長らくお待たせしましたがこの度「Madam.HIROKOの海外移住への道」を新た
にリニューアルして「Madam.HIROkOのブリスベン便り」をオープンします。
これからも引き続きご愛読いただくようお願いいたします。 世話人拝



2007年08月05日                       
                     第5回


                     「言葉の壁」

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 ブリスベンに赴任して1年5ヶ月目に入りました。最近、胃が痛くなるほど悩んでいる
 ことが1つあります。まぁ、最近といっても、ブリスベンに赴任する前からずっと悩
 んで考えてきたことではあるのですが・・・。それは、何を隠そう、2歳7ヶ月になる
 息子の日本語と英語の問題です。

 ブリスベンに赴任したとき、息子はまだ1歳3ヶ月でした。 話せる日本語といっても
 「ママ」「まんま」「ぶー」「わんわん」「にゃー」レベルだったと思います。

 海外赴任が決まったとき、夫の会社の本社でまる1日にわたって“海外赴任前セミナ
 ー”いわゆる奥様研修が行なわれたのですが、そのとき、「海外子女教育振興財団」
 という帰国子女の教育に長けている財団の偉い方がみえて、海外生活における母国
 語教育の大切さを延々とお話されたのをよく覚えています。

 現在も、財団から毎月駐在員家族に配布されている「海外子女教育」という雑誌でも、
 とにかく母国語の教育は親の責任みたいな記事が繰り返し掲載され、母国語形成の失
 敗談も多く、まずは英語よりも日本語ということは日々痛感しています。

 日本を離れるときには、多くの方から「帰ってくる頃には、息子さん英語ペラペラね
 ぇ、いいわねぇ、うらやましいわぇ」という言葉を幾度となく浴びせられましたが、
 帰国子女の親類を多く持つ私達夫婦にとっては、「世の中、そんなに甘くない」とい
 う言葉が何度のどまで出かかったことか・・・。

 海外生活をしていて外国語である英語が本当に自分のものになるためには、とりあえ
 ず母国語の土台が確立されている必要があるらしいです。それが出来るのが、いろい
 ろな説があるようですが、早い子で小学校2年生くらい、 通常は小学校高学年だそう
 です。うちの息子が日本に帰るのは5歳くらい、だから絶望的なのです。

 もちろん、日本に帰って自然と忘れていく英語でも、またいつか海外生活を始めたと
 きや学校で英語の勉強を始めたときには、スムーズに頭に入っていき、発音もきれい
 なまま思い出すという話もよく聞きます。

 それより怖いのは、2歳〜4歳といわれる母国語を身につける時期に、母国から離れる
 ことで、一番大切な時期に母国語である日本語に接する機会が減ったり、外国語に接
 する時間が長くなったりすることで、母国語の発達が止まり、それまで培ってきた母
 国語の知識も失われていく危険性があるということです。

 実際に、両親ともに日本人で、家庭では日本語オンリー。友達関係も出来るだけ日本
 語を話す子達と付き合うようにしていたという駐在員の子どもが、数年間海外で暮ら
 し、日本に戻ったときに、まわりの同級生との日本語のレベルの差に傷つき、せっか
 く身につけた英語を話すのを嫌がったりするというのはよく聞く話で、他人事ではあ
 りません。

 せっかくの海外生活、その間に英語を身につけさせたいという気持ちがないといった
 らうそになりますが、それは今の私達にとっては、2の次なのです。

 我が家では完全に日本語、テレビやビデオもなるべく日本語のものを見せ、英語の番
 組は、 ミッキーマウスとWiggles(オーストラリアで一番の人気番組)くらいしか見
 せていません。絵本の読み聞かせも、もちろん日本語。普段も、出来るだけ日本語環
 境で遊べるように努力していますし、日本語の童謡なども教えています。

 それでも、日本の同じ年の子に比べたら、言葉は格段に遅く、日本に帰国したときに
 は、わかってはいたものの、ショックは受けます。しかも、英語が話せるかというと、
 簡単な単語や挨拶レベルは問題ないけれど、公園や地元のプレイグループ(児童館の
 ようなもの)のママ達の言葉は、どうやら理解できていないようです。

