2002中国(富山→丹東)

 

 電話が嫌いである。特に携帯電話が嫌いである。自分でその音に設定しているくせに、その着メロが嫌いである。最近では相当な僻地でもアンテナが立つようになってしまった。掴まり過ぎる。屋久島の縄文杉の前でさえ掴まってしまう。日本人は追い詰められているのである。追い詰められた指名手配犯が考える事。それは当然海外逃亡である。

 

2002年12月30日

 その飛行機は空いていた。年末年始のこの時期、1ヶ月以上前にも関わらず、成田発や関空発は満席。結局手に入ったのは地元富山発大連行きのチケットだった。そして、お盆以上に高額な航空券を握り締めて搭乗してみれば、このありさま。

 富山は中国との友好関係が深い。富山と言えば薬である。病気になると、日本一医師が多い石川では「注射打って来いま」となるが、薬剤師が日本一多い富山では「薬飲んどかれ」ということになる。漢方薬の国中国でテレビを見ると、半分以上が薬のコマーシャルだ(もちろん今は西洋医学の薬)。また、最近では労働者として来ている中国人も多いだろうし、福光の方に熱心な政治家がいたとも聞く。

 そんなわけで、ちょっと異質な富山発というフライトが設定されているが、さすがに空席が目立つ。繁忙期でこれでは、閑散期はどんなだろう。廃止にならないといいが。

 「コンドルは飛んでいく」で離陸。雪を被った富山の街も、上から見下ろすとなかなか良い。やがて眼下に雲海が広がる穏やかな飛行。機内食はうなぎと梅干が出る。これは、食い合わせの悪い例ではなかったか。入国の前に胃を鍛えておけよという事だろうか。これに珈琲を流し込み、準備万端。後ろの席は高校生の中国人留学生で、中国語と日本語が入り混じりながら、常にしゃべり続けている。

 時計を一時間遅らせて着陸。うっかり、両替をせずに出口を出てしまう。服務員に聞くと二階だという。しかし、窓口に人がいない。仕方なく出口からもう一度中に入れてもらい両替。両替してもらい、更に細かいのにしてくれと頼むが、迎撃ミサイル「没有」であえなく撃沈。

 とりあえずバス停へ向け歩き出す。風が冷たい。耳が痛い。寒いが雪はない。机場前(飛行場前)から710路バスに乗って五一広場で市電に乗り換える。市電の座席と手すりには布が巻きつけてある。確かにこの寒さの中で、金属には触れたくない。

 日が暮れてきた。まだ今日の宿が決まっていない。短い日程なので、出来れば今日の夜行でどこかの街へ移動しておきたい。とすれば、汽車に乗るしかない。もちろん中国語で汽車と言えば、バスの事である。大連站のガード下をくぐると沢山の長途汽車(長距離バス)がたむろしている。バスのフロントガラスには、巨大な行き先が貼られている。行きたいと思っている街はいくつかあるが、条件が合うのは長春行き。私は、窓枠をセロテープで目張りし、豪華・高速と書かれたオンボロバスの折り戸を叩いた。

 長春まで120元(1,800円)。火車(列車)の硬臥(B寝台)と同じくらいだ。少し多く取られているか。物好きしか乗らないだろう。物好きなので乗る事に。19:00に出るというので、その前に腹ごしらえ。安食堂に入ると眼鏡が曇ってなにも見えない。コンタクトでは風が強く眼に砂が入って痛いし、この街で目が悪いのは圧倒的に不利である。メニューもよく見えず、辛うじて面はあるかと聞く。「もちろん。大肉面か大排面か?」「大肉面!」熱いスープに体が融けていく。

大連発長春行き豪華寝台特急

 バスは肩幅のベッドが三列二段で並ぶ。長さは辛うじて背の高さが確保され、高さは座って首くらい。これに据付の高枕と、嘔吐物の匂いが染み付いた毛布が一枚。外界との違いは、丁寧なセロテープの目張りによって、風が無いだけである。毛布に包まり横になると凍てつく窓から体温を奪われる。毛布がゲロ臭いので、上下を逆にしてみたが同じ事だった。上着を着たまま毛布に包まっているので、左肩が通路にはみ出してしまう。隣のおいちゃんが「木村さんはどうしていますか?」と闇の中紙に書いて渡してきた。

