Vuelta a Nokogiriyama
(日程)
2003年7月19日(土) 天候:曇り一時小雨
(テーマ)
自転車の祭典「マウンテンサイクルin乗鞍」を想定したヒルクライムの後、壮行会with泡&ヤマメ定食
(参加者)
畠田さん、熊野さん、松広さん、江畑克彦さん、江畑敦子さん、山本さん、清水さん、瀧原さん、 益原(記) 計9名(緑字は畠田)
(記録)
プロローグ
今年はNSAから5人の戦士があの「マウンテンサイクルin乗鞍」に挑む。「乗鞍」と言えば、ツールドフランス、ジロデイタリア、ヴェルタアエスパーニャと並び世界の4大レースに数えられる過酷なレースである。(*1)このマチョハラ、長いレース人生(*2)の総決算として乗鞍4連覇中の村山選手を倒すべく乗鞍初参戦を決意した。(*3)
去年見事乗鞍完走を果たした勇者畠田選手(以下「ジミー選手」)と松広選手(以下「マチュヒロ選手」)、マチョハラと同じく今年初挑戦となる熊野選手(以下「クマノ選手」・・<ちなみに康司は彼のことを大人のこうちゃんと呼んでいる>、江畑選手(以下「アイアンストマック・エバ」)と共に8月31日にアスリートの頂点を目指す。
そして今日はその前哨戦として、奥多摩にそびえる難関・鋸山を登る「ヴェルタ・ア・ノコギリヤマ」を闘う事となった。今回は平地ステージ限定として、江畑敦子選手(以下「ヤヤ選手」)、山本選手(以下「さゆりさん(*4)」)、清水選手(以下「メリ選手」)、瀧原選手(以下「たっきー選手」)も参加する。
(*1)ウソです。
(*2)ウソです。
(*3)大ウソです。
(*4)メリやらマッチョやらヤヤやらあだ名呼び捨てが常識のNSAにて唯一「さん」付で呼ばれる。気品にあふれる雰囲気がそうさせるのか、怒らすととんでもなく怖いのか。レースの中で明らかになるであろう。
<さゆり、と呼び捨てすると自分の女かスナックのママみたいなので自然と皆、さん付けをするようになった>
9:30 集結 スタート地点となる武蔵五日市駅に向かうため、輪行袋に20万かけて500gの軽量化を施した(*5)<プフッ、そんなに金かけなくてもメシ抜くと簡単に軽量化できるぞ>愛車merakを包み三鷹駅に佇んでいると、クマノ選手の姿が。
ツールドヤキニクで闘った時より明らかに体が引き締まっている。週末は多摩湖の激坂を登ったり皇居を周回したり築地で美味しいカレーを食べたり、と相当な練習を積んでいると聞く。これは益々手強い…!タイヤ袋が独立した青い素敵な輪行袋をしょっているので聞くと、奥様のお手製との話。下着も自分で洗濯するマチョハラ、早くも敗北感を味わう。
電車に乗ると隣の車両に、自転車でユーラシア大陸を横断してきました、といった風情の女性が輪行袋にもたれかかるような姿で爆睡している。マチョ「あの人私たちの中にいても違和感なさすぎですね〜。」クマ「確かあの人新人のたっきー選手ですよ。」な!?「銀座系」「お姉系(?)」のハズではなかったのか。撹乱作戦だったのか。手強い…!