 住んでいるだけで、英語を習っているわけではないので、それは仕方がないと思いま
 すが、それでも、これから、どんどん地元の子供達と接する時間が増え、幼稚園に行
 きだしたときに、英語でのコミュニケーションがとれないために、悲しい思いをする
 のはかわいそうだと考えます。

 普段私がオーストラリア人の友人と遊んでいるときでも、息子には日本語で話しかけ
 ます。もちろん、まわりのオーストラリア人には意味がわからないでしょう、正直あ
 まり気持ちの良いものではないかもしれません。時々、通訳したりもしますが、まわ
 りにもわかるように、私が息子に英語で話しかければ、息子の日本語力はますます落
 ちていってしまうでしょう。

 どうするのが一番良いのか、本当に、悩みは深いです・・・。



 近所の教会で毎週1回行なわれているプレイグループ。オーストラリアには、日本
でいう児童館のようなものがなくて、各地域の教会などでプレイグループという育児
サークルが組織化されています。


2007年07月01日                       
                     第4回


                   「寒い・寒い・寒い」

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 オーストラリアでは1年のうちで最も寒いのが7月になります。私が住んでいるブリス
 ベンや世界的な観光地ゴールドコーストは、亜熱帯気候ですので、 1年を通して比較
 的温暖な地域です。 真冬の7月でも平均最低気温が10℃、最高気温は20℃程度ですの
 で、去年の冬(6月〜8月)日中はセーターやコートは全く必要ありませんでした。東
 京の4月下旬、もしくは11月初旬の陽気といったところでしょうか。

 それなのに、今年は世界的な異常気象の影響でしょうか。6月の初めから、とにかく
 寒いです。ブリスベンは、先週の半ば、大寒波に襲われました。朝の最低気温が7℃、
 最高気温が13℃くらいの日が3日ほど続き、湿度は30%ほど、しかも強風が吹き荒れ
 ました。 何でもこの寒さ、80年ぶりの寒さといううわさですが、うそか本当か怪し
 いです。 ただ、隣のおじいちゃんやメンテナンスのおじさんは、生まれてから一番
 寒いといっていたので、あながちデタラメではないのかも知れません。 特に湿度が
 低いのは、身体中が乾燥してかゆくなるほどつらいです。 日本ではここまでの乾燥
 は経験したことがなく、毎日、加湿器フル稼働です。

 昨年の4月にブリスベンにやってきてから1年2ヶ月あまり、もちろんこんなに寒かっ
 たことはありません。 去年は袖も通さなかったセーターを引っ張り出し、夫のフリ
 ースを拝借して、家の中でもそれを着込み、 それでも「寒〜い」と昼間から暖房を
 かける始末でした。ちなみに、私のフリースやコートはこちらでは着ないと思い、
 日本の実家におきっぱなしです。現に昨年の冬にはまったく必要ありませんでした。

 暖房のないユニット(マンション)に住んでいた友人が、 子どもが風邪をひく前に
 と、こちらのホームセンターにヒーターを買いにいったら、在庫切れ。そもそも、そ
 んなに売れないものなので、あまり在庫がないのでしょうね。

 オーストラリアでは、冷房や暖房がついていない家も珍しくなく、あわててヒーター
 を買いに走った人も多かったのでしょう。

 確かに、夜は暖房なしでは凍えそうな寒さです。もちろん毛布は必需品。日本の冬に
 比べると、圧倒的に湿度が低いので、本当に底冷えする寒さ。水不足でバスタブにお
 風呂をためることも躊躇してしまう今日この頃、日本の温泉がなつかしくてたまりま
 せん。

 今月に入り、比較的まとまった雨が続いてたブリスベンですが、水不足の解消には、
 ほど遠いようです。つい2〜3週間前にも、まる1日大雨が降り続くということがあり
 ました。 シドニー近郊では洪水騒ぎもおきたのですが、ブリスベンでは特に大きな
 被害はありませんでした。 しかしこれも、2年ぶりという降雨量だったらしく、1日
 中大雨が降り続くというのも、私がブリスベンに来て初めて経験したことでした。

