2004上高地 XCスキーハイキング

(日程)
3月5日(金業後)6日(土)7日(日)

(テーマ)
恒例の冬季クロカンツアーとしるふれいでのんびり風呂とアフタースキーを楽しむ。ヤヤはしるふれいで雪景色を楽しみながら惰眠をむさぼり多いに食べビデオ見て本読んでごろごろとひねもすのらりくらり。

(参加者)
M 藤野、熊野、松田、益原、森永、江畑か、畠田(記録) F 徳山、江畑あ、大泉、清水

(記録)
集合:畠田車 藤さん+オールメッチェン 19:30丸の内発。 松田車 野郎全員 20:00 葛西発(まっちゃん号は棺桶搭載の為、高さ制限で新丸駐車場に駐車できない為)

職場の近くに安い長時間駐車場を見つけておくと業後山行には便利(新丸駐車12時間2700円)。
畠田号は中央高速に入るや早速バーになる。氷とウイスキーと水が準備され、藤さんが御満悦でメッチェンに作ってやり夜のひとときを楽しむ。

おかしかったのは、藤さんが自分で買ったピーナッツを30分に一回くらい(時間をあけたら出てくるものでもないのに)ピーナッツはどこだ?とシートの下やら袋の中やら探すのだが出てこない…・。おかしいなぁおかしいなぁ、とピーナッツがとても気になる藤さん。

双葉PAで休憩、藤さんは残り少なくなったウイスキー(ビジャイボトルいっぱい入っていたのに)が心配になり高速道路のPA売店で酒を探し始め、やっぱりないなー、とぼやく(当り前)。さらにクルマに戻りピーナッツがやっぱり気になり本格的に探し始めついに見つけた!! 自分がリュックの中に入れてしまっていた。満面の笑みで食べるのだが、今度は、「これ堅い、うまくねーなー」と文句を言い始める…やれやれ。

よくしゃべるマサとメリは眠気覚ましにいいのだが職場の話が多く国際以外のヤヤや徳さんは入れずちょっとかわいそうだった。夜もふけてだんだんマサもメリも静かになっていく…。藤さんも船こぐ。途中まっちゃん号に電話入れるが順調、ちょうど30分ほど遅れ。

高速道路を降りていつものコンビニに寄る。低気圧の接近で冷えが弱く天候が気になる。そこで、風呂上がりに飲む泡と藤さんが飲み干してしまったのでウイスキーを調達。

24:00 ちょうどにしるふれい到着。百瀬さんが迎えてくれる。早速部屋に入り風呂に入る。風呂からあがったころまっちゃん号の連中も到着し喉を潤す。いつも深夜に到着するが快くロビーを使わせてくれるのが有り難い。

運転して疲れていつも暖かくしてくれているロビーで寝そべって風呂上がりにくいーーと飲む泡は山に来た喜びと開放感と相俟ってたまらない。これがぼくの大いなる楽しみ。ぼくら運転手にとってはここでやっと緊張が解けるのだ。

1:30 就寝

5:40 起床 外を見ると雪だ。しかもかなり積もっている。早速天気を確認すると低気圧がちょうど通り過ぎたくらいだ。予定よりも通過が遅れている。エバ不調。風邪が完治してない状態で来たので無理しない方がいい。マサに次ぐNSA二人目の戦線離脱。ということでエバにリーダーを託された。ヤヤとゆっくり寛いで夜に備えればいい(いや、ヤヤとの夜ではなく・・)。

7:00 スキーを積んでクルマに乗り込むが、ぼくが荷台に乗ると「畠田さん、私が乗ります、私が乗ります」と若人らから声が連発…。ついに皆も年長者を大事にする、という心が芽生えたか!! マッチョが入会しいつもいいお手本を見せてくれているおかげだ。それまでは、当会はひどかった(ごめん、うそうそ)。
ヤヤとエバに見送られて出発!!

7:40 釜トン入口は雪崩れの名所なので避けてトンネル中でセットアップ(しかしその雪崩の名所も第2釜トンの工事が入って上高地の魔性と奥地の趣がいよいよ薄れていく)。各人リュックにスキーを括り付けて出発。所々凍結しているが問題ない。

旧釜から新釜に入りいっきに高速道路のトンネルみたいに明るくなる。こんなもの要らんのに、とため息でる。

8:05 釜トン出口に着くが工事トラックのUターンでしばし足止めを食らう。外から吹き付ける風雪がひどい。外はかなり荒れているようだ。

8:10 釜トン出口出発。風雪がひどい。風がうなり恐怖感がある。続行するかどうか考えるが、朝天気図を見た際低気圧は明け方に通過していたので風は強いが天候は回復する方向にあるため行くことにした(この時点ではぼくはまだ皆に相談しなかったが、まっちゃんはこれでは無理だろうと思ったと、それほどひどかった)。