集合場所に着くと、ジミー選手が地べたに座って睨みをきかしている。1時間前に到着したそうだ。気合が違う。今日のウェポンは去年乗鞍を完走したランドナーではなく、ミニベロ(*6)の「つねさぶろう」だ。安物の小径車と違いコンポ(*7)はシマノの105。ドロップハンドルにセライタリアのサドルの本格派だ。それにしてもヒルクライムでミニベロはきついのではないだろうか…。そこは百戦錬磨のジミー選手。戦いの中で答えを見せてくれるだろう。
今回一つ残念なのが、稲葉さん(以下「イネ選手」)と平野さん(以下「賢」)が申込みの関係で乗鞍不参加となったことだ。ネット申込みの影響もあり募集開始から2日で締め切りとは…。賢にはツールドヤキニクのリベンジを果たしたかった。イネ選手にはお会いした事はないが、自分にも他人にも厳しいNSAきっての強化系人間とのこと。是非とことん話をしてみたかった。などと思っていると目の前に江畑夫妻が。
強化系といえばこの男。胃袋強化系。自転車を早々に組み立ててもう何か食べている。おにぎりだ。中にローストビーフでも仕込んでいるのかなと思って覗くと消化の良さそうな普通のおにぎりだ。これはどうしたことか。そうか、奥方であるヤヤ選手の管理が行き届いているのか。アイアンストマック・エバ(長いので以下「エバ」)の野生的なパワーにヤヤ選手のバックアップ。一気に優勝候補に浮上か。本人も「この前とは違いますよ」とか言っている。でも顔はもっと食べたそうだ。正直なやつ。<グハハッ!>
みんなレースに向けて愛車の組み立てに余念がない。一番乗りのジミー選手はすでに準備が終わっておりみんなのサポートにまわっている。的確な指示だ。だんだん街の自転車屋の熟練オヤジのように思えてくる。ジミー選手のおかげもあり次々と愛車が組みあがる。
新人のたっきー選手はきれいな水色のPEUGEOTのマウンテン。可愛らしくかつ頼もしい雰囲気が彼女によく似合っている。本人のはいているジャージの汚さがまた自転車の美しさを際立たせている。<ナイス!>
エバはおなじみの赤いSCHWINN。てぬぐいも健在だ。ヤヤ選手はGIANTのマウンテン。細身の体にはごついバイクだがごつい旦那を操縦していることもあり問題なしか。
さゆりさんはジミー選手の思い出のいっぱいつまったFUJIのマウンテン。ダイヤモンドシェイプの美しいバイクで、さゆりさんの優雅な雰囲気にぴったりである。組立てが今のバイクより少々難しいがジミー選手のサポートもあり無事仕上がった。
クマノ選手は青いTREK。みるとハンドルにアシストバーが。思いっきりやる気をのぞかせている。
並みいる個性的なバイク達に交じり、ミラノの青い空を思わせるチェレステブルーの飛びきり美しいバイクが。メリ選手のBIANCHIだ。ただのBIANCHIではない。ジミー選手の手によりグレードアップを遂げた(*8)NYALA SPECIALだ。メリ選手も負けてはいない。小柄で引き締った身体に加え、学生時代に1万m日本記録保持者の千葉真子の終生のライバルと言われたほどの心肺機能を持つ。クライマーとしてこれ以上ない条件を備えている。「鋸山も登ってみたら?」と振ってみると「私なんか…」と言うものの目は「男なんかにゃ負けないわよ!」と言っているように思えてならない。ダークホースだ。
(*5)自転車仲間の間では勇者とされるが一般社会では間抜け扱いされるのは言うまでもない。
(*6)イタリア語で小径車を意味する。
(*7)コンポーネンツの略。ブレーキ・変速機などメカ部分の総称。シマノのコンポは去年の3大ツールを全て制した。
(*8)肩幅に合わせて短くカットしたストレートハンドル、黒いグリップにサドルからブレーキワイヤーの調整まで。ジミーさんホンマに銀行員かい!
