながらのお巡りさんですよね?」
「大体はそうだ。制服なら見た目でも抑止力なんだろうが、私服の私たちでは「ちゃんと警察は国民を見守っています」という巡回地区住民へのパフォーマンスがメインだ。実際には都内全域に配備されている警備ロボットや、随所に設置してある防犯カメラとマイク録音のデジタルデータ解析を、あちこちの部署に割り振って24時間体制で人とコンピュータがダブルで注視しているだろう。警察は事件前に動く事はできないが、一度事件が起こってからの捜査は、どれだけ必要なデータを集められるかに掛かっている部分が多いから」
 誰にも解りやすいように制服を着ないのかと聞かれて、住民に不安を煽るなと嫌がられるだけだろうと返す所までが私服警官のお約束だ。
「色々な部署が開発している監視システムも常時稼働してして年々制度を上げているんだが、残念ながら音は山西、画像は古町の右に出る者も居なければ、物もソフトも無い。いつも長年の経験を持つ能力特化型サイボーグには、自動で動く機械や若手じゃ勝てないと他部署が悔しがっている。しかし、それでも万全じゃない。監視カメラをすり抜けて起こる犯罪も多々有る。突発的なのも挙げるとキリが無い」
「カメラ効果で犯罪率は年々下がってるんですけどねぇ」
「プライバシーの保護を重視するから、事件性がはっきりしない限り、警察が入り込めない場所は多い。表に出ない犯罪は逆に増えていて、総数も相当数に登るだろう」
「嫌なイタチごっこですね」
「その為に私たちが居るんだろう」
「そう思うとやる気が上がります」
「固体能力の劣る私とお前は、定期的に警察官が巡回していますという姿を都民に見せつつ、警視庁本部が設置しているカメラが捉えきれない部分の補完をするのが仕事だと初日に言っただろう」
「まあそうなんですが、僕らは私服ですし警官というより……」
「何だ?」
「記録の為に視線をキョロキョロしているから今時珍しい迷子っぽいですよね。自分で言うのも何ですが」
「お互いに迷子という歳じゃないだろう」
 怪訝な顔つきになった愛に宮田は微苦笑になりながら首を横に振る。
「年齢に関係無く、ビルや駅構内では縦方向で迷う人は結構居るらしいですよ」
「国民全員が生まれた直後から所持しているIDチップの機能に有る案内システムを、この現代に使わない人が居るのか。頑張って地図を更新し続けているプログラマが泣く案件だぞ」
「案内システムを使っても迷う人も居るらしいです」
 一瞬、足が止まりかけてつまずきそうになった愛は、抜群の体幹で姿勢を正す。
「……マジか?」
「僕が居た広報課や交通課では有名な話です。僕自身、よく道を聞かれて案内した記録が残っているので」
「え、……ああ、そういう。…………うわぁ」
 滅多に見れないだろう百面相をする愛がどういう心理になったのか、宮田にはすぐに理解できた。
 愛は最初に「記録」という言葉に引っかかりを覚え、すぐに宮田の記憶がここ数年分失われている事を思い出したのだ。その上で、会話の内容を考えた結果が最後の「うわぁ」だったのだろう。普段感情をあまり出さない愛にしては珍しい反応だ。
 正に「うわぁ」という気分である。高層ビルや駅構内で案内専門ロボットの需要が無くならない理由はこの辺りに有る。


 更に10分程歩いた頃、愛は宮田に声を掛けた。
「宮田『ここから脳通信に切り替える。会話を周囲に聞かれたくない。それと視界と音声を本部とリンクさせろ。リアルタイムで本部でも検証できる』
 愛の声のトーンで仕事モードに切り替えていた宮田は、小さく頷いて、周囲に視線を巡らせる。
『了解です。音声はクリア、録画機能付きウェブ眼鏡の画像リンク状態も良好です。本部からチェックして欲しいポイント指示も見えているので順次記録します。結構数が多いですね。もしかして、ここは昨日までの巡回地区より治安の悪い地区ですか?』
『色々な意味でその通りだ』
 答えたのは愛だったが、本部の衣山も「そうそう」と言っている。この時間の担当らしい。
『湾岸エリア全般が危険注意地区では有りますが、この辺りは犯罪率的にはそうでも無いですよね? 何が有るんですか? 21世紀より前に多かった密航や不法移民は元より、DNAに直結しているIDの偽造はほぼ不可能ですし。ID不明では即監視対象になるし、買い物もできませんから。違法物の密輸ならうちとは担当が違いますよね』
