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新しく描いた論文の項目順に並べるページ。
日記と小説等の作品は含まれません。
















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2007年7月30日月曜日午後7時28分設置。




















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2007−7−30 月曜日午後7時28分カキコ。
経済の分岐。




2007年7月30日月曜日午後7時21分カキコ。
社会主義社会と資本主義社会と共産主義社会。
社会主義社会はその国の人がすべて生活に一定の安定を得られること。
これに対して資本主義社会はお金での物品の流通であるため、比較的成立しやすいと言える。
ちなみに共産主義社会は世界のすべてが一定安定を得られる社会であり、……ちょと広大過ぎて想像しにくいものではある。
資本主義社会と社会主義社会は表裏一体同じものであり、このふたつの概念要素から国は構成されている。
社会主義と資本主義は国という概念を構成する元素のようなものである。
このふたつが両輪となって国を走らせていると言える。
国が借金にあえぐのも国益が商売が上手く行ってない面があり、それによって行政が国民の衣食住に補助出来ないこと。
それはつまりは生活と経済が密接な関係にあるからである。
政府などいらないという人もいるが、すべての人が企業して自分で生きて行けるものでもない。
また会社や個人よりは国が責任を最後には取る最後のラインである。
いやまあ会社や個人や国も責任が取れない時は第三者がボランティアで責任を分散して取ることになり、たとえば天災の時には会社も個人も国も動くが、第三者たるボランティアも動く。
共産主義社会では全物無料となっており、この第三者のボランティアのみで経済と生活は運営される。
既に会社も国もその時は無いのである。
もうお金に困らない。ということで、全物無料になりませんか鈴鷹さんとか聞かれることがあるが、たとえば観測方法があって、宇宙の果てまでとか何十光年先まで見ることが出来ても、そこまで行く伝達手段が無い。いまはやっと大気圏を突破するのに効率的なものはないか探している程度である。
それは経済制度においてもそうなのだ。










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2007−7−11 水曜日午前1時22分カキコ。
鈴鷹さんの分岐。




2007年7月11日水曜日午前12時50分カキコ。
オウム真理教とアタクする人たち。
これはやはりこの人たちの生活基盤が脆弱なために起きたことだと言えます。
もしここに鈴鷹さんがなにか関連付けられるとするならば、 それは鈴鷹さんの生活がとても弱いと言えます。
鈴鷹さんはまさに業界そのものの存在となっているのに、 給料を払われない。
やっと年金が払われて、 やっと現場に入った時には、 もうかなり鈴鷹さんの生活が壊れた、 鈴鷹さんが壊れた後でした。
このため、鈴鷹さんの生活の壊れ方がそのまま業界いやさ世界に波及しています。
生活に必要な給料を出すこと。
これは月20万円(?)もあればそこそこでしょう。
また現場に入ることができ、仲間がいつでも鈴鷹さんの生活に助けに入ることが出来ること。
連絡もいつでも取れること。
話が出来ない時間は、鈴鷹さんの生活不安となっています。
せめてメール交換程度は出来ないことには、なにがなんだか分かりません。
それはそのまま業界にひとりひとりに波及してしまいます。
これらのことは、必要だと思います。
そして情報の開示。
これが必要です。


−−−。
生活と人生。


人生。
普遍、共通、一般。

生活と人生。
特殊、集合、新性。

ひとりひとりの生活。
個別、蓄積、唯一。




安全性と安定性と人生は基本的に生活レベルに比例すること。









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2007年6月25日月曜日午前12時23分



















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2007−6−25 月曜日午前1時00分カキコ。
サウンドデュアルの分岐。




2007年6月25日月曜日午前12時56分カキコ。
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本質のサンデュ。


本質。
普遍、共通、一般。

本質。
特殊、集合、新性。

本質。
個別、蓄積、唯一。




−−−。
イメージのサンデュ。


悠久の時を気持ち過ぎ行くこと。
普遍、共通、一般。

本質共鳴。見えないものを感じること。
特殊、集合、新性。

想像の翼を羽ばたかせること。
個別、蓄積、唯一。














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2007−6−25 月曜日午前12時22分カキコ。
お笑いの分岐。




2007年6月25日月曜日午前12時21分カキコ。
フリートークのサンデュ。


みんなへの問い。
普遍、共通、一般。

本質への問い。
特殊、集合、新性。

問いかけと答え。
個別、蓄積、唯一。




だらだらと自分の思ったことを綴ったりすることかなあ。
最近はコントで出て来たりする人も、フリートークで番組を持つのが流れとなっていますね。
いやまあこれはうんお笑いだけではないですね。




−−−。
お笑いのサンデュ。


常識からずれること。
普遍、共通、一般。

本質がくすぐられること。
特殊、集合、新性。

笑い。
個別、蓄積、唯一。




お笑いもひとつひとつの積み重ねであること。
本質を問いながら笑えること。
大衆文学エンタメと純文学勉強の両立。
昔は純文学と大衆文学の対立というものが一部にあった。
勉強のために、質高くなるためにいい人になるために文学小説を読むのだというのが純文学で、大衆文学は楽しいエンタメね。
サンデュではこの両立を基本としており、そのバランス取りをするような感じだろうか。








ふとんがふっとんだ。
猫が寝込んだ。
たかさきはやとはスケベだ。
猫に小判(コンバ)ンハ。
とかね。


いいものはいつでもどこでもいまでもいい。

だからそれは時間があればだいじょうぶである。



古きお笑いを笑って古きお笑いから新しきお笑いへ。

古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
お笑いをひるがえらせるお笑い。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。









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2007年6月23日土曜日午前12時8分。



















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2007−6−23 土曜日午前1時8分カキコ。
精神の分岐。




気持ちの余裕とバランス。


時間が過ぎて行く悠久の流れをとらえること。
普遍、共通、一般。

本質を感じること。
特殊、集合、新性。

話を聞くこと聞いてもらうこと。
個別、蓄積、唯一。




自然が素晴らしいのは、やはり芸術と言えども人の手によって作られたもので、それはせいぜい何十年だったりするからです。
受け継がれる伝統もありますが、億年、宇宙においてはさらに大きな時間の流れにはかないません。
この長くゆっくりと過ぎるを時を感じることで、気持ちのバランスは主軸を得ます。
本質を感じることは一瞬で気持ちのバランスを整えてしまいます。
話を聞いてもらうと、人は自然とバランスを取り戻せます。
これらで人は気持ちのバランスと取っていると言えます。










−−−。
いいもののサンデュ。


時間蓄積(量)。
時が過ぎて行く景色。巡る季節。過ぎゆく時間を感じよう。時間をかけて考えよう。じっくりと地味に時間をかけること。時間をかけると固定観念になることもあるのでそこそこにね。バランススタンダード。ひとつひとつの時間の組み合わせ。時間。常識基本基礎の会得。ひとつひとつバランス取り。みんなの道。
積み重ねはひとつの時間をかけること。
幾重かの時間をかけることから構成されること(いいもの普遍、共通、一般)。


柔軟性(質)。
現実への対応はその場その時ケースバイケース。千差万別臨機応変。試行錯誤。時間をかけると固定観念の一面が出て来るが、その固定観念をゆっくりと解きほぐすこと。基本基礎の応用が利くこと。バランスセンス。時に休むこと。休息。そこそこやろう何事も。とかね。本質。常識基本基礎からずれること。ゆっくりバランス取り。本質の道。
柔軟性はひとつのそこそこ。
幾重かのほどほどにしとくことから構成されること(いいもの特殊、集合、新性)。


主軸(場)。
ゆっくりと行こう。マイペース、自分の歩幅で。自分の感性。テーマバランス。愛も固定観念のひとつ。好きなものが好き。趣味。その場所。空間。マイブームマイベース。マイペースバランス。自分の道。
個性はひとつの自分の歩幅で。
幾重かの自分の歩幅で歩くことで構成されること(いいもの個別、蓄積、唯一)。










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2007−6−23 土曜日午前12時51分カキコ。
人生の分岐。




2007年6月23日土曜日午前12時44分カキコ。
生きるサンデュ。


生活の維持。
普遍、共通、一般。

本質を感じること。
特殊、集合、新性。

自分がなにをしたかったか探すこと。
個別、蓄積、唯一。




人は生活の維持と本質を感じること自分探しなくして生きてはいけない。
いやまあそれを休んでいることは出来る。
本質を感じられなくて、人をいじめてしまうこともある。
ちょっとしたリアクションが楽しいのはそれに本質が含まれているから。
本質を感じることはバランスというセンスそのものであり、これなくして人は 生きて行けないと言える。
芸術でそれが得られればそれでもおっけい。
話で得られればそれでおっけい。
自然で得られればそれでおっけい。
そんなことではある。
まあちょっとしたコツが知っているのと知らないのでは、ひとつの料理取っても出来は雲泥の差を見ることになる。
けれどもね。
まあそこそこ行ってみよう。
とかね。








人生の分岐ラス。






ひとつひとつ時間を積み重ねて、休息に柔軟性を得て、自分の歩幅で歩いて行くこと。


なんとかなるさ。そうなるさ。


いいものはいつでもどこでもいまでもいい。

だからそれは時間があればだいじょうぶである。



古き人生を思い出して古き人生から新しき人生へ。

古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
理想と現実をひるがえらせる理想と現実。
人生をひるがえらせる人生。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。












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2007−6−23 土曜日午前12時00分カキコ。
メディアの分岐。




2007年6月22日金曜日午後10時50分カキコ。
メディア。


表現報道の自由。
普遍、共通、一般。

本質という自由。
特殊、集合、新性。

知る権利。
個別、蓄積、唯一。




戦争が終わった時に聞こえて来た玉音。
それを信じないで長いこと戦い続けた日本兵士も多くいた。
当時は長い空爆の後で電話や無線がなかなかつながらない状態であり、日本全国に情報を伝えるのにはラジオがもっとも広い範囲をカバーしていた。
けれども多くの人がそれを直感的に受け取ったのは、連日の爆撃からして、かなり状況が窮していることを知っていたからだった。
大本営発表は国が流す情報を新聞やラジオがそのまま流して、状況に批判を加えたりはしなかった点において、真実を伝えるという報道の意味を問うものだった。
戦争に反対していた平和主義者はその多くが沈黙して、さらには日本共産党はレジスタンス活動する前にそのほとんどがすっかり捕まってしまっていた。
手書きの赤旗が少数の人に読まれた程度だった。
だからまあ戦後の報道はなにか年に何回かはいまの報道は真実を伝えているかといった点検すらも込むようになった。
特に赤旗の躍進は著しく、全国紙に名を連ねて、さらには多くの知識人がその指針とするまでになった。
その販売費はそのまま共産党の最大の収入となり、まさに報道によって収入と訴える力の両立を成して来たと言って良い。
その信頼は実に大きなものだった。
が、今回の鈴鷹さん関係のことにおいては一気にその根幹が揺らぐことになる。
伝え聞けば、何度伝えるべきと言っても却下されて来たという。
戦後いやさ党結党、赤旗発刊からの初の負けごとであり、戦後ソ連とアメリカという両者を批判して来た報道の一角の担い手が現実に敗れ去るという自体に陥った。
いやまあ作ってるのは人間なのだから、現実に負けることなど何度もあるもんだと達観しないでもない。
それに鈴鷹さん関係のことについてはどこもほとんど報道しなかったのだから、戦後の報道そのものが二度目の大敗を現実に喫することになった。
鈴鷹さんが6歳の時にはこの状況(?)があったという。
けれどもオウム真理教の時にはかなり戦い挑んだのに対して、アタクする人たちに対しては、後手後手に回って、実にその闊歩を許してしまった。
いやまあ鈴鷹さん関係はあり得ないことが良く良く起きるからという見方も出来るのかも知れない。
これは英雄主義の再来か。
なにかの社会現象か。
カリスマというバランサーはどう機能するのか。
それはまあいまも研究者のあいだでも議論のあるところだろう。
どうしたらいいのか。
既に戦後の復興期を担った報道マンは引退してしまっているだろう。
まあ話くらいは聞けるかも知れないが。
ひとつには、鈴鷹さんの言葉は全データが読める場所を用意して、読めるだけでなく、話をしてくれる人がいるといいかな。
ちょと聞いただけでは混乱するばかりでね。
人に話を聞いてもらうと自然と感覚を取り戻すように、社会も報道によってその感覚を取り戻す部分があるのかも知れない。
とかね。
まあそこそこ行きましょう。
とかなんとかね。









史記
中国の歴史






ひとつひとつ時間を積み重ねて、休息に柔軟性を得て、自分の歩幅で歩いて行くこと。


なんとかなるさ。そうなるさ。


いいものはいつでもどこでもいまでもいい。

だからそれは時間があればだいじょうぶである。


古きメディアを得て古きメディアから新しきメディアへ。

古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
メディアをひるがえらせるメディア。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。










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2007年6月23日 土曜日午前12時39分このページに設置。
自由と現実の分岐。














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2007−6−18 月曜日午後11時45分カキコ。
自由と現実の分岐。




2007年6月18日月曜日午後11時47分カキコ。
自由のサンデュ。


みんなの生活の安定。
普遍、共通、一般。

本質を感じる余裕があること。
特殊、集合、新性。

マイペースに自分の歩幅で歩いて行けること。
個別、蓄積、唯一。




現実のサンデュはこの逆となります。
現実が厳しいとは良く良くこういうことが多くあります。
また競争社会においては、こういった現実をあえて加味しても強引に商売することがあります。
これは共生社会との両立によって、競争社会にバランスを取ることになります。




−−−。
現実を越えて行くサンデュ。


アイディア。
普遍、共通、一般。

イデア。
特殊、集合、新性。

知恵と工夫。
個別、蓄積、唯一。




現実に阻まれてなにも出来ない時は、実にその手法がなかったりします。
たとえば宇宙の果てに行くにも、その技術が無いことが現実にあります。
エジソンやダ・ヴィンチなど、名だたる人たちはこの現実へのアプローチがとても堅実であることがあります。
ひとつひとつから、それが蓄積された時に大きく変わる。
といった感じでしょうか。
いやまあそれでも現実のほうが強い時が洋々としてあるものですが。
困ったものです。








自由と現実の分岐ラス。自由の分岐ラス。現実の分岐ラス。






ひとつひとつ時間を積み重ねて、休息に柔軟性を得て、自分の歩幅で歩いて行けること。


なんとかなるさ。そうなるさ。そのうちそこそこなっていくさ。


いいものはいつでもどこでもいまでもいい。

だからそれは時間があればだいじょうぶである。



古き自由と現実を得て古き自由と現実から新しき自由と現実へ。

古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
自由と現実をひるがえらせる自由と現実。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。









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2007年6月13日水曜日午後8時46分。



















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2007−6−13 水曜日午後7時21分カキコ。
戦争と平和の分岐。




戦争と平和。
戦後日本には米軍がいて、北方の島国(八島〜四島程度)は当時のソ連が占領した。
これは後々ロシアの領土となり、日本のもっとも近い外国はロシアとなった。
米軍は日本に基地を置き、また新性日本政府に幾つもの政策を施した。
そのひとつは有名な憲法九条であり、その内容たるや戦争をしないという、 この手の条文ではなかなか珍しいものとなった。
当時は平和主義者がそういう憲法文を模索していた時期で、 もっとも戦争の爪痕が酷い日本にこれ適用となった。
連合国軍米軍の統治政府はGHQ(ジーエイチキュー)とか進駐軍と呼ばれ、 沖縄などはしばらく法的にアメリカであった。
平和憲法を敷いたGHQ。
これは当時の日本内外の平和主義者から絶賛されることになる。
その一方GHQはいろいろな面で日本が戦争した理由を探していて、 たとえば柔道が戦争の原因のひとつと見て、これを禁止しょうとする。
これは後々話し合いの末に認められて行く。
戦後始まったNHKの年末恒例紅白歌合戦も、 合戦のとこが戦争を意識させ、日本国民を戦争に駆り立てると、 GHQが許可に難航を示したほどだった。
その程度で戦争になるなら、しょっちゅう戦争になるまいにとは思うが、 当時はいや近代においても、戦争の原因はなかなか分かっていなかったのだ。
そのGHQの試行錯誤のひとつひとつはなんとも地味というか、 実に変にこみいったことに細々(こまごま)と指示されたものだった。
サウンドデュアルでは戦争は生活不安から起きるとしており、 衣食住医療福祉居場所の確保が必要という提示がある。
これはいまの世界的な常識として認められつつある。
人がバランスを崩す一番の理由は生活にあり。
そんな主張がいまは普通になされるようになった。




−−−。
国が集団が人がバランスを崩す時。


生活不安。
普遍、共通、一般。

労働と賃金の交換。
特殊、集合、新性。

衣食住医療福祉居場所の不足。
個別、蓄積、唯一。




まあこういうことばかり考えていると頭が痛くなるので、エンターテイメントは常識からずれることにそのひとつの意味がある。
衣食住医療福祉の中には生活に必要なものを揃える必要があり、時にそれは国が生活保護という形を取ることもあるが、フライパンまで認めるのか、エロ本まで認めるのかなど、実に悩む点である。









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2007年6月6日水曜日午前1時11分。


















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2007年6月6日 水曜日午前1時14分カキコ。
サウンドデュアルの項目。




2007年6月6日水曜日午前1時13分カキコ。
いいもののサンデュ。


時間蓄積(量)。
時が過ぎて行く景色。巡る季節。時間をかけて考えよう。じっくりと地味に時間をかけること。ひとつひとつの時間の組み合わせ。時間。
積み重ねはひとつの時間をかけること。
幾重かの時間をかけることから構成されること(いいもの普遍、共通、一般)。


柔軟性(質)。
現実への対応はその場その時ケースバイケース。千差万別。基本の応用が利くこと。時に休むこと。休息。そこそこやろう何事も。とかね。本質。
柔軟性はひとつのそこそこ。
幾重かのほどほどにしとくことから構成されること(いいもの特殊、集合、新性)。


主軸(場)。
ゆっくりと行こう。マイペース、自分の歩幅で。自分の感性。テーマバランス。その場所。空間。
個性はひとつの自分の歩幅で。
幾重かの自分の歩幅で歩くことで構成されること(いいもの個別、蓄積、唯一)。









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2007年6月6日 水曜日午前1時11分カキコ。
バランススタンダードの項目。




2007年6月6日水曜日午前12時10分カキコ。
バランススタンダードとは、弁証法における対立物の高い段階での統一であること。




−−−。
対(つい)のサンデュ。

絶対。一点直進。いいものはいい。
普遍、共通、一般。

相対。二対天秤。両立はいい。
特殊、集合、新性。

全対。全面網状。すべていい。
個別、蓄積、唯一。




−−−。
資本主義がいい(資本主義の絶対バランス)。
社会主義がいい(社会主義の絶対バランス)。

資本主義(民間主導)と社会主義(政府主導)のテーマバランスによるバランス取り(資本主義と社会主義における相対バランス)。

共産主義(一人一人主導)(共産主義全対バランス)。


−−−。
市場がいい(市場経済の絶対バランス)。
衣食住医療福祉居場所がいい(計画経済の絶対バランス)。

市場と衣食住医療福祉居場所のテーマバランスによるバランス取り(市場と衣食住医療福祉居場所の相対バランス)。

全物無料(全物無料全対バランス)。


−−−。
能力主義がいい(能力主義の絶対バランス)。
年功序列がいい(年功序列の絶対バランス)。

能力主義と年功序列のテーマバランスによるバランス取り(能力主義と年功序列の相対バランス)。

生活保障と能力ボーナス(能力主義と年功序列全対バランス)。


−−−。
戦争がいい(戦争の絶対バランス)。
平和がいい(平和の絶対バランス)。

戦争と平和のテーマバランスによるバランス取り(戦争と平和の相対バランス)。

国境緩和(国境緩和全対バランス)。


−−−。
量こそがいい(量の絶対バランス)。
質こそがいい(質の絶対バランス)。

量と質のテーマバランス(主軸、場)によるバランス取り(量と質の相対バランス)。

量による質への転化(量と質の全対バランス)。
質による量への転化(質と量の全対バランス)。


−−−。
生活と仕事はいい(仕事と生活の絶対バランス)。
休息はいい(休息の絶対バランス)。

生活仕事と休息のテーマバランスによるバランス取り(生活仕事と休息の相対バランス)。

自分のペースで歩いて行く生活と仕事と休息(マイペース全対バランス)。


−−−。
とことん時間をかけることがいい(時間蓄積の絶対バランス)。
そこそこにしとく柔軟性がいい(柔軟性の絶対バランス)。
時間蓄積と柔軟性のテーマバランスによるバランス取り(時間蓄積と柔軟性の相対バランス)。

マイバランスワールド(マイバランス全対バランス)。


−−−。
リズムとメロディがいい(リズムとメロディの絶対バランス)。
歌詞がいい(歌詞の絶対バランス)。

リズムメロディと歌詞のテーマバランスによるバランス取り(リズムメロディと歌詞の相対バランス)。

リズムとメロディと歌詞のひるがえり(ひるがえり全対バランス)。









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2007年6月2日土曜日午後12時56分の項目。


















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2007年6月2日 土曜日午後12時56分カキコ。
サウンドデュアルの項目。




2007年6月2日土曜日午後12時44分カキコ。
本質はバランスであること。
本質から横にずれて行くこと。

−−−。
たとえば作品であればメカと美少女(質)と伽羅の成長(量)をテーマバランス(場)でバランス取りすることで、作品は均衡を保たれるのだ。
たとえば家であれば、安全性快適性(質)と収納性部屋数(量)をテーマバランス(場)でバランス取りすることで、空間は均衡を保たれること。
家計会計であれば、収入(質)と支出(量)をテーマバランス(場)でバランス取りすることによる均衡を取ること。
これらは一例で、その場その時(ケスバイケス)でたとえば家にデザイン(質)と快適性(量)をテーマバランス(場)でバランス取りしてもいい。
テーマバランスという軸にどんな質と量のテーマを付与しても上手くバランスされます。
テーマバランスの軸にもっとたくさんの質と量のテーマをサンデュする、組み合わせてバランスを取ることも可能ですが、それはさらにバランス取りの難易度が高いと言えます。
それはある意味難解なテーマと言えます。
シンプルイズベストから言えば、そんなにたくさんのテーマでなくてもいいとは言えます。

−−−。
知識という要素の量産性と勘といういいものはテーマバランスという主軸によって本質となって回転し始める。
これをサンデュするという。

−−−。
本質はバランスであること。
バランスを取ろう(普遍、共通、一般)バランスの道を歩こう。
バランスを崩そう(特殊、集合、新性)バランスの道をずれよう。
バランスを揺らう(個別、蓄積、唯一)バランスの道を休もう。
そしてバランスの揺らぎは個人の個性であること。
これらのサンデュをバランススタンダードという。









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2007年5月29日 火曜日午後11時40分カキコ。


















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2007年5月29日 火曜日午後11時40分カキコ。
サウンドデュアルの項目。




2007年5月29日火曜日午後11時28分カキコ。
サンデュ。


いいもの。
普遍、共通、一般。

テーマバランス。
特殊、集合、新性。

要素の量産性。
個別、蓄積、唯一。




普遍においてはいいものはいつでもどこでもいまでもいい。
特殊においてはメインテーマたる主題のバランスが取られること。
個別においては要素となる各部が多数あること。
要素とは形成される部分。
ある物はひとつの要素から形成されること。
要素の量数によって、量は質としてのいいものになる。
いいものによって質は要素の量数として質から量へと転化されること。
テーマバランスという特殊な主軸において、質と量は転化を繰り返す。
そしてこの三軸はいまも本質の中で回転し続けている。

要素の量でいいものになる。
いやまあたとえばコーヒー豆をたくさん入れれば質が高くなるとはならないことだが。
そこは入れるコーヒー豆のテーマバランスによって、さらなる質を求めたり求めなかったり。
どういったメインテーマ(主題)によって量と質のバランスを取るのか。
それが問題だ。
とかね。
このサンデュするということは、本質を響かせることでもあり、ヒット商品やサービスを作り出すことでもある。
正確には場によって量と質のバランスは取られるのだが、まあ哲学とか考え方における量と質のバランスはテーマによって取られると言えるだろう。
場によって取られる量と質のバランス。
としては、たとえば電車の駅から近いとか遠いとか。
なにか特色(?)のある地域であるとかね。
そんな場がバランスの主軸であること。
そんな感じかな。







バランスとは両立。両立しない時が休みの時である。

本質は気持ちを回転させる潤滑油である。

行動が上手く行かない時はとことん分析と戦略。

いまの行動を反面教師とする。

そこそこ自分のペースで歩いて行こう。

なんとかなるさ。そうなるさ。

いいものはいつでもどこでもいまでもいい。

だからそれは時間があればだいじょうぶである。



古き経済を構築して古き経済から新しき経済へ。


古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
経済をひるがえらせる経済。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。









