・・・・・・・・・・・蓋 付 碗 の 世 界・・・・・・・・・・・

 

■蓋付碗について

 小振りの茶椀が作られるようになるのは鎌倉時代以降のことで、木製の椀が主流であり、庶民はゴキと呼ばれる木地そのままの刳り椀であり、貴族では漆椀が使われていた。また、陶磁器の飯茶碗は江戸時代を待たなければ出現せず、その使用は大名などでは17世紀中葉、商家では江戸後期、そして地方の農家や庶民にまで普及するのは明治に入ってからとされる。 

 日本の食事作法にはいくつかの流れがあるが、その中心が本膳料理で、膳が並ぶこの様式が正式のものとして現代まで引き継がれている。本膳料理では最初の膳にめしがのり、主に木製の蓋付椀にもられている。また本膳料理の影響を受けた茶事の懐石料理にも蓋付の椀にめしがもられる。そして、こうした木製の飯茶碗を模倣した蓋付の陶磁器の碗が造られるようになったと考えられている。実際、蓋付碗は有田においては18世紀前半頃登場するが、一般的になるのは18世紀中葉以降である。また、一般に蓋付碗のことを奈良茶碗ともいい、奈良地方の茶がゆを食べるのに用いられていたので、このように呼ばれたといわれている。

 ところが、蓋のない茶碗による湯漬けや茶漬けの流行や、庶民のインフォーマルな食卓の食器として蓋なし茶碗の使用が主流となり、蓋付の飯碗はもっぱら正式なときのみに使われるようになったと考えられる。製品的にも明治末・大正以降のものは漸次減少しているように思われ、今日において蓋付飯碗を量産している窯元は寡聞ながら知らない。

 今回すべて磁器の碗を掲載しているが、瀬戸麦わら手など陶器製の蓋付碗も存在する。器形は丸碗、広東碗、端反り碗などが基本形であり、口縁の直径よりも若干小さく作られた蓋が内側上方でとまるようになっている。加飾は江戸時代には手描きの染付が一般的で上絵を伴うものも少なからずあり、明治時代になると美濃などでは摺絵や銅版転写による絵付が盛んとなっていくとともに、それらや手描きに上絵を伴うものもみられる。文様は、日用食器の特性から、花鳥、草花など一般的な文様が主流であり、ふつう蓋・身とも対で同じ文様が絵付されている。また、口縁内側を一周する縁文様、見込みと蓋裏、高台内と蓋中央が対となって銘やワンポイントの文様が記される場合が多い。

 

参考文献

小林克 「めし茶碗の謎」 目の眼 里文出版 2000

楠田三郎 奈良茶碗 豊田市民芸館 1994

 

 

■作 品 解 説

1.染付牡丹唐草文蓋付碗 「筒江」 18世紀中 有田  丸型の碗で、器面全体に牡丹唐草が施されている。高台内および蓋中央に二重方形枠内に「筒江」の文字を崩して染付されており、有田の山内町の筒江窯で焼かれたことが分かる。

2.染付団扇文蓋付碗 18世紀中 有田  高台脇より直線的に広がる碗で、蓋には沈線が一周している。器面には団扇が描かれ、見込みおよび蓋裏には手描きによる五弁花文が記されている。

3.色絵柘榴蔓文蓋付碗 「太明洪武年製」 18世紀中〜後 有田  丸型の碗で、器面全体には柘榴蔓が描かれており、実および葉の一部に上絵が施されている。中国では柘榴を男子の多く生まれることを寓意し、仏手柑と桃と3つで「三多」として喜び、柘榴と萱草で「宜男多子」と祝う。高台内および蓋中央には「太明洪武年製」が記される。

4.染付菖蒲文蓋付碗 18世紀後〜19世紀前 有田  広東碗とよばれる高台が広い中国清朝磁器の影響を受けたタイプで、器面には並び菖蒲に蝶を描いている。見込みおよび蓋裏には一羽の鷺を記す。

