畦ガ丸〜残暑の西丹沢、沢で涼む山行〜
(日程)
01年 9月16日(日)
(テーマ)
定例の秋の日帰り山行。当初、有志でテント前泊を企画していたが、久美さんがご家庭の都合により山行自体行けなくなってしまったため、残りがマサと僕だけになってしまい、「お互い間違いが起こらないように」ということで!?見送りに。
また、合併直前のテストなどの要因により新人の金子さん、賢が参加を急遽取り止め。さらに、ホントにめったに風邪をひかない頑丈な新人の長田さんが風邪をひき急遽見送り。
直前の金曜日にヨーコさんの懐妊とQさんの快気祝いを兼ねたノンアルコールビールでのドライパーティーを行ったときに、ややの母上の参加の話があがったが、ややの「前日の雨で道が悪いのではないか」との判断で当日は結局見送り。(コースがきつかったので結果的には良かった。)
土曜日には秀ちゃんから連絡があり、ライブの宮之浦岳縦走で体力を使い果たしてしまったため体調がすぐれず見送り。ということで参加者は当初予定人数より大幅に減り、当会発足来、最少人数のパーティーでの山行となった。
また、直前11日に世界中を震撼させたアメリカの同時多発テロ事件の影響によって海外渡航が自粛され、ライブで当初ペルーに向かうはずだったまっちゃんが急遽参加となった。
(参加者)
M:藤野さん、畠田さん、羽佐田さん、松っちゃん、稲葉
F:やや、マサ
(行程記録)
日本で初めて狂牛病の疑いのある牛が発見され、アメリカの同時多発テロが発生した11日、台風15号の直撃を受けた関東地方だったが、週末は次の16号が南西諸島から台湾近辺で迷走していたため、台風の影響はなかった。しかし秋雨前線の影響か、16日(日)は曇りで湿度の高い日となった。
5時50分:まだ眠い眼をこすりながら愛車B4のイグニッションを回す。思ったより朝の準備に手間取ってしまい、自分で決めていたのより20分ほど遅れで中野坂上の車庫を出る。スタンドでハイオクを満タンにし、薄ら明るくなり始めた空に伸びる新宿の高層ビル群のシルエットを横目に首都高速に入る。昨晩はなんで良く眠れなかったんだろう…、蒸し暑かったからだ。
いや、今週はいろんなことがあった。中執になって初めての組合セミナー、アメリカの同時テロ事件、狂牛病の上陸、山行参加者の増減があったりと、ここ最近では殊更に慌ただしい1週間だった…。それでも東名に出て、大山のシルエットを見ながら一人車を飛ばしていると、気分はすっかり山に向かっていた。
6時55分:新松田の駅に着くと、遠目からはヤクザ風にしか見えない中年2人がエンジのオデッセイの前に佇んでいた。畠田さんと羽佐田さんだ。1台おいて縦列に車を停めて下りる。
「おはよございまッス!」。畠田さんからは人数が少なくなってピックアップが1台ですむから直接行っていいよ、と言われていたが、早く着いてしまったので新松田に寄ってみたのだ。オデッセイの中ではマサが座っており、あとはややが来るのを待つのみだった。
7時15分、予定より少し電車が遅れ、ややが到着。金曜日の街会では「ややママも連れてくるかも」と言っていたが、「前日の雨で道がぬかるんでいるかも」という判断で当日見送ったとのこと。一路西丹沢に向う。下山地点にチャリをセットするため、こっちはちょっと飛ばして先行。
8時00分:下山地点にチャリを置き、西丹沢自然教室のパーキングに着くと、既に藤野さんも愛車パジェロと共に到着していた。荷物をまとめ、さあ行きますか、と思ったところ、携帯にまっちゃんからの着信が入っていたことに気づく。
圏外だったので、公衆電話からまっちゃんの携帯にかける。「もしかしたら、行くかもしれない」と金曜日に言っていたが、「集合時間に現れなかったら、行って下さい。」とも言っていたので、きっとこっちに向かっているんだろう、と思っていたが、案の定、丹沢湖近辺を当会の車ルシーダでこちらに向かっていた。
本人は「キャッチアップするから、先に歩き始めててくれ」と言っていたが、前回の雲取山のこともあったし、時間もまだあったので、6人で話をして、まっちゃんを待つ。