『この地区住人は港で働く人が多いのは知ってるな』
 歩きながら愛はゆっくりと首を巡らす。
『はい』
『こういう場所で営業しているのは、高性能の重機やロボット、パワードスーツを導入できる企業ばかりじゃない。どちらかと言えば中小企業が多数だ。そういう企業は給料が低いし事故も多い』
『ああ』
『どこでもそうだが、皆が高価な再生医療やサイボーグ手術を受けられる訳じゃない』
『そうですね。僕たちはとても恵まれています』
『それが分かっているなら良い。ここだ。入るぞ』
 そう言って愛は地上5階建ての小さなビルに入って行くので、宮田もそれに続いた。
 中に入るとワンフロアに1つのテナント方式らしい表示がドア横にされている。エレベータも有るが貨物専用と書かれているので、愛と宮田は古い階段を登る。3階のパーツ専門店と書かれた表札の前で足を止めた愛は、カメラの前に立って「警視庁特殊装備捜査課です」と、声を掛けた。
 程なくして扉がスライドして開く。
 2人が中に入ると、そこは小さな診療所だった。しかも、愛やここ最近の宮田が見慣れている、サイボーグ体専門のメンテナンス施設に近い。
 部屋の中には薄い頭髪で鎖骨が目立つ痩せ気味の老人が腰掛けていた。
「こんにちは、高浜さん。そろそろ定期巡回で来ると思っていました。そちらの男性は初めてお目に掛かりますね?」
「転属してきた新人だ『名前はまだ伏せておけ』」
「『了解です』どうも、初めまして。まだ研修中の身です。正式配属になったら改めてご挨拶をさせていただきます」
 老人は宮田の顔を正面から見つめながら少しだけ首を傾げてる。
「これは珍しい。あなたは生身の新人さんですか?」
『え?』
『彼は熟練のプロだ。だが、知らん顔をしておけ』
 動揺して声を出しそうになる宮田を愛が制止する。
「相変わらず私たちをスキャンをしようとしていますね。いい加減に止めないと法的に訴えてカメラを破壊させますよ。個人的にはプライバシーの侵害だし、法的にも他企業のサイボーグ技術をスキャンして盗むのは違反行為だと何度も言ってるでしょう。特にうちのメーカーは厳しいんですから」
 呆れ声で注意する愛に老人は苦笑を浮かべる。
「一切のスキャンを受け付けない性能の持ち主なのに何をおっしゃいますやら。うちからすると羨ましい限りですよ。国と太いパイプを持つ日本医療システムの技術は」
「軍や警察が民間に遅れを取る訳にもいかないのはそちらも承知しているだろうに。これで何度目の会話だ」
 挨拶を終えたからか愛の口調は普段使いに戻っている。
「なに、毎回技術の差を見せつけられる中堅企業の愚痴ですよ。何より高浜さんはいつ見てもとても美しい。生身と見紛う顔立ちに髪の艶、日本人の範疇で有りながら均整の取れ、生身の平均体重からも外れない重量に納められているボディ。触れると柔らかそうで産毛まで精巧に再現された肌。開発部のこだわりが細部にまで施されているのは、大抵の成人した男なら色々な方法で知っている事実。高浜さんの身体がどの型かまでは判りませんが、これもまたたまりませんね」
「ちょと待ってください。今のは悪質なセクハラの現行犯ですよね」
 露骨に嫌そうな顔になる宮田に、老人は不本意という顔になり、愛は小さく溜息を吐く。
「宮田、そのじいさんはプロ根性が高じて全国の企業が開発した病院の医療サイボーグから性産業を含むサービス業や清掃用ロボットまで、手に入るかぎり自分で解体して再組み付けまでする変人だ。だが、機密保持に厳しい警察や軍、民間用でも注文者のプライベートが重視される日本医療システム製のサイボーグは法律で手が出せないから悔しがっているんだ」
「え? えっと、全て自力で?」
「いやいや、半分は会社が研究用に出してくれてますよ」
「つまり半分は自腹で……うわあ」
 老人がつぎ込んでいる金額を想像して宮田の顔色が悪くなる。
「ほら、変人だろう」
「仕事熱心と言って欲しいですね。それはさておき、高浜さん、生身の新人さんを連れてきた理由は?」
「実はこいつも生身じゃない」
「え!?」
『え!?』
『慌てるな。宮田、お前も一部はそうだろう?』
『はあ、まあ』
 露骨な表情を出すと怒られるので、宮田は業務用の笑顔を貼り付ける。
「まさかこちらもサイボーグだと言うんですか。ここまで精巧な身体はなかなか無いですよ。細部まで徹底的に調査しても良いですか」