 豪華寝台特急は19:00に出発。長春までは、700km。厠所を済ませておかなかった事を後悔した。板バネは、膨満した膀胱を容赦なく突き上げる。全身に力を入れていないと決壊の危機を迎える。割れたスピーカーからは大音量で中国ポップスが流れている。しかも、そのセリフ部分を日本語で「あいつらはグルメじゃない、なんでもぺロリ」とやる、奇妙なやつだ。決してあの歌のカバーではない。このバスはVCD搭載車で、黄色い画面で中国漫才をやっている。ボケの方がやはり日本語で「月がとっても青いから〜」と歌いだす。欧米人が見る日本もこんな感じなのかと思う。バスはひたすら騒々しく北へ向かう。

 三時間ほど走り、漸く休憩。外に出ようとするが戸を開けてくれない。どうにか降りると何も無い路傍である。仕事を半分ほど終えたところでバスが走り出す。駆け戻って戸を叩く。どうやら休憩ではなく、停留所だったらしい。15秒くらい待ってくれてもいいじゃないか。

 暫く走ってやっと本当の休憩。残り半分を心ゆくまで放水。ここからは、VCDも消え、闇の中の穏やかな旅。横になったまま凍った窓を削ると、唯一知っているオリオン座が強い光を放っている。案外豪華特急かもしれないなと思う。強い振動が眠りを誘う。この寒さの中眠るのは危険と思いつつも、落ちてゆく。

 

2002年12月31日

 人が動く気配に目が覚める。「到了到了!長春長春!」と突付かれる。到着らしい。早朝六時の長春の街は寒いという次元を超えている。すぐに鼻毛が凍った。どこに着いたのかも分からず、地図を見る余裕も無く、でもなんとなく確信に満ちた感覚で闇の中歩いていくと、果たして駅が見えた。−20℃から30℃くらいだろう。あの気温では、長時間持たないと思う。あるかないか程度の駅のスチームに助けられる。少し落ち着いて今後の方針を考える。日程的には今日の夜行に乗るのがベストだ。しかし、極寒の街で荷物を担いで夜中の12時まで過ごさなければならない。午前中の昼行便もあるが、長春の街が見られない。このような場合は他力本願、切符が取れたのに乗ろう。

 窓口のおばちゃんに運命を託して出てきた切符は丹東行き昼行の硬座(普通車)だった。確か寝台を頼んだはずだが。これも運命らしい。31元(470円)。寝台の訳がない。

 列車は乗客で溢れていた。丹東まで12時間。ほとんど身動きが取れない。厠所にも行けず、またも膀胱攻めだ。

 沈陽北駅到着。停車が多く乗り降りが頻繁で、石炭のスチームがまるで効かない。そんな中、アイスキャンディーを売りにくる。よく、暖房の効いた部屋でコタツに入ってアイスを食べるのが好きという人がいるが、そういう趣旨では全くない。常温で販売ができる状況である。当然のごとく買って食べている女の子がいる。コーヒー牛乳を売りにくるおいちゃんがいる。買ってみると、紙コップを渡され、ポケットからおもむろに取り出したネスカフェの粉を入れる。そして、手に持っているじょうろのような保温式薬缶から脱脂粉乳を注いでくれる。ストローで掻き混ぜて5元(80円)也。魚を売りにくる。今駅の近くの川で釣ってきたという趣き。商売の基本はディスプレーということで、鮎の友釣りのように紐にぶら下げ見せながら売り歩く。これにはさすがの中国人も笑っている。

 窓の外は防風林が続く。ロバ車と自転車が立ち止まって話をしている。きらきら光るものを身にまとった少女が楽しそうに歩いてゆく。部屋の中で着るような服を着た奥さんが家から出てくる。子犬が子犬を追いかけてゆく。美しい夕景。マゼンタからシアンへのグラデーション。

