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哲学鉄








はじめに
哲学者ヘーゲルは多くの概念を形成した。エンゲルスもその業績を高く評価して、その絢爛豪華な建物に挑むべきだと言っている。ただ、ヘーゲル自身は左翼に立場を置く人ではなく、大学の教授であった。徹底してみっつにテーマを分類して考えることで、概念を形成した。普遍、特殊、個別とか、生成、発展、没落とか、正、反、合とか、内と外の転換、量による質的変化または質による量への転化、宇宙は螺旋上昇している、二律背反、否定の否定などが代表的な概念である(詳しくは著書を勉強のこと)。そのみっつにテーマを分類することの徹底さに、ヘーゲルの弟子は右翼、左翼、中立の人たちの三派に受け入れられていった。ヘーゲルは絶対政府に捕まった教え子を救うために奔走したりしている。マルクス(ヘーゲルの直接の教え子ではなく、数年時代が違う)は哲学、政治、経済がとても大事であることを示唆している。マルクスはあらゆることの批判を表明して実際に行った。マルクスはヘーゲルを高く評価しながら、ヘーゲルは世界を逆さまに、観念的に表現せしめたと言っている。へーゲルはみっつにテーマをしぼって考えることをしている。私はテーマをみっつにすることは考える上で便利であると言う。けれども、それ以上なにかを言うと、時間における3次元とか、思考が螺旋上昇するためにこの三点がホップステップになるとかいうことになってしまい、証明のない解釈論になってしまう。みっつのテーマは結論ではなく、考え始める始まりに適しているとしておきたい。ここでは、その概念の別の視点から見ていくことを重点、集中、(?)、して、思考していきたい。
















弁証法(弁証術)と形而上学
ローマギリシャ時代の哲学者たちによって形成された哲学のタイトル。自然のとらえ方、考え方についてのものであるが、まだ素朴であり、その蓄積も比較的少ないものであったために、哲学者や天文学者、数学者を兼任する人も多くいた時代である。この時代の哲学を哲学者は哲学のルーツとして、数多く引用してきた。近代の哲学者ヘーゲルは、近代哲学をまとめあげ、そのタイトルに弁証法の名前を冠した。またヘーゲルは観念的な哲学を形而上学と言って、これを批判した。簡易弁証法はヘーゲル哲学の一部を発展、再構成、個別解釈したものである。
















否定の否定
否定の否定はそれまでのすべてのそのことに関する行動または概念は否定されるが、その本質は全肯定され、その否定は否定される。
全肯定は否定の否定の課程にあらわれるが、それは別段、結果としてはそうだったかなというものであって、それが否定の否定するという感覚の始まりとしてあるのではない。




否定の否定。または先の先と言い換えてもいい。その対立概念の先の先を見越すこと。その行動と概念の提示。これが否定の否定の一側面である。
2006−9−11月曜日カキコ

否定の否定の組み合わせによって進化は起きます。
2006−9−11月曜日かきこ

2006−9−27火曜日午後9時00分カキコ。
ひるがえりが柔軟性となります。
ひるがえるということは、バランス良く積み重なりながら固定され、あらゆることにスタイルを柔軟させ、時間の長さに場の変化が比例します。
経済もひるがえります。
ひるがえりというものはある面共通といえます。
ひるがえりというのはつまりはまあ否定の否定のことです。
否定の否定されないと積み重ねで固定化されてしまい、力を悪い意味で失ってしまうのです。
と言って時を止めるとゆーことはなく。
時は積み重なっていきます。
時間は場の変化となる空間であり、時間は柔軟性となる否定の否定であり、時間は積み重なる固定でもあります。
たとえば地層を見ると固定化された時と空間が見てとれます。
もちろん地層も時間がたてばそれはまた別のなにかへと変わっていきます。
時間においては積み重ねによる固定化もひるがえりの柔軟性も場の変化もそれはまあ方向性のひとつにすぎないのです。








始まりと終わりは本質が同じである。結果が違うだけである。
否定から現実を越えるのではなく、否定の否定から現実を越えていく。


生物の強制(個別)本能
自然の強制(特殊)季節
時間の強制(普遍)進化


生成、発展、没落。
生成は始まりのこと。生成は質とも言える。発展は質から量へと転化していく段階。没落はその量がまた質へと転化されることで、その本質は没落を迎えるが、その質はまた新しい量へと転化して行く。よってひとつの生成、発展、没落は没落で消えるが、没落の質は次の生成の質でもあり、次の発展へと受け継がれて行く。この三点の螺旋の連鎖が時間を形成している。

一番最初は生成から始まったのではなく、この生成、発展、没落がひとつのセットとなって生まれたのである。

物質はひとつから始まるという一元論の立場を取るならば、必ずしもみっつが最初に生成されるとは限らない。けれども三面無いと三次元の空間構成されないので、そのひとつの三っつからなる空間構成が確立されるとは言える。









(物質における本質における存在における)質・一点連鎖
(物質における本質における存在における)量・立体方向
(物質における本質における存在における)場・平面的空間
労働が作物を作り出す
労働がお金を作り出す
労働が気持ちを作り出す








本能
一元法(いちぶんほう)
絶対を基準として思考する方法。本能思考の量による、作物の量による質的変化。本能。環境の反応による絶対思考。
ニ分法(にぶんほう)
対立相手を見つけ、思考する方法。対立相手がいない場合は一元法に思考が戻る。一元法思考の量による質的変化。形而上学。相手による相対思考。現実と理想などの対立概念。
三分法(さんぶんほう)
みっつ以上に起点を分けて思考する。起点はみっつ以上であればいくつであってもいいが、同じ数を維持しなければ、結論は変わってしまう。ニ分法思考の量による質的変化。弁証法。三次元における全対思考(ぜんついしこう)。
苦しい場面では思考は勝ち負けなどの二分法に陥りやすく合理性に欠け、客観性は延々と事実を積み重ね行くこと、けれども一番分かりやすく、すっきりします。まさに人の本質を問われる一面と言えます。真実はひとつと言う場合、分岐して無数にある時間も進化の元を辿れば派生はひとつということを言っています。結婚するということも二分法であり、まさに二分法のもっとも到達したものだと言えます。これをもって鈴木さんは誰と結婚するんだと結論を求めるのは短絡的ではないでしょうか。




思考形式

全対思考(共通思考)
相対思考(集合思考)
絶対思考(蓄積思考)

速くなくていい。遅くなくていい。的確でいい。形而上学が、対立概念によって長い思考を可能にしたのに対して、弁証法はみっつのどれにも行けるように、ネットのように、また、量子コンピュータが0と1のあいだを並列試算するように思考する。人が思考で優れていたのは、やはり形而上学であり、それはふたつのことを対立の関係によって考えることが出来ることであった。原始的、絶対的思考は目の前のこと、または季節によることに思考が固定されるため、敵がいること。食料を探すことや、春にはこの行動といった単純なことの繰り返しで構成される。対立概念はこの点、ひとつ先を行く、進化した思考形態であった。









財貨罪論では、加害者も労働と賃金の交換の被害者とする。犯罪者には教育、労働と賃金の交換に抵抗できる力を身につける訓練を強制することになる。








人の意思決定、行動は30パーセントから70パーセントはお金(労働と賃金の交換)に左右される。100パーセントは自分の思いで行動出来る人はその行動が良かれ悪かれ、カリスマやリーダーとして存在する。社会主義社会でも、まだ、多少左右される。400パーセント自分の意思で行動出来る人は歴史に名前が残る。だから、エヴァは自立稼動してしまったのである。







普遍性
共通、一般、(?)。たとえば人で言えば、安易、簡易、(?)に共有できる言語や概念である。継承すること。不思議なこと(個別)。結果への行程。みんなが理解できること。共有できる情報。家族への道。家族との道。家族からの道。
時間軸における未来。


特殊(特別)性
集合、独自、(?)。量子力学では、科学では理解、解明、(?)できない一面があることを提示している。たとえば、一人の人には、その人はもちろんのこと、人類の歴史すべてを費やしても理解できない部分がある。これは二人以上の集団にも当てはまる。理解できないと、争いと思いがちだが、こういったわからないことが、人と人とのあいだに断絶状態でさえ、たとえ知らないことでさえ、助けになることになっている。 不思議なこと。伝えられないこと。思い出せないこと。結果しか認識できないこと。理解できないこと。情報があっても、理解できないこと。分岐道。分岐への道。分岐からの道。
時間軸における今現在。


個別性(こべつせい)
蓄積、唯一、(?)。自分にしか見つけられないこと。個人の特性。目指す意味での独自性とは違い、その人にそなわっている個性である。不思議なこと(特殊性)。自分の結果。自分にしか理解できないこと。(隠してるわけではなく)自分しか知らないこと。自分への道。自分の道。自分からの道。
時間軸における過去。






普遍性と個別性から特殊性の結果を認識しても、量子力学と同じで、どうしてそうなるかは見えない。たとえ(課程は見えない)特殊性であったとしても、それを解く行動は示せる。ただ、量子力学と違うのは、数式でこうとかいうふうに気持ちはいかないことだ。理屈では理解できてもできない気持ちもまた、気持ちである。
特殊は確率によって、結果しか見えない。これを捉える時は、普遍と個別から調べて行き、ある程度の当たりを取る。普遍の場合には共通するものを見ていき、個別はひとつひとつ個別に調べて行く。当たり前のようだが、こういうことの地道な積み重ねが基礎の基礎となり、本質への構えとなる。
普遍、特殊、個別、これら三点の連続して進行していく様は、遺伝構造のように連なっており、これらの連鎖の組み合わせで進化や物質の変化、転化が起きる。進化とは、種における時間の進み方であり、それはサウンドデュアルでもある。たとえば、植物と昆虫の共生関係などは、お互いの連なりながら進む連鎖の三点(サウンドデュアル)が重なることの量による質的変化(または質(一点集中)による量への転化)によって形成される。種の絶滅は環境や敵対種などの状況にもよるが、うまく他の種や植物との三点の内の一点が重なることが、種の存続となって来た。連鎖の三点の一点が重なる時が、本質の一端である。
なぜなに、と思うことを特殊にして、個別と普遍から探る。これによって、謎を明らかにする。
謎。不可解なことは、これを特殊として個別と普遍から見て行くのですが、これには必ず、習慣にしていることがあります。共通の習慣と、ひとつひとつの習慣から押さえて行きます。
たとえば、高カロリーの取りすぎ、砂糖などを取りすぎれば、太ってしまい、生活習慣病になり、他の病気を併発しかねません。特殊、に当たる部分は、根性ではどうにも出来ないことです。節度ある習慣が、これを制します。家にずっといて、テレビばかりでは、あまり良くないかも知れません。浪費グセがあっては、他人から信用を失うかも知れません。こういったことを律すること。これが大人であることの照明なのかも知れません。個人的には、太った人も好きですが。また、太っていても、相撲取りのような例もあります。柔軟に、ケスバイケスで見ていくことは、どこでも、必要であると考えます。
進化(サンデュ)とは習慣であり、習慣付けることの地道な積み重ねが、本質を打ち鳴らします。
存在は三次元構成であり、どちらかではなく、どちらもなのである。それは別のものでは無く、その本質は表裏一体、同じものなのである。

地道な積み重ねはすぐに結果の出ない、中長期策ですが、けれども、それは実に堅実なもので、急がば回れということもあります。

対立している概念は、両方が対(つい)となっており、どちらか一方ということだけでいいというのは、まったく新しい概念が確立していること。駄目なことは、それはいいことと両立であるということ。どちらかだけということは無く、それはまったく新しい進化をなくして、先は無いこと。時間が進む次元という空間の中で、その時間へと進化する。それがサウンドデュアルのスタンスである。