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2007年5月26日土曜日午後9時24分。


















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2007年5月27日 日曜日午前10時52分カキコ。
作品の分岐。




2007年5月27日日曜日午前10時41分カキコ。
テーマ。テーマの体現者としての主人公。テーマバランスする世界。




テーマのサンデュ。


見えないもの。
普遍、共通、一般。

本質。
特殊、集合、新性。

伽羅。
個別、蓄積、唯一。




見えないものとは気持ちであったり、いままで見たことのない風景であったり時間の経過であったりすること。
そういったものをちょっとした動作やなにかの印象的なシーンで描写すること。
そもそも変に(?)報道で伝えられることも多い宗教ではあるが、本来の宗教とは見えないものを感じることにひとつの意味があると言って良い。
見えないものを感じることは、気持ちを豊かに醸成するものなのだ。
これは作品においてはテーマの普遍性として常に共通してあると言える。
受け手が作品をつまらないと言っている時、常にそれは共通してこの見えないものが感じられないと言っていると見て良い。
テーマの普遍性を描ける人は気持ちが豊かであり、またそういった作り手のコラボの時には、さらにいいものが出来る場合が多い。
これはまあ一般の仕事や生活でもそうではある。
本質は本来言葉には出来ないものだが、あえてするならば、ひとつには新しいことが言える。
新しいとは、古い時代のものをいまに作り直すことや、バランスを取ろうとしてバランスが崩れた一瞬。
などだろうか。
伽羅はその伽羅の成長や冗長や情調を描くといったこと。
長く続く作品はたいていが群雄劇となり、一人と風景の関係性をえんえんと描くことなどはあまりない(→ヨコハマ買い出し紀行)。









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2007年5月26日 土曜日午後9時23分カキコ。
サウンドデュアルの項目。




2007年5月26日土曜日午後9時22分カキコ。
人は元来天然のバランサーとして自然の理と人の倫理観のバランスを取ろうとするものです。
なので、ある程度(?)変なことを言っても、それは正してもらえる(?)ものなのです。
危険なのはバランスを崩すことよりも、人になにも言えなくなってしまうような状況です。
なので、言える自由をどこまで保証出来るかに一面では物事のバランスはかかっていると言えます。
良くないこと言ったら批判しますが、まずは言えない社会ではいけないということなのです。









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2007年5月26日 土曜日午前3時39分。


















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2007年5月26日 土曜日午前2時19分カキコ。
刑罰の分岐。




2007年5月26日土曜日午前2時15分カキコ。
財貨罪論(ざいかざいろん)。
普遍、共通、一般。

本質罪論(ほんしつざいろん)。
特殊、集合、新性。

人罪論(じんざいろん)。
個別、蓄積、唯一。




その人によってこそその人は生活のバランスを崩すのであり、その人に罪がありそれまでの人生の経過が悪いととらえるのが個人の罪を問う人罪論。
お金によって人は生活のバランスを崩すのであり、お金こそが罪であり悪ととらえる財貨罪論。
居場所がないことによって人は生活のバランスを崩すのであり、居場所がないことが罪であり、悪ととらえるのが本質罪論。
人罪論においては捕まえ更生施設に入れ、財貨罪論においては無償での救い、本質罪論においては居場所を探すこと。かな。









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2007年5月25日 金曜日午後10時5分カキコ。
本質の分岐。




2007年5月25日金曜日午後10時3分カキコ。
実は何々。
目からウロコ。
見えない風景が見える時。
吹いていた風が始めて見える時。
見えないなにかが感じられた時。
心にある自然が風吹き抜け、緑青々と色彩ある時。
本質という見えない一瞬。見えないことは新しいこと。見えないものは気持ち。見えないのは未来。









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2007年5月23日 水曜日午前12時36分カキコ。
サウンドデュアルの項目。




2007年5月23日水曜日午前12時8分カキコ。
現実。
普遍、共通、一般。

本質。
特殊、集合、新性。

希望。
個別、蓄積、唯一。




現実とは戻らぬ時。それはいまがすべてという現実主義という主張。
本質とは見えないこと。一度手に入れたと思ったら、それは流れる風であったこと。見えない未来が感じられる一瞬。
希望とはひとりひとり違うこと。その人によって感じることには違いがあるから。それは雨の日に傘を持っていたことだったり、ちょいと思い出し笑いすることだったりする。
現実と本質と希望がからまって、存在は存在していると言える。
2007年5月26日土曜日午前3時27分カキコ。
バランスを取ること。
普遍、共通、一般。

バランスを崩すこと。
特殊、集合、新性。

バランスを取らないこと。
個別、蓄積、唯一。




人はバランスを取って生きようとする。
これが仕事と生活といったふたつのことの両立であること。
バランスとは両立であり、たとえばそれは天秤の重りであったり、無機質と有機質であったり、絵であったり文章であったり話であったりします。
そのバランスを取らない両立をしない時の日常を休んでいる素の自分は本来ある個性がありありと良くあります。
そういう時、素の自分を自分で感じることは少ないのですが。
バランスを取っている時に失敗またはぐらついてバランスを崩す時にまったく新しい物事が始まることがあります。
失敗は成功の母とはこういうことから言われることです。
失敗なくして人は成長しないとは確かにそうかも知れません。









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2007年5月17日木曜日午後10時32分設置。


















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2007年5月21日 月曜日午後2時2分カキコ。
刑罰の分岐。




2007年5月21日月曜日午後1時57分カキコ。
財貨罪論(ざいかざいろん)と人罪論(じんざいろん)。
人が犯罪を犯す時、それはその人が根っからの悪党だから、または悪魔にとりつかれたという観点も昔はあった。
遺伝子によって悪党ぶりが遺伝するという研究までされている。
最近では、家庭や社会情勢の反映、またテレビゲームや残酷な描写のある作品などがその理由とされることもある。
また考え方が人をだめにするという観点もあり、共産主義は悪であり、共産主義者となった者は悪党とみなして、即刻逮捕されるということも起きた。
精神病が人を悪党にするという外部説もあるが、どちらかと言えば、それならばお金から解放されて純粋な気持ちになるものではないだろうか。
これらは総じてようは人に罪を見る論理であり、これを人罪論(じんざいろん)と言う。
これに対して、財貨罪論はお金が人が悪に走る理由とする。
そもそもが狩猟と木の実を取ることでその日暮らしをしていた人類は、麦や米を作るようになって備蓄が出来るようになった。
が、この備蓄は持つ者と持たざる者を作り出し、貧者と富者をも作り出した。
余裕が出来たことで、人の生活はいろんな広がりを見せ始める。
けれどももうひとつ善と悪の概念も作り出された。
つまりは備蓄を奪う者は悪、それを阻止する者は善となった。
米や麦の備蓄が多くなればなるほど人はそれを奪い合い、それは戦争という事柄にまで発展して行く。
蓄積によって人はかなり高い段階の余裕を得た。
これによって他の追随を許さない生活の豊かさを得た。
けれども、蓄積された物品やサービスを個々人に配分するためのシステムはまだまだ未熟だった。
生活の不安定さに人は容易に犯罪に走り、また戦争も起き続けていた。
居場所衣食住医療福祉によって生活が安定する時、人は余裕のある良質な時間を得ることが出来るのだ。
気持ちのバランスを崩した人の場合は人罪論で一定説明出来るが、バランスの取れている人はこれまで説明出来なかった。
人は暮らす場によって大きく左右されてしまうものなのだ。
穏やかに暮らせるかどうかはその生活の環境にかかっていると言っても良い。









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2007年5月20日 日曜日午後10時55分カキコ。
経済の分岐。




2007年5月20日日曜日午後10時7分カキコ。
資本主義経済と社会主義経済の違い。
まず経済とはなにか。
それは蓄積された物品やエネルギーなどの配分方法であること。
たとえばそれは車であったり、電気であったりします。
それをどう配分するのか。
民間会社と市場に委ねるのが資本主義経済です。
これは競争社会と言われる部分であり、お金をたくさん持っている人が優位な一面があります。
社会主義経済とは国が物品やエネルギーを管理して、一定規制をかけること。
国による配送車の台数制限などによる労働者の保護や石油などの国特有の利益の国民還元などがこれに当たります。
どちらがいいということではなく、このふたつが両立バランスされて国というものが形成されていると言えます。
共産主義経済は無料です。
ボランティアなどはある意味そう言えるかも知れません。




資本主義経済。
普遍、共通、一般。

共産主義経済。
特殊、集合、新性。

社会主義経済。
個別、蓄積、唯一。














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2007年5月17日 木曜日午後10時27分カキコ。
サウンドデュアルの項目。




2007年5月17日木曜日午後10時27分カキコ。
絶対現実。環境が変わればなんとかなる現実。衣食住医療福祉の充実。
普遍、共通、一般。

相対現実。話せばなんとかなる現実。お互いがいられる場所の構築。
特殊、集合、新性。

全対現実。自分が余裕を持てばなんとかなる現実。ゆったり過ごす時間。
個別、蓄積、唯一。













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2007年5月11日金曜日午後11時33分カキコ。



















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2007年5月11日 金曜日午後11時33分カキコ。
仕事の分岐。




2007年5月11日金曜日午後11時32分カキコ。
日々人は仕事と生活の両立をしていること。
それに心配事が加わると、心配と仕事生活の両立となってしまう。
仕事は休みがあり、生活は時に弁当でも買って来たり、洗濯を家族で交代したりする。
仕事と生活には休みや変わってもらうことで、両立が可能なのだ。
けれども気持ちの心配事は違う。
心配事に気持ちのバランスを取ることが出来なくなる。
そうすると心配事のために仕事と生活の両立も取れなくなり、いずれくたばってしまう。
そんなに心配しなさんな。
だいじょうぶ。
そこそこだいじょうぶ。
まあなんとかなるでしょう。
とかね。

仕事と生活の両方を休む時があること。
これによって両立することが一定休めて心配事にも対処出来る。
両立しない時がそこそこにすることとなり、余力が出来る。
つまりは余裕や余力が出来るのだ。
余裕や余力があれば現実に勝つ。
というのは、余力があれば現実に対して柔軟に対処出来る。
現実の硬直感に対して柔軟に対処出来る。
比較的に余力があれば心配事にも対処出来るというもの。
いやまあ余力があっても現実のほうが強い時もあるものだが。
それでもまあなんとかなることが多いと思うのよ。
最大の反面教師は無理しすぎる自分。
そこそこ世界を感覚して、ここぞという時に自分の時間を使える人であれ。

仕事での一例としては。
たとえば仕事でね、一日9時間拘束ならばそれで作業を終わらせること。
それからさらにその中でクオリティを上げることを考えること。
無理に残業すれば働く人の感覚は鈍くなってしまい、現実に柔軟に対応出来なくなってしまう。
残業して欲しい時は締め切り前だとか、こうこうこういう分析と戦略で残業してほしいという話をして理解をお互いに取ること。
時間に余裕があるほうがいい時もあるのだ。
余裕余力のある者が現実に勝つ。
余力があれば現実に柔軟に対応出来ることが多い。
頑張る時間をそこそこに自分の歩幅で歩こう。
ということ。
がむしゃらに働きたい時もあるだろう。
自分の限界を知りたいという人もいるだろう。
そういう時もあるでしょう。
それはそれとして。
たまには日常を休もう。
それが現実の疲弊感を緩和してくれるだろう。
という話なのだ。









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2007年5月4日金曜日午後4時00分/斜めバー設置。



















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2007年5月7日 月曜日午後9時36分カキコ。
精神の分岐。




2007年5月7日月曜日午後9時19分カキコ。
気持ちの発露。
人の気持ちというものは基本的に抑えることが出来ないものです。
また、それを抑えてしまっては、自然と人との関係性を築くことを阻害してしまいます。
怒ったからと言って、怒るなと言うのはその人の自然な感情を抑えてしまい、それによってその人は自分の感情を自分で感じることが難しくなってしまいます。
いやまあ悪いことしたら叱るというのは時としてとても大事なことですよ。
それはともかく悩みや愚痴は言っていいこと。
特に家族がそれを受け止めること。
まああまりに長くぐだぐだと言う時は、そこそこにするのも大切。
率直に自分の感情を仲間や家族に言えない時ほど苦しいものはないものです。
自分の気持ちを無理に抑えてしまうと自分の気持ちを認識することが出来ない。
感情は自然さに任せるが、考え事はとことん考える。
精神(学)と哲学が違うのはそこだと思います。
哲学が取るのは人生の方向性としての考え方のバランスの取り方です。
政治は社会の方向性のバランス取り。
経済は商売などの方向性のバランス取り。
この他には精神医学が投薬などで精神を一定(?)安定させたりします。
これとは別に精神的余裕はひとつのゆったりと、幾重かのゆったりとから構成される、これで余裕とか余力をためるなど。
さてさて。
感情において嫌なものはその人にとって理由なく嫌。
好きなものはその人には理由なく好き。
それをまずは認めてあげること。
それはまあお互いにね。
そうすることで、その人は自然に思った自分の感情を自分で感覚することが出来ます。
喧嘩するなとは良く聞く話ですが、ある程度ならばしたほうがいい時もあるかもしれません。
けんけんがくがくの話をする時もあるのではないでしょうか。
まあそれがしょっちゅうならば困ってしまいますが。
そうやって自分の感情を整えるというのかな。
そういうことが生きることで、生きてる実感にすらつながっていく一面があると思うのですよね。
その人が感じた喜怒哀楽。
それをある程度表現出来ること。
これは情操教育の一環でもあり、またそれは大人になっても一定あることなのです。
とかなんとかぴったんこ。
とかね。










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2007年5月5日 土曜日午後4時37分カキコ。
漫画の分岐。




2007年5月5日土曜日午後4時36分カキコ。
一日1コマ描くこと。
それが出来て始めて早く描くことも出来る。
これは小説でもそう。
一日一行書くこと。
それが出来て始めて早く書くことも出来る。
アニメでも一日一枚上げること。
そこから速度に持って行くこと。
それが基本基礎であること。
ラジオのパーソナリティであれば、一言が言えること。
その程度では仕事にならないよと言うなかれ。
このひとつの構成要素がすべてを構成するのだ。
このはじめのひとつが出来るかどうか。
これによって自在に自分で質も量も左右出来るようになるのだ。
一辺に壮大(?)でかいことしょうとしても出来るはずがない。
それは誰でもそうなのだ。
実に地味な作業の積み重ね。
それでいながら、時にひっくりかえるようなこと。
それが柔軟性。
ではないかな。
時に時間を取ってゆっくりと過ごすことが柔軟性であること。
柔軟性を養うということ。
まあ仕事上あまり休めないこともあるだろうが。
そこそこになんとかなるかなあというとこ。
いやまあそんな上司には誰も着いて来ないか。
ぜってーなんとかなるに違いない。
それも嘘ぽいなあ。
まあそこそこ。
とかね。










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2007年5月4日 金曜日午後3時59分カキコ。
サウンドデュアルの分岐。




2007年5月4日金曜日午後3時57分カキコ。
損や無駄や手間がかかること。
失敗が人を育てて行くこと。
成功はひとつの結果でしかないこと。
2007年5月6日日曜日午後9時24分カキコ。
戦争はひとつの生活不安。
幾重かの生活不安から構成されること。
平和はひとつの生活安定。
幾重かの生活安心から構成されること。
友達作りはひとつの声かけ。
幾重かの声かけから構成される。
いいものはひとつの時間。
幾重かの時間かけから構成されること。
余裕はひとつのそこそこ。
幾重かのそこそこから構成されること。









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2007年5月1日火曜日午後8時57分



















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2007年5月3日 木曜日午前11時53分カキコ。
サウンドデュアルの分岐。




2007年5月3日木曜日午前10時48分カキコ。
つまりは哲学というか、考え方の基本基礎常識というものはバランス感覚であること。
ただまあ気持ちのバランスは取ろうと思って取れない時も多いので、哲学はあくまで考え方までのカバーですが。
運痴がいるように、哲痴(てっち)みたいな人もいます。
だいじょうぶかなあこの人と思う場合もありますが、そういう人が生きて行ける場所というか、そういうのがあればだいじょうぶです。

−−−。
人の能力はどれだけの現場に入り、どれだけの人と話せるかに左右されること。
裏を返せばつまりは凄いと言われている人はそれだけの現場に入れて、また人と話すことが出来ると言える。
人は場とどれだけコラボ出来るかによって非常に左右される存在であり、またそれ以上でもそれ以下でもないのだ。
だからまあ、それだけ大きな仕事をするならばそれだけの現場に入れて、それだけの人と話す必要があること。
裏も表もなくそれだけであること。

−−−。
なんでも出来る人を見て、なんでもしょうとしてはいけないこと。
なんでも出来る人も最初はひとつのことをとことんやって、それが出来るようになってからもうひとつに行ったのだ。
だからなんでも出来る人はそこを原点として、迷ったらばそこに戻ることが出来る。
まずはひとつ極めることこれ個別から始めるのサウンドデュアルなりて。










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2007年5月1日 火曜日午後8時57分カキコ。
作品ジャンルの分岐。作品の分岐。




2007年5月1日火曜日午後8時1分カキコ。
シリアスとギャグの違いは主人公や良く出て来る伽羅が笑うかどうか。
それだけの違いでしかないこと。
真面目なシリアスの作品であれば、出て来る伽羅たちは真面目な顔でじみじみ話す。
ギャグ作品であれば、出て来る伽羅たちが笑ってばかりいること。
その程度のことと言うかも知れないが、そもそもがシリアスとかギャグという概念というか、考え方そのものが人のあいだにしかないものなのだ。
そんなことの積み重ねから構成されること。
なにかいい人だなと思う人は、リアクションが柔和な笑顔系であること。
こういう人とは一緒にいたいものだ。
つまりいい感じの人であること。
これ、ひとつの極意であること。
小さな差ではあるが、この積み重ねは年を重ねればさらに大きくなって行くものなのだ。
好かれる人ってそういうものである。
これは作品における伽羅もそうであること。
好かれる伽羅は良く笑う。
たとえばレイや長門のような無表情伽羅も笑っていること。
アスカやハルヒもたまには落ち込むこと。
見えない表情に気づいてくれるしんじくんやキョンであるから、見ているほうはぐっと話に引き込まれるのだ。
これは歌でもなんでもそうではあること。
ラーメン一杯作っても食べてみてもそれは見えるものなのだ。
音楽の一曲から一枚の絵から一枚の書類まで。
これが時間と空間のある時空のあるいいものなのだ。
受け手は馬鹿ではない。
見えるのだ。
作り手が見えてないものは伝えることは出来ないこと。
これはまあ基本基礎ではあろう。
プラネテスでルナリアンの見えない海がハチに一瞬見えること。
ククリにしか見えないニケの大活躍。
人に笑いや感動を伝えるのは、常に見えないものが見える時。
寅さんの無駄な(?)努力と家族の人情に笑い泣く。
両さんの破天荒さに笑う。
まあこれはまだ分かり易い(?)ほうなのかも知れない。
ちょいとしたこういう見えないことの積み重ねのひとつひとつが見えない柔軟性となるのかも知れない。
調理のための仕込み。
これなどは何時間もかけたりする。
材料探しから漬け込みなど。
これは歌でも絵でも小説でもその他の作品でもそうなのだ。
見えない部分でじっくりと作り、時間をかけておくこと。
つまり、作品で放映されたり、本になる部分は氷山の一角であること。
放送や出版など、長い人生のほんの一瞬ではあろう。
けれども、それはバランスの取れた(?)いい生活を家族として、いい仕事を仲間とすること。
それが端的に表れて来ること。
だから、結果は嘘を付かないのである。
笑顔の仕込みをしてる人は良く笑うことが出来る。
ほんとうに好かれる人、幸福になれる人は違うとこがある。
余裕のある人は笑うことが出来る。
余裕のある人は柔軟性を発揮することが出来る。
余裕のある人は見えない風をいつでもどこでも感じることが出来る。
そして、いじわるばあさんはやっぱりいいばあさんよりも嫌われてしまうのである。
とかなんとかね。
2007年5月3日木曜日午後4時20分カキコ。
脱力日常系。
ようはサザエさんのような日常がだらだら続く作品。
作者の無理な作品展開がないため、だらだらと読みたくなった時にちょっと読むのに適している。
その分引き込まれる度合いも少ないが、まあだらだらと読むにはいい。
4コマで圧倒的に多くはこのパターン。
逆に言うと鉄腕アトムはそれまで常識とされて来たこのパターンを崩して、まったくドラマティックに展開することに成功したと言える。
脱力日常系はちょっと笑える程度の作品が良く、これは黄金のヒットパターンのひとつである。
最近では苺ましまろやらき☆すたなど、女性伽羅がだらだらとするのを眺める傾向のある萌え作品が多く作られ、美少女系と言われるのも多くがこの流れを継いでいる。
脱力日常系。
略して脱力系。
これは基本のひとつなので、押さえておいて損はないぞなもし。









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2007年4月23日月曜日午後7時20分



















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2007年4月28日 土曜日午後6時34分カキコ。
作品ジャンルの分岐。作品の分岐。




2007年4月23日月曜日午後11時45分カキコ。
過去の自分たちと出会うことで、いまの自分は未来の自分と出会う。
4月25日水曜日午前5時1分カキコ。
カンティニオン。
この一言をどこまでリズムで洗練させることが出来るかどうか。
ありがとう。
でもいい。
一言からすべては始まるのだ。
幾重かの一言(リズミングスペル)から構成されること。
だから。
2007年4月28日土曜日午後6時30分カキコ。
見えないものを表現する時、気持ちは広がり深く時と空間と成ること。
これは歌でも作品でもそうそうだろう。
見えないものを表現すること。
その一瞬のために作ること。
時間は見ることが出来ない。
時間をかけて見えない時間を表現すること。
それは時に空間と成ること。
2007年4月29日日曜日午後3時48分カキコ。
魔法少女成長考察。
スーパーマンやバットマンなど、歴代のヒーローはみんな着替えていること。
つまり服など単なる格好に過ぎないこと。
これは元祖魔法少女ものというサリーちゃんでもそうだ。
サリーは魔法の国から来た少女で、服に左右されたりはしない。
服に意味を持たせたのは魔法のコンパクトで変身したアッコちゃんからである。
アッコちゃんは変身することで、いろんな物事に対処していた。
これは後にキューティーハニーでも変身能力として受け継がれて行く。
裸身からの変身シーンはエッチだと話題となり、本放送が午後10時からになった程だった。
またメルモちゃんは年齢が変わる、成長するというスタイルを取り入れている。
魔法少女ものは魔法の国から来た魔法少女という流れが主流と成って行く。
ララベルや花の子ルンルンなどなど。
似たような流れが続くことになる。
そこで現れたのがミンキーモモの出現である。
モモは魔法の国から来たので、魔法が使える魔法使いであること。
これは従来通りの展開だ。
が、モモは変身して大人になり、さらに衣服も変えることで、さらにはその職業能力を手に入れることが出来る。
つまりはそれまでの魔法少女ものの要素をほとんど入れた内容となった。
使い魔をマスコットにして、さらには移動には空飛ぶ車まであるという豪華さ。
裸身から大人になる変身シーンはとても刺激的だ。
この組み合わせは魔法少女ものの流れをまったく新しいものにしたと言って良い。
それまでひとつの要素で一年間作られていた魔法少女ものは、すべての要素を入れるということで、多彩な展開が可能に成った。
もちろん難しくなりかねない選択ではあったが、そこはスタッフが上手くバランスを取ったと言える。
これ以降、魔法少女と言えばこれという感じになり、ぴえろ魔法少女などは大半がこの流れを汲むことになる。
またこれとは別にロードオブザリングの流れを汲む魔法の国の騎士や魔法使いの冒険を描くロードス島戦記や、ジブリアニメの魔女の宅急便など、魔法が当たり前にある世界も多く描かれている。
そしてそして、セーラームーンの登場。
それまでの魔法少女が変身したり魔法を使って現実をきりぬけるというスタイルだったのに対して、セラムンは戦うことで現実を越えるという、なんともある意味即物的な内容となる。
これはさらにバトルものの要素も入れるという大技であったが、これは見事に大ヒットとなり、以降はいまに至るまでに主流となっている。
2007年4月29日日曜日午後4時29分カキコ。
紅の豚ではヒロインが主人公の豚(?)にキスして、そして人になるシーンがある。
これは当時私が美女と野獣対比理論をでらでら話していたのを参考にされたと思われる。
そしてそれは千と千尋やもののけ姫やハウルや猫の恩返しやゲド戦記にも受け継がれる要素となっている。
では美女と野獣対比理論とはなにか。
つまり恋愛要素とは美女と野獣の関係性であること。
どちらかが道を踏み外すような時にもう一方が助ける。
これが恋愛また少年少女ものでは基本基礎としてあること。
だから未来少年コナンでは、シータか野獣であり、それを助けるコナンが美女であること。
これはシータに博士が強力な力の鍵を持たせたことで追われており、それをコナンが助けること。
これはラピュタでもカリオストロの城でも路襲されている。
いやいや、別にジブリの特権ではなく、恋愛ものや少年少女ものではこれが基本基礎であること。
もちろん群雄劇の話もあり、必ずしも美女と野獣でなければならない話でもない。

