黄葉盛りの大菩薩嶺縦走 (甲斐駒代替山行)
(日程)
2002年10月26日(土)〜 27日(日)
(テーマ)
当初計画の甲斐駒が広河原からの入山が崩落による道路封鎖の為出来ず、高遠からの入山しかなく時間的な余裕がないことから本件見送りとし、テント泊可能かつ黄葉が盛りの大菩薩嶺縦走に急遽変更した。
(参加者)
M:藤野、松広、松田、稲葉、森永、江畑、羽佐田、畠田(記)
F:金指、谷野、大泉、中村、徳山、山本 計 14名
(幕営班:松広、稲葉、畠田、谷野、大泉、徳山、山本 7名)
(行程記録)
まっちゃん号、イネ号、ジミー号(フジ号は単独)それぞれ都内各地で乗車メンバーと待ち合わせ10時ころ出発。
甲斐駒と違い地域専用バスへの乗り換えもなく安心してドライブを楽しみながら走る、目安は現地15時ころ。
ぼくのクルマには秀平とさゆりさんが乗っている。高速も混んでないが相模湖で下りて、甲州街道の山里をゆっくり走る旅にした。他車に連絡をとり「ぼくらは名所旧跡を訪ねる旅にした、猿橋(さるはし)を見に行く」と、まっちゃん号のマサと話すが、「さるまわし!! え、猿回し見に行くの?」とマサ。
何度も、さゆりさんが、「違う違う、さるはしっ、」 と、言っているのだがマサは聞く耳を持たず、「ほら、猿橋バス停を先頭に15kmの渋滞とか言っている、あの猿橋」 と説明するも、そもそも猿橋という名所があるのを知らなかったため、どう聞いても、さるまわし、にしか聞こえなかったようだ。
そういへば燕岳の時も、七福神の寿老人を「じゅろうじ」と聞き違え何度もマサは「お寺の名前じゃない!七福神の名前を聞いているのっ」 とお母さんに電話で言っていた。思い込みの激しい性格のようだ。
(*)猿橋は、大月市内外れの桂川にかかる日本3大奇橋(他は岩国の錦帯橋(きんたいきょう)と木曽の掛け橋)のひとつで、猿が蔦を使って対岸に渡っていたことからこの名がついた。古い木橋で構造に特徴があり安藤広重の浮世絵にも登場する。(広辞苑参照)
天候も予報と逆に青空がのぞき雨の心配はもうなくなった。
ということでぼくらはのんびり柿木のある田舎風景や旧街道の宿場町らしい家並みを見ながら、そしてテープもNHKの「小さな旅」を聞きながら、心安らかにわび・さびの世界に浸って(マサっ、わさびじゃないぞ)落ち着きのある旅にした。猿橋で昼食をとり、馬肉の龍田揚げのついた蕎麦を食した。まっちゃん車に連絡したところ昇仙峡に向かうということ。イネ車は、勝沼のワイナリーを訪問。
14:40窓からもぎ取れるような勝沼のぶどう畑のど真ん中を抜け宿泊のひがし荘に到着。宿裏手の広場にテントを設営。
泡を飲んで一休みしているとイネ号、まっちゃん号、そしてフジ号到着(藤さんは近くの温泉で一風呂浴びてきたらしい)。
さっそく泡で乾杯。夕暮れまで外で寛ぐが、宿泊組みはテント組のしゃぶしゃぶが始まるまで帰ろうとしないので早く宿に帰れ、と追い返しぼくらはしゃぶしゃぶにかかった。肉も十分用意していたので腹いっぱい食べたところで
宿組も食事終えまた戻ってきた。そして宴が続き、23時頃就寝となった。マサとヤヤは、宿に風呂入りに行った。
5:30 起床、好天にも拘わらず然程冷えてなく気温5度。お陰でテント班もぐっすり眠れた。
7:20 出発。テント班は杯盤狼籍状態で寝たので片付けに若干時間かかった。丸川分岐に2台車を置きまっちゃん号とジミー号に全員分乗して上日川峠まで行く。そこから縦走して丸川分岐に戻りデポの車でそれを取りにいくプラン。こういう時、車が複数あると便利
8:00 洒落た上日川峠のロッジ長兵衛荘を出発。この辺りは標高1600mで紅葉はピーク。山全体が黄色に包まれた感じ。
コースも登山というよりハイキングコースのようで里山を歩いている風情。
8:20 福ちゃん荘到着。少しばかり休憩しさらに富士見小屋、そして大菩薩峠を目指す。江畑が「はーい行きまーすよ」
となぜか仕切っている。確か昨日、「イネがテントだから宿では、えばっちゃんリーダーで頼むよ」といったが、全体
仕切ってくれ、と頼んだ覚えはないのだが…・。15秒ほど歩いて二股になり、どっちですか、と尋ねる始末。
(稲:下で僕から「トップをやってくれ」と言ってありましたので・・・。やはりリーダーは最後尾で落伍者がいないかどうかウォッチしていく仕事がありますから。大人数でいるときに元気良く仕切ってくれるトップはGOOD!まあ、ルートファインディングは慣れが必要ですね。ガンバってくれ、エバちゃん。)