サウンドデュアルでは、対立概念をみっつに分けて、対立にとらわれずに、考えていく。
時間の流れは三点から放たれ、三点へと収束する性質があり、それによって常に進化の三点は爛々と輝いています。この三点はなにかをこの時間の中で探すことが本質への動きを表します。

蓄積がないものを最初から共通で見て行くと、なんでもかんでもおんなじに見えてしまうので、ひとつひとつ蓄積して、ある程度量がたまったら共通を見て行くと、混同しないですみます。

共通でばかり見て行くと、なんでもおんなじに見えてしまうので、ひとつひとつ見ていき、それがある程度量が貯まったら、共通を見て行きます。

ちなみに、地道に積み重ねることが量による質的変化だとすると、アバウトに、いい加減にやっていることは、質的変化なのだろうか。それは良く分からない。

相手の個性を感じた発言は理解となり、その逆は個性の否定となります。

結果しか見えない特殊(集合独自)を人はそのほとんどを左右することは出来ない。地道に個別と共通から押して行くことがもっとも適切と言える方法である。なぜこのくらい出来ないのか。それは特殊である場合もある。

個性はその人にしか無い本質であり、そこを理解までいかなくとも尊重したり時にそっとしておくこと。相手の話しを聞くというのも個性を認めることになります。個性は職業にもあり、作家は作品作ること。政治家は国を治めること。学者は研究して語ること。歌手は歌うこと。タレントは映ること。芸人は笑わせてなんぼ。ステレオタイプというか一般的にはこういうことが求められます。
相手の個性を褒めてあげよう。相手の個性を認めるにはまずダメだとか、相手をすぐに否定しないことがあります。すぐに否定しては、相手の個性は竦み上がってしまい、仕事も生活もうまくいきません。まれに命に直に関わる場合や人生の岐路に立たされている時は言うことがあります。また命の現場に立つ場合は厳しくなります。軍隊式やスパルタ教育などもあります。個性が伸びやかに生き生きとする時、自分と対峙する相手の個性は花開いていくと言えます。個性を大事にする人は仲間や家族から信頼されます。そして自分の個性も磨けます。これぞ一石二鳥いっちょあがり。
個性は作品にも歌にもなんにでもあります。ここを地道に見ていくことが、幸福とかいうことの道へとつながると思います。

共通性、普遍性、一般性は誰もが有している部分だと思う。これが時間軸から見れば未来であり、その可能性である。時間軸から見たら未来というものは今は無いと言えば無い。今現在に限った場合は固定化されてしまう。だから今現在だけのダメだしは非常に個性がすくみ上がってしまうのだ。では肯定か。肯定するためには過去を見ないといけない。今だけ見たらばかなことも、歴史や経過を見るとここがこうではないかと発見がある。そういったことの積み重ねが今現在の柔軟性を上げて行く。切羽詰まった時こそ、落ち着いて歴史を調べたい。

共通は時間軸得ては未来、そして論理学では理想である。特殊は時間軸を得ては今現在、そして論理学では現実である。個別は時間軸を得ては過去、そして論理学では実層(じっそう)。実層は実際に合ったこと。事実の時間的な地層。

人が得ている知識というものは、宇宙の人のその実層のほんの0.0001パーセント程度ではないだろうか。なんでもかんでも分かっているなら、タイムマシンは開発されていて、宇宙においては宇宙の果てまでとっくに行っていることだろう。人はちょっとした現実だけでまいってしまうので、あまり抱えず、とりあえずは棚上げしてから地道に対処したい。

否定というものは今現在が変わらないということ。それ自体は時間軸の固定化を示していて特になんでもないが、個性の伸びが無いという場合、その個性は固定化しやすく、柔軟性を失いやすい。実際には別の方向からなんとかなることもあり、時間をかけて見て行く。時間軸を得た否定は未来の否定で否定され、これを否定の否定と言う。まず個性を否定して、なにくそと負けまいとする姿勢へとうながす場合もある。否定は即効性があるので多用されるが、個性にはかなり負担となるものである。

否定とかダメ出しというものは大抵が人に共通する部分にしているもので、これは自分にも返って来る言葉となります。両者が変わる場面を提示出来ることが時間を味方に着けます。

サウンドデュアルは左右混合、対象性の螺旋進行、個性の伸び、否定の否定、進化といったことの概念運動です。これは対立などがあればその対立を螺旋することで平行線に時間軸を得ることが出来ます。平たく言えば仲良くなることが目的であり、みんなが家族のように仲良くなった時にサンデュはその役割を終えて、この概念式を越えるものが生まれると言えます。

個性の伸びをたまには休みましょうよ。たまにはこれで良かったのか、いまの自然の風を感じてみましょうよ。

たまには立ち止まって空を見上げてみましょうよ。

いつでもどこでもいまでも、いいものはいい。

時間が空間を作り出します。空間の量が人の自由となります。

楽しい空間を積み重ねる。この空間の中で楽しい空間を作る。この空間の中で空間を作り出す。
空間の量が自由であり、人はその空間に行動を左右されます。心ないことを言ってしまったり、してしまう。これは空間が無いから起こります。空間が無いから人は刑務所に詰め込まれたり、居場所無く彷徨ったりします。空間を作り出すこと。これが仕事であり哲学的な命題になります。もちろんその空間は自分もいられる空間でないと成立しません。役割としての上の人が変わっても空間が作られなければなにも変わりません。仕事かボランティアかそれはともかくこれがやるべきことになります。

いいものを積み重ねること。出来ないことは棚上げして出来ることからこつこつと積み上げること。

話しで空間を作り出す。歌で空間を作り出す。絵で空間を作り出す。映像で空間を作り出す。カメラワークで空間を作り出す。メロディラインで空間を作り出す。文章で空間を作り出す。踊りで空間を作り出す。建物で空間を作り出す。花が空間を作り出す。木が空間を作り出す。緑が空間を作り出す。石が空間を作り出す。アスファルトが空間を作り出す。コンクリートが空間を作り出す。プラスチックが空間を作り出す。電気が空間を作り出す。化石燃料が空間を作り出す。リフォームで空間を作り出す。音楽で空間を作り出す。光りで空間を作り出す。闇で空間を作り出す。熱が空間を作り出す。冷たさが空間を作り出す。空気が空間を作り出す。真空が空間を作り出す。平面で空間を作り出す。立体で空間を作り出す。平行線から空間を作り出す。雲が空間を作り出す。山が空間を作り出す。海が空間を作り出す。波が空間を作り出す。時間が空間を作り出す。空間が空間を作り出す。数が空間を作り出す。道が空間を作り出す。穴が空間を作り出す。ボタンが空間を作り出す。フィギュアで空間を作り出す。写真で空間を作り出す。ハードで空間を作り出す。ソフトで空間を作り出す。楽器で空間を作り出す。機器で空間を作り出す。家具で空間を作り出す。デザインで空間を作り出す。色彩で空間を作り出す。布で空間を作り出す。服で空間を作り出す。本で空間を作り出す。車で空間を作り出す。ネットで空間を作り出す。パソコンで空間を作り出す。破壊で空間を作り出す。再建で空間を作り出す。旅で空間を作り出す。歩いて空間を作り出す。ジェット飛行で空間を作り出す。宇宙に空間を作り出す。楽しい空間を作り出す。

こんなこと言ってはだめだよー。という時。表現の自由があるのになんで言っていけないのか。別段いいのでは。それが空間を作り出すものであるならばどんどん言って行きたい。それで表現が広がりを見せるならばいいと思います。とかなんとかね。

資本主義と社会主義、サウンドデュアルすればいいものにあなります。けれども、まったく新しい選択肢がなかったら、働く意欲もわかないってもんです。
資本主義と社会主義の変わりにカエルが宙返り2.5でも別段生活に支障はないだろう。人は気持ちの生き物だから、まあなんか納得出来るまで進むだろう。理屈がどうとかでなく。

英雄主義
歴史に残るような少数の人が世界を動かすというまるで小説のようなことを実際の世界にあると主張した主義、考え方。これはまあ多くの学者はそれは違うだろうということになっている。サンデュで見るならば、これは結果しか見えない特殊の部類であり、それは課程が見えないと言える。 サンデュはすべてのとらえ方や言葉というものは分類すること、対比することで活用出来るというスタンスでもある。
この状況の中で楽しさや幸福を探すことが人生の醍醐味です。




サンデュによる時間のとらえ方、そのひとつ。

現在、三次元、客観、(同一)時間軸。
普遍、共通、一般。
未来、四次元、主観、(無限)時間軸。
特殊、集合、新生。
過去、二次元、世界観、(限定)時間軸。
個別、蓄積、唯一。


過去の方向に歴史を紐解く、時間軸を得た分にはふたつの対比が有効ですが、同一時間軸の存在、いまを知るにはみっつの対比でないと十分には現実には通用しません。
このみっつの対比にもうひとつ加えた対比が未来を感じさせます。
ふたつの対比も単純ないま現在の問題提起には有効です。
ふたつの対比の場合は両面の提示が必要となります。
意見が聞けない場合はその立場のフォローを入れておくといいと思います。
国とかなんらかの事情によって一方からしか話せない場合はそれでもとりあえずは行きましょう。
これは客観の取り方であり、主観も大事なものです。
客観の取り方は究極には統計データのような味気ないものになってしまいがちです。
2006−9−15金曜日午前2時15分カキコ。 いまのみっつにひとつ加えて四次元という場合、よっつめのひとつは目標とかテーマとか方向性というもので、記すことは出来ないものです。
それは課程が見えず結果だけしか見えないことなのです。
2006−9−20水曜日午前2時44分カキコ。















共通個性、特殊個性、個別個性。
人における個性。人と人の違いを人はなにで認識するでしょうか。対比で認識するのはもちろんですが、それは入り口に過ぎません。その人がその人たる存在であること。それを認識するのはやはりその人にしか無い本質なのでしょう。個別、個人、個性。実はその人にもその人の個性はなんなのか一生を通して探すテーマであるとも言えます。一慨にこうだと言えないこと。だから時間という闇と光の風は人の気持ちを冷たく暖かく流れて行くのかも知れません。人の個性と個性の邂逅が話し合いとなること。相手の個性を感じた発言は理解となり、その逆は個性の否定となります。個性と個性が世界を開く、そんな世界を。その人はなにを夢見ているのか。なにを探しているのか。どこに居たいのか。どこから来てどこへ行くのか。





その人の夢(共通個性)。人の見る夢。もちろんそれは別個に違いますが、つまり未来を見ること。これが共通個性となります。ひとりひとりの個性に共通があるのも変な感じですが、ひとりひとりが未来を見ている視線というものがこれにあたります。


人の成長(特殊個性)。人が成長することとはなんだろう。それは出来なかったことが出来るようになること。たとえば技であったり勉強であったり話せない人と話せるようになったり。それはステレオタイプではあるが誰もが望んでいることである。成長は結果しか見えないことであり、それは課程が見えないものである。特殊個性というものはその個人の今、である。特殊とは今であり、結果とはつまりは今現在であるということ。


人の過去(個別個性)。
共通個性が未来、特殊個性が今現在であるのに対して個別個性はその人の過去となります。これはまさに別個の個性のさらに別個の時間の昔です。未来は時として無数にも思える線であるのに対して過去は一本です。故に人生における過去は時間軸の無数とも思える一本道なのである。





メディアがその個性を否定ばかりする時は注意が必要です。それがニュースであればその個性を攻撃するよう仕向けている可能性があるからです。ブログなどでは誹謗中傷の可能性があります。

でもねえ。否定も批判も悪口もセクハラもしない完璧な人間がどれだけいるだろ。会社とかだと何人かがチェックするというが、それとてねえ。なんでもいいとは言わないが、無菌された世界にどれだけ住みたい人がいるだろうか。とは思う。