 それでも、1日大雨が降った際のダムの貯水率の回復は、0.08%だとか。現在のブリ
 スベンのダムの貯水率は18.07%、1日中雨が降り続いても、貯水率が0.1%もアップ
 しないのは本当に深刻な問題です。3年間毎日雨が降ってもダムが満杯にならない計
 算になりますから。 日本の四国地方では、ダムの貯水率が30%ということで、給食
 のご飯をパンに変えるなどの大騒ぎですが、ブリスベンは18%、レベルが違います。

 この水不足によって、電気料金と水道料金の値上がりが決定しています。 他にも野
 菜や果物、牛乳やお肉などの食料品の値上げもほぼ確定。ただでさえ、物価が高く、
 生活しづらい国になってきていますが、さらに、豪ドルは105円まで上がり、観光客
 も割高感から減少しているそうです。

 自然が豊かで、海がきれいで、治安が良くて、物価も安く、暮らしやすい。そんな
 オーストラリアのイメージが壊れていくのは、とても悲しいことです。
 




対岸から見たブリスベンシティ。手前の低層で重厚な建物がカジノ。その左のモダン
なビルはライブラリー。まだまだ開発途中で、あちらこちらで高層ビルの建設工事を
していて空気が悪いです。




2007年06月03日                       
                     第3回


                   「高すぎます・・・」

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 オーストラリアの好景気はおとろえるところを知りません。先日、西オーストラリア
 を旅行してきた友人の話によると、パースの新聞に載っていた求人広告に、「キッチ
 ンハンド(皿洗いなど)時給25ドル」 「大型トラックドライバー日給500ドル」とい
 うのがあり、ひっくり返りそうになったとか。

 最近のオーストラリアドルは、1ドル99円台ですので、100円で計算すると、皿洗いが
 時給2500円で、トラックの運ちゃんが日給5万円ということになります。 ブリスベン
 では、そこまでは行きませんが、ウェイトレスの時給20ドルというのが一般的で、事
 務などでも時給25ドル、30ドルはざらです。

 景気が良いと、土地の値段も上がります。オーストラリアといえば、ひと昔前は、10
 00万円も出せば、庭付きプール付の豪邸が買えると言われたものですが、とんでもあ
 りません。市内中心部から車で数時間など遠く離れた土地で水道も通ってないような
 場所では、夢のような話ではありませんが、オーストラリアの都市部の家は、広さは
 日本の家よりもはるかに広いものの、値段は東京並みかそれ以上です。日本円で億を
 超える豪邸も、「For Sale(売ります)」の看板が立ったと思ったら、 数日後には
 「Sold(売れました)」のシールが張られているような状況です。

 フリーペーパーに載っている不動産の値段は、5000〜6000万円台の物件が中心で、日
 本人が気に入りそうな新し目の物件ですと、8000万円は超え、2億、3億の物件も普通
 に新聞広告として載っています。ブリスベンのリバーサイドに最近建築中の高級マン
 ション、平均価格は3億円。売り出し戸数45戸のうち、残りは3戸とか、恐ろしい世界
 です。

 オーストラリアで売りに出されている物件、あるいは賃貸に出されている物件は、多
 くの不動産会社が共同出資して開いている“realestate.com.au”というサイトで調
 べることが出来ます。
 http://www.realestate.com.au/cgi-bin/rsearch?s=qld&t=res&snf=rbs&a=sf

 私が現在住んでいる家も、日本からこのサイトを日夜チェックして見つけ出した物件
 です。希望するサバーブ(街の名前)やベッドルームの数、一戸建てかユニット(マ
 ンション)か、予算などの条件を入力すると、一覧表が出てくるので、そこで気に入
 った物件の写真や詳細を確認してから、不動産会社にコンタクトをとって実際に見に
 行くという感じです。