先行隊もいるのだろうけど、雪と風でトレースはまったく消えてない。途中雪崩危険個所が数箇所あり足早に通過。昨夜までは好天で温度も高かった為に融雪が凍結しその上に明け方からの新雪が積もっているため古い雪と新しい雪が接合できず、まさに表層雪崩が起きやすい条件なのだ。

雪崩の看板個所に注意しながら上を仰ぎながらさっさと通過し大正池についたところで、道路をデブリ(雪崩の跡)が塞いでいる。

このデブリは古いがまた雪崩れで道路が塞がれたり巻き込まれたりすると大変なのでまた思案した。取り敢えずベテランの藤さんと相談し皆に図った。

まだ9:15なので代替手段として乗鞍でもいいクロカンコースがあるのでそこに行こうか、という案も出したが、しるふれいに戻ってクルマに乗り換えてまた出発も面倒だし天気図を確認したのが支えにもなっているので、取り敢えず進もう、河童橋までは無理かもしれんが大正池過ぎると樹林帯になるので風も遮られるだろう、田代池あたりまで行ってみよう、ということでデブリを越えて進むことにした。

9:30 大正池ホテル裏手に到着。ここでスキーを履く。

9:40 出発。自然観察路の木道を通り落ちたら池のなかなので注意して進行。風のうなり声は聞こえるが視界は良好になっている。樹林帯に入るがまったくトレースはなく先頭をいくぼくはつぼ足では相当なラッセルを強いられてくたくたになるところだが、スキーがあれば簡単に歩ける。クロカンの威力は凄いとほとほと感じる。

トレースがまったくないため迷うと心配なのでいつものコースは取らず、梓川を目指しその傍らにコースをとることにした。樹林帯なので雪は深いが風は遮られて歩き易い。

10:20 田代橋と前から藤さんがそんな橋はないと言い張っていた穂高橋に到着。この眼前に穂高がどかーんとあるのだが今回は無理。しかし、風も弱くなり皆もほっとして緊張がほぐれたので一本立てた。ウイスキーを舐めてしばし歓談。

10:35 さて、出発。梓川沿いに河童橋を目指す。もうすぐだ、無事来れたな、やれやれと思ったころ急に猛烈な風が六百山霞沢岳の方から吹き降ろしてくる。地面の雪も吹き飛ばしてしまう、まさにブリザード。動けなくなる。メリとマサが飛んでいってしまうのではないか、と心配した。

こんな体験は生まれて始めてだ。これが稜線だったら間違いなく吹き飛ばされていたと思う。言葉にならないほど凄い!!

11:15何とか河童橋に着いた! すると、一気に青空が覗き日が射してきた! 明神岳と前穂高が姿を現した! うぉーっ、と皆歓声があがる。奥穂稜線は姿を現さなかったが、ちょうどこの場で晴れたのは凄いタイミング。

よし、風の当らないところで昼食とろう、と場所を探し、ロッジのかげでいいウッドデッキを見つけた。そこで店を広げるや否やまたもや凄い風が吹き荒れる。

先程の青空はまさに「岸壁の掟、偽りの快晴」(新田次郎小説)だった。火器などとても使える状態ではなく、リュックからものを出せば吹き飛ばされてしまう。

ここで手袋や帽子飛ばしたらもうアウト、凍傷になるしかない。調理は出来ないので行動食類のみ口にほおばる。それでもまっちゃんは弁当を食べようとするが無理。ぼくも水飲もうと思ったら水筒の水は凍りついて出てこない。

ぼくはこれは危険と判断し、「撤収、撤収、!」と声をかける。皆準備にかかるがまっちゃんがスロー、手が動かなくなってしまった、と。とにかく大正池まで下れば安心だから、と11:40 出発。

復路はコースを替え道路を滑って戻る。ほどなくいくと風も止み日がまた射してきた。バスターミナルを過ぎたあたりで青空も覗き霞沢岳・六百山がきれいに見えてきた。まさに台風一過の穏やかさで皆の緊張も解れる。ふー、と小休止。