「良いわけないだろう」
「……くっ。残念です。……………………本当に……残念ですっ!」
 自分を横目で見ながら本気で悔しそうな顔をする老人から、速攻で視線を逸らしたにも関わらず、宮田は背筋に怖気が走った。
「じいさん、同僚が怖がっているから単刀直入に聞く。最近違法物が増えてないか? 特にここ半年くらい。もしくはそれらしい情報が入っていたら教えて欲しい」
「それの出所はうちじゃありませんよ」
「知っている」
「それならお話しても良いでしょう。最初は1年くらい前でした。どこの国なのか判らないくらい傷んだ腕の持ち込み修理依頼が有りました。私は高額になる修理より別の中古パーツを購入した方が良いと言ったのですが、どうしてもそれを使いたいという要望で。仕方なく2週間掛けて直してご本人の身体に装着しました」
「出所不明の物を扱って、本社に問題視されなかったのか?」
「表向きうちの店は本社とは別の組織で、提携という形になっています。でなければ他社の部品を扱えませんから。まれに中古でも良い性能を持った他社製品が入ってくるので、勉強になりますので。そういう機会は無くしちゃ駄目でしょう?」
「自社の中古パーツを正規の治療費を払えない人に使わせて、耐久試験を実地でやらせているのがメイン業なのにな」
「うちの仕事は違法では無いし、いつも利用者からは感謝もされていますよ」
「知っている。こういう店の利用者の多くが私たちの事を選ばれた人とか、特別待遇を受けている人と言っている事も。単に国が全額保障しなければならない事故や事件被害者なだけなんだがな」
 宮田は笑顔のまま怖い会話を続けている2人を見ながら、いずれは自分もこういうやり取りをしなければならないのだと、無言で気持ちを引き締める。
「正直に私から言わせて貰うと、事件や事故で身体を失ったあなた方がそうやって生きている事は奇跡に近い。日本医療システムに適合部品が無ければ亡くなっていた方々です。逆にあなた方を妬む彼等は、四肢を失う大怪我を負ったとはいえ、只同然の中古部品で社会に復帰できるんですから、かなり恵まれているんですよね」
「客とは良い関係を築いているのに意外と質辣なんだな」
「ここの利用者全員が善人じゃないですからね。これは私個人の感想ですが、今の医療制度で1番不幸なのは治療方法が未だに見つかっていない重病人です。軽い病気や怪我ならばお金を出せば割とすぐに直ります。サイボーグ体を忌諱しなければ、あなた方の様な立場でも生きていけます。ですが、後天的な重病は部位再生による移植は難しい。出産前遺伝子治療と再生医療の発展の弊害です」
 老人は眉間に皺を寄せながらこめかみを叩く。
「それに、何よりも治療費が莫大になります。中流家庭では治療費が払いきれず、実験体として大学や製薬メーカーに協力しながら治療を受けるか、身体を捨てて脳だけでやれる仕事に就くか、生きる事を諦めるかしか有りません」
「だが、選択は自分でできるぞ」
「先天性の病気であれば、生まれた時からカプセルに入れられ、インフラ等のシステムの1つとして生きるのも良いでしょう。ですが、後天ではそれまでの普通の生活から一転するんです。高浜さん、あなただって汎用サイボーグの酷さはご存じでしょう。あなたはその美しい身体を手に入れましたが、多くの人ははっきり人造物と判る外観なんです」
『だからサイボーグ体は自殺率が高いんでしょうか?』
 たまらず宮田が愛に対してだけ口を挟む。
『それも有る。しかし、どんな外見でも未来を悲観する人は多い』
『それにしても、このご老人の話はどうも……』
『ん?』
『なんとなくですが、誰か特定の人の話をしている気がします』
『過去に親しい知人に不幸が有ったのかもしれないな』
『かもしれません。だからと言って、愛さんに暴言を吐いて良い理由にはなりませんけどね』
「初対面の方にこんな事を聞いても良いのか迷ったんですが、少し良いでしょうか?」
 宮田が小さく手を挙げると老人が鷹揚に頷いた。
「たしかに愛さんのボディはとても美しい外見をしています。サイボーグだとはほとんど判りません。ですが、色々な意味で生身では耐えられないきつく危険な仕事に就いています。危険手当は出ていますが、そのお金はほぼメンテナンス代に消えています。国の補助は普通の生活を送る分だけですから。愛さんに限らず、うちの部署の皆さんは優遇されている分は仕事で返しています」