 実際には、サイトなどは見ないで、 狙っている地区を車でぐるぐるまわって、「For
 Sale」の看板を見つけて、不動産会社に電話するという人も多く、特に週末は、止ま
 りそうなくらいゆっくりと走る怪しい車を多く見かけますが、たいていは家探しをし
 ている人たちです。

 日本と違って、こちらの不動産広告には部屋の間取り図や広さなどは載っていません
 ので、実際に自分の目で確かめなければなりません。

 たとえば、先日売りに出た我が家の隣の物件

 ・House(一戸建て)
 ・3 Bedrooms(寝室3つ)
 ・1 Bathroom(バスルーム1つ)
 ・1 Garage(駐車スペース1台分)
 ・Land:642.00sqm(土地の広さ:642平米)
 ・Close to Brisbane : 7km (シティまで7キロ)
 ・City and Mt Coot-tha views
  (シティとマウントクーサの眺望あり)
 ・Early 1920's Queenslander
  (1920年代前半のクイーンズランダー建築)

 という歌い文句で売り出されていました。敷地は確かに広いです、街の中心地までも
 車で15分くらいです。静かな住環境で、まわりに高い建物がないので、景色もよいで
 す。

 ただですね、隣人の私からの素直な感想は、「お化け屋敷みたい・・・」。しかも、
 お値段がですね・・・・・・。

 いくらだと思いますか?

   700,000ドル でございます。

 日本円でいうと、だいたい7000万ほどでしょうか。

   高すぎます。

 公平に見て、高すぎです。1920年代って、築80年以上たっているじゃないですか。こ
 ちらでは古い家は珍しくありませんが、特に手入れをしないと、自然動物が庭にたく
 さん住みついている屋敷と化します。

 現在のオーストラリアの不動産価格は、明らかに日本よりも高いです。もちろん、日
 本の物件よりは、はるかに広いですが・・・。



我が家から見たブリスベンシティ。車で15分ほどですが、日本で言うと郊外の別荘地
というような雰囲気で、緑が多く、野生動物も生息しています。夜は真っ暗です。



2007年03月25日                       
                     第2回


                「海外で病気になるリスク」

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 来月で、ブリスベン生活も1年になります。赴任してからの3ヶ月は、とにかく子ども
 の病気との闘いでした。生まれたときから丈夫で、風邪もほとんどひかなかった我が
 息子。ブリスベンの気候が合わなかったのか、環境の変化で抵抗力が極度に落ちたの
 か、赴任して2週間は、 あせも・鼻血・風邪・高熱と、健康だった日がなかったくら
 いです。

 特に忘れられないのは、赴任して2週間たった、まだ残暑厳しい頃でした。 息子の体
 調を伺いながら、引越し荷物の整理に明け暮れる毎日で、シティにも行ったことがな
 く、日本人の知人もいないという時期でした。

 生まれてはじめての高熱。そう聞くと、1歳3ヶ月まで熱を出さなかったことに驚く方
 が多いのですが、日本にいたときは本当に丈夫で、37.5℃以上の熱を出したことがあ
 りませんでした。

 そんなチビが、ある日突然39℃を超える高熱。発熱に慣れていない親はあせります。
 赤ちゃんの病気の本や育児雑誌などを読みあさり、なんだろうなんだろうと調べたと
 ころ、熱だけで、咳やくしゃみや鼻水もなく、食欲もあり、下痢もしていない。比較
 的元気に遊んでいる。これはまさしく「突発性発疹」?

 突発は、赤ちゃんにとってはとてもポピュラーな病気で、7〜8割くらいの子どもがか
 かると聞いたことがあります。「な〜んだ、突発かぁ」とある意味、ほっとしたけれ
 ど、やっぱりまだ不安。駐在員向けの小児医療電話相談サービスに電話したり、突発
 経験者の日本の友人にメールしたりしました。

 結局まる2日たっても熱は一向に下がる気配はなし。やはり、病院に連れて行かなけ
 ればならない・・・。でも、どこに?まだ近所の病院なんて調べていないし、英語で
 なんて説明するの?と考えた挙句、そういえば、ブリスベンにも日本人のお医者さま
 がいると聞いたことがある!