8時30分:当初の予定通りで歩行開始。河内川と西沢の合流点に架かる吊り橋を渡る。登山道に入り、すぐに堰堤の階段を上がると、砂が堆積して広くなったところに出る。
丸木橋が流されているところがあるので、飛び石で渡るか、場合によっては靴を脱いでの徒渉となることを、事前に公園事務所に電話して聞いていたが、早速渡れない。渡れそうなところを探し始めると、畠田さんが、「おお、小上高地みたいやな」と言って堰堤から沢の方に歩いてきた。
確かに砂礫地に沢が流れており、細い木がまばらに立っている感じは似ている。(八ヶ岳美濃戸の南沢にも同じようなところで同じようなことを言っていた。)沢の上下をウロウロと渡れそうな飛び石を探して、ちょっとだけ靴の先を濡らして渡れる飛び石があったので、僕は先頭切ってそこを渡る。
藤野さん、まっちゃん、羽佐田さん、畠田さんと続くが、ややとマサは諦めて早速靴を脱いでの徒渉を選択。「つめたくて気持ちがイイ」と喜んで渡る。その後もしばらく沢沿いを登る。ことごとく橋が流されているので、何度も飛び石を渡り返しての歩行となった。
1個所だけ男性陣も靴を脱がざるを得ないところがあり、足を流れに入れた。あっという間に足が冷たくなる。沢の水が意外に冷たいことを改めて身体で感じたが、当会の山行でここまで水が絡む山行は初めてで、なかなか新鮮だった。「賢がいたら嬉々として渡ってるんでるだろうなぁ。」と皆の意見が一致する。
しかしながらその一方で、沢を渡ろうとするたびに、ルートを見つけなければならないので、連続して歩けず、息がなかなか整わない。蒸し暑さのなかでストップアンドゴーや不規則な動きを繰り返して、汗をかくため、予想以上に体力は消耗した。やや自身も言っていたように、ややママの参加見送りは正解だったかもしれない。
9時20分:権現山への分岐のちょっと手前で小休止。給水し、藤野さんが回してくれた飴を舐める。ちょっと先にまた沢が見えていたので、また橋がないのではないかと思い、僕は確認に行く。やはりない。飛び石になるような大き目の石を拾っては流れに置いてルート工作をしていると、我々の後ろを歩いてきていた中年の大勢のパーティーがやってきてしまった。
(あれだけ連続している徒渉をこなしながら良く追いついてきたなぁ)と思っていると、どやどやとやってくる。畠田さんと藤野さんのアイディアで、「これだけ人数いれば、倒木を渡すことができるのではないか」となり、近くの倒木を運び、渡しかけていると、ルート工作している僕らに御礼の声をかける人、靴を脱いで「(ルート工作するより)こっちの方が早いよ」と言って渡ってしまう人、15、6人のパーティーだったが、それぞれ好き勝手にやっている。
それでも何人かは我々のアイディアに賛同し、倒木を流れに固定するための石を運んでくれる人もいた。中年パーティーがどやどやと渡っていったあと、僕とまっちゃんは、手足のリーチに物を言わせて飛び、渡ってしまったが、残りのメンバーは、結局、杖になる枝を2本見つけてきて、スキーのストックの要領で流れに差して倒木の上を渡った。
最後は畠田さんだったが、途中で片方の杖が折れてしまい、「あおぅっ!」と不覚にも片足を流れに入れてしまった。脱いだ靴から水が滴っていたが、良く拭けば歩行に影響はなさそうだった。権現山への分岐点で先ほど追い越された中年パーティーをパスし、先へ進む。ここからは少しずつ沢を離れて九十九折りの細い道が続いた。沢沿いのところは雑木林だったが、九十九折りの斜面は植林された杉が中心だった。道もちょっと荒れ気味。
11時05分:善六のタワ(「タワ」とは鞍部のこと。「たわんで」いるから「タワ」。フランス語では「コル」)通過。樹木に覆われた畦ガ丸の丸い山頂部が見えた。途中、徒渉のために予定より30分ほど、遅れていたが、皆のペースが良く、ここまで登ってくる間になんとか取り返していた。