この時間から入山してくる人が多くすれ違う。あるおばさんが、「まるで地吹雪体験ツアーですね」と。ほんとほんと。

12:30 大正池ホテル裏手湖畔に到着。天候は安定してきており、ここからは雲が切れれば穂高も見えるのでここで昼食に決めた。

早速、ショベル2つでテーブル&イスを作成する。今回、いつものピンクの軽量プラスチックショベルと軍隊折畳式鉄製ショベルを持ってきたが、この軍用ショベルが大活躍。

前日までは温度が高かった為融雪が凍結状態だったので新雪の下はカチカチなのだ。それを砕くのはこの軍用ショベルしかできない。これで凍結部分を砕き、プラショベルで掻き出す、という作戦。

見事、あっという間にきれいなテーブルとイスが出来あがった。時折風が吹くが、たいしたことはない。安心して店を広げ、酒も並び、パン焼いたり、餅焼いたり、寛ぎに入る。いやぁー、ほんの1時間前まではどうなるかと思ったが…・。この昼食はその後だけに、皆何にも増して嬉しい楽しい昼食となった。

マッチョのフランスパンも凍ってカチカチにぺちゃんこに曲がっていたが、焼き網の上でゆっくりとバターを染み込ませながら膨らみを回復させていった。ウォッカも登場し、マッチョがレーズンバターのような(フルーツチーズとか言っていたな)重たいつまみもテーブルに置き洋酒もすすむ。いつもの賑やかな雪上ランチとなった。

周囲のツアーの人達も楽しそうなぼくらを羨んでいるようで、その内のパーティーのひとつだったのか、同じしるふれいに泊まっているらしく、百瀬さんに、宴会しているパーティーがいた、と戻って報告があったので、それはきっと畠田さん達に違いない、と百瀬さんは思ったと。正解でした。

14:15 撤収。昼食を終え、またスキーをつけて釜トンまで滑走開始。緩い下りでクラシカル走法でバンバン進む。

15:00 釜トン到着。またスキーをリュックに括り付け中の湯目指してトンネルを歩く。

そういへば途中リュックも持たず明らかに観光客の集団がいた。一応山ガイドは付いていたが一般の観光旅行にちょこっと冬の上高地を体験するような部分が組まれているのだろう。
既述のとおり雪崩注意個所がいくつもあるところや、もちろん足元は雪でトンネル内は凍結個所もある。こういう企画を旅行社はやっていいのだろうか、と疑問を感じる。

実際、昨年トンネル内でこけて腰の骨を折る大怪我も発生したと言っていたし、しるふれいで見た新聞切り抜きにも、観光客や素人の冬の上高地入りの事故が多いことがあげられていた。あまりにも夏の上高地が俗化されたものだから、その延長で冬でも大丈夫だろうと考えているのだろう。あの美しい静寂な上高地は確かに誰しも見たいだろうが…。

15:30 と、考えながら歩いているうちに中の湯に無事到着。しるふれいに電話をし迎えにきてもらう。一昨年、藤さんがここで氷柱を削ろうとしてスノーブリッジを踏み抜きもう少しで下の川に落ちそうになった。後から到着した観光客は氷柱に触ろうとしている。青みかかった見事な氷柱なので触りたい気持ちはわかるが雪で隠れた足元の下は川なのだ…。注意してやった。

16:10 しるふれいに帰還。ヤヤエバが笑顔で迎えてくれた。Heavy Dutyだったが、とてもいいツアーだった。
早速風呂に入る。湯に浸かって身体をほぐしながら一日を振り返る。

上高地初のマッチョは、「上高地とはまるで北極みたいなブリザードが吹き荒れるすごい所だと最初は思った」と・・。そして秀平は、「ツアーのあとのこの風呂がたまらない。これを味わうためにもっとすごいものを求めたりして・・」 と言うので、ぼくは「じゃあ、今度低気圧が通過した時じゃなくて、低気圧が来るときを見計らって山行計画立てよう!!」 と言ってやった。

風呂から上がりロビーで缶ビールではなくジョッキで生ビールをぐびーーと皆で飲んだ。いゃ〜、うまい!!
そしてメッチェンも皆揃って、アペリティフを楽しんだ。秀平が気持ちよくうたた寝しているので、何の本を読んでいるんだろう、と見たら。さすが康司がNSAで唯一尊敬する秀ちゃん!! 科学史年表、という本。
ぼくは彼が大好きだ、康司もこういう青年になって欲しい。知的とは彼のためにあるような言葉、痴的とはまっちゃんのためにあるような言葉だなあ、とつくづく恥的なぼくは思った…・・。

