1999年2月28日
マグロの解体を見てから、フェリーで石垣に戻る。
伊野田キャンプ場へ。ドカシーが沢山張ってあり、電化されていたりして、皆さん相当長いなというのが想像できる。ドカシーの安い店を教えてやろうか、などと言われる。君も沈没せよという事らしい。
1999年2月29日
ガソリンスタンドくらいどっかにあるだろうと思ったが、甘かった。とにかく無い。川平でとうとうストップ。ひたすら推す。フルパッキングで結構重いし、バランスを取るのが難しい。途中おいちゃんにスタンドの場所を聞くと、そこのカーブを曲がったところだという。ここで安心してはいけない。島の人の「そこのカーブ」というのは「3つぐらい曲がると」だったりするからだ。しかし、3つ越えても無い。結局15km推し、石垣市への最後の峠に差し掛かる。かなりきつい。登らない。20m進んでは休んでを繰り返す。あと少しで峠のところで1台の車が停まった。粋な感じのおばさまで、事情を説明するとガソリンスタンドまで乗せてくれた。おーいお茶のペットボトルに500ml給油。色がかなりリアルだ。再び元の場所まで乗せてもらう。そしておばさまは、ジュースやお菓子までくれた。神様のような人だ。何もお返しできないので、彼女に雪山の絵葉書を渡した。
白保のライダーハウスへ行って、吉松氏と再会。
1999年3月1日
吉松氏と竹富島に渡る。集落全体が石垣の迷路のようになっている。紅いデイゴが美しい。
安里屋ユンタという唄がある。かつて安里屋クヤマというきれいな娘がいた。役人がどうにかして自分の妻にしようとしたが、クヤマは、島の人間以外の男の妻になる事は、島にとって何の得にもならないと、断った。役人は別の奥さんをもらって、見せ付けたりしたが、クヤマは相手にしなかったという話。地図を見ると安里屋クヤマ生誕の地というのがある。吉松さんに唄の説明をしながら探していると、おじいさんが、どこに行きたいのだと話し掛けてくる。クヤマ生誕の地を探しているというと、「ついてきなさい」と言う。着いたのは普通の民家。しかし、よく見ると表札に「安里屋」とある。そしておじいさんは家に入ってゆく。このおじいさんは安里屋家の最後の子孫なのだ。この人は、興味深い昔の話をいろいろしてくれた。そして、その話は必ず正確な元号から始まる。ものすごい記憶力だ。「冷蔵庫を開けて勝手にビールを飲みなさい」などともいう。
ホテル日航八重山へ行き、ガス欠を助けてくれたおばさまに、泡盛を届ける。しかし、またお返しにミンサー織を頂いてしまう。
1999年3月2日
那覇行きの船は6:45に出港する。そして、目が覚めたのが6:45。情けなし。
夜、港の公園はワンゲラー達が来てテント村と化している。
1999年3月3日
公園に高校生らしきカップル。男はしきりに結婚したがっている。女は言葉を濁し、もっといい出会いがあるんじゃないかなと思っているようだ。
駐車場でハイサイおじさんを踊る人がいる。
1999年3月4日
いよいよ石垣を出る。琉球海運のかりゆしおきなわに乗船。BMW佐藤さんと同じ船になる。久しぶりに天気が良く、甲板でゲリラライブ。南国らしい陽気。拓郎の落陽を弾きながら出港。話し掛けてくる人がいる。与那国馬に乗っていた、たけしさんである。彼もギターをやっていたとかで、陽水の「神無月の頃」を弾いてくれる。
17:00宮古島到着。途中下船ができるらしい。佐藤さんと公設市場を歩く。スーパーの前でビールを飲みながら、海ぶどうを食べる。しその花のような形の海草。プチプチとした食感で、噛むとオクラのような粘りがある。この人といると変わったものが食べられる。食堂でパパイヤチャンプルーを食べる。乳の出が良くなるらしい。瓜の様な味。佐藤さんはタコライス。
