Katsuraさんの新潟便りに続く新ページの登場です。当会の国際化?に伴い
この度Go-21パース駐在員?の“Madam.HIROKO”さんに「パース便り」
を担当いただくことになりました。海外生活に関心がある方は、
どうぞご期待下さい。

世話人拝


2003年02月16日

                       第22回

                    さよならパース


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1年とはあっという間で、いよいよ日本に帰国する日がやってきた。

当初は年明け1月2日の帰国予定だったが、税金の関係で年内に帰国しなければならないことが判
明した。

夏休みもとっていなかったので、年末休暇でどこかに寄ってから帰国しようと考えていたが、そこは
さすが日本の会社、そう甘くはなかった。クリスマスイブに重大なミーティングを東京で行なうので、
それまでに帰国するようにと本社からお達しが出たのだ。帰国が1週間以上早まるのは、かなりショ
ッキングなことだったが、仕方なくギリギリの12月23日に帰国することにした。

12月はパースでの最後の月だから、この1年で行って良かったところをもう一度まわろうね!なんて
話を夫婦でしていたのだが、その夢はあっさり、そして、はかなく散った。

11月末から12月16日までの3週間、主人はシドニー・ブリスベンと長期出張、出張から帰ってきてか
ら帰国までの1週間は、送別会・送別ゴルフコンペ・クリスマスパーティーと予定がぎっしり。夫婦2
人でロマンチックにパースでの思い出にふける日なんてものは、1日たりともなかった。

パースを離れるにあたって、私がお別れをしなければならない人はたくさんいた。まず最初のお別
れは、カルチャスクールの先生や友人たち。スクール自体が12月初めで終わるため、最後の授業
の日には何台かの車に便乗して、ハイキング&バーベキューに行った。楽しく過ごしたあとは、2ヶ
月ほどあるスクールホリデーあけの再会を約束する友人たちがいた。そんな中で、1人お別れを言
わなければならない自分がいた。

握手で別れる友人もいれば、笑顔で手を振って「またいつか会おうね!」なんて気軽に挨拶する友
人もいた。そんな中で、「HIROKO、日本に帰っても身体に気をつけて幸せに・・・」と言って痛いほど
ギュッと抱きしめてくれた先生(ちなみに女性)や別れに涙してくれた友人たち、彼女たちのことを決
して忘れることはないだろう。

主人と同じ会社の奥さん友達(いずれ東京で会う機会もあるだろうが・・・)や違う会社でパースに赴
任している奥さん友達やパース在住の友達には、帰国2日前に飲茶レストランで送別会を開いても
らった。パースに来た当初プライベートレッスンを受けていたフランス人とイラン人とのハーフであ
る先生ともお茶をしながらお別れをした。ゴルフ場の友人たちとも連絡先を交換して、ちゃんとお別
れが出来た。

帰国前日は主人は最後の送別ゴルフコンペだったが、私はパース在住のFPであるSさん夫妻に大
好きな海辺のレストランに連れて行ってもらい、帰りにはパースをひとまわりドライブしてもらった。

いろいろな人とお別れをした。そのときには、あまり実感はわかないのだが、もしかしたらもう一生
会えないかもしれない。そんなことを考えるだけで、この1年間の思い出がよみがえってきてひとり
になったとたんに涙があふれてきた。

出発の前夜は、カジノのあるバーズウッドというホテルで、主人の会社のクリスマスパーティー兼送
別会だった、日本人もナショナルスタッフもみな家族や恋人を連れて、ステキなドレスやタキシード
に身をつつんで盛大なパーティーだった。お世話になった多くの人にも、話だけ聞いていて今まで
会う機会がなかった何人かの人たちにも、ちゃんと会ってお別れの挨拶が出来た。

帰国当日は最後の最後まで荷物の片づけでバタバタしていたが、空港にはパースで1番お世話に
なった主人の親友のお寿司屋さんと、私の親友の奥さんと、すっかりなついたパース生まれの4歳
のさえちゃんが見送りに来てくれた。家族ぐるみで一番仲良くした、パースのことを1から10まで教
えてくれた本当にお世話になった人たちだった。

皆最後まで強がっていて実感がわかなかったのだが、1人が涙を見せると、もう連鎖反応・・・。
結局、大の大人は全員泣きながらの出発だった。ただ1人、さえちゃんだけは、まだお別れの意味
がわかっていないようで、最後まで「一緒に行きた〜い」と駄々をこねていた。

この1年は、私の30数年生きてきた人生の中で間違いなく一番充実していた。もちろん大変なこと
や苦労したことも多かったし、悲しかったことや淋しかったことも数えだしたらきりがない。
それでも、本当に楽しい1年だったと振り返れるのは、何よりも心が満たされていたからだと思う。

日本を離れ、外国から自分の国を客観的に見つめなおすことが出来た。日本にいたらわからない
ことでも離れてみることで、日本の良さや悪さ、長所や短所が手に取るように感じられた。外国人
の友人が出来たことによって、今までの自分の価値観やものの考え方が根底からくつがえったし、
視野がとても広がった。

パースの素晴らしさはひとことではとても語れるものではない。もちろん、日本の方がいいと思える
ものもたくさんある。だけど、やっぱり私はパースという街が大好きだ。出来れば一生この街で暮ら
してもいいくらい・・・。それでも、帰国を前にして日本に帰りたくないという気持ちは不思議となかっ
た。

1年間この街での生活を充分満喫して、楽しんで、思い出も友人もたくさん出来た。
本当にさまざまな場所を訪れ、多くの人と触れあった。本当に、楽しかった。この1年の思い出は、
私にとって大切な宝物、財産になることは間違いない。

日本に帰ったら、きっとパースが恋しくてたまらなくなるだろう。だけど、もし恋しくなったら、いつでも
フラッと戻ってこられる。温かく迎えてくれる友人がたくさんいる。恋しくなったら戻ってくればいい。

自分へのお土産にはパースの写真集やカレンダーをたくさん買った。日本に戻って、元の生活に戻
ったら、きっとこの写真に癒されることだろう。

さぁ、日本に帰ろう。日本に帰ったら、まず何をしよう・・・。今まで食べられなかったおいしいお寿司
や焼き肉、焼き鳥、串揚げやラーメンetc食べたいものもたくさんあるし、日本酒も久しく飲んでない。
久しぶりの日本のテレビ、しばらくは1日見ていても飽きないだろう。ファッション雑誌やグルメ雑誌
などの情報誌も山ほど売っているし(パースでは片手に入るくらいしかない)・・・、パースから帰っ
てくるのを待ってくれている人もいる。

パースの広く青い空や緑いっぱいの自然も素敵だったが、日本の雪景色もいいものだ。
真っ白な景色は、何となく心が癒される。すべてのものがリセットされた感じで・・・。ぼーっと白銀の
世界を眺めながら温泉につかって、日本酒飲んで・・・。日本に帰ったら、そんな時間と空間を満喫
したい。

さよならパース、そして・・・ありがとう。




【パースの自宅からの風景】
パースにはいろいろな観光スポットがあるが、個人的には自宅のリビングの前に広が
るこの景色が一番好きだった。リビングにつながるサンルームで、この景色を眺めな
がらトーストをかじったり、コーヒーを飲んだり、本を読んだり・・・何よりもこの
空間が大好きだった。



2003年01月26日

                       第21回

                  ゴルフ天国(その3)


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GOLFBOXでのトレードをあきらめた私は、しばらくメンズアイアンでゴルフを続けていた。
その頃はもうゴルフは日課になっていて、主人や友人とラウンドする以外にも、平日ひとりでブラ
ッとゴルフ場に足を運ぶようになっていた。午前中に掃除や洗濯をすませて、お昼ご飯を食べた
後14時頃に「天気がいいからゴルフでもしようかなぁ・・・」と思いついて着替えて行っても、この時
期パースは19時半頃までは明るいので、充分18ホールまわれてしまったりする。

家の近くの「Collier Park」というパブリックのゴルフ場に通い始めるようになって数ヶ月、顔見知り
の友人もたくさん出来た。ただでワンポイントレッスンしてくれるオージー(オーストラリア人)のレ
ッスンプロや韓国人のゴルフ研修生たちとは、かなり仲良くなった。彼らは朝から晩まで1日中こ
のゴルフ場にいるので、練習しているときにフォームを直してもらったり、午前中から行った日な
どにはお昼を一緒に食べに行ったりした(ゴルフ場にはレストランがないので車で食べに行かな
ければならない)。

ひとりでブラッと出かけて少し練習して、顔見知りの彼らがいれば一緒にラウンドするし、ひとりで
ラウンドして前後に1人とか2人とかでまわっている組がいれば、どちらからともなく一緒にまわろう
ということになる。炎天下の日などはガラガラで、ひとりで貸し切り状態になることも少なくない。

ひとりでまわるのは淋しいようだが気楽だし意外といい練習になる。18ホール3時間くらいでまわ
れてしまうので、時間の節約にもなる。ただ、うまい人たちと一緒にまわるとスイングや寄せなど
見ているだけで得るものは大きいし、オージーのおじいちゃんたちや学校帰りの子供たちと一緒
にまわるのも私にとっては英会話の練習にもなるし、何よりも楽しかった。

そして、主人からは狂ってると言われつつも毎日のように「Collier Park」に通うのは、きっとそこが
パースでの私の居場所だったからではないかと思う。フラッと顔を出すと、「Hi ! Hiroko!!」と声をか
けてくれる友人がたくさんいる場所。カルチャースクールと同じくらい、私にとって居心地が良い場
所。それが「Collier Park」だった。

特に、「Collier Park」には韓国人の研修員軍団がたくさんいる。日本人の中には彼らを良く思って
いない人も多いのだが、私は彼らととても仲良くなった。1人40代くらいのボスがいて、このボスが
教え方が上手で韓国でも有名らしい。このボス自体は幼稚園くらいのときに親がパースに移住し
てきたためパースで育ったのだが、彼を慕って毎月何人もの若者が韓国からゴルフ留学にやって
くるのだ。

韓国も日本と同じで、ゴルフ場は高く、遠く、少ない環境らしい。Jihno(ジーノ)というそのボスは、
両親が韓国人なので韓国語は書けないが話せるらしい(でも、英語の方が得意だといってた)。
韓国語が通じて、値段もリーズナブルなパースはゴルフ留学にはもってこいの場所なのだろう。

ある日、いつものようにラウンドして帰ろうとしたとき、ジーノに呼び止められた。
「明日みんなでクラブを買いに行くけど、何か買いたいものある?研修生の分などを毎月いっぱ
い買っているから、かなり安くなるよ。」・・・と。神様はいるものだ!
すぐにジーノに、今私が使っているアイアンは主人のお古で私には重いからトレードしたいの!
でも、GOLFBOXに行ったら差額がコレだけかかるといわれた。明日行くところでトレード出来る?
と聞いてみた。

ジーノは私のクラブを見ると、「こんな新しいいいクラブ、トレードしてしまうのはもったいないよ、
いいの?」と聞くので、同じくらいいレディースクラブとトレードしたい!と答えたら大笑いしてい
た。

次の日さっそくジーノたちと待ち合わせ、一緒に「Collier Park」から車で15分くらいのところにあ
るプライベートのゴルフクラブに行った。ここはメンバーしかプレイ出来ないコースだが、ジーノ
がメンバーなので週に1度、研修生をラウンドさせているらしい。

ここのプロショップに、ジーノの古い友人ピーターがいた。気難しそうな年配のオージーだ。
ジーノがピーターに少し説明してくれた後ラウンドしに行ってしまったので、その後私と友人で交
渉にあたった。その日はあっさり玉砕したが、後日ジーノの口添えもあって見事に差額なしでトレ
ードすることに成功。同じキャロウェイのX-14を手に入れた。おまけに、欲しかったキャロウェイ
のサンバイザーまでつけてくれて本当にラッキーだった。持つべきものは友達だ、そして女は得
だと心から思った(笑)。

それから数日後、新しいクラブにも慣れてきて、目標であるスコア100を切る日がついに訪れた。
ゴルフを始めて3ヶ月ちょっと、自己ベスト98!みんなが拍手してお祝いしてくれた。うれしかった
し、達成感で感激だった。もう何も思い残すことなく日本に帰れる、そう思った瞬間だった。

(おわり)



【フリーマントルのホテル】
パースから30分ほどの観光地フリーマントルにある有名なエスプラネードホテル。
シティの中心地以外は、ホテルも2階建て程度の低層のものが多く、まわりの景観
と調和している。



2003年01月12日

                       第20回

                  ゴルフ天国(その2)


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8月に初めてコースをまわった時には、途中でスコアをつけることをやめてしまったが、おそらくち
ゃんとカウントしたら150〜160はたたいたのではないかと思う。初心者が短期間に上達するには、
習うことが一番の早道だと思った。ただ、私には日常的に使える「あし」がない。主人が出張のと
き(月に2週間ほど)などには車で動いていたのだが、いつでも自由に使えるわけではなかった。

日本人の奥さんたちが通っているレッスンは、家から車で20分程かかるゴルフ場だったため、私
が毎週通うのは困難。そこで車で5分ちょっと、バスでも乗り換えなしで通える近所のパブリック
のゴルフ場でレッスンしてくれる人を探すことにした。

ちなみに、パースには日本にあるような練習場(打ちっぱなし)はほとんどなくて、ゴルフ場に練習
場が併設されている。屋根付のところは、パース近郊でも2箇所くらいしかない。あとは、芝にロー
プが張ったあるだけという簡易練習場だ。

本当に物事はタイミングだと思った。レッスンを受けようと思い始めてすぐ友人と一緒に練習に行
った日、そこでその人と出会った。友人の子供が練習場のそばで遊んでいて転んだときに、ばん
そうこうをくれたのが話をしたきっかけ。日本人はほとんど来ないそのゴルフ場でお互い日本人
だとわかると話も弾んだ。その人は20代の日本人男性だったが、プロを目指してパースにゴルフ
留学していた。レッスンプロではないが、日本での指導経験がありということだったので、交渉の
末、初回無料、マンツーマン&1時間20ドル(約1400円)という格安料金で、週に1度ゴルフを教え
てもらうことになった。

