チンボラソ・コトパクシ登頂
(日程)
2006年9月1日〜9月12日
(記録)
このところ、仕事が忙しく、土日出勤がずっと続いていた。ようやく9月に一息つけるようになり、代休の一部を夏休みにくっつけて長めに取れないか考えた。限られた日程の中で上れる高所といえばエクアドルアンデス。そのなかでチンボラソが最短12日で行ける(6,000m峰で最も最短)ことが分かり、社内調整。チンボラソを調べると地球の中心点から測った場合、世界で最も高い山であるというのでチャレンジすることにした。
出発2週間ほど前、手配を依頼しているアドベンチャーガイズより、チンボラソ近くのチュングラウワで噴火があり、チンボラソまでの道が閉鎖され、入山できないとの連絡あり。行くかどうか判断を求められた。在日大使館に電話で聞くと、非常事態宣言も出ているし、今アンデスは不安定なのでやめたほうが良いとのこと。外務省のHPでは引上勧告が出ている。しかし、せっかく休みがとれ、もう、今後12日間は取れないかもしれないと思い、チンボラソがだめならコトパクシとカヤンベに登るということで決行した。
9月1日 雨
11:20
雨のため西荻駅まで、タクシーで行こうとするが、空車なく、とぼとぼと歩く。バック18kg。リュック8kg。
16:00
ロンドンのテロ未遂事件以降、空港でのチェックが厳しくなっていると言われているが、ほとんどチェックなく通過。ほぼオンタイムでコンチネンタル機は離陸した。朝からまともなものを食べていないので、機内でビールでも飲みながらゆっくり、と思ったら、ビール1本$5です、と言う。飛行機なのにケチくさいなあ(ただ酒が飲めると思うほうがケチくさいか)と思うが、じゃあ飲みませんというわけにも行かないので、¥600を支払い購入。機内食はアツアツのチキンとチーズのサンドウイッチでまあまああった。
読み出した『美味礼讃(海老沢泰久)』が面白く、一気に読む。フランス料理学校を創設した辻静雄の話。辻さんは料理に全く縁のない世界から、料理学校の跡取婿となり、フランスで一流の味を舌に覚えこませ、日本にフランス料理を広めた人。良い義父や友人に恵まれ、意思を貫くことができた。
24:00(現地時間)
キト着。赤道直下にも関わらず、さわやかな気候。空港職員はロングコートを着ている。小さい空港で、現地でお世話になる松本さんとすぐに会える。松本さんは本職のほか、NHKの番組作りの手配などを父娘でやっている。
ホテルまでの車中で、松本さんから聞いた話。エクアドルにいる日本人は150程度(一時的に滞在する人を含めると400名程度)。エクアドルでも気候は不順で雨季がずれたり、気温が上がったりしている。チンボラソは最近の噴火の影響で入山できるかどうか分からないが、希望はあるようだ。私が、大使館・外務省の情報では行くのはやめたほうが良いと言われたというと、大使館などの情報は古くて使えないとのこと。
1:30
美味礼讃読了し、就寝。
9月2日 晴
9:30
起床。よく寝た。朝食が終わってしまうと困るので急いでレストランへ。あまり食欲はないが、お皿にいろいろととってきてしまったので、無理して食べる。小高い丘の上のホテルキトの7階のレストランからはキトの街がよく見える。
本当は普段の睡眠不足を解消するため少し寝たいが、時差ぼけ直しに散歩。2kmくらい先の公園に行くが、結局ベンチで寝てしまう。目覚めてトイレついでに歴史博物館に入り1時間ほど暇をつぶし、ホテルへ戻り、プールサイドでまた昼寝。結局時差ぼけ解消にはならなかった。
夕食はホテルの前のHUNTERというレストランでビール、ワイン、サンドウイッチを食べる。
9月3日 快晴
昨夜は一旦ベッドに入ったものの、0:30〜3:00まで眠れず。3時ごろ寝たと思ったら、また4:30に目が覚める。8:30にチェックアウトして松本さんとロビーで待ち合わせるため、6:30にアラームをセットしていたが、気がつくと7:15。慌てて飛び起き、とりあえず朝食(ミューズリとフルーツ)をとる。今後山の中でいつシャワーに入れるか分からないので、シャワーを浴び、髪を洗っておく。