再び船上ライブ。「お上手ですね」と声を掛けてくる人がいる。可愛らしい女の子。京都産芸大の伊奈さん。大阪の人という事で、「大阪で生まれた女」を弾く。そのままである。彼女は帆船に乗ったりするらしい。船酔いの話とか、シルクロードにおける排泄の問題とか、美しくない話題で盛り上がる。
1999年3月5日
那覇で一度降りるが、実は乗っていた船がそのまま鹿児島行きになる。
たじさんが乗船。これは偶然ではなく、電子メールでタイミングを合わせたのである。部屋はもう一人、徒歩で日本一周をしている人。ナップザック一つの恐るべき軽装。船室で再びライブ。たじさんは古い曲を沢山知っているので、かなり濃いライブになってしまった。
1999年3月6日
8:00鹿児島港入港。たじさんはそのまま屋久島Uへ。
釣り具屋でシュラフカバーを入手。街の鞄屋で、限界に来ているカメラバックを交換する。鹿児島大学水産学部の食堂でにんにく炒めの定食を食べる。
桜島に渡る。あちこちにバス停を兼ねた土石流待避壕がある。
大隈線の廃線跡を見ながら走る。
1999年3月7日
3℃まで気温が下がる。シュラフカバーで助かった。
佐多岬は南から来るとあまり感動しない。
1999年3月8日
都井岬へ。有料道路と町道があるが、町道はダートと急勾配でお金を払った方がマシだ。廃ホテルがあり、馬がたむろしている。撮影していたら、バイクに馬が群がっている。本当に野次馬なのだ。
1999年3月10日
国道265号を走る。かなりハイレベルな国道。道幅は1〜1.5車線。その真ん中に砂が溜まっているので、実質0.3車線。これで270°ターンとかが続く。尾股の廃校へ。犬がミイラになっている。西米良でワーキングホリデー制度のパンフを見る。駄目元で頼んでおく。
くまがわ鉄道の駅でSTBと思ったが、いい駅が無い。結局大畑駅まで来てしまう。今日は急行えびの号廃止の日で、係りの人が時刻表を替えてゆく。
松窪氏を呼んで泡盛ギター。
1999年3月11日
霧の中、廃止になったはずのえびの号が来る。回送するのだろう。夜に松窪氏と、「スリーナインが来そうだね」「そうだね」などと話していたので、ちょっと感動した。
1999年3月12日
ワーキングホリデーの為、西米良村のキャンプ場へ移動。
1999年3月13日
6:00起床。氷点下まで冷え込んだ。カブでビニールハウスへ乗り付ける。結構似合う。おばあちゃん達に混じって花の手入れをする。10時に休憩があり、みんなで持ちよった食べ物が並ぶ。ギターを出して、ビニールハウスライブ。
1999年3月14日
今日はキャタピラーダンプで土を運んだ。土が目に入り、コンタクト眼にはちょっとつらいが、結構楽しい。仕事を終えると温泉。上がると脱衣所に冷水機がある。しかし、マゾヒスティックにもこれに手を出さない。これから宴会なのだ。生ビールが待っている。鯉のあら煮、揚げだし餅、天ぷら、長いこと食べていないご馳走。また、おばあちゃんがどんどん注いでくれるので、どんどん飲んでしまう。そのあとカラオケがあり、居酒屋で3次会。山形のおいしい濁り酒を頂く。
1999年3月15日
相変わらず厳しい冷え込み。今日は手入れしてきたオブコニカの出荷である。1時間くらい作業をして仕事は終了。雇い主浜砂さんのバネットで川島英五を聞きながらドライブ。鹿が出てくる。坊主岩から山並みを眺める。英五はいい。
ゴルフの打ちっぱなしへ連れてってもらう。初めてのゴルフ。見よう見まねでフルスイングをすると見事な空振り。
1999年3月16日
食って飲んで遊んでばかりだったのに、しっかり3日分の給料が支給される。申し訳ないくらいだ。朝風呂に入ってから出発。
リニアの実験センターへ。現在実験は山梨に移っている。実験線の磁石は撤去され、リニアモーターカーにはうっすら埃がかぶっていた。