−−−。
19歳の時にプロの業界に入り、それは直に現場に入ったわけではないが、自分のアイディアが採用されるようになり、実に作品作りというものはかなり場当たり的なものであることを知った。
それまではジブリ凄いスクウェアエニックス凄いと言ってる1ファンに過ぎなかったが、少なくともそう思っていたが、実際に作品作りに参加してみれば、みんなストックもなく、ほとんどその場のノリで作っていることに驚いた。
いまで言えば、京アニ凄いとかなんとか言う話。
実際には、現場の人の馬力頼りであったこと。
確かに技術としての蓄積もあるが、だからと言って、コンピュータなどほとんど当時の現場にはなかった。
その技術は職人が持ってるもので、それも新人のアニメーターは見て盗めと言われた時代だった。
教えるための本も出てはいたが、ちんぷんかんぷんな専門用語が並ぶ新人には意味不明な研究書ばかりであった。
良くこんな適当(?)なやり方で作れるものだと関心したものだった。 時に分かり易く難しくバランス良く、ひらめくもの言いで説明出来る人は一握りの人だけであった。
これでは新人は自分で現場にしがみついて来る人だけが残るというものである。
いやまあ確かに現実は厳しいのだ。
それで残れない人は残らないというのは競争社会(?)では当然のことなのかも知れない。
もちろん本来のライブという意味での即興もあるだろう。
即興こそがいまと対決する時ではある。
それまでの仕込みをするところが職人として積み重ねるところでもあるだろう。
そして柔軟性の一端は蓄積によった即興に違いない。
2007年4月29日日曜日午後5時37分カキコ。
時は揺り戻されながら、いまと過去を行ったり来たりする。
その時間の表現。
歌も作品などなども。

−−−。
妄想するのはあまりいいことではないと言われる。
出来てもいないのに思っただけではいけないと。
けれども作品作りにおいてはこの妄想は重宝する。
それは読んだ人が面白がるとか、そういうとこを予測(?)と言ったらば変だが、思い浮かべながらすること。
妄想がなんの意味になるのかと思うかも知れないが、作品というものは、読んだ読者がこう楽しんでくれるとこまで妄想すること。
そんな妄想の積み重ねる時間が実際に作る時にいいものになるのだ。
まあ妄想というか、構想時間と言ったほうがいいかも知れない。
恋人に花を贈ってからワインを出してと想像すると楽しいと思う。
作品作りだって、それに似たようなものなのだ。
将棋やチェスでは数手先まで読むという。
いやまあ変に計算高くなっても仕方ないが、頼りになる人というのは、ここぞという時に現実の先を一手読むものなのだ。
現実の先を読むのも古い分岐をとらえているかによる。
いやまあ知識なくても行く時もあるけれどもね。
そういう時を人は無策とか無謀と呼ぶものなのだ。
勉強とは過去の古い分岐を探すことではないだろうか。
そこから先を読み、そしていまに一手を打ち出す時。
そんな一瞬。
固定観念によって止まっていた時も動き出す。
とかなんとかね。










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2007年4月27日 金曜日午後9時11分カキコ。
サウンドデュアルの分岐。




2007年4月27日金曜日午後9時1分カキコ。
苦境を脱するのはひとつの工夫。
幾重かの工夫が苦境脱出を構成すること。
友達を作るのはひとつの声かけ。
幾重かの声かけから構成されること。




現実の構成要素。


絶対現実。
普遍、共通、一般。

全対現実。
特殊、集合、新性。

相対現実。
個別、蓄積、唯一。




絶対変わらない現実。
それを絶対現実と言う。
絶対現実をいきなり捉えることは出来ない。
絶対変わらない現実を直接変えることは出来ない。
ひとつひとつ物事を相対して見て行くことで現実を分析してから捉える。
そのひとつひとつの相対現実から現実の共通たる絶対現実を捉えることが出来る。
そこから共通な場面に有効な人の居場所を作り出すこと。
すべての人がいてもいい居場所が隅々まで作られた時に全対現実となること。
たとえばそれはネットであったりする。
たとえばそれはネット漫画メイド一般などの喫茶であったりすること。
たとえばそれは学校から福祉施設から宿から飲食店からリビングカーであったりすること。
たとえばそれは誰もがいつでもどこでもいまでもいられる場所であること。
現実を緩和するのは居場所であること。
究極のとこ、現実といういまを受け止めるひとつの場所は家であること。
それは家族であり、家族がいる家であること。
絶対に変わらない絶対現実は普遍と言っていい。
その現実は変わったりはしない。
ではどうするか。
その絶対現実に耐えうる居場所を作り出して、そこで暮らすこと。
核戦争に警笛が鳴らされれば、シェルター建設が流行ったものだった。
だが、もちろん守りだけの居場所では人はずっと生きて行くことは出来ない。
いや本当に人を守る居場所というものは、普遍に続く争いさえも囲ってしまうものなのだ。
衣食住医療福祉も居場所のひとつだ。
歌を歌うならばライブ会場や収録場所がいること。
まあ路上ライブというスタイルもあるが。
自由になりたいと夜中にバイクで走り出すのもひとつの自由だろう。
けれども基本基礎としては居場所、場を作り出すことが自由のはじめの一歩なのだ。
自由はひとつの居場所。
幾重かの場所から構成されること。
いまどこかへ行こう。
どっかへ行こう。
けれどもそれはお互いの夢を話せる場所へ行こうと私は自転車にまたがって漕ぎ出すのだ。










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2007年4月23日 月曜日午後7時21分カキコ。
仕事の分岐。




2007年4月23日月曜日午後7時15分カキコ。
企画会議では、いま必要とされる情報を元にそこから個別にひとつひとつ状況を分析します。
それから共通を見て、この共通の状況に有効なひとつひとつの戦略を立てます。
この個別戦略が特殊となって現実と戦う武器となります。

−−−。
クオリティを上げろと、質を上げて時間をかけろとは良く聞く話。
けれどもそれで日常的にサービス残業の状態になると効率は錆び付いてしまって動かなくなってしまいます。
これによって固まった時間が固定観念になって柔軟性が失われると言ってもいい。
ので、クオリティを上げる時は、質を下げる部分を一緒に提示すること。
質上げと質下げの両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立が上手く行くということであること。
これが業務を効率させます。
これは家庭でもそうでね。
家族にでらでらこれやれあれやれ言う(?)んでは優しいとは思われないのよ。
あれとこれは上げ下げでね。
そこのバランスが効率の根幹と言っていい。
いやまあここぞという時は突っ走る時もあるかも知れないけれどもね。
業界が短期間予測の好景気とかね。
とかなんとかなんつったりしてね。
−−−。
批判してばかりでは気持ちが鈍くなってしまいます。
批判したり怒ったりしたらば、その日でなくてもいいので、それよりちょい以上に褒めたり感謝したりすること。
批判と感謝の両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立が上手く行くということであること。
これが人間関係を滑らかにします。

−−−。
質の低い仲間と質の低い資材で仕事していたらいつまでも儲からない。
いろんな人とコラボすることで、人は質高く成れる。
質の高い資材を厳選することで、その組み合わせで高い段階へと進むことが出来る。
いやまあとにかく量数の安売りが得意というとこもあるので、一概には言えないのかも知れない。
まあケスバイケスでね。

−−−。
生活不安解消のために、衣食住医療福祉のために働くこと。
その時間の積み重ね。
世の中を良くすることは裏も表もなくそれだけである。









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2007年4月13日金曜日午前1時5分。



















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2007年4月21日 土曜日午前9時59分カキコ。
サウンドデュアルの項目。




2007年4月21日土曜日午前9時50分カキコ。
時間否定の時間否定。
過去はいまに否定され続けている。
これが現実であること。
過去の業績も失敗も嘘も真実もいまに否定され続けている。
そしていまは未来に否定され続けていること。
未来とは予測すること。
未来とは将来。
未来とは希望。
これによっていまは否定され、それまで否定され続けた過去は全肯定されること。
つまり過去はあったことだと全肯定される時間の断層だが、いまはその過去を全否定される時間の断層であること。
そして未来は過去といまが混在する今と過去の両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立であること。

−−−。
時間否定の時間否定。
未来とは過去と今の時間と空間から構成されること。
どちらがなくても未来という時間は構成されない。
たとえばどこかの場所を借りないと出来ないことも多い。
誰かの時間がなければその場所は空っぽであること。
当たりまえにあるような時間と空間。
時間と空間はひとつであり、それは時空という概念であること。
時間と空間を両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立。
それは時空であり、否定の否定、ひるがえりであること。
そして高い段階での対比物の相互浸透であること。
それによって対比される事柄は混合基準の中で統一されること。
いまは古いと否定されることでも、それは未来に進むのに必要な要素になることだと、その要素は否定の否定されること。
一般に否定の否定と言われるのはこの時間否定の時間否定であること。
そもそもがわざわざ長い時間かけてひとつの映画作ったり、本を作ったりするのはそれを読んだり見たりして時間との距離の取り方をバランスするため。
自分との戦いとは良く聞く言葉だが、ようは時間とどう向き合いまた逃げてまた過ごすのか。
時間とのかかわり方が人生と言える。

−−−。
時空とは


時間配分。
普遍、共通、一般。

時間空間。
特殊、集合、新性。

時間蓄積。
個別、蓄積、唯一。




時空とはいいものであると言われること。
そこには時間と空間があること。

−−−。
空間否定の空間否定。
いまある場所は昔あった過去の幾重もの場を否定しているが、それは過去の場といまの場の両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立が未来の場であること。

−−−。
希望否定の希望否定。
過去にあった希望はいまによって常に否定され続ける。
過去の希望といまという現実の両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立が未来である。
2007年4月22日日曜日午後2時32分カキコ。
記憶は古い分岐であって、いま直に通用するものではない。
つまり自分の考えというものは既にいまの世の中に通用しなくなっているのだ。
現実が厳しいとは良く聞く話である。
これが過去の希望はいまに常に否定されること。
が、他人と古い分岐を交換すること、話すことで、人はその古い分岐をさらに活性化して、新しい時間と空間を得て、新しい時空として構成しなおすことが出来る。
古い分岐を得て、古い枝から新しい枝へ、ということ。
これは本を読むことでも可能だ。
これによっていまと古い分岐たる過去は両立並列のバランスを取られ続けて行き、その本質の確立たる未来を得るとかなんとかである。










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2007年4月21日 土曜日午前9時39分カキコ。
刑罰の分岐。




2007年4月21日土曜日午前9時38分カキコ。
凶悪事件の原因はネットとテレビゲームに依存してるからという指摘などがある。
ではテレビゲームやネットが出来る前はなにが犯罪の原因とされたのか。
それはテレビだったり、一部の文字の本だったりした。
また一部には悪魔が人にとりつくからとか、遺伝が関係してるなども真面目に論じられた。
基本的に、犯罪の原因は生活不安であること。
これが近代科学の常識だ。
もちろんその人がどういう生活を積み重ねて来たのかということもあるだろう。
犯罪に耐性がなかったとか、そういう側面も論じられてしかるべきだろう。




犯罪理由。


生活不安。
普遍、共通、一般。

希望の方向性。
特殊、集合、新性。

個人の趣味趣向。
個別、蓄積、唯一。




生活が安定すれば犯罪の発生確率縮小やその予防は可能であること。
衣食住医療福祉の充実。
その地味な積み重ねが必要であること。
いやまあ米とか麦の栽培がされるまでは犯罪は無かった。
その蓄積の差が出るようになって始めて争うという概念が始まる。
まあ狩猟の時代でも獲物を巡って喧嘩になることはあっただろう。
けれどもここまで組織的に戦うことはなかったのではないだろうか。
蓄積の差が差別の原因にも成った。
それは強力な対立をも作り出したが、けれどもそれは人が人になるのに世の中にはあったものであった。
蓄積を守るために防衛する武器も蓄積され始める。
人を倒すための武器。
弓や剣はここから独自の発展を見ることになる。
いまやその武器は世界を滅ぼせるほどにまで強力になっている。
希望の方向性というのは、破壊したほうが希望があるという方向性を取った場合。
随分過激な意見(?)というか方向性ではあるが、時に国の方策となることもある。
希望をなにに見いだすか。
それはまあ本質のひとつではあろう。
いま出来ることは生活の安定策を地味にちまちま尽くしていくこと。
裏も表もなくそれだけであること。










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2007年4月16日 月曜日午後2時6分カキコ。
作品ジャンルの分岐。




2007年4月16日月曜日午後1時27分カキコ。
スパロボリアルロボ対比考察。
まずスーパーロボットは勧善懲悪であること。
リアルロボットは自分たちが正義かどうかも分からない。
宇宙戦争に巻き込まれるなど、なし崩し的な展開で激動に呑まれて行く。
迷ってばかり(?)でちょっと爽快感に欠けること。
これはリアルで繊細な心情が描かれる一方、なにかをすっ飛ばしていくダイナミックな展開に欠ける。
またスーパーロボットはかなりの頻度で地球を守るために戦う。
リアルロボットはロボット犯罪やロボット戦争に参戦するなどの展開が多いこと。
リアルロボットは地球を守ることが特に理由ではないことが多い。
これらの要素はリアルもスーパーも鉄腕アトムから得ている。
ぶっちゃけ鉄腕アトムからその要素を取得するのがロボットものであること。
その派生系であること。
いやまあこれは最近の漫画とかアニメとかの流れはすべてここから得ているのだ。
近代の剣と魔法のファンタジーがザロードオブザリングから要素とか流れを受けている派生系であるのに同じこと。
であるからには、鉄腕アトムの要素を最大限入れながら、新しい展開を見せる作品が新しいロボットものであること。
最大限ザロードオブザリングの要素を入れながら、新しい展開を見せる作品が新しい剣と魔法のファンタジーであること。
これはまあ放送番組でも作品でも経済システムでも政治哲学に機器からなにからそうであるが。
なんの枝から来た道であることか知っているか。
それは何者であるか知っているに等しいこと。
これが前向きな姿勢とか、いわゆる概念的な進化というものであること。










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2007年4月13日 金曜日午前1時6分カキコ。
仕事の分岐。




2007年4月12日木曜日午後11時14分カキコ。
合理的な系統だった仕事をするためには、キャリア上司部下関係なくアイディアを出して職場のあり方を維持したり変えたりすること。
といって目上にはそれだけの年季(?)を一定尊敬にしたいとこではあります。
試行錯誤していいものを採用していくこと。
企画や時間配分から方向性などなど。
アイディアを出して、それに優先順位を付けてそれから決めて行くこと。
アイディアを採用する時に時間がもうない時はその場のまとめ役に取捨選択してもらって決めること。
いまという状況はほとんど的確にとらえて見ることは出来ない。
自分が所属する集団や自分のこともとらえて見ることは難しい。
そこを時間をかけてとらえて行って、さらに次の一手を打って行くこと。
それが分析と戦略であること。
裏も表も無い。
ただ時間かけてひとつづつの地味な積み重ねがあるのみである。
まあ無理せんとそこそこ行きましょうか。
無理はバランスの大敵やでえ。
あんじょうせいやあ。









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2007年4月8日 日曜日午後7時8分カキコ。



















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2007年4月9日 月曜日午後9時51分カキコ。
サウンドデュアルの分岐。




2007年4月9日月曜日午後9時50分カキコ。
精神的余裕はひとつのゆったり。
幾重かのゆったりから構成されること。
人はひとつの時空の反映。
幾重かの時空の反映から構成されること。
表現はひとつの気持ち。
幾重かの気持ちから構成されること。
文はひとつのテーマと言葉。
幾重かのテーマと言葉から構成されること。
話はひとつのテーマ。
幾重かのテーマから構成されること。
楽しさはひとつの軽妙さ。
幾重かの軽妙さから構成されること。
安心はひとつのだいじょうぶ。
幾言かのだいじょうぶから構成されること。
問題の解決はひとつの緩和策。
幾重かの緩和策から構成されること。




リズムとリアクションとノリ。

幾重かのリズムと歌詞の両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立が歌であること。

幾重かのリアクションと台詞の両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立が作品であること。

幾重かのノリと非常識の両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立がお笑いであること。

幾重かのパズルと部品の両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立が機器であること。

幾重かの時間と空間の両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立が時空であること。


これは要点を省略しているのであって、これですべてではないこと。


本質のリズム。
本質のリズムで踏むステップ。
気持ちのリズム。
気持ちのリズムで踏むステップ。














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2007年4月8日 日曜日午後7時8分カキコ。
仕事の分岐。




2007年4月8日日曜日午後6時49分カキコ。
サービス残業は日常化していると働く場がなくなる要因になること。
どうしてもまずい時とか、なにかの戦略があってのことならばともかく、日常的にはなくていいこと。
たとえばこの一年を乗り切れば、お金が入る目論見があって、それに賛同するとか。
かなり賭博的な働き方だなあそれは。
重要な仕事の順番を書き出してその順にこなすこと。
それで時間になったら帰っていいこと。
それでさらに時間が必要ならば、もっと時間や人材を要請すること。
時間の倹約も有効なので、こうすると時間の節約になるとか話したりしていやまああまりにせっつかれる仕事ではねえ。
まあ機械的に(?)おんなじことするような仕事の部分的な時間ならば、効率化も有効なのかなあ。
まあそこはケスバイケスでね。
人はお金を持っていない。
お金は経営と家族のためにあること。
人にあるのはひとつの時間である。









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2007年4月5日木曜日午前1時57分。



















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2007年4月7日 土曜日午後10時19分カキコ。
作品ジャンルの分岐。




2007年4月7日土曜日午後10時14分カキコ。
時空+時空。
時空×時空。
時空人(じくうじん)。時空旋風。時空旋。時空会話。
時空砲。時空撃。時空剣。時空獣。時空機。時空神。時空人。時空ロボット。時空魔法。時空斬。時空力。時空光。時空闇。
時空双機。時空猫。時空眼鏡っ娘。時空メイド。時空スーツ。時空迷彩。時空空気。時空天使。時空警察。時空少女。時空波。
時空の癒し。時空戦闘。時空鍵。
時空劇。時空展開。時空共鳴。THE時空。
時空風景。色彩時空。時空自然。時空音楽。時空疾風。時空雪。時空道。時空空。時空大地。時空宇宙。時空惑星。
時空相対。時空絶対。時空全対。一点の時空。平面の時空。立体の時空。二次元の時空。三次元の時空。四次元の時空。
ひとつの時空。幾重かの時空。過去時空。未来時空。いま時空。透過時空。時空否定。




全盛期の作品、エヴァンゲリオンなどはこの時空何々を表現すること。
時空の表現を心がけたこと。
たとえばエヴァンゲリオンは四次元の時空の機体であること。
それを三次元に止めていること。
三次元の時間と空間のそのすべてがこの一機に詰まっていること。
裏設定ではあったが。
たとえば魔法は二次元を三次元に再構成すること。
または四次元を三次元に再構成すること。
そんなふうな感じのような表現であること。
また時空機体の力は詠唱を必要としない魔法であること。
その機体起動時間が魔法発動中であること。
これがデュアルロボットとしての構築であった。
これを説明するのではなく、絵で見せること。
これ構築が当時は若干(?)22歳だったよー。とかなんとかね。
まあ10歳から業界にいたとするとこの時点で既に12年のキャリアがあった……のかなあ。
歌からゲームシステムから作品からコンテワークから終いには建物とか経済システムから恋愛まで時空、時間と空間の両立並列のバランス取り続けることによる本質の確立が場である。
ということで一時代を築く。
とかなんとかね。
ヴァグランツで搭乗者の能力による次元移動にパワードスーツまで着けてるテレポート機体とか。
超時空要塞とか。
なにかそれまでの作品を見ていて一言でまとめると時空かなあと。
時空の表現とか言っていた。
これが高校生くらいの時かな。
FSSなどこの時だらだら言っていたことが一定反映されている。
なるへそう。
そうするとヴァグランツも鈴鷹さんの当時の影響から作られていたのかあ。
まあエヴァンゲリオン作る前に既に一定鈴鷹さんは業界にいて、ある程度いやもうほとんどの作品は鈴鷹さんの作劇術の流れに作られていた。
メインスタッフ(?)くらいの扱いであるのに、意識してセラムンとかにん参加して行った時にはある意味後発であったこと。
なんとも不思議な感じではあった。
もうその時には各スタッフは鈴鷹さんの作劇術を一定熟知していた。
後発である(?)私はどうするか。
ひとつにはそれらのスタッフと組んで仕事すること。
つまりは一人では無理して作品を作らないこと。
絵などのデザインとか、とにかく任せることが出来ることは任せること。
私が一番得意なのは設定作りや話しの流れ。
いやもうその時にはそういうスタッフとして業界で巨匠扱いであった。
気づいたらトップであること。
どーしたものか。
まずは肩の力を抜いてレイアースとかエヴァンゲリオンとかGガンダムとかセラムンなどを構築して行った。
ネット構築や機器構築も始めていて、熱狂は頂点に達しようとしていた。
全盛期。
であったなあと。










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2007年4月7日 土曜日午前1時20分カキコ。
仕事の項目。




2007年4月7日土曜日午前1時9分カキコ。
人は注意されると萎縮する傾向にあり、方向性をお互いに模索するほうがいいとは思う。
また注意した場合はその注意したことをメモしておいて、どういったことなのか、状況はなにか、どうすればいいのか模索しておきたい。
そういった社内掲示板を会社内ネットを作ってスタッフの意見を集めてもいい。
注意点を書き出しておかないと厳しい現実への対処に場当たり的になってしまう。
ライブ感を出す場合などを除けばだろうか。
また注意しても人には個人的限界があり、それよりはいろんな人と組んで働ける場があるほうがいい。
相性の悪い人やいい人と働くことで、人はひとつもふたつも大きくなれるものである。
注意とはポイントのとらえ方であること。
それはなかなか教えられるものではないこと。
そしていいものには決まって時間が必要である。










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2007年4月5日 木曜日午前1時58分カキコ。
サウンドデュアルの項目。