およそ1時間なので皆がよほど「キツ」くなければノンストップでいってしまうと確認し、足を進める。善六のタワからは再びブナを中心とした雑木林に変わる。静かな尾根道である。畠田さんがご機嫌で鼻歌を歌いながら歩く。マシンガントークのマサを筆頭にまっちゃん、ややは例によっておしゃべりをしながら歩く。
僕と藤野さんと羽佐田さんはひたすら静かな男の歩きを見せる。30分ほど歩くと畦ガ丸の山頂部はがボリュームを増して再び姿を見せると、ここから徐々に勾配がきつくなってきた。湿度も高かったこともあり、蒸し暑く、だんだんキツくなってきた。足を前に出すのが辛い。ここで「辛い」と認めてしまうと身体が動かなくなってしまうので、「辛さ」を無視して、足を無理矢理前に出す、ということを繰り返していると、皆何時の間にか言葉少なになっていた。
気のせいかすぐ後ろの藤野さんも息遣いが少し乱れている。僕自身については、7月の末に剱をやってきて慢心し、その後運動らしい運動をしていなかったので、今回の山行では足が前に出ないことをある程度想定していたのだが、皆も苦戦しているようだった。
しかし、今回は皆、何度もいろんな山を登っているメンバーだったので、休止はとらず、歩きつづけた。たまにはところどころで、ちょっと立ち止まり、既に赤や黄色に色づき始めている木々を見ては「あ、もう色づいているのもある。」と指差したり、害の有無がわからないキノコ類が生えていて「『これ食ったら10万円!』の季節になりましたね。」と他愛のないことを言って、息を整えながら、最後の登りを詰める。
11時55分:ようやく畦が丸のピークに立つ。薄っすらコケの生えた渋いケルンが立っている。取り敢えず、記念写真を撮る。ピーク付近は狭いので、100mほど下った畦ガ丸避難小屋へ向かい、そこで昼食を摂ることにした。
12時00分:畦ガ丸避難小屋の裏で昼食。畠田さんが持ってきていたツェルトを敷いてくれたのでその上に皆店を広げる。「いや〜最後の登りはキツかったねぇ。」と藤野さん。「いや、藤野さんがキツいんだから皆キツいはずだよ。」と畠田さん。続いて「おれ、これ一番好きなんや。」と言ってややの持ってきてた「生搾り」をもらい飲みしていた。
畠田さんが例のオイルサーディンにタカの爪とおろしにんにくを入れて缶ごと熱するイタリアンなつまみ(「サルディーナ・ピカンテ・デル・ジミー」と命名していた。)を作り、各々弁当やおにぎりをパクつき始めたところへ藤野さんがヨーロッパ出張のおみやげのミニリキュール3本を出してくれた。
1本は無色透明、1本は飴色、もう1本はどす黒い色だった。皆で利き酒する。無色のはグラッパ、飴色のはブランディーだったのでイケたが、どす黒いのはきついベルモットのような薬草系でうがい薬のようだった!マサはしきりに「何とか飲めないかな?」と思案してたが結局諦めたようだった。
ちなみに僕は最初、登りの疲れから余り食欲が湧かなかったが、少しずついろんなものや藤野さんのグラッパ、ややのビール(結局、自分ももらい飲みした。)などを摂取してなんとか、食欲を取り戻し、弁当を平らげることができた。
天気は相変わらず曇りで、景色もぱっとしなかったが、やはり山の昼飯はホッとする。皆がコーヒーや紅茶をすすっているとき、羽佐田さんは少し離れてウロウロしながら煙草の煙を寂しそうにくゆらせていた。「今日は喫煙者が1人だからさびいしいですね。」「賢ちゃんも松広さんもいないからねぇ。」とスー族の仲間を恨んでいた。
12時50分:避難小屋のまえで写真を撮り、歩行再開。ここからは下りだ、と気楽に思っていたが、すぐにクマザサの中をヤブ漕ぎすることになった。ルートがはっきりしないところも予想されたので、僕が斥候を兼ね、少し先行したら、途中、「おーい、これどっちや!」というぐらい深いところもあった。
途中ルートが心配になり、コンパスを取り出し確認する。ブナの雑木林の中をドンドン下りる。道の悪いところもあったが、マサのマシンガントークのお陰で退屈しない。「マサの場合、喋ることによって集中力がでてくるのでは?」と考えた。
