雲取山〜発足3周年記念山行〜

(日程)
01年 6月9日(土)〜10日(日)

(テーマ)
自然スポーツ愛好会が、旧永楽ビル8Fの永楽倶楽部で発足会を行なったのが、3年前の98年6月10日であった。今回の雲取山は、3周年の記念山行として行なった。

(参加者)
M:藤野さん、畠田さん、松広さん、羽佐田さん(リーダー)、松っちゃん、秀ちゃん、稲葉
F:久美さん、金指さん、さゆりさん

(行程記録)
9日
東京地方は例年より2日早く6日に梅雨入りしてしまい、不安定な天候となり、天気予報に一喜一憂した1週間を過ごしたが、9日(土)は朝から蒸し暑いぐらいの好天だった。


11時15分:奥多摩駅集合。タクシーで後山林道の入口となる、お祭(「おまつり」地名です。)へ向かうはずだったが、タッチの差で他のパーティ(おそらく高校の山岳部だろう)に、なんと3台しかない奥多摩の京王タクシーをすべて使えわれてしまった。

もちろん予約しようと事前に電話したのが、「ここは3台しか無いんで、予約受けてないんだよねぇ。まあ11時ごろだったら、まずあんまりお客いないし、臨時バスもいっぱい出てるから、大丈夫だよ。」とタクシー事務所の反応だった。タクシー事務所を信じた僕らが甘かった!3台しか無いのは判っていたので、秀ちゃんと畠田さんが予定より早く奥多摩に着いていたので、途中で電話して抑えてもらっておけばよかった。

前のパーティが「三条の湯」と言っていたのが聞こえていたので、まあ往復40分ぐらいでタクシーは戻ってくるものと思っていた。畠田さんは良いテン場の確保が気になっていたらしく、「あいつらより先に着きたいな。」と言っていたが「そりゃ、無理ですよ。往復1時間半先行されてるうえに、彼ら、僕らより健脚そうじゃないですか。」「う〜ん、そうだな。やっぱ、む、無理かな。」(常にベストな山ライフを追求してしまう気持ちが、こういう無茶なことをついつい口走らせてしまう。畠田さんらしい。)

乗り場の横にベンチがあったので、昼食を先に摂ろうと思えば摂れたのだが、駅前だし、まだ日が高く、人もいっぱいいた(レトロなボンネットバス体験乗車ツアーみたいなのが催されていたらしく)ので、「先に昼食を摂ってしまいましょう。」という指示を出すにはちょっとばかし憚った。

しかし、腹が減っていた畠田さんが、泡を買ってきて食い始めてしまうと、1人、2人と飯を食い始める。12時を過ぎてそろそろタクシーが帰ってくるだろうという頃には、ボンネットバスツアーも出発してしまい、駅前は我々だけポツンと残る形で待ちぼうけとなった。

手持ちぶさただったことと、まわりに人が居なくなったことから、結局みんな飯を広げることに。1時間ばかし経った12時15分頃に1台目のタクシーが戻ってきたので、飯をおよそ食べ終わっていたメンバーからお祭へ出発。

2台目も5分と待たずに来たので、残ったメンバーも食事半ばに慌てて片付け、タクシーに乗り込む。タクシーはお祭から林道に2kmほど入ったところまで行ってくれるので、前のパーティもそこまで行ったようで、戻ってくるのに少し余計に時間がかかったようだ。


12時55分:お祭から後山林道を2kmばかり入った地点で、昼食の続き、歩行の準備に入る。まっちゃん、食事途中でタクシーに揺られ、気分が悪く横になる。

久美さんとキン姉はキャップからタオルを垂らし「アラビアン」スタイル。藤野さんは短パンに濃紺のランニングといつもの「ジョギング」スタイル。羽佐田さんはいつものサングラスをかけ「ヤクザな山ヤ」スタイル。松広さんは例によって「短パン&短靴」スタイル。(一応、装備には「登山靴」と書いておいたのに…。でも徳本峠のときも短靴で完踏していたので、まあ大丈夫だろうとは思っていましたが。多分自転車で鍛えたので足が頑丈なんでしょうねぇ。普通の人よりも。)秀ちゃんはいつもの「撮影班」スタイル。さゆりさんはいつもの「さわやか体育会系」スタイル(これじゃなんだかわからん!)。畠田さんはいつもの「体育の先生」スタイル。気分の悪いまっちゃんはいつもの「ゴルフ」スタイル(まあ、ズボンだけですが)。そして僕はいつもの「炭焼き職人」スタイル(これも白いバンダナだけなんだけどなぁ…。)。と個性たっぷりの10人での山行スタートとなった。