否定と批判と感想。否定は今現在についてのダメ出し。批判は時間軸を得た過去未来を見据えた今現在について述べること。感想は思ったままに言うこと。否定はすぐに意味が伝わるが、それだけその人の個性には負担となる。批判は長い時間をかけて資料を調べてすることであり、とても時間がかかる。それでいて伝わるまでにも時間がかかることがある。感想はそのまんま。
通りすがりに時に面と向かって個性を否定することもある。お互いの個性の否定も一種の個性だとは思えないだろうか。お互いの個性を否定する時間を人は反映する時間もある。完璧な人はいない。絶対的な相手はいても自分が自分の中で絶対的であるわけではない。まあ悪口や否定が表現としてあるということかな。
なにを言ってもいいわけではないが、それだけの表現の場を持っている空間をその量たる自由を持ってるいる人がどれだけいるだろう。

人がなにに怒るかって前に話してなかったことほど怒ることはない。鬼の首を取ったようである。なので、なるたけ本人には伝えておく。紙とかがいいかな。これは気持ちの貯金のようなものである。伝えておいてももちろん怒られることもあります。はい。ごめんなさい。

歌にも個性がある。
絵にも個性がある。
世界にも個性がある。
ちょっとしたマイクひとつとっても小道具にも個性があり、なんにでも個性はあります。
まあ物品だと個別性と言ったほうが正しいかな。
その個性を尊重したり伸ばしたりすること。
これを変幻自在に地道にマイペース積み重ねることが仕事であり生活であり人生であるのかも知れません。

人の個性というのはまさにその人の過去の時間そのものであり、それを覆すことは出来ないまさにその人だけのものだからです。
だからあなたの個性はこうだねと言う場合、それはあなたの人生のここはこう育ってきたんだね、と言うのに近いものがあります。
と、これは共通個性の話しであり、個別個性としては名前による別個を指す場合です。

人の個性をとらえ、それを伸ばす。
もちろん物品とか世界にある人が線を引いた地域もそう。これは個別性。
これは一生のことで、あいてと自分と世界と物品などなど。
これはもう人生かけて、というかじみーなマイペースの積み重ねで。かなあ。
こういった個性とか個別性を伸ばすというのが遣り甲斐となるんじゃないかなと思います。

歴史は個別性である。

自分の相手の個性を伸ばすことが、競争に生活にその勝負に勝ちます。
批判はその個性を伸ばした場合だけ評価されます。

今現在はみんなのベストの結果。現実に敗北した部分は謙虚に認めたい。それから休んでから、また歩き出すこと。

歌の個性を伸ばす。絵の個性を伸ばす。映像の個性を伸ばす。写真の個性を伸ばす。文章の個性を伸ばす。番組の個性を伸ばす。声の個性を伸ばす。演技の個性を伸ばす。地域の個性を伸ばす。球技の個性を伸ばす。音楽の個性を伸ばす。楽器の個性を伸ばす。機器の個性を伸ばす。車の個性を伸ばす。表現の個性を伸ばす。空間の個性を伸ばす。時間の個性を伸ばす。柔軟性の個性を伸ばす。積み重ねの個性を伸ばす。自治体の個性を伸ばす。企業の個性を伸ばす。物品の個性を伸ばす。技術の個性を伸ばす。生活の個性を伸ばす。

個性を伸ばすのは肯定すること。平たく言うと褒めること。否定する相手すらも。けれども人は反抗期を過ぎると褒めるとなにか裏があるとする場合もあるので、まあ話を聞いてあげるだけでもいいと思う。そもそもいっぱしの大人ならば自分で自分の個性はそこそこ伸ばせるものであるのだ。状況に個性を合わせるよりはその個性を伸ばしたほうがいい方向性を見るとは思う。

二度と同じ時間は無い。その時間を大切にすごそう。

自由とは自分の本質を打ち鳴らすこと。

個性を感じよう。

個性を伸ばすことは相手のいいとこをひとつは見つけること。どんなだめな人間にだっていいとこはひとつあります。そして個性はお互い伸ばしてこそのもの。自分のいいところを見つけること。その積み重ね。それがいい生活、楽しい生活へとつながります。
生活の中で楽しいことを探す。たとえば風呂とかひとつの場所、空間でひとつ探すこと。散歩で探すいい空間。仕事で楽しいことを探す。通勤途中で本を読んだりする。なあんだみたいな話ですが、いがいとそこに生活の仕事の本質が隠れているような気がします。

人を見る時99パーセントはだめなとこを見てしまいます。いいとこは1パーセント。ひとつでいいので相手の自分のいいとこを見つけること。その積み重ね。いいとこを見つけることが相手のお互いの個性を伸ばすことになります。技術や考えの甘さにだめだしすることはあります。

対象性の螺旋進行。たとえばいじめて来る相手はこちらと同じかそれ以上に辛い状況が背景にあるということ。その状況をはらわなければ解決しないこと。嘘を言う人はその空間に無いものがあること。起きていることはお互いのことであり、どちらかを排除すれば解決することではなく、そういう状況の根本的な方向性を見る必要があること。
それでもまあ戦えと言われれば戦うのだけどさ。その人たちだけの空間、その量たる自由があればいいのだけどさ。なかなかそうはいかないよね。

もっとこうしてくれと言う時、みんないっぱいいっぱいの時ですからそれは安全性や質の低下につながりかねない。それよりはこうしたらどうだろうかというアイディアのほうがいいと思う。まずはみんなでアイディアを出してそれをまとめる。その流れでいいと思う。まあアイディアまとめるのも時間かかるけれどね。ヒントを出して考えてもらうのもいい。これはまあケイバイケスで。
こうしたらいいよと言うよりは、一緒に作業してこうだよと言う時。そのほうが覚える確率が高いと思う。逆にさらにこうしたらどうかという意見にも耳を傾けたい。

この状況を変えると豪語する人がいますが、そのためにはまずこの状況でも一生生きて行く方向性を見る必要があります。これによっていまある空間を認識して空間構成の方向を見ます。

過去は絶対方向性であり、未来は相対方向性、そしていまは全対(ぜんつい)方向性です。

悩みは現状をなんとかしょうとして生まれます。悩み過ぎて自分がくたばってしまっては元も子もありません。そういう時はなんともしない時間を持ちましょう。

完璧な会社員はいない。完璧な官僚はいない。完璧な宗教者はいない。完璧な会社はない。完璧な役所はない。完璧な集団はない。完璧な国はない。完璧なメディアはない。完璧な個人はいない。

個性の対比。個性は対比されると片一方の人は萎縮する。とは良くあることのよう。それはこっちを否定したらこっち肯定する場合。対比で両者の個性を伸ばすことも出来ます。

個性を伸ばすには一日ひとつお互いのいいとこを見つけること。その積み重ね。とんでもなくたいへんなことも時間をかけて良かったとこを見つけること。積み重ねはとは別の時間をかけることが積み重ねの固定化と柔軟性とのサンデュとなります。そのための気構えとでも言う気持ちのスタンスが場の変化となります。

昨日の自分を量で超える。それが限界ならば質で越える。それが限界ならば場の変化で越える。それが限界ならば質と量と場のバランスで越える。個性のバランススタンダード。2006-8-29更新。









客観
普遍、共通、一般。
世界観
特殊、独自、集合。
主観
個別、蓄積、唯一。


客観的には、物事というのは大半が仮説から成っていて、また情報というものは大半が仮定から成っていて、未来は大半が仮想から成り立って行くという立場。
主観とは私はこう思うというもの。主観的にはこう思っているが、それはひとりひとりにある私はこう思うという気持ちです。主観は人の数だけある個性です。
それに対して客観はそれが本当のことであるかずっと考えていくことです。たとえ常識と言われていることでもずっとそれが正しいの問うて行きます。はっきり言ってめんどいですが、まあ科学というものはこういったことの積み重ねです。地球は丸いのか平たいのか。宇宙の形はどうか。とにかくいろんな要素を加味してずーと考えて行きます。客観的立場というものはずーとこれは正しいのかどうか調べて行くことなので、非常に時間がかかります。というか時間あったらあっただけ客観的に調べて行くことなので一種終わりが無いとも言えます。
世界観は主観と客観が入り交じったもので、用はすべての人の考え方の総称とでもいいましょうか。まあ人の気持ち全部です。
主観、私はこう思うというのはどんなに根拠の無いものであってもそれは指標、灯台の光明になることもあります。未来は時々真っ暗に見えることもあり、一慨に主観だからだめということはなく主観もとっかかりとしては多くあったほうがいいものです。
たとえば客観的な状況を伝える報道に対してコラムのようなもの。




共通 時間。
特殊 貯金。
個別 個性を伸ばす。








空間
時間


お金を稼ぐとは空間の提供。ボランティアとは空間の確保である。この空間とは時間が形成された姿である。
その人と会うことが出来ないのは空間が無いから。
余裕がある時も無い時もそれも自分でしょ。
失望している自分も希望している自分も日常の自分も。
否定している自分も肯定している自分も否定の否定する自分も。








正義と悪の定義。
メディアでなにかを意図して作らない。エンタメは楽しいものを作る。報道はそれが正しいのかどうかは視聴者にまかせ、これが悪だとタイトリングしないこと。両者の意見、どういった経緯があったのかを歴史からひもといていく。いまだけを見て追求して行くことはメディアの信頼を失わせる可能性があります。相手がたとえ悪だとしても絶対悪としてタイトリングした時、それを制作する人たちが自由に悪を決めることが出来るようなものがあれば、メディアとしての信頼、意味、存在を問われます。第三者としての報道をしないのであればそれは公正な報道ではなく、制作者、それを持っている権利を持つ人の力になってしまいます。報道が第三の権力と呼ばれるゆえんです。悪の集団というレッテルを貼った時、それはひるがえって自分たちの立場というものも決めてしまいかねません。敵が敵を呼ぶ現実に客観的な報道がなければその言葉に誰が耳を傾けるでしょうか。
客観的な立場が魔女狩りやレッドパージなどの疑ったものを罰していくような、なにか良く分からないことはすぐに差別視されるような風潮にもつながりかねません。なによりも悪を討つような報道ではなく、なにが真実かを問いかける報道であってほしいと願っています。
嘘も千回言えば本当になるならば非難も千回言えば相手は悪になってしまうのか。それよりは相手が何者かを問いかけるほうが長い目で見ていいことになると思う。
悪は常に経済運動に見るべきであり、なにかのジャンルや技術、特定の人種や考え方に求めるのは危険なゲームです。
正義と悪の定義を示すのは経済の組み合わせである。
主観ではそう感じたからであるが、これが客観であるならば経済がどう組み合わさるから悪であり、また正義であることを示す必要が悪と正義の定義には必要である。
2006−9−22金曜日午後10時25分悪は常にのとこからカキコ。
コラムやブログというものは客観的なデータを元に主観による見解を示すものであり、これはこれでとても大事なものです。
幾ら客観的にこうだという話でも、数式がつらつら並んでいたらそれはそれで味気ないって話でしょう。
まあ数式でも相対性理論からアインシュタインロマンを感じることもあるけどね。
2006−9−23土曜日午前3時11分カキコ。
























左翼と右翼と中立
右翼と左翼の分類は心の国境線であり、物理的には全物無料まで、これが解消されることはない。それまでは一般的に言う人間愛しか、ない。



二律背反(にりつはいはん)
矛盾すること。こちらを立てればこちらが立たず、それは、どちらも大事なことなはずなのに、両立する道がない場面。それは否定の否定(化学的には進化とも言える)する場面でもあるけれど、否定の否定するだけの理解への時間がとれないこともしばしばである。









絶対正しい意見

反発する意見

それらを和解させる意見


たとえば、エーテル論争でアインシュタインが論したように。
たとえば、地球が太陽のまわりをまわっているか、その逆か。
たとえば、古代ギリシャの哲学者が月が平たいか立体かを論じたように。
たとえば、ニュートンによる重力の発見のような。