パースでレッスンプロにマンツーマンレッスンを受けると、1時間50ドル(約3500円)が相場なので、
かなりお得。しかも日本人なので、細かいニュアンスなどで言葉の心配をする必要がない。

もう観光をする場所もないし、カルチャスクールも週に1日だけだったので、とにかくゴルフに燃え
た。8月半ばから週に1回レッスンを受け、それ以外に自分で週に2回ほど練習に通い、平日1回
奥さん友達と18ホールラウンドし、土日は夫婦または友人夫婦と一緒に1日18ホール、もう1日9
ホールのラウンド。

これだけやってうまくならないわけがない。初めて2ヶ月ちょっとの10月末には、ベストスコアが
108まで伸びていた。ただ私は自分のクラブを持っていなかったので、最初は主人のセカンドハ
ンド(お古)のクラブを使っていた。ブランドこそはキャロウェイのビックバーサだが、メンズなの
でとにかく重く、18ホールまわると、腕がぐったりという感じだった。

ゴルフクラブ事情だが、オーストラリアより日本の方がはるかに品揃えが豊富で値段も安い。
しょせんパースは田舎、ものがないのだ。だから、こちらに住んでいる人は、日本へ帰る時には
必ずといっていいほどクラブを買い足してくるという。オージーは物にはこだわらないので、中古
品や聞いたことのないブランドの古いクラブをよく使っているが、日本人はまずは形から入る。
特に素人は・・・。

まずドライバーが欲しくなった。ティーショットをアイアンで打っていたら、まわりから遅れをとる。
8月いっぱいはアイアンだけ使っていたが、9月に日本に一時帰国したとき、日本での年内の仕
事納めだったので、自分へのごほうびにドライバーを1本買ってきた。

ゴルフ雑誌にもよく載っている近所のディスカウントゴルフショップで40%オフくらいで買ったの
だが、ニューゼクシオ・・・これはゴルフ初心者の私にとってはかなり高い買い物だったが、シン
グルプレーヤーの元上司の、今の技術ではあれ以上のドライバーは作れないらしいという一言
で決めてしまった。

慣れてくるとメンズのクラブでもどうにか振れるようになり、ドライバーもそこそこあたるようにな
ってきたが、また欲が出てきた。きちんとした自分用のレディースクラブが欲しい!

そのままストレートに主人に伝えたが、返ってきた答えは「買えばいいじゃん」の一言。彼の金
銭感覚には困ったものだ。欲しいものは、何でもすぐに手に入れようとしてしまう。でも私は一
応ファイナンシャルプランナーなので、お金の使い方にはうるさい(笑)。我が家のお財布は私
ひとりが管理していて、主人は幸か不幸か私の収入はおろか我が家の貯金額や株の含み損
などは一切知らないし、知ろうともしない。でも、欲しいものをすべて買ってしまったら貯金なん
て出来ないし、気持ち的にもよろしくない気がする。

人は、何か目的があってこそはじめて頑張れるのであって、自分の望みがすべてかなってし
まったらつまらない人生だと思うのだ。

それに、買えばいいと簡単にいうがゴルフクラブは結構高い。しかも、パースで買うと日本より
も2〜3割高い。来年1月からは、主人の日本勤務が決まっていた。年末には日本へ帰国する
私にとって、残り1ヶ月のために2000ドル(約14万円)近いクラブを買うのは納得がいかなかっ
た。もちろん日本に帰ってもクラブは末永く使えるのだが、ラウンドする回数は激減するだろう
し、子供でも出来たらゴルフ自体をやらなくなるだろう。その上、私が使っているメンズクラブも
主人が1月にパースに来てすぐ買ったもの。
まだまだきれいだし、充分使えるのでもったいない。

何かいい方法はないか・・・と考えた。そうだ、下取りしてもらえばいいんだ。善は急げ、友人と
一緒にクラブを買ったGOLFBOXという店に行った。この店はチェーン店だが、ゴルフ場のプロ
ショップ以外にゴルフ用品を扱うのはここくらい。競争がないので殿様商売、値段も高く種類も
少ない、特にレディースは。でも他にお店がないのだから仕方がない、みなここで買う。

GOLFBOXには顧客データがあるので、いついくらで買ったという情報は店員にはすぐわかる。
しかもうちの主人は、1月にアイアンセットを買って、8月に軽すぎるという理由だけでフルセット
買い換えている上客だ。他にドライバーやパターも買っている。そういう事情を話して何とか高
く買い取ってもらおうと思ったが、そう甘くはなかった。下取りして新しいレディースのアイアン
セット(キャロウェイX-14)を買うには、交渉の末かなり条件は良くなったものの、差額で約500
ドル(約35000円)払う必要があるということだった。しかもレディースアイアンの在庫はなく、ゴ
ールドコーストの店から取り寄せるので2週間くらいかかるという。

こんな時、日本だったらそうするだろう。たぶん、他の店に行くだろう。でも、パースには他の店
がないのだ。結局、もう少し考えてみますと返事をして店を去った。

(つづく)



2002年12月15日

                       第19回

                  ゴルフ天国(その1)


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オーストラリアはゴルフ天国だとよく言われる。パースもかなりのものだ。世界でも指折り数えるゴ
ルフ天国といっても過言ではないと思う。ゴルフをやりたいがために、リタイア後の移住先をオース
トラリアにする人も多いそうだ。

パースにきた当初は、異常なほどゴルフに夢中になっている奥様方のことを「旦那が一生懸命仕
事している中、平日の昼間にゴルフなんて優雅なものねぇ。」と思ったものだが、今はその気持ち
が痛いほどわかる。

わかるというより、不本意ながら私自身もその仲間に入ってしまった。とにかくパースは田舎だ。
やることがない、そうゴルフくらいしかやることがないのだ。

私はゴルフに関しては、もっと年をとってからやろうと思っていた口なので、日本でのラウンド経験
はない。正確に言うと、中学生の頃に1度親と一緒にショートコースをまわったことがあるが、それ
は除外。日本での経験はないが、海外旅行に行った際に、リゾートコースをまわったことは何回
かある。海を眺めながら、ボールが前に飛べば良い程度のゴルフだ。はっきり言ってしまえば、パ
ースに来る前はズブの素人同然であった。

そんな私がパースで初めてゴルフをしたのは、8月の初め。暖かくなりはじめた頃であった。ゴル
フはねぇ・・・とためらう私を無理やり誘ったのが、こちらで一番仲の良い日本人シェフとその奥さ
ん。結局、夫婦4人で主人の会社がメンバーになっているバインズというコースをまわることにな
った。

こちらのゴルフコースは大きく分けると4種類。誰でも気軽に出来るパブリック、メンバーとビジター
の料金体系をわけているメンバーコース、郊外にあり宿泊施設などを併設しているリゾートコース
、そしてメンバー以外は一切プレーできないプライベートコースだ。

我が家から一番近いゴルフコースは歩いて2〜3分の場所にあるのだが、残念ながら名門中の名
門といわれているプライベートコース。何でも、メンバーの誰かが死なない限り新規会員を募集し
ないという閉鎖的なところだ。それでもメンバーになりたくて待っている人は相当いるらしい。何だ
か、おじいちゃんが亡くなるのを待っているみたいで嫌な感じだ。

最初にまわったバインズはメンバーコースで、国際試合が行なわれたこともある名門コースらし
い。シティからは車で40分くらいかかるので、かなり遠い部類に入る。パース近辺には山ほどゴ
ルフコースがあるが、シティのど真ん中から20キロ圏内に20くらいコースがあるのだ。東京の銀
座から車で15分以内くらいの距離に、20のゴルフ場があるイメージだ。日本では考えられないだ
ろう。

近いので、家を出るときにはもうゴルフウェアを着て出掛ける。ゴルフシューズをはいていく人も
いる。メンバーコースなどはドレスコードが厳しいところもあるが、パブリックなどはTシャツにチ
ノパンという姿も珍しくない。

このような恵まれた環境なので、パースの人々にとってゴルフは特別なスポーツではないのだ。
老若男女誰でも気軽に出来るスポーツ、遊びだ。日本ではゴルフはまだまだお金持ちのスポー
ツというイメージがあると思うが、こちらではゴルフは貧乏人のスポーツだという人も多い。お金
持ちはヨットを買って、優雅にクルージングやフィッシングをする人が多いらしい。

日本とパースのゴルフ事情はかなり違う。私は日本のゴルフ事情には疎いのだが、まず料金。
こちらのグリーンフィーは、18ホールで20〜40ドル(1,400〜2,800円)程度と激安。キャディさんは
いない。また日本でみんなが乗っているカートのことをモーターバギーというが、よほどアップダ
ウンが激しいコースでないと使わない。では、ゴルフバックはどうするかというと、バギーと呼ばれ
る手押し車に載せて引っ張るか、自分で背負う
のだ。

モーターバギーはグリーンフィーと同じくらいコストがかかるので、こちらの人は余り使わない。
観光客が乗っているのをよく見かけるが・・・。
バギーを引くのも最初の頃はきついが、これも慣れてしまえばいい運動。距離感がつかめるの
で、スコアアップにも役立つという話だ。

そして、日本と違うのは18ホールをスルー(通し)でやるということ。基本的に、ハーフでの休憩
はないのだ。お昼ご飯はどうするのかというと、私達日本人はスタート時間によってはサンドイ
ッチやおにぎりを作って持っていったりするが、普通はプレイの前にすませておいて終わって
から食べるとか、家に帰ってから食べるのだ。まぁこれも、ゴルフ場が近いから出来るわけだ
が・・・。

さすがに飲み物くらいは持参するが、コースに時々ビバレッジカーという売店カーがまわってく
るので、ラウンド途中で買うことも出来る。ただし、このビバレッジカー、ラウンドしている人が少
ない猛暑の日などはまわってこないので要注意、ひどい目にあうこともある。

8月のデビュー戦の結果は言わずと知れたひどい成績だった。もう途中でスコアをつけるのを止
めてしまったくらいだ。これから12月まで、夫婦で参加しなければいけないコンペもたくさんある
と聞いた。私は自慢じゃないがプライドが高い。こんな下手なまま、人前でプレイは出来ない。

こうして、私のゴルフに狂ったパース生活が始まったのだ。



【中央郵便局】
パース駅の前にある中央郵便局(GPO)。こちらの郵便局は文房具やカード、
ちょっとしたお土産なども売っている。日本への手紙はハガキも封筒
も1ドル10セント(約70円)。



2002年12月08日

                       第18回

                 「あわび取り」その2

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日本で実際にあわび取りをしたことがあるという人は、きわめて少ないと思う。

私は小学校の頃ずっと水泳を習っていたので、夏休みに田舎に合宿にいってサザエを取った記
憶はあるがあわびはない。

あわびはどのように取るかというと、まず水深50センチくらいの岩場まで歩いていく。そのあたり
は透明度が高いので岩にひっついているあわびが見える。パース周辺のあわびは比較的小さ
な種類のものだが、6センチに満たないあわびは取ってはいけないと決まっている。もし見つか
った場合は没収され、悪質な場合は罰金が科せられる。

岩にひっついているあわびは簡単にははがれない。岩とあわびの間にマイナスドライバーをさし
込み徐々に力をいれてはがす。一気にはがそうとすると、あわびの殻だけがはがれてしまい、ご
愁傷さま・・・となってしまう。

きれいにはがれたあわびは、とりあえず網や洗濯ネットに入れておく。個数が増えると重くなって
くるし、両手があいていた方が良いので、ネットやドライバにはあらかじめ紐をつけておき、腕や
腰のベルトなどに通してつるしておくと便利だ。

主人が挑戦した第1回目のあわび取りは、残念ながら不発に終わった。その日は波が高くて、あ
わびをはがそうとしている最中に波をかぶったり、あわびを見失ったりしたらしい。

初心者にはきつかったなぁと先輩に慰められていたが、1時間半悪戦苦闘した結果、収穫はわず
か6個。一緒にやっていた別の先輩などは、奥様に向かって「あわびなんて、魚屋で買って来い」
と叫ぶくらいすっかりお疲れモードだった。

あわび取りが終わってから、先輩のうちにお邪魔し、朝ご飯を食べながら、あわびの食べ方を教
授してもらった。刺身、バター焼き、スープ、あわびご飯・・・いろいろあるらしいが、やっぱり取っ
たその日の刺身がベストらしい。先輩の奥さんに下処理の仕方を教えてもらうが、これがなかな
かめんどうで魚屋になった気分。

その日の夜のメインメニューは、あわびの刺身だったが、何ともいえない感動だ。取り立てのあ
わびって、こんなにこりこりしていておいしいの!という感じ。日本であわびをたらふく食べようと
思ったら、スポンサーが必要なので、これはもう飽きるまで食べることにした。

ということで、次の日曜日も早朝からあわび取りに出かけた。今度は私も挑戦だ。前回とは場所
を変え、カルチャースクールの韓国人の友達に教えてもらったペンギンアイランドに行くことにし
た。ペンギンアイランドは2月にシュノーケリングをしに行ったことがある。家から20分ほど車を走
らせるとインド洋が広がった。ペンギンアイランドはそのインド洋に浮かぶ小島なのだが、野生の
ペンギンやペリカンがたくさんいてビーチがとてもきれいな島だ。

この島の変わったところは、島まで歩いていけること。ボートだと10分ほどなのだが、遠浅の海
の中をズブズブと歩いていける。干潮の朝だと、一番深いところでもおしりくらいまでなので、泳
げない人でも余裕で渡れる。海の中を20分ほど歩いていくのは、いい運動になるし、この眺め
はなんともいえない感動だ。

ペンギンアイランドに着いてから、さっそくあわび取りの場所を探そうとしたが、島の手前は遠浅
のビーチでそれらしき場所がない。すかさず網一杯になったあわびを持って帰ろうとしていた中
国人をつかまえ、ベストスポットを聞いてみた。7時の解禁時間から30分もたっていないのに、あ
れだけのあわびを取ったということは名人かも?とか思ったが、彼いわく島の裏側の海ならどこ
でも簡単に取れるとのこと。さっそく島の裏にまわると、いるわいるわ数十人のアジア系民族。

