第17回 全日本マウンテンサイクリング in 乗鞍 参加記録

(日程)
2002年 8月25日(日)

(テーマ)
乗鞍高原鈴蘭から乗鞍山頂直下畳平(2800m)まで22km、標高差1400m、全て登りのヒルクライムレースに参加。松広は過去3回出場、その他は初参加で大いなるチャレンジをする。

(参加者)
松広、稲葉、平野、畠田(記) クラスは以下のとおり、平野はマウンテンバイクの部、他はロードバイク他の部で参加。

チャンピオン:16歳以上無制限 205名(タイム1:20以内で完走出来るのが目安)
男子A:16〜25歳 171名 女子A:16〜35歳 119名
B:26〜30歳 406名 稲葉ここ B:36歳以上 74名
C:31〜35歳 654名 MTB男子 :953名 平野ここ
D:36〜40歳 650名 松広ここ MTB女子 :143名
E:41〜50歳 675名 畠田ここ * MTBは16歳以上で年齢区分なし
F:51〜60歳 333名
G:61歳以上 40名  

参加選手総勢:4423名(男子4087名、女子336名)

(行程記録)
集8月24日(土)7:00AM オデッセーで畠田宅を出発。夏休み最後の週末で相模湖辺りまで渋滞。レース参加の登録は13時〜17時までなので心配はない。

休憩所ではシボレーのバンにロード8台積んだやつ等、かっこよくいかにもレースを感じさせ気分が高まる!もともと巡航速度が遅いぼくの運転中も次ぎ次ぎに自転車を積んだ仲間が抜き去っていく、きっと明日もこうやって抜かれるのだろうと思った。

高速を松本で下りていつもの158号線で上高地方面を目指すがワカマツを忘れたので薬屋を探しながら運転、コンビニで薬屋を聞いて向かう(多糞症のぼくはレース途中で催すと大変困るのでこういう早朝競技物の場合はこれは必需品)。薬屋あるも愛用のワカマツはなく止む無く正露丸を調達。

カズのあほ(二子玉のバーの兄ちゃん)が新島々出身で実家が整骨院なので探しながら走るが見当たらず(こいつ小学校の時に一度だけ上高地に行ったことがあるらしいが、灯台下暗しとはまさにこのこと、趣味の問題ね)。

そしてちょうど島々、徳本峠入口にある酒屋(クロカンの帰り朝から利き酒した店)の前をちょうど通過する時にマサから励ましの入電。あんたが自宅直前で落して割ったみやげの酒買ったあの店の前をちょうど通過しているところだ、と言って盛り上がる。

ちょうど昼になったがここまで来ればもう安心。登録時間には十分間に合う、ということでいつもの蕎麦屋(えびす屋)で蕎麦食って、いつもの古びた宿(白骨温泉大石館)で風呂入って会場に行こうということで蕎麦屋に向かう。

ぼくと松広が以前見つけたこの蕎麦屋もどーやらガイドブックかなんかで紹介されたのか順番待ちだった(絶対知る人でないと来れない場所にあるので多分ガイドブックかなんかで紹介されたのだろう)。こうなると趣がなく商業主義に走る懸念(店を奇麗にしたり大きくしたり)があるのが心配だ、自分達だけの店にしておきたいのだけどねえ・・。ということで、泡飲みながら蕎麦食って風呂入って会場の乗鞍高原に向かう。

到着するや凄い人、まるでヒッチコックの鳥(古い映画)のように、辺りには自転車が溢れ、完全に自転車の街(村)と化している。 会場で自転車に時間を計測するセンサーを取りつけ、ゼッケンと大会パンフ、参加賞のTシャツを受け取る。

周囲には自転車部品、ウエアー等のブースが出たり、報道関係者もたくさんいて大会気分を多いに盛り上げている。このあと2ヶ月以上前に予約しておいた(それでもなかなか予約がとれずしるふれいのオーナーに頼んでやっと予約に漕ぎ付けた)ペンション マドンナ に向かった。本日の客はみな自転車仲間だった。

4人部屋に入り一息ついたところで、少し走ろう、ということになり、一ノ瀬園地まで行ったが、会場方面へはずーと登りでいい練習にもなった。ここは尾瀬のような湿原になっており木道も整備され気持ちのよい所。参加者と多数すれ違いみな足慣らしをやっている。

帰ってみると行かなかった賢はぐっすりベッドの上でまんが片手に寝ていた。そして離れにある桧風呂に下駄つっかけてみんなで向かった。浴後、庭でぼくらは泡飲んで涼んでいたが、賢は自分だけぐーたら寝ていて不安になったのか、風呂から上がっておもむろにチャリ跨いで走りに向かった。アホな奴!