 宮田の反論に老人は不快感は見せず、愛の顔を見つめる。
「たしかに高浜さんたちは危険な仕事をこなしているんでしょう。ですが、一般人とは選択肢の幅が違うんですよ。そうですね高浜さん」
「あなたが言う事を否定はしない」
「ありがとうございます。さて、横道に逸れてしまったのをお詫びします。話を戻します。1年前を皮切りに、半年くらい前から、よく判らないパーツの流入は増えています。ここ2ヶ月で言うなら、3割くらいにその手の依頼が入ります」
「で、何を知ってる?」
「最初は海外の部品かなと思って調べていたんですが、どうやら国連軍のパーツっぽいんですよね。一部に日本製も含まれてたんですが、世界で共通する仕様が有ったので」
「それは何だ?」
「悪質な犯罪もできるくらいにパワーが強すぎるという点です。うちでもこうなんです。この話の裏は大きいですよ」
「助かる。データを貰えるか?」
「高浜さんが来られるだろうと思ってメモリに入れて有ります。お持ちください。引き換えに、うちがこの件で協力的で有ったという証明が欲しいです」
 老人はポケットから小さなチップを愛に差し出す。
「分かってる。本部に戻り次第手続きをしよう」
 愛は話しながらチップに仕込みが無い事を確認し、指先からデータを読み取ると本部に送った。チップそのものは老人に返す。
「これからも警視庁とは良い関係でいさせて貰えそうですね」
 にやりと含み笑いを見せる老人に、愛も口元だけの笑みを返す。
「そうだな。……ご協力感謝します。では、また来ます」
 一瞬で行われた2人の豹変に、宮田は内心で「うへぇ」と思った。今更な気もするが一応形式は大事なのだ。


 ビルを出た2人は無言のまま駅に向かって歩いていた。
『気に入らないようだな』
『あそこに居る間、あの老人から喧嘩を売られ続けている気分でした。まるで日本医療システムの利用者をを恨んでいるかのようで』
 気持ちは解ると愛も小さく頷く。
『そこは許してやってくれ。あのじいさんとは私が担当した頃からの付き合いで、近所の小さな子供たちにも親切にする気の良い人だった。だが、ここ半年くらい前から性格が変わったみたいに、私に棘を見せるようになった。さっき宮田も特定の人の話をしているかもしれないと言っていただろう。プライベートで何か有ったのかもしれない』
『余程の金持ちで無ければ、日本医療システムのサイボーグ体を利用できるユーザーは状況が限られていますからね。彼は完全民営企業の所属ですし、サイボーグ体そのものは手放しで賛美していたので、反感を抱いているのがユーザー側なら、軍や警察に何か含む所が有るのかもしれません。どうにも、情報が足りなくて「かも」論にしかなりませんね。よくない傾向です。だけど、どんな事情が有っても彼は愛さんに対して失礼過ぎるでしょ。訴えて良いレベルですよ』
『セクハラまがいの言動に関してだけなら、初対面の時に「これがあの日本医療システムが誇る上級モデルの」と、目をギラギラさせてハアハアと異常に興奮されて触られそうになって、気持ちが悪かったからその場で蹴り倒した。それ以降は目つきはやばいものの、口だけになったから放置している。あのじいさんの趣味はサイボーグ全般を触る事だから、私が止めなきゃ今日はお前がじいさんにハアハアされていたぞ』
『うわっ』
 愛の言葉に鳥肌を立てた宮田は身体を震わせる。生理的な悪寒は左手以外は生身だと老人にばれる以前の問題である。
『あ』
 同時に足を止めた2人は、お互いの顔を見つめて頷いた。
『立花から報告が来たな。国連軍から違法でサイボーグパーツを購入していた組織には逮捕令状が出て、警視庁は捜査第2、3、4課が総出で行く』
『出所の国連軍側は警察の範疇外ですよね』
 速度を上げた愛に合わせて宮田も小走りになる。
『石手川課長が警視庁名義で外務省に報告書を出したら、パーツの出所は私たちの手から完全に離れるな』
『後はここ最近増えた強盗事件の後始末ですね』
『IDを消さずに犯罪行為をする奴が結構居たから、芋ずる式に捕まるのも時間の問題だろう。組織に口封じをされてなければ良いんだが』
『単体と思われる事件は切羽詰まっての犯行ですかね』
『それは捕まえてみないと分からないが』
 愛のスピードが急に落ちたので宮田も立ち止まる。
