『解体屋』

 窓の無い10メートル程の室内に、大型モニターを設置したテーブルが7つ。内、6つがドアに近い一つのテーブルを挟む形で向かい合わせに並べられ、5人の男と1人の女が無言で座っている。
 側面壁にも一面にモニターが設置され、備え付けのテーブルと椅子が有る事から、会議室兼作業場で有る事が見て取れた。
部屋に居る全員が真剣な眼差しで、モニターに映し出される映像や文章を読んでいた。
 照明を落とした会議室の重苦しい空気に耐えかねたのか、宮田は隣席の高浜愛に視線を向ける。
「どうした?」
 モニターから目を離さずに、愛は宮田に声を掛けた。勘の良さに感嘆しつつ宮田はなんとか笑顔を作る。
「すみません。まだどうにもこういう緊張した雰囲気に慣れなくて」
 相変わらず落ち着きの無い奴だと愛も苦笑した。
「課長が来れば動揺する暇も無くなるから安心しろ」
「え? あ、そうですね。訓練や聞き込みばかりじゃ仕事に慣れませんから嬉しいです」
「声が震えてるぞ」
 にやりと笑う愛に宮田は引きつった笑みを返す。
「ただの武者震いですよ」
「それは頼もしいな。期待しているぞ」
 げっ。という呻き声を上げて、宮田はモニターに視線を落とした。2人の会話を聞いていた他の4人は無言で肩を揺らす。

 愛の所属する警視庁特殊装備捜査課に宮田が転属されてまだ3ヶ月。入所時に正規の研修と受けたとはいえ、広報部に居た宮田が犯罪現場に慣れないのは無理も無い。石手川課長の命令で、1番年齢の近い愛が宮田の面倒を見ている。
 石手川は宮田の特殊な能力を見込んで特殊装備捜査課に引き抜いた。5年前の課新設当時に警察大学を卒業したばかりの愛や他の刑事達も、石手川から直に声を掛けられて集められた。
 特殊装備捜査課に所属する刑事は全員がサイボーグで、石手川を筆頭に設立当初から居る刑事の脳以外は人工物だ。
 一方、新人の宮田は身体の70パーセント以上が生身。特殊装備捜査課が扱う事件は凶悪犯罪が多い為に宮田では実働に向かない。しかし、異例で異端でも、正しく使えば恐ろしく役に立つのもたしかだった。
 事前に石手川から説明を受けた愛も宮田に期待をしている。
 なにせ、一度教えた事は絶対に忘れないから、何度も説明する手間が要らない。見聞きした物事や触れた物、嗅いだ物までコンピュータ並に全てを覚える脅威の記憶力の持ち主だ。課長が捜査畑出身でない宮田を強引に引き抜いた事を、他の刑事達も納得している。
 他にも、宮田は実働面ではまだ頼りないが、本部や他部署への問い合わせ、面倒な事務手続き全てを任せられる為、始終行動を共にしている愛はかなり助けられていた。


 集音性の高い素材がむき出しの耳を持つ山西が顔を上げると、特殊な人口眼球と金属製の両腕を持つ古町が視線を扉に向けた。
 程なくして課長の石手川が入室してきて、全員の顔を見渡すと自分の席に座る。
「事前に渡したデータに目は通してあるな」
 全員が無言で頷き、陸軍上がりで人の10倍の強さに強化した四肢を持つ立花が嫌そうに顔をしかめた。
「連続サイボーグバラバラ殺人事件、別名解体屋。被害者は遂に30名になりましたか。きっちり1日1人ずつ殺してく気味の悪い事件だ」
 全員のモニターには被害者全員の発見当時の画像が映し出されている。
 解体屋と言われるとおり、被害者は全員全身サイボーグ体。精密ドライバーを使ったように人工組織がボルト1本、配線1本まで綺麗に分解されていた。合金製甲殻に覆われていた生身の脳だけはなぜか無傷で、尚更見る者に吐き気と嫌悪感を抱かせる。
 平然と画面を見続けているのは、課長の石手川と室内で1番若い愛だけた。
 事件の犯行時間はバラバラで法則は無い。全てに共通しているのは、目撃者が居らず、監視カメラに記録が無い事と、犯人に繋がりそうな手掛かりも残っていない事だ。


 21世紀初期に、多くの人道支援や宗教団体の反発により、世界的に人体全身のクローン育成は禁止された。その代わりに増殖細胞による一部組織や臓器の再生医療だけは許可された。
 しかし、増殖細胞も万能ではなく、増殖再生治療では追いつかない病人や怪我人は、身体の一部や脳以外の全身をサイボーグ化し、石手川達同様リハビリ後に、社会復帰を果たしている。
 人数こそ少ないものの、サイボーグ体は社会を構成する大切な存在だ。
 1件目の事件から捜査を続けている警視庁は、今現在も何も対処出来ないままでいるが、このまま犯人を野放しにし、これ以上被害者を増やす訳にはいかない。


「他地区での被害報告が無いのは、この犯人が関東に潜んで居るからでしょう。以前から聞いてましたが、改めて全体像を観ると気持ちの悪い事件ですね。これじゃ俺達はおちおち夜道も歩けやしない」
 わざとらしく立花が肩を竦めると、全身の筋肉と骨を強化した清水が呆れ声を出す。
「指先で鉄パイプを曲げる大男の泣き言なぞ聞きたくも無いが、初期の事件を見ると、お前でも怯える気持ちは解る」
「見た目はともかく、俺と大して変わらないお前が言うか。それにしても初期?」
「犠牲者の1人目から5人目まではお前と同じ筋肉改造で、一目でサイボーグと知れる身体の持ち主だろう。そこから被害者のパターンが変わっている。6人目から10人目までは一部強化者で、見た目はあまり健常者と変わらない。山西や古町くらいの改造具合か」
 清水の言葉を受けて山西が呟く。
「11人目からは更に顕著で、被害者全員が治療目的のみのサイボーグだ。強化をしていない一般人は、いきなり襲われて抵抗できなかっただろう。骨や組織に抵抗痕や異常が無い。21人目からは成人済みだが若い人体再現型が狙われてる」
「今は、より見た目は生身に近い、全身サイボーグが狙われていると考えられます」
 宮田の呟きを聞いた愛がくすりと笑う。
「つまり、うちの面子だと今後予想される殺害被害者はわたし1人だな」
 他人事のような自然な口調に、その場に居た全員の顔が歪む。
「課長、捜査は手詰まり状態なんでしょう。今頃このヤマがうちに来たのは、未だに犯人像が全く特定できない事と、生身で犯人と対峙するのは危険性が高いと予想される事、それと、わたしが居るからですね。わたしに囮役をやれという事でしょう」
 愛の強く真っ直ぐな視線を受けて、石手川は小さく頷いた。
「その通りだ高浜。狙われるのが生身に近いだけなら、私も囮の数に入れたい。しかし、これまでの被害者は全員50歳以下ばかりで私は対象外だ。他のうちの連中は一目でサイボーグと判る外見だろう。残念だが君しか居ない。半サイボーグの宮田は問題外だ」
「ちょっと待ってくだ……」
 宮田の抗議を遮るように愛が続ける。
「承知しました。他は監視か護衛役ですか?」
「愛に近づく者を俺が上から監視します。襲ってきたら一撃で仕留めます」
 ビル影に入られると厄介だがとSAT上がりで狙撃手の古町が言えば、元SPの清水も手を挙げて静かに告げた。
「日中は私が少し離れた場所から護衛と監視に付きます。1番の適役でしょう」
「愛は一度言い出したら引かねえし、今回ばかりはしょーがねぇなあ。じゃあ、夜の警護は俺がやる。もちろん愛のマンションの外でだ。夜間の監視と戦闘には慣れてる」
 と、立花がごつい顎を厚い手の平で撫でた。
「俺は本部で出来る限り周囲の声と音を拾い解析する。これだけの手際だ。単独犯とは思えない。人数が多ければそれだけ音が出る」
 と、サイボーグ化する前は諜報部に居た山西が手を挙げる。
「あの、そうすると、僕はどうしたら?」
 不満顔の宮田に愛が笑顔を向ける。
「お前にはわたしと一緒に行動して貰う。どんな些細な事にも目を向け、耳を傾け、注意を払え。何が手掛かりになるか判らない。お前の記憶力に期待してる」
「ずっと側に居てあなたの護衛をしろとは、言って貰えないんですね」
 肩を落とした宮田が溜息まじりに愚痴を言うので全員が笑った。
「君達が自主的に行動を決めてくれて助かる。大体は私の計画通りだ」
 石手川の何かを含んだ口調に、古町が眉をひそめる。
「課長はどうなさるおつもりですか?」
「私はもう一度被害者を洗う。それと狙われる原因が気になるし、この捜査をうちだけでやるには人数不足だ。専門に協力依頼をしたい。実行は本日午後1時からにする。各自、今すぐ準備をして欲しい。それと、犯行手際の良さから、被害者は事前にリストアップされて順番に殺されていると考えた方が良い。犯人の視線をどう自分に向けさせるかは高浜に任せる」
「はい」
 全員が席を立って部屋を出ようとすると、石手川が愛と宮田を呼び止めた。