でも、先週いった場所よりはかなり少なめ。さすがに海を渡るとなると朝から大変だし・・と納得。
ちなみにボートは10時からなので、歩いてくるしかないのだ。

すでに時計は7時40分をさしていた、あと50分しかない。急いであわび取りを始めたが、これが
本当に簡単。この日は波もなく、水深15センチくらいの岩場にあわびが山ほどいる。しかもこの
間取ったものよりは1〜2センチほど大きめ。さっそく私も初挑戦してみたが、これがなかなか難
しく、あわびも取られまいと必至に岩にくっついている。

悪戦苦闘したものの、やはりこれも慣れ。10分もするとスムーズに取れるようになり欲も出てき
て、大きいあわびを探して岩場をあちこち動き回った。とその時、15センチほどのさざえを発見!
「さざえだ〜つぼ焼きにして食べた〜い!」と主人に見せると、隣であわびを取っていた中国人
(だと思う)が、それはライセンスがあっても取るのは禁止されているから見つかったら5000ドル
の罰金だよと教えてくれた。浜辺を見ると、しっかりインスペクション(漁業局の見張り役)がスタ
ンバイしている。仕方ないので、さざえは海に戻してあげた。でもつぼ焼き食べたかった・・・。

とにかく、ペンギンアイランドでのあわび取りは簡単だった。スタートしてから30分もしないうちに
2人で40個のあわびをゲット。1人20個までという規定の数になったので、浜に上がったが、その
ときにはもう誰もあわびは取っていなかった。つまり、もっと短時間でみな20個くらい取れたとい
うことだ。

帰り道、あわびも大漁でお天気も良く、朝からすがすがしい満足感を得られたが、40個のあわ
びをぶら下げて20分海を渡るのは結構大変だ〜と主人は愚痴っていた。普段運動不足なのだ
から、いいリハビリになると励ましながら海を渡った。

家に戻る途中、マクドナルドのモーニング(朝マック)を食べたが、それでも家に着いたのは10時
過ぎ。お昼から近所のゴルフ場で18ホールラウンドし、夜は友人の家であわびパーティーをした。
いい休日だった。

(おわり)



初日に行ったスカボロービーチ近くのマリンパーク。日本の潮干狩りに似ているかも。
アジア系が多いので、オーストラリアのパースとは思えない光景だ。



2002年12月01日

                       第17回

                 「あわび取り」その1

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パースを中心とした西オーストラリアでは、毎年11月からアワビや伊勢えびなどの採取が解禁に
なる。

これを「リクレーショナル・フィッシング」という。いわゆる「趣味で行なう釣り」といったところだ。
このリクレーショナル・フィッシングを行なうためには、ライセンスの取得が必要で、さらに西オー
ストラリア政府が解禁期間や採取場所、採っても良い魚介類の種類や大きさ、数量などを厳しく
規制している。実際海に行くと係員が待機していて、個数や大きさのぬきうちチェックをし、違反
するとかなりの罰金を取られるらしい。

日本で釣りが趣味なんでオヤジっぽい(失礼!)が、アワビや伊勢えびが取れるとは驚きだ。
その話を聞いて、さっそくライセンスを取ることにした。
ライセンスはシティの漁業局や郵便局で簡単に申し込め、2〜3日で自宅に郵送されてくるという。
私は近所の郵便局で、とりあえず夫の分だけ申し込んでみた。

ライセンスにもいろいろ種類がある。私たちの目的はあわびなので、あわび用のライセンスを申
し込んだ。伊勢えびにも興味しんしんだが、ダイビングを趣味としている主人の上司に聞いたと
ころ、素人が伊勢えびを取るのは非常に難しく、ライセンス代のもとも取れないからやめておけ
といわれた。

あわびのライセンス料は1人35ドル(約2,400円)で1シーズン有効。魚屋さんであわびを買うと、
1個3ドル50セントなので10個取れればもとが取れる計算になる。申込書に住所や名前・生年月
日などを記入して、35ドルを添え郵便局の窓口に出しに行った。郵便局のきれいなお姉さんが
名前や住所を入力してあるレシートをくれ、「ライセンスが届く前にあわび採取に行きたい場合
は、このレシートを持って行って下さいね。このレシートが、ライセンスの代わりになります。パ
ンフレットに注意事項が書いてあるので、よく読んで決まりを守ってください。」と言われ申し込み
は終了。

3日後に無事ライセンス証も届いたので、次の日曜日にさっそくあわび取りに行く計画をたてた。
こちらに長く住んでいる友人に、取り方のコツや持ち物を電話で聞いたが、その友人は日本に
1ヶ月ほど帰国するので、今年はライセンスを取らないという。取り方はなんとなくわかったが、
やはり不安。ということで一緒に行くメンツを探すことにしたが、これがなかなか難航。理由は簡
単、朝早いから・・・だ。

あわび取りの解禁期間は11月の第1日曜日から6週間なのだが、日曜日しか出来ない。
しかも、時間は朝7時から8時半の1時間半。せっかくの日曜日、朝はゆっくり寝ていたいというの
は万国共通(日本人だけかも?)。確かに海まで行くことを考えると、5時半とか6時に起きなけれ
ばいけないので大変なことだ。

いろいろ声をかけた結果、主人の会社の先輩夫婦と行くことになった。海に近い先輩の家に6時
半集合となったので、5時半に起きて車で出掛けた。
あいにく先輩の奥さんは子供が風邪をこじらせ留守番。3人で1台の車に乗り海に向った。6時45
分頃、素人でも良く取れるという穴場に行ったが、すでにかなりの人が集まっていて駐車場はい
っぱい。ただ、その先輩も良く知っていて近くの公園に止められるからと車を移動。車を止めたら、
さっそく準備開始だ。

持ち物はバケツ、マイナスドライバー、水中めがね、あわびを入れるあみ(うちは洗濯ネットで代
用)。海に向う途中、ちょうど主人の会社のほかの先輩が家族3人で来ていたので合流。
初回なので、私は浜辺で先輩の奥さんと見学することにした。

海に着くとまだ7時前だったので、みな浜辺で待機していた。ウエットスーツを着ている人もいれ
ば、ジーパンにTシャツという人もいる。大人もいれば子供もいるが、ほとんどがアジア系で中国
人がかなりの割合を占める。日本人は見たところ、私たちのグループだけ。あとは韓国人やシン
ガポール人、マレーシア人といったところかな?オーストラリア人はあまりシーフードを好んで食
べないので、数人しかいないようだった。犬の散歩をしながら、「何を取るの?」と話しかけてくる
オージーも多かった。

7時になると同時に(いや1分くらいフェイントだったかも)、100人くらいの人たちがジャブジャブと
海に入っていった。かなり謎な光景だ・・・。

(つづく)



【フリーマントルの海洋博物館】
パースから30分ほどのフリーマントルは、世界的なヨットレース「アメリカンズカップ」
においてアメリカ国籍以外で至上初の優勝を果たしたヨット“オーストラリアU号”
の出身港。様々な歴史的な建物が多く、毎日多くの観光客が訪れている。
現在、南極観測の砕氷艦「しらせ」が入港中。



2002年11月24日

                       第16回

         「オーストラリアへ移住するための条件(その3)」


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最近の日本からの便り・メールは寒さのことばかり。少し前までは暑さのことばかりだったのに、
月日のたつのは本当に早いものだ。
今年は例年よりも寒くなるのが早くスキー場も続々とオープンしているとか?うらやましい限り・・・。

前回&前々回と2回にわたってリタイアメントビザについて書いたみたが、友人たちからの反響が
予想以上に大きかった。

人間、生まれる場所は選べないが、将来住む場所くらい自分の意思で選びたいという。確かに、
おっしゃるとおりだと思うし、特に30代40代では現実的に自分のリタイアメントプランを考える上で
海外移住を具体的に考える人も多いようだ。もし、本当に海外移住する気があるのなら、やはり
準備は出来るだけ早い方が良いだろう。

今年初めて海外生活をしてみて、私自身海外で生活するということの意味と現実を少しだけ理解
できたと思うが、決して多くを理解できたとは思わない。何故なら、パースという街は世界屈指の
暮らしやすい街であるということ、そしてここでの(世帯主の)現在の収入が日本の給与ベースで
あり、住宅も車も電話代以外の公共料金もありがたいことにすべて主人の会社負担だからだ。

実際に海外に移住して暮らすとなると、住宅探しから契約、車の購入、電話や電気やガス・水道
の手続き等も全部自分でやらなければならない。言葉も通じず右も左もわからない場所で、これ
は並大抵のことではないだろう。

実際にリタイアしてパースに来て不動産物件を探している人が、不動産会社にだまされて相場の
倍以上の価格で取引したという話をよく聞く。日本の相場よりはかなり安いので、本人はだまされ
たつもりは全然ないのかもしれないが、暮らし始めてから法外な金額だったことに気がつくようだ。
しかもたちの悪いことに、だます方は同じ日本人なのである。言葉の通じる日本人の不動産業者
は何かと心強いが、これを逆手にとってだますのだ。酷い話だか、現実には意外と少なくない。

また、物価が安くて良いというのは日本に比べてであって、もし物価の安い国で暮らすのであれば
、収入を得ないことが大前提であろう。物価の安い国の収入は、日本人からみればかなり低い水
準である。パースのビジネスマンの平均年収は200〜300万という話を聞いたことがあるが、家さえ
あれば余裕で生活できるレベルだ。これを日本の金銭感覚で考えてしまうと、年収200万でどうや
って夫婦で生活するの?ということになってしまう。

パースに住む友人には、永住権(リタイアメントビザではない)を取ってこちらに住んでいる友人も
多いが、収入は日本の半分以下だという。決して広い家には住めないし、いい車にも乗れない。
外食もめったに出来ないし、ゴルフもパブリックの安いところでないと出来ないといっている。それ
でも、やはり日本よりは住み心地は良く満足して暮らしている。

老後ではなくもっと早く移住したい場合、永住権の取得が考えられる。オーストラリアの永住権を
取るためには、オーストラリアに貢献できる職業についていることや英語の能力が一定以上であ
ること、年齢が若いことなどの条件があげられる。私のまわりに比較的多いのは調理師つまり日
本食のシェフである。

彼らも日本では日本食レストランを経営していたり、寿司屋の店長だったりと経験豊富の大ベテ
ラン。オーストラリアでは日本食はヘルシーで人気があるので、日本食レストランも多い。ただし、
日本の食材がかなり高額なことから、値段も高くなりがちで、駐在員相手の値段に設定すると、
オーストラリア人の固定客が就かずつぶれる店も後を絶たない。なかなか大変なようだ。

確かに現実はいろいろ難しい問題も多いが、それでも私は海外に移住したいと思う。一番大きな
理由は「心のゆとり」である。今のパースでの生活がまさしくそうなのだが、家からの景色を見て
いるだけで、花が咲き乱れ鳥がさえずる住宅街をブラブラ歩いているだけで、とても幸せな気持
ちになれる。

それを聞いた友人は「HIROKOは都会育ちだから・・・」という。確かに私は生まれも育ちも東京で、
コンクリートに囲まれ、小学校から塾通いをし、競争社会で生きてきた。だからこそ、のんびりした
生活に憧れるのかも知れない。

ただやはり、日本での金銭的なゆとりや時間的なゆとりのある生活よりも、将来は心のゆとりを大
切にした暮らしをしたいと、今心からそう願っている。



【パースミント(パース造幣局)】
オーストラリア最古の歴史をもつ造幣局。シドニーオリンピックのメダルもここで造られた。
中は博物館になっていて12キロ(1400万円相当)の金塊に触れたり、
純金バーが造られるデモンストレーションを見学出来たりする。


2002年11月17日

                       第15回

         「オーストラリアへ移住するための条件(その2)」


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最近のパースは朝晩の気温差や、日によっての気温差が激しく、すっかり風邪をこじらせてしまっ
た。

日本から持ってきた風邪薬はオーストラリアの風邪には対応していないようで、なかなか効かない。
こちらで売っている薬なら効くのかもしれないが、日本人には強いらしく副作用が度々出るという話
なので、今のところ飲んだことはない。

昨日の最低気温は9度だったのに、今日の最高気温は37度という日々。この気温差は1年近く生活
していても、なかなか慣れるものではない。

前回のエッセイでリタイアメントビザの条件を書いたが、この条件を満たしていれば誰でもオースト
ラリアで生活できるというわけではない。
もちろん、ビザ取得の資格はあっても、海外生活に向いていないという人は山ほどいる。

実際、私も初めて海外生活をしてみて感じたことは、旅行するのと生活するのは雲泥の差があると
いうことだ。私は海外の異空間が大好きな人間なので、今までも20回程海外旅行に行った経験があ
る。それでもやはり、生活するとなるとかなり違和感を感じた。

将来海外生活をしたい、オーストラリアに移住したいと考えている方が果たして自分は海外生活に
向いているのかどうかは心配に違いないと思う。
現実に、移住したはいいものの1〜2年で日本へ引き返す人も少なくない。

あくまでも個人的な考えだが、海外(オーストラリア)移住に向いている人はこんな人だと思う。

【車が運転ができること】
移住する国にもよると思うが、特にオーストラリアは車社会である。もちろん現在の私のように電車
やバスなどの公共交通機関を利用することも可能だが、ずっと生活するとなると、好きな時間に好
きな場所へ移動できる車は必需品であろう。運転は下手でも心配ない。特に東京の道路を運転出
来る人は、パースにきたら優秀なドライバーになること間違いない。

【時間の使い方を知っている人】
日本では働き蜂のように朝から晩まで働き、お金がたまったので早めにリタイアして海外移住する
という人も多いが、困ったことにこういう方たちは時間の使い方をご存知ない。
リタイアメントビアでは仕事をすることは出来ないので、海外では毎日が休日である。最初のうちは、
ゆっくりのんびりもいいだろうが、そんな生活すぐに飽きるだろう。
そうなると、何もやることがないという現実に直面する。海外で出来る趣味がない人はなかなか厳し
いと思うし、きっとストレスがたまる毎日になってしまうだろう。
逆に、パースなどで生活する場合にはゴルフ・テニス・つりなどを趣味としている人にとっては天国
そのものである。

【夫婦の仲が良いこと】
海外生活では日本にいるときと比べて友人の数は激減するであろう。現地の人たちとの交流ほとん
どすべては家族単位である。お互いの家に招待したりされたりするのも、すべて家族一緒。夫婦い
つも一緒である。仲が悪かったら、最悪。

