2003上高地 XCスキーハイキング

(日程)
2003年3月14日(金) 〜16(日) 天候:曇り/晴れ 風弱し

(テーマ)
恒例のハイカーだけの白銀の上高地としるふれいでアフターを思う存分楽しむ。

(参加者)
松田、平野、江畑、森永、熊野、谷野、山本、大泉、畠田 計9名
(稲葉は急に代打のオルグと元々予定していた日曜の結婚式参加の為金曜深夜発で土曜下山後とんぼ帰りとなると疲労事故に繋がる懸念もあり取り止め)

(記録)
20:00 全員予定どおり集合。しかしまっちゃん号はあるがまっちゃんがいない。21:00に上野原の駅でさゆりさんと待ち合わせており、人気のない田舎駅で待たせるのはかわいそうなので、ぼくの男車(賢、秀平、熊野)で先行して拾い談合坂Pでまっちゃん号と合流することにした。

21:15 無事さゆりさんをピックアップするが、酒臭いこのクルマ、と指摘を受ける(クルマは酒など飲まないのだが)。 談合坂Pで後発のまっちゃん号とほぼ同時に合流。

21:40 出発するも道路工事準備のため混んでいてPから本線に出れない、賢に降りて先の状態を確認してもらいなんとか一番端の多少進んでいるラインにクルマを潜り込ませたが本線に出るのに20分。さらに車線を絞り込んでいる為抜けるのに40分ほど余計な時間をくらってしまった。

さゆりさんをまっちゃん号に移籍させ、また野郎だけのクルマに戻り、賢の好きなテレサテンを聴きながら、まっちゃん号が先行していたので追いかけるべく巡航速度130kmと飛ばさないぼくとしては驚異的な速度で走った。

高速を下りていつものコンビニで泡買ってしるふれいに向かっていると、島々を過ぎたあたりでまっちゃん号から入電、なんとぼくらより後方にいたのだ。途中屋根に棺桶つけたクルマには注意しながら走ったのだが、いつの間にか抜かしていたのだった。

1:00 きっかり予定1時間遅れ(例の渋滞で)でしるふれいに到着。いつも深夜に到着するのだが、百瀬さんは必ず玄関や居間にストーブを付けたままにしていてくれ、もてなしの暖かみを感じる。和室と洋室の部屋に分かれ早速風呂に入り居間で泡を飲んでいるとまっちゃん号も到着。

皆で泡を飲んでいると居候の兄ちゃんが何やらパソコン抱えて降りてきたので、「HなHP見たらつまらんぞっ」 とからかってやったら、「ちゃいますねん、親に打っとるんですわ」と極度の関西なまりだが、なかなか人なつっこく反応がよくていい奴だ。ゆっくり寛ぎ3:00に床に就く。

6:00 起床。曇天であるが、気温はそこそこ低いので雨の心配なく予報も雨ではないので安心。(上高地は標高が1500m位と山中湖や軽井沢辺りと然程変わらず春は雨の場合もある)各人持参の朝食を摂り出発準備にかかる。

7:00 XCセットをしるふれいのバンに詰め込む。二人は荷台に座らないといけないので、ぼくはいち早く運転席の横に座った(昨年、皆の世話してやってたら結局荷台の冷たい鉄板の上に座るはめになり痔主のぼくとしてはよろしくなかったので)。

7:20 しるふれい出発! 昨夜の兄ちゃんが運転してぼくらを釜トン入口まで送ってくれる。

8:00 リュックサイドにスキーを装着し記念撮影して釜トンに入る。昨年、藤さんがスノーブリッジを踏み抜いた所で、端っこは危険だから近づかないように、と注意する。ほどなく行くとトンネルが二股に分かれ旧釜の方には入らせない様にしてあり初めて通る新釜トンに入る。

明るく歩きやすいが何とまあ味気ないこと! まるで高速道路のトンネルを歩いているみたいだ。この事をしるふれいの奥さんと話したが、やはり山好きな人にとってはとてもつまらないという人が多いらしい。

あの薄暗くて岩盤がでたクルマ一台やっと通る釜トン、一方通行の為信号にかかると10分くらい待たねばならない釜トン、その間タクシーなら運ちゃんが昔の上高地の写真を見せてくれたり、国の重要建造物となった梓川の2段式の堰堤をクルマ降りて眺めたり(これも新釜では見られない)、あれを抜けて漸く奥地に佇む上高地と穂高に出会える。