庭では他のグループがトレイナー(後輪に圧力かけて漕ぐ練習をする機械)を始めた、かなり気合を入れているグループだ。風呂上がり庭での日暮れを楽しんだあと夕食となった。食事内容はとてもよく、魚、ステーキとどれもおいしく腹も太った。(このペンションは会場から少し遠いがデッキや芝もあり敷地が広く、幹線沿いでもなくとても静かなところ、周囲がそば畑でとても落ち着く。食堂も広く天井が高くてチロル風でなかなかいい)

食後、部屋に戻り、外ではメッチェンのいるグループが楽しそうに花火をやっており、ぼくらは窓から寂しそうに見ていた。そしてぼくと松広は備え付けのPCでこそっとHなHP(無料サイトでいいのがある)を見ようと下に降りて行き、ついでに一杯飲もうと洋酒を頼んだら、「明日は5時から朝食ですので、もう駄目です」、と姉ちゃんに断られてしまったが、ごもっとも。

5時起床、外は文句なしの晴天だ。5時30分朝食を済ましスタートまで2時間切ったところで何となくみな落ち着かない様子。イネは緊張のあまり険しい顔がますます険しく、賢は鼻水が止まらなくなり、ぼくは完全脱糞を目指し脱肛気味、でんと構えているのは熊のプーさんみたいな松広だけ。 そしてみな会場へ漕いで上がっている横をぼくらはクルマで送ってもらった…既に気構えがなってない。(いや、体力温存なのだ)

6時40分 会場に到着。 開会宣言そして中継等があり、これだけ集まっていてもさすが自転車乗りは馬鹿騒ぎなんてしない、大人の男達の集団を感じさせこの雰囲気は実にいい。ぼくらは互いの健闘を祈り、力こぶをぶつけ合い、ゴールで会おう! とレースに挑む男達はそれぞれのクラスに散っていった。 わっ、かっこええっ !

チャンピオンクラスからのスタート、そして女子、年齢の高いクラスということで、4人の中ではぼくが最初のスタート(7:40)だった。沿道には家族や応援者が並んでいたが、すぐに登板に入ると同時に参加者は孤独な戦いに巻き込まれていった。

しかし参加者自身が競技者であり応援者であり、ぼくに 「 アルプス、頑張っていこう」 と声をかけながら抜かしていくロードの若者がいたり、ぼくも同種のランドナーに乗った年配の人に「ランドナー、頑張っていきましょう、 ギヤ比を使っていこう」 と声をかけたり、ある若者は、同じランドナーのぼくに、ちわー、と苦しみに満ちた笑顔で挨拶し、ぼくは片手をあげて答える。

途中2回給水ポイントがあり漕ぎながらカップを受けとり漕ぎながら飲む、そしてこのポイントのあとには必ずきつい勾配が待っている。さらに、時折、カーブでなおかつ勾配がきついところは路面凍結時にクルマのスリップ止めとなるように、簡易舗装で路面にぎざぎざを入れており、これがまたしびれる。

ここで着地歩行する人が結構いたが、ぼくはすべて漕ぎ続けた。前を見れば果てしなく続く勾配に気持ちが萎えるが、勾配の具合も先手先手で読み的確なギヤシフトでいく。カーブもなるべく大回りにとり勾配の緩いところを探しながら走る、速度は歩くのに毛が生えた程度のものだが、ギヤ比を常に意識し効率よく無駄なくとにかく上がってくるペダルをひたすら踏み込む。

こう登板が長いとダンシング(立ち漕ぎ)はできない。そしてある一定地点を規定の時間で通過しないと失格となる。それでも、ぼくはまだ余裕があったのかも知れない、途中穂高と槍がきれいに見えるところが何度かあり、みなによく見えたねえ、と言ったら誰も気づいていなかったから・・ それほど苦しくきついのだ。

クラス別時間差でスタートするが、途中からまさに老若男女混在となる。一人でもくもくということはなく、絶えず傍らに仲間がいる。中間地点10km越えた辺りから勾配はなおきつくなってくる。一つおかしかったのは、50過ぎの人でぼくを抜きにかかり、後ろから「右抜きまーす」 とコールし、横に付くや「やっぱり止めときます」・・ と。ぼくはおかしくて力抜け、横で彼が、「駄目だ、前の坂きつい」 と。 そう、戦略も必要なスポーツ。

突然後ろから大声でやってきたのは、ママチャリにセーラー服とルーズソックスにかつら被った兄ちゃん、こういう姿で毎年登場するらしいが、これが速い速い、名物らしく相当なつわものである(当然競技選手だろう)。

悶え苦しんでいるうちにラスト4kmとなった。そこからがこれまた長く感じる。いよいよだ、もう近いと思った時、突然降車をくらう。チャンピオンクラスを下山させるべくゴールゲートを絞った為、通過に列が出来てしまったのだ。ここまで足を着かずに上がってきたのにぃ、悔しい。ここからだらだらと押してのゴールとなった。

ゴールの畳平一体はチャリ仲間でごった返しの状況。仲間を迎える者、探す者、万歳する者、泣いている女子部員もいた。 ぼくは同時にゴールした57歳のサイクリストと話しながら歩いたが、彼は千葉から直江津まで360kmのワンデイランにも参加するそうで、早朝2時に出て22時頃到着するそうだ。サイクリングはほんとに生涯スポーツだ。