8:20
パッキングをしてロビーへ。松本さんとガイドのマルシアルと挨拶。今日は快晴で松本さんの自宅からもコトパクシがよく見えたと。ホテルから見えるあれは、カヤンベだよ、と説明される。
マルシアルからチンボラソの説明を受ける。最近の温暖化(噴火の影響もあるかも知れない)でノーマルルートの氷が溶け、岩がむき出しになったため、最近落石が多く、この1ヶ月、誰もノーマルルートは登っていないとのこと。ルートとしてはこの他に、ウインパールートとノーマルルートを左から大きく巻いていくルートがある。ウインパールートは20mくらいアイスの壁があるけど大丈夫か?左のルートも岩峰群があるが、どうする?と聞かれる。まず、せっかく来たのだから、チンボラソに登りたいことを伝え、ウインパールートの斜度を尋ねる。50度くらいで、ピッケルとアイゼンが使えればOKとのことなので、そのルートを取ることにする。
最近の体調や、貴重品の保管、緊急時の連絡方法を打ち合わせ、松本さんと別れ、マルシアルの車で7日間の山行の始まりだ。彼の車(赤いパジェロ)でコトパクシに向かう。
キトを南下、丘の上からキトの盆地が一望できる。山に囲まれて美しい。
南下すると言うことはパンアメリカンハイウエイを行くのかな?と思っていた矢先に、ここがパンアメリカンという標識が現れる。石川直樹君たちが自転車で走った南北アメリカを貫く1本道だ。時には中央分離帯もなく、皆適当に3車線くらいで走っている。
あたりに見える山は皆、火山だそうで(この辺一帯は「火山街道」と言う)、山の形は丘のようななだらかな山の上部4分の1くらいがぎざぎざして、いかにも溶岩が噴出しましたという形をしている。地震も多いそうだ。コトパクシに続き、アンティサーナも見えてくる。マルシアルはアンティサーナは良い山だとしきりに言う。
しばらくしてマチャチと言う村に着く。ここでマーケットを見ていこうということになる。パソコンの部品やら、ドライバーやら、車の部品やら。そうかと思うと、にわとり、鶉、七面鳥、ねずみのような動物、ウサギ(ともに食用)がみな生きたまま売られている。魚は少々。バナナはいろいろな種類があり(エクアドルには40種類のバナナがある)、2本トライしてみる。ノーマルな味。その他フルーツ、野菜は空豆、にんじん、とうもろこし(短くて白色)、ジャガイモ(指の先ほどの大きさで赤い斑点が入っていたり、ウコンのような形のものもあり)、夕顔のようなスイカ、大南瓜。ちなみにカリフラワー・キャベツは50セント。日本では$2くらいと言ったら驚いていた。近くの食堂で例のねずみを焼いていた。
マチャチを後にし、コトパクシへ石畳の道を走る。石は丸みを帯び、旧くからありそうな道だ。そこを上からマウンテンバイクで降りてくる若者数人。後で地図を見たら、サイクリングコースになっていた。
車の中でうとうとしていると、国立公園のゲートに到着。$10を支払う。そこから今日泊まるロッジまでは5分くらい。しばらく走ると土壁のかわいい、日本のこじゃれたスキーロッジとでも言うような小屋(タンボパクシ。3800m)が見えてくる。
12:00
小屋に到着し、2階のベッドルームに通される。日本の山小屋の蚕棚とはずいぶん違い、全く普通のペンション。トイレは水洗、シャワー・バスタオル・石鹸も完備。お茶を飲んで一休みする。
12:30
さらに上部、高度順化のためにコトパクシのベースとなるホセリバス小屋(4800m)をめざして出発。4500mまでは車でいける。ピッケル、アイゼン、ハーネスなど重い物をあげておく(小屋には鍵付きのロッカーあり)。車の中ではどうにも眠気が治まらない。
13:20
車止めで登山靴に履き替え、ゆっくり小屋へ向かう。湿った雪が降り始める。思ったほど苦しくなく、休みなく歩く。現地の人たちが小屋までハイキングに来るらしく、子供も年寄りも皆歩いているので、仮にも登山に来た私は苦しいとは言えない。
14:00