14時30分:久美さんが「一晩泊まって人生を語るのに良さそうな小屋」と言っていた一軒家避難小屋に着いた。山頂あたりから僕が「久美さんが…と言っていた」と皆に吹き込んでいたので、下山しながら、「人生を語る小屋はまだか」とか連発し、着いたときには皆で「おお、ここが人生を語る小屋かぁ。」となる。
中に入ると確かに渋い造りで、奥には布団と毛布が常備した小さな板間があり、確かに「語りたくなる」小屋だ。下山まで1時間足らずのところにあるこの小屋に泊まらなければならないような非常なときに、ここに逃げ込んだら、きっとホッとして、人生を語るだろうなぁ、と思う。
水が切れていたまっちゃんと僕は沢の上流の方に水を汲みに行ってきた。帰って来て、まっちゃんが雲取山で振る舞ってくれた味噌汁を今回も持参していたので、それを皆で飲む。疲れたときのちょっとした塩分は力になる。僕は水を沸騰消毒してペットボトルに入れようと思って湯を沸かしていた。
沸いたお湯をペットボトルに入れようとしたとき、ペットボトルが倒れた。「あっ!」と思ったときは遅かった。とっさにペットボトルを立て直そうと出した左手になんと右手でお湯をかけてしまった!「熱っ!」それでも熱で変形するペットボトルにお湯を注いでから、沢に手を冷やしにいく。
凍るのではないかと思うぐらい冷やして戻ってくると、皆が「どうした?」と聞く、「イヤ、ちょっとお湯かけちゃいました。ハハハ。でも今、沢で冷やしてきたので大丈夫ですよ。」と言っていたら、隣のパーティーのおばさん(ここは感謝の意を込めて、あえてお姉さんとした方がいいかもしれない)が凍ったスポーツ飲料のパックを差し出し、「これ冷やすのに使ったら、私、まだあるから余らせてもしょうがないから」と言ってくれた。最初は遠慮して断ったが、結局ありがたく頂戴し、バンダナで左手の甲に固定した。
14時50分:歩行再開。今度は大滝沢沿いの道で、今度も川を渡り返す。何とか徒渉になることはなかったが、スリリングな飛び石を何回か渡った。お姉さんのくれたアイスパックは良く効いた、やはり後から湯をかぶった手の甲がヒリヒリしてきていた。途中、樹木の間から見事な滝が見えた。
最後の20分は林道に出てしまったので、歩き自体は退屈だったが、そぐ横の沢の滝や巨大な一枚岩の上流れる滑を鑑賞することができた。
15時45分:大滝橋の下山口に出る。朝停めておいたチャリが無事な姿で我々を待っていてくれた。ザックをおき、僕はチャリでスタート地点の自然教室の駐車場に戻る。まっちゃんが「じゃあ、16時までに戻ってきてね」と厳しいノルマを冗談半分で課した。自然教室までは標高差60m程度の登りを2kmほどだ。
走ってみると意外と遠かったが、なんとか10分ほどでクリア。まっちゃんのルシーダで大滝橋まで戻ってきたら、ちょうど16時。「ハハハ、戻ってこれちゃいました。」登りも長かったが、むしろ車で下っていった方が意外に長く、これだけのところ良く上がってきたな、と自分でもちょっと驚きだった。
16時10分:西丹沢自然教室で解散。愛妻家の藤野さんはパジェロで即、帰路についたが、残りのメンバーは途中、中川温泉に立ち寄り、汗を流して、泡を飲んだ。畠田さんが例のノンアルコールビール「ヘニンガー」を持ってきてくれたので、運転のある僕もおいしくごちそうになった。これはホントに有り難かった!そして僕らは渋滞の東名を帰った。
(トピックス)
(山の豆知識)
(総括)
今回は頻繁に沢を渡り返し、会では初めて徒渉を経験すると言う意味で、あたらしいジャンルの山行となった。新鮮で面白かったが、ペースをつかむのが難しいということも学習した。
残念ながら人数が直前になって減ってしまったが、7人という人数はかえってまとまれる人数だったので、徒渉によるロスタイムをリカバーすることができた。(ので、直前にダメになってしまった人もあまり気にしないでいいですよ。)
しかしながら、やはり9月の低山は暑い!天候とにらめっこだけど、来年は標高の高い山のほうがいいかも。でも終わってみれば登山としての満足度、充実度は高かったような気がします。つぎは那須です。皆さん体調を整えておいて下さいね。