『はい?』
『ああ、強盗の件もこの後は捜査課が全て引き継ぐそうだ』
『えー、うちでやらないんですかぁ?』
『適材適所だ。それとうちは都内全域を調べるには人数が足りない。今後はサブに回る』
 当然だろうと言わんばかりの愛の口調に宮田は肩を竦めた。この件に限らず、組織上どうしようも無い事は多々有るのだ。
『はあぁ。はい、分かりました』
『地道に半年掛けて調べたのはうちだし、さっき貰ったデータも特殊装備捜査課名で送ったから、ちゃんと手柄にはなるぞ』
『特殊装備捜査課が精鋭揃いで、あちこちの事件に大抵噛んでいるのに、表彰が少ない理由を今理解しました』
『課長からして、これ以上昇進して何か良い事有るのかって人だからな。お前も諦めろ』
『……はい』


 それから2週間後、いつものように朝一で、山西と古町から目視チェック地点を確認していた愛と宮田に、課長の石手川から緊急通信が入った。
「はい。高浜」
『港4C地区の例の情報を提供したパーツ店に何らかの異常があるという通報が警備会社から入った。愛と宮田で今すぐ行ってくれ』
「承知しました。宮田!」
「宮田です。承知しました。現在最新データを確認中。5分以内に出れます」
「愛、宮田、俺たちが24時間以内のデータをチェックして怪しい所をチェックして送る。行ってくれ」
「はいっ!」
 山西の後押しを受けて、愛と宮田は本部を飛び出した。
「先日の情報提供絡みでしょうか?」
「情報提供先はあそこだけじゃない。同時期に清水さんと立花が行った数カ所でも、関連したリークは有った。捜査課の捜索でもあそこから特出した物は出なかったそうだ」
「随分と早い捜査展開ですね」
「かなり前から怪しい動きが有ったから情報は集め続けていた。それに、うちとあの手のパーツ屋は情報を頻繁に交換している。あちらからは危険と判断したパーツの入手や手術、患者の情報。こちらからはパーツ屋に危険が及ぶと考えられる事件の情報だ」
「つまり?」
「持ちつ持たれつだ。彼等がやっている行為は犯罪行為では無いが不安は有るらしく、安全の為に警察に積極的に協力的している。切り替えるぞ。『しかし、一部の業者は経済弱者の弱みにつけ込んで、本来なら処分するくらい不具合が出ている中古パーツを安価で提供し、動作、負荷データを24時間体制で収集しつづけているんだ。それを患者に知らせていないケースもまま有る』
『あれから僕も調べました。酷い業者になると無料の代償として修理していないパーツを取り付けて完全に壊れるまでのデータを取るとか、それで酷い後遺症が出たら新品のパーツと手術代を無料で提供して訴えさせないようにすると。事前にリスクは説明をしてあると一点張りで患者が泣き寝入りするしかないとか。気が滅入りそうな話です』
『政府と提携していない営利企業の方が圧倒的に多い。じいさんの所はあれでもかなり良心的な企業だ。その手の被害は患者本人や家族が訴えなければ警察も動けない』
『治療の選択肢ができて、寿命を迎えるまで支援や介護を必要とする人もほとんど無くなって、本当に良い時代になってきたと思ったんですがね』
 眉をしかめる宮田に、このままベテランになったら、特殊装備捜査課では初めての人情派捜査官になりそうだと愛は内心で笑う。
『高価で有っても増殖細胞で身体を再現できるようになった。次点でサイボーグ化をしてでも命を失わない人が増えた。先天性であれ、後天性であれ、心身の障害度に有った仕事に従事する事もできるようになった。何を幸せで不幸と決めるのはその当事者だけだ。第三者の価値観を押しつけるべきではない。私はそう考えている』
『あなたが言うと説得力が有ります』
『ありがとう』
『愛、宮田』
 本部に居る古町の声が脳に直接届く。
『はい』
『ビルの廊下、周辺通りに、カメラ、音声データとも不審な物は一切無かった。繰り返す。一切不審な物は無かった。分かるな?』
『……分かりました』
 愛の沈んだ声を不審に思った宮田が問い掛ける。
『どういう事です?』
『この件は自作自演の可能性が高くなった』
『え?』
『こちら高浜と宮田、ビル前に着きました。宮田、入るぞ。警戒しろ』
『え? あ、はい。記録を撮りながら本部にリアルタイムで送ります』
『宮田、何か気付く事は無いか?』
『以前来たときより廊下が綺麗です。掃除されていますね』
『それ以外の変化は無いな』