小屋でマルシアルが作ってくれたスープとフルーツを食べるが、あまり食欲はない。
15:00
少し休んで、もう少し高度を上げようということで、氷河末端(4900m強)まで歩く。(ずっと雪が降り続く)ここでも苦しさは感じない。この分だと、コトパクシは登れるかも知れない。氷河末端で少し時間を置き、小屋でも休んで16:00まで過ごし、車止めへ戻る。(16:15。車止めの気圧592mb)
17:00
タンボパクシ着。快適なシャワーを浴びる。
19:00
夕食。ポテトとアボガドのスープ、ステーキ、ストロベリームースのコース料理。スープとデザートはかなりおいしい。
20:00
就寝。23:00ごろ目が覚め、3:00過ぎまで眠れず。
9月4日
7:30
起床。コトパクシは天気が悪い。
7:50
朝食。フルーツヨーグルト、スクランブルエッグ。
出発までの間、レスト(寝る)。
9:50
再び起床。登山の準備をして、10:50小屋を出発。
11:25
車止め着。11:45発。12:25ホセリバス小屋着。
13:00
昼食。スープ、パン1枚。レスト(寝る)。
17:20
4850mまでひとりで散歩。
18:00 夕食。マルシアルがアスピリンを飲んでおけ、と言うので、半錠だけ飲む。小屋の中にはヨーロッパ、オーストラリアの若者(下は20歳)とガイドを含め、20人程度。客の中では私が最年長の様子。
19:00 就寝
9月5日
(4日深夜)
長い1日だった。前日は19時に就寝、20時ごろまで周りはがさがさしていたが、21時ごろには静かになった。しかしそれから風が強くなり、徐々に嵐のようになり、明日は登れるだろうかと心配で眠れなくなった。寝た形が悪いのか、寝袋にもぐっていて酸素が足りないのか、かすかに頭痛がするのでアスピリンを半錠飲む。
23:00
ルシアルを起こす。風が強いけど大丈夫か、と聞くと、大丈夫とのこと。食事のため食堂に降りるとガイド連中が寝ている。こちらは音を出さないようにしているが、ちょっと音を立てると「シッ」とやられる。深夜に出ることが分かっているのだし、2階も1階の別の部屋も空いているのだから、食堂で寝なければ良いのに。食事はスープ。パスタも作ってくれたが、少ししか食べられない。外に出ると風は相変わらず強いが、満天の星とコトパクシがくっきり月に冴えている。準備をしていると突然ヘッドランプが消えた。登山中でなくて良かった。
0:10
小屋で一番に出発。ヘッドランプをつけて歩き出すと、マルシアルがいらないと言う。月明かりで充分なのだ。
ガレ場を40分くらい、昨日行った氷河末端まで歩く。アイゼン、ハーネスをつける。すると、真夜中だというのに、上部で氷河が崩落する音がする。自分の歩いているところが崩れない保証はないので、少し恐くなる。もしそうなったら、ガイドは助けてくれるか。ガイドに命をすべて預けているんだと思うと、ガイド登山がはたして良いのか、自力登山ならすべて自分の責任で仕方ないと思えるのか、と考えてしまった。
いきなり、岩に薄く氷が張っている登りにくい斜面。その後もアイゼンの歯が効きにくい固い氷やクラストしたところあり。全体的には(感覚的に)40度くらいの斜面をトラバース、または横歩き(斜面がきつくて直登するのはきついため)のような感じで登る。ほとんど休みなく、たまに立ったまま水を飲むだけだが、苦しくもなく、高度にはまあまあ適応できている。キリマンジャロの時の苦しさ、眠さは全くない。JETLAGが逆に良いように働いている。
5400mからクレバスが現れ、変化が出てくる。ただし、暗くて周りの景色・状況が見えないのが残念。
4:00
5600mの凹地でリュックを下ろして休憩。4時間でスニッカーズ一口しか口に入れていないので(食べようと思ったら、凍っていて歯が折れそうだった)、無理やり羊羹を押し込む。ペットボトルの水は凍って出てこない。手もしびれてきた。マイナス15度くらいと思われる。強風はまだ左から吹きつづけ、顔もこわばる。ずっと風を受けて、睫毛に氷がついたのか、視界不良。