おおお、そうだそうだ、例のやつ、部屋に取りに上がった。りっぱな化粧箱に入っており、マサが大事に風呂敷きに包んでしっかり胸に抱いて持ってきたものだ。さてさて、箱を開けて、一升瓶をとりだすとおーーー、 一升瓶の中にマムシが焼酎に漬かって佇んでいる! そうか、胸にしっかり抱いて持ってきたのは、万が一電車の中で落として割ってこれが出てきたら大変だからか、間違いなく新聞ネタ“若いラテン系のかわいい娘さん、なんと愛飲しているのはマムシ酒”とかかれるだろう。

一昨年はハブだった。今年はさらに強烈になりマムシである。まさに、これが“マムシのマサ”と言われる所以である。まだまだ自宅には奇怪なものが眠っているらしい。近所のおじさんにもらったものというが、ラベルもなく密造しているようだ。しかしこれは絶品で大変貴重で高価なものなのだ。

以前も話したが、高島屋で奄美展があった際、マサのハブ酒と同じものが売っていて一本買おうと思ったら、750mが1万円もした。今回のはマムシで一升瓶入りなので買ったら数万円だろう!! 密造の価値は十分ある。

藤さんと何匹入っているのだろうと数えるもどうも頭の数としっぽの数が合わない。頭2つしかないのにしっぽが4つある。藤さんが変なことを言う。「こいつら、共食いして頭だけ食ったんじゃないか」と…。まったく楽しいおじいちゃんだ。

手作りの良さか、エイジングのあとか、若干浮遊物があるがぴりっと辛くて生の焼酎よりも旨い。ハブもそうだったが、ユンケル黄帝液とかアリナミンなどのような味がする。藤さんも確かにそうだ、これがエキスだと。本当に元気がでるし、翌日疲労感が残らないのだ。

一升瓶を半分ほど皆で飲んだが、残りは新築祝い(家にヘビがあると縁起がいい)にと、ぼくがもらって帰った。また注ぎ足して更なるエイジングをしようと思う。来年またお楽しみに!!

縁起のいいヘビと愉快なマサのお陰で笑いころげて腹も空き気持ちよく酔ったところで夕食となった。皆で生ビールとマッチョが作ってきたサングリアを冷やしておいたのでそれをグラスに注ぎ乾杯。

食事のあとはまたロビーでごろごろ。「自然スポーツ愛好会ミーティング席」と書いた紙を持ってきていたので、それをロビーのテーブルに置いて場所確保しておいた。こうすれば安心してゆっくりと食事もとれる。まあ、そんなもの置かないでもマムシの一升瓶を見れば誰も近づかないだろうけど…・。

こうして今年も楽しい夜を過ごしエバちゃんも無理しなかった甲斐もあって元気だ。別のテーブルでは明日入山の人達の上高地講習を百瀬さんがやっていた。そんなの無視してペンションなのにぼくはかってにBGMをテレサテンにして居酒屋ペンションにした。するとマサが歌い出した。♪まーどーに、にしーびが・・当る部屋は〜♪

藤さんが部屋に戻り、ぼくも心地よく眠気が来て床につき、若者にあとは任せた。

翌朝:帰るだけである。ゆっくり朝風呂入り、NHK小さな旅を見ながら鉄道話しをし(HPの話題はこれが大元)一息ついて朝食をとり、百瀬夫妻も一緒に写真をとり雪景色のぺんしょんをあとにした。まっちゃん号は途中温泉に寄り、畠田号は一路東京に向かった。

総括
途中3回引き返すことも考えたツアーであったが進む決断ができたのは、朝一番に天気図を確認(低気圧通過直後で吹き戻しによる強風が予想されるも好転するだろうという)していたからだ。
そして軍用ショベルを融雪凍結の状況を想定しちょっと重いけど携行したのもよかった(マッチョに持ってもらった)。備えあれば憂いなし。

そして今回の学習は、やはり行動食は持っておくべきだ、ということ。
火器使用しか食べられないものを持参すると悪天の場合はアウト。ビスケットや羊羹など簡単で腹にたまるものをやはり持っていくことだ。

ぼくは餅とソーセージだけだったので吹き荒れる河童橋ではソーセージしか口に入れることができなかった(大正池で昼食出来なければシャリバテだった)。パック水筒の水も凍った。徳さんのテルモスに入った暖かい紅茶を一口もらったが有り難かった。

また、エバちゃんも無理しなかったことが何よりも一番よかった。あの条件下で行っていたらそれこそ無事戻ったとしても、しるふれいの楽しい夜は間違いなくなかっただろう。

この世のものとは思えない凄まじい風と地吹雪、そして一瞬にして体温を奪われていく恐怖、そして穏やかな時間を取り戻したランチタイムと緊張の解けた安堵感…。  いやぁ、実に中身の濃いツアーだった。