『はい。僅かな物の移動以外有りません』
 記憶力の良い宮田に確認させた愛は、センサーを走らせながら静かに店の扉を開けた。


『うわっ。何ですかあれは」
 診察室に入った宮田は、机の上に置かれた艶の無い銀色の半球体を見て後ずさる。サイボーグ体の脳を格納するケースと勘違いしたのだ。
 椅子の後ろのパーツを収納してあった棚はすべて空だったが、荒らされた形跡は無い。
「落ち着け。あれには見覚えが有る『古町、見えているか?』
『愛と視界を同期させて見ている。宮田、それはアンドロイドの頭脳部分だ。素人目だと脳カプセルと区別が着かなかったんだろう』
『……あの老人はアンドロイドだったと?』
『いや、それは遠隔操縦の端末だ。自立思考能力は無い。凄く綺麗に分解されているから内部犯かプロ、技術者の犯行だ』
『もしくはじいさんが自分でやったかだ。……あちらに聞いてみよう。石手川課長、良いですね?』
 愛に問われて、石手川は頷いた。
『許可する。私と山西も宮田の視界込みでモニターを見ている。立花と清水は念の為ににそちらに向かっている』
『愛さんは、老人の会社の直通番号を知っているんですね』
『以前、何か有った時用にと聞いてある』

 軽い深呼吸をして、愛は備え付けの通信端末のスイッチを入れた。ボタン1つで上司に繋がると教えてられていたのだ。但し、怪しい相手からの通信だと判断されたら端末がリモートで破壊されるとも。
「特殊装備捜査課の高浜です。突然で申し訳有りませんが、お聞きしたい事が有ります」
『警報が鳴らないと思ったら警察の方でしたか。初めまして。担当の久米です。港4C地区店の直通電話を使用していますね。何か有りましたか? そちらの担当者と朝から連絡が取れないんですが』
「今朝方警察にこちらの店に異常があるという通報が警備会社から有りました。私と同僚2人で先程来たところです。店内は荒らされておりませんが、こちらで扱っていたと思われるパーツが無くなっています。更に、こちらの担当をしていたと思われる老人? の頭部パーツの一部だけがベッドの上に残されています」
『警備会社から? こちらには何も。……まさか、あのじじい仕事を放り出して逃げやがったのか!? あ、失礼しました。……確認が取れました。昨日付で正式に辞表が出ていました。彼はもう社員では無いので弊社とは関係有りませんし、事件だとしても弊社はこの件に関して何も知りません』
「は!?」思わ宮田が声を上げる。
『どういう事だ?』と古町。
『あー、察し』と山西が呟く。
『尻尾切りか』と清水は呆れた声を出す。
『実は痛む腹でも有るんじゃないか? 後ろ暗いというか』と立花はいかにも適当に茶々を入れる。
『高浜、面倒だろうが聞いてくれ』と石手川が指示を出す。
『はい』
「最初に逃げたとおっしゃいましたね? 差し支えの無い範囲で良いので、事情を教えていただけませんか?」
『礼状も無しにですか。まあ、こちらに聞きに来られても迷惑なので問題の無い範囲で。その店の担当者は梅本怜治という名前で、うちを定年退職した嘱託社員でした。彼には孫娘が1人だけ居たんですが、治療不能の難病の為に数年前に弊社で全身サイボーグ化しました。梅本さんは手術代やボディの維持費を稼ぐ為に働いていたんですが……』
 一旦、久米は言葉を切った。
『孫娘さん、2週間前に自殺したんですよ』
『! 愛さん!』
『ああ、見事に繋がったな』
『それで、梅本さんはかなり気落ちして、仕事を辞めたいと言っていたんですが、すぐに替わり見つからなくて保留していたんですよ。そしたらこの始末です。良い迷惑ですよ』
「迷惑ってそりゃな『宮田!』 ……そういう言い方はさすがにどうかと」
『ご遺族という事で1週間会社を休んで、出てきたと思ったらいきなり辞められたんです。困るのはこちらですよ。彼に同情はしますが気持ちの問題じゃ有りません。企業の常識です。危険な所に行きたがる人は居ないから、本人にそっくりな遠隔操作ロボットまで導入したのに。移植手術と現在製造していない古い機体のメンテナンス両方を扱える社員は教育に時間が掛かるんです。その店は新しい担当者が見つかるまで閉めるか廃業ですね。倉庫を確認すると在庫パーツまで持って行ってますね。製造ナンバーを確認して廃棄扱いにしておかなきゃ。勝手に使われて弊社の責任を問われても困りますから』
「あの」