ここでリュックをデポし、カメラをマルシアルに預け、ストックをピッケルに替える。それまでも、ピッケルを使いたかったが、マルシアルがずっと、まだストックでよいと言うのでストックで登ってきた(マルシアルはピッケル使用)。そこからは、ピッケルと左手も使いながら登る。この辺から月は落ち、ヘッドランプで歩くが、地形が全く分からない。手を使うようなところを歩くなんて聞いていなかったので、ルートがあっているのかどうか、少し心配になる。しかし、そこを抜けると、あとひと登りで頂上と言う雪田にやってくる。しかし、斜度があるので気をつけろと言われる。頂上まで5時間半以上歩きつづけてきた。苦しくはないが、やはり疲れている。エベレストなどは、これをさらに倍くらい、しかも低圧下でやらなければいけないとすると、たいへんなことだ。なぜ、こんな苦しい思いをしてやるのか?楽しいか?と自問しながら歩いていた(キリマンジャロのときもそうだった)。夜の行動になるので、せっかくの氷河のダイナミックな形の中を歩いていても、景色が見えず、楽しみが半減していることもあるかもしれない。
5:55
最後のレスト(1minuit)をとったあとは、頂上を目指して力を振り絞る。やっと、もう上がないところにたどり着き、マルシアルとHUGする。
火口の写真などをとるが、本当に疲れて周りに見える山が何なのか、とかあまり気にかけることもできない。
そういえば、最初から最後までキトの灯りがきれいだった。
6:15
下山開始。ロープをつけて、私が先に行くが、疲れて脚がふらついているのと、目の調子がおかしく、まっすぐ歩くことができず、マルシアルにトレースを踏んでいくように注意される。左目が見えなくなっていることがはっきり分かり、マルシアルに伝える。アスピリンを飲むよう言われる。右目は見えるが、左目は白く見えるので視界がぼやけ、足元に気を使う。
下山時もまだ風は強く、時たま強風で脚をとられるところもある。下りは景色を見ると 、こんな風だったっけ、と思うこともしばしば。適当に歩いていたように見えるところもトレースがきちんとついていた。
凹地というのは、大きな雪庇のようなところだったり、クレバス地帯では左の壁から巨大なツララが下がっていたりと、ゆっくり見ながら写真でも撮れたらすばらしいのにと思う。
後半は快調に降りるが、最後にアイゼンが外れる。これまでで初めてのこと。今年3月にブーツを替え、それにあわせてアイゼンのジョイントバーを替えたのだが、あまり調子が良くなかったので、出発前に長さを変えてきたが合っていないらしい。
8:00
ガレ場に入ってからは、だんだん暑さと疲れで歩みが遅くなるが、8:00に小屋に到着。とりあえず、横になりたく、砂にまみれたものだけ脱いで寝袋をかけて30分寝る。マルシアルが朝食を、と言ってくれるが、お湯しか喉を通らず。
9:00
下山。車止めへ。アンバトへ向かう車の中で左眼で見てみると、ほとんど見えない(白く見える)。両目だったらたいへんだった。砂が入って傷ついたのかと思ったが、痛くないのでやはり高度だろう。ただ、目が見えなくなる障害については、HPのチンボラソの登山記録で読んでいたので、低地に下がればきっと直るだろうと、あまり悲観はしていないが、チンボラソまでに治るかどうかが問題。松本さんに電話をかけて相談するが、今日・明日はゆっくり休養するように言われる。
パンアメリカンを南下し、途中のレストランでコンソメスープとパンを頼む。チーズがついてくる。いつもなら喜んで食べるが手が出ず、スープも残す。
12:00
アンバトのホテルフロリダ着。シャワーを浴び、洗濯をしてマルシアルからもらったバナナを1本食べる。とてもおいしい。昨日の朝からまともなものをしっかり食べていないので、明日以降のために少し食べておかないと体が持たない。
寝ようとしたが、隣の部屋のまさに枕の向こうで工事をやっており、ずっととんかちやるので眠れない。それでもベッドで横になってすごす。4時くらいにまたバナナを1本食べる。目は少し良くなってきた。
19:00