全物無料

話し合い

気持ち








純粋哲学
利用性は考えない、考えるための哲学。

対となる概念に見えない接触点をNと見る。


現実
個別、蓄積、唯一。悪。鉄。月。
理想
普遍、共通、一般。愛。木。地球。
N(えぬ)または成
独自、集合、特殊性。今(特殊性なので課程は見えない、結果のみ)。花(結果)。太陽(結果)。


まず現実は良く分からないことが多いので、 経済運動によって起きているという仮定を立てる。
それによって、現実との距離、方向性、向かう態度のバランスを取る。2006−8−30かきこ








純粋数学
数式。
純粋哲学
上昇螺旋。
N(えぬ)
宇宙。


純粋数学は数式が先にあり、それがなにを示しているのかわからないことから始まる。いくつかは物質運動を示すものとして使われている。








JとF

YとE

PとQ









点と面

旋と問


丁と方










肯定と否定と否定の否定。

肯定
物や概念、他人に本質があることを見ること。

否定
物や概念、他人に本質がないことを見ること。

否定の否定
物や概念、他人の本質を本質だと見ること。


肯定という気持ち。
肯定とは、好きなことや、気持ちがいいこと。
苦言を呈するという、厳しい肯定もある。
否定とは、嫌いなことや、嫌な気持ちのこと。
あなたはいい人だと、恋愛対象でないことを示す、やさしい否定もある。
肯定的な気持ち。
あるがまま受け入れる。祈りなど、こういった肯定的な気持ちを作り出すことを信仰の一面に見ることが出来る。
信頼は他人に見る肯定的な気持ちであり、信じる気持ちは始めて知る気持ちである。
ポジティブシンキングというものがある。肯定的な気持ちが持続すればリラックスして、ストレスが発散するというものである。これは好きなことを肯定したほうがより効果がある。

否定という気持ち。
反抗心や反発する思い。
ない、または出来ない事実を告げる場合もある。
新聞の文面や有名な先生の言説でも、嫌な気持ちになることがある。これは労働と賃金の交換から来る場面である。
肯定の反対。
恐怖も否定の一面と言える。
否定には、悪口や疑いや絶望などが含まれ、あまりいい印象のない言葉ですが、人の進む方向性の中で、とても重要なひとつの概念である。
相手を否定しつつその相手を笑わすことも可能である。
否定とは、相手の存在の本質を否定することとイコールではないのである。
否定されることは、とても自分にプラスになることのほうが多いのである。
怒る前、その言葉に感謝したい。
本当に否定するならば、考えさせることさえしないはずである。
それでは亡くなった人を否定されたらどうするのか。
それは否定の否定で多く述べたいが、亡くなった人への否定は、否定の否定することがたやすいのである。
そして、それは生きている人の特権でもある。
本質は本質として普遍でり、個別であり、特殊なのであるから、その否定を否定することは、いわば、否定の否定に力を得ているのである。
否定されたほうが、否定の否定はたやすいのである。
蓄積された批判を次のステップに変えることが出来ると言ってもいい。
絶好調の時は、そんなステップすら必要ないのだが。
否定は否定だけの概念ではないのである。
否定だけでも、ひとつの概念であり、また、それが否定の否定につながる力でもあるのである。
悪口や誹謗中傷すら、否定である。

否定の否定という気持ち。
その服は変えたほうがいいのではと言って、その人が服のセンスを変えてきた時。
肯定と否定が基礎であり、否定の否定が応用となる。
心が躍り出す瞬間。
涙。
希望と夢。
否定と肯定の平行(進行)展開。
正に始まり、反に対立して、合に合わさる。この合に当たるのが、否定の否定である。
責任というものは否定的な響きだが、その問いも答えも否定の否定である。
内と外の循環がみっつ続く場面。
否定の否定が出来るということは、いつでも本質の展開が肯定の方面からも、否定の方面からも出来るということでもある。
否定の否定出来れば、否定したい人は否定出来て、肯定したい人は肯定出来る。
好きな選択をしていいのである。
葛藤は肯定と否定のはざまである場合が多々あるが、否定の否定はその状態でもリラックス出来、その葛藤を考え続けることも可能である。
まず、どちらも肯定する。また、どちらも否定する。これだけでも葛藤を先送り出来るのだが、そこから両方の共通点を見つけることで、問題点を浮き彫りにすることも出来る。
問題点さえ見えれば、対策は立てることが出来る。
否定からも、肯定からも、否定の否定することが出来る。
気持ちの中性、ニュートラル、つまり落ち着いた気持ちには、気持ちの走り込みが必要である。
ゆったりした人への対応にも、気持ちの走り込みがたいせつである。
これは気持ちの否定の否定である。




否定的な意見とはなんなのか。否定は個性を伸ばすことに対しては非常に強力な力を持っています。否定するということはそれだけ相手に協力するということになります。強い力を持つ相手は強敵を持つことでさらに強くなる。では敵対する同士は仲間なのかというと否定の視点から見ればそれは間違いなく強力な仲間と言えます。ただ、否定ばかりするということは相手を壊しかねないものであり、スパルタ的な個性の伸ばし方は非常にお互いを破壊する方向性を見ることがあります。これを持ってスパルタ、この場合は相手を否定しまくる方向性を取る場合はとにかく力で押すもので、あまり技術的なものではないかも知れません。否定がいまだけ見てそこを直にだめだしするということに力点を置いており、それまでの時間の流れ、歴史はどうだったのか。それは有史以来どういうことなのか。似たことはなかったか等々。そういったことは提示しないでお互いにダメだしする。これは非常に辛いことです。いわば否定することはカンフル材であり、車にターボ飛行機にジェットかけますが、それは長いこと続けるにはお互いに急激な伸びをする反面、非常に負担の大きな個性の伸ばし方なのです。
これに対してお互いを認めてから話していくということは非常に時間がかかり、ゆっくりとしたものです。
労働新聞は大企業に対して直に提言したりします。はっきり言って否定です。これは労働と賃金の交換がイコールお金のやりとりでもあり、非常にシビアな話である点があります。これはその会社はどうであったのか。その経緯、会社とはどうあるべきか。それよりも直にすぐにいいから賃金上げてとストレートに言うことに最大の意味があります。もちろんもう少し距離を取ってその歴史から提示出来ることを言うこともあります。こちらはとにかく時間がかかります。本で書かれることが多く時間をかけていきます。それはなにせ歴史的な長いスパンで見た場合、賃金が上がればオッケイ、休みが増えればオッケイとは必ずしもならないからです。賃金はどういったことから始まり、どう終わるのかを見て語ります。なのでとにかく時間がかかるのです。

肯定と否定をサウンドデュアルすることもあります。これは平たく言えば存在のサウンドデュアルですが、つまり否定の否定と言えます。






●●●2006−11−14火曜日午後2時10分カキコ。●●●
否定と肯定。
物事の否定というものはケスバイケスとはいえ大抵絶対の方向性を見ること。
たとえば質を下げないと言えば、それは流動する時流に対して否定となること。
いきおいがあればそれだけのことを維持出来るが、それはかなり長い時間や発展段階を過ぎると息が切れること。
これに対して肯定することも大抵絶対の方向を取ること。
もちろん比較的穏和な感じはあります。
これはどちらかということが、絶対の方向性になりやすい傾向にあります。
そのコントラストが相対的な対比(ツインサウンドデュアル)。
または否定の否定、ひるがえりならば、サウンドデュアル、バランススタンダードになります。
ただ、いつも身構えてバランススタンドードするぞーとかやっているとそれはそれでたいへんだよね。
条件付きとか言う場合はツインサウンドデュアル。
ケスバイケスであり、肯定や否定のように、即イエスノーのほうが単純明快という良さがあります。
難しい場面では、こういった場合はこうするという条件付きが多くあります。
ひるがえった場合は、それがバランススタンダードとなります。
大抵はワンとツインのサウンドデュアルで足ります。
サウンドデュアルまで必要となると、世界規模のことになります。
話がずれていてあわねーなーという場合は矛盾しているということ。
それが主観と違うならばワン、客観とならばツイン。
サウンドデュアルします。











感受性。
感受性とはなんでしょうか。
それは感じたことが気持ちに定着すること。
もうちょっと平たく言うと、好きなことや楽しいこと。
植物を育てるのが好きな人。
自然散策。
車やバイクを走らせのが好きな人。
映画やテレビドラマが好きな人。
これらは趣味と呼ばれます。
イスをひくこと。
ドアを開くこと。
そんなちょっとしたことでも、感受性はひらめくものです。
情操教育と言われるものは、こういった感性を育てるものです。
数学の先生が数式を解くのは楽しい。
この一行の数式にとても大事なことが書かれていると言います。
それは本当でしょうか。
国語の先生がこの漢字の由来はこうで、この漢字にはとてもおもしろいことなんだと言います。
それは本当でしょうか。
テレビゲームをする時、その内容が問題になったりします。
敵を倒す感性が育ったらどうするのか、と言うのです。
性にも厳しい意見が言われます。
エッチな感性が肥大して、淫乱になって、エイズになったり、子供を下ろすことになったらどうするんだ、と言うのです。
文章を読むのが苦手な人が、小説を読むのが好きな人を不思議そうに見ています。
雲を見て、感受性がひらめいたという人がいます。
人工でも自然でも、吹く風を感じて感受性がひらめいたという人がいます。
掃除や整理整頓が好きで部屋がきれいな人。
そんな感受性はなく、部屋が汚い人。
感受性が否定の否定される時、そんな時を感動とか、愛とか、夢なんて言う人もいます。
あなたはなにを感じましたか。
あなたはなにが好きですか。
それはなに気ない、たいしたことのないことなのかも知れません。
それでは。








考え方のリズム
ボクシングなどでリズムを覚えるのに縄跳びを使ったり、ピアノではカチカチ鳴る機械を使ったりする。哲学では物事をみっつにとらえることの量によって、自分のマイペースをつかむ。










絶対本質
一方向の質と量と場。生成。個別、蓄積、唯一。

相対本質
双方向の質と量と場。発展。普遍、一般、共通。

全対本質
全てと向かいあう質と量と場。没落。特殊、独自、唯一。


2006−10−28土曜日午後10時47分カキコ。
絶対と相対と。
絶対に年功序列はだめ。能力主義はだめ。
社会主義はだめ資本主義はだめ。
合理的はだめ無駄はだめ。
どちらかだけの方向性を見る場合に、それは絶対の方向となります。
いきおいのある会社だったり役所だったり個人だったりしたらば絶対の方向でもかなり伸びます。
けれどもある程度年を取ったり発展段階を過ぎた時にはそれだけでは立ち行かなくなってしまいます。
この場合は両方の視点からのコントラストとケスバイケスにバランスを取ること。
これだけでぐっと選択肢が増えたり、資金繰りが良くなったりします。
もろちんいきおいで行けるならばそれでもオッケイです。
たとえば無駄というものは合理化の逆、まさに経営には悪です。
けれども無駄には多くの新しいことの芽が潜んでいます。
会社が決めた仕事だけを社員に押しつけるならば、その社員は機械の歯車になってしまうかも知れません。
そうではなく、社員や平役人や個人に無駄な時間を与えること。
その人なりに工夫出来る時間を与えることが、会社や役所に新しい風を吹き込みます。
絶対の方向性はワンサウンドデュアルですごいいきおいが出ます。
新人やいきおいのある出て来たばかりの会社などには良くこれがあります。
それは生まれ出るにはこれだけの力が必要と言えます。
けれども発展段階に移る至ってツインサウンドデュアルへと以降います。
つまりどちらもの要素を加味してそのバランスを取ること。
これが出来ないと続いて行きません。
梃子(てこ)入れでワンサウンドデュアルで行く時もあります。
これはかなり奇をてらうことが多いもので、きわどいものです。
一定認められた存在であれば、ツインサウンドデュアル、二方向から来るそのバランスを求められるものです。
そしてすべてに共通の全対というものがあり、これはサウンドデュアルになります。
サウンドデュアルは三方向性であり、その角度の変化、推進によってあらゆる角度、あらゆる面、あらゆる対をとらえて行きます。
ここまで出来れば達人とかプロとか呼ばれる人になります。
まあ個人的にはそこまでしなくてもいいとは思います。
結構みんな頑張っているので、そこまで完璧を求めなくてもと思います。
いやまあいい加減とのコントラストそして……。
まあそこそこ。