 愛は遠慮がちにこのを掛ける。
『何です?』
「行方不明者届けは出さないんですか? それとパーツの盗難届も」
『慰留を蹴って自主都合退職した社員をですか? もう弊社とは関係無いでしょう。パーツだって本来なら廃棄処分するのを、できるだけ安いのが欲しいと梅本さんが言うからそちらに回していたんです。弊社が正式に扱っていないジャンク品の責任までは取れませんよ』
『愛、梅本怜治と孫娘の確認が取れた。孫娘はたしかに2週間前に自己の希望による死亡届けが出ている。梅本怜治に他に家族は居ない』
 と古町から連絡が入る。
『梅本怜治が夕べそちらに行った映像が出てきた。夕べ遅くにかなり大きな箱を抱えて出てきている。誰にも不審に思われなかったのは、ずっとその店に担当者として居たからなんだな』と山西。
『孫娘さんはたった1人のご家族だったんですね。タイミング的に梅本さんと僕たちが会ってから亡くなられたんですね』
 脳通信であるのに、声を落として宮田が呟く。
『それでも、……どれだけ家族が生きて欲しいと周囲が願っても、生死を決めるのはサイボーグ体になった本人だけなんだ』
『事件性の無い梅本怜治をどうするかはうち単独では決められない。愛、宮田、帰ってこい』
 石手川に言われて、愛は顔を上げた。
『はい』
「久米さん、長い時間を取っていただき、ありがとうございました」
『これで手打ちにしてくださいね。マスコミに来られたらイメージが悪くなりますから。うちみたいな中堅企業じゃ死活問題なんです。分かってくださいよ』
「分かりました。上司とよく相談の上でマスコミに見つからないように、後日そちらにご連絡させていただきます」
『何も触らずに出て行ってください。こちらからオートロックを掛けておきます』
「承知しました。失礼します」
 愛と宮田が部屋を出ると、自動的にドアが閉まりロックが掛かった。
『早い。久米さんは何も言いませんが、僕たちを監視カメラで見てるんじゃないですかね』
『自分の担当店舗だ。当然見ているだろう。民間のカメラじゃ私たちの姿は鮮明に残せない。技術力の格差に今頃歯噛みしているだろうから、気付かなかったふりをしておけ』


 無言でビルを出た愛の足取りは考え事をしているのか普段より重かったが、宮田は思い切って愛に声を掛けた。
「愛さん?」
「悪い。ちょっとな」
「気分転換にどこかでお茶でもしませんか?」
 想像もしなかった提案をされて愛は目を見開く。そこに冷静な石手川の声が響く。
『馬鹿な事を言わずにさっさと帰ってこい。仕事は沢山有るんだ』
『……だそうだ』
『了解です。職務中に済みませんでした』
 宮田が軽く頭を下げると、2人はまた駅に向かって歩き出した。
『宮田』
 石手川から宮田に単独の通信が入る。
『はい』
『さっきは悪かった。一応注意しなければならない立場だ。お前から見て愛は意気消沈しているか』
『消沈しているとまでは言えないかもしれません。だけど、色々と言いたい事を飲み込んでいるような気がします。愛さんは梅本さんとは長い付き合いのようでしたから、彼の変化に気付きながら何もできなかった事で鬱いでいるのかもしれません。事前に事情を知っていても、お孫さんを救うのは誰にもできませんでした。ですよね?』
『その通りだ。愛は小さな頃からそれを実体験で知っている』
 2人が沈黙すると、複数の通信が一斉に入った。
『清水です。早く戻れそうなので、愛がやるはずだった裏付けに入れそうです』
『立花です。裏付けを複数視点で取りたいので、山西と先程の宮田の視界データを検証したいと思います』
『古町です。事件を起こす可能性が0じゃないので、できるだけ早く行方不明の梅本怜治の足取りを追いたいです。愛たちとやる予定だった事後検証は後回しにして良いですかね?』
『お前たち……』
『我慢ばかりする女の子が、家に帰って独りで泣くのはどうも苦手で』と立花。
『そうそう』と全員が同意する。
『宮田』
 溜息交じりの石手川の声がする。
『はい』
『愛は紅茶よりコーヒーが好きだぞ』
『……課長、あなたも親馬鹿仲間なんですね』
 宮田は特殊装備捜査課面々の不器用な優しさに、心が温かくなった。

『あれ?』
『どうしました?』
『この後あの店で記録したデータの検証をする予定だったんだが、他のメンバーが夕方まで空きそうも無いから食事をして時間を潰してから帰ってこいと言ってきた。そういえば昼食も摂ってなかったな』