13時10分:歩行開始。川沿いの林道を進む。川沿いといっても渓谷はかなりしたにあるようで流れはほとんど見えない。自家用車での進入は可能らしく、時折車とすれ違ったり、追い越されたりしながら進んでいく。

整備された平坦な林道なのでおしゃべりをしながら歩く。各々職場の話や山行、温泉の話に花が咲く。少しずつ雲が増えてきていたが、時折爽やかな風が吹く程度で天気はまずまず、楽しい歩行だ。

畠田さんがベテラン同期のツーショット歩行をカメラに収めようとするも、岳友松広さんに何度も阻まれる。(もちろん松広さんは自分のペースで歩いているだけで、たまたまカメラのアングルに入ってしまっているだけのこと。)

14時10分:程よく汗をかいたところで小休止。特に見所もないので、さらに林道を奥深く入っていく。

15時20分:林道終点で最後の小休止。車やバイクが停まっている。一般の人たちはここまでバイクや車できて、30分ほどの山道を歩いて三条の湯に浸かりに行くようだ。「せっかく温泉で汗流しても、帰ってくるまでにまた汗かいてしまうよねぇ。」とまっちゃん。そのとおり、バイクの人たちは額に汗しながら帰ってきた。

15時40分:三条の湯着。小屋班、テン泊班に分かれる。既にいくつもの他のパーティが先着しており、渓流沿いの深い森に包まれたテン場には大小のテントが色とりどりに張られていた。僕らは小屋からは一番離れているところのテン場に陣取った。離れていたが、その分静かで、すぐ横にはワサビ田があるいい場所が確保できた。畠田さんと僕で、テントお初のキン姉に指導しながらテントを設営する。

原因不明の(本人は康ちゃんの腕枕にしていたのが原因と言っていたが)左手筋痛を煩っていた畠田さんは紐系の作業やペグ打ちが辛かったようだ。一しきり組みあがり荷物をテントの中に入れたところで羽佐田さんが様子を見に来てくれたので、小屋に向かい、温泉に入ることにした。

16時00分:風呂に入る。藤野さん、久美さん、さゆりさんは既にあがっていた。風呂は想像していたよりも狭く、かつ大勢入っていて「芋洗い」状態。うちのパーティだけでも、畠田さん、羽佐田さん、松広さん、松田さん、秀ちゃん、僕、と入っていたうえに他のパーティのひとが4〜5人、湯船の中に常に6人ぐらい入っている状態だったので、暖まったらさっさとあがった。ちょっとヌルヌルしたお湯だったのを「これ人のアカとちゃうんか?」と、畠田さんがまた汚いこと言っていた。

風呂からあがって泡をいただく。皆さん少しずつ始めていた様子。つまみも誰彼からと出てくる。ワインも登場。藤野さんが持ってきたのが、な、なんとシャトー・ランシュ・バージュの97年もの!ボルドー、ポイヤック地区の有名な格付ワインである。

97年はまだ若いので本当はあと5年は寝かしておいて、フォアグラか濃厚なソースのかかった鹿肉といっしょにデカいボルドーグラスで香りを充分に楽しんで飲みたいところだが、3周年のお祝いということで、うちの会らしく、アタリメやさきいか、サラミなどをつまみに時価1万円以上のワインをさっさと空けてしまった!
全員集合したところで例の暫定版会旗を披露。

旗屋に見積もり取ったところ、2万円もしたので、僕が生地屋にいって生地買ってきて、東急ハンズのTシャツプリント用のシートで作ってきたもの。

ネタを明かしたら、やれ「Tシャツを色違いで作ろう」だ「バンダナにしよう」だ、とワイワイとなる。

17時30分:飯の時間になったので、テント班はテントへ帰って飯の準備にとりかかる。お湯を沸かしてレトルトを温めているうちに小屋組が押しかけてきて、野天宴会へと突入。しかも、ほとんどのメンバーが手ぶらで来たため、酒、つまみをテント組から拠出することに。

藤野さんと松広さんに至っては、よほど早く酒が飲みたかったのか、冷え込みの対策の上着も持ってこなかったので、畠田さんと僕のウィンブレを貸すことになった。「小屋組がテント組にもの乞うなんて信じられん!」と畠田さん。

