燕岳(つばくろたけ)北アルプス表銀座起点
(日程)
2002年6月14日(金)業後 〜 16日(日)
(テーマ)
日本3大バカ登りのひとつ合戦尾根に挑戦、表銀座の起点にたち、下山時は秘湯中房温泉に浸る。
(参加者)
M:大嶋、松広、松田、稲葉、平野、森永、江畑、畠田(記)
F:金指、谷野、大泉 計 11名
(行程記録)
青山19:30組 Qさん、まっちゃん、キン姉、ヤヤ、マサ、ぼく
中野21:00組 上記以外
20:00 青山組は夕食とって出発した。まっちゃん車は広くて快適だ、ぼくは久方ぶりに運転から解放されたので最後列でウイスキーを舐め舐めくつろいだ(まっちゃんから禁煙禁酒といわれたので、ぼくは飲酒にすることにした)。
韓国戦を車中テレビで見ていたが、相変わらず韓国は国粋主義が強くて相手が玉もつとブーイングを発したり、失敗するや拍手したり同じ亜細亜人として恥ずかしいなあと思っていたころ山の中に入り画面が消えた。ゆっくり音楽聴きながら、心地よく走っていった。
23:00 豊科ルートインに早い到着。
チェックイン(街なのでチェックインと言うてもよい)の際、カウンターの新聞に大きく「日本勝利」とでていたのでニッポンカツトシ!と言ったら、受付のお姉さんにとっても受け、顔を押えて笑っていた(ぼくはそれほど面白いとも思わなかったが、田舎の人は純でかわいいなあ)
Qさんと早速風呂に入り、泡を飲んでイネ組の到着を待つ。なかなか来ないので外で様子を見ていたら、既に到着しておりどこですれ違ったのだろう。メッチェンも降りてきて軽くロビーで泡を飲み、1:30就寝。
6:00起床、常念岳、蝶が岳、有明山が姿を見せ、天候安定に喜ぶ。各人朝食をロビーでとり、無料コーヒーを飲みながら(メッチェンはサラダもただでもらったらしい)、多少ゆっくりし出発準備にかかる → もちろんまっちゃんは朝風呂。
7:15 出発、安曇野の里を中房温泉目指して走る、途中サルが出没し辺境地に分け入っていく実感。ワインディングロードが続きマサのマシンガントークも消え、ヤヤも多少気分が悪くなっている様子。しっかり者のキン姉はしっかり。
8:00 中房温泉駐車場に到着、ストレッチを終え、脱糞を行い、パッキングをチェックし準備完了。
8:30 さあ、合戦尾根登行開始。アプローチゼロ、最初から登り。樹林帯の中、ひたすら登るが、ちょうど休憩したくなるような地点にベンチが整備されており、さすが表銀座の名前に相応しい。また、トレイルは花崗岩の露出が多く、滑りにくくフリクションが効いてステップが取りやすい。
9:20最初の休憩は、第一ベンチ、ここには伏流水の手を浸すことが出来ないほど冷たくてうまい水がある。ここで、金太郎踊りを披露したら、今度はヤヤにとってもうけたが、休憩が休憩にならず疲れてしまった。
休憩後なのに息をきらして登行再開、雲の切れ間に青空が見え、常念・大天井方面の残雪の山稜が顔をだし歓声。
11:30 合戦小屋に到着。あと1時間ほどで燕山荘だが、まだまだ登りは続くのでシャリバテ(空腹でばてること、サイクリングでハンガーノックといい、山用語よりもかっこいい)にならぬよう少し腹に入れよう、ということになったが、泡を飲んだりしているうちに食に妥協を許さない松広はコッフエルを広げまともに食べ出す。とかげを決めたり、お肌のお手入れをしたり思い思いに過ごす。
12:15 合戦小屋出発。ぼちぼち森林限界となり同時に雪渓も大きくなる。夏に雪に上を歩くのはひんやりして気持ちいいもんだ。馬鹿話している内に隊が2つに分かれて、雪の斜面をゆっくり上がっている前の隊を遠く後ろから見るとヒマラヤチックで何ともカッコいい。もちろんぼくは後ろで、まっちゃん、松広、秀平、キン姉、マサとのんびり上がる。
雪渓の急斜面のトラバースを注意して歩き、終えた所で緊張が解けたのか、キン姉が、「あぁー、なまあくびがでるわぁ」 と言ったのを、まっちゃんが聞き間違えて 「 えっ、なまくび でた!!」 などとすっとんきょうなこと言うもんだから、力が入らない…。