この感動はクルマで入山してもそうなのだが、それが高速道路のトンネル抜けて湖に遊びに行くような風になってしまった・・。ハイカーからは実際、旧釜トンを歩行者専用になんとか残せないものか、という声があがっているらしい。

この新釜トン、実は距離は旧釜トンよりも大分長くて旧釜よりも先に出るが全てトンネル。旧釜の方はトンネル自体短いうえに雪崩れヶ所はスノーシェイドになっている為、横が見えて自然の光で明るく空気もよく歩行にはとても快適なのだ。そういう点からも旧釜トンは是非残して欲しいものだ。

8:20 釜トン抜ける。今年は積雪量が相当多い。少し雪混じりになったが、大したことはない、本来真横に見える焼岳は見えず、何本目かのカーブで突然姿を現す穂高もガスの中だ。冬初めてのまっちゃんとさゆりさんには是非見せたかったのだが残念(ちなみに熊野はそもそも上高地初めてなのでそこに穂高があることすら知らないので問題なし)。

9:00 大正池に到着。モノトーンの寂寥なる世界と幽境なる景観を醸し出しておりなかなかの趣だ。ここで登山靴からスキーに履き替える(秀平はヘビーツーリング用をレンタルしたのでそのままスキーを装着)。

9:10 さあ、出発! 皆経験者であり全く問題ない。熊野は日光に参加して腕(足?)を磨いていたのでかようなコースが整備されていない場所でも全く不自由を感じさせない。しっかり雪の付いた木道のクリークには岩魚が泳いでいる、この上高地という所は本当に信じ難い場所で天然の岩魚がまるで池の鯉を見るように魚影をあちこちで見ることができる。

ぼくは最初ここに来た時それにまず驚いた。そもそも九州にはヤマメはいるが岩魚はおらず(南限は広島の匹見峡といわれる)釣り好き魚好きのぼくには生まれて初めてみる岩魚にえらく感動した。岩魚はご承知のとおり人間が簡単に踏み込めるようなところにはおらず冷たい水の渓流に潜む。

そんなことでぼくは冬場なら監視員も人もいないし投網でも打って岩魚つかまえたいと思うのだが…(こういうこと言うとイネにまた怒られそうなのでやめとこ)思えば一昨年、初めてイネと松広と秀平と4人で入山した時、秀平はここが初めてのクロカンであり練習もなくいきなりツアー開始。しかもレールもついてなくブッシュや樹木の障害もある。いやー強行だったなあ、秀平。すまんかったのう。

と、昔を思い出しながら歩いていると、知らず知らずにコースを間違えて川に行く手を阻まれた(一昨年も同じコースを辿ってしまいスキーを投げて川を飛び越えるはめになったが今年は逆に雪が多すぎてツボ足ではとても川縁まで近寄れない)。

そこでそれならいっそのこと帝国ホテル横に出ればいいと直進した(クロカンはどんな所でもいけるのでこういう時とても便利)。そうこうして行くうち川を渡れる場所があり予定のコースに出た。起伏がある個所では、先に通過したものは後続者が転ぶのを楽しみに鑑賞するのであった。

クロカンは転ぶと踵が浮く為スキーが好きかってな方向を向き立ち上がりにくくゲレンデと違って新雪の為、身体も雪に埋まってしまう。そういう状態でもがき苦しみながら立ち上がろうとする姿をニコニコと鑑賞するのはとても楽しい。

本コースを梓川沿いに歩んでいると、後ろから声がとても大きくうるさいおっさんがやってきて何か指導しながら歩いているのかと思いきやそうではなくただうるさいだけで、自分は山スキーにシール(*)付けて歩いており(他の人はスノーシューだった)、頻りに我らを見て「XCはありゃ難しい」と自分の板の歩きやすさをアピールしている。

((*)シールとはその名の通りあざらしでその革(最近は化繊)をギザギザのないスキー底に付けると前進するが後退しないのでテレマークやクロカンのスキーのように歩くことができる)。

ぼくも言ってやろうかと思った「へー、斜面もないところにわざわざシール張るような重いスキーと靴で来るんですか、大変ですね。体力使うでしょ」とね。こういう自慢好きの年配登山者が時折いる、その点若い登山者でこういうことを言う人はあまりいない。

以前にも述べたが、登山では一般的に年配者よりも若い人達の方がマナーにおいては格段上に思う。特に最近の登山を観光旅行の一部と思っているような中高年集団登山においてはその傾向が顕著で、大声でうんちくや自慢話しをしたり周囲を気にせず我が物顔なおっさんをよく見る。