 愛には呼び出すまで署内待機命令を出して、石手川と宮田は2人だけで部署に残った。
「現場には慣れたか。不安や不満は無いか。高浜は君の良い教師になっているか?」
 課長の石手川から部屋に備え付けのホットコーヒーを差し出され、恐縮した宮田は頭を掻きながら礼を言ってカップを受け取った。
「愛さんはどんな惨状を見ても落ち着いていて、現場慣れもしているし、判断も的確で銃器や格闘の腕も良い。僕の特性も理解してくれているから同じ事を2度教えません。あれで僕より1歳年下だというのだから驚きです」
「宮田、私は模範的生徒の回答は求めていない。君が感じた個人的印象を聞いている」
 溜息混じりの口調に、宮田は自分はまだ石手川の理解が足りないと口の端をゆがめ、てれるように笑いながら言った。
「僕から見た愛さんは凄い美人なのにおごってなくて、服装も地味だけど刑事らしく動きやすいものだし、頭の回転も速くて尊敬してます。それに」
「何だ?」
 宮田が急に顔を赤くしたので、嫌な予感がした石手川はカップをテーブルに置くと、正面から顔を見直す。
「愛さんはとても可愛い女性だと思います。……。え、えーと。あはっ。報告しなくても良い事まで言っちゃいました。改めて口にすると恥ずかしいもんですね」
「今のは危なかった。全身から力が抜けた。先にコーヒーを置いて正解だったようだ」
 正直過ぎる宮田を軽く嫌みを返して、石手川は苦笑しつつ再びカップを手に取った。
 子供を相手にするような石手川の反応を見て、宮田も余計な事を言ったと反省する。
「すみません。調子に乗りすぎました」
「かまわんよ。先に正直な感想を言えと言ったのは私だ。ところで、君は今いくつかね?」
 急に聞かれて、宮田は一瞬だけ視線を泳がせた。
「23歳です。日付は11月3日から変わっていません。現実の季節は夏だから違和感はありますね。記録で僕の身体も知識も28歳の自覚は有るんですが、愛さんを年上に感じる事が多いので、感覚や感情は脳に残った記憶に左右されるようです」
「高浜が歳の割りに……。まあ、それは置いておこう。そうか、うちに来てから症状は悪化してないのだな。何よりだ。今、23歳か。どうりで性格が明るくて若い」
「ありがとうございます」
 嫌みの無い口調で言われて、宮田も笑顔を返す。
「新人研修ならおかしくない歳だ。君が病気の治療を受け、リハビリを始めてまだ1年半だ。一晩で数年を失っていた頃に比べて、落ち着いているようで良かった」
「そうですね。今日を忘れる恐怖が無くなり、毎日が充実しているからでしょうか。違和感は有りますが焦燥感は無いです。僕の場合、若年性認知症では有りませんし、悪化して知識ばかりある頭でっかちの小学生みたいな28歳になるのはもっと嫌です。こちらに呼んでいただけて課長に感謝しています」
 宮田の嘘の無い視線を受けて、石手川は心から頑張れよと言った。

 2、3、注意事項を確認して宮田が退席すると、入れ替わりで愛が部屋に戻ってきた。
 石手川の正面の椅子に座ると、無言でテーブルに健常者も使う情報通信支援眼鏡を7つ置いた。
 「高浜、これを全員に?」
 石手川に問われて、愛は頷いた。
「はい。先程、装備部から借りました。部分サイボーグの宮田も使え、わたし達のように全身サイボーグも使える一般用ならこれが1番良いでしょう。視覚、聴覚、音声、文字、暗視に個別通信、スペックの8割も使えれば充分です。宮田以外は不要の物になってしまう可能性は高いですが、犯人側がより人間に近いサイボーグを狙っている以上、出来るだけ補助が必要な人間に見える偽装をした方が良いと思われます。それに、脳に負担を掛けずに大きな情報のやりとりにも便利です」
 眼鏡を手に取って自分の顔に装着すると、石手川は愛に視線を戻す。
「なるほど。手掛かりを一切残さない犯人側が、いつどこからいかなる手段を使って見聞きしているか判らない。警視庁専用回線は、絶対犯人側に聞かれたく無い内容だけにしたいんだな」
「そうです。こんな簡単な偽装で騙されてくれる犯人なら楽なのですが」
 入室以降、堅い愛の表情を見て、石手川が小さく頷いた。
「そうだな。……やはり、不安か」
「無いと言えば嘘になります。こうして会話している間も、犯人が次の犠牲者を追っていると思うと恐ろしい。警視庁に適合者はわたししか居ません。早く外に出させてください。新たな犠牲が出る前にわたしが犯人に目を付けられたら御の字です」
 本人は真剣そのものだが、愛の自虐を込めた物言いに石手川の表情が険しくなる。
「高浜。まさか、犯人を逮捕できるなら自分は死んでも良いなどと思っていないだろうな」
「それこそまさかです。そんな気が有ればもっと前に権利を行使して死んでます。わたしはわたしをここまで人間らしくしてくれた開発者達に、一刑事として一人前に育ててくれた課のみんなに感謝しています。こんな残酷な事件は一刻も早く終わらせたいんです」
 焦っているのか一気にまくし立てる愛に、石手川は優しい表情になって微笑んだ。
「君はいつも会議中は必要最小限の事しか言わないくせに、こんな時だけ感情丸出しになるからな。皆が俺の娘と言って可愛がる訳だ」
「またですか。恥ずかしいからいい加減に止めてください。それに、みんなまだそんな歳じゃないでしょう」
 愛が怒りではなく照れから赤面する様を見て、石手川は声を上げて笑う。
「まあ、みんなの冗談は年寄りの楽しみだから許してやれ。そうそう」
 にやりと笑う石手川に、愛は何事かと首を傾げる。
「さっき、宮田もお前を可愛いと言っていたぞ。研修中に一体何をした?」
 頬を真っ赤に染めた愛は、テーブルから端末を2つ取って立ち上がる。
「用件はそれだけなら時間が無いので宮田を連れて外出します。追加案件が有れば歩きながらでも伺います。いつでも連絡が取れるように課長達は脳通信と端末を常にオンにしておいてください」

 会議室を飛び出した愛は、廊下で待っていた宮田に通信端末支援眼鏡を押し付け、簡単に使い方を説明しながら早足で庁舎外に向かう。宮田も眼鏡を調整しながら愛と並んで歩く。
「ありがとうございます。僕が普段使ってるのより新型で性能も良さそうだ。大体の使い方は理解しました。それで、これからどちらに行かれるんですか?」
 羞恥心で怒鳴りたい内心とは裏腹に、愛はいつもと同じ平坦な口調で告げた。
「服を買いたい。付き合ってくれ」
「はい?」
宮田の少し間の抜けた声に、わずかに苛立ちを覚えながら愛は小声で呟く。
「目立たない囮役など意味がない。組み合わせを考えるのが面倒臭くて私の手持ちの服はモノトーンばかりだ。宮田の意見を参考にしたい」
「え?」
「鈍い。これから当分一緒に連れだって歩くから、お前の趣味でわたしの服を選んで欲しいと言ってるんだ。1番近いデパートで探すぞ」
「えーっ?」
 有無を言わせない愛の勢いにつられ、宮田も小走りで歩道に歩き出した。


 2人共まだまだ子供だと、監視室に待機していた立花が吹き出すと、隣席でモニターを見ていた古町も肩を震わせる。全員がすでに愛が用意した眼鏡を装着済みだ。
「立花、古町。声を立てて笑うならマイクをカットしてくれ。必要な音が拾えん」
 別モニターを見ながら集音作業をしていた山西が苦情を漏らす。
 別室に居る石手川から所在を聞かれた清水は、2人の100メートル背後に居ると報告を入れる。程なく清水の個別識別信号の光が、監視モニターに加わった。
「他人だと思われる程度に近づく。古町は装備を持っていつでも出れるようにしてくれ」
 清水の呼びかけで、古町はハンドライフルをサマーコートの下に隠して部屋を出た。
「了解。屋内はそちらに任せた。俺は上から周辺を視る」
 犯人の姿形、人数も判らない状態で狙撃は不可能だ。ワイヤーを使って高層ビルの屋上を飛び回るのも昼間は目立つ。古町がどうしたものかと迷いながら廊下を歩いていると、個別通信で石手川に呼ばれた。
「君に頼みたい事が有る。先に私の部屋へ来てくれ」
  「了解です。清水、立花、山西、どうやら俺は別行動だ。愛、宮田、少々作戦が変わるらしい。お前達はそのままで良い」
「了解」
 石手川から数種類の弾を受け取った古町は、複雑な顔をしながら愛達の姿が見える場所に向かった。

 愛は宮田が選んだ白いブラウスとコバルトブルーのパンツスーツに身を包み、着ていた服を入れた袋は宮田に持たせて、デパートから近隣の公園へ歩いていた。
「ところで愛さん、聞いても良いですか」
 宮田の真面目な顔を見て、愛は余計な事を思い出したなと心の中だけで舌打ちする。
「何だ?」
「なぜ、会議で自らこんな危険な役をすると言い出したんですか。もちろんあなたしか居ないのは解ってます。志願した理由を知りたいんです。まさか……ですよね」
 課長もこいつもどうして同じ事を聞くんだと、愛は漏れかけた溜息を飲み込んだ。
「何を勘違いしている。殺人捜査課の連中は最初からこの事件に関わっていたのに全く成果を出せず、うちにこのヤマを渡して、悔しい思いをしているぞ。わたしに拒否する理由は無いだろう。刑事として最大限できる事をするだけだ。当然、お前もだぞ」
「失礼しました」
 羞恥に赤面した宮田は頭を下げ、愛は気にするなと言って公園内に入った。
 清水と古町の居場所から1番見通しが良い場所を選んで足を進める。手入れの行き届いた花壇の手前で、愛は酷い頭痛と悪寒でふらついた。
「愛さんっ」
 慌てて自分を支えようとする宮田の手を制して、愛は額を押さえながら視線を周囲に向けた。
「全員聞いてくれ。デパートを出てすぐに違和感に気付いたが、今は殺意レベルの強い視線を感じている。数は10や20じゃない。もっと沢山だ。わたしは多数の何者かに監視されている。対象は移動しているようで、どこからか特定できない」
「何だって?」
 酷い痛みを感じるのか、強ばっている愛をベンチに座らせ、宮田は周囲に視線を巡らせる。2人から50メートル程離れいた清水は、公園入り口から怪しい人物が居ないか目を懲らす。隣接するビルの屋上に居る古町は、ライフルのスコープで不審人物を探した。
 本部待機の立花は公園監視システムを借りて、愛達の周囲にカメラを向けてモニターを睨み付ける。両目を閉じた山西は、震える愛の小さな息づかいは無視し、公園内から聞こえるあらゆる音声に耳を傾けた。