『ああ、そういえばもう2時過ぎですね』
『すまない。私は水分補給以外要らないが、宮田は食事が要るな』
『そうですね。では、美味しいサンドイッチとコーヒーが評判の店がこの近くなので寄っても良いですか? メモに残しておいたので覚えているんです』
『美味しいコーヒー?』
『ちょっと待ちますが、日替わりで10種類くらいから選べるんですよ』
『それは良いな』
『周囲に会社が多いので、コーヒーとサンドイッチは持ち帰りもできるんですよ』
『遅くなっても良いから俺のも!』
 2人の脳内に4人分の声が響き、愛と宮田は同時に顔をしかめた。
『いつから会話を聞いてたんだ? …………全く、あいつらは食べる必要が無くても食いたがる』
 額をポンポンと親指で叩く愛に、宮田も耳を押さえながら苦笑する。
『味覚は有るんですし、食事を摂る事はサイボーグ体でも脳には良い刺激になると聞いてます』
 愛とは違い、他のメンバーは成人後にサイボーグ体になっている。身体に必要が無くても、心が食事を求める事は止められないだろう。
『それも有るか。先に人数分に注文してテイクアウトにして貰おう』
 珍しく愛が乗ってくれたので、宮田も嬉しくなってくる。脳内では立花たちが「行け行け」と後押しをしてくれているのも大きい。
『僕たちは店でゆっくりと食べましょうね』
 どうせ夕方まで時間が空いたのだからと愛も思い直す。
『久しぶりに私も食べてみるか。そこは卵サンドは有るか?』
『! 有りますよ。楽しみですね』
 宮田は脳内でおじさん5人が歓声を上げてるのは無視する事にした。
『小さな頃、母が作ってくれたサンドイッチの卵が甘くて、マヨネーズと絡まっているのが絶妙で大好きだったんだ』
 立花が「良い子に育って」と言い出して、「鬱陶しい」と山西たちから蹴られている声が脳内に響くがそれも宮田は完全無視をしている。
『素敵な思い出ですね』
『そうだな』
 美味しい食事は気持ちを豊かにしてくれる。それはサイボーグ体でも変わらないと、左手だけをサイボーグ化している宮田は思う。
 数ヶ月後には自分も愛たちと同じ全身サイボーグ化をするのだから。


 事件では無いからと、イメージ悪化を懸念した企業からの協力を得られず、調査には多少の時間が掛かったが、あの日の梅本の足取りは完全に取れた。
 梅本は日頃から本社で正式に中古販売ができないパーツを店に持って行っては修理をして、地区の経済弱者たちに移植していた。
 その為、防犯カメラに大荷物を抱えた梅本は異常な事とコンピュータは判断しなかったのだ。
 あの晩、店に入った生身の梅本は、1人で数時間掛けて自分の分身たるロボットを解体し、社内では自分にしか扱えないパーツと一緒に持ち出した。パーツを置いていっても本社に廃棄処分される事が判っていたからだ。
 ロボットの頭脳部を置いて行ったのは、その部品のみが本社と直に繋がっている為、ロボット体に異常が出れた事がすぐにばれて自分の足取りを追われるからだ。
 たった1人の肉親である孫を失い、絶望し冷静さを欠いていたはずなのに、梅本の行動は恐ろしい程に正確で慎重だった。
 梅本は両手で抱える大きさの箱に入れたパーツを、防犯カメラに写らない場所に置いて立ち去った。
 数日後にそこへ立花が向かったが、何の痕跡も見つけられなかった。自動清掃ロボット巡回外地区なので、カメラの死角に居た誰かが持ち去ったのだろう。
 その後はあちらこちらの防犯カメラに写っていたが、深夜に入ってからは湾岸地区から移動していないという事以外の記録は見つからなかった。
 仕事を自己都合で辞め、身内の居ない梅本は、誰からも捜索願を出されなかった為、警視庁に消息不明とだけ記録された。
 梅本は自宅のアパートを前日に解約して、荷物も全て処分して残していなかった。
 遺書すら無い梅本の失踪は、事件性が全く無い事から警視庁特殊装備捜査課は捜索を打ち切った。


 それから約1月後、湾岸地区下水汚物処理場の定期点検で、人間に近い骨が見つかったが、残ってる骨もドロドロに溶けていて原型を止めていなかった為、DNAの記録だけを取って処分された。
 梅本怜治の消息は今も解っていない。




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