楽しくやるのはいいが登山の場合は特に周囲に気を配らねばいけない。頂上の何々山標高何mと書いた標柱の周囲で弁当広げているパーティー(誰もがそこで写真を撮りたくピークは皆のもの)、応用力がなく登り優先とばかり大人数でいやほど待たせて上がってくるパーティー(登り優先も場合による)、リーダーの指導力と教育と配慮の欠如。

10:20 穂高橋に到着。道路に出る際、やめときゃいいものをエバはそのまま突っ込み見事に前の雪の壁で顔面制動!ラグビーやっていたせいか、前に固まりがあると頭から突っ込む習慣がいまだ抜けていないようだ。しかしスクラムで鍛えた首は大変丈夫だった。ここで大休止。ウイスキーを舐め舐め馬鹿話しに花を咲かせる。

10:40 穂高橋出発、梓川東岸を河童橋向けて歩行再開。うす雲の中から時折前穂・明神の峻峰が顔をだし、荒々しい六百山や霞沢岳も顔を出す。この景色を見ると入ってきたな、と感じる。ぼくは最近変な欲というか充実感というか冬に歩いて入山しないと上高地に入ってきたような感じがしなくなった。

その内、徳本峠越えて入らないと入ってきた感じがしなくなった(となったら完全に病気だろう)。ぼくはこの穂高橋・河童橋間東岸ルートが一番好きでオンシーズンは観光客で溢れるが今はゆっくり全て上高地は我が物という感じで歩ける(滑れる)。

11:15 河童橋到着。テーブルは完全に雪に埋まっている。掘り起こそうか迷いながら、どこか他にいい所ないか探していると西岸に木枠が出たところがあり、しかも向かい合っているのでそれを椅子とし真ん中にテーブルを雪で作った、またまたスコップが大活躍なのだ。

(ちなみに日光の時ヤヤのデジカメが無事戻ってきたのは、拾った人がこのピンクのスコップを覚えており声をかけてくれたらしい、スコップに感謝。なおヤヤはデジカメを忘れたのはこれで那須に続き2回目!2度あることは3度ある、気をつけられ)

テーブルを固めるのにさゆりさんを押し倒しその上から馬乗りになってどすんどすんやった・・痛かったらしい(あたりまえか、ごめんごめん)。

さあ、昼食だ。テーブルのうえに各人のストーブが並ぶ。おっとっととと、なんだこりゃ、一つだけ緑色のボンベが・・・。いわずと知れた賢のEPIだ。

ぼくとまっちゃんから、「上高地に対する冒涜だ! 聖書で尻を拭くようなもんだ!」 とか 「遭難したときEPIで助かるくらいなら死んだほうがましだ!」 とか「山でEPIを使って遭難死から免れた、なんて新聞で書かれると恥だ!」とか、それはもう最大限の痛罵を浴びせるのであった!
熊野も「なにはともあれ黄色を買いました」と追い討ちをかけるように新調したプリムスを雪のテーブルに置いた。

風もなく穏やかで、各人持参してきたものを拠出し泡を飲んで楽しいランチのスタート。
突然、マサが、「これ、ぶたのくせに180円もするっ!」と、もう一同大笑い。ぶたのくせに、という何とぶたを侮辱した言葉!!!! もうおかしくて、まっちゃんなんか雪のうえに落ちそうになった。時々電車で思い出したりするが、早く忘れないと突然吹き出して困る。

(ちなみに会社でまた思い出してしまい、「マサ、くせにというのを別の言葉で表現してみい」、と言ったら、歯切れよくピシッと 「にもかかわらず、In Spite of ぶたっ!」 と。それはもうおかしくて腹がよじれ、床に崩れそうにになった)

皆しゃれたパンやら餅やら、まっちゃんは作り物のほかコンビニ弁当やら(熊野はこのコンビニ弁当には大変驚いた様で(ぼくらは慣れているが)、帰りクルマで思い出し笑いしていた)で腹を満たす。(ちなみに餅を砂糖醤油で食べるのは東人には珍しいようであった)

メッチェンらがプリンを作ってきており、それを雪で冷やしていると、ハイカーがそばを通過する際なんども踏まれそうになり、ヤヤがその度に「ここ、気をつけてくださーい」と声をかけハイカーも「うまそうなのがある」とか楽しい語らいをするのだが、毎回注意するのも面倒と思ったか、ストックで防御柵を作って進入を拒もうとするヤヤであったが、山ほど雪はあるのに寄りによって人が通過するところに埋めるほうが悪いのと移動させようという知恵がなかったのが残念だ。なにはともあれ、おいしいデザートでしめくくることができた。