1999年3月17日
高千穂の近くで日平鉱山を見つける。坑口、選鉱施設が廃墟になっている。鉱山街で病院跡を見つける。天井の装飾がハイカラだ。尿瓶がそのまま残る。
高千穂の運動公園でビバーク。
1999年3月18日
ダウンジャケットとシュラフカバーでも寒く、究極のエマージェンシーシート、新聞紙を掛ける。テントは全面氷結。
阿蘇を越え、長湯温泉の川原露天風呂カニ湯に入る。しかし、湯温が低く出れない。
夜、月が出たので、荒城の月のモデルとされる岡城址へ。しかし、月は雲に隠れてしまった。諦めて帰ろうと思った時、おぼろ月が出た。石垣によく似合う。
玉来駅でSTBしていると職務質問。警官は「バイクがいたずらされるとまずいから、駅舎の中に入れなさい」と言った。
1999年3月20日
とにかく寒いので、温泉で体を温める事に。奴留湯温泉。てっきり「どろゆ」で濁った温泉を想像していたが、「ぬるゆ」と読むのが正しく、38℃の湯。寒い。壁湯温泉。やはりぬるい。
豊後森駅の扇形庫へ。蒸気機関車の為の施設がそのまま残る。煙の煤もそのまま。
天ヶ瀬温泉。やはりぬるい。
楠温泉万年の湯。軽トラが沢山停まっている。ここは正解。100円志納。露天風呂のみのシンプルな単純泉。満月が昇る。
引地駅でSTBしているとまたも職務質問。九州の警察はいやに熱心である。
1999年3月21日
マイナス3℃まで冷え込む。
1999年3月22日
津久見鉱業所の鉱山電車はベルトコンベアに変わっていた。セメント町を散歩する。
1999年3月23日
白猫が車に轢かれ、それを黒猫が寂しそうに覗き込んでいる。いい絵だったが、それも車の轟音が蹴散らした。
1999年3月24日
またもヘルメット奪われる。つまらん半キャップを持っていくのは誰だ。頭に来ているので、そのまま走る。交通整理の警官の前も通ったが、お咎め無し。
1999年3月25日
再び大畑駅へ。うえださんと女性二人に男性一人が来ている。瑞穂ちゃんとあっちゃんにモデルをお願いして写真を撮らせていただく。二人とも美人でノリがいいので、撮りやすい。ありほさんが、晩白柚を持ってきた。人の頭ほどもあるザボンである。一房で普通のみかん一個分くらいのパフォーマンスがある。
1999年3月29日
五家荘から椎葉に抜ける林道を走る。冷たい雨は雪に変わった。標高が上がるに連れ積雪が増え、風が谷に向けて吹く。ガードレールはない。谷が呼んでいる。手の感覚が無くなってくる。地吹雪が舞う。結局滑って登れなくなり、身の危険を感じ引き返す。と言っても迂回路はない。とにかく標高の低い方へと走り、結局熊本へ。
公園ビバーク。2:30にまたもまたも職務質問。だから、仕事はしてないって。
1999年3月30日
山鹿で半額バーガーを食べていると、どこかで見た顔が。屋久島で会った永田君だった。地元なのだという。恐ろしい偶然だ。ナップザック一つ背負って、これから東京の専門学校に行くと言う。試験に受かったのかと聞くと、「いや」と言う。まあ、君ならどこでも生きて行けるだろう。
1999年4月1日
関門人道トンネルをくぐる。
1999年4月2日
新南陽から山へ入る。県道139号は全線1車線。しかも真ん中は枯れ葉でウェットだ。カーブの先に水溜まりが。避けようとすると前輪が深い泥を泳ぎ転倒!バイクと地面に足を挟まれ、水溜まりに浸かったまま起き上がれない。何とか這い出てバイクを立てる。足が痛いがどうやら無事らしい。ドロドロの服を替えて出発。
玖珂鉱山へ。坑口があるようだが、足がうまく動かない。
錦町のゲートボール場に設営。
1999年4月3日
河山鉱山へ。選鉱所があり大きな鉄扉付きの坑口がある。
再び玖珂鉱山へ。今日は足もだいぶ回復しているので、何とか這い上がる。坑口やトロッコ跡がある。