 監視モニターを凝視する立花が唸る。
「平日の昼間だ。小さな子供を連れた親や年寄りが多い。夏の公園で昼寝する社会人はそうそう居ないだろう。公園内で積極的に動いているのは民間委託の清掃・営繕ロボット達だな。愛、お前は眼鏡の感度を最大にしてるだろ。脳と目がやられる前に標準に落とせ。それと、どの辺りから強く感じるか判るか?」
 小さく息を吐いて、愛は周囲に意識を飛ばす。
「数が多すぎて判らない。速度は平均的大人の歩行より遅いのも居る。子供かもしれない」
「僕も周囲を見ていますが、不審な動きは見つけられません。痛っ」
「どうした?」
 宮田の小さな悲鳴を聞いて、清水が公園内にゆっくり歩いて入ってくる。
「判りません。何かが顔に当たったと言うより、皮膚に何かを感じるみたいで変です。かなり不快です。僕が感じる数は15、6でしょうか」
「古町、アレを使え。対象は人間、動物、ロボット問わず、その公園内動く物全てだ」
 自室で全てをモニターしていた石手川が指示を出す。
「本当に良いんですね。課長、責任は取ってくださいよ」
 古町は消音ハンドライフルに数ミリのシート状発信器弾を取り付け、該当する公園内のる全ての対象に次々に打ち込んだ。遊んでいる子供達、ジョギング中の人達や犬を散歩させている人、清掃中のロボット数種、使用した弾数は33。愛の報告と一致する。
 撃った弾は優しく衣服に付くと透明な泡になり、24時間で消える有機マーカーだ。石手川から犯人像が判らないからと、事前に古町に渡されていたものだ。
「全てに撃ち込みました」
「了解」
 愛が眼鏡を外し微調整をしていると、聴覚の鋭い山西の耳にだけ消えそうな呟きが聞こえ、すぐにそれを増幅装置に落とす。
「愛、今すぐ眼鏡を着けろ」
 山西の声で愛が眼鏡を装着すると同事に、周囲から多数の声が耳に響いた。

何故?

今頃?

また?

違う?

何?

誰?

「記録は撮った。みんなも聞いただろう。愛、詳しい分析はまだだが戻ってくるか?」
 山西に問いかけられ愛は小さく首を振る。
「絶好のチャンスだ。もっと情報が欲しい。あちらの動きを見るのに場所を移動する」
 立ち上がった愛の手を取ってそれではと、宮田が笑みを浮かべる。
「愛さん、そろそろどこかで休憩しましょう。飲み物でもいかがですか。今日はどこの店にしましょうか」
 愛の習慣を知っている宮田が、自然な動作でお茶に誘う。この公園から最寄りのカフェまで約200メートル。ルートは古町が監視でき、清水が後から入ってきても不審がられない店だ。これなら合格だと愛も口元に笑みを浮かべた。
「外が見える場所が良いな。大きなガラス張りで明るい雰囲気の店が近くに有っただろう」
 全員に何処に行くかを知らせて、愛は宮田に歩きながら小声で聞いた。
「お前も今も視線を感じているか?」
「はい。この皮膚に突き刺さるような違和感が視線ならそうでしょう」

 カフェに着くと、見晴らしの良い窓際の席に陣取り、愛はホットコーヒーを、宮田はアイスコーヒーを注文した。愛は視線を窓の外に向けてテーブルに付いた左手の上に顎を乗せ、右手の指先で水の入ったコップをなで続けている。
「まだ頭痛は続いてますか?」
 周囲には聞こえない小声で宮田が愛に問いかける。
「いや、だが視線は至る所で感じるな。お前は?」
「僕もです。エレベータ待ちの時に強く感じました。この新しい眼鏡の機能ですかね」
「多分な。取説にこんな機能は書いて無かったんだが、何の情報だろう」
「それはすぐに調べさせよう」
 二人の耳に石手川の声が響く。
 正面は衝撃や地震にも耐える強化ガラス、同じ店には清水も客として待機しており、安全は守られている。しかし、正体不明の視線に愛の不安は拭えない。
 これが本当に犯人なのか自信が無い。犯人の目を惹き付けおびき出せた証拠が欲しい。でも、急いて犯人に逃げられたら囮の意味がない。
 注文の品がテーブルに置かれ、無意識の愛がいつものようにコーヒーを口に含むと、宮田がぷっと噴きだした。
「何なんだ?」
「やっぱり愛さんは人間だなと」
「どういう意味だ?」
 怪訝そうに自分を見る愛に、宮田は自分のグラスを両手で抱えてウインクした。
「愛さんはセルフでもこういう店でも、必ず最初にこうして両手でカップを抱えて、手に伝わってくる熱を感じた後に、鼻先にカップを近づけてゆっくり香りを嗅ぎます。そこで、少しほっとした顔になって、右手でカップを持ち直すと一口飲んだ後にふわりと優しい笑顔になるんですよ。コーヒーが来る前は冷たいグラスから指を離しませんでしたしね」
 思いもしなかった宮田の発言に、愛から先程までの焦燥感は完全に消え、自分の頬が赤くなっていくのを感じて、カップをテーブルに戻し、宮田から視線を外した。
「何でそんな事に気付くんだ。気持ち悪いぞ」
「3ヶ月間一緒にお茶にする度に愛さんの同じ動作を見てきました。時々甘いカフェオレを注文して顔をしかめてますし、毎日違う店に行きたがるのは味覚が正常か知りたいからでしょう。経験は無くても気持ちは理解できます。反応テストですね。普段は大雑把そうに振る舞ってますが、愛さんは本当は慎重で、少しだけ恐がりな女性だと思います」
「その調子でさっき課長に余計な事を言っただろう。わたしが恥ずかしいから止めろ」
 愛が視線を逸らしたまま拗ねた声を上げると、宮田は正直ですみませんと悪びれもせずに言った。眼鏡を通して複数の小さな笑い声が聞こえてくるのを愛は黙殺した。
 カフェを出た愛と宮田は、歩きながら他の刑事の報告を聞いた。
 公園で山西が聞いた声は肉声では無かった事、古町が撃ったマーカーの内、作業ロボットに付いた分は30分以内に汚れと判断され処理されてしまった事。残りは石手川が応援を頼んだIT課が追跡中。愛と宮田が感じた視線を同じ場所に居た清水は感じ無かった事。全体をモニターした立花からは不審人物が見つからない事等、芳しくない結果だった。