10:00 第1ステージ 第1ステージは武蔵五日市から鋸山のふもと神戸園までの13キロ。だらだらとした登りが続くいやらしいコースで、体重のある男性陣より女性陣の方がむしろ有利か。渋滞で到着の遅れているマチュヒロ選手を除く8名が今元気にスタート!プロトン(*9)を構成するのはジミー選手、クマノ選手、エバ、メリ選手。強力な男性陣にメリ選手が食い下がっている。
少し離れてたっき−選手が独走。そしてその後ろにヤヤ選手、さゆりさん、マチョハラの3人が。ジミー選手の安定した走りは相変わらずだが、クマノ選手のペダリングが大きく改善されているのに気づく。逆風の多摩川での苦戦を教訓としたようだ。
エバは相変わらずパワフルなフォームで先頭集団のスピードに遅れずついていっている。メリ選手は遠くから見ていてもやる気まんまんで、隙あらば先頭をうかがうかのようなアグレッシブな走りっぷり。マチョハラの第3集団は激闘の中にあって和やかな雰囲気だ。さゆりさんの持つまったりしたやさしい雰囲気が原因か。
するとヤヤ選手が豪快にアタック!我々をあっという間に置き去りにし、たっき−選手をパス、プロトンへ殴りこみをかける!と思いきや力尽きてまた最後尾へ<ヤヤのあほな無駄な頑張りが目に浮かんできた>。旦那のエバに伝言でもあったのだろうか。
たっき−選手はどのグループにも属さず独走を続ける。一匹狼的性格なのか。はたまたのんびりマイペース娘か。傾斜は緩やかだがやはり登りはつらい。みんなの息が上がってくる。しかし鋸山、そして乗鞍のきつさはこんなものではないのだろう。先を想像し慄然としながら第1ステージのゴール・神戸園に到着する。
ゴール間近で横を通り過ぎる車がクラクションを鳴らす。前を走るヤヤ選手を横切る時もまた鳴らす。「むぅ…無礼者め…!」一言文句を言ってやろうと近づくと車からニッコリ笑ってマチュヒロ選手が。「んも〜、挨拶したつもりなのにみんな怖い顔してにらむんだもん〜」。
「埼玉のジャンレノ」ことマチュヒロ選手は、迫力のある体躯、凄みのある風貌に似合わず茶目っ気たっぷりの人のようだ。怖い人でなくて一安心。役者は揃った。いよいよヒルクライムだ!
(*9)先頭集団を意味するレース用語
11:00 第2ステージ 第2ステージはカテゴリー超級の鋸山の頂上まで登って下る山岳ステージ。標高1,100mの山頂まで7キロ標高差800mの本格的なヒルクライムだ。本番の乗鞍は標高1,400mから2,800mまでの22キロ。<つまり鋸山の方が距離は短いが傾斜が急なので鍛錬にとてもよい>
ヒルクライムはとにかくしんどい。一瞬でもいやな上り坂が延々と続くのだ。しかし登った後の爽快感は他では味わえない。それに必ずしもレースのスピードで登る必要はなく、景色を楽しみながらもよし、ウケをねらうもよし。そして最後に味わう達成感は皆平等だ。だからこそ3,000人もの参加者が集まるのだろう。
話がそれた。第2ステージの参加者はジミー選手・マチュヒロ選手・クマノ選手・エバ・マチョハラ・・・おおっ、メリ選手も思いっきりやる気だ!「途中で引き返すと思います。」と言うが「山岳賞は頂いたわよ!」と顔に書いてある。さぁ頂上に向けて男5人&羊1匹、今スタート!
いきなり勾配がきつい。乗鞍岳は最初ゆるい勾配が続くが鋸山は最初から容赦ない。乗鞍のようなつづら折の登りもキツいが今回のような直線的な登りはもっとキツい。
視覚的にも目の前に一直線に伸びる坂はいやらしい。平均勾配も乗鞍は6〜7%と聞くがここは10%近くあるのではないか。加えて前日までの雨で路面が濡れているためダンシング(*10)をすると後輪が空転する。我慢してシッティングで登るしかない。
ようやくペースがつかめてきたと思った中間地点で路面にギザギザが!しかも勾配も一番キツい!一瞬今までの人生が走馬灯のように頭を駆け巡る。「もう悪いことはしません〜」等訳のわからないことを口走りながら、ひたすら耐えて登ると風景が次第に変わる。空が開け始め頂上が近いことを感じさせる。はるか遠くに見えるガードレールを見てショックを受けながらも、とにかく我慢。