2006−10−28土曜日午後10時47分カキコ。
凡人と天才と。
だめだろと相手にだめ出しするのが凡人。
ひるがえってそれは自分の力不足だと思うのが天才。
そのコントラスト。
それをとらえているのが神様と呼ばれてしまうかな、おいおい。
ワンサウンドデュアルが個性の確立。
ツインサウンドデュアルが仕事の技術の確立。
サウンドデュアルが悟っちゃっていますの確立。


バランス、アンバランス、バランスサプライズ。











騎士、武士。
生成 君主中心に市民のために敵と戦う。

軍隊、兵士。
発展 民族中心に市民のために敵と戦う。

自然災害、人災、金災、災害士。
没落 個人中心に市民のために災害と戦い、市民と向かい合う。








サウンドデュアル


双方向の混合(普遍)。
相対の相対(個別)。
相対の平行展開(特殊)。

サウンドデュアルの対による方向性。
絶対方向が点であるのに対して、相対は双方向であり、その平行展開が出来る。全対はすべての相対線による絶対点を結ぶ全双方向性である。

サウンドデュアルの生成。
みっつのテーマを作り、それを当てはめていくことで、結果や過程、始まりを見いだす。

サウンドデュアルの発展。
みっつのテーマを変えていくことで、結果や過程、始まりがどう変わるのかを見ていく。

サウンドデュアルの没落。
みっつのテーマが形成され、それが概念として定着した時。


サウンドデュアルというか組み合わせは楽しいので、どうしても寝不足になりがちです。
比較して眠っていないようだったら睡眠はたまにはぐっすり眠りましょう。
2006−9−15金曜日午後3時52分カキコ。







簡易弁証法によるサウンドデュアルとは
テーマにおけるサウンドデュアル
テーマをみっつにしぼることで、簡潔にまとめて論ずることが可能。要素は膨大にあり、そういった無数にある場合にさらに力を発揮する。けれども、これが万能ではなく、ひとつのとらえ方なので、これが絶対になっては、柔軟性が失われる可能性がある。
本質への転化へのサウンドデュアル
場における量による質への転化、または場における質による量への転化。これをみっつのテーマで進めることによって、本質を運動させ、現実へ展開すること。空間はみっつの次元から形成され、みっつの空間を確立させ、それを進める、運用することによって、本質を響かせる。
平行線を螺旋することがサウンドデュアルである。
いまある概念を進化させること、概念進化がサウンドデュアルである。
概念および現実の否定の否定がサウンドデュアルである。
サウンドデュエルは、宇宙の進行方向、その場、空間が三次元構成されていて、空間が進化する時、三要素が揃い、それが旋回する時に時間は進むという前提、立場の元、これまでの空間とはなにか、いま、必要とされる空間を提示するために、思考旋回するための考え方。
良いとこ取りと言われる物は、総合的なまとめ方であり、その整合性、バランスがとても大事になります。サウンドデュアルを習慣付けて、地道に積み重ねて行くと、バランススタンダードとなり、それは世界基準となります。混合、融合と呼ばれることもあるサウンドデュアルですが、一定数(3が多い)に分類して行くことや、なにを積み重ねるべきかを見極めるためのとらえ方、というのが一般的な使い方です。万能では無く、けれども、それが花開く時、カタルシスとなる時は、とても大きな力になります。








2006−10−29日曜日午後10時3分カキコ。
サウンドデュアル。


サウンドデュアル
普遍、共通、一般。世界観、世界基準、世界的な基礎。バランススタンダード。三対から発する全方向性。全対。

ツインサウンドデュアル
特殊、集合、新性。客観、色彩の濃淡。バランスコントラスト。対による双方向性。相対。

ワンサウンドデュアル。
個別、蓄積、唯一。主観、濁点。ハイエンドバランス。一対による直進性。絶対。











平和のサウンドデュアル

普遍、共通、一般。
衣食住、医療福祉の無料を土台とした全物無料。
特殊、独自、集合。
労働と賃金の交換による確率による結果。
個別、蓄積、唯一。
平和運動。


衣食住、医療福祉などの生活基盤を地道に積み重ねること。この日々の積み重ねが、平和な時間を作り出します。








戦争のサウンドデュアル

普遍、共通、一般。
搾取率の上昇。
特殊、独自、集合。
労働と賃金の交換による確率による結果。
個別、蓄積、唯一。
生活不安。



生活にある色彩と旋律。その多彩さが平和だと思うので、これだけすればいい、というのは、固定観念に陥りやすい。たとえば、賃上げだけ声高に叫べば平和かというと、そうではないと思う。








空間形成における否定とはなにか
その人の存在、または存在理由を否定すること。また、その方向性を見せること。
きわどいことや、どぎついことを言うことは、存在の否定ではないが、結果として、揶揄してしまう場合もある。
その人の存在を確立しょうとして、否定することもある。
人が四苦八苦する本質のひとつ。
存在は本質そのもの。
存在を概念肯定化、サウンドデュアルすることは、本質の本質、否定の否定である。
存在の否定、本質の否定、空間の否定。(生成)
概念肯定化、否定の否定、空間形成。(発展)
存在の確立(量の質)、本質の確立(質の質)、空間の確立(場の質)。(没落)









否定の否定
絶対否定 相対否定 全対否定
絶対肯定 相対肯定 全対肯定
絶対定連 相対定連 全対定連
絶連    相連   全連

絶連(ぜっれん)、相連(そうれん)、全連(ぜんれん)はそれぞれひとつひとつが否定の否定のひとつの定型である。

絶連
個別連関。生成、否定の否定。
相連
普遍連関。発展、否定の否定。
全連
特殊連関。没落、否定の否定。

断続は力なり。連関はつながる、続けるという意味あいです。









経済のサウンドデュアル
統制経済  普遍
解放経済  特殊
個人経済  個別


統制経済は政府による規制や補助など。解放経済は民間主導による企業競争による結果しか見えない経済。個人経済は個人レベルの買い物。これらがサウンドデュアルして、市場経済は回転している。
計画経済は生活において、必要最低限のことを提供することを目指す経済政策であり、これは、もうけは度外視している。








進化のサウンドデュアル
積み重ね  普遍 場
確率    特殊 質
組み合わせ 個別 量


つまり、個別、個体種に共通することを積み重ねて見ていけば、進化というものの特性、その本質が見えてくる。
2006−9−10日曜日個別のとこ共通を組み合わせに変更。質と量と場を追加かきこ。







生きるサウンドデュアル

人の話を聞くこと    普遍
部屋の整理が出来ること 特殊
一人遊びが上手いこと  個別








2006−10−3火曜日午後11時21分カキコ。
いい人・好かれる人。

無視しない。
愚痴らない。ため息をつかない。
話を聞いてくれる人。


いえいえ、滅多にいないからいい人はいいのだす。









主観旋
自分の視点で他人を見る。
客観旋
第三者の視点で他人を見る。
世界観旋
世界視野で他人を見る。








減点法 −方向
加点法 +方向
続点法 =方向


減点法は批評や評価の時、悪い面を提示すること。これには、枠が決まっている時により有効であるが、評価される側には厳しく、残って行く人は厳選される。少数精鋭への選別となる。
加点法はいい面を提示すること。甘やかす点はあるが、より、相手の長所を伸ばすことがある。かなり時間を必要とする評価方法である。
続点法はそのままでいいということ。続く時間そのものの提示。
これらのサンデュが批評の場を形成している。
悪いと言われることは経済運動の引き戻しと見ることが出来ます。2006−8−30かきこ


2006−10−28土曜日午後10時21分カキコ。
批評とは。
たとえば自分の言いたいことだけ言うこと。
それはまあ個人の意見を言うということ。
主観とか感想とか。
では批評はなにかと言うと、自分の言ってることがひるがえって自分や自分が所属してる集団や共通としての世界などに当てはめてみても意味を持つことであるかと考えてみることが出来ること。
これが出来て批評や客観として成立します。
そのコントラスト。
ふたつのさじ加減はツインサウンドデュアルです。
もちろん一方だけの概念で行くのはワンサウンドデュアルとなります。
それはケスバイケス。
世界基準に通用するものまでに高めるのがサウンドデュアル。
まあ普段生活していてそこまでは必要ないのかも知れません。
さてね。










バランススタンダード


質と量と場(空間)、あらゆる面でその本質が秀でていること。
それによって、その技術は一般に基準とされること。
たとえばコストで言えば、高級であったり、安かったりする。コストにすぐれていること。
量産出来る物であったり、これ一品、限定品であったりする。
質がすぐれている物。
これらがそろった時、本質は歌い始める。
単純に言えば、バランススタンダードとは国際基準、世界基準であるが、本質の基礎とも言える。








愛と仕事についての一般論


普遍
家族愛、仕事。
特殊
独占愛、労働運動。
個別
利己愛、趣味。








本質における価格とは


物価
普遍、一般、共通。
硬貨価格
特殊、独自、集合。
人材価格
個別、唯一、蓄積。


さて、車の値段が半額になってしまった。これは消費者にはうれしいことかも知れない。けれども、経済的立場から、それはどういったことが起きるのか。車の物価は半分となり、これにより、それを作っている人たちの価値は下がり、人材価格は安くなり、車の企業には、たとえ人手不足でも、人を雇うことは出来なくなる。硬貨の価値も終いには外国から低く見られてしまう。もう恐慌。とゆうのは、悪い場合。けれども、半額にすることによって売れて売れて仕方ない場合、人手は足りないことは正当化され、人材価格は企業にとって、高くなる。結果として、コストはすぐれており、あの国はすごいと、硬貨の価格は上がる。これは単純化した話で、現実には、無数の経済運動によって決まるため、こう、とは一慨には言えない。けれども、経済のとっかかりは多いほうがいい。塵も積もれば山となる、である。








貯蓄と経済と生活不安。


税金
普遍、共通、一般。
投資
特殊、独自、集合。
貯金
個別、蓄積、唯一。


株の投資で一日何百億を動かすのと、毎日貯金を続けるのとでは、その本質には、リスクは同じである。株の投資では、一挙に失うリスクがある。毎日の貯金では、生活に困窮して、失ってしまう可能性がある。これには、根本的対策が必要で、それは別に大したことではない。借金の抵当に入らない、生活に必要な最低限の財産を保証する。それは国であり、企業であり、個人が、である。これが確立されることは、生活不安を著しく狭める。税金も、各国は借金国に対して、これに習う。
株への投資は、地道な積み重ねも可能。生活に必要な貯蓄を使って行く量が、株の博打、賭博性を上げていきます。株は本来、会社による資金調達、株主の会社バックアップなどの目的が一般としては考えられますが、実際には、株の特殊な一面が大きく取り上げられています。これはまあ、特殊というものは確率によって変動変革するので、ここに注目が集まるのは別段、株に限ったことではありません。
株取引をする人をトレーダーとか呼んだりします。株で商売することは、店舗を必要とせず、元手も比較的少なく商売を始められる利点があります。けれども、確率によって結果しか見えない商売は、お客さんとのやりとりが無いため、ちょっと物足りないかも知れません。
株でもうけるならば市場が下落した時に買う。特に大きく下落した時。そういう時に自分の好きな良く聞くブランド会社の株を買う。自分が好きな会社ならば興味を持って株を持っていられることが多い。これをずーと持っている。それで高くなったら売る。その繰り返し。あほみたいなこと言ってと思うかも知れないが、地道に勝つ地道とはそれは自分の柔軟性による場の変化しかないに違いない。とかなんとかね。
なんで株は下落するんでしょうか。ひとつには経済運動が波としてあるから。もひとつはこっちが有利だと言う情報にみんな群がるから。もひとつはお金が無いから株を換金してしまうから。いくつか書いてみましたが、まあ無数にあることではあります。お金がないから換金するというのは情けないような気がしますが、誰もが何千万何百万もの金を株にし続けておくのはたいへんな根性がいることなのです。株の勝負が根性で決まるなんてなんとも変な話しですが、ひとつの一面を表してはいます。