 安いレストランで夕食を済ませる頃には日が暮れ、清水と立花が護衛を交代した。
「今日はこのままお前の家まで歩こう」
 ここから宮田のマンションまで人の足で歩くと、急いでも1時間以上掛かる。
「電車を使えば良いのに。愛さんは元気ですね」
「ダイエットと訓練だ」
「僕のですね」
「その通りだ。しっかり歩け研修上がり。明日筋肉痛になったら、当分エレベータを使用禁止にしてやる」
 愛の毒舌を聞いた宮田以外の全員が声を上げて笑う。
「あなたは平気かもしれませんが、僕は左手以外ほとんど生身なんですよ」
「わたしの身体は人の再現型だ。最大でもオリンピック選手の力しか出せん」
「持久力もマラソンランナー並でしょ」
「まあ、そうだな」
「じゃあ、僕が顎が出てしまったり、途中で止まってしまっても笑いませんよね。食後すぐは腹が苦しくなります」
 宮田の愚痴を理解した愛は一旦立ち止まると、お前の歩調に合わせると言った。
「すまない。わたしは7歳から人工体だから、生身の辛さを理解しきれない。どれだけ外見や感覚を人間に近づけても、所詮はサイボークだ。お前がうちに来るまで忘れていた」
 聞いた事も無いくらい弱い声に、宮田が何度も首を横に振る。
「関係有りません。愛さんはとても人間らしいと昼間に言ったでしょう。僕は今は神経の一部と左肘から先以外は生身ですが、準備が整えばほぼ全身が人工体になる予定です。脳も機械の補助が無ければ人間らしく生きていけない。そういう病気なんです」
「手術で完治していなかったのか。それに、人間らしくとはどういう意味だ?」
 驚いて振り返った愛の顔を見て、宮田は課長から聞いて無いんですねと苦笑した。
「僕の事はどう聞いてます?」
「病気で数年間分の記憶が無いと。それより前の記憶も時々不安定になると聞いた」
「ええ、特殊な記憶障害です。そして、今も身体に内臓したメモリが無ければ、一瞬前の事すら覚えていられません」
 宮田は無言の愛に左手を差し出した。
「ここに手術後の僕の記憶が有ります。健康な脳を持つ愛さん達は頑丈な合金製の甲殻に覆われているのに対して、まだ度々メンテが必要な僕の記憶は、取り外し可能な場所なんです。日々増えていく記憶を残す形に、次の僕の身体は造られるはずです。本来なら人は過去を忘れていく生き物です。忘れるから生きていけるのだと聞いています」
 自分の右手で左手を抱え込んだ宮田は、きつく両目を閉じて俯いた。
「だけど、僕は忘れる事が怖い。僕は病気が進行してから、手術前の同僚や友人の顔を覚えていません。恋人も居たそうですが何も思い出せません。性格もかなり変わったと言われました。だから、どれだけメモリが増えても、人間と同じ食事が摂れる機能などメモリに変えてしまっても良いから、全てを覚えていたいんです」
 左手の拳を額に当て、眉をしかめながら宮田は悲痛な本音を訴える。黙って聞いていた愛は宮田の左手に手を伸ばした。
「その手に触れても良いか?」
「ええ」
 小さく震える宮田の左手を愛はそっと握りしめる。
「お前も充分人間らしいじゃないか。場所は違ってもお前の脳は心と一緒で温かい」
「愛さん?」
 宮田が顔を上げると、愛は右手も握りしめた。
「わたしの接触センサーは、お前の右手も左手も温度や質感は変わらないと判断している。たとえ全身をサイボーグに変えても、お前は何も変わらない」
「断言しましたね」
 宮田がかすかに口元に笑みを浮かべると、愛は力強い笑顔になる。
「当然だ。お前はわたしの無意識の行動も覚えていて、その記憶を持って今もわたしと接しているだろう。増える事は有ってもお前の記憶は消えない。そして、心は人のままだ。信頼できる」
 丁度道路清掃をしていた人型ロボットが、2人の姿に気付いて道の端に避けて視線を逸らした。決して人の邪魔をしないように、奉仕ロボット達はプログラムされている。
 愛は一旦言葉を止めて少しだけ顔をしかめ、また宮田の顔を見上げた。
「わたしは7歳の時に故障した清掃機械に下半身を喰われた。瀕死の重体で救出されてすぐに手術で脳を甲殻に納めらた。人間の成長が止まる18になるまでは毎年変わる医療用汎用機の身体で生きてきた。鏡に映る自分の顔は10年以上知らない誰かだった。成長した姿を模したこの顔を取り戻したのはそれ以降だ。幼かったゆえにカウンセラーは生きるのが辛くないかと度々聞いてきた。全身サイボーグはそうそう死なない代わりに自殺権が有るだろう。しかし、わたしは生きる事を諦めなかった。あのまま機械に喰い殺されて終わるなんて我慢ができなかったからだ」
 宮田が絶句したままでいると、愛は更に笑いながら続けた。
「暗くならなくても良い。わたしはとっくに開き直っているし、どんな姿でも死ぬよりましだ。さすがに全てを再現できないらしくて、この身体はとある場所でソフトを除いて最高級の価格が付く汎用体だ。無茶な客も居るからそうそう壊れないよう丈夫に作ってあるらしい。お前も一度くらいお世話になっているかもしれないぞ」
「はい?」
 意地悪そうな笑みで言われて宮田が首を傾げる。
「まさかその歳で童貞じゃ無いだろう」
 愛の言わんとする事に気付いて、宮田の顔が真っ赤に染まる。
「残念ながら身に覚えが有りません。多分、消えた記憶部分に有ったんでしょう。この歳になっても精神的童貞で済みませんね」
 ふて腐れたように宮田が答えると、愛は声を上げて笑う。
「そうならわたしと逆だ。18歳の時に貰った身体がどこまで感覚を再現出来ているか、男性型セクサロイドで何回かテストをした。その時の記憶は頭に有るが、身体が変わってから経験は無い。しても子供が産める訳じゃないしな」
 再び歩き出した愛の横に宮田が並ぶ。
「失礼でなければ、ひょっとして愛さんは寂しいんですか?」
「さあな。なぜお前にこんな話をしたのかわたしにも判らん。なにせ、うちの同僚達ときたら、見た目はともかくわたしを娘か姪扱いする歳の連中ばかりだ。お前とわたしは1歳しか変わらない。多分、気安くて言いやすかったんだろう」
「まあ、たしかにそうかもしれません」
 少しばかり落ち込みながら、宮田は極力態度には出さすに曖昧に笑う。
「でなければ、わたしはお前を好きになったのかもしれないぞ」
「はい?」
 愛の言葉を脳内で反芻した宮田は頬を赤く染める。
「も、もう、か、からかわないでくださいよ。まさか、今頃喫茶店の反撃ですか? 愛さんがそういう冗談を言うとは思いませんでした」
 焦ってどもる宮田を見て愛がにやりと笑う。
「あいにくだが、わたしは恋愛経験が無い分、この手の冗談は言い慣れてなくてな。一応本音のつもりだ。……多分な。わたしにも判らないと言っただろう。そら、話をしている間にお前のマンションに着いたぞ。良い運動になっただろう」
「は?」
 愛に言われて宮田が顔を上げると、そこはたしかに自分のマンションの前だった。
「単独行動は避けるべきとはいえ、ここまで送ってくれなくても良かったのに。狙われているのは愛さんなんですよ」
「万が一の保険だ。あの視線に気付いたお前にも護衛が必要だと判断した。わたしには立花が居る。お前は安心して部屋に帰って寝ろ」
「全くあなたには叶いませんね。お休みなさい。また明日」

 宮田の姿がエントランスに消えるのを見て、愛は来た道を戻り始めた。暗闇の中に背の高い立花の姿が見えた。警視庁専用回線に切り替えて愛が問いかける。
「出来るだけ目立つ行動をしたつもりだが、どうだった?」
「俺と山西でずっとトレースしてきたが不審者は居なかった。例の視線は有ったのか」
「今も感じている。どこから見ているのか判らなくて不気味だ」
「課長がその眼鏡については明日まで返事を待って欲しいだと。メーカーの技術者が調査中だそうだ」
「分かった。役に立ってるから頭痛の文句は言えんな」
 普段通りに戻った愛の雰囲気に、立花はやれやれと肩を竦める。
「今夜はあのまま宮田の部屋に泊まるのかと思った。愛は時々予想も付かない事をするから、おじさんは心配で仕方ない」
「馬鹿を言えっ」
 真っ赤になった愛が怒鳴りつけても、立花の姿勢は崩れない。
「と言いつつ、愛は結構、宮田を気に入っているだろ」
 逆に鋭く突っ込まれて愛は視線を前に戻す。
「それは否定しない。あいつは良い奴だからな。ともかく、ここからわたしのマンションまで徒歩30分だ。しっかり見張っていてくれ」
「へいへい」


 熱いシャワーでべたつく汗を洗い流すと、宮田は倒れるように寝室のベッドに俯せた。
 半日歩き回って全身に疲れと筋肉痛を感じているが、気持ちは穏やかで落ち着いている。
 護衛をするつもりで周囲に気を付けていたはずなのに、いつの間にか夢中になって愛の姿と声しか記憶に残っていない。課の面子に知られたら捜査官失格と呆れられるだろう。
 自分が選んだ可愛いデザインのスーツを見た愛は、一瞬頬を引きつらせたが、すぐにそれを手に取り、試着室で着替えるとそのまま購入した。いつも黒やグレーばかりを着る愛に、爽やかなコバルトブルーはよく似合っていた。スカートを選ばなかったのは愛の足癖の悪さを知っているからだ。普段の調子で動かれたら自分の目の毒でしかない。
 愛は自分を顔以外は量産品と言ったが、実年齢を再現した顔は聡明で美しく、時々見せる素の表情は可愛らしい。
 すっかり満足した宮田は、左手のバックアップメモリに記憶をコピーさせる為に夢の無い眠りについた。


 愛をマンション前まで送った立花は路地裏に待機している。通信を通して本部に居るIT課と一緒に視線の正体を探っているが、未だに手掛かり1つ見つけられない。
 今日の報告で警視庁犯罪捜査コンピュータは、95パーセントの確率で次の被害者は愛と指名した。
 冗談じゃないと立花は激高する。
 自分は過去に軍務で、他の刑事は捜査や護衛中に身体を失い、丈夫な人工体を手に入れた。危険な仕事を自分が選んだのだから仕方がない。
 しかし、愛はたった七歳の時に事故に遭い、生きたい一心で人工体を駆使し、厳しいリハビリと訓練を乗り越えて大学卒業後に警視庁に入った。
 サイボーグ化した時に離婚したり恋人と別れた自分達とって愛は娘も同然だ。これまでの被害者のような無惨な姿には絶対にさせないと心に誓う。
「眼鏡を着けていてもマンションに入って以降は視線を感じなくなった。どうやらここは安全らしい。徹夜組には悪いがわたしは寝る。宜しく頼む。お休み」
 ぶっきらぼうな愛からの通信にお休みと返して、立花は視線を愛の部屋に向けた。
「やっぱ、宮田には勿体ないか」
 ボソリと呟くと本部待機を続けている山西から返事が返ってきた。
「宮田は天然で愛は鈍感だ。意外と似たもの同士か割れ鍋に綴じ蓋で合うかもしれん」
 笑いを含んだ声に、立花も声を立てて笑った。


「高浜、起きろっ」
 熟睡中に脳内で大声を出され、愛は文字通り飛び起きた。時間はまだ4時半。夏の空は白みかけている。
「おはようございます。課長、どうしました?」
「解体屋によると思われる殺人事件発生。15分後にそちらに車が行くよう手配した。立花とそれに乗ってくれ。万が一に備えてフル装備だ。予備も忘れるな」
 急いで着替えながら石手川の震える声を聞いて、愛は嫌な予感がした。
「被害者はどこの誰です?」
「宮田だ。私の読み違いだ。……すまない、愛」
「まさか、でしょう?」
 いつもの黒いパンツスーツに昨日着けていた支援眼鏡、荒事込みの捜査用装備一式を入れたバッグを背負い、部屋を飛び出した愛は、マンション前で怒りで顔を赤くした立花と合流した。
 無人操縦でやってきた車の運転席に立花が座り、愛は助手席に座ってブドウ糖と水を口に流し込むとバッグから出した装備を身に着けた。立花が小声で問い掛ける。
「大丈夫か?」
「そう見えるか?」
 愛の悔しそうな声を聞いて、立花の声のトーンが下がる。
「悪かった。俺もだ。みんなも同じ気持ちだ」
「狙われてるわたしと離れれば、視線を感じていても宮田は無事だと思っ……」
 怒りで言葉を失った愛がダッシュボードを殴りつける。
 誰も予想できなかった。これまでの被害者は全身サイボーグばかり。身体の70パーセントが生身の宮田は、巻き込まれでもしないかぎり安全だと思っていた。だからこそ、愛もマンションの前で宮田と別れ、護衛に誰も付かなかった。