先隊が雪だるま作っていたり、ジミー大好き!などと雪面に落書きしていたり(大好きはなかったかも知れん…)、楽しく夏の雪上歩行を楽しみながら登行を続けた。稜線まであと少しの所で、槍ヶ岳が姿を見せた。みな(後隊)感激することしきり。小屋前で先隊に槍見えたぞ!と自慢したが、彼らも見たというので悔しいので、ぼくらの方が綺麗だった、と言い張った!(槍ヶ岳はひとつしかないので同じだと思うのだが…)。
13:30 燕山荘に到着。稜線上の360度遮るものがない大パノラマを持つ小屋だ。安曇野方面は雲の中だが、表・裏両銀座方面は素晴らしい眺め。やはり北アルプスはスケールが違う。さっそく、ウケツケ(決してチェックインと言ってはならない)を済ませ、小屋前で泡(ジョッキで生ビールでっせ!)を握りしめ大きな大きな乾杯をする。山はいい、山は素晴らしい、いい仲間とこんなに楽しくていいのだろうか、と思う瞬間なのだ。
ほろ酔いかげんになったところで小屋に入り蚕ベッドに上がり寝床の準備をする。今日の時間はたっぷりあるので、:軽く昼寝したあと、燕岳山頂まで散歩にいこう(ピークハントというよりも散歩の方が相応しい)ということになった。
結局、まっちゃんと松広は昼寝から覚めず置いてけぼりをくらい、他メンバーで出発した。往復50分程度でまさに稜線散歩。花崗岩の山らしく侵食され奇形になった花崗岩が林立しており、イルカ岩やメガネ岩などと名前がついている。ピークはとても狭く秀平が持ってきた広角レンズでないと全員写ることができないほど。
小屋に戻り、夕食まで思い思いに寛ぐ。小屋はログハウスでチロルの山小屋風。落ち着いた音楽が流れてストーブも炊いていてゆっくりできる。(オウナーがいる時は、アルペンホルンを吹いてくれるらしい)
17:30 夕食、ヨー子さんからお返しにいただいたワインを雪渓で冷やしていたので、それで乾杯。ぼくが、グラスもらってくるわ、と言ったら誰からともなく、洗うの大変だから湯飲みでいいよ、と。山で水は貴重品、そしてここは山小屋である、ということを本当によくわかったいい言葉に感じた。
決してこのワインは湯飲みで飲んでも、ヨー子さんには失礼にならないと思った。食事はハイレベルで鶏肉のから揚げ南蛮、おいしかった。
食後は、みなで喫茶室でトランプしたり、手紙書いたり、ウイスキー飲んだり、そしてホームページ作成の話しをしたりとゆっくり過ごした。
21:00 消灯。蚕ベッドに余裕があったので、松広とぼくは別の場所に移動し(二人で寝たわけではない)ゆったり寝た。
4:30 起床、みなご来光を拝みに行くが、冷え込みがきつくなかったのでご来光は無理と判断しぼくはまだ布団の中。
辺りが静まり返った頃、ぼちぼち起きてぼくも外に出てみるや、素晴らしい雲海。雲の上からちょうど陽が上がっていた。
裏銀座の稜線が淡いモルゲンロートになり残雪に映えて美しい。気温は5度。そして昨日昼寝から目覚めることがなくピークを踏んでいない松広と松田のダブルまっちゃんは、今から行くことになった。エバっチャンは、初の北アルプスの稜線に立ちこの雄大な風景を我が物にした感動で、ぼくやイネが河童橋から仰いだ穂高を見て「山をやるんだ」と心に刻んだように、山ヤとしての一歩を確実に歩み出すことになったのである。 おしまい・・・いや、まだ。
ということで、一頻り雄大な景色を楽しんだ後、メッチェン他は寒いのでまた小屋の布団に潜り、イネ、秀平、エバとぼくは、雲が動き出しているので槍の完全な姿を見ようともう少し景色を楽しみ、イネは裏銀座従走路、蛙岩(げーろ岩)方面に歩む。ちょうど小屋の反対の景色を楽しんでいた頃、見事な槍の姿が顔をだした! うーん、勇姿だ。
表・裏両銀座コースのフィナーレである東鎌尾根・西鎌尾根そして単独行者加藤文太郎が帰らぬ人となった北鎌尾根の険峻たる峰巒がこの槍ヶ岳に収束し終結する。さらに南の穂高連峰へ続く尾根には、“もう一度仕切り直せ”といわんばかりに大キレット(山の豆知識参照)が縦走者を馬鹿にする。
大満足の槍を拝んだ後、エバと珈琲を飲んでいるとイネが戻ってきた。「げーろ岩まで行ったんか」 と尋ねると、「いやいや、銀座1丁目、八重洲をでた辺りまでですよ」 ・・と。 うまい、このセンスが大事なんだ!