湯来の公民館に設営。
1999年4月4日
昼はパンで済ます予定だった。しかし、加計の街でお好み焼きのいい臭いが。吸い込まれて、肉卵そば入りダブル550円也を頼む。ボリュームがあってうまい。これで広島はよしとしよう。という訳で、37.46.33.50と県道メドレー。
広島は他の地域に比べて、圧倒的にマツダ車率が高い。ステーションワゴンなんてOEMだからどれでもいいと思うが、きっちりファミリアバン。そしてカープが二勝しただけで、地元銀行が金利を上乗せしたりの大騒ぎ。このアイデンティティが素敵だ。そして、広島市観光協会のイメージキャラクターはヒロシマン。武器は勿論お好み焼きのこてだ。
三原のキャンプ場へ。
1999年4月5日
大久野島毒ガス工場跡へ。なぜかウサギが繁殖している。廃墟にウサギがいてちょっと変だ。発電所跡は巨大な空間になっている。例によってアホの落書きが多いのが残念。貯蔵庫は、戦後米軍が火炎放射器で焼き払った後がそのまま残る。
1999年4月6日
尾道へ。駅がえらく立派になっている。大林映画のパンフをもらう。ひたすら徘徊。とにかくいい路地が多い。監督がロケで使うのもうなずける。結構大林さんが多い。渋い銭湯も多い。
岸本渡船で向島へ。更に因島大橋で因島へ。大浜崎に無料キャンプ場があり、設営。しかし、設営時にフックが眼に当たり、コンタクトが飛んでしまった。片目で必死に探すが見つからず。日は暮れてゆく。仕方なくまず設営を済ませ、眼鏡に替え、マグライトで探す。きらきら光るのは夜露。やけ酒を飲みながら対策を考える。コンタクトがないとカメラのピントが合わないので、死活問題である。片目だけ作るか、使い捨てを作るか。どちらにしろかなりの出費を覚悟しなければならない。俺は絶対神様を信じない。
1999年4月7日
テントを撤収してからもう一度探す。ある訳が無い。発狂してそこを足で踏み固めてしまいたい衝動に駆られた瞬間、光るものが視界に入った。コンタクトだった。神様を信じなければならないようである。
伯方島で無人販売100円のみかんを買う。何と巨峰並みの甘さ。
とんとんと橋を渡って今治へ。市役所食堂でサバの定食を食べる。13階なので見晴らしがいい。
小松、氷見、野々市となぜか北陸の地名が多い。
1999年4月8日
別子銅山の鉱山街を歩く。植林され、はるか上まで続く石垣が残り、古代遺跡のようだ。
白髪山休養センターに泊る。昔の学校の教室で寝る。
1999年4月9日
旧別子銅山へは徒歩でしかアプローチできない。小足谷接待館へ。ちょっと変わったレンガの塀だけが残る。旧別子は大正5年に閉山になって、その後植林されている為、かなり自然に帰りつつある。
1999年4月11日
道後温泉坊ちゃんの神の湯に入る。
内子へ。非常に渋い町並み。
近くの運動公園でビバーク。
1999年4月12日
朝、立ちションをしていると、女子中学生がチャリで坂を下ってくる。「おはようございまーす。」と元気に挨拶され、ちょっと恥ずかしい。
宇和島の市役所で、メールをする。
船越運河へ。日本一水のきれいな運河だろう。
お遍路さんと一緒にビバーク。
1999年4月13日
足摺岬へ。38番札所金剛福寺へ。お遍路さんがステッカーをくれる。
1999年4月14日
四万十川を溯ってゆく。沈下橋は近くに大きな橋ができたりして、徐々に本来の役目を終えつつある。しかし、水面に近く、欄干などの邪魔物が無いので、四万十川を満喫するには最高の橋だ。
半家でえらくきれいな高校生を撮る。
三島キャンプ場へ。設備が揃っている。しかし、シーズンオフで無料。
1999年4月15日
キャンプ場に群馬の人が来る。車は勿論レガシィ。横川で峠の釜飯を売っていたという。ビールで乾杯。
1999年4月16日