オイルサーディンとにんにくとタカの爪を使った、イタリアンなつまみをつつき、ウイスキーをなめる。小1時間ほどの小宴会だったが、空が暗くなり、一雨きそうだというところでお開きに。

事実片付けはじめたらポツリポツリと雨が降ってきた。テント班はその後もメインテント(といっても2〜3人用だが)でウイスキーをやりながら高尚な山ヤ談義に盛り上がる。「サーファーと山ヤはどちらがレベルが高いか」「いやそもそもレベルというのはおかしい」「一般的に言って…」「一般的とはどういう定義か…云々」また、畠田さんの腕痛から筋肉談義でも盛り上がる。

夜もふけた頃、水が切れたので、「じゃあ、僕がいってきますよ」と水場へ僕が汲みに行くことになった。ヘッドランプを装着し、ワサビ田の横を通って、他のテントを避けながら水場へと進む。ところが、「あれ、なんか見にくいな」と思っていたら、なんとヘッドランプの電池が弱ってきた。「まずい、切れる」と思ったところで、替えの電池を入れ直すために引き返すも、途中で切れてしまった。

「やっべーなぁ」(脂汗をかきながら)暗くて何も見えないが、記憶を頼りにテントへ引き返すが、途中で明らかに道を間違えている事実に気づく。なんと足元がワサビ田だったのだ。「しまった!」でもここで闇雲に動けば、負傷すること間違いない。

ここは夜中でも声を出して助けを呼ぶしかないと冷静に判断し、「畠田さ〜ん!」叫ぶ。するとすぐにライトの光りがこちらの方面を探り始めた。(あとで判ったのだが、僕が声を出す前になんか気になって外に出たらしく、そこに僕の声が聞こえたとのこと。)「すんませ〜ん。電池切れ!ちょっと来て下さい。」ライトがこっちへ向かう。「イネ!お前、全然違う方向入っていってるぞ!」(そりゃ、判ってますって)ということで何とか助かった。

これですぐに気づいてくれなかったらどうなっていたか。一旦テントに戻り、新品の電池に替えてからもう一度水を汲みにいった。その後、結局ウイスキーを3人で飲み尽くしてしまうまで、語る。キン姉は1人用の賢テンへ帰し、深い森、さらさらと流れるせせらぎの音に抱かれて就寝。

10日
4時50分:起床。湯を沸かし、朝飯を用意する。他のテントも活動し始めている。若干二日酔い気味の腹には味噌汁がうまい。

5時30分:朝飯を終えた羽佐田さんが様子を見に来る。小屋組はもう朝飯を終えてくつろいでいるらしい。テントの手集にかかるが、手負いの畠田さんをカバーしての撤収となりちょっと手間取る。

6時15分:少し遅れて小屋前に集合、集合写真を撮って、いざ、雲取山へ出発。キン姉と畠田さんは夕べの酒がたたり、ちょっと二日酔い気味とのこと、最後尾からついて来る。スタート直後はちょっと汗をかき、二日酔いが飛ぶように少し速めのペースで湿度の高い樹林帯を30分ほど進む。小休止を取るも畠田さんとキン姉はちょっと辛そう。すこしペースを落としてさらに進む。藤野さん、まっちゃん、松広さんが元気。ところどころにレンゲツツジorヤマツツジ?が咲いている。

8時00分:稜線上で樹木がきれたところで先行パーティが休息していたので、我々もここで小休止。各自給水、糖分補給をする。ガスの合間から垣間見える尾根が青黒い。頂上に着くまでになんとかガスが晴れて欲しいと願いながら歩行再開。傾斜はあまりきつくない代わりに樹林帯のなかをひたすら進む。自然に囲まれながら比較的整備された登山道だか、ちょっと単調。

9時15分:三条ダルミに出て小休止。ここから尾根伝いに左に行くと飛竜、右に登っていくと雲取山頂だ。しかし、各人が持ってきた地図によって山頂までのコースタイムがちがう、20分というもの、30分というもの、40分というものと3つに別れた。ここからは今回のコースで一番傾斜のキツイところなので、登った人によってコースタイムは違うのだろう。まあ、間をとって30分ぐらいかなぁ・・。

まっちゃん、藤野さんが元気良く登っていく。僕も調子は良かったが、テントを担いでいる分、さすがに急勾配になると息があがる。後ろの2人が大分遅れてるし、ちょっとバラけ気味だったので、「一息入れますか?」と藤野さんに同意を求めると「ダメダメ、ここで休んじゃ」(そうか、キツくても突っ込んでいけということですか?)「珍しいな、稲葉が休もうなんて」と一蹴され、登りつづける。(うしろのみんな、頑張って登ってきてくれ)