【日本語のない生活でも大丈夫な人】
こちらで日本のTVを観るためには、衛星放送の契約をしなければならない。住宅街によっては衛星
放送のアンテナを立てられない場所も多いので必ず契約できるとは限らない。
国営放送で早朝5:30から30分だけやっているNHKニュースが唯一の日本語放送にもなりかねない。
映画やコンサート、スポーツなどもすべて英語なので、日本語のない生活は耐えられないという人
には向かないだろう。

【英会話に対して恐怖心を持たないこと】
英会話については完璧に出来なくてもどうにかなるものだというのは実証済み。
ただ、夫婦のどちらかが英語が達者の方が何かトラブルがあったときに安心ではある。
英語は勉強するというより生活していれば自然とヒアリング力などはつくので、そう問題にはならな
いと思う。まぁ、話せるにこしたことはないが・・・。

【日焼けを毛嫌いしない人】
オーストラリアの紫外線はハンパではない。夏は外に出ないという覚悟がないかぎり絶対日焼けす
る。もちろん、日焼け止めを塗っても・・・。特に女性で、白い肌を保ちたいという人にオーストラリア
生活は難しいかも。中には、真夏の炎天下に長袖長ズボン、両手にグローブ、帽子に日傘を差しな
がらゴルフをしている奥様もいるが・・・。

【パソコンを使えること】
海外生活にメール・インターネットはやはり必需品。日本の情報収集や友人知人との連絡は金額的
にもパソコンを使うのが一番安いと思う。

【食通でない人】
日本の食材が手に入らないことはないが、かなりコストは割高になる。レストランといっても数はある
が、日本に比べると味は今ひとつ。食事は絶対に日本の方が良い。あまりグルメな人だと、すぐに嫌
になるかも。

(つづく)



【パース駅】
日本でいう東京駅にあたるが、路線は4方向に4路線だけ。
朝晩ラッシュ時や休日のリゾート方向の電車は4両編成。昼間は
2両編成だが、立ってる人はあまりいないくらいすいている。
治安はあまり良くなく、警察がいつも3〜4人たっている。
改札はなく切符は自己申告。



2002年11月03日

                      第14回

         「オーストラリアへ移住するための条件(その1)」


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ここ数年、海外移住ブームというか日本に嫌気がさしたのか、老後は海外で暮らそうという人たち
が異常に増えているらしい。その手の本が良く売れ、「年金で暮らせる〜」「〜(海外の地名)で年
金生活」といった本がずいぶん増えてきた。

何を隠そう、私たち夫婦も早期退職制度を利用して、将来は海外移住という夢を結婚当初から持っ
ている。お互いの親戚が何人か、現在海外暮らしをしているといった環境もあり、海外旅行に行く
際には将来暮らせるかどうかということを視野にいれ、不動産事情などを調べたりもしていて、もっ
か移住先を厳選しているところだ。

今年たまたまパースで暮らすことになったが、これは海外移住でもなんでもない。ただのサラリー
マンの転勤。私たちは違うが、実際に、ここパースにも駐在員といった形ではなく日本を離れ移住
している人が少なくない。

特に最近の日本の政治経済に嫌気がさしてか、物価が安く、治安が良くて、気候がよいという3大
条件を満たしているオーストラリアへ移ってくる日本人はあとをたたない。特に、いろいろな雑誌や
調査で「世界一住みやすい場所ベスト〜」の常連であるパースの人気は高い。

ただし、海外に移住したいからといって誰でもいつでも自由に出来るというわけではない。海外移
住するためには、まずそれなりのビザが必要になる。アメリカに永住するためにはグリーンカード
というものが必要で、最近これは宝くじに当たるくらい確率の低いものになっているらしい。
グリーンカードに比べて、オーストラリアで暮らすためのビザはそう難しいものではない。
まぁ、だから移住者が多いのであろうが・・・。

オーストラリアは広大な土地を持ち、人口も多くない。それならば、積極的に移民を受け入れようと、
政府は移民に対して好意的だ。移民法という法律まであるこの国だが、もちろん誰でも簡単に暮ら
せるわけではない。

比較的若い人はワーキングホリデービザや学生ビザで渡豪してくるし、調理師や美容師などは雇
用主がスポンサーになってくれるスポンサービザで働いていたりする。ただ、これらのビザだといず
れも期間限定、そう長くはいられない。偽装結婚をしたり、永住したいがために、50代60代のオヤ
ジ(失礼!)と結婚してしまう若い日本人女性も少なくない・・・。

ただ、純粋に海外移住するための最もポピュラーなビザは退職者ビザいわゆるリタイアメントビザ
である。リタイアメントビザの申請条件を簡略に説明すると

★年齢が55歳以上であること(夫婦のどちらか1人が55歳以上であればOK)
★配偶者以外に、扶養家族がいないこと(子供がいる場合は全員独立していること)
★オーストラリア国内で、就労しないこと。
★健康診断の結果に異常がないこと。
★以下のいずれかに当てはまる、オーストラリアへの送金可能な資産があること。

1) 65万ドル(約4500万円)の資産があること
2) 20万ドル(約1400万円)の資産および年間4万5千ドル(約315万円)以上の
  年金あるいは投資等による収入があること

といった感じである。
  
また、リタイアメントビザ保持者はオーストラリアの国民健康保険の資格はもらえないため、オース
トラリア国内の民間健康保険に加入することが義務づけられる。

ちょっと勘違いしやすいのは、リタイアメントビザは永住権とは違う。当初4年間分発給され、その後
は2年ごとに更新しなければならない。2年ごとの更新手続きの際には、初回の申請時と同じ条件
をクリアする必要がある。よくひっかかるのは、健康診断を受け異常がないという健康状態、そして、
継続的な資金の確保だ。

(つづく)



【ワイナリー】
西オーストラリアのワインは知る人ぞ知る絶品。パース周辺には、スワンバレーと
マーガレットリバーというワイナリー地区がある。テイスティングをしたり、ワイン
を買ったり、食事をしたり出来る。



2002年10月27日

                      第13回

                   「パースの気候」

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今最近のパースは気温も30度を超える日が増え、完全に夏に近づいている。オーストラリアには日
本と同じく春夏秋冬の四季があるが、季節は日本と全く逆で正反対になる。
日本は今、秋から晩秋といったところだと思うが、オーストラリアは春から初夏といった感じだ。

パースのある西オーストラリアの気候は、地中海性の温暖な気候で1年を通して過ごしやすいとい
われている。パースの四季は9月〜11月が春。日中の最高気温は平均すると20〜25度くらいだが、
朝晩は10度前後なので結構寒い。
 
この時期はパース近郊、カラフルなワイルドフラワーが咲き乱れ、住宅街もバラやラベンダー、セラ
ニウムといった多くの花で埋めつくされる。雨は1週間に1日降るか降らないか程度。ホエールウォッ
チングも楽しめる時期だ。

今の時期は、人によって体感温度がかなり異なるらしく、オージーなどはタンクトップとか半ズボンと
いった格好で街を歩いているが、日本人を含むアジア系民族はまだまだ長袖。朝晩は長袖のシャツ
にさらに上着をかさねるといった具合だ。

それにしても、オージーの薄着には驚かされる。いくらなんでもそれじゃ寒いでしょう?といった格好
で皆平気で歩いている。先週末は海に行ったら、ものすごい人数のオージーたちが泳いでいた。
ちなみに水をさわってみたが、飛び上がるくらい冷たかった。

四季の話に戻すと、12月〜3月くらいが夏になる。有名な話だが、オーストラリアのクリスマスは真夏
だ。パースの夏の最高気温は35度以上になる
日も珍しくない。昨夏は40度を超えた日はなかったようだが、数年前までは40度以上も当たり前だっ
たらしい。パースよりさらに北に行くと、50度を超える。

パースの夏は雨が降らない。降ったとしても、1ヶ月に1日とか2日とか。毎日雲ひとつない晴天が続
く。ただし、朝晩は真夏といえども15度くらいまで下がるので半袖では寒い。毎日のニュースで水不
足の報道がされるのは、いつもこの時期だ。

今年の日本の夏は異常なほどの猛暑だったらしい(他人事だ・・・)。気温だけを比べると日本と大差
ないように思えるが、これが大違い。パースの夏は湿気がない。湿度は30〜40%ほどなので、じめ
じめした暑さはなく、カラッとしていてすがすがしい。気温は35度とかあっても、激しい運動でもしない
かぎり汗はかかないし、お化粧もくずれない(笑)。日陰に入ると寒いくらいだし、家の中はひんやりし
ている。冷房もほとんど使わない。

 これに対して日本の夏は、湿気がありすぎる。家でじっとしていても、汗がじわりと出てくるし、スー
ツなんかで外を歩けば、5分もたたずに汗だくだ。

8月に大阪に出張に行ったオーストラリア人の友人は、「日本があんな暑い国だとは思わなかった。
あんな熱い国には行ったことがない。あの暑さはアフリカ並みだ!」と驚いていた。

夏の暑さは、実は気温が問題なのではなかった。湿度が問題だったのだ。これは意外な盲点だ。
海外旅行に行くときには参考にされたし・・・。

パースの夏は、もちろん泳げる。気温のわりには水温は低いが、ドルフィンスイムやスノーケリング
、ダイビング、サーフィンなでのベストシーズン。ただし、紫外線は日本の比ではない。黒焦げにな
ること間違いなし。

今年の2月頃には、こっちで売っている最高値SFP30(意味の分からない人は女性に聞くべし)といっ
た日焼け止めを塗りたくっていたが、かなり焼けた。

そこで先月日本に一時帰国したときにSPF50という日本人の異常とも思える美白ブームに乗って誕
生した日焼け止めを買ってきた。今はそれを塗っているが、まだ夏前だというのに日に日に黒くなっ
ている。別に遊びほうけているわけではないが、来年日本に戻ったときの印象は、きっとあまり良くな
いだろう・・・。特に仕事上は支障をきたすことが目に見えているが、とにかくこの殺人的な紫外線を
避ける手段は、残念ながら今のところはないのだ。

さらに続くが、パースの秋は4月、5月。日中は20度以上になるが、朝晩は12〜3度。だんだんと雨が
多くなる。日本で言うと9月〜10月の秋の長雨の感覚だろうか?オーストラリア人はまだまだ泳いで
いるが、水温はかなり下がり、日本人にはかなり冷たく感じる。

ただでさえ、パースの海は水温が低い。なぜなら太平洋ではなくインド洋だから、インド洋がなぜ水
温が低いのかは、残念ながら知らない・・・。

最後にパースの冬。冬は6月〜8月くらいで、とにかく雨が多い。下手したら毎日雨だ。日本の夏休み
のシーズンにパースに観光に来て、寒くて雨ばかりでがっかりして帰る人も少なくない。

雨が多いといっても、パースの雨は地中海性気候の雨なので、1日中降り続くことは少なく、どちらか
というと夜中に降り出し、明け方には止んでいることも多い。午後には太陽がのぞくこともあるが、雲
ひとつない晴れという日は極めて少ない。気温の低さよりも天気の悪さに憂鬱になるくらいだ。

まぁ、冬といっても日中は18度くらいまで気温が上がる。体感温度は日本の11月くらいだろうか?雨
が多いため、冬は湿度が高いので外にいると意外と暖かく感じる。日本と逆だ。日本の冬は乾燥して
いて肌もカサカサになるが、パースの冬はしっとりした寒さだ(どんな寒さだ?)。

それでも、朝晩の気温は2〜3度に下がる。氷がはるほどではないし、雪も降らない。でも、寒い。
特に家の中が寒い。ストーブや暖房が必要だし、こちらに永住している日本人の家にはこたつがあ
ったりする。

パースは、雨の日も含め年平均の一日当たりの日照時間は8時間。オーストラリア髄一のお天気都
市らしいが、冬のパースしか知らない人には信じがたい事実であろう。

パースに住むようになって感じたことは、まず1日の中での気温差が激しいということ。最低気温と最
高気温の差が15度くらいあるのが普通なので、慣れないうちはすぐ風邪をひく。リタイアメントビザで
パースに永住する人も増えているが、お年寄りにはこの気温差はきついのではないか?
と余計な心配をしている今日この頃である。

それから、湿度の低い夏は快適だ。私は水泳選手だったので、夏は大好き、海に入ると水を得た魚
のようになる人種だが、日本の夏は暑すぎる。気温ではなく、あの蒸し暑さはなんとかならないもの
か?と思う。都市化が進んで、ヒートアイランド現象が拡大していることも理由のひとつであろうが、
なんとかしないと毎年日射病や熱中症での死亡者が増えるのではないだろうか?