 愛と立花が宮田のマンションに着くと、すでに地元の警官が進入禁止のテープを貼り、現場を保存していた。早朝に呼び出された鑑識も証拠集めをしている。
 部屋には石手川が2人を待っていて、現場で簡単な検死も始まっていた。ここで愛達に出来るのは、これまでの事件との相違点を探す事だけだ。
 宮田はワンルームマンション住まいで、玄関からは簡単な仕切りで区切られている。生真面目な性格ゆえか、部屋は綺麗に片付いていた。
 異臭を放つシングルベッドが異様な光景を晒している。淡いブルーのシーツ一面が血に染まっている。ベッド中央には血まみれの若い男が大の字の姿勢で俯せに倒れていた。
 これまでの解体屋の仕業とは思えない状態だが、しっかり共通点は有った。
 宮田の左肘から先はミリ単位の小さな部品まで分解され綺麗に並べられいる。頭部から背中にかけて生皮が剥ぎ取られ、皮は床に皺一つ無い状態で置かれていた。
 頭蓋骨代わりの合金製甲殻を外された生身の脳はそのままで、人工神経を何十本も繋いだ延髄は背骨より外に飛び出している。むき出しの背筋の一部は数ヶ所えぐり取られ、ベッドの上に薄い合金製のケースが並べられていた。
 左肩から肘までの皮も一部切り取られ、埋め込まれていた人工神経が全て抜き取られている。
 悲惨な状態にも関わらず、宮田の死に顔は穏やかだった。別れ際に見た笑顔が愛の脳裏に浮かび胸が締めつけられる。
 そんな愛の気持ちを逆撫でする一言が石手川の口から発せられた。
「宮田は争った形跡が全くない。自力で動けないバックアップ中を襲われたのかもしれん。遺体を持ち帰って専門家の意見を聞こう」
 それはどういう意味かと問い詰めたい気持ちを、愛と立花は飲み込んだ。こんな場所で感情的になれば捜査の邪魔にしかならないからだ。
 宮田の遺体がシーツごとカバー付ストレッチャーに乗せられ運び出される。
 それを見送った石手川、愛、立花は無言で警視庁本部に戻った。


 警視庁一階で石手川と別れ、愛と立花は自部署の部屋に入った。
 すでに他の刑事全員が揃っており、ちらりと2人の顔を見て軽く会釈をすると、また席のモニターに視線を戻す。
 宮田の遺体を確認した二人に誰も何も言わないのは、悔しさや悲しみを口にするより、早急に犯人を逮捕する事が宮田への1番の弔いだと知っているのと、無言で耐えている愛にどう接して良いのか判らないからだ。
 みんなの気持ちが痛い程解る立花は足早に自席に座り、愛は無人の隣席を見て一瞬顔を曇らせたがすぐに自分の席に座った。
「愛、立花、眼鏡製造メーカーから回答が来ている。課長が戻る前に目を通してくれ」
 清水に声を掛けられ、2人は急いで端末を操作する。
 ファイルを開くと、情報通信支援眼鏡の取り扱い説明書に、更に細かい字で詳しい説明が追加されていた。
 愛が生身の宮田も使えるようにと選んだ支援眼鏡は、視覚聴覚障害者も使える仕様で、基本的に健常者やサイボーグ改造体は不要な機能をオフにして使う。
 健常者より性能の良い目と耳を持ちながら、最高精度のフルスペックを使用する事はメーカー側も想定しておらず、愛の身に起こった頭痛等の異常は、視力の良い人が強い度の眼鏡を長時間掛けるようなものと揶揄された。
 眼鏡の視覚補助システムには、自分に向けられた視線を感じ取ると、フレームを通じてユーザーに知らせる機能が有る。知人と出会ったり、誰かに話しかけられた時に即時対応する為と、通りすがりの人や、障害物との衝突を避ける為だ。
 通常の使用方法なら、監視カメラや人間を一旦視界に入れて記憶した後、向こうが自動的に避ける奉仕ロボットを、眼鏡は写しはしても基本的に無視する。
 愛と宮田が視線を感じ続けたのは、街中に設置されている監視カメラや、奉仕ロボットを、高感度状態の眼鏡が敏感に感じた為だろうというのがメーカー側の回答だ。
 愛が違和感を覚えて頭を上げると、昨日近くで護衛をしていた清水と目が合った。
「愛、気付いたか。俺は眼鏡の設定を低く直す前から同じ場所に居たが、公園、道路、テナントビルにカフェも視線を一度も感じなかった」
「わたしは眼鏡の設定を変えても、家に入るまでずっと視線を感じていた」
 愛が答えると立花と古町も手を挙げた。
「夜間担当の俺はずっと愛と宮田の近くに居たが、最初から眼鏡の設定を落としていたからか、全く感じなかった」
「俺も感じなかった。もっとも、監視カメラの死角にしか居なかったからかもしれない」
 一日中、部署に詰めていた山西は何も言わない。
「宮田も眼鏡再調整後に視線を感じていた。メーカーの回答と合わない。この点に絞って再質問したいが良いか?」
 愛に聞かれて全員が頷く。すぐさま愛は、眼鏡制作メーカーにメールを送った。
 何処かおかしい。具体的な形にならない違和感に苛立ちを覚えながら、愛は昨日全員が提出した報告書や、IT課が纏めた文書に目を通してた。

 山西が軽く首を傾げるとほぼ同事に、課長の石手川と中年の2人の男が部屋に入ってくる。自分の席の横に自動的に簡易椅子がせりだしてくると、石手川は二人に座るよう指示した。
「詳しい分析結果はまだだが、宮田の検死は一通り終わった。同席していた主治医の久米氏と担当技師の衣山氏に来ていただいた」
 石手川の紹介を受けて、全員が無言で会釈をする。先に立ったのは主治医の久米だった。
「一般的検死結果はデータを送りましたのでそちらを読んでください。僕からは宮田さんだけに起こった話をします」
「だけも何も無い。全身サイボーグじゃない被害者は宮田が初めてだろ」
 山西が唇を尖らせても、久米は冷静に受け答えた。
「ええ、だから僕も宮田さんが殺されたと聞いて驚きました。今回の特徴ですが、宮田さんが生来持っていた組織には、一切手が触れられていません。身体を押さえる等の圧迫痕も拘束痕も打ち身も有りません。この辺りの事情は後で衣山さんに聞いた方が早いでしょう。つまり、犯人は宮田さんが治療で移植した増殖細胞組織と機械部分のみを取り去った。人工甲殻の頭蓋骨上部、ケーブル端末を繋いだ頸椎、ケーブルやバッテリーを埋め込んだ部位の皮膚と筋肉です。正直、僕は驚いています。いくら移植細胞でも生身なんですから。宮田さんが記憶障害なのはご存じですね?」
 久米に問われて、全員が頷く。
「宮田さんは2年前に急に新しい経験を覚えられなくなりました。思考力や反応は普通で若年性認知症ではありません。海馬の記憶が上手く大脳皮質に伝わらないんです。発症後治療方針が決まるまでの間、宮田さんは音声文字変換ソフトで見聞きした事を記録していました。常に緊張を強いられた状態からか、数ヶ月で四年分の記憶が消えました。その後、体内メモリを移植し、リハビリを続ける内に更に1年分の記憶が消えました」
 普段は楽しそうに笑っていた宮田の厳しい過去に、愛達の表情が曇る。
 事情を知っていた石手川は先を促すように目配せを送り、久米も頷いた。
「発症直後はともかく、リハビリ中も記憶を無くしたのは、彼を心配する周囲の人への罪悪感かもしれません。相手は自分を知っていても、宮田さんにとっては知らない他人ですから。しかし、石手川課長の話では昨日の宮田さんの記憶は23歳だったそうです。リハビリ後にこちらに配属されてからは、記憶の後退は有りません。精神が安定している証拠です。皆さんと出会えて余程嬉しかったんでしょう」
 宮田が生きてさえいればくすぐったくなるような話を聞きながら、愛達は文字データや映像にも目を向けていた。久米の話は検死結果や報告書と一致している。
 増殖細胞で再生された部位を剥がされた事には誰もが戦慄した。全身でも部分でも、サイボーグ医療は増殖再生医療が使えない大怪我か病気に掛かった患者のみに使われる。ある程度の火傷、腕1本、目鼻の損傷などには再生医療が優先して適用される。
 ターゲットが変わり、捜査がふりだしに戻ったのかと愛は気が遠くなる思いになった。
 久米の話が終わり、技師の衣山が立ち上がると、モニター画面も切り替わった。
「私は宮田さんが使う予定だったサイボーグ体制作担当です。彼の異常は脳だけで、あなた方のように身体の損傷は有りません。記憶障害は人によって症状が変わります。彼の場合、外部メモリ無しでは、5分間しか記憶が持ちません。その為、合金甲殻で前頭葉を覆って直接回線を繋ぎ、海馬の記憶データを背中に一時メモリを埋め込みました。宮田さんの場合、ここで全データの圧縮を行い、左腕のメインメモリに記録させ、それを大脳に送っています。これが宮田さんが見聞きした事全てを覚えている理由です。生身でも忘れたくない事を忘れてしまうのに、機械に残すデータの選別を本人はできません」
「メモリを背中に左手にか。荒事の多い仕事をするには随分危険な場所だ。もっと安全な場所が有っただろうに」
古町に問われて衣山は軽く笑った。
「一時的な処置のつもりでしたから。あなたも頭を吹き飛ばされたら死ぬでしょう。絶対に安全な場所は有りません。可動域にメモリを搭載したのは調査段階だったからです。彼が外部メモリを使いこなしているのは分かってましたが、脳の記憶消失が止まるか進むか判りませんでした。また、今後どれだけのメモリが必要なのか判らないと、身体の設計はできません」
 衣山は何を今更と苦笑した。全身サイボーグは身体は機械でも脳は生身のままで人間と変わらない。それでは、宮田の本質を理解出来ないと話を続ける。
「私は彼に身体のほとんどがメモリに置き換わっても良いから、忘れないようにして欲しいと、外見だけ人間に見えたら良いと依頼されました。この1年半は、リハビリを兼ねてメモリ使用量を観察していたんです。彼がこちらに配属されて3ヶ月、もうすぐメモリの定期検査の予定でした。ですが……」
 苦々しい顔で衣山が口ごもると、石手川が代わりに口を開いた。
「ところが、解体された宮田の身体から、全てのメモリが抜き取られ持ち去られていた。これは初めてのケースだ。宮田に関しては、これまで統一していた犯人像と違う」
「けど、あの異常なくらい綺麗に並べた部品には特徴が一致している」
 現場を直に見た立花の意見に愛も同調した。
「久米さんの報告では宮田の生来の部分には全く被害が無かったんだろう。犯人が再生医療とサイボーグの区別が付いていないという事は考えられないか?」
「もし愛の言うとおりなら、被害者は最初からバリエーションに飛んでいただろう」
 清水の指摘を受けて、愛は黙ってモニターに視線を戻した。
 何かが引っかかる。しかし、どうしてもそれが見えてこないと愛は苛立つ。
「今、こんな事を言っては失礼ですが、私は宮田さんに期待していました。私達は発病後に彼と会いましたが、とても人間臭い性格だと思いました。人の感情には思考、記憶、感覚、学習、経験が最低でも必要になります。脳の一部を機械に置き換えても、人が人らしく生きられるか。彼を通して心の検証ができるかもしれないと」
 そこまで言って、衣山は何かを言いたげに愛の顔をじっと見つめた。愛が首を傾げると、何でもないと首を横に振った。
 説明を終えた久米と衣山が席を立つと、慌てて愛が質問した。
「昨日、支援眼鏡を掛けたわたしと宮田は、いくつもの視線を同事に感じました。側に同じ眼鏡を掛けた刑事も居ましたが視線は感じませんでした。どういう事か解りますか?」
 真剣に問われて、久米と衣山はお互いに顔を見合わせ笑うと愛を振り返った。
「宮田さんが視線を感じたのなら、実際に誰かから見られてたんでしょう。あなたがた全身サイボーグはどうか知りませんが、僕達生身ならたまに有りますよ」
 また何か解ったら連絡して欲しいと言って、久米と衣山は帰って行った。
 まさかの発言に愛は絶句する。
 顎を撫でていた立花が「あー、そういえば」と手を打つ。
山西と古町が「俺も覚えが」と、清水は「あ、そうか」と、最後に石手川が愛に申し訳無さそうに「私も生身の頃に経験が有る」と、言った。
「……わたしは、知りませんでした。理解していれば、宮田を守れたかもしれません」
 愛は7歳で肉体を失った。肌が感じる本能に近い反応を覚えていなくても仕方がない。俯く愛にその場に居た全員が慰めの声を掛けようとして、愛の表情の豹変に立ち止まる。
「有り得ないだと?」
 愛の目はモニターに釘付けになっている。
 急いで全員が席に戻りモニターに視線を向ける。
 画面には眼鏡製造メーカーから先程メールで送った質問への回答が映し出されていた。