 そこで、主人経由で会社の人に聞いてもらう。ブリスベンで1人だけ日本人の先生が
 いるけど、週に2回しか診察していないとのこと。運よく、その日は診察日。電話番
 号を聞き、かけてみる。つながった!

 こちらで病院にかかるときは、まずどんな症状でもGPと呼ばれる一般開業医に行き
 ます。これも突然おしかけて、「初診なんですけど・・」なんていうのはダメです。
 前もって電話をして予約を取ります。その日に電話して、その日に予約が取れるの
 は、きわめてラッキーだそうです。

 それより何より、日本であれば、小児科、皮膚科、婦人科、整形外科、内科など分か
 れているものが、全部一緒。とにかく最初はGPに行き、専門医(スペシャリスト)の
 診察が必要であれば紹介状をかいてもらい、出直します。このしくみ、かなり面倒だ
 と思いませんか?あ〜日本は良かったなぁ。近所に小児科はたくさんあったし、夜ま
 でやっているところも珍しくなかった日本を恋しがっても仕方がありません。

 その日は運よく午後の予約が取れたので、タクシーでシティにある日本人ドクターの
 ところに行き診ていただきました。その時点では、まだ発疹が出ていなかったので、
 突発かどうかはわからず、とりあえず解熱剤だけ飲ませて様子を見て下さいとのこと。
 とりあえず、そのまま帰ることに。

 帰りも病院でタクシーを呼んでもらって帰ってこようと思っていたのですが、処方箋
 が出て、ケミスト(薬局)に行かなければなりませんでした。近くのケミストで薬を
 もらったはいいものの、タクシーはどこでひろえばよいのだろう・・・。シティに行
 ったのは初めてで、病院からタクシーに乗ろうと思っていたので、地図も何も持って
 いません、右も左もわかりません。タクシーで来たため、息子は抱っこしてきたので、
 ベビーカーもありません。

 15分くらい、とりあえずうろうろとタクシー乗り場を探す。何人かの通行人に聞いて
 みたのだけど、わからないとのこと。心なしが、誰もが忙しそうで、急いでいるよう
 に見えて悲しかった。チビは熱があるので熱いし重い。だんだんぐったりしてくる。


 どうしよう・・・。途方にくれました。

 主人の携帯に電話をしてもつながらない、今日は午後はずっとミーティングだって
 言っていた。会社の電話番号の控えも持ってきていない。

 さらに20分くらいさまよったところ、おまわりさんを発見!すがるようにタクシー乗
 り場の場所を聞き、急いだ。確かに、タクシー乗り場はあった。でも、何故か50人く
 らいの列が出来ている。金曜日の夕方だから?でも、まだ16時半過ぎ。

 あとからわかったことですが、こちらの会社は16時が終業時刻の会社がとても多いこ
 と。そして、16時〜17時はタクシーの運転手さんの交代時間で、タクシーの台数がき
 わめて少なくなり、つかまえられないということ。

 そんなことも知らない私は、こんな列に並んでいられない、別の乗り場を探そうと歩
 き出した。息子は抱っこしながら眠ってしまった。手がしびれてくる。そのとき、ふ
 と思った。

 「この子は、私が守らなければ・・・。」

 誰にも頼れない異国の地(そのときはそう思った)で、子どもを守れるのは自分しか
 いないんだって。ぐったりとした息子をかかえて、涙が出そうになった。

 たしか、ケミストを出たのが16時ちょうど。チビを抱っこして歩くこと、1時間。3人
 しか並んでいないタクシー乗り場を発見。並ぶ。すぐにタクシーがやってきた。17時
 を過ぎていた。タクシーに乗って座ると一気に疲れが出てきた。

 あれから約1年、この1年の間に、息子は数え切れないくらい熱を出し、さすがに私も
 慣れてきました。でも、息子が熱を出すと、今でも必ず思い出す忘れられない出来事
 です。海外で病気になるリスク、それは想像以上のものでした。