さらに、マサの早とちり病がぼくにも移り、ヤヤが「あー自然はいいなあ」と言ったのをぼくは「ん、自転車がいい?」と聞き返す。しかしこれはぼくが悪いのではなく、ふにゃらふにゃらとしっかりしゃべらないヤヤが悪い。
散歩道気分で黄葉の中を歩く。
ほどなく富士見山荘に到着。一同歓声をあげる。富士山が見事に美しい。ぼくも今まで見た富士山のなかでこれが一番美しいと思った。山の大きさといい冠雪の具合、雪面端のぼけ具合といい、誠に美しい。とにかく今回は誰も一眼レフをもってきていなかったのがとても悔しい。デジカメで露出を絞ってやっていたがきれいに撮れているだろうか。
松広が富士山を見ている時、「富士も美しいけど、君の方がもっと美しい、と言わんといかん」とかまし、「おまえ、なん、艶(つや)ば、つけとーとやー」と博多弁でからかってやった。
小さいがアメリカ東部の田舎小屋のような富士見山荘は宿泊もできる。天体観測の好適地らしい。
美しい富士をあとにしながら黄葉の森を歩むと今度は、傍に小さな渓流をもつ勝縁荘と書いた古いがしっかりした山小屋、というより日本的佇まいの寄棟造りの家屋があった(無人でかつては小屋営業していたのか)。
何ともいろいろと楽しませてくれる山歩きなんだろう。まっちゃんは、黄葉、富士山、抜けるような青空の中の山歩きで、「もう勘弁してくれ」、と感動を漏らしていた。 ここから、漸く登りとなる。
9:30 稜線上にあるりっぱな介山荘に出、大菩薩峠に到着。南アルプスが悪沢岳、聖岳、北岳そして甲斐駒まですべての山稜がきれいに見える。
いやー、すごいすごい。更に甲府盆地も銀盤のように輝いて見える。記念撮影をしてここから稜線漫歩(縦走というよりこの言葉の方がよい)を楽しむ。富士は相変わらず美しく、ぼくらの後をついてきており振り向けばいつも富士山。
10:30 大菩薩嶺手前の唐松尾根分岐の雷岩付近で大休止。(キン姉がこれから先は樹林帯となり景色ないよー、といって少しいったところで引き返した)
ここで、珈琲タイムないしはアルコール摂取。松広がトリスのポケット瓶で浮浪者っぽく、江畑が真新しいフラスクに入れた先日の蒸留所でできた白州を、藤さんがチタンの宇宙度の高いフラスクに入れたバランタイン17年物、そしてイネは何を思ったかビーフィーターのジン。
ぼくは二日酔いで今朝頭痛く気分悪かったので置いてきたが、いつものように歩き出すと調子がでていつものように皆のをいただいた。思い思いに湯を沸かしトカゲを決めたり(誰かぼくが寝ている時、スティックのポテトを鼻に突っ込もうとしたやろ!稲:それは僕です。) 「初恵さん、入会してよかったですか、こんなにバカがいっぱいいると思わなかったでしょ」 とからかったり…。
11:00 大菩薩嶺に向けて出発。稜線の樹林帯を歩く。
11:15 大菩薩嶺(2057m)到着、景色はないがピークなので一応記念撮影してさっさと通過。
12:00 きっかりに丸川峠に到着。一帯がススキ原で紅葉と相俟って穂が光りとてもきれい。かわいい丸川荘の裏手の小さな草原で昼食となる。松広と初恵さんは自分の泡を持ってきており、ぼくとエバは丸川荘で購入。
ぼくが、頭が良くなるう♪ と歌いながら魚肉ソーセージを食べていると、まっちゃんが、「でも、ヤヤは、それ好きですよ」 と・・、
うまい!まっちゃん、笑っていると、案の定、ヤヤも持ってきており、からかわれようが、アホといわれようがニコニコしながら幸せそうにソーセージを食べるのであった。
イネは、なんか妙なものを食っていた、ベトナムの何とかいうものらしいが、(稲:「フォー」というお米の麺です。)マロニみたいなのがスープに入っており腹にたまりそうにないものだが、味見したら臭かった。(でも塩味利いてまあまあ)
13:30 ゆっくりのんびり昼食とって下山にかかる。クルマをデポした丸川分岐まで下るので下山路は登山路よりも倍くらい長い。相変わらず黄葉は美しく、時折上を見ると青空に透き通るように黄色が輝く。キン姉がステンドグラスのようだと美しい表現を使っていた。
14:30 2台のクルマをデポした丸川分岐に到着。そして下ってくる数々のクルマの運転の仕方にイネは大変ご立腹で、ぶつぶつ言いながらぼくとまっちゃんを乗せて上日川峠にクルマを取りにあがった。
15:00 丸川分岐に戻ってきて、それぞれのクルマで一路東京に向かい、今回の山行は終了。
(トピックス)
(山の豆知識)
オフシーズンキャンプについて
シュラフのこと
テントのこと