13:30 撤収。しるふれいの百瀬さんと河童橋たもとでばったり会う。ガイドでお客さんと同行していた。戻りは西岸をとり河童橋をあとにした。今年は雪が深い為、ウエストンレリーフも気づかず通過してしまった。西岸から六百山霞沢岳がよく見える。

14:15 穂高橋到着。さて、往路をとり大正池にまた戻るか迷うも今回は初めての大正池の西を回る林道コースを通ることにした。路面は工事車が通るのか除雪されており滑りにくく更に緩いくだりで制動しながら進まねばならなかった。

自然度低いつまらない路で疲れたので途中休憩すると年少組は早速雪原に入り込み雪投げやら大暴れ。年中組みは昼寝、陽も差すようになり、時折前穂がアーベントロート(*)に色付き、特に雲の間から出る稜線はヒマラヤ度が高くて崇高な感じがして美しい。(*)山肌が夕焼けで赤くなる、朝焼けはモルゲンロート。
ここで30分近く時間を費やす。

15:15 大正池を見ることなく末端に到着。ここでいつもの釜トンへ向かう車道を行くか、旧釜トン途中にでる梓川沿の谷筋の最短コース(一般コースでない)をいくかまた迷う。初めての谷筋ルートを行くことにした。

(百瀬さんが入山した際、トレース付けているので大丈夫とのアドバイスもあったので)
そこで谷筋にでるのに多少のアルバイトしたあと、高い場所からの下り、エバに「直滑降でいけっ」とけしかけたら、転倒し雪に埋まってしまった。ヤヤは、「止めてよっ、無理なことさせないでよっ! もう」と、怒ってぼくとまっちゃんを睨みつけながら雪から救いだそうとエバに向かった。ぼくはその時、ヤヤのエバに対するやさしさが嬉しかった反面、ヤヤが遠くにいくようなちょっと寂しい気持ちになった・・前迄は傍で一緒に笑っていたのに・・。

しかしヤヤの優しさと愛情が如実に現れたこの言動はぼくに安心感を与えてくれたので、時々機会を見てはこういう悪さをして二人の愛を確かめてやろうと思った・・もちろん自分一人で怒られるのは嫌なのでまっちゃんと一緒にね(ウインク)。 → 反省の余地なし!本当にヤヤが遠くになってしまうからもうしません(実は他でもぼくとまっちゃんはヤヤに怒られた)。

ということで、気を取り直して谷筋を釜トン目指す。ルートはトレースがあるものの深雪でつぼ足では絶対無理なので起伏越えとブッシュの個所が一ヶ所あったがスキーは脱げない。難儀するのはここ一ヶ所のみだったが、さゆりさんとマサは疲れてきており思うようにスキーのグリップを効かせて登行できず苦労していた。しかしここを除いては緩やかなスロープが続き快適なコースである(雪崩を受けそうな個所が他一ヶ所)。大正池西側は人工的な林道であったが、こっちはこれまたヘビーデューティな自然度満点なコースで賢はここは面白いと喜んでいた。この辺りでは完全に雲もとれ谷筋コースをとった為に全容は見えないが稜線はきれいに見えた。

16:15 旧釜トン中腹に到着(今回初めて往路復路と別コースをとり踏破できたことの意義は大きい)。巨大なつららの直撃を避けるよう気をつけて釜トンに上陸。ここでスキーを外し登山靴に履き替えて下山準備。途中がちがちに凍結してつるつるの個所があり注意して進む。

16:40 無事、中の湯に到着。しるふれいに電話し迎えにきてもらう。

17:20 しるふれいに帰着。

After ゆっくり風呂に入り夕食までのひとときを談話室で泡飲みながら寝そべって過ごす。このひとときがたまらない。ぼくが湯上がりでれーんと泡片手に横たわっていると、大阪兄ちゃんがやってきて、「はたけださん、(けにアクセント)、こうやって見ると普通のおっさんですねえ(ねえ、に力を入れて)ちょっと前まで雪の中クロカンやってたとはとても思えへん」とのたまう。「あっち行って、はよマスターの手伝いせんかい」と追い払ってやった。

いやはや邪魔物は去ってちょうど1年間エイジングを施した熟成のハブ酒を飲む(昨年マサのハブ酒を飲み干し再度自宅で焼酎を注入してその後今日の為に栓を開けずしっかり熟成させた)。2度目なのでハブエキスはどうかと思いきや、さすがにマサのハブはマサっぽく、きりっと切れがよく辛みがたまらない・・。