後発の仲間を探していたらまずイネに会った、ほどなく賢、松広と会った。みなで健闘を称え、乗鞍をバックに記念撮影をし(これを頼んだ姉ちゃんは観月ありさに似ていた)しばしの休息をとった。

保守的な大学サイクリング部であろうランドナーの5人くらいが何やら取材を受けていた。ランドナーの誇りである泥よけ、フロントバッグ、キャリーなどそのまま付けていた、その中に既述の苦しくも笑顔でぼくに挨拶していった青年がいた(ぼくもタイム狙いの軽量化を意識せずランドナーの誇りであるフロントバッグ更にサドルバッグそして泥よけも敢えて付けて走り、自分のことより、自転車に誇りを持たせて参加した)。

また、驚くべきは、タンデム(二人で漕ぐ自転車)で上がってきた娘と親父もいた。今村製作所ケルビムの素敵なタンデムで、自転車好き恋人同士の憧れだ。登板で松広は会ったらしく、しきりに親父は「おまえもう漕がなくていいからペダルにだけ足のせておけっ」と叫んでいたそうだ。涙でるよねーまったく。

と登頂余韻を楽しんで人がだいぶ空いてきた頃下山にかかった。さあ、あとは冷たい泡とお風呂が待っている。今度は下り22kmだが事故のないように気をつけねばならない。下り待機しているとラスト選手が上がってきた。そして夫婦で参加の人も上がってきていた。頑張ってと声かけられ、旦那が、「いやぁ、嫁さんに付合うのも大変ですよ」 とうまいジョーク(good excuse)を飛ばし待機選手達を笑わせていた。

さあ、下りにかかった。下りではフラットハンドルのMTBが俄然楽でブレーキングも簡単、賢はひょいひょい飛ばして降りた。ぼくらドロップは登りは楽なのだが下りが結構疲れる。22kmのダウンヒルは豪快であるも、首と手先が疲れた。途中眺望のよい所があり登りで苦しんで見れなかった景色を止まって楽しんだ。

スタート地点にちょうど昼ころ戻ってきてそのままペンションまで下っていった。同宿のチャリ仲間も戻っており、泡を飲み(なぜかぼくだけ泡で他はアイスクリーム)風呂に飛び込み疲れた筋肉をほぐした。

松広は風呂で話し相手を見つけレース談義に花を咲かせていたが、なかなか風呂から出て来ないぼくと松広に空腹のイネはいらいらしていたろう。

ぼくらの思いに十分答えてくれた大事なチャリをクルマに積載し、途中蕎麦屋(また蕎麦)に寄って帰路についた。そして車内では、「大体、マウンテン乗るやつはマナーが悪い、みてみいダウンヒルでも馬鹿みたいにぶっとばして下りる奴はみんなマウンテンだ!、第一腕をおっぴろげて乗ってる姿が美しくない」などとぼくとイネがからかうと、松広も「確かにマウンテン乗っとるやつは、あんちゃんのごたーとが多か」 と、渋滞のなか頑張って運転してくれている賢にいたわりどころか罵声を浴びせながら帰るのであった。

それぞれ重さもギヤ比もタイヤの太さも異なる自分の愛車で臨んだレースだが、本当に素晴らしかった。スタートでにぎり拳をぶつけ合い、頂上で会おう、とそれぞれが自分のクラスに散っていき、そして約束どおりに頂上でみなが顔を合わせられたことが何よりもうれしかった。

好天に恵まれ、充実感いっぱいのヒルクライムであった。もちろん来年も出る。もっともっと早くから参加しておけばよかった、と思った。

クラス 氏名 タイム クラス順位 総合順位
クラスB 稲葉 1:58:09 302/365 2647/3850(4323)
クラスD 松広 2:18:12 526/585 3282/3850(4323)
クラスE 畠田 2:08:47 528/605 3051/3850(4323)
MTB男子 平野 2:05:58 514/857 2955/3850(4323)

総合順位は完走者内での順位でリタイア、規定時間内未通過者は含まず。ゴール手前で詰まって順番待ちとなった時間帯がったことについては審議の結果、他にタイム計測手段がなく調整は行っていないが、事実としてあったことはパブリックコメントで残す由。

見事にどんぐりの背比べ! だから楽しく面白かった。クラス順位は、もう少しいいのかと思ってはいたが、とにかく自転車バカ、しかも坂愛好者の集まりなのだから仕方ない。 イネは、鋸山練習の雪辱を見事に晴らし、かつチェーン脱落させたがリカバリーもうまく、まことに好タイム。

松広は不利なギヤ比と重い体重でよく頑張り、 また前3枚に仕様変更した効果もあって前回より10分以上更新。 賢もゴール前押し歩きがなければ2時間切っていたであろうしクラス順位でいへば一番いい。
なお、結果公表のHPは、http://www.mspo.jp 他 乗鞍ヒルクライム等の検索で閲覧可能。

おしまい