2007年4月4日水曜日午後8時38分カキコ。
アイディアはひとつの試行錯誤。
幾重かの試行錯誤によって構成されること。
パワーはひとつの休息。
幾重かの休息で構成されている。
安心は信頼する人といること。
幾重かの信頼する人といる時間によって構成される。
幸福はひとつのありがとう。
幾つかの感謝の言葉に構成される。
爽快さはひとつのさわやかさ。
幾重かの行動の速さとスプライトなさわやかさで構成されていること。
ヒットはひとつの爽快感。
幾重かのさわやかな力から構成される。
刺激はひとつの速度。
幾重かの加速度から構成される。
癒しはひとつの丁寧さ。
幾重かのゆったりした丁寧さから構成される。
人助けはひとつの話し合い。
幾重かの話し合いから構成される。
争いはひとつの荒れた言葉。
幾重かの挑発という刺激から構成されること。
人間関係の構築とはひとつの方向性を示すこと。
お互いの方向性を相対的に示すこと構成されること。
犯罪はひとつの生活不安。
幾重かの生活不安から構成されること。
量をこなすにはひとつの質。
幾重かの質の高さから構成される。
質を高いするにはひとつの数。
幾重かの量をこなすことから構成される。
場を形成するにはひとつの高い質と量をこなすこと。
幾重かの高い質と量数をこなすことで構成される。
平行線という気持ちの壁を破るのはひとつの両立並列すること。
幾重かの対立要素を両立並列のバランスを取ることによってひとつになること。
両立並列はひとつの対比。
幾重かの時間と空間の対比によって構成されること。
進化はひとつの否定の否定。
幾重かの否定の否定から構成されること。
否定の否定はひとつの両立並列。
幾重かの両立並列によって構成されること。
認識はひとつの対比。
幾重かの対比によって構成される。
アンバランスはひとつのバランス。
幾重かのバランスから構成されること。
バランスはひとつのアンバランス。
幾重かのアンバランスから構成されること。
矛盾は科学的な理論。
幾重かの科学的な理論から構成されること。
科学的な理論はひとつの矛盾。
幾重かの矛盾から構成されること。
対はひとつの対。
幾重かの対から構成されていること。
相対はひとつの両立。
幾重かの両立から構成されること。
絶対はひとつの方向性。
幾重かの方向性から構成されること。
全対(ぜんつい)は絶対と相対。
幾重かの絶対と相対から構成されること。
しがらみはひとつの共有。
幾重かの共有から構成されること。
いっぱいいっぱいはひとつの頑張り。
幾重かの頑張りから構成されること。
面白さはひとつのユーモア。
幾重かのユーモアから構成されること。
独占愛はひとつの愛してると言うこと。
幾重かの愛してると言うことから構成されること。
現場とかの場はひとつの時間と空間。
幾重かの時間と空間から構成されること。
空間はひとつの時間。
幾重かの時間から構成されること。
時間はひとつの空間。
幾重かの空間から構成されること。
カリスマはひとつの概念。
幾重かの概念を作り出すことで構成されること。
失敗はひとつの矛盾を解消しょうとすること。
幾重かの矛盾を解消しょうとすることから構成されること。
成功はひとつの時間と空間。
幾重かの時間と空間で場を作り出すことで構成されること。
新しいことはひとつの検証。
幾重かの常識と思われていることの検証から構成されること。
余裕とはひとつのフラットさ。
肩の力が抜けたような姿勢から構成されること。
存在はひとつの時間と空間。
幾重かの時間と空間から構成されること。
生き甲斐はひとつの夢。
幾重かの夢から構成されること。
いい仕事をするのはひとつの目標。
幾重かの目標から構成されること。
経済良好生活安心はひとつの必要とされる場作り。
幾重かの場作りから構成されること。
経費削減はひとつの節約。
幾重かの節約から構成されること。
経済好転はひとつのコラボ。
幾重かのコラボレーション(いろんな人と仕事出来ること)から構成されること。
歌はひとつのリズムとフレーズ。
幾重かのリズムとフレーズから構成されること。
世界はひとりの人。
幾人もの人から構成されること。
ビデオゲームのシステムはリアクションと選択肢。
幾重かのリアクションと選択肢から構成されること。
ドラマはひとりの伽羅。
幾重かの伽羅から構成されること。
伽羅はノリとリアクション。
幾重かのノリとリアクションから構成されること。
ひとつの要素その要素の組み合わせからすべては構成されていること。
組み合わせが描く世界をサウンドデュアルと言うこと。









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2007年3月23日金曜日午後2時3分



















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2007年4月4日 水曜日午前12時43分カキコ。
仕事の分岐。




2006−12−22 金曜日午前12時54分カキコ。
ここではリストラは解雇を含む再編成と位置付ける。
雇用とリストラは世界樹の枝の同じ軸線上にあること。
雇用とリストラは表裏一体同じものである。
雇用とリストラの両立のバランスを取り続けることの本質の確立が企業体制の再構築である。
能力主義と年功序列は世界樹の枝の同じ軸線上にあること。
能力主義と年功序列は表裏一体同じものである。
能力主義と年功序列の両立のバランスを取り続けることの本質の確立が給与体系である。
2007年4月4日水曜日午後12時19分カキコ。
合理化、リストラ路線。
科学的に合理的に企業や役所などの組織を運営すること。
おんなじ仕事ならばキャリア関係なくさっさと残った仕事を手の空いてる人がして、終わらせること。
途中で軽いアドバイスはいいけれども、注意すると作業の流れが途切れる。
よっぽど相手が新人か、かなり細かい仕事ならばともかく。
そうでなければ、注意は仕事が終わってからすること。
もちろんその時に直ぐにした方がいいこともある。
そこはまあ結局ケスバイケスで。
注意とは矛盾を改善しょうとしており、一言言って場所や時間構成が変わることは少ないと思う。
それよりはスケジュールやこの作業にはどれだけの時間が必要かを色々と検討すること。
それだけの時間と空間の両立並列のバランス取りがあること。


もうひとつには合理化とは少数精鋭で競争社会に戦う場のこと。
この場合の少数精鋭とは人を減らす意味あいではなく、その企画に必要な人がその時々に集まって柔軟に働くこと。
また病気や子育てや介護やなんらかのその人の事情にも柔軟に対処すること。
仕事に必要な人たちが柔軟に集まれる場。
のこと。
とかなんとかね。










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2007年4月4日 水曜日午前12時18分カキコ。
サウンドデュアルの項目。




2007年4月4日水曜日午前12時00分カキコ。
歌の極意を教えよーう。
歌とはフレーズで構成されていること。
つまりは生命は細胞で構成されているが、いやまあそこまで細かいと言葉という感じだが、まあとにかく歌とはフレーズで構成されているのだ。
ガッツだぜ、ぱわふるらららと。
明日がある明日がある明日がある〜さあ〜とね。
世界にひとつだけの花ぁあ。
愛をくださいぃうおぅおう。
みたいなね。
その流れを基本として、そこからずれること。
まあとにかくフレーズの組み合わせで歌とは出来ていること。
音楽はひとつのリズム。
もひとつのリズム。
とかとかと。
その組み合わせから音楽の世界は構成されていること。
ここがポイントなのだ。
アニメは一枚の絵から構成されていること。
ドラマとはひとつのシーン、その組み合わせから構成されていること。
哲学はひとつの概念。
幾重かの概念から構成されること。
話はネタから。
幾つかのネタの組み合わせから構成されること。
笑いはひとつの無駄な時間。
幾重もの無駄な時間や常識のずれから構成されること。
シリアスはひとつの人生の分岐される場所。
幾重の人生の分岐される場所から構成されること。
色彩はひとつの色。
幾つかの色の組み合わせから構成されること。
絵はひとつの線(色)。
幾重かの線から構成されていること。
演技はひとつの台詞(動作)。
幾つかの台詞から構成されること。
文章はひとつの言葉。
幾つかの文節から構成されること。
ホワイトカラーはひとつの書類。
幾枚かの書類作成から構成されること。
街はひとつの建物。
幾つもの建物から構成されること。
見えないものはひとつの数式(量数の方向性)。
幾重かの数式から見えないものは構成されていること。
気持ちはひとつの見えないもの。
幾重かの見えないものを感じることで構成されること。
恐怖はひとつの気持ちのアンバランス。
幾つかのバランスが崩される要素に構成されること。
リスクはひとつの経済のアンバランス。
幾重かの経済活動のバランスが崩れる要素に構成されること。
ドキュメントはひとつのリポート。
幾つかのリポートから構成されること。
エンターテイメントはひとつの楽しさ。
幾重かの楽しさから構成されること。
エロさはひとつの性。
幾つかの性から構成されること。
厳格さはひとつの品。
幾つかの品から構成されること。
真面目さはひとつの時間を守ること。
幾つもの時間を守ることから構成されること。
不真面目さはひとつの時間を守らないこと。
幾つもの時間を守らないことから構成されること。
安全はひとつの確認。
幾つもの確認方法に構成されること。
機器はひとつの部品。
幾重もの部品から構成されること。
現実はひとつの矛盾。
幾重かの矛盾から構成されること。
時は空間、ひとつの場。
幾つかの場から構成されること。
空間、居場所はひとつの時間。
幾つかの時間の組み合わせから構成されること。
幸せはひとつの時空。
幾つかの時空から構成されること。
物質はひとつの原子。
幾つかの原子の組み合わせか構成されること。
そんなのあたりめーじゃねーか。
いやいや、こういうポイントを押さえた作品とか歌などとそうでないものは全然違うものなのだ。
もちろん仕事と生活もね。
個別を積み重ねて共通からヒットたる特殊へと行くこと。
素人(若手)や玄人もスランプになっていると、なにを積み重ねていいのか見えなくなってしまう。
いがいとありがちなことよ。
私も良く見えなくなるから。
困ったもんだ。
うんうん。
基本基礎となるそのひとつ。
その幾つかのひとつの組み合わせが描く構成。
組み合わせが描く世界。
まあこれをサウンドデュアルと呼んだわけだが。
宇宙という時間と空間はひとつのひるがえり。
幾重のひるがえりから構成されること。
とかなんとかね。










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2007年3月30日 金曜日午前1時5分カキコ。
時間の分岐。




2007年3月30日金曜日午前12時57分カキコ。
いまという構成空間。


現実、数の積み重ねによる固定化(量数)。
普遍、共通、一般。

本質、時間と空間の両立並列という時空(場)。
特殊、集合、新性。

変化、質による柔軟性(時間)。
個別、蓄積、唯一。




いまという時間は時間と空間と量数によって構成される。
本来数などは見えないものだが、空間と時間を得ることで、数は見える。
一定見えるものは物質の速度が遅いと言える、かな。
見えるものは、時間と量数が空間という場において一定両立並列のバランス取りされるために見えること。




2007年4月3日午後9時46分カキコ。
時空の時空。


彼方の時空。
普遍、共通、一般。

見えない時空。
特殊、集合、新性。

ひとつの時空。
個別、蓄積、唯一。




時間と空間の両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立が宇宙(ひるがえり)である。
時間と空間の両立並列のバランス取りが時空である。
人もひとつの時空ではあること。
時空は一曲の歌だったり、ひとつの小説だったりすること。
それがブレイクすること。
古い分岐を得て古い枝から新しい枝へと移ることが共通の時空であること。
見えない時空は一瞬だけ見えたような気がするが、それはいつまでもやっぱり見えないこと。

−−−。
作品においての時空の表現。
人は時空を内包しており、その時空と時空が響き合う一瞬を作品に描く時、作品には宇宙が広がり始める。
たとえばアニメ作品で時空が表現されていれば、神アニメとか言う。
映画ではゴッドムービーとかかな。
時空というものは時間における時間の時間。
時間における時間の時間はサウンドデュアルにおいて、神と哲学的に定義されているから。
時空の表現は機器でもなんにでもあることではあります。

−−−。
良い、いいと言われることや物や人は時間と空間の両立並列がバランス取られていること。
悪い、良くないと言われることは、矛盾を改善しょうとすること。
矛盾を改善することはもちろん目標ではあるが、それを目標にすると失敗する確率が9割となる。
現実はひとつの矛盾。
幾重かの矛盾から構成されること。
現実の方がむちゃくちゃ強いのだ。
これには時間と空間の両立並列、略して時空からアクセスすることがいい。
方向性としては、だろうか。

矛盾を正そうとすると失敗する確率が高くなる。
矛盾や問題の改善を急ぐよりは、時空というか、場作りから始めたほうが現実には有効なのだ。
もちろんケスバイケスも常に必要ではある。
いいものを時空とすれば、現実が悪いものとすれば、時空と現実は対なのかも知れない。
その割合で人の世の中動いて行くのか。
時空と現実の両立並列の対を否定の否定することが必要なのかな。
いやまあこれだけでも相当凄いことではある。
現実を否定しては生きていけない。
現実を見ないふりでは生きていけない。
現実と時空の両立並列のバランスを取り続けることで始めて生きていけるのだ。
たとえば人においてひとつには居場所があること。
これだけでも人の気持ちはとても広くなるものだ。
矛盾を変えようとすれば人は完璧主義者となり、自分にも家族にも他人にも寛容にはいられない。
現実を変えるのは矛盾へのアプローチだけではなく、お互いが変われる道を模索することではないだろうか。
時間と空間のあるお互いの居場所があること。
それはちょっとしたことの積み重ねでもね。
とかなんとかね。
−−−。
両立並列の時空はひとつの時間。
幾重かの時間と空間から構成されること。
−−−。
時空圧縮から時空解放。
時空の性質方向性、時空の絶対方向、時空の相対方向、時空の全対方向。
古き時空を得て、古き時空から新しき時空へ。
古き時空を守りつつ新しい時空の提供。
時空の積み重ねと時空による柔軟性のバランス取り。

−−−。
時間と空間の対比。
時間と空間の対比、その積み重ねが宇宙を作っていること。
これを時空と言う。
時間と空間の螺旋構造が宇宙であること。
逆に言えば、それにそって行くことが、上手いこと(?)人生を生きるとか、仕事とかに活かせること。
生活と仕事もこの時間と空間の対比の積み重ねであること。
柔軟性とは、この積み重なる固定化する螺旋構造をくるっと回転させることなのだ。
想像ではなく時間と空間のある宇宙を作り出そう。
想像から宇宙へ。
とかなんとか。

−−−。
時空の否定の否定。
ひとつひとつの時空を積み重ねる、その組み合わせによって共通の時空を構築することで、それまでの単発の時空は否定の否定され、それまでの時空を全肯定すること。

−−−。
いまの構成空間。


現実の壁(量数)。
普遍、共通、一般。

本質の時空(場)。
特殊、集合、新性。

個人の力(時間)。
個別、蓄積、唯一。




時間と空間を響かせて時空を響かせる。
現実が厳しいという場合、数が出ないという意味合いがある。
ブレイクするとは、つまりは量数出るという意味でもある。
それはまあ商売であれば、数が出ることは一定意味があることだ。
また、見えない壁とか現実とはこの量数であることが多い。
いまとは現実のことを言うことがある。
物質運動の量数がひとつの現実であること。
人の世の中では労働と賃金の交換の量がもっとも大きな物質運動をうながす、いわゆる現実であること。




いいものはいつでもどこでもいまでもいい。
だからそれは時間があればだいじょうぶである。

古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
古き時間を得て、古き時間から新しき時間へ。
古き時空を得て、古き時空から新しき時空へ。
過去をひるがえらせる過去。
現在をひるがえらせる現在。
未来をひるがえらせる未来。
千時間の平行線よりも一分分の未来。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。










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2007年3月23日 金曜日午後2時5分カキコ。
フィギュア・プラモデルの分岐。




2007年3月23金曜日午後2時1分カキコ。
私が小学生低学年の時にガンプラブームがあった。
小遣い手に持ってプラモ店に入っても、バーゲンでおばさんが服を奪い合うような状態。
すぐにお目当てのプラモはなくなってしまった。
誕生日祝いにもらったプラモデルは嬉しかったものだった。
そのブームたるや凄かった。
けれども、テレビゲームが出るや、プラモデルブームは収束していくことになる。
私が高校生くらいの時は、ファイブスターストーリーズの1万円くらいするフィギュアがあった。
とてもいい出来なのだが、細かいパーツを繋げるのは神業に近かった。
色も付いてはいなかった。
まずは接着剤は使わず、パーツのみで組み上げられるようにする路線。
また、高い値段のものは完成品も用意すること。
もちろん塗装済みで。
これらの路線はプラモデル路線からフィギュア路線へとして打ち出して行くことになる。
また比較的安価な、がちゃがちゃでもミニフィギュアとしてフィギュア路線を展開する二段構えとして行くことになる。
もちろんガンプラなどもガンダムの新作に合わせて企画して行くことになる。
素朴なプラモ路線も最近はまた見直されて来ている……かなあ。
とかなんとかね。




いいものはいつでもどこでもいまでもいい。
だからそれは時間があればだいじょうぶである。

古いプラモを作って古きプラモから新しきプラモへ。

古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
歌をひるがえらせる歌。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。









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2007年3月18日日曜日午後10時48分



















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2007年3月21日 水曜日午後11時29分カキコ。
科学の分岐。




2007年3月21日水曜日午後11時20分カキコ。
信じる気持ちの大切さ。
これは宗教が気持ちを醸成したもっともいいもののひとつ。
では科学はと言うと、因果関係を示すことである。
魔女がいると信じられてしまい、実際には鼠(ねずみ)を媒介とした病気の蔓延だったりしたこと。
また、悪いことは共産主義者のせいという近代の魔女狩りとして赤狩りなどもある。
エイズは男性同士のえっちの場合、90パーセントの確立で移ること。
もちろん、コンドームが有効なのだが、エイズがなにか分からない時は、アブノーマルな人たちがかなり微妙な視線を浴びていたものだった。
因果関係と信頼の両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立が路線であり、人生の方向性を大きく決めること。
生活において信頼関係が大きなウェイト占めていて、仕事では分析と路線が大きなウェイトを占めること。
そんなこと。










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2007年3月21日 水曜日午後6時18分カキコ。
作品ジャンルの分岐。




2007年3月21日水曜日午後6時15分カキコ。
時空のファンタジー。
時間と空間は対であること。
時間の経過を描けば空間も変わり、空間が変わったことを描けば時間が変わること。
時間と空間について述べていれば、それは時空のファンタジーであること。
だから、物語だけでなく、相対性理論もそう。
それだけ時間と空間というものは密接な関係であり、また、なににも共通することなのだ。
時間と空間を感じるものがいいものであること。
これはまあなんでもそうですけどもね。
2007年3月21日水曜日午後11時16分カキコ。
魔法少女成長考察。
若草物語は少女たちの成長物語であること。
魔法こそ使わないが、その活き活きとした気持ちの描かれ方は素晴らしいものだ。
魔法少女ものとは、こういった少女の生活において魔法が使えるようになって、それによって起きるドタバタや少女の気持ちの成長を描くことを主題とする作品のことである。
元祖魔法少女はその名も魔法使いサリーである。
サリーは魔法の世界からやって来た、魔法が使えるのがあたり前の世界からやって来る。
このため、サリーはなんの苦労もなく魔法が使える。
みんなに魔法のことは内緒という制約があり、これがひとつのリミッターとして機能している。
ヒーローは正体は内緒というのはここからの系譜と言える、と思う。
サリーの構築は巨大ロボットもの元祖鉄人28号の構築でもおなじみ、横山先生であったりする。
いよっだいとーりょー。
死んでる場合じゃないよ。
やっぱり新作は鉄人が変身するメイド鉄人危機一髪だね。
決まり。
うがうがっずしんとコーヒー入れられても、コーヒーのプールで泳げてまうよというお話。
さてさて、魔法のコンパクトを拾った女の子が変身してどたばたというのがテクマクマヤコンの呪文で有名なひみつのアッコちゃんである。
いやいや、元祖変身少女はリボンの騎士と言っていい。
アイマスクを付けて牢屋から抜け出して、悪い大臣一派をやっつける。
けれども、アッコちゃんでは魔法によって変身するとこが違う。
これによって、猫にでもなれた。
アッコちゃんは普通の少女であり、そこから魔法使いになるという目新しさがあった。
また杖ではなく、コンパクトという携帯化粧道具である点も新しかった。
やっぱり化粧をした女性は変身してるよね。
すっぴんはなにも装備してない騎士に等しいよね。
いやいや、すっぴんこそが結構強いのかも知れないけどね。
魔女っ子メグちゃんはライバル魔法少女が出て来るなど、既に魔法少女が二人という図式があること。
花を探して世界中を旅する花の子ルンルンなど、いろいろと目新しいものが続く。
そしてミンキーモモとぴえろ魔法少女もの。
この流れは魔法少女ものを決定的に変えて行く。
子供から大人へと変身するのはふしぎなメルモから来ている。
まさにそれまでの少女ものの総サンデュと言える。
少女の成長を描き始めた魔法少女。
それまではフラットなスタイルで、魔法を得てもそのどたばたを描くのが主題であり、あまり少女の成長を描く作品は少なかった。
というか、70年代の作品はサザエさんスタイルとでもいうか、おんなじ年月が続くような感じがそれまでの作品には一定あった。
80年代の作品は子供の成長を描く傾向を得ており、それは魔法少女ものにも描かれるようになって行く。
そのため、落ち込んではまた明るく頑張るというスタイルなど、かなり暗い(?)描写も増えていくことになる。
魔法によって手品師になる夢を叶えるが、魔法なしでもまた手品師になることを目指すなど、非常にその成長を描くことに主題が置かれて行く。
それだけ奥の深いテーマを持つようになる。
一方でノリで軽く楽しむ作品が少なくなり、暗い描写の多い作品が増えた時期でもあった。
魔法少女がこんなにいいものであるのだから、魔法少女が戦隊ノリで5人も出て来たら、もっといい作品になるに違いない。
というセラムンがモデルとなったバトル魔法少女路線は新しい路線として確立することになる。
−−−。
リアルロボスパロボ対比考察。
まずはスーパーロボットだね。
アトムの活躍が地球を救う。
スーパーロボットであるアトム。
この系譜は鉄人28号やマジンガーZに受け継がれていく。
これらのロボットはほとんど一機だけでその場の危機を助けてくれる。
また正義か悪かとか、人とはなにかといった普遍的なテーマが良く使われる。
それに対して、リアルロボットものは基本的に群雄劇であり、出て来るロボットも一機では戦局を左右しない、ものほんに兵器としての登場であること。
リアルロボットに出て来るロボットは量産物なのだ。
ファーストガンダムのガンダムは新型と言われてはいるが、一機では大戦を左右したりはしない。
そこでは宇宙戦争の中で成長する若者の姿が描かれていた。
またスーパーロボットに出て来る主人公は基本的にはあまり成長する姿を見せない。
アトムなどは成長しないからといって天馬博士にサーカスにうっぱられるが、ロボットであるのに成長して行く姿が描かれている。
けれども、一定フラットに描かれていて、気持ちの移り変わりを丹念に描くまでには至っていない。
そもそも人のような年齢というものがロボットでは描きにくいという一面はあるかも知れない。
少年探偵正太郎君もそういった意味ではある程度動揺した姿を見せたりするが、あまり成長する姿を描くまでには至っていない。
いやまあ主人公を始めとしたメイン伽羅はフラットに描くというスタイルが基本にあり、これはノ リがいいので、多くのヒット作品には共通するものだ。
それに対して、リアルロボットものではかなり暗く(?)主人公達の成長が描かれていて、身につまされる話も多いのが特徴だ。
実にリアルなのだ。
現実味がある分、暗い内容が多いのも確かだ。
もちろんスーパーロボットならばいいのかというと、アニメの打ち切り作品のほとんどは原作の無いスパロボものという有様があった。
それを一定リアルロボット路線は越えたという一面があった。
スパロボからリアルロボへ。
この流れはかなり顕著で、ガンダムに始まりマクロスとボトムズとパトレイバーなどに続くこの路線はまさにヒューマンドラマを極めて、リアルな世界、リアルロボット路線の黄金時代を築いた。
マジンガーZで頂点に達したスーパーロボットもの。
鉄人タイプの巨大ロボットに人が乗り込め、必殺技を使えて異星人とか異世界人と戦うというアイディアは以降、すべてのスパロボが路襲することになる。
けれどもその一方で、あまりに似たような設定の路襲に人気はなくなって行くことになる。
これに活を入れたのはロボットものではなく、宇宙戦艦もの、宇宙戦艦ヤマトであった。
ヒューマンドラマを基調とした物語は、地球を救うということは路襲しながら、宇宙へと出て行くという画期的なスタイルを取っていた。
それまでのロボットものが一定地球を舞台にしていたのに対して、そのスケールは大きくなって行く。
ファーストガンダムも宇宙を舞台として、地球も出て来るが、宇宙から見た地球という、新しい観点から物語を展開した。
また、ヤマトでさえも一艦であるのに対して、ガンダムでは量産型の概念が登場する。
数が多いほうが勝つ。
この当たり前の論理を作品に導入した。
そのため、ガンダム自体は一機では戦局を左右しない機体となる。
作中でもガンダムは目立つため、ホワイトベースを囮に使われるなど、とことんリアルな展開が成されている。
これはかなり画期的な一面ではあるが、一方で作品の持つダイナミックな展開が抑えられることになっていく。
リアルロボとスパロボ。
この両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立は第3世代のロボットものを作り出して行くことになる。










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2007年3月21日 水曜日午後5時37分カキコ。
サウンドデュアルの更新。




2007年3月21日水曜日午後5時33分カキコ。
(場における)量による質への転化。
(場における)質による量への転化。
量数と質(時間)によって場(空間)は変化すること。
質(時間)と場(空間)の両立並列のバランスを取り続ける(量数)ことの本質の確立が宇宙(ひるがえり)であること。

