上高地 スキートレッキング

(日程)
02年 3月1日(金 業後)〜3日(日)

(テーマ)
山ヤだけのものとなった美しい冬の上高地をバックカントリースキーで訪ね、ある者は、もう一度会いたい、また初めての者は、素敵なあなた(穂高)に会いたい、と心ときめくトレッキング を行い、夜はゆっくりしるふれいで寛ぐプラン。

(参加者)
藤野、羽佐田、稲葉、平野、江畑、谷野、大泉、畠田(記)
なお、松田、森永の両氏は、休日勤務により無念の不参加となった。

(行程記録)
19:30、ヤヤが30分程遅れたが、藤さん、マサ、ぼくの畠田車組全員集合し、ビル隣の中華料理屋で夕食を取って出発することにした。皆おいしそうに泡を飲むので、ぼくも一口だけもらった。

20:15、青山を出発。高層ビルの合間を通って順調に中央高速に入っていく。車内でゆっくりくつろいでもらおうと、ウイスキーと氷(保温の水筒に入れると長持ちする)を用意したので、早速楽しんでもらう。

隣に藤さんが座り、後ろに娘2人がゆっくり座り、皆ゆったりリクライニングで(後部座席でもリクライニングできるのがワゴンの良さ)、車内でジャズを聞きながらウイスキーを舐める、という素敵な夜、ジャズバーになった。ぼくは気の合う仲間とこうやって一仕事終えて夜出かけるのが大好きだ。

藤さんも始終超ご機嫌で、娘二人に水割りを作ってやったり、娘達がうとうとしだすと、ぼくに眠気が来ないように色々な話しをしてくれた。甲府辺りで、男組(ユーちゃん、イネ、賢、エバ)に連絡したところ、ちょうど中野寮を出たと。

松本で高速を下り、一路深夜の信州から飛騨に抜ける158号線を沢渡(さわんど)に向かう。冬季は安房峠(焼岳と乗鞍岳の鞍部)が通行止めになる為、飛騨への国境越えは木曽まで下りて行かねばならなかったこのルートも、数年前に開通した安房トンネルのお陰で冬でも往来が可能となり、深夜トラックも通っている(お勤めご苦労さんです)。

夜の国道と雪景色には演歌が似合う。ジャズバーから一気にモービル居酒屋となる・・
♪うぶなお前がかわいいと、言ったあなたは憎い人、いっそ散りたい夜の花、夢は夜ひらく♪バーと居酒屋をはしごした3人はウイスキーを飲み干してしまったので、途中コンビニで藤さんが一本ぼくにウイスキーを買ってくれた。

0:10、沢渡の馴染みのペンション、しるふれいに到着。夜空には星が輝き、明日の天気に安心感を与えている。百瀬さんが、いつものように眠気眼で迎えてくれる。さっそく、ぼくとヤヤがラルー、藤さんとマサがフレイリーの部屋となり今宵をともにすることになった(そんな馬鹿な・・・)。ぼくは、一風呂浴びて、ロビーでようやく泡を楽しんでいると、なんと男組が到着。早い早い! ぶっとばしてきたらしい。多分、ストラビンスキーの「剣の舞い」でも聞きながら
来たのだろう。

6:00、起床、文句なしの天気だ。各人用意の朝食を食べる。
7:15、それぞれレンタルのスキー、装備をチェックし、百瀬さんが、「8人乗りなので誰か一人荷台にお願いします」と言い、みな、はーい、なんて返事して、さっさと乗り込み最後までみなの荷物とスキーをチェックしていたぼくが、結局荷物と一緒に荷台に乗ることになった。イネからは、痔が悪いのにかわいそうと言われ、百瀬さんは、「ははは、やっぱり畠田さんがこうなりますね」と笑いものにされた。みなの心と同じ、鉄板の上は、固くて冷たかった・・・。

7:45、釜トン入り口に到着。雪崩の起きそうな箇所を避け、トンネル内で身支度。
8:00、リュックにスキーを括り付け、みな山岳スキー度満点でいよいよ暗闇のトンネルに入っていく。ところどころ凍結箇所があるが、十分に歩ける。トンネル内は、冬でも工事車両が通るため排気ガスと酸素が薄いのとおまけに登りのため息苦しい。

8:20、トンネルを抜けて、思いっきり深呼吸をする。そのまま大正池を目指す。今年は雪が多い。
 紺碧の空に雪の焼岳が美しい。いくつかのカーブを曲がったところで、穂高が飛び込んでくるはずだ。みなの心は高ぶり、メッチェンは、憧れていた恋人に会うかのごとく・・・。 

そら、きた!!  雲ひとつかかっていない白銀の穂高 と紺碧の空、稜線がくっきり映える。 感動する時である。小休止をし、写真撮影をして歩行再開。

ヤヤが、大正池に写った逆さ穂高を撮れとせがむので、無風状態でないと撮れないので、波が消えるのを待って撮影したが、一眼レフカメラを持ってこなかったのが実に悔しい、一眼レフを持っている藤さんとゆーちゃんはみなと一緒に先行しており、さらにカメラの調子が悪く、いい方の2度目の写真はボツになっていた。

9:15、 大正池に着く。ここでスキーに履き替える。冬季は餌が少なくなりかわいそうなので、ぼくは鴨たちのために、湖畔にキジを撃ってやった。

9:25、さて、河童橋目指してスキートレッキングの開始。顔が雪の照り返しで暑いほど天気がいい。温度上昇により溶けた雪が早朝で再び氷結し表面がクラストしているので、スキーが雪にかまず(ここは日光と違い人も少なくレールがついてない)最初藤さんとマサは多少難儀していたが、若干幅広で短く歩きやすいぼくのをマサに貸し、マサのを藤さんが使い、藤さんのをぼくが使って、また慣れてきたこともあっ段々調子がでてきた。