【サウスバンク】
 サウスバンクは、ブリスベンシティの対岸にある巨大な総合公園。1998年に開催さ
れた万博跡地を再開発し、緑豊かな遊歩道、砂浜付きのラグーン、レストラン、博物
館や美術館などがあり、週末にはフリー・マーケットが開かれます。




2007年03月04日                       
                     第1回


                      「はじめに」

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  2002年のパースでの1年間を終えて、Madam.HIROKOのパース便りからMadam.HIROKOの海
 外移住への道と名前を変えてコラムを再開したものの、気がつくと2年半以上のご無沙
 汰をしてしまっていました。


 この2年半の間、私は何をしていたかと申しますと、コラムが中断したのは、何をかく
 そう“つわり”で寝込んでいたためです。 妊娠初期のつわりは、その後の流産の心配
 もあることから、なかなか言い出せず、 「体調が悪く・・・」という言い訳しか出来
 ません。 おかげさまで、1ヶ月に4キロやせたつわりを乗り越えて産まれてきた一人息
 子は、2歳になりました。

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 息子が1歳3ヶ月になった昨年の4月、 私と息子は2人きりで、21:30成田発ブリスベン
 行きの飛行機に乗り込みました。主人は1月の下旬に一足先に旅立ち、残った私が自宅
 マンションや自家用車の売却などを終え、 なんとか無事に日本を発つことが出来まし
 た。正直言って、2度と国外への引越しなんてしたくない、残された妻が幼子をかかえ
 て、一人で引越し準備をすることがどれだけ大変だったか。 今では良い経験だと思え
 ますが、当時は赤信号を見ても赤だと認識できないくらい疲労困惑していました。


 ありがたかったのは、やはり実家の存在。マンションの引渡し直前には、息子を3日間
 預けっぱなし。顔も見ず、声も聞けず(まだしゃべらないし)の3日間は、さすがにさ
 みしかったけれど、そんなことをいってる場合じゃないくらい切羽詰まっていました。


 まずは荷物。赴任地へ飛行機で送るもの、船便で送るもの、日本に残すものは倉庫に
 預け入れるもの、私の実家に置いておくもの、主人の実家に送るもの、処分するもの
 などにわけて梱包。それ以外に、ここに書いたらそれだけでコラムが終わってしまう
 ので書きませんが、意外と面倒だったのが事務手続きです。銀行に郵便局、保険会社
 に証券会社、クレジットカードなどなど、同じような書類を何十枚書いたことか。


 前回のパースの時には、自宅マンションはそのまま残していたため、特に大きな荷物
 の移動はしませんでしたし、住所変更も不要。今回は、まるごと全部大移動なのです。


  2度目の海外生活。おそらくみなさんは、「初めてじゃないから、大丈夫でしょう」
 と思われるかもしれません。もちろん、私ひとりであれば何とかなったでしょう。
 しかし、今回は子連れです、しかも1歳。


 ・・・不安。

 ただただ、そのひとことにつきます。海外での子育て、もちろん誰もが出来る経験で
 はありません。またとない貴重な経験です。しかも、英語圏。

 「きっと帰ってくるときは、英語ぺらぺらになってるね〜」

 なんていう無責任はセリフには愛想笑いだけを残してきました。まだ、日本語だって
 話せないのに・・・。1歳3ヶ月で話せる言葉は、“ママ”“パパ”“まんま”くらい
 (だったかな?)。本当に、大切な母国語である日本語をきちんと習得させるのは親
 の役目、責任重大です。

 やはり海外生活の長い数人の従兄弟達は、英語はネイティブ並みでも、日本語はいま
 ひとつ。敬語は正しく使えないし、難しい漢字なども読めない。やっぱり、日本人だ
 もの、日本語くらいは完璧にマスターさせたい。

 そんな志をもって、息子と2人、旅立ったのでした。




【マウントクーサから見たブリスベン全景】
 クイーンズランド州の州都ブリスベンは、人口約95万人。日本人にとっては、ゴー
ルドコーストに行くときに降りる空港といった方がわかりやすい。マウントクーサは
ブリスベン中心地から10分ほどでいける展望台やカフェのある山。





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