それに比べて、パースの夏はすがすがしい。暑いと思ったら、日陰に入ればすむ。ただし、紫外線が
半端ではない。サングラスなしでは外は歩けない。子供が学校に行くときも、帽子にサングラス、日焼
け止めは必需品。慣れてしまえばどうってことはないが、外に出掛けるたびに日焼け止めを塗るのは
結構めんどうだ。それを怠っている日本人男性たちは、目に見えてしみが増えていっている。

最後に、パースは冬でも雪が降らないのでスキーが出来ない。今年は私の人生の中での楽しみがひ
とつ減ってしまったわけだ。



【野生のペリカン】
公園や川沿いで姿を見かける。最初は大きくて驚いたが、優雅に跳んでいる姿を見て
もっと驚いた。ペリカンは飛べない鳥だというイメージがあったからだ。



2002年10月20日

                      第13回

                 「バリ島の爆弾テロ」

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今週1週間は、朝から晩までニュースはバリ島の爆弾テロ一色だった。

それもそのはずで、今回の爆弾テロで死傷した外国人の国籍は11か国にのぼるそうなのだが、死傷
者の75%をオーストラリア人が占めるそうだ。 
 
オーストラリア人に関しては、今現在20人の死亡者と113人の負傷者が確認されていて、政府がオー
ストラリア人が速やかにバリ島から帰国できるよう特別機を出しているという異常事態だ。

その特別機の受け入れ空港が、うちから30分ほどのパース国際空港なので普段は田舎にある静か
で小さな空港が、朝早くからヘリコプターが多く飛びかい、報道陣でごった返している。
もう、大変な騒ぎだそうだ。

なぜオーストラリア人が多いのか不思議に思う人もいるかもしれないが、オーストラリア、中でもパー
スを中心とする西オーストラリアにとって、バリ島というリゾート地は一番人気のある観光地だ。
理由は2つ。まずは近いこと、そして安いことだ。

国内線の料金がが高く混雑していることは交通事情のコラムでも書いたが、シドニーやゴールドコー
ストに行くのに4時間ほどかかるのと同じ、あるいはそれより短時間で気軽に行けるのがバリ島で、パ
ースの人たちはオーストラリアの東海岸に行ったことがなくても、バリ島には行ったことある人がほと
んど。
さながら、日本でいうグァム・サイパンといった感覚だ。

2〜3時間の時差のあるシドニーなどの東海岸と違って、西オーストラリアとバリは時差もない。
値段も国内旅行より安いということもあり、日本人駐在員をはじめ、誰もが気軽に行けるリゾート地が
バリ島なのである。

しかも今回は時期が悪かった。日本でも、10月の3連休を絡めてバリ島へ旅行した人は多かったよう
だが、オーストラリアもこの間の日曜日までは3週間のスクールホリデー(春休み)だった。

まだ肌寒いパースを脱出して、暖かいバリ島へ観光に行っている人は、とても多かったのだ。
カルチャスクールでも、知り合いや友達が今バリに行ってるという人も多く、大変な騒ぎになった。

今のところ、オーストラリア人だけで、まだ160人の行方不明者がいるそうだ。
日本人の負傷者や行方不明者も日に日に増えているようだが、数だけ見ればオーストラリアの比で
はない。

ただ、今回の事件の報道で日本と違う点がひとつあった。
それは、かなり早い時期にカウンセラーによるホットラインが始まったことだ。
行方不明者の問い合わせなどのホットラインの電話番号は、ニュースなどで報道されるのだが、それ
と同じ扱いで、今回の事件で精神的にダメージを負った人やトラウマを感じそうな人などのために、心
理カウンセラーが対応するというものだ。

テレビのニュースにも、テロに詳しい専門家とともに、カウンセラーやドクターがテレビを通じて心のケ
ア方法を具体的にアドバイスをするといった具合だ。

日本でも、地下鉄サリン事件の後遺症で悩む人がかなりの数に上り社会問題にもなったが、こうした
早い対応はさすが外国、進んでいる。
こういう点は、日本も見習うべきだとつくづく感じた。

昨年の9月11日を境に、世界中でテロが発生して今も絶えることがない。
平和ボケをしている日本人とはよくいったものだが、今回は平和であることの大切さを身に染みて感じ
た。

最後に、1日も早く、負傷した人の傷が回復し、行方不明者の安否がわかることを祈ってやまない。
そして、何の罪もないのに亡くなられた多くの方のご冥福をお祈りする・・・。



パースは9月から11月にかけての春はワイルドフラワーの季節で、
世界各国から花を見に観光客が集まるくらいだ。道路を挟んで360度に広がった
黄色い花畑は、まるで黄色いじゅうたんのようだった。



2002年10月13日

                      第12回

               パースの交通事情(その2)

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電車は改札なしだが、時々切符拝見の抜き打ち検査がある。これはかなりの確率である。

今までの経験から言うと30分ほど電車に乗る場合の遭遇率は50%、10分ほどの短い距離では20%
といったところだ。

切符を持っていないと50ドル(約3,300円)の罰金だ。切符を買えば、せいぜい130〜200円位ですむ
のだから結構な大金になる。ただ、これまたかなりの確率で罰金を払っている人を見かける。常習
犯も多いらしい。

そういえば、電車の中で見かけた注意書きで驚いたものがあった。「子供は大人のために立ってい
なさい。さもなければ大人料金を払いなさい。」というものだ。ここまで言い切ってしまうのには敬意
を表する。が、日本では考えられないだろう。

バス・電車と並んだ共通公共機関にフェリーがある。パース市内の桟橋から対岸のサウスパースま
で30分に1便ほど運行している。我が家はサウスパースにあるので、このフェリーは個人的にはバ
スと並ぶ主要交通機関である。対岸までは7分、時にはジャンプするイルカや空を飛ぶペリカンが見
られたりして、何とも心地よい移動時間を過ごせ、超お気に入り。

私はこの3種類の交通機関をフル活用している。駐在員やその家族は、この公共機関を利用したこ
とのない人がほとんどである。何故ならみな車を運転するから・・・。

うちの主人もパースに来て10ヶ月あまりたつが、一度CATに乗ったことがあるだけで、バスも電車も
フェリーも未知の世界。これは極めて不幸なことだと思う。

駐在員の奥さんも車を運転する人が多いのだが、私は何を隠そう10年以上ペーパードライバー。

いくら海外で気持ちが大きくなっているからと言って、そんな自殺行為は出来ない。身体のためにも
自分の足で歩くのが一番だと思うし、車だと気がつかない景色や眺め、発見も多いものなのだ。

みなが車で移動することは勝手なのだが、パースに来た当初困ったことがあった。バスや電車の乗
り方がわからないのだ。誰に聞いても、乗ったことがないのだからわかるわけがない。

結局、ガイドブックや日本語情報誌などである程度の基礎知識をつけて、あとは実践あるのみ。
運転手さんに聞きまくった。

最初に乗ったのはバスだった。乗る時に行き先を告げるまでは良かったのだが、運転手さんが「あ
なたはコンセッション?カードは持っている?」と聞いてきた。この「コンセッション」というのが意味不
明で、電子辞書を引いてもそれらしき言葉が出ていない。結局、割引料金のことだとわかったのは
ツアーのパンフレットに載っていたコンセッション料金の説明を読んでからだった。

日本の場合は、乗り物でもツアーでも大人料金と子供料金に分かれているが、パースではノーマル
(アダルト)とコンセッションの2種類。コンセッションに該当するのは、子供・学生・65歳以上のシニア
・障害者・兵役についたことのある人など様々で、そのことを証明するカードを見せると、ノーマル運
賃の半額ほどになる。

バスを降りるときはブザーを押すのだが、日本のような親切なアナウンスはないので、バス停を見な
がら自分の降りるところが近づいたら、注意して乗り過ごさないようにすることが大切だ。ボーッとし
ていると猛スピードで通り過ぎてしまう。

初めて行く場所で降りるバス停がわからないときは、乗る時に運転手さんにあらかじめ言っておいて
教えてもらう。ただこの時も、忘れられてしまう場合があるので、なるべく運転席の近くに座って時々
存在を示すことが重要だ。

降りるときは皆「ありがとう!」とお礼を言って降りる。運転手さんも「またね」と挨拶してくれる。
当たり前のことだが、日本ではなかなか見られない光景だ。

オーストラリアは日本と同じ右ハンドル左側通行で、交通ルールも日本と似ている。
シートベルト着用は日本より厳しく、罰金も高い。原則として、前後席全員が着用する。また、右側優
先という決まりがあり、常に自分の右側の車が優先。信号の無いT字路や交差点では要注意だ。

そして、パースで初めて見たもののひとつが「ラウンドアバウト」という交差点。日本でも北海道など
にはあるらしいのだが、交差点の中央が島になっていて、車は時計回り方向に進まなければならな
い。右に行きたい場合も、大きく左側からまわることになる。もし間違って右折すると、どういうことが
起こるか?右から来る車と正面衝突、大事故になる。

踏切は一旦停止の必要なし。一旦停止すると、後ろから来た車に追突される恐れがありこれまた危
険!

あとは、車の運転が下手な人が多いのが特徴かな?(決して人のことは言えないが・・・)
車が主な交通手段なので、かなりのお年寄りも自分で運転しているし、運転センスのない人でも免
許自体は簡単に取れるので「危ない!」と思うようなことも少なくない。

左折のウインカーを出しているのに右折したり、急に止まったり、車線変更したりする人も多いので、
旅行でレンタカーを借りる場合などは気をつけたほうが良いと思う。
  
また、オーストラリアの特徴としてカンガルーバンパーをつけた車が多い。ちょうど正面のナンバープ
レートを覆うように鉄の棒が設置されている。これはカンガルーが飛び込んできたときに、車の被害
を最小限に食い止めるためのものである。
  
カンガルーは夜行性なので、夜になると車のヘッドライトに向かって飛び込んできたりする。
時々、フリーウェイ(高速道路)の路肩に悲しき姿を見かけることもある。

(おわり)



【ロンドンコート】
イギリスのチュダー様式をまねて造られた名所。中は長さ30mほどの空間で両脇に土
産物屋やカフェが数十件並んでいる。ウェストミンスター寺院のビッグベンを精巧に
模したという話。にぎやかなショッピング街の中心にあるので、ボーッと歩いている
と見落としてしまう。



2002年10月06日

                       第11回

               パースの交通事情(その1)

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オーストラリアの広さは、日本の約20倍。これだけ広い国なので、国内の移動は主に飛行機である。
日本国内を飛行機で移動する場合の所要時間は、せいぜい1〜2時間であろうが、オーストラリアは
とにかく広い。国内の移動で4〜5時間かかるのはあたり前、時間がかかるだけでなく時差まである。

しかも、航空運賃がめちゃくちゃ高い。今年3月、オーストラリア国内に強かったアンセット航空が破
綻したため、それ以降ほとんどカンタス航空の独占市場となっている。

独占だから値段は高く、下手したら日本に帰れるくらいの値段だ。アンセットの便数が減った割りに
カンタスの便数は増えていないので、常に満席状態である。そういえば、旅行会社の人が「国内周
遊旅行の飛行機が取れなくて困る」といっていた。

パースの中での交通手段は車が主流。一家に1台ではなく、ひとり1台というのがこちらの車事情。
さぞかし渋滞するのでは?と思うかもしれないが、交通渋滞は朝夕の通勤ラッシュ時だけで、車の
数の割には渋滞は非常に少ないと思う。

ただし、渋滞しないのには理由がある。とにかくパース市は市の中心部にマイカーの乗り入れをし
ないように、ありとあらゆることをやっているのだ。このシステムを知った時には、石原都知事に手
紙を書こうと思ったくらいで、日本もぜひ真似すべきだと思う。まぁ、現実的には難しい部分も多い
が・・・。

まずは公共の駐車場。駅やバスターミナルの近く、街の中心地に入る手前には市営の大型駐車場
がいくつもあり、市の中心部へのマイカー乗り入れを規制している。イメージ的には、山手線の内側
に車が入ってこないように山手線に沿って駐車場を設置しているような感じ・・・かな?

そして、パース市内の中心部にはCENTRAL AREA TRANSIT(通称CAT:キャット)という無料
バスが運行している。RED CATとBLUE CATと言う2種類のバスで、目印は猫のマーク。東西ル
ート、南北ルートに分かれて市内を循環している。これらのバスが平日で約5分〜8分間隔、土日
は1時間間隔で運転されていて、観光客ばかりでなくビジネスマンをはじめとする地元の人の足に
なっているのだ。

また、パース市内から郊外を結んで公共のバスが市民の足として多く運行されている。料金はゾ
ーン制で1ゾーンチケット(約30分以内で移動できる範囲)は1ドル90セント(約130円)、2ゾーンチ
ケットは2ドル90セントで2時間有効である。その時間内であれば、何回でも乗り降り自由で、たくさ
ん乗れば乗るほどお得だ。

さらに、パース市内中心部の中での移動なら公共バスでもすべて無料。つまり、マイカー通勤をし
ているビジネスマンなどでも、家から車に乗ってきて駐車場に止めておけば、駐車場からオフィス
までとか、オフィスからバスターミナルといったところまで移動する場合にはCATや公営バスを無
料で利用できることになる。(ちなみに、CATも公共バスもメルセデス・ベンツだ・・・。)

バスに乗るときは、運転手さんに行き先を告げて料金を払う。無料の区域の場合は、行き先を告れ
ば「OK!」と言われタダ乗りできる。

パースの公共交通機関は西豪州交通局のもとに「TRANSPERTH」というところが、バス、電車、
フェリーの運行サービスを提供している。同じところの運営なので、チケットなどは共通、1ドル90セ
ントの1ゾーンチケットを買えば、バスも電車もフェリーも2時間は乗り放題、コレは便利だ。

また、電車はパース駅が始発で4方面にルートがある。週末や祝日には便数が減るが、通勤時間
には充分な本数があるので、電車通勤も珍しくないし、缶詰状態にはならないらしい。この場合も、
駅から遠いオフィスであればCATや公共バスが無料で使えるので問題ない。

電車も乗降無料のゾーンがもうけられていて、パース駅から1〜2駅であれば無料だ。
パース駅周辺の駐車場は込むので、1駅手前の駅前にある駐車場に車を止めて電車に乗る人も
多い。

電車の場合、切符は駅構内の自動販売機で購入する。料金はバスと同じゾーン制で値段も同じ。
ただし、改札がない。改札がなければ切符を見せることはない。そう、電車の切符は自己申告。
個人の良心に任せるというシステムなのだ。

(つづく)



住宅街にあるバス停。
うちの近所を通っているバスは30分に1本だけだが、時間は正確。
今までに5分以上遅れたことはない。ちなみに、手を上げないと素
通りされてしまう。



2002年9月29日

                       第10回

                両親がやってきた(最終回)

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両親が10日間の旅を終え、無事帰国した。

2人とも「一生の思い出が出来た!」とは口では言っていたが今回10日間両親のガイドをして、私なり
に考えさせられたこと初めて気がついたことなどがたくさんあった。

まず、パースという街は喫煙者にとっては非常に厳しい環境だということ。
世界の中でも日本という国は、喫煙天国で有名である。
喫煙者にとっては天国でも、非喫煙者にとっては地獄。

楽しく食事をしていたり、お酒を飲んでいるときに隣の席のヘビースモーカーの、まったく遠慮のない
喫煙に不愉快な気分になることもしばしばであろう、煙を吸うことによる健康的な害についても医学的
に立証されている。

パースでは、基本的に建物の中はすべて禁煙である。
オフィスビルはもちろんのこと、空港や駅、バスターミナルレストランやカフェなど飲食する場所も例
外ではない。日本にあるような「喫煙所」という場所や「喫煙席」など存在しないのだ。