反映論
人の行動は本質を反映する。いや、あらゆることは本質の反映であると言える。また、現実に湾曲されていることは、認識しにくい。本質を捉えるには、地道な積み重ねである。

労働創造
利益は株に代表されるように、確率の強いものや、状況に左右されるが、基本は、労働した時間に比例すること。

バブルとは
統計や株、地価など、いろんな情報が経済にはあり、それを参考に経済政策、経営などを行う。けれども、バブル状態では、数字が実体を表していない事態になり、どういった経済状況なのか、把握が難しくなる。これによって、バブルがはじけた時、実際以上の負担を負う危険に見舞われる。

習慣におけるサンデュとは
生活習慣病のように、高いカロリーの摂取のように、健康害悪の例や浪費グセというように、習慣付けとしては、良くない場面もあるが、いいこと、こんなことがいいに違いない。そんなことの習慣付けによる積み重ねが、本質への近道であり、幸福の貯蓄たり得ると思います。

パソコンの情報を守るには。
まずネットにはつながないパソコンを用意して、そのパソコンには外部からデータを持ってこないこと。一方通行のパソコンであること。データ移動もDVD−Rという一回だけ記録可能メディアという使い切りのものをファイナライズ、上書き禁止してから他のパソコンに持って行く。とはいえ絶対に安全な情報などはありません。それに近いものとしては話し合いをすることです。国家間、企業間、個人間の話し合いによって風通しが良くなれぱ信頼が情報を守ってくれます。直の話し合いだけでもなく、間接的な伝え方でもある程度は風通しは良くなります。

科学的なとらえ方。
科学的に物事をとらえるには、因果関係を示すということがあります。どういう始まりがあってどうなっているのかの提示。通説が正しいのかどうか、それは事実なのか原因の究明がなされます。始まりがあって課程はこうでこうなっていること。特殊な事例では課程が見えない場合もあります。物事の始まりと結果はつながっていること。ひとくくりであること。別個に見たり全体を見たりします。そうして本当はどうであるのか、当たりを取って行きます。

相対性と絶対性。
たとえばサウンドデュアルは絶対だ、いやいや絶対間違っている。これは柔軟性に欠けた見解と言えるでしょう。科学的時間をかけてその真偽を調べて行く。正しくてもそれはニュートンの重力方程式のようにこの範囲では有効だが、この範囲では正しくないということがあるかも知れない。慎重に調べていく必要があります。現実には絶対というもの自体がなにかが問うて行くと見つからないものです。それよりは相対のほうが見つけやすい。これは人の認識の仕方が相対でないと難しいこともあります。また考え方が固定化されると柔軟性が失われる可能性もあるため、一般に嫌う傾向もあります。

人の心の平和。
人と付き合う以上他人の話を聞かない時はありません。10分でもいいので、身近な人の話を聞く時間があればいいと思います。相互に話しをする場合もあります。また、こちらの話しを聞いてもらうこともあります。

分野別に求められるものとは。
たとえばニュースでは事件事故、生活に関する報道が求められます。これとは別に政治の報道。働く人の待遇を示す労働新聞。株価や産業の動向たる経済ニュースなどがあります。もちろん伝える内容は千差万別ですが、基本的に求められるのはこんなところです。この他にも文学新聞やおもちゃ関連の新聞、お笑い新聞など、それはもうなんだかそのジャンルの数だけありますが、これはあまり見かけたりはしません。
ニュースは真実を加味無く伝えることが求められますが、週刊誌などは場合によってはおもしろおかしくまたは伝聞で伝えるので、かなり反発もあります。さらにスポーツ紙だと内容関係無くもうお笑いになっていたりします。








安全、安定、安心における習慣


悠久の自然を感じる。
普遍、共通、一般。
たまには、ぐっすりと眠る。
特殊、独自、集合。
静かな時間の中で、読書する。
個別、蓄積、唯一。

自分がやばいなと思ったら、テレビ、ラジオなど、音系はやめておいて、静かな時間の中で、読書します。こういった時間が静かさを自分の中にチャージします。うつな気分、なにか物事をすべて否定的にとらえてしまう時、そういう時は、重い話はとりあえず置いておいて、静かな時間を積み重ねます。こういった時間を自分の中に貯蓄しておけば、いざという時、動けます。積み重ねることは、とても時間がかかるわりには、いますぐに力になるわけではないので、長期策として、いろんなことを自分で模索していることの積み重ね。こういった、積み重ねの習慣が、自分の本質を磨くことになると思います。
人からのダメ出しを出されることや、自分で自分にダメ出しする。そんなこともストレスになります。仕事であれば、こういったことをという改善要求、生活への欲求、人生での哲学。どれものっぴきならないことです。なんでもいいじゃないのと笑っていられたらいいのですが、それがなかなか出来ない人生でもあります。ダメであることはそれでいいこと。それをなにかの積み重ねで改善出来ることのヒント。それが、上手く生活するコツです。
労働と賃金の交換が行われる限り、医療や生活出来る場所などの生活基盤は破壊され続けていく。これが生活不安の本質であるが、これを立て直してるのも、また人であり、生活基盤を構築し続けている。生活基盤を構築するには、地道な積み重ねによる、時間の構築から始めることである。
出来ないこと、考えるに無理なことは棚上げしておいて、出来ることを探して、地道に積み重ねて行きます。

無理をしないことの積み重ねが、自分の中の理りをつないでいく。









イデアに対する三点
趣味や商売に対するアイディアは一日五個。
生活や恋愛に対するアイディアは一日十個。
謎や不思議に対するアイディアは一日十五個。


たとえば恋愛。なんでも恋愛に結びつけるのは、短絡的だとは思うが、女性の髪型が変わった時に、可愛いと褒めてあげたり、今日は靴が違うね、と、言わないまでも、小さなことに気づいてあげることの出来ること。これは女性にも言えることだが、気を使ってもらうよりは、気のつく人のほうが、いい感じがするものである。これは商売にも言えることで、気のつく人は、いい商売をする。結果として儲かるかどうかは別として、いい仕事をする人はいいところに気がつくものである。いい学者は、いい謎を見つけて、それを解明する。どこに着眼点を得て、どういうことに時間を使うのか。それが問われる場面というものがある。好きこそものの上手なれ。けれども、自分が好きなものはなにか、他人が好きなことは、みんなが好きなことはなにか。これが解る人は、とてもいい人である。








生活と死のサンデュ

生活   普遍
死    特殊
生活不安 個別


生活の不満や不安も改善が必要なのは同じだが、生活不安は独力では改善出来ないさらに重いケースの場合を言う。








受け手と作り手の形成質の方向。


とりあえず(見て)読んでみる。
普遍、共通、一般。
視聴率
特殊、独自、集合。
受け手の声
個別、蓄積、唯一。








対策のサンデュ


普遍、共通、一般による対策。
あらゆる共通対策なので、全体的に効果は上がるが、これは幅は極々小さい。

特殊、集合、独自による対策。
確率による結果しか見えない対策は、当たれば大きいが、確実性に乏しい。

個別、蓄積、唯一による対策。
地道にひとつひとつ積み上げていくので、確実だが、これはもう毎日の生活と同じ、何気ないことの繰り返しでもある。塵も積もれば山となる、で、目に見える変化は無いが、何年もの長い目で見れば変わっていることである。
たとえば、労働と賃金の交換の対策のために、仕事の量を減らす、など。








集中する個人的な現実とは


その個人の生活不安。
普遍、共通、一般。
現実の視聴。
特殊、独自、集合。
個人の思い。
個別、蓄積、唯一。


個人的な現実の話をする時は、戦争にも似た、すべての人の加害者意識に配慮する。実際に罪とはまったく関係の無い人でも、その思い入れから、力になり助けたい思いから、約束、加害者意識に似た気持ちに達する。これには、慎重な対処が必要である。個人的な現実の一端として、不可解に思えることも、その個人を助けることの一点において、共通している。助けようとする個々人への助けは唯一。共通の対策としては、その個人の生活不安を払拭して、安全であることを地道に示していく必要がある。
集中する個人の医療福祉、衣食住を保証する。これは他の人たちと変わりない。普遍、共通、一般。個々人の思いは、話を聞いてもらったり、日記に書く。エンタメドラマもいいが、この場合は他の人たちにも共通するように作りたい。ブログなどもいいが、彫刻や焼き物に思いを込めてもいい。個別、蓄積、唯一。これらが習慣となって積み重なる時、確率によって起こる事柄は、静かに、その透明性を上げて行く。特殊、集合、独自。








労働と賃金の交換と生活不安


労働と賃金の交換をしない人はいないから、生活不安を誰もが抱えていると言える。
普遍、共通、一般。
労働と賃金の交換は今日まで続いているが、人はその人口を増やし続けており、繁栄している。
特殊、集合、独自。
労働と賃金の交換をすると、生活不安は多くの人に広がり、一人一人に蓄積して行く。
個別、蓄積、唯一。


労働と賃金の交換と生活不安は表裏一体、同じものである。労働と賃金の交換は、文字の発明に並ぶものであり、経済の根幹を成している。労働と賃金の交換は文明の発展に寄与しており、これ自体は単なる道具と言えます。労働と賃金の交換は生活に必要な物の譲渡によって没落して行きます。
労働と賃金の交換もそれ自体はシステムであり、その積み重ねが固定化(争い)となります。
これを段階的に廃止すること。
まずはボランティアと普段の仕事の左右混合で緩和します。
左右混合は積み重ねによる固定化を緩和するためにあります。








家屋のスタイル

動線    普遍
デザイン性 特殊
機能性   個別


動線は人が動くことが出来る室内の道や階段を言う。これがしっかりした家は、とてもいい。デザイン性。これは結果しか見えない。最初にデザインしても、これは蓋を開けてみないと解らない。機能性は、使い勝手の良さ。フロは入りやすいか、ベッドやベランダは使いやすいか、といったことを、ひとつひとつ構成する。これの連なりは動線とからまり、いい家になる。断熱材や留め具、建材、その強度や材質。それら安全性も大きくは機能性に帰属する。








動物構成(アニマルスタイル)

本能 普遍
習性 特殊
個性 個別


本能は遺伝的に組み込まれた部分。習性はそれまでの生活から、結果しか見えないこと。映像に録画しておけば、ある程度は解るが、確率にもよるため、基本的には課程は見えない。個性はその個体のみにそなわった本質。
人にも習性はあって、この習性において、若い年の一年は、大人になった十年に匹敵する。鉄は熱いうちに打て、とか、若いうちの苦労は買ってでもしろ、というのは、この習性を言っている一面もあると思う。幼年期の詰め込みには意見が別れるところだが、もう大人を目前にして、自分はどうだろうと思う気持ちも解る。でも、人は年を行ってからでも、いい仕事は出来ると思うので、急がば回れという言葉もある。