隣のテーブルのおばさん達から、「うわーっ、気持ちわりぃ」と声があがる。これでまた元気になるな、と賢と話し。メッチェン3人いるからだれか相手してくれるやろ、と話すと、エバが、「去年と今年は事情が違います、その内一人は駄目ですよっ!」 と 大変心の狭いことをおっしゃる…。

皆で湯上がり馬鹿話しに花を咲かせていると食事に呼びにくる。ここはいつも食事前にアルコールのオーダーを聞きにくるのでぼくが勝手に全員分(−壱)生ジョッキを頼み、他ワインを持ち込んだ。(持ち込みの許可を得ているが、やはり一杯づつでも注文するのが礼儀である)

楽しく食事を展開し多人数のパーティーが多く賑やかだが、静かな年配夫婦はちょっと圧倒されてかわいそうだった。後ろのパーティーのおやじはテレマークの格好を食堂の床のうえでしていたが、こういうことは止めて欲しい。

珈琲飲んで食後はまた談話室にいく。(多人数の場合、テーブルや場所を確保しておくためにタオルやら服やらお酒等を事前においておくとよい・・こういうこともリーダーの勤め。山の豆知識)ふぁー、と寝転がって寛ぎタイム。

テレビをつけるとNHKのど自慢大会のチャンピオン大会をやっており懐かしい歌謡曲に声援を送る。ぼくらが応援した加州で事業をやっているという40前後の男性二人組が、茶毛&飛鳥の聖イエスを唄って見事優勝!ぱちぱちぱち。そして恒例のしるふれいデザートが振る舞われ、談話室奥のテーブル席では百瀬さんが明日入山Gに上高地のレクチャーを開始。

ぼくらはテレビを山のビデオに代え、クルマからテープを持ってきて好き勝手に談話室のBGMをかけ会話を楽しんだ。

昨年は賢とイネが軍人将棋にはまりメッチェンから「せっかくきたのに皆で話ししょう」と怒られながらも無視して、なんとかぼくがマサを高い高いばぁーや足飛行機をしてやったりしてなだめたのだが今回は皆で馬鹿話しに花が咲き、バイトの大阪あんちゃんも加わり(名前はケンタロウという)、「おまえ29にもなってふらふらしとってどうするんかぁ」と余計なお世話やいたり、「おまえ東京に行ったことないやろが」 と馬鹿にしたら明治学院大卒だったり・・ 愉快な夜は過ぎていった。ぼくは1時頃床についたが、夜更かし好きの年少組は3時頃まで起きていたらしい。

翌朝は、ゆっくり起きて朝食をとった。素晴らしい天気だったので全容を見てない今年初参加の3人に、「釜トンまで連れていくから、大正池手前の穂高が見えるところまでもう一度入るか?」と問うも、夜更かししていたせいか気合が入らないようだった。

しるふれいをのんびり後にして、なんとかぼくとしては穂高全容を見せてあげたいと思い安房トンネル(これができたおかげで冬でも高山に抜けれるようになった、以前は冬は安房峠が通行止めの為飛騨へ抜けることができなかった)を抜けて平湯に行ってみようと提案し行くことになった。30分弱で新穂高に着いたが道すがら穂高から槍ヶ岳まで見ることができた。

上高地の眼前に聳え立つのは西、前、奥の穂高で飛騨側からは北穂から大キレット(*)を連ね槍ヶ岳まで見える(ただし遠望だが)。
((*)切戸、窓、コル、鞍部などと呼ばれ山と山の間で稜線が窪んだ個所のこと、稜線がたるんでいるのでタワとかダワなどと言う所もある。この北穂から槍への縦走路の切戸は一際でかく大キレットと呼ばれせっかく高度を稼いでもまた下ってしまい縦走者を悩ます)

新穂高温泉は笠が岳の直下にあり真っ白な笠の偉容は迫力があった。適当に時間を費やし(結局釜トン歩いて穂高を見にいくのと同じかそれ以上時間を費やしてしまったが、飛騨側から穂高を見ることなど滅多にないのでよかった・・

でも本当は3人にはやはり観光客と同じ目線で見る穂高ではなく歩いてしか見れない眼前に聳える純白の穂高の全容を見て欲しかったのだが・・朝ゆっくり寛いでいる時に急に言われてもねえ)、また安房トンネル抜けて信州に戻り蕎麦屋で昼食とって、高速道も順調に17:00には都内についた。
今年も事故もなく穏やかな天候にも恵まれていい冬の上高地詣ができた。

おしまい