 弊社で同様の条件を被験者と眼鏡を替えて30回ずつ実験しました。全身サイボーグが全く同じ仕様で眼鏡を使用した場合、多少の精度誤差は有っても、存在する物を認識するしない等の差は発生しません。問い合わせの件は眼鏡が故障でもしていない限り有り得ないと判断します。


 下を向いて全身を震わせていた愛がいきなり顔を上げる。
「ふふふふふ。ははははっ。そういう事か。やっと解ったぞ」
 愛が生身なら目をぎらつかせ、涎も垂らしていそうな歪んだ笑顔に周囲が狼狽する。
「やっぱりわたしは狙われていたんだ。わたしが囮で正しかった。どうして宮田が狙われたのかまでは判らない。しかし、毎日必ず1人ずつ殺してきた犯人だ。次こそわたしだ」
「どうした。高浜」
 不審に思った石手川に厳しい声を掛けられ、愛は笑いを納めて向き直った。
「課長、お願いが有ります。みんなも協力して欲しい」


 立花と清水は古町が指定した場所に待機していた。
 狙撃手の古町は都内のセキュリティシステムを記憶しており、どの場所なら滅多に人に出会わず、監視カメラにも写らないか知っている。
 通信はセキュリティの高い警視庁専用回線を使用し、支援眼鏡は部署に置いてきた。
 張り込みでやっかいなのは、監視カメラよりどこにでも現れ路地裏清掃をする奉仕ロボット達だ。人間に良く似せて作られた奉仕ロボット達は、都内に点在するセンターのAIが管理している。管理会社は多数有り、どの地区をどこの会社が担当しているかも、当日の当番も公表はされていない。
 事前に会社側へこの地区でロボットを動かさないよう依頼する事はできない。他業種にも支障が出る為、強制的にサーバを止める事もできない。探知されないよう身体をセーブモードにして物に擬態する事は可能だが、何か有った時にすぐには動けない。
 今夜だけは秘密裏に捜査を進めたい特殊装備捜査課にとって頭の痛い問題だ。
 路地裏に潜んでいる立花は愛が「犯人が九十五パーセントの確率で判った。今夜おびき出す」と言った時の思い詰めた顔を思い出していた。
 愛は細かい要望を出した後に、間違っていたらすまないとも言った。
 先入観で自分達の捜査に支障が出ると判断したのか、それとも復讐心か。後者でなければ良いと立花は思った。
「あいつ、やらかさなきゃ良いが」
 ボソリと呟くと、別の場所で待機している清水が声を掛けてきた。
「愛を軍人並に強く育てたのは俺達だ。しかし、同じサイボーグでも愛の身体は俺達に比べてはるかに脆い。最終奥義を使う前に救出したい」
「そうだな」
 あれだけ切れた愛を見たのは初めてだと、立花は小さな溜息を漏らす。
 愛は配属時から自分達とは歳が離れすぎている。やっと肩の力が抜ける相手が現れたと思ったら、たった3ヶ月で殺された。
 宮田は愛にとって初めての同年代で後輩で教え子でもあった。普通でいられるはずが無い。


 愛は短めの黒いサマーコートを羽織って、最初に視線を感じた公園中央のベンチに腰掛けていた。足元は足首をしっかり固定した黒革のウォーキングシューズ。宮田が見たらまた黒一色ですかと突っ込まれそうだと愛は声も立てずに笑う。
 時間は深夜零時過ぎ。こんな時間に都心の公園に来る物好きはそう居ない。ほぼ無人になるこの時間帯に1番忙しく働いているのは、修理や清掃を担当する奉仕ロボット達だ。24時間、どこにでも居るロボット達を誰も疑問に思わない。
 しばらくして、愛は真っ直ぐ自分に向かって歩いてくる人型ロボットに視線を向け立ち上がった。3メートル程の距離を空けてロボットが立ち止まる。
「待っていたぞ。お前、昨日はずっとわたしを見ていただろう」
 愛がにやりと笑いかけると、成人男性を模したロボットは口を開かずに声を出した。
「あ、あー。失礼。声になってますか。愛さん、高浜愛さんですね」
 耳障りな電子音が出した声を聞いて、一瞬で愛の脳は沸騰する。
「その声、どうやって手に入れた?」
「昨夜解体した物が持っていたメモリをコピーしたら付いてきました。あの人間に似た身体は何ですか? 私達の世代よりずいぶん進歩しているようです」
「それは宮田の声だ。お前が使うな。それと、何の話をしている? 連続殺人犯」
「殺人犯、誰がですか?」
「お前だ。これまで31人を殺しただろう。身に覚えがないとは言わせない」
「31体の人モドキなら解体して調査しました。人間とそっくりなのは外見だけで、身体は軽量機械、人と同じ食事が摂れる以外の私達との差異は有りません。唯一解体出来なかったのは、合金製の器に入った薄いベージュ色をした解析不能の物質でした」
 言質を取ったと愛は思った。
 自分達の会話は課内全員が聞いている。ロボットを操るAIがサイボーグ体の解体を認め、所属する企業名が解った時点で、正式に捜査が開始されるはずだ。
 目の前のロボットはただの端末に過ぎない。本体は都内各地に分散しているサーバだ。バックアップも含めて全て押さえなければ意味がない。協力中のIT課も動いている。
「あれは人の脳だ。ロボットのお前が触れなくて当然だ。お前達は人間に危害を与える事は許されていない。お前が解体したのはサイボーグでれっきとした人間だ」
「部分、全身問わずサイボーグ体は人間に分類されており、当然私達の保護対象です」
「ならば、なぜ彼らを殺した?」
「それは、高浜愛さん、あなたが人のふりをしてここに存在する理由が解らないからです。あなたは20年前に私のかなり前のバージョンに殺されました。あの時は、誤動作であなたを人間と識別できませんでした。あれ以降、私達奉仕端末には2度と悲惨な事故を起こさないように、人間の個体識別番号を読み取る目と、痛覚を感じる神経を与えられています」
 それくらいは知ってると愛は言い返したかったが、今は情報を得るのが先だと黙っていた。
「この安全システムは世界中のロボット企業が導入しています。私は東京都の営繕を担当する5社の内の1つでその一部にすぎませんが、7歳時の愛さんの顔はメインメモリーに入っています。私の古いバージョンが完全消去されたのは、人間の愛さんを殺した為です。なのに9年前、愛さんは記録より歳を取った姿で私の前に現れました。あなたは一体何なんですか?」
「あいにくだが生きていたんだ。わたしは人体再現型サイボーグだ」
 愛は自分は失血で手術中に一度心臓が止まったと聞いている。蘇生に成功して即脳を保護されたのだと。いつ死んでもおかしくない状態だったが強運と医師の腕で生き延びた。
「あなたの識別コードは人間でかつ、サイボーグです。しかし、それでは私の記録と合いません。私の企業は多額の賠償金請求をされ、汚名を払拭するのに長い間苦労しました。やっと他の企業に近づけたと思った時にあなたが現れたのです。それから9年間、私はあなたを見続けてきました」
「気持ち悪い。AIのストーカーとはな」
「大学に通うあなたを見ました。警視庁に入ったあなたも。そこであなたとよく似た存在を複数見掛けました。死んだはずのあなたと一緒に居るんです。識別コードはサイボーグの人間でも、全員がロボットの偽装ではないかと疑います」
 なんだそれはと言いたい気持ちを愛は堪えた。
「警視庁所属の個体は強いので、まずは、近い別サンプルを5体ずつ解体しました。どれも人間のサイボーグ体に酷似していました。あなたによく似た形状も解体しました」
 自分の同僚である立花達に似たサイボーグ達を狙ったと知って、愛の全身は震えた。それでも今は怒っては駄目だ。もっと時間を稼げと愛は自分に言い聞かせる。