組み合わせによる質量転化。場による変化。性質における方向性。
普遍 共通 一般。

柔軟性の確立。質による時間。性質における方向性。
特殊 集合 新性。

自在固定。量による数。性質における方向性。
個別、蓄積、唯一。

パワーは量数に比例する。
構想時間に質は比例すること。
その両立とバランスを取り続けることの本質の確立が場であること。
量数はパワーで、人の場合では働く量数と休む量数が対となり、対の両立並列バランス取りとなります。
さてさて、量による質への転化は、物質運動をヘーゲルが一言で表したものです。
量数をこなせば質(時間)が上がる。
構想時間(質)を上げれば、量数へと転化されること。
もちろん、無理に運動というか活動すれば、オーバーワークで体が持ちません。
これは気持ちにもあることなので、十分な休憩を取って活動とのバランスを取って健康に気を付けて下さい。
仕事の量数と質(時間)との両立並列のバランスを取り続けことの本質の確立が自分の居場所となります。
無理せずに、そこそこ頑張って下さいな。
とかね。
−−−。
サウンドデュアル、略してサンデュ、簡易弁証法。
大学の先生で哲学者のヘーゲルは弁証法を著して、数々の本を出しました。
エンゲルスは自然の弁証法という本で弁証法をさらに書き進めています。
簡易弁証法、サウンドデュアルは弁証法を進めるために書き進めています。
−−−。
神学と哲学。
神学が神の言葉から世の中の方向性や自分の考え方を導こうとしたのに対して、哲学は物理的法則から考え方や方向性を得ようとするスタイル。
神学から哲学へ。
とは言っても、いまでも神の学問、それはどういうものであったか探る部門として残っている大学もある。
たとえば相対性理論では相対の概念について、立って電車を見ている人と、電車に乗って見ている人の観測はそれぞれ正しいことを告げている。
相対の哲学としての概念はこれによってひとつ新しい一面を見たと言って良い。
では神学がなくていいのかというと。
いやいや。
宗教の最高の到達点は気持ちの形成てあること。
また科学の最高の到達点は労働と賃金の交換、お金であること。
力無き正義は無力。
正義無き力は暴力。
とこういう対比の表現となる。
お金だけあっても心がなくては困る。
心があってもお金がないと生活が成り立たない。
といったとこだろうか。
神学と哲学も両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立が成り立つ気持ちと言える。










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2007年3月21日 水曜日午後5時21分カキコ。
家庭用ゲーム機の分岐。




2007年3月21日水曜日午後3時20分カキコ。
DSWii路線ヒットに沸き立つ場面もあるが、結構失敗してる(?)路線も多い。
たとえば、リアクションゲームからビジュアルゲームへの路線では、コアなファンには圧倒的な支持を得るが、広い意味で、一般ユーザーが遠のき、いまではリアクションゲームとビジュアルゲーム路線の両立並列路線に変わっている。
また、ゲームキューブをソニーと共同のDVD円盤機として開発していたが、ロムカセットもいいものだと言うクリエイターやゲーム関係者も多くいて、ではソニーはプレステは円盤機路線として、ゲームキューブはロムカセット路線として企画構築するが、ゲームキューブ路線(ロムカセットのみの路線)は商業的には大失敗となっていく。
この時の分析は円盤機はビジュアルゲーム路線がヒットしていて、ロムカセットゲーム機ではリアクションゲームがヒットしていること。
この時リアクションゲームからビジュアルゲーム路線への方向性を示す。
いまはこれは改めています。
DSWii路線はビジュアルゲーム路線からリアクションゲーム路線へ戻したように見えますが、いまは両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立たる第3の路線を提示しているとこです。
これはもちろんPS路線Xbox路線でもそうです。
時間と空間の両立並列のバランスを取り続けることの本質の確立が宇宙(ひるがえり)であること。
ゲーム機とて、宇宙を作り出すことに違いはないこと。










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2007年3月21日 水曜日午後5時21分カキコ。
生活の分岐。




2007年3月21日水曜日午後5時12分カキコ。
人がなにかを言って他人が左右されること。
それは生活と経済の両立並列のバランスを取り続けている本質の確立である社会がそのバランスを取れていないこと。
たとえカリスマと呼ばれる人がなにか言っても、経済運営に根ざした皆保険があったり、医療費無料であったればだいじょうぶである。










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2007年3月18日 日曜日午後10時50分カキコ。
人生の分岐。




2007年3月18日日曜日午後10時32分カキコ。
人は40代に入る程度までは刺激を求める傾向にあり、アピールすることが家族との生活にはそれぞれ必要です。
たとえば、一緒に住んでいる女性にねぎらいの言葉をかけない男性は論外です。
仕事で忙しい場合は余裕が出来た時に家族サービスすること。
余裕がある時は初めて口説くようにアピールすること。
若くして癒し系が好きな人がいますので、それはケスバイケスで。
40も過ぎると人はいい意味で年増になり、癒し系を好む割合が高くなります。
ここからは一緒にいる時間を取ったり、もっと雰囲気のような地味なもので癒しを出せるようになりたいものです。
子供の場合は、大学入る年齢まで3年ごとに大きな成長があり、それはなにせ成長真っ盛りなので、その都度そこそこ対応が必要になります。
年を取っていけば介護など色々あります。
これは仕事でも一定同じです。
若い人の多い会社は刺激的なアピールを好む傾向にあります。
これはまあ仕事にもよりますが。
癒し系のスタンスは基本共通なので、これは自分なりに構想時間を取って探してみてください。
これが出来れば生活も仕事も一定だいじょうぶと言える。




だからそれは時間があればだいじょうぶである。









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2007年3月15日木曜日午後8時36分



















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2007年3月16日 金曜日午前3時12分カキコ。
歌の分岐。




2007年3月16日金曜日午前3時11分カキコ。
音楽にはリズムがある。
これは共通してそうであること。
これは歌でもそうで、これが音の常識となります。
ピアノ弾くのにカチカチなる機械でリズム取ったりするでしょ。
それそれ。
この聞こえないリズム(じょーしき)に対して、歌や楽器の音をずらすと、メロディラインの走りやゆったりさがさらに表現される。










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2007年3月16日 金曜日午前12時43分カキコ。
作品ジャンルの分岐。




2007年3月16日金曜日午前12時17分カキコ。
哲学ファンタジー政治ファンタジー経済ファンタジー。
ファンタジーにもいろんなジャンルがあるが、
私がジャンル分けしたものに、哲学ファンタジーという概念がある。
この作品の代表例としては不思議の国のアリスとかモモとか星の王子様だろう。
アリスは不思議の国に迷い込み、そこでグリフォンてこんな姿だと説明したり、アリスが大きくなったり小さくなったりする。
モモでは、亀がゆっくりと歩けば歩くほど速く進むなどの表現がある。
時間と空間というものが不思議と感じ取れる感覚の表現を楽しめること。
時間泥棒という概念も、とても面白いものだ。
星の王子様は星の王子様だ。
これらに共通してるのは、素朴な疑問の提示とそれに答えるという構図があることだろうか。
政治ファンタジーとは、ずばり権力をどうこう言うもの。
これは王よ騎士よ、とか、神々がドラゴンがどうこうというとこ。
剣と魔法のファンタジーに多い表現だ。
ロードオブザリング(指輪物語)とかロードス島戦記とかコナンザグレートなどがこれに当たる。
剣と魔法のファンタジーに対して哲学ファンタジーを夢のファンタジーということが出来る。
哲学というものが考え方とすると、哲学ファンタジーというものはファンタジー作品に共通だと言える。




哲学ファンタジー(夢のファンタジー)。
普遍、共通、一般。

経済ファンタジー(数学のファンタジー)。
特殊、集合、新性。

政治ファンタジー(剣と魔法のファンタジー)。
個別、蓄積、唯一。




−−−。
数学のファンタジー。
それは見えない世界。
たとえば空気は見ることが出来ない。
空気の運動たる風も見ることは出来ない。
風を見ることが出来たら、それは変わった姿をしていることだろう。
これは精霊として良く描かれる描写だ。
そして精霊とはファンタジー世界において、万物の法則を表していること。
数学がこの世界の法則を示しているように。
数学はあらゆる法則を示すことが出来る。
また、数式だけ先に見つかったが、それが物質の法則として確認されることもある。
見えない数式が物質の運動を幾つも示していること。
音楽や歌も見えない。
そう、歌と音楽は数学のファンタジーなのだ。
音声も空気の運動であり、風の一種と言えないこともない。
気持ちも見ることはない。
見えないものがある。
またそれを見せる力は魔法のようだと言われること。
そしてファンタジーの世界では魔法は万物の法則として機能しているのだ。
気持ちの中にある風景が描く世界。
心の中に風が吹く時、それは歌になり、またそれは世界を思い描くのかも知れない。
幸福とは心にある自然がどれだけ豊かな緑と風と水と季節があることではないだろうか。
もちろん人工物だってある意味宇宙の中にある自然には違いない。
光りはその反射によって見えないものを見せてくれます。
けれどもそれによって闇は見えなくなっていること。
色彩は闇というキャンバスに光りが描かれているのかも知れません。
闇と光の両立並列のバランスが取られ続けている本質の確立が色彩なのかも知れません。
この世界では数式を使うのは人のみと言われていて、見回しても確かにそう見えます。
ファンタジーの世界では魔法に類するまた精霊そのものも良く良く表れます。
−−−。
これはファンタジー作品を分析、考察したもので、
作品作りをするために、スパロボリアルロボ対比考察、魔法少女成長考察、美少女もの路線と並んで93年当時構築したものだった。
いやまあ、正確にはそれまでにだらだら言っていたことを弁証法によってまとめたものなのだが。
あまり書き出していないので、まだ知らない人もいるかな。
これらの考察、分析はそのまま戦略となって路線となって構築となって行く。
この他にもSFとファンタジーをサンデュしたサイエンスファンタジーとかバラードポップ対比考察、ギャグシリアス対比考察、アナログからデジタルへ、テープからディスクへ、コマンドからボタンへ、ボタンからタッチパネルへ、機器のパソコン化、台本からフリートークへ、セルからCGへコマンドから検索へ一画面から二画面へ、ゲーム考察によるポケモンドゥームトルネコの冒険サウンドノベル家庭用ゲーム機で美少女(美少年)ゲームBL百合ゲーム構築ゲームのビジュアル路線いやいや携帯機で原点回帰路線などなどがある。
これらの考察、分析は直に戦略となって路線となって構築となっていまに至る。
もちろんボタンとタッチパネルという対比ひとつ取ってもそれは対と成りうるので、アイポッドやニンテンドーDSではどちらかではなくサンデュしている。










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2007年3月15日 木曜日午後8時30分カキコ。
サウンドデュアルの項目。




2007年3月15日木曜日午後8時30分カキコ。
初めて歌を歌った人は歌い方を知っていたのだろうか。
初めて絵を描いた人は絵の描き方を知っていたのだろうか。
初めて話した人は話し方を知っていたのだろうか。
初めて文書(文字)を書いた人は書き方を知っていたのだろうか。
初めて道具を作った人は作り方を知っていたのだろうか。
初めてゲームを作った人は作り方を知っていたのだろうか。
初めて漫画を描いた人は描き方を知っていたのだろうか。
初めてアニメを作った人は作り方を知っていたのだろうか。
初めてお金を使った人はお金の使い方を知っていたのだろうか。
初めて麦と米を作った人は作り方を知っていたのだろうか。
初めて気持ちがあることを知った人は気持ちを知っていたのだろうか。
原始の問い。
その答えを作る時。
その時間と空間。


そしてそれも時間があればだいじょうぶである。










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2007年3月15日 木曜日午後8時26分カキコ。
否定の否定の項目。




2007年3月15日木曜日午後8時26分カキコ。
−−−。
自然の否定の否定と人の否定の否定。
前向きな姿勢や言葉がたいへんさを否定の否定する。
成長、進化、そして一緒に進もう。
否定の否定。ひるがえりが描く世界。積み重ねと柔軟性のバランス取り。
ひとつひとつの線にそれまでの絵の単発の否定をしていて、竜の目において、それまでの絵の全肯定、それまでの単発の否定を全否定する。
話のひとつひとつにそれまでの話の単発の否定を積み重ねて、まとめにおいてそれまでの話の全肯定、それまでの単発の否定の全否定をすること。
演技のひとつひとつにそれまでの演技の単発の否定を積み重ねて行き、見せ場においてそれまでの演技の全肯定、それまでの単発の否定を全否定すること。
文章のひとつひとつにそれまでの文章の単発の否定を積み重ねて行き、見せ場においてそれまでの文章の全肯定、それまでの単発の否定の全否定をすること。
それまでの人生のひとつひとつに行動において単発の否定を積み重ねて行き、眠ることによって、それまでの人生の全肯定、それまでの単発の否定を全否定すること。
お金の使い方ひとつひとつに単発の否定を積み重ねて行き、決算においてそれまでのお金の使い方のあり方に全肯定して、それまでの単発の否定を全否定すること。
それまでのプログラミングをひとつひとつ単発の否定していく積み重ね、それを構成する時、それまでのプログラミングを全肯定して、それまでの単発の否定を全否定すること。
−−−。
否定の否定。
新しいことに挑戦する意欲。
古い分岐の組み合わせ。
古い分岐の組み合わせという単発の否定を積み重ね、その個別の蓄積から得た共通の否定によって古い分岐の組み合わせという単発の否定を全否定して、それまでの古い枝を全肯定すること。
否定の否定。
存在は螺旋しながら時間を進むこと。
存在は意識せずとも否定の否定しながらひるがえりながらあること。
いやさ存在そのものとは、物質が否定の否定している状態を言うこと。
時間とは宇宙にある全物質のひるがえる姿、全物質の否定の否定による大小の流れのことであり、空間としての宇宙はひるがえり続けていること。
それは技術の取得もそうであり、また人や他の存在との関係性もそうであること。
成長というか、生きるとは、この螺旋のひるがえり続ける舞い方を覚えること。
このひるがえり方を学べるか、周囲のひるがえる流れに上手く否定の否定が出来るかどうかで、存在のあり方を安定することが出来ること。
存在は他の存在を否定の否定すること。
関係性とはこの否定の否定のからみ方と言える。
本来存在というものはもっと不安定なものだが、人は否定の否定を使うことで、人の住む環境や関係性を一定安定させることも出来る。


−−−。
人と人の関係性における否定の否定。

客観の否定の否定。
普遍、共通、一般。

世界観の否定の否定。
特殊、集合、新性。

主観の否定の否定。
個別、蓄積、唯一。




物質運動における否定の否定。
技術とは物質運動の否定の否定の一部を、ここからここまでと定義して使っていること。
−−−。
カリスマの否定の否定とは。
鈴鷹さんがなに気なく言う一言が強い影響力を持つのは、いやさ、そういうカリスマの一言が力を持つのは、それまでに蓄積された否定の否定の量数が反映されるからである。
影響力とはその関係性や方向性に強いひるがえり、物質運動としての流れを強く作り出すこと。
この場合は人の気持ちの流れ、そのひるがえり方と言えます。
否定の否定をある程度使うことが出来れば、場に合わせたり、ある程度場を変えることも可能です。
技術(否定の否定の使い方)の習得なども自分の一面の否定の否定となります。


そしてそれも時間があればだいじょうぶである。









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2007年2月28日木曜日午後10時26分



















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2007年2月28日 水曜日午後10時26分カキコ。
作品ジャンルの分岐。




2007年2月28日水曜日午後7時32分カキコ。
構想時間は時の風景である。
成長考察。
成長とは、その伽羅が古い分岐を得て、古い枝から新しい枝へと古い道から新しい道へと歩き出すこと。
それは一面としてはね。
他の伽羅の分岐を得ることもある。
また伽羅だけでなく、世界の古い分岐を得て成長すること。
これはその世界の人たちに共通の古い枝から新しい枝へと移行すること。










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2007年2月24日 土曜日午後10時59分カキコ。
サウンドデュアルの項目。




2007年2月24日土曜日午後10時54分カキコ。
積み重ねが固定となること。
それは一定の法則であり、たとえばそれは固定観念という思い込みだったりする。
まあ恋愛も科学的に言ってしまえば一種の思いこみではあります。
遺伝子も行動の積み重ねによって次の世代へと固定されて伝わって行くこと。
それが進化の一面であること。
そうやって環境に適した種だけが生き残る可能性が高いこと。
まあ人の場合は育って行くうちに学んで変わることが大きい。
人は環境が9割。
かな。
だからその個人個人に適した生活環境を整えること。
その地道な積み重ね。
それはだから時間があればだいじょうぶである。










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2007年2月24日 土曜日午後10時49分カキコ。
刑罰の分岐。




2007年2月24日土曜日午後10時45分カキコ。
人の9割は罪人。
厳罰必罰に処すれば、人の3分の1は処罰されるだろう。
場が人を構成していること。
その人がその人としてあるべき姿でいられる場があること。
それが本当の罰なればこそ。










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2007年2月24日 土曜日午後10時23分カキコ。
人生の分岐。




2007年2月24日土曜日午後10時16分カキコ。
人は無知9割。
現実の9割は良く分からないことなのだ。
なので、人は技術についても宇宙のこと、他人のこと、そんなことをほとんど知らないと言って良い。
知識とは、物事を知るとは、自分がなにも知らないということを知ること。
知識とは、無知の知を知ること。
ぶっちゃけ現実など分け分からんのである。
宇宙なんてどたまよりもでかいに違いない。
定式化するとか、まとめるとか、検索して出て来るとかいうことはあるかも知れない。
それはそれとして。
知っていること知らないこと。
それらもまた知識である。
そしてそれは時間があればだいじょうぶである。










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2007年2月24日 土曜日午後10時9分カキコ。
生活の分岐。




2007年2月24日土曜日午後9時56分カキコ。
貯金の3分の1を使うこと。
人は労働と賃金の交換、つまりは金がなくなれば荒っぽくなり、あれば一定の安定を得られます。
いやまあ宵越しの金は持たないというスタイルが悪いということではなく、そういう傾向にあるということです。
なもんで、まずは貯金の3分の1を使うことを時間の定規とすること。
これは企業でも一定そうです。
もちろん、家買うとか、先行投資にどかんと買うこともあります。
それはまあケスバイケスで。
いやまあねえ、でもこうやって書くと、直ぐに実践してくれるのは嬉しいのだが、これってみんながやったらかなりの規模で経済が冷え込みかねないので、ゆっくりよろーしくね。
そして、それは時間があればだいじょうぶである。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
生活をひるがえらせる生活。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。













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2007年2月23日 金曜日午後9時35分カキコ。
否定の否定の分岐。




2007年2月23日金曜日午後9時34分カキコ。
猫が動くものに反応して、猫のおもちゃなどに反応する。
これは家猫でもそう。
つまり、遺伝子による設計図にこれは組み込まれていること。
積み重ねは固定となる。
その繰り返される動きは遺伝子に固定されること。
そうして次の世代に伝わる。
それが上手く環境に適した動物は生き残って行く。
これは進化の一面だろう。
その動きは遺伝子に固定されるが、その固定は次の世代へと伝わり、解放される。
そして進化とは否定の否定なのだ。
これは何世代もの時間を要することで、これはたとえば猪を掛け合わせて豚になる、または馬などの品種などにも見られることだ。
人の場合は生まれてからの環境のほうが比重が9割だろう。
あまりこの一面には左右されないと思う。









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2007年2月23日金曜日午後9時35分



















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2007年2月23日 金曜日午前3時43分カキコ。
否定の否定の分岐。




2007年2月23日金曜日午前3時42分カキコ。
否定の否定の否定の否定の否定の否定の否定の否定の否定ーつかれたふーっ。
さらに否定の否定の否定の否定の否定の粗定の違った否定の否定の否定のひてーっむきゅー(ばたんきゅー)。
自然の否定の否定と人の否定の否定。
まあそこいらへん、くたばらない程度にバランス取ってくれい。
てな感じで。
前向きな姿勢や言葉がたいへんさを否定の否定する。
それはつまりは希望ということ。
否定の否定が希望のサンデュであり、希望のサンデュは否定の否定であること。

そしてそれも時間があればだいじょうぶである。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
否定の否定をひるがえらせる否定の否定。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。










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2007年2月23日 金曜日午前3時36分カキコ。
人生の分岐。




2007年2月23日金曜日午前3時6分カキコ。
人は観念9割。
まあ恋愛も観念であり、観念が必ず良くないということもない。
そういった科学的な客観的な行動たる理性と観念の両立のバランスを取り続けることの本質の確立。
それを基本基礎本質として本質からずれること。
それがひるがえりのひとつ。










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2007年2月23日 金曜日午前3時35分カキコ。
作品ジャンルの分岐。




2007年2月23日金曜日午前3時16分カキコ。
作品を作るのではなく、ひるがえりを列ねること。作品を作るのではなく、本質を作ること。
作品や歌を作っておいて、寝かせておく。
つまりは醸造するというかね。そんな感じ。構想とも言う。
いいものは構想時間に比例する。
−−−。
現実に負けないパワー。
力を抜いてフラットに軽く行こう。
このふたつのバランスを取り続けることの本質の確立。









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2007年2月23日金曜日午前3時43分更新分



















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2007年2月13日 火曜日午前1時29分カキコ。
サウンドデュアルの項目。




2007年2月13日火曜日午前1時27分カキコ。
3通りしかないものでも、組み合わせれば3×3=9、9通りの広がりと深さを得ることになる。
おんなじパターンに見える。
慣れて来る。
けれどもその中に一瞬の新性が見えること。
2007年2月14日水曜日午後1時36分カキコ。
希望のサンデュ。
これはまあ人によってそのとらえ方は違うので、なにかの定式とかいうよりも、その人の感覚で、という感じ。
その組み合わせは言葉だったり、メロディラインだったり絵だったり機器だったり物品だったりする。
それが幸せになるのかな。
表現の場合はそうかな。
とかなんとか。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
対立する概念をひるがえらせる対立する概念。
個別と共通をひるがえらせる個別と共通。
サウンドデュアルをひるがえらせるサウンドデュアル)!(。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。










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2007年2月7日 水曜日午前2時26分カキコ。
バランススタンダードの項目。




2007年2月10日土曜日午前1時40分カキコ。
時間配分を上手くすれば、生活も仕事も上手く行く。
時間配分によって否定の否定は成される。
ひるがえりとは時間配分であること。
労働と賃金の交換の積み重ねは時間配分の感覚を鈍らせる。
ので、柔軟性そのものである時間配分が上手くいかなくなり、柔軟性が失われるというわけよ。
これを踏まえて、時間配分はそれぞれの個人に任せること。
それが自由かなあ。
いやまあ仕事というものはこれやってあれやってではあるが。
そしてそれも時間があればだいじょうぶである。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
バランススタンダードをひるがえらせるバランススタンダード。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。









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2007年2月10日土曜日午前2時54分



















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2007年2月7日 水曜日午前2時26分カキコ。
否定の否定の分岐。




2007年2月6日 火曜日午後7時50分カキコ。
作品では1シーン1シーンにおいてじょーしき、つまり基本基礎となるシーンを否定すること。
それらの単発の否定が見せ場において否定され、全肯定される。
アニメや特撮やCGなどはシーンを映像として否定しやすく、そのため突飛な画面が多い。
また、私がファンタジーとSF作品を得意とするのはここに一部由来します。
現代劇でもあり得ない恋愛があったりして、こういったものの対にはドキュメントタッチがある。
小説文やコラム文などはじょーしきの基本基礎の文章構成を否定していく。
そして見せ場でそれらの否定は否定されて全肯定される。
もちろんそれにはじょーしきとなる文章に熟知してなくてはなりません。
ニュースや新聞などでは現実のじょーしきを事実によって否定されていくが、それは日刊という速報に否定されて全肯定されていく。
雑誌などの場合は、じょーしきを否定するページ。
そのページは次のページによって否定される。
そしてそれらの否定は最後のページに否定され全肯定すること。
それはあとがきだったり、広告ページだったりかなあ。
これは漫画や文章や映画などにも当てはまる。
ページが文章では行、漫画はコマ、映像はシーンである。
ネットでもページ移動はこれに同じ。
下へとスクロールするのはちょいと違うが。
文章でもその一行一行はじょーしきの単発の否定を表現していく。
だからまー、この世界樹の枝の文章もそーなのよ(ソーナンス)。
それも時間があればだいじょうぶ、古き枝からとか等々という言葉で単発の否定を否定して全肯定してるわけです。
ゲームなどは動いている基本基礎とされるアクションに否定のリアクションしていくが、それらの単発の否定(個別)が共通の否定にたるリアクションによって否定、全肯定(特殊)されること。
それらの否定と全肯定。
じょーしきとなる番組に対して単発の否定を積み重ねて、それらの否定を柔軟性によって否定、全肯定する番組を作ること。
こういった否定の否定は感覚としてあり、あまり文章としては簡潔に表現されてこなかったものです。
なので、それが感覚出来る時と出来ない時で、仕事や生活にむらが出来ていました。
いやまー否定の否定が分かっても、なんでも上手くいくもんでもないですが。
単発の否定は、否定するために肯定するような、矛盾になりやすい一面があります。
いやもー人生矛盾が9割ですが。
否定の否定とは時間の進み方、時間という見えない流れの漕ぎ方でもある。
タイムサーフィンと言ってもいい。
ちなみにネットサーフィンの銘々はこのサンデュ(組み合わせ)に由来する。
時間は常に否定の否定を繰り返している。
そのパターンの上に存在があること。
時間の波を感覚すること。
そしてそれも時間があればだいじょうぶである。