ここらで、まっちゃんがスパートをかけ、例によって一人旅で先行する。岩もちょっとある傾斜のキツい登りのルートだったが、その後10分ほどで頂上についた。結果的には三条ダルミから30分〜40分といったところか。

10時15分:雲取山頂。「着いたぁー」と一息つくと、避難小屋の横の岩の上に腰をおろしたまっちゃんは既にお湯を沸かし始めている。当初ここは休憩だけで七ツ石小屋まで下ってからお昼、という予定だったが、みんな既にお腹が空いていたことも有り、昼食にすることにした。

最初はまっちゃんが陣取っていたところを中心に座っていたのだが、よーく見ると三角点が見当たらない。(おかしいなぁ)と思っていたので、みんなが店を広げ始めていたが、周囲を歩いてみると、100mほど先になんとも立派な看板と三角点を発見。

ニヤニヤしながら戻ってきて「みなさん、残念ながらここはまだ山頂ではありません。」と告知。でももうみんな店を広げ始めてしまっているので、「あとで、ピーク踏みましょう」ということになった。しかし、この場所、なんかやたらとハエが多い。夕べブヨに頭を刺されまくっていた畠田さんが耐えられず、50mほどピークよりの芝生へ移動を提案。

みんな食べ物とザックを両手にもって大移動。少しはましになったところで、落ち着いて昼食。ここでもワインが登場。今回はカップラーメン派が多かった、秀ちゃん、さゆりさんはまだ許せるとして、意外にも久美さん、羽佐田さんまでとはちょっと驚き。

松広さんは例によって調理派なので、普通のインスタントラーメンとパックのご飯。山頂は晴れていて心地よかったが、他の山は雲がかかっていて眺望がえられず残念。バテバテの畠田さん、まっちゃんはトカゲを決める。(山語で「昼寝」の意)キン姉は畠田さんのご指導の下、水分を蒸発させて軽くするため、テントのフライシートを干していた。出発前にみんな入れ替わり立ち代わり、トイレに行っていたが、トイレには巨大なハエがたくさんいて、さゆりさんは恐れおののいて用も足さずに戻ってきた。

11時50分:たっぷり休憩をとったあと、みんな空身でピークを踏み、記念撮影する。暫定版会旗を掲げ、男部、メッチェン部、メッチェン部+藤野さん、壮年部、等々テーマ別で撮り、山頂に別れを告げる。山頂から下る尾根は芝の中の広い道で所々に背の低い針葉樹が生えており、小スイスといった感じ。晴れてはいるが、稜線下の足元には雲がかかるなか下りていく。なんとか下山までもって欲しいと願う。

12時30分:奥多摩小屋。松広さんらが水ギレになってしまったので、ジュースかお茶を手に入れに行ったが、「なんか、えらく愛想の悪いおっちゃんがいて、「ないよっ」って。」松広さんが断られるぐらいだからえらく恐いおっちゃんだったのだろう。

ルートを外れて5分ほど下ったところに水場があったので、秀ちゃんを連れてみんなのペットボトルや水筒をもって汲みに行く。今日は“ポーター賢”がいないので仕方が無い。イマイチ休憩の取り方が効率的でなかったが、ここから3時間半の下りが残っていて、水場も不確かなので、ここで補給しておく必要があった。

しばらくは広く明るい尾根道を緩やかに下る。畠田さんが、珍しく靴擦れをおこし、キン姉が膝痛が出始めていたため、ちょっと遅れ気味。2人とも二日酔いが解消したと思ったら次の災難が待っていた。途中、かなり大きい株のレンゲツツジが見事に咲いているところで、藤野さんがカメラを取り出しツツジに寄って写真を撮っている間に遅れ始めた2人を再度吸収する。

13時10分頃:ブナ坂通過。名前のわりにどこにブナがあるのかわからないが、ここから七ツ石山に登るところがそうなのだろうか。七ツ石山をまいて緩やかに下りるあたりから、また鬱蒼とした雑木林になる。ここからは傾斜が緩くひたすらダラダラと長い下りだった。おしゃべりでもしながら下りれば良いのだが、みんな疲れ始めていたのか言葉少なだったような気がする。

14時30分:堂所。森の中の尾根のなかに小さなお堂がある。この辺は既に杉の植林地帯に入っていた。予定していたバスの時間が迫っていたが、残りの道のりを考え、10分ほど休憩することにした。長い下りに少しずつ疲労の色が濃くなっていたところで、まっちゃんが持ってきてくれた味噌汁を取り出し、「これホントいろいろ入ってるんでスヨ。」と言っているのを見たら飲みたくなってきた。

時間はあまりなかったし、僕のガスはザックの奥底だったので、「飲みたいけど、いいや。」と言うと、まっちゃんは「僕のスグ出るよ。」とご自慢のプリムスエクスカイザで湯を沸かし始めてくれた。なんていい人なんだろう!