10:15、途中、野生の猿に出会ったり、自然度満点の中を西穂登山口の穂高橋に到着。
 ここで長めに一本立てる(休憩)。雪原の中に清冽な流れの梓川、そして穂高の美しさに感動しヤヤとマサは一昨年の西穂以来の穂高連峰との再会を大いに喜んだ。

穂高を背景にいろいろ写真を撮り、野郎は自信があるとはとても思えない横顔のアップと穂高、そして溌剌としたヤヤとマサの「穂高とアルペン娘」、笑顔の耐えない8人を穂高は実にやさしく迎えてくれた。

11:00、河童橋に到着。幾つかのパーティーが、思い思いにくつろいでいる。山ヤのみが独占できる冬の河童橋である。ここで、昼食をとる。テーブルは雪で埋まっており、表面だけが雪原から顔を覗かせているので、みな雪の上にどかんと座って各人用意した食べ物を楽しむ。ぼくは餅を焼き、砂糖醤油につけて食べた(ぼくの冬の単独行定番メニュー)。

 ヤヤは何やらフランスパンとガーリックチーズ(例のバターがなかったようだ)、コッフェル類は賢と共同戦線と言っていたが、単に賢のを勝手に使っているようであった。しかも、フランスパンをあぶる網はなく、結局、ぼくの餅を焼く網で焼いてやった。ヤヤのいう共同戦線とは、人にお世話になる、という意味らしい。

 ぼくはここで飲むはずだった泡を宿に忘れてきてしまったので、エバが持ってきた缶チューハイを飲んでやった。これで帰り荷物が軽くなるだろう、というぼくのやさしい心遣いだ。後から聞くと、昼食のときの楽しみに持ってきていたらしい、そんなことなら早く言ってくれればいいのにエバっちゃんたら・・えへへ。

12:20、ワインを飲み食事を楽しみ撤収、ちどり足でスキー歩行再開。穂高橋までは往路の梓川反対岸を戻る。途中、ウエストンレリーフの前で雪合戦をしたり、穂高橋過ぎた梓川のほとりでティータイムをとったり、のんびり戻った。

14:15、大正池に帰着。河童橋から戻ったパーティーがみなくつろいでいる。
14:35、大正池をあとにする。一部雪崩で道路にデブリ(雪崩の末端で雪の団塊)があるところがあるが、雪も緩んでスキーが噛みやすくなっている為、帰路はスキーを履いたまま戻った。

 途中、焼岳の大きなルンゼ(斜面が溝のようにえぐられた部分)でスキーで滑降している連中がいた。麓でテン張っていたので大学山岳部か山スキー愛好家なのだろう。登り一本、滑り一本のまさに登山とスキーをどちらもハードに楽しむもので特にルンゼ滑降は雪崩のリスクも多いアドベンチャーに近い遊び。

15:10、スキーを脱ぎ、登山靴に履き替えていよいよ冬の上高地に別れを告げる。釜トンネル工事の人に「ご苦労様です」と声をかけ「お疲れさんでした、気をつけて」と声をかけられ挨拶する。

15:40、釜トンネルを抜け、中の湯ボク伝の湯に戻って百瀬さんに帰着の電話を入れ、迎えに来るのを待つ。
16:20、みな無事でしるふれいに到着。

AFTER、もちろん風呂に一番に飛び込み、泡を飲む。夕食まで思い思いに過ごし、秀平がしきりにここの飯はうまい(まあペンションらしい食事です)、と言っていた夕食をみなで楽しむ。外人客もいて、どのグループも楽しかった今日一日を振り返っているようだ。

 夕食後はロビーでくつろぐが、イネ・賢・エバは、軍艦(人?)将棋にのめり込み、ヤヤ・マサが「みんなでお話しよう」と怒っていたが、メッチェンのいうことなんかどうでもいい、とばかりよくもまあ、あんなに長い時間できるもんだ、と思うくらいやっていた。

途中で、ロビーでくつろぐ各グループは百瀬夫妻からアイスクリームと紅茶のサービスを受け、またぼくは勝手にロビーの音楽をクルマの中からテープ持ってきてジャズに変え、すっかり自分の家のようにくつろぎ、身体を横たえてマサの秘酒(トピックス参照)をちびちびやりながら、うとうとしながら、楽しかった一日を振り返るのであった。さすがに藤さんは疲れたか9時ころ床についた。

 翌日は、ゆっくりと朝食を摂り、温泉に寄る藤さん・イネ・賢・エバはイネ車で、他はぼくの車で帰ることになり、途中、島々にある長野の地酒専門店に寄り帰路についた。

(トピックス)

(山の豆知識)

(総括)
今回連日残業続きで、予定とおり出れるかどうかとても心配だった。この状況を事前にイネにも連絡しておいた。まして大量輸送が可能なまっちゃんも参加できなかったため足が心配だった。

ぼくは賢の上司に合宿あるから早めに解放して欲しいむねメールを打っておいたが他人事じゃなく、藤さんも夕方ぼくの動向が気になって部長にTEL入れる(残念乍ら不在だったが)など、サラリーマンらしい気働きとセンスで同士の結束を固め(仲間に出やすい環境を整備してやることも遊び上手な管理職の大事な仕事)、予定どおり出発できたことだけでもがぼくにとっては9割方成功の旅だった。

さらに、本当に穏やかで、冬のこの時期に素晴らしい天候に恵まれ、8人というまとまりのいい参加人数ということもあって充実した楽しい山行であった。

おしまい