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2007年2月7日 水曜日午前2時27分



















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2007年2月6日 火曜日午前2時38分カキコ。
否定の否定の分岐。




否定の否定、ひるがえり。
否定の否定は両立のバランスを取り続けることの本質の確立であること。
両立のバランスを取り続けることの本質の確立は単発の否定を否定して、それまでの否定を全肯定すること。
否定の否定は時間を越えて行くということでもあること。
たとえば今日という日は明日に成ることで否定されるが、けれども明日は今日に成ってしまうこと。
歌ではひとつひとつの単発の否定の1フレーズという数量をサビという質の否定が否定することによって、それまでの単発の否定が全肯定されること。
たとえばサッカーでは攻め手のドリブルしている球を守り手が取れば否定の否定であること。
ドリブルで抜けたり、パスで通せば否定の否定であること。
これは野球とかでもそう。
たとえばコントではボケがじょーしきからずれる否定すること。
その否定をツッコミが否定すること。
そしてその積み重ねの否定の数量をオチの質が否定することで、積み重ねの否定は全肯定される。
ギャグ作品などもこれを基本としている。
それにさらに情景などをプラスしてさらにひるがえったりして。
これは演技でもそうで、それらの演技が最後に全肯定されること。
たとえばバトルものの作品。
強い敵、強敵は主人公の力を否定するが、それはまた主人公の成長に否定される。
ありがちなパターンだが、これが何百年も越えて来た意味あいはやはり否定の否定、ひるがえりを単純に表現しているからだろう。
世代として、子供は大人の世界を否定する存在だが、大人になることで、その存在は否定される。
その日の生活を仕事は否定するが、また生活に戻ること、眠りについて次の日になることでその一日の仕事と生活の両方は否定、全肯定される。
などなど。
こういったことが否定の否定であること。
時間の法則と言って良い。
そしてひるがえるいまの時かな。
そしてそれも時間があればだいじょうぶである。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
否定の否定をひるがえらせる否定の否定。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。










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2007−2−4 日曜日午前1時36分カキコ。
精神の分岐。




2007−2−5 月曜日午前1時34分カキコ。
いい作品には時間の経過が描かれている。
質(クオリティ)の高いものには悠久の流れ時間の流れが感じられる。










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2007−2−4 日曜日午後10時56分カキコ。
精神の分岐。




2007−2−4 日曜日午後10時55分カキコ。
理性と欲望の並列バランス取り続けることの本質の確立。










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2007−2−4 日曜日午後6時42分カキコ。
生活の分岐。




本質の柔軟性はひるがえりであるが、その基本基礎となるのは生活水準である。
生活レベルが低ければ、柔軟性は思うように出せない。
人はお金を使うことの積み重ねで固定観念にとらわれていってしまう。
その柔軟性を回復させるのはひるがえりであり、それを安定させるのは生活水準と言える。
いやいや、金持ちだって柔軟性の無いやつあいっぱいいるよって話だが、それはお金だけが生活水準の高さを物語るものではないこと。
もちろん生活のバランスを取ることが出来るかもあるだろう。
基本基礎となる食事バランス、睡眠や片づけなどなど。
それはまー基本はこーであるということなので、別にその通りにしなくてはいけないってことでもない。
もちろん臨機応変、ケースバイケースもあるだろう。
バランススタンダードという意味では、時間の組み合わせ、時間のサウンドデュアルが出来るかどうか、ということ。
だから金銭の大小だけでは計れない一面がある。
いやまーあればあってもいーんだけどさ。
お金があればその管理に時間を取られるというのも確かではある。
いい仕事をする人はその生活において、時間の組み合わせを上手くこなしている。
形の無い時間をどう自分なりに組み合わせるか。
それがイコール仕事の良さとして現れて来る。
バランス感覚が基本基礎、じょーしきの本質だと言っていいだろう。
仕事も生活もバランス感覚によって決まる。
あなたは今日、バランススタンダード出来ていただろうか。
そして、それは時間があればだいじょうぶである。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
生活をひるがえらせる生活。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。



2007−2−3 金曜日午前1時3分カキコ。
人生の分岐。




生活するのに必要なこと。


普遍、共通、一般。
生活改善。
特殊、集合、新性。
否定の否定による古い分岐というひるがえりの取得。
個別、蓄積、唯一。
認められていると感覚すること。









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2007−1−31 水曜日午前2時5分



















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2007−1−31 水曜日午前2時2分カキコ。

サウンドデュアルの項目。




2007−1−30 火曜日午後11時28分カキコ。
否定の否定。
個別にひとつひとつ否定していく(個別否定)。
それが一定に達したら、共通からその個別に否定したことをすべて否定する(個別否定の全肯定)。
そして特殊の否定を確立すること(本質否定)。
これをひるがえり、と呼ぶ。
批判精神などはこれに類するものである。
絶対否定と相対否定の対による両立とバランスを取り続けることの全対否定という本質の確立。
基本基礎は他人になにか言わなくても自分自身がひるがえることで、それはひるがえって他人にもひるがえりが得られること。
たとえば歌で言えば、その一曲で否定の否定を確立しないとヒットしません。
1フレーズごとに否定を積み重ね、サビでそれまでの1フレーズごとの否定を否定します。
これが歌のひるがえりとなります。
ヒットしないブレイクしない場合は否定しっぱなしということになります。
いやまあ、なにがなんでもヒットしなくちゃいけないというのも、ちょっとたいへんですが。
アルバムなんかは、全体でヒットすればいいので、比較的好きな歌も入れられるかなあ。
作品であれば、ひとつの話ごとに否定のテーマがあり、それが最後の話では全肯定されます。
そのひとつの話の中でも個別の否定がラスでは全肯定されます。
生活や仕事でもその日のひとつひとつの自分のことを否定して行って、寝る前にひるがえってそれら一日積み重ねて来た否定を全て否定、全肯定すること。
仕事の時はちまちまとだめだなーと思う自分。
けれども眠る前には今日も元気でご飯が上手い、今日のおれは頑張った。
偉いぞ今日の私〜とね。
柔軟性がないと、その日の積み重ねの否定を否定することが出来なくなって来ます。
単発の否定が絶対方向性であるのに対して、分岐を見る否定は相対の方向から全否定、全肯定へと全対の方向性へと移行すること。
これは言葉で否定の否定、ひるがえりを表現しているだけで、実際にこんな細かく考えていたらたいへんですが。
けれどもまーそれは時間があればだいじょうぶである。










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2007−1−29 月曜日午後9時19分カキコ。

鈴鷹さんの分岐。




2007−1−26 金曜日午後6時36分カキコ。
なにをしたかったのか。
高校生の時などはアニメーターになってから監督まで行き、アニメ作品作るとか、漫画家とか、原作者とか小説家とか。
それはどれも一定叶ってしまった。
いやもー最初からセラムン構築だから。
どちらかと言うと企画とか作品構成に自信があったので、絵を描かないことには抵抗はなかった。
絵を描き出したのも、高校生になってからで、それは漫画家になるには絵が描けないといけないと思ったから。
ホン(脚本)サイドの漫画原作でもいいなとは思っていた。
作品の内容を良くするために、哲学も勉強した。
それはエヴァンゲリオンでレイの心理描写に役立った。
作品のグレードアップのためであって、それは簡易弁証法(サウンドデュアル)を書くためではなかった。
いまでは哲学者と呼ばれることもあるが、当初は作品の内容を良くするために関連書籍を読んでいた。
小学生6年の時から作品を考えていた。
作家というか、作品を作ることを目標として来た。
それはなにかしらで表現出来ればいいので、いまネットで小説書くだけでもいいような気もする。
まさかドラクエやFF果てはゲーム機DVDパソコンなど機器関係構築で鈴鷹さんがいなくちゃと言われるようになるとは思わなかった。
最初の構築は1992年のセラムンということかな。
その前もでらでら喋っていたとこからスラムダンクとかなんやかんやあった模様。
気づいたら最初から監督クラスの扱い。
その破格の扱いにはとまどったものだった。
ふつーならばいちアニメーターから上がっていくものが、既に圧倒的に支持とか高く評価されて来たという。
どうしたものかと思ったものだった。
いまでこそネットで書いた意見が直ぐに参考にされることはあるが、当時は世に出るにはマスメディアを目指すしかなかった。
どこかの業界に入れるとしたら、まずは作品を作る業界に入りたいと思う。
作品が作りたい。
いまはそんなこと考えている。
そしてそれも時間があればだいじょうぶである。










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2007−1−29 月曜日午後9時2分カキコ。

歌の分岐。




2007−1−29 月曜日午後9時00分カキコ。
ソング考察。
アニソン考察。
何故アニソンは売れないのか。
ヒットしないと言ってもいい。
いや、別にヒットすることだけが目的ではない。
それは情操教育の一貫だったり、また気持ちを伝えることでもあるのだろう。
いーものであるのは分かっている。
それプラス新しいものをアニソン一曲一曲に提供すれば、アニソンは売れる、ヒットするだろうというのがアニソン考察いや、そこから発展したアニソン戦略であった。
これは大当たりしていくことになる。
別に新しいことを一曲一曲と言っても、まったく新しくなくていいのだ。
たとえばラップのリズムをサンデュ、組み合わせるとかそんなちょっとした隠し味のようなものでいい。
なにせ、アニソンというものは、当時はパンチが足りないような、質素な歌が多かったから。










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2007−1−29 月曜日午後8時57分カキコ。

サウンドデュアルの項目。




2007−1−29 月曜日午後8時56分カキコ。
労働と賃金の交換は柔軟性が失われるひとつの原因である。
そしてひるがえりが労働と賃金の交換を越えて行くこと。
ひるがえりは唯一柔軟性という本質の確立である。
いまひるがえれ。
チェンジングひるがえり。
いま、変われ。









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2007−1−26 金曜日午後2時48分カキコ。



















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2007−1−25 木曜日午後11時00分カキコ。

サウンドデュアルの項目。




2007−1−25 木曜日午後10時59分カキコ。
サウンドデュアルとは。
要素の書き出し。
その組み合わせ。
三色の組み合わせによって多くの色彩を作り出すことは有名な話だが、線によって表現される絵さえも、それは曲線の組み合わせで出来ていること。
話は言葉の組み合わせであり、また概念すらもそう。
これが基本基礎であること。
そこからのずれ。
それが独自性とか個性とでも言うようなものだろうか。
たとえば物質は原子の組み合わせであるわけです。
音程の高さと低さ。
時間は積み重なり、そして宇宙は広がり続けている。
積み重なりは基本であり、広がりという柔軟性はずれである。
宇宙の構造は構築を繰り返している。
だから時間は組み合わせを要求する。
宇宙に響く歌。
宇宙を花開かせる歌。
宇宙を響かせて花開かせる歌。
響きは基本であり、花開くはずれである。
宇宙を響かせて開かせる作品、音楽、絵、言葉、夢、気持ち、本質。
私の宇宙で本質に触れる。
宇宙をひるがえらせる宇宙。
そしてひるがえりは時間である。
時間をひるがえらせる時間。
千の言葉よりもひとつの時間。
古き時間を得て、古き時間から新しき時間へ。










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2007−1−25 木曜日午後1時2分カキコ。

ひるがえりの項目。




2007−1−25 木曜日午後12時49分カキコ。
人が表現するひるがえりはつまらないことが9割。
  面白いひるがえりを表現することはとても珍しいことであり、またそれは仕事になってしまうほどなのである。
これは対になっているにもかかわらず、そのほんの一瞬を表現することはとても難しいと言われている。
この対いがいにも、風景を感じる自然のひるがえりや、ひるがえりの無い静かな時間などがある。
本を読むことはとても静かなひるがえりを自分の歩幅で得ることが出来る。
対となる概念が往復すること。
過去と未来がいま交差すること。
その連鎖。
続く地平。
常にここが出発点。
いまが変わる一瞬。
それがひるがえりである。
そしてあなたに昨日も明日も無い。
いま変われ。
チェンジングナウ。
で、ある。









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2007−1−25 木曜日午後12時49分カキコ。



















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2007−1−21 日曜日午前7時30分カキコ。

仕事の分岐。




2007−1−21 日曜日午前7時29分カキコ。
一度言って改善するならミス。
二度言って改善しないなら状況。
それはもちろんひるがえって自分も、である。










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2007−1−21 日曜日午前7時28分カキコ。

人生の分岐。




2007−1−21 日曜日午前7時23分カキコ。
人はうましか9割。










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2007−1−20 土曜日午後10時9分カキコ。

歌の分岐。




2007−1−20 土曜日午後10時7分カキコ。
基本の積み重ねを踏まえた上で。
理屈で歌うな、感覚で歌え。
−−−。
歌について。
93年からこっち、2005年までほとんどのアニメのオプニンとエンディングを担当しました。
これは一番のみ。
アニメは二番は流れないので二番は歌詞とかの構築はまかせています。
メジャーな歌も有名どこには結構参加しました。
メジャーな歌は二番も構築。
多くは歌詞だけでなくメロディラインまで作りました。
楽器は弾けないので、アカペラで作るような感じかな。
そんなに良く作れますねと言われましたが、ようは絵とおんなじで、似たような絵の伽羅はたくさんいるわけです。
そこはちょいごまかしてる程度なわけで。
アカペラで即興で歌詞とメロディラインを作る方法。
まずは歌詞というもの即興で作り、即興でメロディラインを作ること。
言うは易しでこれは凄いプレッシャーでした。
いやまあ過去形でなく、いまでもこれで作ってるんですけどもね。
文章は通りにくいので、私の場合一発撮りが多かった。
そのまま録音されたものが歌われてオンエアされてから真っ赤になることも多くありました。
歌詞を作るのは比較的簡単です。
それは春が来たよーいま来たよーとか適当に言葉並べるだけでもとりあえずは歌詞になります。
けれどもそれにメロディライン付けること。
これにはコツがいります。
つまり言葉で発するのではなく、なんらかのメロディとかリズムに合わせてメロディラインにすること。
まずは歌詞を即興で作りながら、それを音として表現すること。
これがメロディラインの作り方となります。
これは確かシンガーソングライターの人とかが曲作る時にメロディ口ずさみながら作るといったのを参考にしました。
音で歌詞を出すというのは、歌詞を音符に見立てて声を楽器のように出すのです。
もう声を楽器のものまねのように出します。
ですから歌を歌うというよりは、楽器のものまねをするようなイメージで歌います。
これだけでもぐっと歌い方が良くなります。
メロディラインという音による空間の面取りもぐっとしやすくなります。
歌は音で見えない空間に風景や気持ちを描き出すこと。
これはメロディラインの基本となります。
楽器というとなにを思い出すでしょうか。
太鼓に笛にカスタネットに木琴に竪琴にバイオリンにラッパにハーモニカにギターにピアノに口笛と。
とにかく思いつくような楽器の歌い方。
てなもんで。










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2007−1−20 土曜日午後9時24分カキコ。

時間の分岐。




2007−1−20 土曜日午後9時15分カキコ。
だからそれは、時間をかければだいじょうぶであるというのは基本基礎。
そこからのずれ。
つまりは応用があること。
いい生活もいい仕事も時間があればだいじょうぶである。
いい勉学もいい遊びも時間があればだいじょうぶである。
人とのいい関係もいい言葉も時間があればだいじょーぶ。
こういったことが応用になります。
だからそこそこ頑張りましょう。
だからそこそこ休みましょー。
そこそこ夜空を見上げましょう。
てなもんや。
作りたい作品を作ることも時間があればだいじょうぶである。
作りたい番組を作ることも時間があればだいじょうぶである。
作りたい機器を作ることも時間があればだいじょうぶである。
リスクを見つつ、時間を得た楽観主義なりて、な。
えとせとらえとせとら。




古き時間を得て、古き時間から新しき時間へ。
千時間の平行線よりも一分分の未来。










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2007−1−20 土曜日午後9時5分カキコ。

作品ジャンルの分岐。




2007−1−20 土曜日午後6時44分カキコ。
メカや伽羅デザインはデザイン優先。
もちろん基本基礎としては、その作品世界をとらえたデザインというか系統樹としての機器や伽羅のスタイルがあります。
ストーリーは話の筋よりも楽しさや迫力やほのぼのさや自然描写を優先。
もちろん、これは基本基礎となるストーリーの系統樹がしっかり出来ていて初めて成り立つことなりて、な。
−−−。
クリエイターが前向きな時は作品を作っている。
商売人が前向きな時は商売している。
技術者が前向きな時は機器作っている。
歌手が前向きな時は歌っている。
役者が前向きな時は演技している。
前向きな時の鈴鷹さんは作品を作っている。
生活に前向きな時は生活を楽しんでいる。
−−−。
作品を作るのではなく、ひるがえりを列ねること。
作品を作るのではなく、本質を作ること。










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2007−1−18 木曜日午後1時44分カキコ。

本質の分岐。




2007−1−18 木曜日午後1時41分カキコ。
枝の多い、緑豊かな木。









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2007−1−18 木曜日午前4時48分更新分まで。



















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2007−1−18 木曜日午前12時50分カキコ。

作品ジャンルの分岐。




2007−1−18 木曜日午前12時50分カキコ。
自由と拘束の両立とバランスを取り続けることの本質の確立。
自由だけでも一方向である絶対方向にすっ飛んで行ってしまうし、拘束だけでも絶対方向にすっ飛んで行ってしまう。
対となる概念の両立とバランスを取り続けることで、その絶対の方向は相対の方向へと変わること。
相対方向をかけあわせれば、ネット状の全対(ぜんつい)方向へと成ります。
対となる概念はそれぞれあります。
また、基本とされる概念からずれて対となる場合もあります。
これらの概念のバランスを取ることをバランススタンダードと言います。
絶対も相対も全対も方向性であり、それ自体は時間のとらえ方のひとつと言えます。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
バランススタンダードをひるがえらせるバランススタンダード。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。










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2007−1−17 水曜日午後8時13分カキコ。

作品ジャンルの分岐。




2007−1−17 水曜日午後8時8分カキコ。
評論とはなにか。
それは評価と批判の両立のバランスを取り続けることの本質の確立。
一方的に批判して上手くいっても、それは受け手と送り手の絶対的な一方向になってしまい、交流することには成り得ず。
褒めているだけでは甘やかしていると言われます。
まーそこそこということでしょうか。










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2007−1−15 月曜日午後11時14分カキコ。

本質の分岐。




古い本質を得て、古き本質から新しい本質へ。
古き本質を守りつつ新しい本質の確立。
歌を歌うのではなく、本質を歌うこと。
絵を描くのではなく、本質を描くこと。
作品を作るのではなく、本質を作ること。
文章を書くのではなく、本質を書くこと。
話を語るのではなく、本質を語ること。
踊りや演技ではなく、本質を動かすこと。
楽器を演奏するのではなく、本質を演奏すること。
なんつったりしてね。
まーそこそこ、バランス取ってねんごろり。
−−−。
サウンドデュアルの本質というものは、個別の本質を積み重ねて行ってある程度個別が蓄積されたら共通を見て本質たる特殊をとらえる。
これは古い分岐のとらえ方。
古い分岐を得て新しい本質の分岐を作り出す時もおんなじ。
探して来た分岐を個別に作って並べて行って、共通が見えて来たら一気に特殊、つまり本質の確立へと至る。
そしてこれがブレイクであること。
受け手のほうは共通の流れを楽しみますが、作り手にはまずゼロから始めるため、共通がありません。
ですから、個別から地味に作り出します。
ここいらへんまでの系統樹も含めたサウンドデュアルがネット構築や私の全盛期の作品作りに活躍した哲学ですね。
やっと書き出したよ。
ふー、やれやれ。
一仕事終えたな。
まーそんな感じでよろ〜。
2007−1−17 水曜日午後9時58分カキコ。
十年先、二十年先の時間を動かす本質。




古き本質を得て、古き本質から新しき本質へ。
本質をひるがえらせる本質。
千の言葉よりもひとつの本質。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
本質をひるがえらせる本質。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。









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2007−1−14 日曜日午前5時41分カキコ。
ひるがえり。




2007−1−14 日曜日午前5時35分カキコ。
ひるがえりとは人が生き生きとした顔を見せる時。
生きているって素晴らしいと思えた時。
今日も頑張った自分と思った時。
風を感じた時。
仕事の後の一杯がうまかった時。
思わず踊り出す時。
上手く歌えた時。
歌がへただった時。
笑顔。
いい歌を聴いた時。
感謝の時。









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2007−1−13 土曜日午前2時24分カキコ。
サウンドデュアルの分岐。




2007−1−13 土曜日午前2時24分カキコ。
サウンドデュアルのひとつに左右の面取りというのがあります。
この場合の左右というのはまあ対と言いますか。
存在というものは一面では対になっていて、ひとつあれば必ず対があるということを表しています。
この左右の面取りが出来るだけでも、概念には必ず対となる考えがあるとか、場所や量や質には対となるものがあること。
それによって空間や場を対によって捉えることによって、概念や場を分かり易くするひるがえりであること。
歌でも歌詞やメロディラインには対の面取りによって抑揚が生まれます。
これは作品でもそうで、対となる場の面取りが出来るかどうかがいい作品かどうかを決めます。
たとえば歌では夏があって〜とだけ歌うよりは、夏があって〜冬があって〜と歌ったほうが比較されてその歌に深みが出ること。
これは起承転結で言えば、承にあたります。
これで状況を細かく表現して、表現に深みを付けることが出来ます。
たとえば激しいバトルシーンがある作品ならば、静かな展開から入ることでぐっと深みあるシーンとなること。
これはまー基本ですが、とても細かく積み重ねることで、見たことのない表現も可能になります。
確かに憎しみも嫌いもあるが、けれども愛もあるよねとかね。
色の白と赤の色彩の対比など。
その対となる左右混合により、面取りすること。
剣と魔法のファンタジーであれば、氷の化身と炎の化身がいるとかね。
その人の主観を表すのにもこれはとても大事になります。
弱いことと強いことの定義。
それによって見えないその人の気持ちも面取りされること。
魅力ある人物はほんとに面取りされているものです。
これは機器の構築にも微細に入り使うことであり、立体造形でも有効です。
存在が対になっている一面。
逆に言えば、対を作り面取りすることにより、その場や機器構築や人の気持ちの表現可能であること。
たとえばデジタルがあればアナログがある。
デジタルを念頭に置いたアナログでなければいまいちであり、またはその逆。
−−−。
現実は9割が理解出来ない。
現実問題はそのほとんどが本質であり、直に見ることは出来ない。
十年後二十年後には分かっていることでも、いまは分からないのだから。
色んな角度から現実をとらえて、それからこれはどうかと試行錯誤すること。
その積み重ねと柔軟さ。
それがいま求められている。









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2007−1−12 金曜日午前1時57分カキコ。
鈴鷹さんの分岐。




2007−1−12 金曜日午前1時55分カキコ。
いまでも鈴鷹さんが圧倒的に支持されているのは変わっていない。
けれども、一面では文章では通りにくい、現場に入れないなど幾つかほとんど通らないとこもある。
50年百年先では鈴鷹さんの意見を通すのは簡単なことだ。
現場に入れることだって出来る。
逆に言えば、いまはそれだけ分かっていることが少ないために、かなり感覚に頼った通し方しか出来ていないのだ。
果たしていま通りにくい文章で通すことに意味があるのかどうか。
さてはてな。
鈴鷹さんの意見が全部通る必要はなく、限りなく近いものが通ればいい。
自分の人生だもの。
生きたい人生で行こう。
作りたい作品を作ろう。
いやまあほどほどしょーばいもね。
受け手や他人の意見も参考にはねしましょうよ。
とかね。









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2007−1−12 金曜日午前1時54分カキコ。
RPGの分岐。




聖剣伝説2
これはシームレスバトルの原型としたものです。
オンラインRPGでも、これを原型(プロトタイプモデル)にしました。
というか、こういうゲームがしたい。
いやまあFFもドラクエも好きだが。
また企画立てるかなあ。









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2007−1−11 木曜日午後10時54分カキコ。
お笑いの分岐。




ボケとは確立しているじょーしきやバランスを崩しているアンバランスさ。
ツッコミとは、タイミング良く否定すること。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
お笑いをひるがえらせるお笑い。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。










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2007−1−11 木曜日午後8時45分カキコ。
バランススタンダードの分岐。




2007−1−11 木曜日午後8時45分カキコ。
そしてそれは無くすことが目的ではない。
限りなく無害にすることが目的なのだ。










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2007−1−11 木曜日午後8時3分カキコ。
作品ジャンルの分岐。