現在は、お酒を飲むパブだけは一部喫煙可能な店もあるらしいが来年以降はパブなどもすべて禁
煙になるらしい。

そういう不便さもあってか、日本人でパースに駐在になり禁煙したという人も少なくない。会社でタバ
コをすいたくなったら、ビルの外まで出なければならず食事をした後に吸いたくなったら、店の外で1
人淋しく吸わなければならない。
そんな不便さが、タバコを吸うことをやめようか・・・と思わせるらしい。

オージーは、喫煙者が日本の2分の1から3分の1だそうだ。
喫煙出来る場所がないという環境的な問題もあるだろうが、理由はそれだけでなくこちらはタバコが
高いのだ。日本の3倍くらいの値段で売られてるらしい。
物価の安いこの地で、日本の3倍というのはまさしく高級品である。

私も主人もタバコを吸わないので、パースでの喫煙について考えたことはなかった。
ただ、食事をしているときに「タバコ臭い」とか「煙が目にしみる」ということがな

快く食事が出来るというのはいうまでもない(日本はその逆・・・)。

しかし、私の父はタバコを吸う。ヘビースモーカーとまではいかないが1日1箱は吸うだろう。日本から
携帯灰皿を持ってきたものの吸える場所が本当に少なく、かなり不自由を感じたらしい。

家の中では吸ってもらっていたが、外で食事をした後などはやはりわざわざ外に出て、吸うのはめん
どうだったようだ。

そしてもう一つ、BYOというシステムが今ひとつ気に入らなかったらしい。
BYOというのは、Bring Your Own の略で、飲み物は自分で持参するという意味だ。

パースのレストランでは、客にアルコールを提供するためにはライセンスを取る必要がある。
ランセンスをもっていないお店も多く、その場合、客が自分の飲みたいものを各自で調達してお店に
持って行くことになる。いわゆる飲み物の「持ち込み」だ。

慣れればいいのだが、これは結構面倒くさい。
近くにリカーショップ(酒屋)があれば問題ないが、お店に入ってBYOとわかった瞬間、お酒を求めて
リカーショップを探すことになる。

もちろんメリットもある。
なんていっても飲食料金のコストダウンだ。
アルコールを定価で買うわけだから、飲み物代は安く済む。

私たちが夫婦で外食する場合、または友人と外食する場合持って行く飲み物は、100%ワイン&ビー
ルである。
学生時代にワインバーでアルバイトをしていた経験のある私は日本にいるときからワインが大・大・大
好き!ソムリエスクールに通おうと思っていたくらいだ。

パースはワイナリーも豊富で、本当においしいワインが格安で飲める。
西オーストラリアのワインは値段の割りに、品質が素晴らしいと日本でも朝日新聞(読売新聞だった
かな?)で紹介されたほどだ。

しかし、残念ながら父も母もワインはあまり飲まない。
母はビールを1杯くらいしか飲まないので、特に問題ないのだが父は焼酎やウイスキー派である。
これはなかなか持ち込むのは不便だ。
レストランに、日本にある水割りセットのような気の利いたものはおいていない。
結局、ビールとワインで我慢するということが多かったように思う。

家で食事をする機会が多かったのは、そういう理由もあったのかもしれない。
いろいろ不自由なこと、不便なこともあったが、終わってみれば良い思い出だ。

だけど、「やっぱり日本が一番いい・・・」というのが
両親の正直な感想だったのかもしれない。


以上



ウェーブロック
高さ15メートルほどの岩が波のように連なる迫力ある自然の芸術。
風雨の浸食を受け、まるで迫りくる波のように見えるところからウェーブロックと
呼ぶようになった。パースからは往復700kmの道のりで、1日ががりのツアーになる。



2002年9月22日

                       第9回

                両親がやってきた(その3)

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パースでは日本のテレビも衛星放送に加入しない限りは見られないし日本の新聞も手に入らない。

日本の情報はすべてネット経由で入手する私たち夫婦と違い、インターネットなど未知の世界の両
親にとっては、平日の朝5時半から30分だけ放送される日本語放送が日本の情報を知る唯一の方
法であった。

日本語放送をしているチャンネルは国営放送なのだがCMもあり、世界各国の言語で、毎日さまざ
まな番組を流している。月に1回くらい日本の映画もやるのだが、誰が選んでいるのか問い合わせ
たいようなマイナーな映画で、日本のイメージが悪くなるのではと心配になるくらいだ。
(この間は、「お天気お姉さん」を放送していた・・・)

日本語放送は基本的には早朝のこの時間帯だけなのだが、日本で前日21:00に放送されたNHKニ
ュースなので、最低限の情報は入ってくる。ないよりましだ。

早起きの両親は毎朝見ていたが、とにかく時間が早すぎる。
私はもちろん寝ていた。

母はNHKニュースを見たあと、家の前の公園を2時間近くウォーキングしていた。
道に迷う心配がないくらい開けた公園で、景色もよく、ウォーキングには最適のコースである。
出勤前にジョギングやウォーキングをする人も多く、治安も良い。
 
ウォーキングの途中で挨拶されたとか、ブラックスワンがいたとか、ペリカンが飛んでいたとか、ス
ワンリバー沿いのカフェでコーヒーとハムエッグを頼んだら英語が通じたとか、毎朝いろいろなこと
を報告してくれた。

父は、今回の旅行で10年ぶりにゴルフをやった。
昔はかなりの腕だったらしいが、病気をしてから体力がおち、ゴルフはやめてしまっていたが、パ
ースはゴルフ天国(詳細は後日)、やらない手はない。
親子でゴルフなんて、なんて素晴らしいんだろう・・・(自分で言ってどうする?)。

さすがに父は体力的にハーフが限界だったが、それでも心底楽しんでやっていた。
ちょうど今の時期は、ゴルフ場もワイルドフラワーの花が咲き乱れ、絶景である。
カンガルーがグリーンの上をピョンピョンはねている姿を見て、「カメラ、カメラ・・・」とはしゃぐ父の
姿を見て、思わず目を細めてしまった。

家のリビングからの景色が気に入って、レストランで食事するより
ここからの景色を見ながら食事しようと、予定より外食する機会が減ったが、親子で食卓を囲むこと
も最近ではそう多くはなかったので、まぁ良かった。

私は一人暮らしをしたことがないので、結婚するまでの20数年間自宅から学校に通い、会社に通っ
ていた。

それだけ長い間一緒に暮らしてきた両親だが、海外に招くとなると自分でも驚くくらいに気をつかっ
たと思う。

両親が来ることが決まってすぐ、パース在住数十年の英語の先生にどこに連れて行ったら喜ぶか
を細かくリサーチした。

自分が行って楽しかった場所と、60代の両親が行って楽しい場所は異なることは明らかである。
それならば、両親と年の近い現地人に聞くのが一番だろうと思ったのだ。

結果は予想通りで、先生のお勧めだが、私自身は時間もかかるしどうかな?
と思ったところが意外にも父に「これは必見だ」と感動を与え、私がお気に入りの場所は今ひとつ
反応が良くなかったりした。

いずれにしても、両親ともに「一生の思い出が出来た」と喜んで帰ったので少しは親孝行が出来た
かも・・・と安堵している。

老人介護のコラムを読むたびに、明日はわが身かと心配になるのは私だけではないであろう。
親孝行は出来るうちにしておくにこしたことはない。

日本にいたら、なかなかこういう機会はないので、今回のパース駐在は私にとっても両親にとって
は、とてもハッピーな機会だったと思う。

両親の滞在中、私の30数回目の誕生日を迎えた。

母からのバースデーカードに
「生まれてきてくれて本当にありがとう。あなたがいなかったらとても淋しい人生になるところでした。
これからも今までと同じように幸せな人生を歩んでいけますように・・・」

と書いてあった。これには、さすがに泣けた。

そして、両親を見送りに空港まで行ったときも、見送った後空港のトイレで1人大泣きしたことを、両
親も、仕事で見送りに来られなかった主人も決して知ることはないだろう。

(つづく)



【ピナクルズ】
パースからのツアーでも特に人気のある観光スポット。
原生林の風化によって出来た奇岩が、黄砂の中に数万林立する景色は圧巻。




2002年9月15日

                       第8回

                両親がやってきた(その2)

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早朝パース国際空港に到着した両親とともに家に戻った。
今回はホテルではなく、我が家(といっても社宅)に滞在する。

通常の海外旅行の際、ホテル滞在で苦労する洗濯や食事の心配などは、家に滞在する場合には
かなり減ると思う。

友人からのメールや手紙で、「日本食が恋しくならない?」とよく聞かれるがそんなことはまずない。
なぜなら旅行と違って、家で作る料理は日本食が中心となるからである。

また、パースには日本食レストランが山ほどある。
日本食の食材を手に入れるには、かなりコストがかかるため、値段は少々高めだが、どこも味は
なかなか良いらしい。

家で日本食を食べるには日本の食材を入手する必要があるが、日本食品店やアジアンフードシ
ョップで、たいていのものは手に入る。持ち込み禁止のマヨネーズやインスタントラーメンなども、
ここで売っている。

ただし値段は高めで、日本で買う2〜3倍はする。賞味期限もぎりぎりのものが多く、買うときに少
し注意が必要だ。

また、意外にもパースで食べられないものもある。
何を隠そう、それはお店の「ラーメン」である。パースにはラーメン屋はない。
インスタントラーメンは売っているのだが、ラーメンを食べられるお店はない。

中華レストランで、「スープヌードル」というものがあるが、塩味のたん麺といった感じで、とんこつ
好きの私には物足りない。
こちらの日本人はみな、「おいしいラーメンが食べた〜い」と言っている。

日本に一時帰国したときに必ず食べるものは、このラーメンのほかに焼肉と焼き鳥。
どちらも、パースでは満足のいく味には出会ったことがない。

両親の10日間の滞在はパース到着が早朝で、出発が夜23時近いので、まるまる10日間使える。

パース市内、パース造幣局、キングスパーク、モンガー湖、フリーマントル、コテスロービーチ、
スカボロービーチ、AQUA(水族館)、ヒラリーヨットハーバー、スワンバレーのワイナリー、スワン
リバークルーズ、動物園、ピナクルズ、ウェーブロック・・・etc、もうこれ以上行くところはないだろ
うというくらい多くの観光地をまわった。

両親のガイドをしていて、私が今まで体験しなかったことも体験した。
まずは、ブラックスワンの赤ちゃんを見たことで、家の近くのスワンリバーとモンガー湖という湖で、
2度ほど見ることが出来た。

ブラックスワンは、身体が黒くくちばしが赤いのだが、赤ちゃんは身体が白いふさふさの毛でおお
われていて、くちばしだけが少し黒い。
父親と母親が両脇をしっかりガードして、3〜5羽ほどの子供を連れている姿は何ともほほえましく
感動的だった。

もう一つは、やはり家の近くのスワンリバーでイルカを見たことだ。
パース近くの海にはイルカがたくさんいるので、一緒に泳いだり、ドルフィンウォッチングをするツ
アーはたくさんあるのだが、生活拠点である自宅とシティを渡るフェリーからイルカがジャンプす
る姿を2度も見た。今までフェリーで何十回と渡ったスワンリバーだが、イルカを見られたのは、
両親と見た今回が初めてだった。

週末は主人が車でガイドをしてくれたが、平日は電車にも乗り、バスにも乗り、フェリーにも乗り、
現地の生活を思う存分満喫してもらった。

食事も、イタリアン・中華・日本食・インド・オージーレストランなどいろいろなレストランにも行った
し、歩きまわって疲れた日には自宅でゆっくりお刺身を食べたり、煮込みうどんを作ったり、オー
ジービーフを焼いて食べたりした。

タバコを吸う父にとっては、まず飛行機で10時間タバコを吸えなかったのが、かなりつらかったよ
うだ。それにも増してパースのレストラン・乗り物・建物内もすべて禁煙のため、多少苦労はして
いたが、持ち歩ける灰皿を持参して、店の外で吸ったりして対応していた。

(つづく)



【コテスロービーチ】
夏は海水浴客でにぎわうが、昨年早朝スイマーの
オーストラリア人がサメに襲われて亡くなった。
左側の建物はインディアナティーハウス。
食事も出来るがお茶だけにしておいた方が無難。




2002年9月8日

                       第7回

                両親がやってきた(その1)

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日本から私の両親がやってきた。10日間の夏休みだ。

両親は60代だが、海外旅行はすでに何度か経験済み。
母は今年4月に友人とニュージーランドに行ってきたばかり。わずか6ヶ月ぶりの海外旅行なので、
準備などは慣れたものである。父は、昔は仕事の関係でアジア方面にはしょっちゅう行っていたが、
最近はご無沙汰で、6年前の私たちのイタリアでの結婚式以来だ。6年ぶりの海外旅行なので、父
の方が出発前に多少ナーバスになっていたようだ。

カンタス航空の成田からの直行便は週に3便、すべて朝6:10にパースに到着する。
税関・入国審査等で時間がかかるのだが、念のため朝6時に空港に迎えにいった。

空港にはスーツ姿の男女が10人弱、歓談していた。よく見ると、JTBとかHISといった旅行会社のバ
ッチをつけている。なるほど、日本からの送迎付ツアーのお迎えらしい。それにしても、日本からの
到着便は経由便も含めて早朝や深夜に到着するものがほとんどなので、お迎え担当の人は大変
だ。旅行会社の海外支店駐在なんて、うらやましがられそうだが、実際のところはさぞかし苦労が
多いと思う。

この旅行会社の人以外は、人影はまばらで、友人知人の出迎えらしい日本人の若い女の子が数人
いるだけだった。

6時半過ぎからビジネスクラスの客らしきおじさん軍団が、ゴルフバックをかついで数人出てきた。
迎えの添乗員に、「ゴルフシューズの靴を見られちゃったよ。」と報告していた。オーストラリアは食
べ物の持ち込みが厳しいことは以前このコラムにも書いたが、土がついているものも同様に厳しい。
スニーカーなどで入国する場合は、必ず靴の裏に土がついていないかチェックされ、ゴルフバック
を持っていると必ずバックからゴルフシューズを出しての靴の裏をチェックされるそうだ。

しばらくすると、大きなリュックを1つだけ背負った50才くらいの日本人男性が主人に話しかけてきた。
「ここから街まで出る交通手段は何がありますか?ホテルの案内所はないですか?」と。
急に思い立って、とりあえず飛行機に乗ったというような感じの人だった。

