1999中国(青島→日本)

1999年5月5日

 人々が続々と起き出し、こまごまと動いている。終点が近いらしい。朝の厠所は激しく混雑している。

 青島の改札口を出ると客引きが群がってくる。それを振り切り、汽車站(バスターミナル)へ。宅急便のトラックをそのままバスにしたようなのが沢山並んでいる。IVECO Turubo Dayliy 南京と書かれている。「青島ー煙台」と書かれたバスに乗り込み、切符を買う。30元(420円)。荷物を抱えて座席に座ると動けない。補助席と車掌席まで使って詰め込み、発車。走る走る激しく走る。途中から国道らしき立派な道へ。しかしこの道は自行車も牛も走る。そこを、もう使いすぎて喉が枯れたクラクションをバンバン鳴らして激走する。工事区間では対向車線を暴走。通路側の私は状況が良く見えないが、A氏は「同じバスが事故ってた」とか「今公安を抜いた」とか報告している。爆走しながらも車掌は客引きをしている。もう乗れないと思うのだが。

 3時間半ほどして煙台駅前到着。駅の電光掲示板を見ると青島行きの硬座に空席がある。どうやら帰りはTurubo Dayliyのお世話にならずに済むらしい。駅の近くに市場があり、吸い込まれる。弁当屋の屋台が出ていて人民がひっきりなしに買っていく。屋台には沢山の鍋が並んでいて、紙パックに好きなのを入れてくれるらしい。試しに買ってみる。鍋を指差していくとどんどんパックに入れてくれる。4,5種類のおかずを強引に押し込んで蓋をする。これが2元(28円)。更にご飯が1パック1元(14円)。こいつを人行道(歩道)にしゃがんで食べる。5種類のおかずがごちゃごちゃに混ざり合い、溶け合い、凄まじい説得力で胃袋を刺激してくる。我々はこの弁当を息もつかずにむさぼった。そしてA氏がすべてを食べ尽くした時、私はご飯を1/4程残していた。そして私が確信に満ちた表情で、5種類のおかずのすべてが濃縮還元された残渣をこれにかけた時、A氏は空を仰いだ。

 時計から果物、ブラジャーまで何でも売っている屋台の通りを物色する。船で見た毛沢東ウォッチが欲しいなぁと思っていたが見つからず。しかし、文字盤に観音様の柄が入った懐中時計が気になったので、交渉してみる。30元が25元になった。人民が交渉するとおそらくもっと安いんだろうなぁと思いつつも、まあ、450円が350円になって、それを250円にしてもなぁと思い、妥結。でも、残念ながら香港製だった。おかげで大変正確に動いたが。

 烏龍茶のこともあり、コカコーラが気になって飲んでみたが、さすがにこれはちょっとぬるいだけで世界共通の味だった。A氏は冰泥というアイスを買って食べていたが、途中でこういうものは生水で作られているということを思い出し、私に勧めてきた。

 青島行きの火車は硬座と言っても、軟座の払い下げのようで、快適な座席だった。ただ、いくつかの車輌に集中して乗せるので混んでいる。

 青島に到着し、改札を出るとまた客引きが群がってくる。泊まるあてはない。ここで、「ちょっと客引きに引っかかってみようか」という事になった。「あのごついオヤジはやばいだろう」「やっぱおねえさんがいいね」「そうね」ということで、おねえさん二人組みと交渉。ごついおやじが割り込んでくるのをおねえさんは一喝し、我々を引っ張っていく。彼女は400元を提示。「太貴了(ちょっと高いね)」我々はこの単語だけは知っているのである。「200元でどう?」「便宜一点口馬?(もうちょっと安くして)」これも数少ない語彙の一つ。「じゃ140元」「百!」どうやら交渉成立のようで、おねえさんはほかの客引きを罵倒しながら我々をある飯店へ案内した。結構立派なホテルだ。ツイン100元の部屋は満室で200元の部屋ならあるという。A氏が部屋を見に行く。かなりいい部屋らしい。200元の価値はあるというので決めかかったが、フロントが外国人は泊めないという。中国には外国人の泊まれるホテルと泊まれないホテルがある。違反にはそれなりの制裁がある国である。200元の客のためにリスクはとりたくないのが本音だろう。おねえさんは出租汽車を捕まえ別のホテルにつれて行く。やはり立派なホテルだが、ここも外人お断り。3件目で漸くOK。三得利賓館というホテル、ツイン210元(3000円)。少しくたびれたシティホテルといった感じで、広い部屋。窓からはボロアパートと街並み、そして遠くに海が見える。それなりに金を要求されるだろうと思っていたが、意外にもおねえさんは何も受け取らずすぐに帰ってゆく。

 服務台に預ける押金は500元(7000円)。持ち金が底を尽きた。鍵をくれるのではなく、顔パス方式。散歩に出ると言うと、夜市が立つと教えてくれた。行ってみると実にいろいろなものを売っている。魔法瓶の栓等もちゃんと売り物になるのである。人民服のじいさんが胡弓でストリートライブをやっている。澄んだ悲しい音色が染みる。  景徳基(ケンタッキーフライドチキン)に入ってみる。うまく聞き取れず聞き返すと店の小姐は、「Can you speak English?」と言った。中国で聞いたはじめての英語である。中国ではほとんど英語が通じない。ケンタッキーの店員というのはおそらく結構エリートなのだろう。日本のケンタッキーの女の子が英語を話せないことはないと思うが、外国人が来てもマニュアル通り「ご注文はお決まりですか?」と言うのだろうな。それはさておき、同じアジア人同士なのに英語で会話するというのはちょっと悲しい。せめて「唐揚三個に焼馬鈴薯に可口可楽!」くらい中国語で言えるようになるべきだなぁと思う。