2007−1−11 木曜日午後8時1分カキコ。
話の展開にびっくりするのは、もうひとつの世界樹を感じるから。
これは属に裏設定とか呼ばれるものですね。










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2007−1−11 木曜日午後7時30分カキコ。
時間の分岐。




2007−1−11 木曜日午後7時29分カキコ。
だからそれは、時間をかければだいじょうぶである。










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2007−1−10 水曜日午後8時9分カキコ。
アニメの分岐。




漫画の場合は週間連載でも17枚程度×4=68枚程度。
週間連載五本とか持っていたなんつー話も聞きますが、話も作るので、これは超が付く仕事っぷり。
当然遊んでいるヒマ無し。
これに対してアニメは週間の一本30分もの(宣伝の無い実質は22分程度)で二万枚程度。
週にこんなに絵が増産されるシステムはいまもってアニメのみです。
いやいや、一人でやってる(アシスタントはいますよねの)漫画とは根本的に作りが違う。
質を量で補うやり方で、まーたいへん。
質を求めるならば、映画とかせめてOVAを企画したほうがましってものです。
これは初期、アニメ黎明期たる白黒の鉄腕アトムの時からそうであり、最初から無謀あるいはたいへんやな〜と言われた部類のもの。
そのため、幾つもの緩和策が作られました。
たまに総集編を入れること。
バンクと呼ばれる同じシーンを使い回すこと。
止め絵に口だけぱくぱく動く口ぱく。
これはいまでも有効というか、映画のアニメでも使われている手法にまでなっています。
他にも幾つかあります。
たとえばNHKアニメでは年間3ヶ月は再放送であること。
イメージイラストをそのまま原画として使うとかね。
止め絵は基本的にクオリティが高くて、動くと人海戦術に持って行くこと。
そうすると動くと質が低くなってしまい本末転倒ですが、そこはまーそういう手法もあると言いますか、テレビアニメの一面と言いますか。
実際には、ホンとかコンテの段階でかなり情景が上手ければ、止め絵に気持ちの描写ですんでしまったりします。
それはかなーり高いもの求められますが。
そうやって稼いでおいた枚数を見せ場で使うこと。
アニメってなんでしょうか。
作品とはなにか。
それは時間の進み方の軽快さと、季節の移りゆく姿を現す表現。
そもそも表現というものは時間の組み合わせで成り立っています。
伽羅の動きも自然の動きも、それは時間をとらえていること。
真に自由な時間に方向性を与えることが表現となります。
そもそもが存在や概念や物質というものが時間の組み合わせによって出来ています。
物質は固定した存在じゃないかと言うかも知れませんが、長い時間で見てみると、その電子とかなにか、その物質は常に運動していることが分かります。
時間の量、時間の質、時間の場によって存在は形成されています。
これを時間のサウンドデュアルと言います。
パズルのように組み合わせることもあれば、器を作ってから内側を作って行くこともあります。
それらは時間の方向性のひとつに過ぎません。
もし自由な時間というものにあなたならばどんな方向性を見るでしょうか。
そこにはきっと本質もあるはずです。
だってあなたはこんなにかわいいのですから。
それもまた方向性のひとつなれば。
いい作品になるかどうかは時間だけが知っている。









2007−1−10 水曜日午前3時36分カキコ。
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精神の分岐。


2007−1−10 水曜日午前3時13分カキコ。
安心とは、よっぽどの危急でもない限り、お互いの了解が取れない時は先送りすること。
これが基本であること。
2007−1−11 木曜日午後8時7分カキコ。
世界樹を感じることがやる気になり、ひるがえりである。
説明しなくても、あるであろうことが分かればおっけい。









2007−1−9 火曜日午後10時37分カキコ。
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場の分岐。


2007−1−9 火曜日午後10時37分カキコ。
全物無料なども場のひとつではあります。
それは両立のバランスを取り続けることの本質の確立。
その本質の確立がちまちまと積み重なり、共通から特殊へと至ること。
それは結果であって目標ではないこと。
個別が自然と蓄積されれば、それはその時分かるので、それはまー何年かかるやらというとこですが。
まー無理せずそこそこ行きましょうという感じでしょうか。
場とは時間です。
時間とは質ですが、量も大きな意味では時間であり、存在そのものが時間の一定の側面と言えます。
そして、時間だけが唯一の資本であるのです。
だから私は宇宙の果て行くぞーと言って、それはいつになるやらと、いまはその技術を蓄えているのです。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
場をひるがえらせる場。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。









2007−1−9 火曜日午前1時00分カキコ。
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歌の分岐。


2007−1−9 火曜日午前12時54分カキコ。
軽快な歌とはなんだろう。
風景が舞い踊る中、その軽快さのメロディラインとは。
その歌から見えない景色が広がる。
風が吹いている。









2007−1−9 火曜日午前12時28分カキコ。
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人生の分岐。


2007−1−9 火曜日午前12時26分カキコ。
古い分岐を探し続けること。
そして当面は古い枝でしのぎながら新しい枝を探すことの両立とそのバランスを取り続けることの本質の確立。









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2007−1−9 火曜日午前12時27分からの更新分。


















2007−1−6 土曜日午前1時25分カキコ。
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アイディアの分岐。


アイデアとはなにか。
それは場の面から見れば、人がアイデアを出せる雰囲気とでも言うだろうか。
まずは駄目出しするにしても、まずは聞いてくれるような感じ。
それが場のアイデア(共通)。
古い分岐というか、昔の歌とかが、あ、これは新しいと思う感性(新性)。
パラムグラム(多彩虹光色彩)という既存の工夫の組み合わせ(集合)。
その積み重ね(蓄積)。
理念の想像はひとつのイデアです
(普遍)。
夢(一般)。
常識が練習にも似たそのつまらない繰り返しであるがそのじょーしきにとらわれない奇抜さ(特殊)。
ひとつひとつの共通(個別)。
多様性(唯一)。




アイディアの分岐。


イデア(普遍)、場のアイデア(共通)、夢(一般)。

奇抜さ(特殊)、組み合わせ(集合)、新鮮さ(新性)。

一の共通(個別)、積み重ね(蓄積)、多様性(唯一)。




2007−1−7 日曜日午後8時33分カキコ。
まずはアイディア出し。
それから優先順位を出して、締め切りに入るものだけ入れて行って、入らないものは次にまわす。




アイデア アイデア




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
アイディアをひるがえらせるアイディア。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。









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−−−。
世界樹の枝の分岐のページ。
人生の分岐の項目。
−−−。


2007−1−7 日曜日午前3時9分カキコ。
柔軟性と積み重ねの両立のバランスを取り続けることの本質の確立。
それが人生であったり、なかったり、ってどっちだよ。
なんてね。




サウンドデュアルの分岐。


組み合わせによる質量転化。場による変化。
普遍 共通 一般。

ひるがえりによる柔軟性の確立。質による時間。
特殊 集合 新性。

積み重ねによる固定(固定観念や建物や機器など)。量による数。
個別、蓄積、唯一。




2007−1−7 日曜日午前5時22分カキコ。
生きることは他人に迷惑かけること9割。









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−−−。
世界樹の枝の分岐のページ。
鈴鷹さんの分岐の項目。
−−−。


2007−1−5 金曜日午後12時42分カキコ。
口先というと、変なことだが、鈴鷹さんのアイディアというものは口で言ったほうが良く通る。
それは6歳の時のことを持ち出すまでもなく、それだけ長いあいだ私は話したことが評価され、アニメ企画などでもひるがえりを表現して、アイディアが通るというスタイルを通して来た。
話ではなく文章を書いたこともあったが、それはほとんどすべてボツになった。
作品での就職しかり、投稿しかりである。
なので、大抵は口先なのである。
アイディアというか概念というか、そういったものを提示するならば文章とか絵のほうが格段に安定感がある。
それぞれに方向性があり、文章も使えたほうがいいとは思う。
いまアニメやゲーム、その他の機器関係などにも書いたのを提示してみたが、やはりなかなか通らない。
試しに口で言えば、こちらは良く通る。
もう少し文章とかでも通らないものだろうか。
そのほうが安定して作れて、またそれは受け手にもやさしいことだと思うのだが、どーかな。
とかね。
2007−1−7 日曜日午前1時6分カキコ。
鈴木主義者とかね。
おれおれ詐欺にはひっかからなくても、鈴鷹さんが言っていたとなれば、左右されうること。
対処として、自分で考えて、自分で判断すること。
もちろん、頼れる人に話を聞いてもらってもいい。
時間をかけて考えよう。
現実には、鈴鷹さんが言っていたからと言ってというのは、理由にはなりにくい。
確かに状況として、困窮していたことは考慮されるべきではある。
話を聞いてみて、自分なりに判断しょう。
これからね。
たとえ鈴鷹さんが言っていたことであれ、ほんとにいいことに賛同しょうということ。
鈴鷹さんと一緒に歩いているが、鈴鷹さんとあなたは別の存在であるのだから。
2007−1−8 月曜日午前7時17分カキコ。
現実は厳しいが、現実から得るものも大きい。
私にとっては、自分の言ったことが強く物事や人の行動を方向付けてしまうことと、アタクで鍛えられたことだろうか。
アタクも自分の言ったことが絶対化してしまうことからなってしまった状況と言えばそうだと思う。
絶対化とは書くが、そうではなく、緩和されることもある。
それがどういった現象または状況なのかはまだ分からない。
サンデュで読み解けないものかとも思うがまだ良く分からない。
それは鈴鷹さんがそれだけの信頼と業績から強い影響力を持ってしまう。
それはそうだと思う。
絶対化を相対化するには、ひるがえりでスルーすること。
たとえばもういいんだよとスルーすること。
時に堅く、時に柔らかく。
かな。









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−−−。
世界樹の枝の分岐のページ。
アニラジの分岐の項目。
−−−。


2007−1−7 日曜日午前1時58分カキコ。
新人の声優さんがかけあいで、メールを読んでおまえインポかいとか言っても、誰もひきつけられたりしない。
ただの一発屋で終わってしまう話だ。
巨大メディアといえども人が作っていること。
人と人の真剣勝負なのだ。
たとえば、話のかけあいではお互いの中で完結するのが基本だ。
おまえインポなの〜とかパソの相手に言うならば分かる。
一人であっても、自分の話で完結すること。
これが基本なのだ。
その基本が出来ていない、聞くほうもシラけてしまう。
安定して聞くことが出来ないのだ。
パーソナリティ(ゲストアシスタント)を知らない人にはこんなだよと教えてくれること。
知っている人には今日はこんなだよと教えてくれること。
その両立のバランスを取り続けることの本質の確立が基本基礎。
そこからずれること。
それは基本が出来て初めて聞いてる人は着いて来てくれるのだ。
初めての人の話なんて誰も聞く必要なんてない。
若いから内容が薄いのは分かるが、それではちょいやって番組は終わってしまう。
ほんとにいい番組を作るには、そういう自分なりに内容を良くする必要がある。
それはあたりまえの話ではあるが、頑張ってるのはみんな頑張ってるのよ。
そこで残って行くのは、自分の確立した本質で勝負すること。
誰も口先の技術だけの奴の番組など聞くことはないのだから。
技術も必要、そして内容も必要。
その両立のバランスを取ることの本質の確立。
涼風のような見えない本質が聞きたい。









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−−−。
世界樹の枝の分岐のページ。
メディアの分岐の項目。
−−−。


2007−1−5 金曜日午前12時26分カキコ。
メディアが真実を伝えないこと9割。
情報は自分の足で稼ぐこと。
それが真実のひるがえりであること。
2007−1−5 金曜日午後12時18分カキコ。
史記が現存する最古(?)に近い歴史書と言われている。
歴史書もメディアの走りのひとつである。
それはもちろん過去方向という時間の性質に深いメディアではあろう。
歴史書はなにかと言ったらば、真実を記した本。
真実にも幾つか方向性があると言ったら変に思うだろうか。
たとえば、きみいつ結婚するの、子供まだなのかなと聞いたら、相手がセクハラだと言う。
そんなつもりでもない、はずであるが。
とらえ方によっては相手のご機嫌をそこねてしまう。
笑うことなかれ、それで離婚する人もいるのだ。
ひとりひとりにとらえ方があり、また多くの人に伝えることの出来るテレビなどのメディアや、また著名人の意見などがある。
私なども著名人(多くの人が認めるいーこと言うなもう)の一人。
メディア側というわけ。
最近ではネットのブログで、容易に簡易なメディアが手に入る時代ではあるが。
本質の場合は、これは時間などと一緒でとらえ方は自由な代わりに、まったくもってとらえどころがない。
ので、これは見えないし、そして聞くことも出来ないだろう。
たとえば千年後の絵や言葉をどこで聞くことが出来るだろうか。
なんつったりして。




真実の分岐。


普遍、共通、一般。
メディア。

特殊、集合、新性。
本質。

個別、蓄積、唯一。
個人。









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−−−。
世界樹の枝の分岐のページ。
政治の分岐の項目。
−−−。


2007−1−5 金曜日午前12時8分カキコ。
第二次大戦後、アメリカがというか、なにか戦の火種を嫌ってきた感じを受けていたが、この第二次世界大戦は苛烈過ぎる。
だから小さなうちに納めて(?)しまおうと、ベトナム戦などはしているような気がする。
つまり大戦争になるまえに徹底的に潰すとでもいうか。
ソ連とアメリカの核の山のように積み上げ競争はいまだに良く分からないが。
私は、生活を敵味方良くして、話をする。
裏表なく、それだけである。









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−−−。
世界樹の枝の分岐のページ。
精神の分岐の項目。
−−−。


2007−1−4 木曜日午後7時3分カキコ。
話を聞いてあげること。
これだけで、半分以上バランスを取り戻す。
2007−1−5 金曜日午前12時7分カキコ。
パソコンを越えるパソコン。
パソコンを否定の否定すること。
それはネット構築であること。
一台のパソコンには限界があっても、並列することによって、社内LANやネットでのパソコンの力は飛躍的に広がりを見せること。
当時はパソコンの能力が比較して低くて、回線も電話線のみ。
光コードなんてなかった。
いやあったけども、設置されてなかったから。
電話代もネットサーフィンの時間だけとられた。
なので、かなり短い時間のあいだにデータをダウンロードすることを前提とした。









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−−−。
世界樹の枝の分岐のページ。
ゲームソフトの項目。
−−−。


2007−1−3 水曜日午前12時52分カキコ。
一生懸命機器関係を普及させてみると、漢字を書かなくなったという意見が目立っていた。
ならば、タッチペンで書くのがいーでしょうという話。
アイディアとしてはありましたが、なかなか採用はされなかった。
ので、これはもーゲーム機に割り振ってみようと思い。
これは大ヒットになったのは、記憶に新しいとこです。
英語とて、これは同じことなのかも知れません。
英語でものーとれ。
かな。









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−−−。
世界樹の枝の分岐のページ。
作品ジャンルの分岐の項目。
−−−。


2007−1−3水曜日午前12時39分カキコ。
作品がつまらないとはなにか。
それは作品の最近のパターンからずれてないこと。
受け手はそのパターンに慣れてしまうこと。
それがつまらないということ。
気持ちが宇宙にふわふわとあるような星であるとするならば。
それは気持ちがその方向に慣性で進んで行ってしまっていること。
なので、その方向の進行には良くも悪くも慣れてしまっていること。
もちろんすべてのその方向、枝先がいまいちなわけではありませんが。
その慣性方向にこーんと、こつんとなにかが感じること。
これが新しい方向を見せてくれます。
これはまーお笑いとか歌とかしょーばいでもそうですが。
2007−1−3 水曜日午前3時32分カキコ。
作品において、人の人生がーとか、そういうぎりぎりのような内容のものは、たとえ鉄腕アトムといえども、かなり流行廃りがあること。
逆に、家族をテーマにしたファミリーアニメなどは流行廃りが無いこと。
これは安定性の違いでもあります。
2007−1−4 木曜日午後7時00分カキコ。
エンタメとは、受け手が真面目に頑張っていることを分かった上で、人は9割嫌なこと考えてしまうことふまえて楽しいことを考えようという提案である。
2007−1−5 金曜日午後6時43分カキコ。
テーマニング・リファイニング。
たとえば、一話について副題が付いたりします。
これがテーマニング・リファイニング。
激戦! あんたとおれ。
というタイトルであれば、あんたとおれが戦う話なんだなーと思う。
キスしたあなたは白馬の王子様 恋愛は物語。
とかあれば、次は恋愛話なんだなーと思います。
つまりはとっかかりのひとつであること。
なんでもいーよということは、実は困ってしまうこと。
次はこれだ、とある程度提示されたほうが分かり易いこと。
もちろんそれは基本であり、ずれることも可能。
まずは個別のタイトルのとっかかりがあったほうが受け手も作り手も分かり易いこと。
これは小さなことですが大事なことです。
たとえば哲学とはテーマについて論じることがひとつにはあります。
ポケットモンスターであれば、ボールに入ってポケットに入ってしまうモンスターの話であること。
デジタルモンスターズであれば、デジタルなモンスターの話。
ここはまさにシンプルイズベストで作品の内容を左右することもあります。
これは伽羅にもあって、その伽羅がどういう人生のスタイルを持っているのか、どこへ行くのかは、その伽羅が抱くテーマによって決まってくることさえあります。
伽羅の数だけあるテーマ。
ひとつひとつは小さなことでも、これが丁寧にひとつひとつ描かれた時にその個別は作品のテーマへと大きく変化して、共通となり、作品の本質たる特殊へと変わります。
これが世界樹の枝の分岐たること。
古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
テーマニング・リファイニングとなります。
これは作品だけでなく、哲学全般、世界樹の枝の分岐方法のひとつと言えます。
いま共通の分岐へとちょいとブレイクしましたよ。
分かりました(?)。
−−−。
神様のご機嫌いかがでしょうか。
しょーばいの神様。
恋愛の神様。
戦いの神様。
そも、神様とは時間とかいった、とらえることの出来ない存在。
そも時間とはなにか。
真に自由な存在。
それを一定の時間をとらえることが概念や物品に至る物事。
そのためにはテーマがあると格段に時間をとらえやすくいいものになるのです。
商品とは作品とはなにかと言ったらテーマにそった具現化とでも言ったらいいでしょうか。
一日の、一ヶ月の、あるいは今年の目標などという場合もテーマになります。
テーマとは時間をここからここまでねと言った具合にとらえる目安となります。
表現するのが上手い人というのは、時間をここからここまでねと提示することが出来ること。
それは絵でも歌でも文章でもおんなじこと。
一気に今年の目標だーと言って1年分の時間を表現することが出来る人などいません。
まずは今日その都度ケスバイケスで365日それぞれひとつづつ。
それを一週間、一ヶ月、そして一年のテーマへと共通へと変わること。
個別たるテーマをちまちま積み重ねて一気に共通たるテーマへと至ること。
これがテーマの特殊たるテーマニング・リファイニングとなります。
さてさて、今日も今日とてサウンドデュアルかな〜。

古き分岐をとらえる時も、テーマでとらえること。
つまりは時間的な尺度とでもいいましょうか。
その時間のとらえ方が個性とか独自性と呼ばれることのひとつになります。
2007−1−6 土曜日午後5時32分カキコ。
お笑いとは。
馬鹿だから笑うのではなく、頑張っているから笑ってあげようというスタンス。
一生懸命だからちょっと小笑いみたいな。
それが基本としてあること。
そこからのずれとはなにか。
とかね。
2007−1−7 日曜日午前4時54分カキコ。
実は何々であると前向きさの両立のバランスを取り続けることの本質の確立。
これが作品の極意。
歌とか絵でもそう。
なんのテクニックすらも無くほんとにそんだけであること。
2007−1−8 月曜日午前6時33分カキコ。
作品とはなにか。
それは情景と軽快さの両立のバランスを取り続けることの本質の確立である。
情景とは見えない風を花びらやカーテンのゆらめきなどで表現すること。
それを伽羅が感じ取る様。
軽快さとは伽羅たちがノリやリズムで時間を表現すること。
つまりは起承転結の承と転である。
承だけでなく転の表現も木々や自然の季節のみで表現することも出来る。
実際のとこ、作品はこれが出来るか出来ないかと言っても過言ではないのだ。
シリアスな話は、伽羅が分かり易いひるがえりを舞うことが少なく、比較的にコミカルなノリよりも軽快さを表現しにくい。
ので、コミカルなノリでリズムを取ってからシリアスな面も出す。
それでまたコミカルでノリを取ることの連なりとかね。
これはどちらがいいということではなく、コミカルもシリアスも一面では対となっていて、どちらがいいということでは無いと思う。









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世界樹の枝の分岐のページ。
バランススタンダードの項目。
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2007−1−2 火曜日午後4時43分カキコ。
両立のバランスを取り続けていることの本質の確立している時が集中している時。
本質の確立はみっつまでで、それ以上はバランスが取りにくいと思う。









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↓2007−1−2火曜日午前12時39分更新分。









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世界樹の枝の分岐のページ。
仕事の分岐の項目。
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2006−12−23 土曜日午後7時41分カキコ。
調子が出ない時はバランスが取れて無いことが多い。
時間をかけてじっくりと質を磨きたい。
もちろん、一定の量をこなしていたほうが質のバランスを取りやすい。
また一定の質がなければ、量をこなすことは難しい。
量と質のバランスが取れている時、それは場となります。
2006−12−29 金曜日午前3時56分カキコ。
仕事を頑張るというのは、そもそも固定観念です。
これが過ぎると健康に害してしまいかねません。
それを柔軟性がやわらげくれます。
柔軟性とは、臨機応変とか、ケースバイケースなどの意味でもありますが、こういった固定観念と対となることにも意味があります。
固定観念は地道に積み重ねのことであり、時間の方向性では過去形です。
固定観念と柔軟性の両立のバランスを取り続けることの本質の確立。
これが活動のバランススタンダードとなります。
2006−12−31 日曜日午前2時14分カキコ。
知識と工夫の両立のバランスを取り続けることの本質の確立。
それが技術である。
2007−1−1 月曜日午前12時56分カキコ。
試行錯誤は古い枝を歩き、新しい枝を探すことに違いない。
2007−1−1月曜日午後7時13分カキコ。
ちまちまちまちまと小さな働く場の改善を積み重ねて行って、そこから大きく変える。
一気になにか大きく改善されることは無いこと。
蓄積された個別から共通へと行くこと。
それが本質たる特殊な新しき枝葉となること。
世界樹の枝は実りを付ける。
それはいまある枝の先に違いないことなのだ。









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世界樹の枝の分岐のページ。
最近チェックしたようなしないようなリンク先。の項目。
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2007−1−2 火曜日午前12時26分カキコ。
古代ローマ(ウィキペディア)
ポエニ戦争などは有名。
銀英伝でもヤンとラインハルトの最初の戦いでも参考にされてると思う。

2006−12−26 火曜日午後6時42分カキコ。
トレンド検索
トレンド検索はどの程度このサイトで検索があったかをグラフ表示すること。
トレンド検索した後、右上に年度と月の選択でさらに詳しく時期の特定が出来る。
下にはもっとも多く検索された場所(国別にも出来る模様)。









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世界樹の枝の分岐のページ。
場の分岐の項目。
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2007−1−1 月曜日午前2時30分カキコ。
場の分岐。




場がなければなにひとつ作ることは出来ない。
工場なくして部品なく、本無ければ言葉も無い。
目標では無い、結果である。
いまは場を作り、結果が出るのを待とう。
家宝は寝て待てと言う言葉通りに。









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世界樹の枝の分岐のページ。
時間(質)の分岐の項目。
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2006−12−28 木曜日午後11時52分カキコ。
人というか、存在の時間の方向というものは、固定されやすい。
人で言えば固定観念。
それは過去形であるということ。
なにもしない時、その存在の時間の方向性は過去形を見ることが自然なこと。
それだとまったくその枝は細くなって絶滅してしまいそうです。
けれども現在進行形で存在し続けている存在というものは、その過去形の時間の方向性が個別となって、ちゃんと古い分岐を得て、共通たる未来形の時間を得ていること。
それによって特殊たる現在進行形の時間の性質へと続いていること。
これが古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へということになります。
2006−12−30 土曜日午後9時44分カキコ。
千年の分岐を読む。
二千年、四千年、万年、億年の分岐を読む。
そして古き枝から新しき枝へ。
千年聞かれる歌を歌おう。
千年伝わる時を彩う。
聞こえないことを話そう。
見えないことを表現しょう。
風を感じよう。
それこそが時間なのだ。




過去
現在
未来









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世界樹の枝の分岐のページ。
バランススタンダードの項目。
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2006−12−25 月曜日午後6時51分カキコ。
バランススタンダード。