夕食。街へ出る。目が見えるようになってきた。
アンバトはパンの街。粉が良いのだそうだ。ファーストフードっぽいレストランに行く。ライス、鶏、スープのワンプレートとパン、持ち込みのビールを食べる。食欲も出てきた。パン(60セント)はブリオッシュ風でチーズを挟んであり、とてもおいしい。
9月6日
7:30
ホテルで朝食。パイン・オレンジジュース、パン。パンがおいしい。
8:45
ホテル出発。チンボラソへ向かう。
11:45
カレル小屋着(4800m)。カレルとは、ウインパーとチンボラソに同行し初登攀したガイドの名前。
12:10
ウインパー小屋(5000m)まで高度順化のため歩く。
小屋番は、カレル小屋、ウインパー小屋とも一緒。ひとりはインディアン。小学校しか行っておらず、小さいころは靴も履いていなかったが、今は子供が4人いると。物静かでやさしそうな人。
ウインパー小屋から5200mまで、ノーマルルートを往復。目が見えなかったり、苦しいことはない。歩いている間に、ノーマルルートの上部で3回落石が発生。このルートを行くのはロシアンルーレットだ。
懸垂氷河で頂上は見えないが、壮大な眺めだ。小屋から下のなだらかな丘の景色とは対照的。
カレル小屋でラーメン・フルーツの昼食をとった後、麓の街のリオバンバへ向かう。チンボラソをぐるっと右に巻く道路の両脇は数mの崖になっているが、大昔からの数え切れない噴火による火山灰の堆積で地層がくっきりと出ている。山頂がだんだん見えてくるが巨大な山だ。登れるかどうか・・・。
15:30リオバンバ・ホテルモンテカルロ着。
夕食は駅の近くのレストランへ。駅はリオバンバとグワヤキル(太平洋沿岸の大都市)を結んでおり、週2、3本しか電車が通らない由。駅の周りでは屋台が出て地元の人たちが肉を食べている。
9月7日
8:00 朝食
9:00 ホテル発。登山に必要なものだけもって、不要なものはホテルで預かってもらう。車の中ではほとんど寝ている。
11:00
カレル小屋着。13:00まで日差しで暖かい車の中で昼寝。少しお腹がごろごろ鳴っている。
13:00
昼食。アイゼンをマルシアルに見てもらったのち、いよいよウインパー小屋へ。
14:00
ウインパー小屋。今日は観光客・軍隊が大勢来ていて賑やか。スイスの若者4人組は、コークハイを飲んでいる。勧められるが、断っておく。
16:00
夕食
17:00
22時起床とし、就寝。18時ごろまで寝るが、イギリス人が来て、バタバタするので目が覚め、それから22時まで眠れず。しかし、日中、よく寝ていたのであまり心配しない。
窓からは月明かりが差し込んでいる。天気は良いようだ。コトパクシの時より、暖かい。
22:00起床。ケロッグシュガーフロスト2袋、コーヒー、アスピリン1錠。
イギリス人はソロで、エクアドルの山をいくつも登ってきて、最後にチンボラソに登るそうだ。アイスアックスは2本用意。マウンテンハードウエアを着て「イギリスでは(アルパインガイドではないが)ガイドをやっている。マウンテンハードからウエアを安く提供してもらっているんだ」とのこと。彼が一足先に出て、我々は22:40
出発。コトパクシと同じく、ヘッドランプを消して歩く。イギリス人のヘッドランプも見えない。どちらのコースを行ったのか。風がなく暖かいと言うので、フリースのみ、手袋なし、目出帽のみで出発。
小さな流れを越えて、ウインパールートを進む。昨日、一般の人たちが途中まで登っていたので難しくないはずだ。ザレた斜面をゆっくりだが、快調に進む。ウインパーが初登攀の時にキャンプした場所の絵と同じような岩(エギーユ)が見えてくる。この岩の下でキャンプしたのだろうか。
11:40
稜線(ウインパーの岩)に出る。5250m。ここからはさらにザレていて、斜度もきつくなってくる。固い地面に小石があり、ビー玉を踏むように滑りやすい。下りがとても心配になる。稜線の終わりは壁になっていて、壁にヘッドランプの灯りが見える。しばらく歩くと、落石が始まる。彼が石を落としているのだ。次第にばらばらと降ってきて、こぶし大のがマルシアルの靴そしてストックに当たる。念のため、手袋、ジャケット、帽子をつける。稜線の終わりまできたとき、彼は真上の壁にいた。そしてまた落石。「石を落とすな」と叫ぶが、次々降ってきて、マルシアルの大事なところを直撃。うずくまる彼。