費用の削減


経費削減
普遍、共通、一般。
人件費削減
特殊、集合、独自。
残業削減
個別、蓄積、唯一。

普遍と個別が習慣として積み重なって行けば、特殊はその意味を失う。経費削減、残業削減には、平の構成員、上司の人たち、消費者や国民に削減案を募る。残業削減は意味不明に見えるが、残業を減らして雇用を増やすという、分かりやすい政策などあるが、これは中長期策で、個人の時間が増えて行ったほうが、長い目で見た場合、いいことがある。とりあえずはネットで経費削減を検索。照明の数を減らす(まずは半減)とか、クーラーよりは電気ヒーターや扇風機を使う。どうしてもな時はクーラー、とか。紙は重要な文書だけにして、メールにする、とか。ケータイメールは無料パケット、または一定パケットになっていないとお金かかる、とか(パソコンメールは無料、というか、無料コースしかない)。経費削減の上手い企業に話を聞きに行く。経営は株や状況にもよるので、これだけでいいということはないが、出来るだけのことはしておきたい。人を維持するには、社会保障したり、パソコンであれば、パソコンなどを用意しなければならず、そのたいへんさは変わることはない。けれども、イデアは人にしか無いと言ってもいいものであり、機械化ではまかなえない部分である。どうイデアを結集出来るか、そこが問われている。
貯金は地道な小さな積み重ね。それは仕事もそうであり、掃除などもそう。なんの裏テクもなく、日々精進これなりて。
残業削減。








社会の三大構成


経済
普遍、共通、一般。
政治
特殊、集合、独自。
哲学
個別、蓄積、唯一。

経済や哲学の本は多々あるが、政治の本はあまり見かけない。せいぜい政治家が、私はこうしたとか、こうしたいという類の本である。政治は国民、市民、個々人の要求によって構成されるものであり、その生活に密着したものである。なので、その時その時の人々の生活、その求められていることが政治と成ると言える。
哲学は、言葉に意味を問い、また、それが形成されること、現実へと運動すると、それは概念となります。
政治の役割はたくさんありますが、やはり大きいのは税金とか利益の配分でしょうか。これは経営者にも言えますが、ようはお金の管理の一面を持っています。配分を平等に分けることは難しく、いまのところ平等式のようなものは確立されていません。2006−8−30かきこ








経済運動によって生成すること。


生産
普遍、共通、一般。
借金
特殊、集合、独自。
消費
個別、蓄積、唯一。

経済活動をしていれば、借金は増えて行く。解雇も続いて行く。借金と失業者とホームレスは増えていき、そんな状況を打破するために、企業は国を出て行き、国は戦争へと突き進む。……とは、単純な話。実際には、借金の無いとこもある。失業率は上下を繰り返している。これはまあ、平たく言えば、捨てる神あれば、拾う神ある、ということか。陸軍の歩兵を増やせばいいみたいな人員の確保はいらないが、基本的に、人の持っている時間、それが社会の原動力であり、それこそが、社会を構成する空間であると言える。実際のところ、借金を無くす経済政策、金融政策、企業経営も、いまのところ確立してはいない。これを理論として確立した人は、まさにノーベル賞ものだろう。借金の返済と雇用の安定化。それは経済、お金のやりとりをする以上、必ずある壁なのかも知れない。

始まりと終わりは表裏一体、同じものであり、たとえば、借金の始まりを見て行くと、その終わりも見えて来ます。また、終わりは始まりでもあり、なにが始まるのか、そこまで見ていくことが必要となります。

借金対策としては医療費などの生活基盤への助成や個人が使える時間を地道に増やしていくことなどが長期策としてはあります。期間を指定して歳出を抑えて一時的に資金を捻出する方法もありますが、これには市民の理解が必要です。









経済用語

社会主義経済
資本主義経済
民主主義経済


社会主義経済は、国が経済の方向を決めること。これに対して、資本主義経済は、企業が経済の方向を決めることを言う。民主主義経済は、消費者、または、受け手が決めることを言う。
一般的には、社会主義と言う言葉は、その国の規制に対して使われます。この国に住みたい、けど規制で住めない。この国は社会主義的だ。のように使われます。これに対して、資本主義(社会)とは、特別に会社といったものが、商売のために比較的どこの国へも住むことが容易なことから、企業主導のことを言います。民主主義(社会)は、一人一人の本人の意志の尊重に、よく使われます。


社会主義の幻想。
資本主義の嘘。

資本主義のもっとも害悪が株だと言って売買を認めなければ経済運動は荒れてしまう。
介護などというものは社会主義的で増やすべきではないと削減しては、生活が成り立たない。
主義主張を唱えるのは別にいいが、どっちがすぐれているかどうかではない。
人はどちらがいいの悪いの主義主張で生きているのではない。
それはきっと思いやりとか言うもっと不安定で観念的なものなのだ。
資本主義を認めたらお金を払わないといけない人たちがいる。
社会主義を認めるとお金を払わないといけない人たちがいる。
それは主に会社の賃金であったり、国の介護保険だったりする。
結局お金が壁となって人と人はその思いを伝えることは出来ないでいる。
まあそれは一面。
それだけでなく物理的な限界というものがあり、それは主にお金の限界が先に来るのである。
宗教は祈りでそこは越えると言い、科学はお金そのものがなくなればいいと言う。
その左右混合はボランティアとかけすばいけすのなにかが仲立ちする。










2006−10−30月曜日午前12時38分カキコ。
無料(ギブアンドギブ、生活守護等、官僚経済社会主義の基本基礎)。



税金。
普遍、共通、一般。サウンドデュアル。

広告。
特殊、集合、新性。ツインサウンドデュアル。

ボランティア。
個別、蓄積、唯一。ワンサウンドデュアル。






2006−10−30月曜日午前12時38分カキコ。
有料(ギブアンドテイク、課金等、市場経済資本主義の基本基礎)。



税金。
普遍、共通、一般。サウンドデュアル。

経費(資材などなど)。
特殊、集合、新性。ツインサウンドデュアル。

賃金。
個別、蓄積、唯一。ワンサウンドデュアル。












性質における方向性。


変化(場)
普遍、共通、一般。
柔軟性(質)
特殊、集合、独自。
固定化(量)
個別、蓄積、唯一。


場による変化。シンプルイズベストな生活。単純明快。
質による柔軟性。ケースバイケースの方程式。臨機応変。
量による固定化。マイペースな積み重ね。個性尊重。


場 空間
質 時間
量 数


場 現在(時間軸) 気持ち
質 未来(時間軸) 夢
量 過去(時間軸) 結果
サウンドデュアルは単語みっつの組み合わせから考えを高い時間密度へと高めることにその意義があり、組み上げたひとつの組み合わせはそのとっかかりの一例に過ぎない。


量による固定化は積み重ねであり、質による柔軟性はケースバイケースであり、場による変化はシンプルイズベストです。
どれかひとつだけ重点を置く場合もありますが、基本としては量と質と場のそれぞれのバランスを取ってさらにそれらをサウンドデュアルすることが本質となります。
量による固定化。経済では労働と賃金の交換。病気では生活習慣病、気持ちでは固定観念などいいことばかりではない固定化ですが、どういったことが質的変化を起こすか分かっていればとても力になるものでもあります。どういったことが良い方向に行くか見ていくことがとても大切です。固定観念は悪いことばかりではなく、厳しい時に気持ちを強くしてくれることもあります。けれども絶対化ばかりした気持ちは柔軟性に欠けるかも知れません。数をこなせば量による質へと変わることもあります。こちらは力技にも近いものです。けれども確実でもっとも必要とされる仕事の部類でもあります。
質による柔軟性。たとえば戦車の砲塔の穴を広くとっておいていろんな砲が入ること。戦車のエンジンルームが広くて色んなエンジンが積めたこと。車の部品に共通性がありまた次の規格にも移行出来る先を見通したものであること。質が良くて量産性に優れていること。こういったことは質による柔軟性が高いことが言えます。けれども10年早すぎたとか20年早すぎたと言われてすぐにはいまいち量産性が出ないこともあり、質だけが突出して高いというのもある意味量産性がないと言えるかも知れません。質は時間であり、その柔軟性には時間がかかります。柔軟性とはそれについて考えた時間の長さであり、その時間がそのまま質へと直結します。
心の柔軟性。まあいいんじゃないかと言うこと。ほっと出来る一言。実際にはなんでもかんでもいいわけではありませんが気持ちが煮詰まっている時に言ってもらって救われる言葉。こういったことから柔軟性があることはとてもいいこととして扱われることが多くあります。これに対して八方美人、どっちつかずなど悪い意味として使われることもあります。無理をして現実を抱えすぎると柔軟性は発揮出来なくなると言えます。何年もの長い積み重ねで得た経験というものはとても大切ですが、それは一種の固定観念だとも言えます。話をすることには心の柔軟体操をする意味合いもあるのかも知れません。愛も固定観念であると言えますが、柔軟性のある愛はいい愛に違いありません。
柔軟性がある人は時間に余裕があるということ。時間に余裕がある人はモテます。仕事が出来ます。お金はもうかるかはわかりません。
恋は盲目とは、その人にだけ気持ちが固定され、柔軟性が固定される状態を表した言葉です。この状態では、柔軟性はどこまで広がっても固定されています。まずはその対象から距離を取る必要があります。
あらゆる数(量)の問題は時間(質)が解決(場)する。良く分からないことは棚上げしておきます。何年かかけて必要な要素を揃えて行くことで問題を理解出来ることがあります。問題は大抵空間というか場所が無いことから起きています。空間とか場所と言うと建物を思い浮かべるかも知れませんが、たとえば社会問題では生活基盤となります。
時間をかけただけ柔軟性が上がります。数をこなしただけ量は達成されます。これがそのまま空間構成、場となります。これはいいものだと言う時、それはどれだけ時間がかけられているかによります。これはすごいという時、それは数によっています。
場、空間とは数(量)と時間(質)が構成するものです。どういった質とどれだけの量によって空間は変わります。場とは場所のことを言う場合もありますが、状態や、幅広くは環境なども指します。量とは空間(場)と時間(質)によって構成されます。質は量(数)と空間(場)によって構成されます。どれだけの時間を本の解読に当てるのか、どれだけの人と出会えるのか。どこへ行けるのか。時間の貯蓄は状況にあまり左右されない資材と言えます。柔軟性が無いという場合、その人またはその人たちに生活基盤が無いまたは弱いということが言えます。急いでる時ほどマイペース。自分の出来ることからチクタクチクタク。

リラックスした時間が時間貯蓄となります。逆に緊張した集中している時が貯めた時間を使っている時になります。ここぞという時のために、ある程度はフォーマルなスタンスを取ります。本を読めば時間解凍、それからなにか書けば時間圧縮となります。時間解凍と時間圧縮の繰り返しで一定の質が確保出来ます。あまりにも質の高い人はその道の神様と呼ばれたりします。

労働と賃金の交換による意識の固定化。人は客観的に見てなんでこんなことを言ったりしたりしたのだろうと本人も思うようなことがあります。これは労働と賃金の交換により意識が固定化する、固定観念に囚われてしまう場面です。お金のことに悩んでいたり、生活基盤に悩んでばかりいると意識が固定化すると言えます。柔軟性を取り戻すには、充分な休息や本を読んだり自然を満喫したりします。

問題にしろなんにしろ、時間をかけて見ていくしかありません。

いいものはたまには読み直しましょう。

新しいことに挑戦すると柔軟性は上がります。古いことを勉強して新しいことを探す。当たり前のようですが、まあ基本ということで。

画期的なアイディアなど、物事が決まる時、それはかけた時間に大きく左右されます。時間をかけただけ、確率は確定していきます。

なんで生きてんでしょうか。仕事量が少ないほうが生きて行く上では非常に楽です。また感謝されるとそれがあいさつ程度のものでも非常に人は活気が得られます。これは感謝されることが多い仕事が非常に高い競争率を持っていることからも分かります。

現実問題に悩んでうじうじしてしまう。それは普通です。いいものは時間をかけてそれを越えたとこに生まれます。もちろん無理はしないで休みは取ったほうがいいには違いありません。さすがに睡眠取らないと時間どうこうではなくなってしまうので。睡眠取っていたほうが時間の密度は濃いと思います。