 ところでこのフライドチキン、食べてみると辛いのである。単に新製品か何かで辛いのを頼んだのか、それとも中国の味に合わせてあるのか。そう考えると日本のケンタッキーは醤油の味がするような気がしてくるのである。中国では麦当労(マクドナルド)より景徳基の方がメジャーである。また可口可楽より百氏(ペプシ)の方がメジャーである。マクドナルドが日本を選び、ケンタッキーが中国を選んだのはどういう戦略の違いだろうか。研究してみたら面白そうだ。

 青島はかつてドイツに占領されていた。山労山(ラオシャン)の水とドイツの技術でおいしいビールが出来た。これが青島ビールである。今でも街を歩いていると欧風の建築があちこちに見られる。そんな街をふらふらと徘徊してみる。

1999年5月6日

 朝、散歩に出ようとすると制される。筆談をするがわからない。「探している人がいるから待ってなさい」ということだが、なんだかわからない。しばらく待っているとノックがして昨日のおねえさん。やはりなんだかわからない。わからないまま出発。

 ビルの地下駐車場みたいなところが市場になっていて、乱入する。食材があふれている。トラックに山積みのトマトをそのまま売っている。天井には標語の書かれた大きな横断幕が下がり、リアカーを連結したバイクにきれいな小姐を乗せて走っていくおとっつあん。A氏は「あんちゃん、いい肉入ったでー300元でどうや!」と巨大な肉塊を売りつけられている。ここは活気と喧騒と混沌が渦巻く不思議なラビリンスである。ごまの入ったおいしそうな面包(パン)が売られていたので、3個買う。値段がわからないので、5元を出すと4元返ってきた。

 とりあえず公共汽車に乗ってみる。5角。運転席の横に大きなボックスがあり、エンジンがここに納まっているらしい。バスは上り坂でみるみるうちにスピードが落ちる。停まりそうになりながらも何とか越える。輪渡站を覗いてみる。再び公共汽車で中山公園へ。その巨大さに圧倒され、引き返す。

 6路で繁華街中山路を抜けたところでバスが停まる。街を歩いているとまたも市場に吸い込まれる。今度はかなり大規模だ。そのあたりの餐庁(食堂)に入る。店の前では人民服のじいさんが焼き鳥を焼いている。テーブルにつくと、じいさんが「焼き鳥はどうじゃ」と売りつけに来る。その焼き鳥に唐辛子がたっぷり載っててうまそうだったのと、じいさんの顔が良かったので、いただく。5角(7円)。店を出ると隣がビールスタンド。青島ではあちこちにビールスタンドがあり、人民は思い思いビニールなどに詰めて買っていく。その店ももちろん青島ビール。当然生有り。一つ気になるのは、樽が陽に当たっていることである。中国ではビールは冷やさないことが多い。ただ、中国ビールはアルコール分3.5%くらいのあっさりビールが多いので、ぬるくても案外飲めるのである。この店もぬるいに違いない。しかし、これが中国なのだと自分を説得して飲んでみることに。ただ、ビールの買い方が分からない。ジョッキが出てくるわけもないし、紙コップなんか見たことない。とりあえず、ザックにぶら下げていたマグカップを店のあんちゃんに差し出し、「これで、飲めるか?」と聞くと、あんちゃんはおもむろに頷き奥へと入っていった。そして、1.5Lくらいのピッチャー・・・というよりメスカップのようなものを持って現れた。マグカップにビールが注がれる。これがうれしい誤算で、奥から出したビールはしっかりと冷えているのである。すっきりとした喉越しの青島は、強い日差しが照りつける市場の道端にしゃがんで飲むのに、最高の選択だった。ビールはメスカップに限る。ただなぜか、あんちゃんはビールを継いだ後もメスカップを持ったまま立ち尽くしている。おそるおそるマグカップを差し出してみるとまた注がれる。飲み終えるとまた注がれる。わんこビールなのである。どうも最低販売単位がこのメスカップらしい。そしてこのメスカップ1杯が2元6角(35円)。参考までに、500mlペットボトルの鉱泉水(ミネラルウォーター)が5元(70円)である。なぜこんなことが起きるのか。それは日本の人件費の高さが原因である。日本の場合、人件費が高いので、人が手間をかけた方が高級ということになるが、中国では機械を使った方が高級になる。だから缶やペットボトルに詰めると高くなるが、自分でビニールに詰めていくと安くなるのである。とにかく、こんな街にいたら絶対酒に溺れる。我々は道端にしゃがんだまま、しばし至高のひとときを味わった。

 夢心地のまま市場を下ってゆく。洗面器にサソリを入れて売る男がいる。写真を撮ったら笑われた。名残惜しいがもう行かねばならない。フェリーターミナルへ行くと、仁川行きフェリーも出るようで、韓国人だらけだ。日本の団体客を見つけ、乗船手続きをしたかどうか尋ねるとしたというので、あせって手続きをしに行く。タビックスツアーに続いてイミグレーションへ。ワガママ、セクハラ、ツアコンオネエサンがしきりに愚痴っている。ボロバスに乗って乗船。二等Bは満席。でもGW以外は空いているらしく、この便の戻りは15人くらいだと言っていた。銅鑼の音とともに出港。ゆっくりと大陸が遠ざかってゆく。ツアーが乗っているので、乗客はほとんど日本人。食堂のメニューはカレーライスやかつ丼。そして、何でも買えた百元札は、ほとんど価値の無い千円札へと姿を変えた。夢から覚めて、手の中に木の葉が残っていたような気分だった。