癒しとくつろぎの宿 利来招待所

 丹東到着。大きな発泡スチロールの箱を持ったおいちゃんに「ちと手伝ってくれんかのう」と言われ、駅の外まで一緒に運んでゆく。そこで客引きに取り囲まれる。寒さと過酷な旅で意気消沈し切っていたが、久々の客引き攻撃に気分が昂揚してくる。こういう場合、安全でいい宿へ連れて行ってくれるのはおばちゃんである(気がする)。一人のおばちゃんと交渉し、ちょっと見せてくれるか?と言ってついて行く。歩きながらおばちゃんは「あの向こうが朝鮮だ」と言う。丹東は北朝鮮との国境の街。その国境に向かって歩いているらしい。連れてこられたのは国境の川鴨緑江に近い、利来招待所という小さな安宿。風呂と言ったつもりだが、中国ではあまり風呂の習慣がないので、シャワーの意味に取られてしまったらしい。風呂はなかったが、宿の人は親切そうだし、何より部屋が暖かく、腰が上がらなくなった。60元也(900円)。

国境の町の料理店にて

 落ち着いたらまずは夜の街へ。駅前でまた客引きに声を掛けられる。と思ったらさっきのおばちゃんだ。「ハロー!」「ニイハオ!」。公安局の前に巨大廃墟ビルが。と思ったが、これは建築中のビルだ。建設ラッシュの中国に廃墟ビルが存在する余裕はない。鴨緑江沿いを歩く。北朝鮮側はほとんど明かりが見えない。北朝鮮側からは、こっちのビル群やレストランの明かりが見えているはずである。

 この川沿いにはハングル文字が溢れている。この街には多くの朝鮮族が住んでいる。一軒の朝鮮料理店に入ってみる。チマチョゴリの小姐が迎えてくれる。メニューに朝鮮混飯とある。これと鴨緑江ビールを頼む。やはりビビンバのことだった。赤いペーストがたっぷりとかけられていて、ちょっと身構えたがそれほど辛くなく、旨みが深い。常温のビールもなかなかうまい。10.5元のはずだが、10元(150円)と言われる。

 宿に戻って熱いシャワーを浴びると体が漸く解凍される。宿は快適。暖かいというのは有難い事だと思う。


旅のつぶやきコラムE

デジカメ

 前回の旅からデジカメを導入している。ただ、今回は極寒の中国である。デジカメのアキレス腱は電池である。デジカメは電池を喰う。寒冷地では更に電圧が低下する。マンガン電池やアルカリ電池で使う事はほぼ不可能に近いので、充電池を使う事になる。散歩写真にはコンパクトな機種の方がいいが、そういうカメラは電池容量が小さくしかも、電池が高い。

 今回使用したのはオリンパスのC-3030という機種。などと書くと、デジカメを沢山所有しているようだが、もちろんこれしか持っていない。三世代前の300万画素機である。デジカメにしてはデカイが、単三4本を使うので、安くて長持ち。ニッケル水素を使えるので寒さにも強い。-10度前後でも十分使用に耐えることが分かった。中国のコンセントは200Vだが、日本と同じ形のプラグがあるので、充電も可能だ。

 またこの機種は今ではあまり使われなくなった補色系のCCDを使っているので、非常に地味な色が出る。地味だが深みがあるので、丁寧にレタッチする事により実にいいトーンが出せる。

 完成品はモノクロだが、撮影はカラーで行う。銀塩で非常に高度な技術が必要だったフィルターワークが、カラーで撮影を行う事によって代用できてしまうのだからすごい事である。

 また、デジカメでは珍しく、30mm位の広角レンズがついている。これが有り難い。ただ、たっぷりと歪曲収差が出るので使うのに少々コツがいる。

 難点は起動が遅い事で、撮影開始まで5秒ほど掛かる。あと、光学ファインダーは視野率が低すぎて使い物にならない。そうは言っても、新型機種が続々と出てくる中、それほど買い換えたいと思わないのだから、やはり良く出来ているのだろう。

 中国でもデジカメは売っているが、まだかなり少ない。パソコンの普及率が低いせいもあるだろうし、何よりも高価である。ただ、デジカメで顔の写真を撮って、アイドルの写真に合成してプリントアウトするという商売が繁盛している。そのレタッチ技術はなかなかのもんである。



 

その先の中国へ