5.染付束稲に双鶴文蓋付碗 18世紀後〜19世紀前 有田  広東碗で器面には3つの束稲(たばねいね)と双鶴を描く。見込みおよび蓋裏には線書きによる○に十が記されている。

6.色絵樹木文蓋付碗 18世紀後〜19世紀前 有田  広東碗で器面には木が染付と朱、緑、黄、黒、金などの上絵で描いている。高台内および蓋中央には二重方形枠内に青の月部分が巾になった銘が、見込みおよび蓋裏には線書きによる○に十が記されている。 

7.色絵楼閣山水文蓋付碗 18世紀後〜19世紀前 有田  広東碗で器面には楼閣山水を染付と朱、緑、金などの上絵で描いている。蓋中央には上絵による花が、見込みおよび蓋裏には線書きによる○に十が記されている。

8.染付雲龍文蓋付碗 19世紀前 有田  口縁がわずかに端反りする碗で、器面には筆先を用いて吹墨状に雲を、雲間に龍を描いている。見込み、蓋裏および口縁内側にも吹墨状の模様を施している。

9.色絵鶉に秋草文蓋付碗 19世紀前〜中 有田  丸型の碗で、器面の縁文様以外すべて上絵によって鶉に撫子、桔梗、薄などの秋草文を描く。見込みおよび蓋裏には環状の松竹梅文を記している。

10.染付花に蝙蝠文蓋付碗 「太明年成」 19世紀前〜中 有田  丸型の碗で、器面には18世紀後半以降に清朝の意匠を取り入れた素書(すがき)と呼ばれる線描のみで、濃み(だみ)をおこなわない染付で花と蝙蝠を描く。蝙蝠の蝠が福と同音であることから、吉祥文として中国人の最も好むものの一つとされる。高台内および蓋中央には「太明年成」を記している。

11.染付雲龍文蓋付碗 「冨貴長春」 19世紀前〜中 有田  広東碗のような大きな高台を持ち口縁は端反りしている。器面には素書きにより雲龍や宝殊が、縁文様には○×の連続文を描いている。高台内および蓋中央には「冨貴長春」が記されている。

12.金彩大根に鼠文蓋付碗 19世紀中 有田  丸型の碗でわずかに口縁で端反りしている。器面には大根に鼠が描かれており、輪郭には金彩が施されている。

13.染付獅子に童子文蓋付碗 19世紀 有田  丸型の碗でわずかに口縁で端反りしている。器面には太鼓をたたく童子に獅子が舞う様子が描かれている。内面は見込みと蓋裏のワンポイント以外描かれていない。

14.摺絵染付草花文蓋付碗 「巨鹿城製」 19世紀 大垣  外面の大半に草花文による摺絵が施されている。「巨鹿城製」は大垣藩(岐阜県)の御用窯であり、製作の下限が知られる。摺絵は美濃・肥前で江戸時代前期の製品にみられ、美濃では江戸時代中期を通じ使用されている。しかし、後期の類例はみられず、その再興はいまのところ明治4年の志田窯(佐賀県)や明治15年頃の脇之島(岐阜県多治見市)が最も早い。本作はこうした一大産地の製作とは異なるものとして興味深い。

15.染付捻り文蓋付碗 19世紀前〜中 美濃・瀬戸  広東碗で器面には捻り文が描かれている。本作は有田の広東碗をまねて美濃・瀬戸で焼成さてたもので、同地域でも文化文政の頃より磁器焼成が可能となっていた。

16.染付巻紙に草花文蓋付碗 「大化年制」 19世紀中 美濃・瀬戸  丸型の碗で磁器の焼成が可能となった後の美濃・瀬戸の製品と思われる。器面には巻紙に花、蝶などが描かれており、見込みおよび蓋裏には「大化年制」が記されている。  

17.染付八手文蓋付碗 19世紀中〜後 美濃・瀬戸  口縁がやや端反りする碗で、器面には八手の葉が描かれている。見込みおよび蓋裏にはかなり簡略化された環状の松竹梅文が描かれている。