パースの国際空港からシティに出る場合、送迎付ツアーは別として、交通手段はタクシーか1時間
に1本ほどのシャトルバスだけである。シャトルバスはホテルにしか止まらないため、これからホテ
ルを探そうという場合には場所が決まっていないので利用しにくい。そう考えると、日本はリムジン
バスも10分おきくらいに出ているし、成田エクスプレスも京成スカイライナーも、タクシーもたくさん
ある。そういった意味ではかなり便利だ。

しかも、パース空港にはホテルの案内所のようなものもない。大きな広告案内板があり、ホテルの
名前と電話番号とちょっとした宣伝が載っているだけだ。一応ホテルに直通でかけられる電話が備
えられているので、予約したい場合は案内板の電話で空港から電話するシステムになっている。

タクシーでシティまでは25ドル(1700円くらい)ほどで、20分くらいかかるということを主人がその男
性に説明すると、その男性は泊まるホテルはシティについてからゆっくり決めたいので、タクシーに
乗ることにしますとお礼を言って、両替所でトラベラーズチェックを現金に換えに行った。

ちなみに、パースではトラベラーズチェックを使えるところはそう多くはない(と思う)。あっても、店の
責任者でないとわからないとか、売り場担当者を呼びに行かないと駄目だとかで、初めてパースに
来た当初かなり不便を感じた。もちろん、観光客向きのレストランやツアーデスク、お土産物屋さん
では使えるらしいのだが、私は近所のスーパーマーケットやデパートなどで使おうとしたので、担当
者を呼びに行くといって何度待たされたことか・・・。

ひどいときには、前日チェックを使ったお店に翌日行ったら、うちの店では使えませんと断られたこと
もある。まだクレジットカードの方が流通しているみたいだ。

続々と到着客が出てきたが、両親の姿はない。だが、お土産のお菓子などの検査に時間がかかっ
ているんだろうと安易に想像は出来た。待つこと45分、やっと両親の姿を見つけた。「いらっしゃい、
お疲れさまでした。」と迎える。ホッとした両親の顔を見て、私も心底ホッとした。

今日の税関の係員はかなり細かかったらしく、お土産用に包装されたお菓子もすべて包装紙をはが
して中身を見せたらしい。10数個のお土産を一つ一つ見せて数十分かかったとのこと。

両親の前にいた若い女性(おそらくワーキングホリデー)は、持ち込み禁止のものをスーツケースの
中に隠して申告しなかったため、別室に連れて行かれたらしい。やはりオーストラリアに来る場合に
は食べ物の持ち込みは、最小限に抑えた方が良いかもしれない。もちろん、禁止されているものは
持ち込まないにこしたことはない、というより持ち込んではいけない。日本の甘栗が食べたかったの
だが、頼まなくて良かった。

さぁ、これから10日間、パースで親孝行しなければ・・・。




【キングスパークからのシティ】
この景色を見て、将来絶対この街に住もうと決心する人も少なくないとか。



2002年9月1日

                      第6回

              パースでの国際交流(その2)

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カルチャースクールの英語教室では、いろいろな国のことを知った。

イラン人やソマリア人のクラスメイトは、国内の情勢が危なくなり親戚がいるオーストラリアに移住し
てきたそうだ。

そういえば、ソマリアの難民キャンプをテレビのニュースで見たことがある。
あの映像の国の人が、隣の席で勉強していると思うと不思議な気分だった。

日本は経済危機はあるものの、命の危険を感じ外国に移住しなければならないような国内情勢には
、今までもこれからも決してなることはないだろう。
やはり、日本は平和な国だということを客観的ながらも改めて感じた。

私がこのスクールで特に仲良しなのは、韓国人のエスクという40過ぎのおばさんと同じ韓国人で20
代のミッシェル(英語名)、そして60代のイラン人ジティだ。

エスクのご主人は近所にあるカーティン大学の教授で、本人も韓国では高校の音楽教師をしていた
そうだ。中学生の女の子がいて、このあたりではお嬢さん学校で有名な学校に去年バイオリンの奨
学生として入学したそうだ。

ミッシェルは、韓国版「米倉涼子」といった感じで背が高くスマートで美人だ。
ご主人はカーティン大学のビジネススクールの学生だそうで、新婚ほやほや。
今度、手作りのキムチを持ってきてくれるそうだ。

エスクとミッシェルは、はたから見ると日本人そっくりで先生も時々日本人と間違えて、日本のことを
聞いたりしている。

韓国人から見ると、日本で「BOA」という韓国人シンガーが売れていることがどうにも信じられないらし
い。確かに売れているし、私もCDを持っている。BOAは韓国ではさっぱり売れず、日本で売れている
ことが報道され、その名前を初めて知った韓国人も多かったらしい。

でも、自分の国であまり人気がなくても、外国で人気爆発することは良くある。
ハリウッド女優の工藤夕貴なんていい例で、彼女も日本では特別視されるような女優ではなかった
けれど、今はハリウッドで女優として食べていける数少ない外国人俳優の一人だという話を聞いたこ
とがある。

イラン人のジティは上品なおばあさんという感じだが、英語は苦手だ。
宝石鑑定士である息子さんが、仕事の合い間を見て車で送り迎え兼通訳をしている。

ジティも、イランでは長く高校の美術の教師をしていたそうだ。
息子さんの仕事の関係で、5年前にオーストラリアに来る前にはニューヨークに数年住んでいたらし
い。

以前「どこの国が一番好き?」と聞いたら、「それはもちろんイランよ。」
と何をあたりまえのことを聞くのというような顔で答えた。
私はあたりまえのように自分の国が一番好きとは決して答えられないだろう。

最近海外に移住する日本人が急増しているが、自分の国が一番好きだったらこんな現象は起こら
ないんだろうなぁ・・・。

そのジティは一番年上だけあって、とても面倒見が良い。
私がバスで来ていることを知ると、息子を見るや否やHIROKOを家まで
送ってあげてと半ば強引に頼み込み、最近はいつも家まで送ってもらっている。
朝も迎えに来ようかという誘いは、さすがに申し訳ないと思いお断りしている。

ジティの息子のキアンは私と同じ年くらいだと思うのだが、数年前ハネムーンで日本に2ヶ月きたら
しい。日本に2ヶ月も滞在できる外国人ってそうそうはいないと思う、彼はかなりのお金持ち(実業家)
と見た・・・。

キアンの息子のアンジェロは小学生で、時々パパと一緒におばあちゃんを迎えに来る。アンジェロ
は英語もイラン語も堪能で、おばあちゃんの宿題をいつも手伝ってあげているらしい。

アンジェロはとても恥ずかしがりやで、いつもパパの後ろに隠れているような男の子だが、一度私が
カルチャースクールの後ゴルフの打ちっぱなしに行こうと思って、ゴルフクラブを持っているのを見
ると、とてもうれしそうに「HIROKOはゴルフをやるの?」「ゴルフが好きなの?」と聞いてきた。
彼も、学校でゴルフをやっているらしい。

オーストラリアはスポーツが盛んで、小学校からゴルフをするのは当たり前。
昼間のゴルフコースは、先生に引率されたお子ちゃまでいっぱいなんてこともあるがこれがまた“激
うま”なのである。

まぁ、5歳くらいからクラブを握っていれば小学校の高学年ではアベレージスコアは80とか90になる
のも納得・・・。

アンジェロはタイガーウッズの大ファンだ。「HIROKOはタイガーは好き?」と聞いてきたので、「もち
ろんよ、彼はスーパースターだもの。」と答えるととても満足そうな笑顔をして、また恥ずかしそうに
パパの後ろに戻っていった。

この間の全米オープンの翌日も、「昨日の試合は見た?」「タイガーの追い上げはすごかったね?」
「あの連続バーディー、どう思う?」「本当に惜しかったね。」等々と話題はゴルフ一色だった。

小学生の子供相手に、これだけゴルフの話で盛り上がるのも珍しいことだ。

月曜日のカルチャスクールは、午前と午後両方あるのでみな自分でランチBOXを持ってきて、教室
で一緒に食べる。
ランチにもお国柄が出て、私はいつもサンドイッチとフルーツだが韓国の子はチャーハンだったり、
ネパールの子はカレーだったりあとは見たことも食べたこともないものを持ってくる子もいる。
いつか、味見をさせてもらおうかと計画しているが今のところ勇気がない。

そして、最後にもう一つ。
このカルチャースクールで私が学んだ大きなことは、ものを教えるという立場の人間の向上心、気
配り、思いやり、心の豊かさなどだった。

前にも述べたように、このスクールは移民のための生涯学習で料金は格安なので、教える教師は
ほぼボランティアである。
当たり前かもしれないが、ボランティアといえども一切手抜きはしないで、授業で使う資料も時には
手作りで、時には自宅の備品を持ってきたりする。
一人一人の理解力を確認しながら、休み時間には一人一人に声をかけながらコーヒーや紅茶を入
れてくれる。

授業の最後には、「今日の授業でわからなかったことはない?」
「来週は何をしたい?」と、これまた一人一人に聞いてきてくれる。
まるで、お母さんのようだ・・・。

先日の授業では、孫のおもちゃの電話機を2台持ってきていろいろなシチュエーションを設定して電
話での受け答えの練習をした。
例えば、病院で薬をもらったのだが、いつ何錠飲むのか忘れてしまったのでドクターに電話して聞く
とか、子供が風邪をひいたので学校を休ませたいという電話を先生にするなど、きわめて実践的な
学習だ。

きっと、日常ありえそうなことをいろいろ考えて設定してくれているんだろうなぁと感じる。でも一番面
白かったのは、電話の呼び鈴である。
日本人はきっと「リリリン・・・」とか「プルプルプル・・・」と表現すると思うのだが、イギリス人の先生が
やると、なぜか「ブリンブリン・・・」となり大爆笑になる。

本当に、こんなカルチャースクールなら一生通ってもいいと思う。




西オーストラリア州のシンボルでもあるブラックスワン(黒鳥)。
パースに来て生まれて初めて見たものの一つ。私のウォーキングコースである
スワンリバーの川辺に時々やってきては水浴びしている。



2002年8月25日

                      第5回

              パースでの国際交流(その1)

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最近、近所のカルチャースクールに通い始めた。

カルチャスクールといっても、お茶やお料理を習うわけではなく私が選んだクラスは「移民のための
英語教室(ESL)」というもので、域密着型のカルチャスクールで、英語を第2外国語として学びたい
という地元の人たちの交流の場を作るという趣旨で行なわれているものだ。

ESLとはEnglish as a Second Languageの略で、このシステムはパースというかオーストラリアだけ
でなく、世界各国にあるシステムだということを、駐在員の妻向けのHPで知った。

私の場合、たまたま近所にある市役所の分室みたいなところを見つけて、何か習い事をしたいのだ
けど・・・と相談してみたら、バスで1本という利便性の良い場所にあるカルチャスクールを紹介して
くれた。

もちろん、お料理教室やパソコン教室もあるのだが、やっぱり英語教室から入るのが手っ取り早い
と思い、週に2回、文法のコースと会話のコースに通うことにした。

パースには世界各国から英語を学びに来る人が絶えないので、語学学校や大学の英語コース、
英会話スクールは山ほどある。

ただし、これらはみな学生を対象としていて生徒もみな若い。別に年齢制限はないのだが、いまさ
ら10代20代の学生にまじって1から勉強するという気は、30代も半ばにさしかかっている私にはな
かった。

さらなる決め手は、このカルチャスクールの授業料で1TERM (1学期)1コース20ドル(約1,300円)
という激安ぶり。1TERMは約10週あり1回の授業が2時間なので、1時間1ドル(約65円)の計算に
なる。しかもコーヒー紅茶つきという、いたれりつくせりの世界。

こんな値段でやっていけるのだろうか?という心配はないらしい。
語学学校や大学と違って、カルチャスクールは営利目的ではなく、教える先生もほぼボランティア
に近い形だからだ。

はっきりいって、うちの主人はこのカルチャスクールに通うこと自体に反対した。どこの誰が来るか
わからない、しかもお金もかからないようなところ。お金のない物騒な外国人が集まるに決まってい
る、治安も悪そうだ・・・と。

しかし、残念ながら主人の期待(?)をうらぎりこのカルチャースクールが、私のパースでの国際交
流の大舞台となった。

1クラスは4〜8人ほど。生徒は韓国人、中国人、ロシア人、タイ人、ネパール人、イラン人、ソマリア
人と本当にこれでもかというくらい国際色豊かで、日本人は1つのクラスは私1人。もう1つのクラス
では私のほかに1人いる程度。

正直言って日本人が少なくてホッとした。何故なら日本人同士だと必然的に日本語で話をしてしま
い、英語の勉強にならないことが目に見えていたからだ。

どのクラスも先生はイギリス人の女性で、1人は30年オーストラリア在住、1人は在住3ヶ月目。2人
とも長く小学校の教師をしていて最近リタイアした50代か60代(・・・だと思う)のミセスだ。

このカルチャスクールを通じて、私はとても多くのことを学んだ。
それは、英語力以上に必要だと思われる人間どおしのふれあいであり、自分の国を客観的に見つ
めなおすという機会であり、ものを教えるという立場の人間の向上心、気配り、思いやり、心の豊か
さなどであった。

次回に続く



パースには野生のコアラはいないが、ちょっとした郊外や
ゴルフ場には野生のカンガルーが山ほどいる。
こんな格好で寝ている人間、どこかにいたような・・・。



2002年8月18日

                      第4回

              パースでの近所づきあいその2

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隣近所の住民とつきあうことが難しいとわかってから、私はあることに気がついた。

今までも、そしてこの先もきっと一番顔をあわせる機会が多いオージーは何を隠そう、左隣の家の
工事現場のお兄さん達であることだった。 

パースに来たての頃は、朝早く(7時ごろ)からトンチンカンと騒音を出す隣の工事現場がうざった
かったもので、前を通るときもあまり顔を合わせないように極力努力していた。

それでなくても、最近のパースは治安が悪い。先日も地元の警察から犯罪警告のチラシがポスト
に入っていた。何でも近所に泥棒が入ったので不審な人を見かけた人は警察に連絡してください
というものだった。