朦朧とし始めたころにいきなり視界が開け、先の道は下っている。やった!頂上だ!ホントにこの瞬間は何ものにも替えがたい。浸っていると初老の登山者夫婦に「おやまぁ、よう登ってきたね〜」と声を掛けられよい気分になる。
後ろを振り返ると何やら声が。「どりゃ〜」 「で〜い」「ここでダンシングじゃ〜!!」
なんだか賑やかな人が登って来るなぁ、と思っているとジミー選手が霧を引き裂いて猛スピードで駆け上がってくる。黄色い自転車に乗って情熱的に登って来るその姿は往年の山岳王・パンターニ(*11)を思わせる。一見不利かと思われた「つねさぶろう」の小さい車輪も、スピードを必要としない登りではその回転の軽さがメリットとなり高いパフォーマンスを発揮する。さすが歴戦の勇者。お互い健闘を称えあっていると、次々と選手が上がってくる。
大きな体躯をものともせずパワフルに登ってくるのはマチュヒロ選手だ。愛車は赤いANCHOR。自転車歴の長さ<全国自転車で周り数々の峠を制し果ては富士山頂まで自転車を担ぎ上げた>を感じさせる安定したペダリングスキル。ダンシングで豪快に登ってきたのだろうと思って聞くと、殆どシッティングで登ってきたとのこと。消耗するダンシングを封印しマイペースを保つのはヒルクライムの基本。さすがだ。
続いてクマノ選手が。ヤキニクランの時とはまさしく別人だ。力強さに滑らかさが加わったライディングフォームは、このところの練習によってもたらされたのであろう。近いうちロードの購入を検討しているというクマノ選手、「丸の内のランスアームストロング」と言われる日も近い。
次に登ってきたのは…何とメリ選手!ジミー選手とこの激坂はさすがにメリ選手には厳しかったかなどと話していたのだが堂々の山頂ゴールである。やはり登りに向いている。相当なポテンシャルを秘めていると見た。ギザギザ坂まではクマノ選手より前を走っていたと聞き益々驚く。脅威の山岳羊(これからメリではなく、ゴートと呼ぼう!)だ。
最後はエバだが、まだ見えない。仕事が忙しく4月のヤキニクラン以来殆ど乗れていないエバにいきなりこのヒルクライムはきつかったか。少し下って様子を見に行くと、映画ロッキーのエンディングテーマに乗って(*12)力走するエバの姿が!ラグビーで鍛えたエバのパワフルなボディは本来平地のスプリント向け。向かい風に立ち向かって走るのは得意でもヒルクライムは苦手なはず。しかもぶっつけ本番でこの鋸山だ。本来途中で引き返してもおかしくない中で山頂までたどり着くのは並みの精神力ではできない。大したものだ。練習次第でいくらでも速くなるだろう。
結果、5人&1匹、全員が山頂ゴールとなった。誰も脱落しなかったのは正直驚きだ。NSAの会としての強さの表れでもあろう。その後全員無事下りもこなし壮行会が始まる。
(*10)立ちこぎのこと。座りこぎはシッティング。
(*11)黄色いビアンキを駆り97年のジロデイタリア・ツールドフランスを制した名選手。スキンヘッド。
(*12)マチョハラの脳内BGM。
12:30 壮行の宴 充実のヒルクライムの後に待っていたのは、ジミー選手のセッティングによる神戸園での泡&ヤマメ定食の宴だ。登った後の泡は格別にウマい。戦いを一時忘れてみんな酒と料理に酔いしれる。それにしてもジミー選手のセッティングには毎度驚かされる
<皆を喜ばせたいという情熱のみ、なお鋸山は昨年マチュヒロから教えてもらったコースなのだが、たまたま練習のあと麓の木造家屋で山度高い涼しそうな茶屋を選びそこで定食食べたのがきっかけ。
その後家族を連れていきその小屋の穏やかな主人は岩魚よりもヤマメの方が美味いのでヤマメにした、とぼくと全く同意見だったこともあり、さらにぼくが好きな活きたヤマメを単純に輪切りにしてポン酢醤油で食べる背ごし(多分九州独自の食べ方と思うけど・・さらに清流で捕った鮎もこういう食べ方をする)にもしてくれる(この食べ方は主人も知らなかった)ので大好きな店のひとつ、皆さんも親切で家庭的な雰囲気は気に入ってもらえたと思います>