6:00 朝食。ダブルまっちゃんも少し遅れて戻ってき、山頂で珈琲を飲んでゆっくりしたとのこと(浪花のまっちゃんは、山頂で珈琲飲むのを無上の喜びとし、博多のまっちゃんはご相伴に預かる)。
ピーク踏みに散歩にでた者、ご来光みて、槍をみて、銀座1丁目まででかけ、珈琲飲んで、まだ6時、そして十分腹を空かせて朝食、なんと健康的なことか!) さすがに身体を動かしており、ぼくも朝から3膳おかわり食べた。
7:30 パッキング完了にて集合。記念写真を撮影しいよいよ下山。次なる楽しみは中房温泉。帰路は往路と同じ道、まっちゃんは「かえすがえすも惜しい、裏銀座を縦走したい」と言っていた。本当にそう思うよ。ここが勤め人のつらいところ。
下山最初の一番大きな雪渓で、賢が、「こんな雪渓ありました? 」 と前で叫んでいるので、ぼくは聞こえない様に、「記憶力もだいぶ悪いみたいやなぁ」「 ヤヤと賢が結婚したら相当アホな子が出来るだろうねえ」とまっちゃんとキン姉と小馬鹿にしながら後ろから楽しく歩んだ。(昨日登行時にまっちゃんが、ヤヤと賢、どっちがアホと思います? などとぼくに奇妙な、しかし的を射ている質問するもんだから、ちょうど賢がそれを証明してくれたのでこういう会話になった)
雪渓を抜けたベンチの休憩地点で、「さっきなんかぼくのこと言いました」、という顔でぼくらが降りてくるのを賢が待っていた……。 耳は、悪くない様だ。
10:20 伏流水のある休憩地点に到着。ここのうまい水で珈琲を飲もうということになっていたので、大休止。
水割りを飲み、つまみを食べ、珈琲をすすり、至福の時を過ごす。
さてもう一息、残ったウイスキーも飲み干し(エバに車にまだウイスキーあるのでちょっと取ってきてくれ、と頼むも断られた)、下山再開。
時折、登山者が上がってくる、結構な集団が上がってきた時道を譲ってあげたが、マサは話しを止めず(自分の友達のことを必死でしゃべっていたと記憶)、ふーふー言いながら上がって傍を通る人おかまいなしに「ちわぁ、で田中さんという人がいてぇ、すっごく面白くてぇ、どーでこーで…・」 と話しに没頭していた。Qさんと、本当に楽しい娘だねえ、と目を細くした。普通こういう状況では、一旦話しを止めると思うのだが…。
そうそう、昨日登行時も面白かった。 マサに誰かが、「マサ、いつも楽しいねえ、不機嫌な時はどうなるの?」 と質問したら間髪入れず「機嫌が悪いっ」 とぴしゃっと返事。その瞬間、おかしくて腹がよじれ力が入らずみな足がなえた。
11:40 中房温泉に到着。風呂上りに蕎麦が食いたいねえ(白骨温泉の時のように)、という話になったが中房温泉は、カレーくらいしか昼は出していないとのこと。しかし秘湯中房温泉には入りたいということで、食事は大王わさび園に行って食べようということになり温泉に向かった。
古い学校のような温泉宿で、湯は一番奥まったところにある洗い場も湯船も木造という小さいが本当に古いという感じの浴場だった。錆付いた窓をこじ開け緑を見ながら湯に使った。結局、野郎は人数が多いので大きな新しい浴場を使ってよいといわれそっちに移動したが、ぼくは最初の古い方が好きだった。
ゆっくり湯を楽しみ食堂で泡を飲んで、一路穂高町にある大王わさび園に向かった。そこで、蕎麦を食べることにしたが、以前は岩魚の塩焼きも蕎麦も木々に囲まれた古い茶店で食べることができたが、食事類はレストランになっていた。
観光化というのは味気ないものだ。とはいうものの、まだ古い水車小屋が清流の横に残っている所がありそこで写真とって、大満足の燕山行を終え東京に向かった。
(トピックス)
(山の豆知識)
キレットとは、稜線が深く抉られているところを言い切戸と書く(広辞苑にあり)。山と山の間の緩くたわんだ所は鞍部とかコルと呼ぶ、また小さなキレットを、反対側が見えることから時に「窓」と呼ぶこともある。槍・穂の縦走路にあるキレットは事のほか大きく、ずどんと下りまた登る。遠くから見てもこの落差はよくわかり大キレットと呼ばれる。
(総括)
梅雨時期の山行であったが、まったく雨に会わず、また雄大な景色も十分に楽しめ、槍との対面を果たし誠に素晴らしい山行であった。そして梅雨時ということもあってか小屋も少なく実に快適な旅であった。 おかげで日本三大急登のひとつと言われる合戦尾根もなぜそう呼ばれるのかと思うほどであった。
そして何よりQさんが、まったく問題なく登行できたことは大変うれしいことだった。この合戦尾根を20数年前テント担いでいたとはいえ若さがあったはずだが、今回の山行の方がはるかに楽だった。それは間違いなく単独行と仲間と登ることの違いに思える。