四万十源流を目指す。途中から厳しいダート。駐車場から徒歩に。しかし、看板があらぬ方向を向いていたせいで道を間違えてしまう。かなり深追いして山頂に出てしまう。山頂に源流がある訳が無い。面倒になり引き返す。
1999年4月17日
酷道として名高い439号(通称与作)を激走。京柱峠はかなりきつい。ほとんど車が通らないので、重機が道を塞いで工事をしている。こんな所で成り立つのか峠にラーメン屋がある。
かずら橋へ。観光化され、並走して橋が作られ、秘境のイメージとは程遠い。一応渡ろうとすると大音量で逆走するなと怒鳴られる。一方通行らしい。憮然として帰る。
1999年4月18日
高知へ。無料の渡船で川を渡り、アイスクリンを食べる。シャーベット状で舌の上でふわりと融ける。100円。
900円で散髪。
1999年4月20日
魚梁瀬で森林鉄道跡を見る。
室戸岬、ホテルニューむろとの廃墟を見る。独特の形をしたタワー、螺旋階段はとてもよい。
牟岐で激渋銭湯に入る。
1999年4月21日
朝6:00に出発。お遍路さんの朝は早く、もう結構歩いている。
日和佐は、漁村が迷路のようで面白い。
徳島でラーメンを食べる。こってりの醤油味で、月見そばのように生卵が入っている。大変にうまい。
坂東の駅でSTB。お遍路さんがビバーク体制に入っている。お遍路さんのSTBはかなり市民権を得ている。この駅のベンチは非常にSTBに向いている。
1999年4月22日
6:00起きで一番札所霊山寺へ行き、四国霊場一箇所巡りを済ます。一緒にビバークしたお遍路さんがお経を上げてくれる。
1999年4月23日
高松でインターネットカフェを探すが、潰れたらしい。パソコンが普及すれば必要の無いものである。
セルフうどん大盛り220円。高松はうどんが安くてうまくて大変良い。
大串温泉へ。海に面した総ガラス張りの風呂でキンタマを海に向けたまま体が洗えるシステムになっている。すぐ近くに岬があり、100円双眼鏡も設置されている。
1999年4月24日
番の州へ行ってみる。島が埋め立てで半島になったような変わった構造。
四国電力でメールをする。高松県営桟橋へ行く。鬼ヶ島の隣の男木島へ渡る為である。男木島は島版尾道といった風情で、0.2車線の路地と坂と階段が入り組んでいる。再び県営桟橋に戻ると、古風な待合室の横に佇む女性がいい感じだったので、撮らせてもらう。彼女もビックミニを持っていて、やはり作品を撮っていた。
下水処理場でビバーク。こういう立入禁止箇所は安全である。
1999年4月25日
朝の船で小豆島へ。坂手、佃煮工場から香ばしい匂いがする。安田、醤油の匂い。土庄、ごま油の匂い。街によっていろんな匂いがする。小豆島というとオリーブを思い浮かべるが、実はごま油や醤油が主な産業でシェアも高い。
キャンプ場がどこも高いので、運動公園に設営。しかし、トイレにカギがかかっていて、非常に困る。雨風もひどい。
1999年4月27日
岡山に渡り、犬島精練所跡へ。とにかくダイナミック。煙突が5本にょきにょき生え。その下に崩れたカラミの巨大迷路。
1999年4月29日
片上鉄道の廃線跡と柵原鉱山を攻める。ホッパや立坑が残る。
上郡で小学校時代の友人に会う。15年前と同じあだ名で呼び合う。鍋を囲んでビールを酌み交わしていると、いけない事をしているような気分になる。
1999年4月30日
姫路を徘徊。モノレールの跡が所々ちぎれている。その下にうらぶれた飲み屋街が並ぶ。表通りとは全く別の世界がある。
1999年5月1日
新神戸へバイクを停め、異人館街を歩く。GWなので結構人が多い。
芦屋のユースホステルに泊る。夕食は取っていなかったが、外で何か作ると言ったら、不憫に思ったらしく、オムそばを作ってくれた。
1999年5月2日