泥棒に入られた家は定かではないが、通り(Street)の名前が同じなので、おそらく我が家からで
も数10メートルの近さのはずだ。

チラシを見たときはかなり怖かったが、友人に話したところ、「さすが高級住宅街は違う、うちの近
所なんて泥棒など日常茶飯事だから誰も驚かない。チラシなんて入ってきたことない。」と言って
いた。

うちのまわりが高級住宅街かどうかは疑問だが、確かに泥棒くらい日本でも入る。自然にあふれ
た平和で美しい街だと、たかをくくっていたのかも知れない。

工事現場の話に戻るが、ある朝シティに出掛けるときにそこのお兄ちゃんと偶然目が合ってしまっ
た。ちょっとビクッとしたが一応朝だったので「Good morning !」と挨拶をしたら、「しばらく見かけな
かったね?」と返された。これにはちょっと驚いた。

私が日本に帰っていたからであろう。そんなことまでチェックしてるなんて・・・と最初は嫌な気分だ
ったが、このお兄ちゃんのスマイルがなかなか良かった。

心からの笑顔、そんな感じだろうか。笑顔の素敵な人に悪い人はいない、私は勝手にそう思ってい
る。そのときは挨拶だけで終わったが、その日から偶然にも良く会うようになり、2言3言話すように
なり、今では必ず立ち止まって会話をするようになった。

オージーは本当に楽しそうに仕事をする。工事現場なんて仕事する環境としては最悪・・・とまでは
いかなくても、あまり良くないと思うのは偏見かもしれないが、カセットデッキで最新のミュージック
をかけながら、生き生きと仕事をしていて、ちょっと自分の仕事が懐かしくなったりした。

余談だが、こちらの家はほとんどがレンガ造りである。子供の頃読んだ「3匹のこぶた」に出てきた
ような、あのレンガである。地震の多い日本だったら、絶対不可能だろうなぁと思う造りだが、見た
目はコンクリートや木材の数百倍美しい・・・。

また、パースは環境保護に関する規制が非常に厳しい。
庭やプールのメンテナンスも大変で、たとえ私有地であっても庭の芝がはえっぱなしで乱れてきた
り、シーズンオフで庭のプールの手入れをせずに苔などをはやしてしまうとすべて罰金の対象で、
時にはヘリコプターで写真を取られ証拠写真とともに請求書が送られてくるらしい。

主人の会社のオージーは、夏休み前に公道に面する庭の芝の手入れをせずに2週間ほどの旅行
に出かけて帰ってきたら芝がきれいに刈り取られてあって、後から罰金の案内と芝刈り業者からの
請求書が送られてきたそうだ。

日本だったら考えられないことだが、これくらい環境保護や景観維持のための厳しい規制があるか
らこそ、「世界で一番美しい街」と呼ばれるまでの美しい街並みが維持できているのであろう。

もし、将来パースに住み、自分の家を持つようになったら毎週末は庭の芝刈りとプール掃除に、か
なりの時間をとられることになるであろう。こちらのオージーたちが、毎週末しているように・・・。


以上



スカボロービーチ。コテスロービーチ、シティビーチと並ぶパースの
3大ビーチのひとつ。いずれもパースのシティから車で15〜20分と近く、
地元の人たちの憩いの場となっている。


2002年8月4日

                       第3回

               パースでの近所づきあいその1

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日本にいるときには、「パースに行ったら近所のオーストラリア人と友達になって、家族ぐるみのおつ
きあいをしよう!」なんて思っていたものだが、実際に来てみてこれは意外と難しいことだとわかった。

まぁ日本に住んでいたとしても、近所に見知らぬ外国人が引っ越してきてすぐに家族ぐるみでつきあ
うかといったら、確かにそんなことはしないと思う。

同じ日本人どおしでも、近所づきあいはとても難しいものなのだから・・・。

かといって、もちろん現地人と全く交流しないわけではない。主人が1日中一緒に仕事をしている会
社のスタッフなどとは親しくしている。しかしこれが近所の人との交流するとなると、思っていた以上
に大変なのである。

何故なら今住んでる住宅街は戸建地域なので、東京のマンションのようにエレベータで近所の人に
ばったり会うことも、エントランスで一緒になることも一切ない。しかも、オーストラリアは車社会。
出かけるときは、みな車に乗って出かける。買い物の帰りに道でばったり・・・なんてことはありえな
いのだ。

それに輪をかけて、うちの左隣は現在家を建てていて去年からずっと工事中。
まだ人は住んでいない。となると隣の家は右隣だけになるのだが、この右隣の家がかなり謎なので
ある。

とにかく人の出入りが激しく、誰が住人で誰が客なのかちっともわからない。
いつも車が4〜5台止まっていて、人相の悪い人も時々見かける。そのうち偶然顔をあわせるように
なったら、いろいろ話をしてみようかな?と気長に待つことにした。

というわけで、当初ご近所づきあいというほどのものは何もなく、パースに来たばかりの頃は会話を
するオージー(オーストラリア人)はというと、バス停でバスを待っている間に一緒になる老人くらい
だった。

こっちのバスの乗客は少数の子供と老人くらいで、20代〜50代の客層が極めて少なく昼間はガラガ
ラである。車の免許を持たない子供も、親の車で送り迎えが常識の国なのでバスを使う子供は意外
と少ないらしい。ただ、もう自分で車の運転が出来ないくらい年をとっている老人はバスをよく使う。

バスに乗って出歩くのは、おじいちゃんよりおばあちゃんの方が圧倒的に多く、女性がおしゃべり好
きなのは各国共通で、話しかけると気軽に応じてくれる。

住宅街のバス停で誰かと一緒になる確率は5回に1回程度と少ないが、その1回が私にとっては英語
で日常会話をする貴重な時間で、バスを待つ数分の間にこちらから必ず話しかけ、会話をすること
を心がけた。そうでもしなければ、買い物とレストラン以外で英語を話す機会がなかったのである。

老人との会話はもっぱら天気の話だが、時には「どこから来たの?」とか、「パースは気に入った?」
などといった世間話になり、話がはずむとバスの中でも隣に座り、どちらかが降りるまで話をするこ
ともあった。

そんなときは、自宅から近いお店でお勧めのお店などを聞き出す。これが近所の人でないと、とてつ
もなく遠いお店を勧められてしまうので意味がなくなってしまう。

同じバス停で乗り降りするということが大切なポイントなのである。

次回につづく



【キングスパーク】
パース市内を一望できる高台にある公園。
戦没者の慰霊碑なども多く、今でも花束が絶えることがない。



2002年7月28日

                      第2回

                 パース到着
その2


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入国審査が済むと次は税関。毎回ここがやっかいなのだ。

何故ならオーストラリアは食べ物の持ちこみは、全て申告しなければならないからである。

口に入るものであれば、1品1品全てである。パースにも日本食品屋が何件かあるので、ほとんどの
ものは手に入るが、値段といい種類といい味といい、主婦の私から見たらお世辞にも満足のいくもの
ではなく、毎回来るたびに日本から米や日本茶、調味料、海苔などを大量に持ち込んでいる。

ちなみに、オーストラリアに持ち込めないもので税関で没収されるものベスト3はインスタントラーメン
、マヨネーズ、レトルトカレーである。

あらかじめ持ち込めないことを知ってる人は隠して持ってきたりするのだが(本当はもちろんいけない
ことである)、もしばれたら没収&罰金は覚悟したほうが良い。1品1品説明しているうちに、後ろに長い
列が出来る。憂鬱な瞬間だが仕方がない。厳しい審査官だと、お土産に持ってきたお菓子の包装紙
をはがして中味を見せろと言う。包装紙を取るとお土産にならないのに・・・と思いながらも1品だけ開
けて見せると他のものはたいていOKだ。

お菓子の場合、よく没収されるのはカステラである。なんでも、卵が入っているものは一切持ち込み
不可らしい。日本人の友人へのお土産に持って来たのおせんべいの材料を聞かれ、「米(rice)」だ
と答えたら係員にriceの発音を直されてしまった。どうやらriceがliceと聞こえたらしい。riceは米だが
liceはシラミの複数形、シラミで出来たおせんべいになってしまう。確かに直さなければ大変だ。

それにしても日本人はLとRの発音がわかりにくいと言われるが、私も例外ではないらしい。今までも
「Caflate」のlaの部分を聞き返されることがたまにあった。個人的には日本語だったらちょっとくらい
発音が違っていても単語としては通じるのに・・・と思うのだが、通じないものは仕方がない。すべて
の説明が終わってやれやれと思っていたら、係員がスーツケースの中をチェックし始めた。今回の
係員は意外と厳しい。下着の入っているケースを開けかけたので嫌そうな顔をしたら「Oh,sorry」と謝
ってその手を止めた。危なかった、実はマヨネーズを下着の中にかくしていたのだ、下着の中にかく
すというのは初歩的なことだが、意外に大丈夫だということを現地の友人から聞いていた。この食べ
物チェックでいつも10分以上はかかる、無駄な時間だが仕方がない。英会話の練習だと思うように
努めている。

税関の検査がすんで到着ロビーに着いた頃には、あたりは閑散としていた。まぁ飛行機があれだけ
ガラガラだったので、他の客は私が海苔や味噌の説明をしている間にさっさと送迎バスに乗り込ん
でホテルに向かったのであろう。いつもは空港まで主人が車で迎えに来るのだが、今回は仕事の関
係で迎えには来られない。私は一人でカートを押しながらタクシー乗り場に向かい、タクシーに乗った。

オーストラリアではタクシーに乗るときは助手席に座る。なんでも、運転手と客が対等であることを意
味するらしい。行き先を告げ、最近の天気の話などを始める。しばらくすると運転手のおじさんが「とこ
ろでどこから来た?シンガポールか?」と訪ねてきた。私は不思議なことに、あまり日本人に見られな
い。自分では誰がどう見ても日本人だと思うのだが、一番多いのはマレーシア人、あとはシンガポー
ルや台湾。そういえば以前近所のスーパーで買い物をしていたら、オージーのおじいさんにいきなり
「ニィハオ!」と挨拶されたことがあった。どう答えようか一瞬迷ったが、めんどうだったので「ニィハオ
!」と答えておいたこともあった。

タクシーの話に戻るが、運転手に日本から来たというと、眠そうな顔をしていたそのおじさんが急に元
気になり、話は終始ワールドカップの話題になった。オーストラリアは予選で敗退したのでワールドカ
ップには出場していないが、とにかく盛り上がっているらしい。

家に着くまでの20分間、そのおじさんはずっとサッカーの話をしていたが異常に詳しかった。オースト
ラリアでは基本的にはチップは不要だが、スーツケースを玄関まで運んでもらいたかったので26ドル
のところチップ込みで30ドル払って荷物を運んでもらった。降りる時に、サッカーの準決勝と決勝のテ
レビ放映について聞いてみたが、3位決定戦まで放映日時を暗記していたのには感心した。

玄関の鍵をあけ家の中に入った、2ヶ月ぶりだ。リビングからは緑いっぱいの広い公園、公園の向こう
に広がるスワンリバー、その向こうにはパースのシティが一望できる。高台にあるため、家からの眺め
は絵葉書になるくらい素晴らしい。リビングのソファに座ってみる。今到着したとは思えない。

パースには、ずっと昔からここにいるようなそんな空気が流れている。疲れている身体や心を癒してく
れる、そんな空間がここにはある。こうしてまたパースでの生活が始まった。





2002年7月21日

                      第1回

                 パース到着
その1


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6月下旬のある日の早朝、オーストラリアのパースへ到着した。

日本ではまだワールドカップのベスト8あたりの試合をやっていたが、一応自分としては日本が
負けたのを見届けてきたつもりだ。

パース訪問は今年3回目。駐在員である主人は、基本的には今年は日本に帰って来ることはな
いが、日本で仕事を持っている私は、贅沢にも日本とパースを行ったり来たりの生活をしている。

パースはオーストラリア全体の約3分の1、日本の7倍にも相当する広大な面積を有する西オー
ストラリア州の州都である。西オーストラリア州の人口はオーストラリア全体の1割に満たない約
180万人で、その7割のおよそ130万人が州都パースに集中している。

日本の7倍の面積の土地に、東京23区の人口にも満たない人数しか暮らしていないのである。
広いうちに住めるはずだ・・・。

パースは地図でいうとオーストラリアの左下。日本人がよく訪れるシドニー、メルボルン、ゴール
ドコースト、グレートバリアリーフなどは、すべてオーストラリア東部に位置している。
パースから主要都市が集まるオーストラリアの東海岸までは、飛行機でも約5時間かかり時差
もある。そんなことから、パースは世界で最も孤立した100万人都市といわれている。

西オーストラリア州にはパース以外に都市と呼べるものが存在しない。都市といっても、東京で
生まれ育った私にとってこの街は都市といえるほど都会ではない気もする。東京で例えると、中
野とか神田といったところだろうか。3時間もあれば街のほとんどを見てまわれる、そんな小さな
街である。

西オーストラリア州と日本との時差は1時間。日本が朝9時なら、西オーストラリアは同日の朝8
時、サマータイムはない。

パースへは週に3便、カンタス航空の直行便が飛んでいる。今どき直行便が毎日ないというのも
信じがたいが、この直行便も毎年廃止の噂が出ているそうだ。確かにピーク時をのぞいたらガラ
ガラで、今回も飛行機の横1列(2−3−2の7人掛け)に1人か2人しかいなかった。典型的な赤字
路線であろう。

パース空港での入国審査はもう慣れたものである。半年に3回も往復している私を前に係員は、
「Holiday?」とけげんな顔をする。別に麻薬の密売人には見えないだろうが、「主人がパースに
住んでいるので頻繁に訪れている」と英語で説明すると、満面の笑みをたたえて「Oh!Beautiful」
と一言。

日本では“Beautiful”という単語は“美しい”という意味にしか使わないと思うが、オージー(オース
トラリア人)はとにかくこの単語を良く使う。天気がいいときとか、仕事が終わったときとか、買い物
をしてお金を払って小銭を出してちょうどピッタリ払ったときなどは、まさにBeautifulな気分なのら
しい。同じように“Lovely!”という言葉もよく使っている。日本人の感覚では“Good”に該当するの
であろうか、とにかくよく耳にする。

次回へ続く









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