広い畳の部屋の真ん中での宴会はまるで広い山小屋にいるかのようだ。料理はヤマメを中心としたヘルシーなメニュー。質量ともに十分だ。「魚もうまいッスね〜」とエバ。ホントにうまそうだ。エバがなんだかこのマチョハラをうまそうな目で見つめている。しまった…ウシのジャージはまずかったか。トラにしとけばよかった。
食べ終わると日本酒が運ばれいよいよ宴会モードに。クマノ選手の目がすわってきた。横になるマチュヒロ選手はジャンレノというより梅宮の辰っあんといった風情。ヤヤ選手・さゆりさんのさりげない気遣いがうれしい。さゆりさんはここでも穏やかで、怖い人ではなかった。疑ってごめんなさい。
メリ選手は買いたてのデジカメで記録に余念がない。独特のセンスを発揮し、ジミー選手・マチュヒロ選手・エバのお腹を並べて撮り「妖夫3人」と名づけ写真展に応募するそうだ。
たっき−選手はすっかりなじんでいるようだ。盛んに「小汚い…」と言われているがここNSAでは最高のほめ言葉あることは言うまでもない。
14:00 最終ステージ 最終の第3ステージは第1ステージを逆に下る約13キロ。基本的には下り基調。それにジミー選手のコースアレンジが若干加わるという。ゴールの武蔵五日市駅は間近だ。
車のマチュヒロ選手を除いた8人でスタート。ダウンヒルはヘビー級のマチョハラ得意のコース。優勝はもらった!と意気込んでいると「パン!」「プシュ〜〜〜…」な!?パ、パンクだ!慌てているマチョハラに気がついたエバが引き返してくれた。この気遣い、さすがリーダーに指名されるだけある。
心配してくれるエバに大丈夫である旨伝え先に行ってもらう。ガックリして神戸園に戻りパンク修理に取り掛かろうとするマチョハラの肩に手が。振り返るとマチュヒロ選手が。「もういい…もういいんだよ、マチョハラ…」と目が優しく言っているかのようだ。その包容力に思わず「監督〜」と叫びマチュヒロ監督の胸に飛び込むマチョハラ。妄想終わり。<おまえスポーツ漫画の見すぎと違うか>
結局パンク修理は武蔵五日市駅ですることにしてマチュヒロ選手の車で下山することに。マチョハラここで痛恨のリタイア。車の中でジミー選手とマチュヒロ選手の出会いのエピソードなどをうかがう。人間どこでどんな知己が得られるかわからないものだなぁ、と感心しきりなマチョハラ。
するとジミー選手を先頭にレースを続行する7人の姿が。「もっと頑張らんか〜い」「行け行け〜」コーチ気分で激を飛ばす無責任な2人。ジミー選手も苦笑いだ。武蔵五日市でパンク修理が終わるころ7人が一丸となって感動のゴール!健闘した9人、優勝もビリもない。完走したみんなが勝者だ。
15:00 再開の誓い 駅で各自自転車を輪行バッグに詰める。ジミー選手の自転車が一番コンパクトにまとまる。ハンドルは輪行バッグではなくリュックに入れている。ドロップハンドルがまるでウシの角のようにリュックから飛び出ている。詰め終わった後、駅のホームでまた泡で乾杯。
武蔵五日市発のホリデー快速に乗り決戦の地を後にする一同。それぞれの駅で再開を誓い降りていく。そしてジミー選手も右手を軽く振り愛車を誇らしげに担いで電車から去っていく。一同そんなジミー選手を頼もしく見送り電車が出発する。棚の上に角の生えたリュックを乗せたまま・・・
(後日談)
ジミー選手の置き土産、角リュックはヤヤ選手が持って帰ってくれた。後で気が利かず恥じるマチョハラ
らをかばってくれたヤヤ選手。ホントに優しい女性である旨ジミー選手・クマノ選手と共に感心することしきり
でした。
<ぼくは、なぜおまえ達が持って帰らなかった、本店勤務だし野郎だろうが! とそもそもリュックを電車に忘れてしまったのが一番悪いくせにマッチョとクマを叱りつけたのだった…ぼくが一番反省>