18.染付菖蒲文蓋付碗 19世紀中〜後 美濃・瀬戸  口縁がやや端反りする碗で、器面には菖蒲が三方に描かれている。見込みおよび蓋裏には「大明年制」が記されている。

19.染付鳳凰文蓋付碗 19世紀後〜20世紀前 美濃  丸型の碗で器面にはデフォルメされた鳳凰が飛んでいる様子が描かれている。見込みおよび蓋裏には相当簡略化された環状の松竹梅文が記されている。本作に近い作風の製品が根本焼(岐阜県多治見)などにみられる。

20.染付雲鶴文蓋付碗 19世紀後〜20世紀前 美濃  丸型の碗で器面には素書きにより雲鶴が描かれている。見込みおよび蓋裏には相当簡略化された環状の松竹梅文が記されている。本作に近い作風の製品が根本焼などにみられる。

21.染付花唐草文蓋付碗 19世紀後〜20世紀前 美濃  葉反りする碗で器面には花唐草が描かれている。産地を美濃としたが、他の可能性もある。

22.染付波に千鳥文蓋付碗 「魁□園製」 1899年頃 美濃・瀬戸  丸型の碗で器面には千鳥に青海波と白抜きによる波が巧みに描かれている。「魁□園製」と窯屋が記されているが、特定できていない。収められていた木箱の蓋に明治参拾二年の文字を読むことができる。

23.染付菊花文蓋付碗 20世紀前 美濃  やや広がりを見せながら内傾する碗で、蛇の目高台を有している。器面には大きく余白をとりながら菊花が描かれ、見込みおよび蓋裏には桐が記されている。

24.青磁花文蓋付碗 19世紀後 美濃・瀬戸  口縁に向かい大きく広がる碗で、高台内および蓋中央と内面を除き青磁が施釉されている。このクロム青磁は明治10年頃より使用が増加しているとされる。また上絵により花文および「春玉堂」の文字が記され、内部は無文である。

25.摺絵染付扇文蓋付碗 19世紀後 美濃  口縁に向かい大きく広がる碗で、摺絵により高台内など一部を除き内外全面に文様が施されている。

26.摺絵染付唐子文蓋付碗 19世紀後 美濃  口縁が端反りする碗で、器面には唐子が橋の上で蝶を追う様子が描かれている。見込みおよび蓋裏にはやはり摺絵により環状の松竹梅が記されている。

27.摺絵染付鶴文蓋付碗 19世紀後 美濃  口縁が端反りする碗で、器面には鶴が羽を持ち上げて円状にした文様が連続して一周している。高台内および蓋裏には環状の花文が記されている。

28.銅版染付六歌仙文蓋付碗 「精製」 20世紀前 美濃  丸型の碗で器面には銅版転写により六歌仙が描かれている。見込みおよび蓋裏にはやはり銅版により環状の松竹梅文が記されている。銅版転写は美濃では里泉焼が幕末に試みられるが汎用せず、加藤米次郎らが明治22年特許を取得し、以降日用食器の絵付方法として広く用いられている。

29.銅版染付兎文蓋付碗 20世紀前 美濃  やや広がりをみせる丸型の碗で、器面には窓を作り、兎、双鶴、楼閣、富士山、松などが銅版により描かれている。見込みおよび蓋裏にはやはり銅版により環状の松竹梅文が記されている。

30.上絵花に蝶文蓋付碗 20世紀前 美濃  口縁が端反りする碗で、器面には三方に花・蝶が上絵付により描かれている。美濃の上絵付は江戸時代中期に試みられたが大きな広がりをみせておらず、多治見では明治以降発展しており、特に明治30年以降大きく飛躍する。見込みおよび蓋裏にはかなり簡略化された環状の松竹梅文が記されている。

 

参考文献

西田宏子・大橋康二監修 別冊太陽 古伊万里 平凡社 1988

柴田コレクションIV 古伊万里様式の成立と展開 佐賀県立九州陶磁文化館 1995

岡登貞治編 文様の事典 東京堂出版 1989