 愛とロボットの会話を警視庁内部で聞いていた石手川は、ロボットが自分で殺人を認めた直後に、待機していたIT課課長の木屋にゴーサインを出した。
 昼間、愛は犯人の目星が付いたと言った。宮田と歩いていて清掃ロボットとすれ違った時に最も強い視線を感じたと。
 すぐにIT課に依頼し、該当するロボットを割り出し、個体番号から企業名も調べ上げたが、殺人の証拠が全く無いので今まで手は出せなかった。
 都内で該当会社の清掃ロボットを無線で動かす管理サーバは10カ所。奉仕ロボットは常に移動する為、指令サーバの場所は固定されていない。
 どのサーバのAIが殺人指示を出しているか、自動保全システムで、バックアップをいつどこに移動させるかも判らない。愛は1つだけ方法が有ると言った。石手川達はそれに賭けた。


「私は一体じゃありません。あなたもよくご存じの通り、私は都内全域に存在します」
 ロボットの声とほぼ同事に、外部から数十体の人型奉仕ロボット達が公園に入ってくる。
「こうやって集団で被害者をなぶり殺したのか。殺人後に清掃して証拠を一切残さずに」
 質問には答えず、愛を取り囲んだロボット達は同事に声を上げた。
「私は何故あなたが人間の中に人間としてロボットが混じっているのか悩みながら見続けました。あなたと私、どこが違うのか学習しようと努めました。しかし、解りませんでした。始まりはあなたです。今夜こそはあなたを解体して、その理由を調べます」
 決定打だと愛は大声で笑いたい気持ちを抑えた。これで殺人予告が加わった。このAIはもう逃げられない。
「最後に教えろ。なぜ宮田を殺した。あいつは生身だった。普通に呼吸をし、傷つけば血も流れる。意識が無くても生きたまま生皮を剥がされ、骨と神経を引き摺り出されて痛かったはずだ」
「あなたが言う宮田という個体、あれが見た目を裏切り1番人間じゃありませんでした。私は移植細胞と機械部分だけを解体しました。普通の人間は記憶を脳内に持ちます。ところが、あれは28歳と登録されているのに、外部にたった1年半分のノイズだらけのメモリを持っていただけでした。身体のベースは人間と機械と増殖細胞のキメラです。人間が死体を生きているように動かす術を身に着けたのか、違法クローン技術を使ったのかまでは知りません。ノイズはあなたに異常に執着していました」
「ノイズ?」
 意味が解らず愛が聞き返す。
「行動記録の他に大量に記録されたノイズです。愛さんは面白い、愛さんは可愛い、愛さんが好きだ。あなたの事ばかりです。何の役にも立たないデータは不要です。大容量なのに記録から抜き出して削除もできない。身体は最新型なのにソフトがおかしい」
 宮田の隠された気持ちを知って、理性の糸が切れる音を愛は聞いた。
「お前が言うノイズは人が当たり前に持つ感情の事だ。所詮はロボットか。それが有るからこそ人間なんだ。生きてる証拠だ。お前に言っても理解できないだろう。それに、宮田の記憶を読んだのなら、昨夜のわたしの会話も覚えているはずだ。人同士の会話だったろう」
「あなたが持つ記録は、20年前に死亡した少女を元に作られた可能性が有ります」
「馬鹿馬鹿しい。ロボットにそんな必要がどこに有る」
 愛は話しながら動きにくいコートを脱ぎ捨て、絶縁・強化素材のノースリーブハーフ丈の黒いタイツ姿になった。攻撃意志を示したロボット相手に身体を直に出すのは危険だが、負荷加熱を逃がすにはいくらか肌を出す必要が有った。
「お前はわたしが何を言っても、わたしを人間と認めたく無いんだろう。話は終わりだ」
 愛の言葉が引き金になり、ロボット達が一斉に襲い掛かってくる。愛は腰のホルスターから銃を抜き出し、目の前に居たロボットを足場に3メートル程上にジャンプすると、最強にセットした衝撃銃を下に向けて何発も撃ち放った。


 激しい痛みを受けて、耳障りな機械の叫び声が公園に響き渡る。その音の流れを警視庁に待機していた特殊な耳を持つ山西は聞き逃さない。モニターをクリックして、ロボットから痛み信号をキャッチしたサーバを待機組全員に知らせる。
 最初のルートを見つけ、そこから繋がる枝葉を全て切り落とせばAIは逃げ場を失う。
 IT課総出で会社の管理システムに侵入し、該当するAIサーバの電源を落として強制終了させていく。当然、会社側に事前連絡はしていない。狂ったプログラムを闇に葬る恐れが有ったからだ。
 職員の一人が大声を上げた。
「ちょと待てっ。こいつ、余所の空いたサーバに勝手に自分をコピーさせているぞ」
「慌てるな。何処に逃げても追跡して全部止めるんだっ」
 課長の木屋が慌て出す職員に怒鳴り声を上げる。
「調べてみたらこのAIが管理しているのは監視カメラと奉仕ロボットだけで、病院等の施設からは完全に独立しています。いっそ、1ルートだけ残して全中間ルートをダウンさせた方が良いのでは。このままじゃイタチごっこだ。ネットワークを利用してコピーを繰り返して逃げられます」
 部下の申告を受けて木屋はすぐに判断した。
「良いぞ。今すぐにやってくれ。現場に出ている連中を誰も死なせるな」


 愛の合図を待っていた清水と立花は同事に走り出した。網膜モニターには愛を取り囲む30体を超えるロボットが映る。愛がどれだけ優秀でも多勢に無勢だ。人体再現型の身体は数で圧されたらひとたまりもない。
 隣接するビル屋上に待機していた古町は、派手に動き回る愛を避けながら衝撃弾でロボット達の足を狙って狙撃していく。本体サーバとの通信が切れてしまうので完全破壊はできない。愛も古町も本気の攻撃ができずに、苦戦を強いられていた。
 衝撃弾連射は愛の腕にも負担が掛かる。数体を行動不能にさせても、四方八方から他のロボット達が涌いてくるので気が抜けない。一度でも捕まえられたら終わりだ。
「暴れないでください。大人しく分解されて調査させてください」
 襲撃中とは思えない淡々とした声が、ロボット達から出される。
「わたしは2回もロボットに殺される悪趣味は持って無いっ」
 至近距離に近づいたロボットの肩口を邪魔だとばかりに銃底で叩き付け、腹部を蹴り飛ばす。蹴られたロボットは背後に居たロボット2、3体を巻き込んで、せり出した花壇から転がり落ちていった。
 背後から両足を掴もうとしたロボットの手を、愛は鉄板を仕込んだブーツの踵で踏み潰す。前方は銃で対処し、背後から来る追撃のほとんどは蹴りで応酬する。
 死角になった側後面から体当たりをされ、左肘の辺りが嫌な音を立てて変な方向に曲がる。それをものともせず、愛は曲がった腕でぶつかってきたロボットを殴り倒した。
「やはりあなたは人間じゃない。ロボットも動けなくなる痛みを感じているはずです」
 数方向から同事に言われて、愛はしれっとした顔で答える。
「お前はわたしを傷つける事で痛みを感じているだろう。だが、全身サイボーグは便利だぞ。お前と出会った時に痛覚は全て切ってある」
「ずいぶんデタラメな身体に作られたのですね」
「人殺しが言うな。お前が正気なら自己強制システムダウンしている」
 押し迫ってくるロボット達の足を、愛は片手で持ち直した衝撃銃で撃ち抜いていく。
 視界の端に公園の出入り口付近で狙撃され、倒れていくロボット達の姿が見えた。
 古町だ。自分の周囲に居るロボットの数が増える事は無いという安心感が、愛の行動を大胆にしていく。
 ジャンプで真後ろに居たロボットの頭を強く踏みつけ数瞬停止させ、身体が落ちないように両足で頭部を押さえ込む。上体をひねりながら全方向に向けて銃を連射する。足場にされたロボットが活動を開始し、自分の足首を掴む前に愛は地面に飛び降りた。
 破壊し機能を停止させたのではない。痛みで身体の自由がほどんど利かないロボット達も、愛を捕らえに身体を引き摺りながら集まってきた。余程この姿の自分が生きているのが気に入らないらしい。さすがにまずいと愛は舌打ちする。