その後、ルート中最もスティープといわれた壁に出る(5500m)。入れ違いに彼が降りてきて、「氷が溶けて落石がひどく、とても危険で登れそうにない」と言っている。我々は大丈夫なのだろうか。
ピッケルとアイゼンの出っ歯で登るが、アイゼンを蹴り込むと息が切れる。
壁を登ったあと、左の安全なほうへ登りながらトラバースしていく。しばらく行くとノーマルルートに合流するはずだが、けっこう急な斜面が続く。歩いていると、ピシッ、パシッ、と氷が不気味な音を立てる。今にも氷が割れ、足元が崩れるのではないかと心配だ。そのうちクレバス帯に出てきた。渡れそうな所を探し、きわをピッケルで落とすと、氷柱がずいぶんと深くまで落ちていくのが分かる。雪面を歩いていても氷が落ちる音がする。ヒドンクレバスを歩いていて、歩いた衝撃で氷が下に落ちるのだ。今日は暖かいと言っていたが、こんな恐い思いをするくらいなら、寒くても言いから氷が安定してくれているほうが良い。もう、こんなリスキーな山はいやだ、と思いながら歩く。
早く雪田が出てこないかと期待するが、次に現れたのがPENITENTES(5800m地点)。歩く方向に縦に林立している。それをピッケルで切り倒して足場を作りながら歩く。足場と言っても片足が乗るくらいで斜めなので、歯を効かせてずり落ちないように歩くのに骨が折れる。ピッケルで倒したあとは、帰りの目印にもなると思い、できるだけ倒しながら歩く。その間もたびたびクレバスは現れ、要所には竹に赤布をつけたのを差込み、目印にする。そんなことを2時間。
5:30
5:00には山頂に着くよ、と言われていたが、PENITENTESにてこずり、5:30に西稜到着。まあまあか。山頂近くは雪田歩きと言われていたが、まったく雪田なんてない。ウインパー稜を見るとさらにPENITENTESが成長していてまるで樹氷のようだ。世界最高峰を目の前にここで引き返すわけにもいかないので、また、リュックをおき、マルシアルにカメラだけ持ってもらい、PENITENTESとの格闘を続ける。普通西稜からウインパー稜まで1時間と言われているが、1時間半を要す。だんだん歩みが遅くなり、マルシアルがいらだってくる。ずっと、調子はどうだ、下りの体力は残しておけ、と言われ、ウインパー稜に行っても大丈夫か?と聞かれ、「大丈夫、行く行く。」と答えていたが、今の君は大丈夫じゃない、僕が大丈夫かと聞いたじゃないか。陽が出てのんびり下りるのは危険だ、と言う。確かに、登ってしまえばこっちのものだと思っていたのも事実。今の私には安全に下る体力は残っていないかもしれない。
7:00
それでもなんとかウインパー稜にたどりつき、一番高い三角点に当たるところは少し先だったが、頂上と言えるところまで来た(481mb)。THE TOP OF THE WORLDだ。少し写真をとっただけで、下り始める。下りではますますマルシアルとの間があき始める。リュックを持っていなかったので、水もなく、途中、苦しくなって、火山灰だらけの氷からきれいなところを選んで口に含むが、何の気休めにもならない。西稜のリュックを置いた場所は氷のモンスターに隠れて分からなくなっているが、マルシアルが見つけてくれるだろう。
8:00
やっとの思いで西稜に着くとマルシアルがエネルギーを補給しろと、いろいろ差し出すが、水しか飲めない。彼の手前、食べたチョコ1片とバナナチップス2枚は吐き出しそうだった。頂上にいけて、嬉しいという感慨はほとんどなかった。これからまだしばらくPENITENTESとの格闘が続く。