三点のバランスが取れて、本質が確立している場と質と量。
2007−1−1月曜日午後6時34分カキコ。
練習では地道に積み重ねることも大切だが、バランススタンダードにおいては、練習ではバランスを崩して本番ではバランス取りをすること。
練習では歌をへたに歌う、絵をへたに描く。
へたくそであること。
これが本番でのバランス取りをより良いものとする。
もちろんバランスを取る練習も必要ではある、かな。









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世界樹の枝の分岐のページ。
サウンドデュアルの項目。
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2006−12−25 月曜日午後9時31分カキコ。
こと、事とはなにか。
そんなことがあったよと。
そのこととは本質という意味であること。
2006−12−27 水曜日午前3時41分カキコ。
全対におけるサウンドデュアルとは。
普遍とはひるがえって可能性としての未来であり、共通とはひるがえって本質が連なっていることであり、一般とはひるがえって集約された個別のこと。
特殊とはひるがえって結果としての過去であり、集合とはひるがえって進むことであり、新性とはひるがえって古き枝から新しい枝へと移ること。
個別とはひるがえってひとつひとつであり、蓄積とはひるがえって重なった層であり、唯一とは本質のひとつであること。










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世界樹の枝の分岐のページ。
鈴鷹さんの分岐の項目。
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2006−12−25 月曜日午後6時59分カキコ。
ニュースで事件事故の放送を私がテレビで見てると、すぐにアタクする人がネガティブアタクする模様。
そのため、かなり精神的にまいってしまうようだ。
この他ではアニラジ聞いてる時とかにもアタクが多い。
もっとも厳しい93年からの11年間は起きてるあいだはすべて痛み系を受けていたが、2001年くらいからはかなりアタクする感覚は長くなり、また痛みもそんなにきつくなくなって来た。
2006−12−28 木曜日午前12時26分カキコ。
言葉は多種多様だが、概念は共通であること。
たとえばキーボードやマウス。
それは世界共通であること。
テレビ画面。
音楽形式。
圧縮形式。
計算式。
カメラ。
お茶にコーヒー。
そういったものは世界共通のものだ。
いいものはその個別の積み重ねから共通へと移り変わること。
他人からなんと言われようと、いいものを提示出来れば認められる。
逆に言えば、いまいちなものならば、それだけなのだ。
そこまで共通とは言わないが、出来ることはまだあるはずだ。
2006−12−29 金曜日午前1時16分カキコ。
きつねうどんさんがもういらない本を捨てるなと言う。
けれども最近の古本屋は売れない本や傷んだ本は買ってくれない。
そういう話をするが、とにかく捨てるなと言う。
おいおい、それならばそういう本屋を作ってくれよと言った。
きつねさんは前からビデオデッキを直して使えとか、リサイクルを好むことを言う。
ビデオデッキなど機器は新しく買ったほうが安い場合も多い。
けれどもまー、きつねさんの言いたいことも分かる。
理念や理想としては分かる話だ。
んではどうすればいいのか。
そういう場を構築すればいい。
存在は場なくしてその存在は無い。
結局のところその本質が確立しないのは場が無いからなのだ。
場が無ければ質も量も転化出来ない。
ひるがえることがそもそも出来ないのだ。
2007−1−2 火曜日午前12時21分カキコ。
データベースのひとつの作り方としては、この時にどんな悪いことにつながったかがひとつ、もうひとつはその時に作品とか機器はどんなものに参加していたか、さらには、その時鈴鷹さんがどんなことを言っていたか。
言っていたことについては、リンクを押して、全文は読めるようにすること。
その時代背景として、どんなことが起きていたか、どんなことに影響受けていたかの年代も付けて置くと俯瞰(ふかん)して物事をとらえる一助になると考える。
データべースの作成と閲覧。
それと、どう、こういったことを捉えていくかの話し合い等々。かな。
データベースが無い場合は、90年代のすべてになんらかでかかわっているととらえるとかね。
それはかなり大味になってしまう。
たとえばアニメとかではこの話は脚本とかね。









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世界樹の枝の分岐のページ。
人生の分岐の項目。
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2006−12−26 火曜日午後時7時8分カキコ。
行き詰まったら。
別の場を模索すること。
そんなの当たり前じゃないかと思うかも知れないが、自分がメインとする場で行き詰まると、往々にして追いつめられてしまい、柔軟に考えることも出来なくなってしまうことは良くあること。
なんだか逃げてるようですが、それだけ現実は厳しいものなのです。
2007−1−1月曜日午後10時49分カキコ。
人生は思い通りにならないこと9割。









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世界樹の枝の分岐のページ。
精神の分岐の項目。
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2006−12−25 月曜日午前1時29分カキコ。
癒し旋。
癒しの本質たる独楽を回転させること。
もちろん人に癒されることもありますが、一人で癒しの場というか、時を持てることも自立と言えるかも知れません。
癒されるということはなんでしょうか。
それは好きなことと集中すること。
その両立のバランスが取られ続けていることの本質の確立が癒しの時であること。
その逆は、嫌なことに集中することがストレスと言えます。
もちろん人によって好きなことと嫌いなことは個性があります。
また共通のとこもあります。
当然癒しの方向のほうが気持ちとしての安定性はあると言えます。
たとえば初めて歌う歌には緊張しますが、好きな歌を歌うととても安定して歌えます。
ひとつにはそんな感じでしょうか。
たとえば恋愛というものは、ふつーの状態からはずれてバランスを崩しますが、誰かを好きになることで得るバランスと言えます。
一人で街を歩くとか、ぼけっとするとか、そういう部分と、人といると癒されること。
そんなバランスが、生きて行く上で大事なことなのかも知れません。
2006−12−27 水曜日午前1時41分カキコ。
両立をしていない時が休憩になります。
この両立をしている時というのは精神的に集中している時であり、平たく言えば疲れるんですね。
そこいらへんはまーそこそこでよろー。
2007−1−2 火曜日午前12時14分カキコ。
人なんて、嫌なこと考えてるのが9割。









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世界樹の枝の分岐のページ。
刑罰の分岐の項目。
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2006−12−1 金曜日午後6時10分カキコ。
形罰の分岐。


刑務所の基本は閉じこめて服役をうながすものですが、最近では交通関係であれば、車に乗って安全運転を徹底させるカリキュラムを取り入れたものや、事業系の罪であれば刑務所から企業に出て通勤するというものまであります。
発信器を取り付けて街中を歩けるものや、海外渡航禁止など、一定の行動の不自由なども服役の部類と言えます。
服役をするというものがそれまでの罰の分岐としてはもっとも有効であると長いこと言われていた方式です。
死刑制度はこれとは別で、法律が殺人を認めるかということ。
死刑制度は国が戦争や犯罪の理論を一定認める面があり、体罰は子供への虐待などが指摘されていて、最近では個人の資質よりも場が人の行動を大きく左右することも考慮され、刑務所などの服役、空間としてその人をとらえるという罰が幾つかの発展系としては見られます。
個人を罰する刑罰が罰の基本でありそれが犯罪予防と言われるが、最近は場の改善によって犯罪予防をすること、また、ひいては戦争の予防となるという場の安定性も問われることがある。




罰のいま現在の世界樹の枝先。


刑務所などの服役。
普遍、共通、一般。

死刑制度。
特殊、集合、新性。

体罰。
個別、蓄積、唯一。




刑務所
死刑
体罰

刑罰




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
罰をひるがえらせる罰。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。









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世界樹の枝の分岐のページ。
家庭用ゲーム機の分岐の項目。
DSWii路線。
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2006−12−25 月曜日午後3時29分カキコ。
DSWii路線とは。
それはタッチペンとWiiリモコン。
これはパソコンにあるマウスの発展系としてあること。
元々マウスというものは空間描画能力であること。
これはマックに採用されたインターフェースですが、いまだにこれを越えるものは無いと言っていい一品。
私もマウスにはスリーボタンの真ん中の回転式ホイールにブラウザー移動の構成で参加したりしました。
スリーボタンマウスは前からあったのですが、まだ2ボタンが一般的な時でした。
マウスを携帯機に取り入れるならばタッチペンであり、据え置きゲーム機ならば、ジャイロの独楽を入れたリモコン形式だと思ったり。
そこいらへんの構築であること。
携帯機にタッチペンというのは前からあったかも知れません。
タッチペンとジャイロリモコンはマウスの発展系であること。
これはマウスのブレイクと言えます。
まーだからと言って、パソコン画面でジャイロリモコンしょうとは思いませんが。
2006−12−26 火曜日午後4時49分カキコ。
DSとはダブルスクリーンの略であること。
ダブルスクリーンとはなにか。
これは新聞雑誌とか本は実は見開きと呼ばれるダブルスクリーンであること。
そんなの当たり前じゃないかという話ですが、これが本とか新聞雑誌を強力にサポートしている技術であること。
それを液晶で再現すること。
それがダブルスクリーンという概念と言えます。
漫画とかではページを開くと二面が提示される。
見開きの大ゴマとか言われます。
これが表現としては強味であること。
また、そんなアナログさに慣れ親しんでいるそのひるがえりを液晶というデジタルに取り入れること。
2006−12−26 火曜日午後6時9分カキコ。
Wiiリモコンというスタイルは、ジャイロリモコン。
またはジャイロコントローラー、ジャイコンとでも言ったほうがいいかな。
それまでの身体の動きをとらえるものは、なにかばかでかい装置が必要で、とても個人負担出来るものではなかった。
こういったジャイコンというスタイルは、ちょっと足や手に付けたもので空間描画能力を発揮出来る。
それでいて、手元を見る必要が無い。
そんな感じだろうか。
2006−12−29 金曜日午前2時43分カキコ。
そもそもは、リモコンにメモリー組み込んだり、ミニジョイパッドを入れてみたりしていた。
いまのツーミニジョイパッドの構築はプレステから。
これはいまでもスタンダードとして使われています。
ジョイスティックは格ゲーを家庭用機でプレイするために出ていましたが、最初はそれだけで3万円とかしました。
それがいまはミニジョイスティック二個付いて二千円程度で買えますから、ずいぶん安くなったものです。




マウス(コンピュータ)




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
DSWiiをひるがえらせるDSWii。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。









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ゲームソフト。
良い物にするには、100万本越えするソフトにするには、たとえばテトリスのような画期的なゲームプログラミングを入れればいい。
分岐を得ること。
それがひるがえりであり、それだけで金字塔は越える。
もちろんそれは一例であり、基本としては従来の技術にひるがえりでバランス取りではある。
−−−
締め切り前でもなければ、仕事の時間の三分の一とかは自由に使える時間として認めること。
これはまあ開発系の仕事にはなるべくということかな。
自分なりの技術がそれはまた力になること。
−−−
脳トレ系はファミコン黎明期に算数ゲームがあった。
これを発展させた。
Wiiのリモコンはガンタイプの光線銃のゲームがあった。
これを発展させた。
2006−12−8 金曜日午前1時4分カキコ。
テトリスクラスのプログラミングがあれば100万本、金字塔一本行きます。




古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
ゲームをひるがえらせるゲーム。
千の言葉よりもひとつのプログラミング。









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−−−。
世界樹の枝の分岐のページ。
RPGの分岐の項目。
−−−。


2006−12−25 月曜日午後2時6分カキコ。
シームレスというと、画面が切り替わらずに戦闘に入るという意味があります。
けれども、FF12においては、どこへでも行けるという意味もあります。
移動にはそれだけ時間がかかり、またそこに旅の醍醐味があります。
モンスターが先ではかなり強くなり、一定レベルを上げてから行く必要があります。
もちろんひたすら走って行くことも出来るような。
そんな感じでしょうか。
−−−。
オンラインでも採用されているこのシステムは多人数が一緒にゲームプレイするのに適している。
たとえばアイテム錬成する職業がいたりとか、遠くのあるいはダンジョンから入手した苦労したアイテムを商人、まあ自分が商人の場合もあるけれども、そういうアイテムが貴重で高いこと。
これはアイテムのシルクロードシステムと言います。
シルクロードも、駱駝(らくだ)などを使って長い道のりを歩いて渡って、その物品は高く扱われたこと。
これはまー足で稼ぐのとおんなじかなあ。









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−−−。
世界樹の枝の分岐のページ。
政治の分岐の項目。
−−−。


2006−12−22 金曜日午後6時7分カキコ。
市場経済の政治としての意味は、経済の交流があれば、国同士は上手くいくというスタンスがある。
しょーばいしてるだけで良くなるかは疑問だが、そういうスタイルがあり、一定それでうまく行っている国もあるような。




カキコ。
社会主義と資本主義は世界樹の枝の同じ軸線上にあること。
社会主義と資本主義は表裏一体同じものである。
社会主義と資本主義の両立のバランスを取り続けることが政治である。









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−−−。
世界樹の枝の分岐のページ。
課金の分岐の項目。
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2006−12−25 月曜日午後11時36分カキコ。
商品やサービスの質と価格の両立のバランスを取り続けることの本質の確立。
これがヒットとなります。
高級品ならば高いほうが良く、機器関係は保護されていないので、卸値から崩れて行きます。
本やCDなどには一定、定価があり、これは文化を守るためとされています。
もちろん中古やレンタル店などもあります。






賃金と課金は世界樹の枝の同じ軸線上にあること。
賃金と課金は表裏一体同じものであること。
賃金と課金の両立のバランスを取り続けることの本質の確立が給与体系であること。









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世界樹の枝の分岐のページ。
経済の分岐の項目。
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2006−12−25 月曜日午後5時37分カキコ。
中小企業対策費を上げれば長い目で見れば経済が良くなります。
大企業は中小があって初めて成り立つものであり、逆に大企業だけで成立するものでもありません。
これは商店などでもそうで、大型店ばかりでは、その経済交流に暖かみなども薄くなってしまいます。
道路や施設などの大型、所謂箱物というものは、作ればカンフル剤のように経済が良くなりますが、それは短期的なもので、コストはかなりかかります。
これはどちらがいいということではなく、そういう性質があり、場面によって使い分けるということです。
もちろん、この両立無くして経済は成り立ちません。
そしてもっとも小さな個人消費がひとつひとつそしてもっとも確かなものであること。
企業消費は資材を買い入れて販売する一般的なものです。
経済のいま現在の世界樹の枝先。


企業消費。
普遍、共通、一般。

道路建物、役所による大型投資。
特殊、集合、新性。

個人消費。
個別、蓄積、唯一。









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世界樹の枝の分岐のページ。
ブレイクの項目。
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2006−12−22 金曜日午後6時16分カキコ。
個別から地味に別個に時間を積み重ねて行きます。
だいたい失敗するのは、一辺に共通となる時間をつかもうとすること。
個別にひとつひとつ地道にちまちまと行きます。
そして一定たまった個別の時間を共通からとらえ、特殊たる結果へと行きます。
これが時間との付き合い方です。
そこまで行けば、積み重ねた分岐は新しい枝へと古い枝を変えてブレイクしています。
時間に近道無し。
あったら通りたいのが道の抜け道。
だけんども。
出来る人や企業や国には当たり前のことでも、出来ないとこでは、凄いということになる。
一言で言うと凄い人だとか、豊かな国ですねえというもの。
それは特別高い技術では無いのだ。
出来るとこは個別に幾重にも幾重にもアイディアや分岐や知識が活かされている。
素人は共通だけ見て、なんて凄いことかと圧倒されてしまうのだ。
けれども玄人は個別から地味に時間をかけて延々と見て行く。
そこが玄人と素人の違いなのだ。
分岐の共通を見てもいいが、基本的には地味に個別を見ていくこと。
それがブレイクスタイルなのだ。
2006−12−24 日曜日午前3時11分カキコ。
個別がそろそろそろったら共通でがばっと特殊に行く。
この個別をそろえるとこが地道にとか積み重ねるというとこなのだ。
2006−12−25 月曜日午後4時36分カキコ。
ぶっちゃけ世界樹の枝の発展系でないと上手くいかない。
というとなんだか味気無いでしょうか。
それが基本ということ。
そこからずれるにしても、基本基礎というものはあります。









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世界樹の枝の分岐のページ。
安定の分岐の項目。
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2006−12−25 月曜日午前1時29分カキコ。
癒し旋。
癒しの本質たる独楽を回転させること。
もちろん人に癒されることもありますが、一人で癒しの場というか、時を持てることも自立と言えるかも知れません。









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作劇術のページ。
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●●●2006−12−25 月曜日午後9時9分カキコ。●●●
本質描写。
そのひとつ。
心理描写。
人の気持ちというものは良く分からない。
そのもっともなものです。
逆に言えば、分からないから知りたいと思うのが不思議を追うことを宿命付けられた人の運命(サガ)なのかも知れません。
さて、作品においても人の気持ちを表現するのは高度な技です。
それは承と転によって表現することになります。
作品においてあらゆる表現は基本的に承と転によって表現されます。
まさに表現ということは承と転の両立とそのバランスを取り続けることの本質の確立であるわけです。
これが出来て一人前。
承か転だけでは半人前。
調子のいい作家はこの本質の確立が出来ていると言えます。
では、見えない本質を表現するにはどうすればいいか。
承では、それは風景を情景に変えることによって、気持ちという見えないものを表現します。
転では、行動によって、アクションとかリアクションとかによって表現します。
だめだったから酔っぱらうというのはドラマでは良く見る光景。
プレゼントに花。
いいことあったから笑顔。
お茶とかコーヒーの朝の一杯。
景色がいいからいい顔になる。
猫は苦手だにゃ〜。
ぶっとばされても我慢してしまったり。
嫌なこと言われておどけて見せる。
好きなことに癒される。
ステレオタイプなそのものごと。
それが心理表現の基本となります。
もちろんそこからずれることもあります。
ひるがえり。
それは承の方向性と転の方向性。
その方向性の両立。
それがクロスした時に現れる方向性。
そんな人生。
2006−12−26 火曜日午後6時4分カキコ。
人という存在、いや、これは存在そのものかも知れないけれども、その存在を認識するということは、その本質を感覚するということ。
なので、見えるもの、読めるもの、聞こえることがらということは表面的なものであること。
感覚出来ない本質を感じた時に認識に至ること。
ぶっちゃけ見えるもの聞くこと読むことというのは基本的に結果であること。
その点、本質というものは見えない読めない聞けないが、それだけ先というか、現在進行形の事柄に対応出来るという点がある。
これはどちらがいいということではなく、そういう性質や方向性だという話である。
2006−12−26 水曜日午前12時47分カキコ。
ギャグというものは常識と非常識。
その両立のバランスを取り続けることの本質の確立。
これはまーギャグバランスのひとつです。
これはこうだよなと言うが、その常識からのびみょ〜なずれが笑いを誘います。
コントではボケと言われることです。
ツッコミはこれに対して、そうかなあということ。
2006−12−27 水曜日午後1時2分カキコ。
交通安全の看板見ていたら前の車に追突。
飲み屋で同僚と飲んでいて、どたまの最後の毛が抜けて、同僚が一言「ご臨終です」と言われて涙する。
その人にとっては笑えないこと。
第三者、いえいえ、もっと離れて作品を見ているから笑えること。
これは他人の不幸は密の味系のお笑いで、お笑いの本質のひとつです。
「愉快ツーカイどーなった。隣の垣根に塗炭屋根。それでいいのささらさらさらり。今日もお空の雲がどしゃぶりよお。極悪英雄覚悟の上よ。どこまで来たのか田舎よどこよ。これからどこへ行こうかな。ここで会ったがシーラカンスよ四千年。ちょいと粋すぎたね、今日のおてんとさまがわらってらあ」
とゆーのが口上(こうじょう)系のノリとでも言う感じのもの。
これは活弁士とか、寅さんなどで見られます。
夜眠ろうとすると枕がいまいち合わない。
それで家にあるもので片っ端から合わせてみる。
スイカにビデオデッキにペットボトル。
本に鍋に靴にビニールに水入れてずぶぬれだ。
終いに猫を枕にふぎゃとひっかかれる始末。
さんざん疲れて元の枕でぐっすり眠る。
そんなもんだよ人生は。
と。
これは努力系とでもいいましょうか。
これはチャップリンが得意としてるもののひとつです。
2006−12−28 木曜日午前2時29分カキコ。
コーヒーを飲む二人。
「コーヒーはモカに限るな」
「そんなもんかな。あたしには違いが分からない」
「なにせおれはコーヒーで動いてるからな」
「あっそ。リーズナブルなエネルギーね」
さてー。
これが基本のやりとりとするならば、ここからずれるにはどうするか。
ここからが勝負となります。
どれだけずれることが出来るか。
これはまあ歌でも絵でもそうですが。
いいものであるのは分かります。
そこからどんだけずれることが出来るか。
それがひるがえりとなります。
幾つかのコーヒーで手鞠とかね。
そういうずれがあること。
2006−12−28 木曜日午後12時26分カキコ。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。
難しい話を延々とする時もあるだろう。
けれどもまー、ひとつの笑顔がその思い詰めた面持ちをゆるやかにするに違いない。









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2007年2月28日水曜日午後7時34分
表紙、インデックスページにある文章。








いつでもどこでもいまでもいいものはいい。


サウンドデュアル。
組み合わせが描く世界。

日々の積み重ねとひるがえりによる柔軟性の確保。
これで仕事もだいじょうぶ。

希望のサンデュ(普遍、共通、一般)。
希望の組み合わせ。これで
生活はだいじょうぶ。

並列のサンデュ(特殊、集合、新性)。
どちらかではなく両方並列であること。希望のサンデュと
否定の否定のサンデュの両立とバランス
を取り続けることの本質の確立。

否定の否定のサンデュ(個別、蓄積、唯一)。
ひるがえり、否定の否定とは、否定と方向性の両立。
単発の否定でひとつひとつ否定するが、それは
最後の否定によって否定され、それまでの
否定は全肯定されること。

たとえば過去はひとつひとつのいまに否定されるが、
そのいまは未来に否定され、それらの
否定は全肯定される。

タイムイズオッケイ。
時間があればだいじょうぶ。

日々の積み重ねが固定観念になること。
それは悪いことだけでなく、恋愛
なども固定観念であること。

これだけ構築積み重ねる鈴鷹さんが、
神様〜とか恋愛メロメロとなって
行っても良く分かる話。
とかなんとか。

日々の労働と賃金の交換の積み重ねが固定観念となり、 柔軟性を失うひとつの原因である。
これには生活を地道〜に良く
することが唯一地味に
有効である。

単発の否定よりも方向性を良く示すことが癒し系。
どんどか単発の否定していくのがスパルタ。
その両立とバランスを取り続ける
ことの本質の確立。

印象のサンデュ。
印象的なシーン、メロディライン、プログラミング、アニメーション、
音楽、演技、言葉、絵、コマコンテ、色彩、
映像、トーク、機器機能の
サンデュ。

現実の9割はほとんど分からないことであり、「考察と戦略」で挑むこと。
それはなにかを探して(考察、分析)、これから
どうするかの方向性(戦略)。

組み合わせによる質量転化。場による変化。性質における方向性。
普遍 共通 一般。

柔軟性の確立。質による時間。性質における方向性。
特殊 集合 新性。

自在固定。量による数。性質における方向性。
個別、蓄積、唯一。

パワーは量数に比例する。
構想時間に質は比例すること。
その両立とバランスを取り続けることの本質の確立が場であること。
量数はパワーで、人の場合では働く量数と休む量数が対となり、両立バランスとなります。

上手く行かない時は場がいまいちであること。
量数と質の両立並列のバランス取りで場の本質を構築すること。
その場がまた量数と質へと変わって行くこと。

過去にあった単発の否定でいまを否定すること(きわどい、ネガティブ)。
未来にあるだろう単発の否定でいまを否定すること(やさしさ、ポジティブ)。
その両立とバランスを取り続けることの本質の確立。

平和と争いは対の概念であり、全物無料までこれは否定の否定を繰り返すことになります。
社会は資本主義と社会主義の両面を持っている。
いやさ、存在というものは常に対となる両面を螺旋させながら進んで深化している。
進化とは、時間が進むこととはその両立する対のバランスを取り続けることの本質の確立なのだ。

積み重ねと柔軟性の両立のバランスを取り続けることの本質の確立が集中していること。
集中力は50分程度で、それ以降は集中力が下がるという。
ので、集中する前と後には集中した時間の3分の1程度は休みましょう、という話。
まあゆっくりとすることの組み合わせも有効。
とかなんとか。


だからそれは時間があればだいじょうぶである。


古き分岐を得て、古き枝から新しき枝へ。
本質をひるがえらせる本質。
千の言葉よりもひとつのひるがえり。





そして本質を響かせる一瞬。





雷竜轟雷

舞う