他のメンバーの疲労をよそにまだまだ元気な藤野さんは(奥多摩から湘南までは遠いからか、愛妻家だからか、はたまた次の日の仕事が来なっていたのか)帰りの時間も気になっていたらしく、そわそわしていたが、全体から見るとここはエネルギー補給が必要だった。皆でいろんな種類の味噌汁をまわし飲みすると、「旨い」「温まる」「元気がでる」と少し落ち着いた。

14時40分:きっちり10分でリスタート。「まっちゃんの足ならすぐにキャッチアップしますよね。」と言って片付け途中で、まだ味噌汁飲みきっていないまっちゃんに言い捨てて、歩き始める。5分もすると、完全に2グループに別れてしまった。

会のリーダーなのに、せっかくお湯を沸かしてくれたまっちゃんを置いて歩き始めてしまったことを後悔し始め、畠田さん、キン姉のペースが予想以上に回復しないことが気になったので、今回の山行のリーダーをお願いしてる羽佐田さんに、藤野さん、松広さんと一緒に先行してもらい、久美さんと一緒に後ろを待つことにした。

ちょっと遅れて秀ちゃんとさゆりさんがきたので、彼にも先行してもらい、前のグループにキャッチアップしてもらうようにした。待つこと5分。キン姉と畠田さんといっしょにカップで味噌汁を飲みながらまっちゃんも下りてきた。(申し訳けありません!!)とりあえず、先行グループまで、登山道を走って伝令にいく。

途中、まずさゆりさんにキャッチアップ。どうも足の付け根が痛み出しているとのことで、後続グループといっしょになった方がよさそうだ。取り敢えず、無理せず下りるよう言い残して、先への伝令に走る。途中で、なんとか羽佐田さんまでキャッチアップし、後続グループの無事を伝え、先行してもらい、間に合うようであれば先のバスに乗ってもらうよう伝え、ここで完全に切り離しする。

後続グループがきたところで、まだ足の残っているまっちゃんにも先行してもらい、久美さんにお付き合い頂き、2人健常者で畠田さん(靴擦れ)、キン姉(膝痛)、さゆりさん(足の付け根痛)の3人をフォローすることに。足の速い人たちを切り離し先行させてしまったので、あとは天候がもつかどうかが心配だったが、ひたすら杉林をダラダラと下りる。道路が見えてきてもなかなか下りる気配がない。

16時00分:小袖乗越。ようやく車道に出た。ここから20分で鴨沢だ、と思ったところでついに雨が降ってきた。後から聞いたのだが、先行グループの藤野さんはここからヒッチハイクを試みたのだが、結局歩いて鴨沢まで下りたのとあまり変わらなかったらしい。

16時30分:鴨沢着。なんとか無事に下りきり、雨も止んだので一同安堵の表情。携帯で先行グループと連絡を取ろうとするも電波が入らない。バス停で待っていたおじさんが、「先のグループの人たちがタクシー呼んで先に駅に行ってると伝えてくれって言われた。」と教えてくれた。奥多摩までバスに乗り、奥多摩駅で解散。


(トピックス)

(山の豆知識)

(総括)

今回は日曜日に8時間以上の行動時間となる長い山行だった。故障者続出だったが、3人とも頑張ってくれたのでよかった。土曜日の遅いスタートが、期せずして更に遅くなってしまったが、三条の湯の近辺は宮崎駿のアニメに出てくるような原生林がすばらしかった。

予想通りではあったが、2000mちょっとにも拘わらず、タフであり、北アルプスのような華やかさはない地味な山行であった。しかし、当会の3周年にはふさわしい山行だったのではないかと思う。そのこころは下山してきてから改めて「よう背負った!よう歩いた!」と身体が言っていたから。これからも皆の個性と力で会を盛り上げ、5周年、10周年の山行が出来ればと思う。おつかれ様でした。

おしまい