PENITENTESのある間は滑落の危険がないので、ロープをはずし、マルシアルが先で道を切り開く。やっとPENITENTESが小さくなるとアンザイレンで私が先を歩く。登りではトラバースしたところを真っ直ぐ下りる(途中からノーマルルートを外れ、第3の迂回ルートで下降)。クレバスでは渡れそうなところを探し、マルシアルに良いか?と聞いて渡る。赤布を探したが、半分くらいしか見つからなかった。富士山の吉田口より斜度がきつく、数回アイゼンが滑ってマルシアルにロープを引っ張られた。斜度の変わり目で、後ろ向きでクライムダウンしろ、と言われる。5歩くらい行ったところで、マルシアルが「クランポン」と叫び、アイゼンがどうしたのかとっさに分からず進もうとしたら、左のアイゼンが外れて流れ出した。幸い歯が氷に引っかかって止まり、事なきを得た。アイゼンを回収し、片足ノーアイゼンで下り、足場の良いところで装着したが、右のテープも緩んでいた。クライムダウンを3ピッチ(ただしロープは25mくらい)。クライムダウンした場所は岩肌を厚さ3〜4cmの透明な氷が飴のようについている。日が当たるところなので、氷は解凍・氷結を繰り返してつるつる。
やっとウインパー小屋が見えてきた。稜線の上から見て右側は小屋からは見えない斜面だが、クレバスがずたずたで、とても登れたものではない。
クライムダウンのあとは、ザレ場を歩き、高度を下げていく。ザレ場でも滑りやすいため、しばらくアイゼン歩行を続ける。日本ほど道が明確についていないので、しばしばそっちじゃないと言って、犬のようにロープを引っ張られる。
ウインパー小屋に戻るのかと思ったら、カレル小屋に戻ると言う。小屋は4800mなのに未だ高度は5200mくらい。まだ遠い道のりだ。
11:00
アイゼンをはずす。スタートから約12時間。
11:55
カレル小屋に到着。稜線を下りてから小屋までほんのわずかだが登り返すところがあって、思わず立ちどまってしまった。小屋の前ではマルシアルが待っていてくれたが、少し離れたところにイギリス人が寂しく座っていて、まだ遠くにいる私に手を振ってくれた。きっと頂上にいけた私が羨ましかったに違いない。
小屋では飲みたくなかったが、スープを飲みながら、小屋番がウインパー小屋にシュラフなどの荷物をとりに行ってくれるのを待った。
これまで生きてきた中で、最も疲れた13時間だった。
車でリオバンバに移動。ホテルでアイゼンとスパッツを洗い、街にでる。もう、体調を気にする必要もないのだ。不思議とコトパクシのときより、下山後は元気だ。街のレストランはほとんどシャッターが閉まっていて、かろうじてあいていたピザレストランでワインを飲みながらはがき書き。アンデスの本を下さった方、高度順化に付き合ってくれた方などへのお礼代わりに。
19:00
夕食。以下はマルシアルの話。
レストランではFIREPLACEが心地よかった。赤道直下で暖炉なんて不思議。
キトからホテルで見つづけているTV番組GOURMET.COMを見ながら寝る。このチャンネルでは一日中料理番組をやっている。数人いる講師の中にひとり日本人らしき人がいて、日本料理と称してやっているが、どうもいかがわしい。日本料理といいながら酢豚とかをつくっているし、にぎり鮨は蝦ばかり10尾並べている。
9月9日
8:00
朝食
9:00
リオバンバの街を散策。最初訪れたマーケットはインディアンの洋服を扱う店が多い。ミシンを並べて繕い物をしたり、売っている無地の帽子にミシンで刺繍をしていたりもしている。毛糸編みのバッグを作っていたのは幼稚園くらいの子供だった。
2つ目のマーケットは食べ物中心。赤いバナナを食べてみる。もっちりしてなかなかおいしい。普通のバナナは一枝(7〜8房)$2くらい。その他羊の毛、ジャガイモなど。3つ目のマーケットも食べ物。簡易食堂が併設され、そこでは20頭以上の豚が犠牲になっただろう。
ホテルへ戻り、車でキトに向かう。途中、SALCEDOの手前でアイスクリームにトライ。コロンビアとエクアドルにしかないフルーツと青りんごのようなものを頼んだが、前者がさっぱりしておいしかった。SALCEDO(アイスクリームの街。街中のほとんどの店がアイスクリームの看板を掲げている)の街ではフェスティバルが開かれている真っ最中。馬に乗り、ウイスキーのビンを片手にラッパ飲みし、観客に手渡しして飲ませる陽気な祭り。