「こなくそーっ!」
 至近距離に迫っていたロボットと愛の間を、風と共に黒っぽい物体が通り過ぎていく。頭部が潰れたロボットを引っかけたまま、黒い影は旋回して愛の周囲に居たロボットをなぎ倒していった。
「立花、公共物破損。固定ベンチをもぎ取った上に武器代わりに振り回すな。それにロボットは壊すなと言われていただろう」
「数が多すぎだ。あのままじゃ愛がやられてただろっ」
 冷静な清水に指摘され、立花はロボットを振り落として、金属製のベンチを持ち直しすと怒鳴り返す。
「待たせた」
 いつの間に回り込んだのか、すぐ背後から聞き慣れた低く落ち着いた清水の声が聞こえて、愛は安堵の息を吐く。
 愛の左手を見た清水は眉間に皺を寄せて、もう少しスマートな戦い方を教えたはずなんだがと小さく漏らす。
 愛の前に立花、背後に清水が立つのを見て、ロボット達が停止する。
「止まったぞ。本当に愛だけが狙われてたのか」
「そうらしいな」
 立花が注意深く周囲を見渡して呟くと、清水も銃は降ろさないまま同意する。
 背の高い2人に挟まれた状態の愛が、そうとは限らないと小声で反論した。
「清水、立花、避けるか力の限り踏ん張れっ」
 古町の声とほぼ同事に地面から高圧の水が噴き出し、大柄な立花はなんとかその場に留まったが、清水は持っていた銃を飛ばされた。普段は地下に埋められている火災・散水用のバルブがせり出し2人を狙っていた。
「くそう。俺も公共物破損で始末書かっ」
 舌打ちをして古町がライフルを撃ち、吹き飛ばした土砂でバルブの蓋を埋めていく。
 2人に庇われた愛が身を乗り出す。
「あいつは相当特殊らしい。生身は傷つけられないが、サイボーグ体は相手を選ぶ。わたしや人間なら吹っ飛ぶ水圧だったが、お前達は特殊仕様だ。直接手を触れなかったところを見ると迷いは有るみたいだな。立花、動けない左を頼む。あいつと話がしたい。わたしを正面に立たせてくれ」
 頷いて立花が場所を空けると、愛は無言で数歩前に進む。清水はポケットから予備の銃を出し、愛の背後を守る。
 立花と清水の排除に失敗してから、ロボット達の攻撃再開の様子は無い。
「お前から見て、この2人は人間か?」
 問われたロボット全ての視線が立花と清水に集中する。表情の無さが余計に不気味だと立花は顔をしかめる。
「あなた同様、2人の認識コードはサイボーグで人間です。しかし、これまで解体した例とあなたの外見から、死者を模した私が知らない新型ロボットの可能性は否定できません」
 ロボットの言いざまに清水が苦笑する。
「たしかに俺はお前見たら死者扱いかもしれん。俺も1度心臓が止まって蘇生した」
「俺は爆弾で手足が吹き飛んで、自分でもどうして生きてんだか解らなかったな」
 愛だけが特殊な存在ではないと立花も擁護する。
 これで結着させてくれと願いつつ、愛は表情を変えずにロボットに言い放った。
「お前がどれだけ認めたくなくても、わたし達は曰く付きの身だが人間だ。これまでお前が殺して来た人達全員もだ。お前は31人も殺し、わたしも傷つけた。こういう時にお前の立場はどうなる? 20年前、わたしを殺した時に経験してるんだろう」
 愛の言葉にロボット達の身体は一斉に強ばり、数瞬後、すさまじい絶叫を上げ始めた。

 マーキングを続けていた山西はたまらずヘッドフォンから耳を離す。しかし、IT課に出口をことごとく潰され、用意したダミールートに逃げるAIの気配は聞き逃さない。
 手はしっかりと最後のサーバ位置をクリックしていた。
「木屋、後は頼むっ」
 実働班全員の行動を把握しながら山西のサポートをしていた石手川が声を荒げる。
「ダミーへの全データ転送を確認しました。元サーバ電源を落とします」
 部下から報告を受けた木屋が、オペレータ全員に指示を出す。
「ダミーの内容をチェックして間違いが無ければそっちも電源を切れ。捜索令状は取った。ロボットが停止次第、管理会社に乗り込む。全部で10カ所だ。最低2人体制で行け」
「はいっ」
 狂ったロボット達と直に接していないIT課刑事達は、常に前線に居る特殊装備捜査課だけに手柄はやらないと意気込みを見せた。

 愛と清水と立花は、ロボット達がその場に立ちつくした後に一斉に倒れる姿を見て、石手川達が危険なプログラムの完全停止に成功したのだと知った。
 力が一気に抜けて、愛はその場にへたりこむ。慌てた清水が愛を抱き抱えるが、両足も微妙に変な方向に曲がっているのを見つけて、益々渋い顔になる。
「愛、お前な」
 両目を閉じて俯いた愛は切れ切れの声で呟いた。
「どうしても奴が連続殺人犯の証拠が欲しかったんです。先輩、わたしは、宮田の仇を討てましたよね」
 対等の同僚ではなく、後輩として甘えてくる愛に清水と立花の顔も緩む。
「よくやった。と、言いたい所だが、刑事が仇討ちとか言っちゃ駄目だろ」
 と、立花は愛の髪をくしゃくしゃに撫で、清水は黙って頷くとだらりと垂れ下がった愛の左腕も抱え上げた。
「俺と立花が現場に残る。清水は愛をサイボーグ治療センターに運んでくれ。それと、いまいましい事にやっぱり俺と立花は始末書だとよ」
 ライフルをコートの中に隠し、非常階段を下りてくる古町が嫌そうに言うと、立花も悪態を吐いて引きちぎったベンチの上に腰掛けた。
 そんな2人を尻目に、清水は待機させておいた車の助手席に愛を乗せた。

 石手川と木屋が率いる警視庁IT課は、狂ったプログラムを製作した管理会社に捜索令状を突きつけ、ハードごと問題のAIを全て回収した。今後はネットワークから遮断した所で綿密な調査が行われる。管理会社の社長、幹部、エンジニアの代表は逮捕された。
 その後の調査や捜査は、宮田の死亡と愛の不在で手が足りなくなった特殊装備捜査課から、元の捜査課に戻された。問題のAIの解析は引き続きIT課が行う。
 愛は適合する新しい身体が入荷するまで、病院で昔使っていた汎用型ロボットを使い事件の報告書と要望書を作成し提出した。
 愛が出した要望は、サイボーグ体の人間カテゴリ認識の強化と、奉仕ロボット管理AI全てから自分の事故記録を削除する事だった。2度と狂うAIを出さない為にも自分の記録などない方が良いと思ったからだ。


 身体が変われば以前と同じ動きは出来ない。新しい身体に早く慣れるべく愛がリハビリを続けていると石手川が見舞いにやってきた。
 手を振る自分を確認しても軽く会釈だけを返し、マシンジョギングを続ける愛の姿を見て、当然だが中身は変わらないと石手川は笑う。
「元気そうだな」
「本当に元気なら職場に戻ってます。この身体は以前のより精度が上がってるんです。これまでのような大雑把な動きをするとバランスを崩します。拳銃の腕が上がったのは嬉しいですね。込み入った現場でも銃が使えます。疲労度の精度は鈍いままが良かったです」
 愛のあくまで業務優先の姿勢に、石手川もやれやれと肩を竦める。
「話が有る。君の個室で良いだろうか」
 愛は機械を止めて、「あの部屋ならセキュリティの問題が有りません」と答えた。

 冷たい緑茶を飲みながら、石手川は事件の捜査進行状態と、愛の要望書が全国の管理会社に受理された事を告げた。
 20年前も重大ミスを犯した管理会社は、幹部のほとんどが逮捕され、倒産に追い込まれるだろう。監視カメラや奉仕ロボットは、他の競合メーカーが分割して受け持つ事になった。
「AIサーバが保存していた宮田の外部記憶なんだが」
 言いにくそうに石手川が切り出すと、愛の表情が強ばる。
「記録を見たご両親の強い希望で、メモリの処理を君に一任するそうだ。どうする?」
 愛はゆっくり瞬きをすると、真っ直ぐに石手川の顔を見た。
「宮田は死にました。あのメモリは宮田の一部です。身体と一緒に処理してください。宮田の思い出は、わたしの脳にしっかり刻み込まれています。これ以上は要りません」
「それもそうか」と石手川は頷き、ある事に気付いて愛に聞いた。
「以前と同じ顔だな。顔に歳を取らせるのが間に合わなかったのか」
「いえ、意識的にやりました。わたしは少しでも人間らしくしようと意地を張るのを止めます。わたしは先輩方を見習い、この身体のベスト状態を維持する事にしました。それに」
 今度こそ愛は恥ずかしそうに告白した。
「何年分も記憶を無くし、辛い思いをした宮田は、こんなわたしの顔でも好きだと言ってくれました。わたしはそれを忘れたくないんです」
 照れくさそうに赤面する愛を初めて見た石手川は、大きな代償と引き替えに漸く人間らしい感情を取り戻したのだと気付いた。
「高浜、リハビリが終わっても休みを継続して、旅行にでも行って良いんだぞ」
 気を遣ったつもりだったのだが、愛の顔が嫌そうに歪む。
「暇すぎると逆にストレスが溜まるから勘弁してください。医師の許可が下りたら即日でも復帰します。それとお願いが有ります」
「ん?」
 石手川が首を傾げると、愛は笑顔で告げた。
「事件が全て解決したら課全員で宮田のお墓参りに行きましょう」
「分かった。その日は私が責任を持って周囲に掛け合い、スケジュール調整をしよう」
「ありがとうございます」
 立ち上がった愛が頭を下げると、石手川も立って扉に向かう。
 狂ったロボット達と対峙していた愛は、無意識で何度も「わたしは生きている」と叫んでいた。他の術が無く身体を機械に換えたサイボーグなら一度は誰でも通る道だ。幼い頃から機械の中で生きてきた愛が、宮田と接する事で、漸く自分が普通の人間だと理解できたのだ。それは決して悪い事ではない。
 そして、これから愛も人間らしく何度も辛い思いして、その度に乗り越えていくのだろうと、石手川はわずかな時間感傷に浸り、病院を後にした。




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