蔦の絡まる甲子園球場を横目に走り難波へ。船で会った伊奈さんに大阪を案内していただく。食い倒れ人形を見て、お好み焼きたこ焼き。道端には火星人あり、どくろありで、看板を見ているだけでも楽しい街だ。日本橋電気街を抜け、通天閣が現れる。昔は凱旋門にエッフェル塔が刺さったデザインだったらしい。散髪600円という店がある。さすが大阪。
岸和田のサウナに泊る。
1999年5月3日
さすがGW、国道42号はびっしり渋滞。車だったら明日まで動かないんじゃないだろうか。
紀州鉄道に乗り、廃線跡も歩く。非常にボロくていい私鉄だ。
アメリカンバイクをあおりながら走る。しかし、カブには幅寄せしたりするくせに、アメリカンバイクには道を開けたりする車達は、いかにも軟弱ニッポン人である。お前ら一生そうやって列を作ってなさいと言いたくなる。
田辺の野球場のブルペンにビバーク。
1999年5月4日
テントを出ると横に的が設置され、袴の中学生がうろうろしている。ブルペンだと思っていたところは、弓道場だったらしい。すまんすまんと撤収。
白浜の、海の無料露天風呂に入る。
白浜から道が空いてくる。潮岬には広大な芝地があり、キャンプ場になっている。沢山のテントが建っているが、まだまだ余裕がある。気持ち良さそうなので投宿。芝生の上にマットを出して本を読む。いたって快適。
1999年5月5日
昔行った大島が地続きになっている。沢山車が入り、便利になったが、島の良さも失われつつある。
1999年5月6日
湯の口温泉へ。ここはかつての坑内電車に乗って温泉に行けるという、素晴らしいシステムになっている。電車と温泉で400円。マッチ箱のような電車。サスペンションが無いので、レールの凹凸をそのまま楽しめる。
紀州鉱山跡へ。木が茂りアプローチはかなり厳しい。コンクリートの骨組みが美しい。温泉地温泉の下のキャンプ場へ。定年チャリダーがいる。そのパワーには頭が下がる。
1999年5月8日
南島町の砕石鉱山鉄道を見に行く。てっきり廃線だと思っていたが、レールの内側が光っている。走っている証拠だ。13:00昼休み終了と同時に鉱石列車が動き出す。1本の列車が30分毎に行ったり来たりするシンプルな鉄道。
1999年5月9日
二見浦へ。夫婦岩を見て驚いた。あまりに小さいのである。テレビなどで何度も見てこれだけ有名なのだから、相当でかいものだと思い込んでいたのである。
伊勢神宮へ。今度はその大きさに驚く。上野市へ。伊賀忍者の街。地名に忍町なんてのがあって、面白い。
やはり運動公園ビバーク。松坂牛、ではなく200円のアメリカンビーフでステーキ。
1999年5月10日
国道1号線、鈴鹿峠を超える。員弁の公園で設営。
1999年5月11日
藤原鉱山へ。一面石灰の白い世界。
1999年5月12日
半田の友人宅へ。
1999年5月15日
名古屋へ買い出し。旅で大量に撮ったフィルムを処理する為に、大きい現像タンクを入手しなければならない。しかし、残念ながらトップカメラでさえなかった。アサヒドーカメラは中古をやめていてつまらない。
1999年5月16日
下呂温泉で川原に設営。無料露天風呂付き。
1999年5月17日
白川郷へ。合掌造りの民宿「ふるさと」がこの旅最後の宿となる。ラムネを買って散歩する。長い旅を反芻しつつ、庄川の流れを眺める。
民宿に戻ると突然雷雨に。北陸に帰ってきたと思う。四畳の部屋で最後の手紙を書いていると、モノ書きになった気分。最近では山の宿でも刺し身が出たりするが、この宿はすべて山のもので作られている。ご飯もひえ飯。その潔さがいい。
1999年5月18日
今日はもう家に帰るだけである。一つ気になっていた事がある。庄川のほとりなら自分と同じ「庄川さん」がいるのではないかという事。ハローページを開いてみる。
該当する名前はなかった。