学生生活と水泳部          15期 川島正敏

 水泳部に入部したのは2年次の春だから、この原稿を書いている頃は5年目の半ばということになる。今思い起こすといろいろなことがあったが、入部したことは全体として決して間違ってはいなかったといえる。思えば入部そのものは事故のようなものだった。水泳には興味があったが、入部するのは時間をかけてゆっくり考えるつもりでいた。それが周囲の圧力に押されるようにいつのまにか入部してしまっていたのであったが、不愉快でもなく居心地のいいものであった。まあ自分の居場所というものはそうして手にいれるものかもしれない。自分からひたすら求めるものではなく、自然と近づいてきたといってもいい。

 入部した当時はまだ部員も少なく、また部の存在自体充分に認知されていなかった。それがプールができて後輩がたくさん入部し、各種大会で結果を残すだけでなく九山大会を主幹するまでに至るなど水泳部がますます充実しつつあるのを実感した。そのように部全体の勢いが上昇気分の中で部生活をおくれたのは幸運だったと思う。

 思い出もたくさんできた。過去4回の九山大会にはそれぞれが意義深いものである。宮崎(1994)では大会期間中に地震があり、ちょうどプールサイドでの応援中であった。丸野内さんの200m個人メドレーの競技中だったのでよく覚えている。1995年は主幹として大会を開催した。大会は成功できたが、自分としてはあまり貢献できなかったことをこの場を借りておわびしたい。佐賀(1996)では偶然が重なって入賞できたし、大分(1997)では6年生として最後の大会を祝って貰った、そのいづれもが自分の過去として切り離せないもである。

 ひとつひとつの出来事でしかないことが、それをつなぎ合わせることによって学生生活の輝かしい一部分として飾ることができると思う。そしてそれはそれにふさわしい先輩や後輩に恵まれたことによるもので、それができたことをとても嬉しく、また誇りに思っています。最後に部誌を創設するにおおいに尽力したであろう後輩諸氏には深く感謝したい、今我も水泳部を充実させ、さらなる活躍を期待しています。


前のページへ

ご意見ご感想はこちらにどうぞ


Katsunori's HomePage 産業医学資料展示室