パンアメリカンからは頂上が雲に隠れたコトパクシが見えた。
14:00
キト到着。マルシアルに礼をいい別れる。
キトの旧市街まで歩いて行ってみる。途上国はどこでもそうだが、排気ガスがひどい。ここは周りが山に囲まれ空気が沈殿するのでなおさらだ。体には良くないだろう。旧市街は危険と言われているが、他の国に比べて特別危険と言う感じでもない。カテドラルや古い町並みはきれいだが、地図を持ってくるのを忘れ、どこが見所か分からなかったため、適当に切上げる。帰り、トロリーに乗ろうとしたが、駅員は英語が分からず一苦労。身振り手振りでようやく理解する。
ホテルのバーでカクテルを一杯。最上階から最後のキト市内をよく見ておく。夕食は再びHUNTERへ。今日は店おすすめのチリ(唐辛子)料理を頼む。豆のスープでとてもおいしかった。店の中ではキトのマラソン生中継をやっている。空気が悪くしかも3,000mでマラソンなんてクレージー。だけど、街では自転車でヒルクライムをやっていたり、ジョギングをしている人がたくさんいた。こんな人たちと心肺機能を比べたら、ひとたまりもないよね。
9月10日
3:00
起床
4:00
ホテル発。松本さんに迎えに来てもらう。まずはおめでとうと。チンボラソではPENITENTESになることがまれにあるが、ハードだったでしょう。積雪期の腿までのラッセルもたいへんだがよくやりましたね。また、ほとんどの人が西陵で帰ってくるんですよ、とのこと。旅行会社の案内とぜんぜん違いました、と言うと、雪面歩きしかしたことが無ければ、そうとしか書けないですからね。コンディションによって難易度はぜんぜん違ってきますよね、と。
今年は年初にドイツ人2人が雪崩に遭い、7月に出てきた。ちなみに救助体制は、まず、ガイド協会のガイドが出動。それでも足りなければ、軍が出動するとのこと。ドイツ人の場合もそうだった。(なお、ガイドは国内に41人。)
なお、日本人ではこれまでに3人が遭難しており、1人は東京農大のパーティのリーダーで急性肺炎で死亡。もうひとりは東大出、学生時代に松本さんの所に居候し、三井物産に入社。コロンビア勤務を希望し、コロンビア人と2人で入山。2人とも高山病に罹り、コロンビア人は自力下山したが、本人は戻らなかった由。
その他、日本のツアーで日本人ガイドがルートを見失い、ツアー客が登頂できず顰蹙を買ったことや、日本人ガイドがやはり両目をやられたことがあるなど。甘く見るとしっぺ返しを見るようだ。
6:19
ON TIMEで離陸
11:50
HOUSTON着。ホテルではCNNで9.11のニュースを見たり、お土産に買った本を読んだりしてすごす。明日は9.11だが何事も無くすぎて欲しい。
18:00
ホテルのレストランで豊満な女性においしいわよ、とすすめられ、マッシュルームスープとクラブサンドウイッチを頼む。アメリカの食べ物はまずいと思い込んでいたが、結構おいしかった。レストランではBillyJoel、Chicago、Queenの懐かしの歌が次々と大スピーカーから流れ、アメリカらしかった。
チンボラソ・コトパクシ登山について
恐い思いを何度も味わい、もうこれで高所登山は最後にしよう、と思ったが、降りてくると、またいきたくなる。ということで、次に海外の高山に登るチャンスがあった場合の時のためにこれからやるべきこと。
キト・エクアドルで
立派な文化を持っているにも関わらず、ブラジル、ペルーなどの大国や、コロンビアなどに囲まれ存在感が薄い。ガラパゴスも含め、すばらしい財産をもっているのだからもう少し発言力をもつなり、観光誘致をしてもよい。観光に関する情報はガラパゴスを除くと、地図さえもほとんど日本では入手できない。大使館でも有用な情報は得られなかった。
登山のことしか考えていなかったので、キトでもHOUSTONでも観光はしなかった。キトの街はまた、ゆっくり訪れてみたい。