量による固定化の弊害と質による柔軟性の弊害。量による固定化、つまり日々の積み重ねはとても大事ですが、それによって柔軟な発想がなくなり固定観念に陥ってしまう。柔軟性ばかり追いかけると地道な積み重ねが出来ない。ではどうするか。これは両方の個性をサウンドデュアル、左右混合することによって地道に積み重ねながら柔軟性を得ること。これが場による変化。空間を作り出すこととなります。対立する概念はどちらかしか選べないのでは力を十分に発揮出来ない。概念が対立している時。それはサウンドデュアルする好機であると考えることも出来ます。
積み重ねによる固定化は絶対にひるがえされたりしません。さらに柔軟性を得て行くこと。または柔軟性と固定化の左右混合による場の変化へと進めて行くこと。時間を進める進化の方向性があるのみです。積み重ねによる固定観念はそのままでは固定され続けますが、柔軟性を加えたりその固定と柔軟性による場(空間)の変化へと進めることが出来ます。その固定に見合う柔軟性との混合が場の変化へとつながります。
量による固定化が日々の積み重ねであるのに対して質による柔軟性は説明することは出来ません。こうだと言った時、概念が固定されてしまったらそれは柔軟性ではなくなってしまいます。
量を作っていく中で質を高めていくこと。
仕事やボランティアというのは時間が形を変えたものです。いえいえ、すべての作業というものは時間を固定するという作業です。これが空間作成となります。
量という日々の積み重ねの中で質という柔軟性を高めて行きます。いい仕事は柔軟性をあげます。いやまあそういうことですにょ。
空間の柔軟性。
たとえば人の個性。個性を伸ばすには一日ひとつお互いのいいとこを見つけること。その積み重ね。とんでもなくたいへんなことも時間をかけて良かったとこを見つけること。積み重ねはとは別の時間をかけることが積み重ねの固定化と柔軟性とのサンデュとなります。そのための気構えとでも言う気持ちのスタンスが場の変化となります。場の変化とは空間による変換作業でとも言うもので、たとえば現実を変わらない積み重なった量数に固定されたもの、時間という質によって柔軟に変わるもの、空間という場、場面によって変わり続けるものは場の変化となります。このみっつから三次元という次元は構成されているというひとつの見方も提示出来ます。

柔軟性は時間であり、たとえば仕事では休暇が柔軟性にあたります。積み重ねが出来る人ほど休みを取るのは難しいですが、取れる時に取っておきましょう。だから、休みをくれる会社はいいに違いありません。

新性。オリジナルと言えば独自性と訳される。けれどもここでは新性(しんせい)と訳す場合を論じてみよう。まったく新しい表現、世界初であること。まったく新しい表現、世界初を積み重ねること。これが商売でもなんでも上手くいく。でも奇をてらってはいけない。ガマガエル三匹でお手玉、ジャグジーじゃーとかやってはいけないという話である。いいものは常に新しいチャレンジに味方してくれるものだ。新性というものは人の積み重ねによる固定化、固定観念をほぐしてくれる作用がある。ので、新しいことはいいことだとみんな言うわけだ。うん。いいよね。柔軟性というものは言葉に出来ない。確かにまったく新しいものであれば、いま言葉に出来ないと言える。だって言うことが出来るなら新しくねーじゃんて話しだよね。
新性(しんせい)とは初めて出会った時の気持ちで物事にあたること。初めて歌をうたった時の気持ちで歌をうたい歌を作る。そんなの覚えてねーじゃんとゆー話ですが、この歌を初めて出会った歌だと思って歌うことが、人を感動させる歌をうたえるのだと思います。初めての作品作り、初めて見た作品のように見る。歌をテレビを本をラジオを映画をネットを絵を初めて見たように聞いたようにとらえる。そして仕事ならば初めて商品を販売した気持ちで売る。初めて笑った時、初めて楽しかった時。等々。初心忘れるべからずということですよねうんうん。
そんなに世界初があるはずないって。それはそう。そういう時は昔の本やデータで経緯について語っているものを読んだりすること。昔のこととか後は外国のことだとみんな知らないことが多いからある程度真似(マネ)ても新しい。昔のことだと、初めてそれに遭遇した時のことが書かれていたりする。その時、その時代には立ち会えなくても、その当時の話しを読むことで、感じはつかめる。ロケットが初めて月に行った時のこととか初めて印刷というものが出来た時のこととかね。




量、数、否定。
質、時、肯定。
場、面、上定。

こうしてああしてというのはそれまでの積み重ねをさらにやってくれということで、分類するならば否定となります。否定してれば否定の否定となるというとまあそれは量による質への変化となります。酷評はこの部類。いいんじゃないかというか、それいいねというのは肯定に入ります。いいねいいねと言って時間をやるのは質による量へと変化となります。んでは場とはなにか、これはもうなんと言うか、たいへんだねえと言うこと。平たく言えば相手をねぎらうということ。これは相手の受け取り方に寄るので、絶対にこうだということはないのですが、まあとにかく相手を労(いたわ)るということになります。(2006-8-21月曜午前12時)

質とは時間であり、そのことについて考えた時間が質となります。たとえば作品作りであれば、その作品のことだけを考えることが質となります。歌であれば歌のことを考えればそう。仕事のことを考えた時間だけ質。生活のことを考えた時間だけ質。となります。あたりまえの話しですが、そのことを考える時間とは人によっては何年にもおよび、それだけの人になってくるとすごいものなのです。もちろん質とはいえ固定観念的な質もあり、一慨にいいとは言えないかも知れませんが、質の高いものは評価される傾向にあります。
考えないことも質であり、このふたつの対比と緩急がリズムとなります。




進化の個別的側面、左右混合。
組み合わせの場
組み合わせの面。 普遍、一般、共通。
組み合わせの質
組み合わせの時間。特殊、集合、新性。
組み合わせの量
固定された存在。 個別、蓄積、唯一。


新性とはまったく新しい概念、新しい存在が組み合わせによって課程が見えず結果によって出て来ること。
組み合わせで進化が起きるならば、一元論の立場ならば、最初のひとつはどこから来たのか。そこからどう増えたのだろうか。
たとえば最初の生命は原始の海に雷が落ちて生まれたと言われている。原始の海と雷の組み合わせ。
では宇宙の最初はどうか。
なにもない場所になにが生まれ、どう増えたのか。
それも特殊で、課程が見えず結果しか見えないことなのか。
特殊とは確率であり、よって課程は見えず結果しか見えない。
では普遍と個別はどこから来たのか。
いまは系統樹の枝の先が見えるだけである。
2006−9−10かきこ

現実問題は機械のように部品交換で単純に問題解決はしないことが多い。
これは緩和策を組み合わせることで、結果として新しい解決策の提示や問題そのものが解決することがある。
2006−9−13水曜日午前1時カキコ。

場とは組み合わせが出来ること。
この番組ではこの人とこの人の組み合わせ。
そんなのはまああたり前のような気もしますが。
この歌がこんなメロディラインとこんな感じの。
この作品ではこの伽羅とこの伽羅の。
この技術とこの技術。
この部品とこの部品。
そんなことの組み合わせを地味に積み重ねること。
その数量が新しい質へと場を変化させます。
場の変化は特殊であり、課程の見えない結果ですが、たとえば狙うこともあります。
固定CDを何枚売るぞ、とか。
本を何冊出すぞ、とか。
2006−9−21木曜日午後10時00分カキコ。
場の変化。
物質の組み合わせで鉄や鋼などが出来たりする。
場の変化とは組み合わせが可能な場面、場所、場合などを示すことであり、これ歌のメロディラインにも演技にもハードディスクとカメラとかデッキとの組み合わせ、技術の組み合わせも場の変化と言えます。
資本主義や社会主義も場の変化としては、経済の組み合わせが出来る場のことを言います。
普遍、特殊、個別も言葉と概念の組み合わせの場であります。
2006−9−22金曜日午後10時28分場の変化のとこからカキコ。


2006−10−2月曜日午後11時7分カキコ。
空間を作り出すこと。
そこで自分が自由に組み合わせが出来る場を作り出すこと。
これは理論でも場所でもそう。
これが最初の作業の9割を占めると言っていい。
これさえきっちり地道に作っていれば、政治、経済、哲学、技術、衣食住、医療、福祉、なんでもとにかく良くなっていく。
後はブレイクするのを待つだけである。
ひるがえりの質と量でいまが変わる。
歴史を調べ、現場に足を運ぶこと。
過去にはひるがえりがいくつもあり、それを調べそれだけでなく、ひるがえりの場も見ること。
これはひるがえりに必要なことの下調べになります。
たとえば経済は交換、哲学はテーマについて語る、政治は三権分立とゆうように、基礎、基本となる部分がひるがえりの場となります。
行政 普遍、共通、一般。
司法 特殊、集合、独自。
立法 個別、蓄積、唯一。
政治は民衆の参加によって場を形成します。
たとえばサウンドデュアルはこうやって普遍と特殊と個別にたまにまとめることでひるがえりを見ています。
テーマについて語る。プラトンは著作で主題に対して語る幾多のソクラテスを描いている。
2006−10−9月曜日午後11時1分カキコ。
経済の組み合わせ。
それが戦争、犯罪、経済格差等々を生み出す。
では経済の組み合わせとはなんだろうか。
社会保障     共通。
会社、お役所。  特殊。
労働時間。    個別。
たとえば残業代払えないでサービス残業になったり会社が赤字決算になることも多い。
経営者だけ責めるなかれ。
社員とか平官僚一人一人の意識にも会社お役所の結果は出て来る。
時間になったら帰りましょうという話。
なるべくね。
時間であがれる仕事もあるが時間をかけただけ利益が出そうな分野があるのも確か。
ならばさ、週の半分は早く帰るとか工夫しましょうよ。
という話。
毎日病気になるまで働いたらさ、病気にもなるよ。
そんなの会社にも個人にもいいことないじゃん。
うーん。
確かにおれはいまもーれつにはたらきたいんだーという人もいるが。
でもそんな時ばっかりでもない。
休める時は休める。
労働時間自分である程度なんとかなれば世の中良くなる話。
労働スタイルを個人がある程度決められること。
それでいて、社会保障などを充実させていくこと。
それが結果として会社やお役所を良くしていくこと。
まったく長時間労働を悪とは言わないが、それがなにか慣習とか規約に決められていたらどうだろうか。
時期的に滅多に無い好機のため、残業を求めるということはあると思う。
けれども日常的に会社という場に拘束されるのは、たいーへん。
それはたとえ残業代出てもね。
自分の時間があったほうが人間いい仕事するし、いい人生送るよ。
まあ会社人間を否定するわけではないが。
いい会社はいい仕事仲間は仕事のことで話しが出来るもんだ。
いやまあぎすぎすしたのも嫌いじゃないけどさ。へへへ。
魅力のある仕事は魅力のある個人そしてそれは個人の集まりである会社とお役所になるのではないだろうか。
とかなんとかね。
これは労働と賃金の交換の緩和策のひとつです。




●●●2006年11月16日 木曜日 午後1時カキコ。●●●
ひるがえり。
歌や音楽を歌うのではなく、歌や音楽のひるがえりを歌うこと演奏すること。
絵を描くのではなく、絵のひるがえりを描くこと。
作品や番組を作るのではなく、作品や番組のひるがえりを作ること。
文章を作るのではなく、文章のひるがえりを書くこと。
文章を読むのではなく、文章のひるがえりを読むこと。
歌や音楽を聴くのではなく、歌や音楽のひるがえりを聞くこと。
絵を見るのではなく、絵のひるがえりを見ること。
作品や番組を受け取るのではなく、作品や番組をひるがえりを受け取ること。
●●●2006−11−17 金曜日午後12時12分カキコ。
演技ではなく、ひるがえりを演技する。
本質を感じるのではな、本質のひるがえりを感じる。
労働と賃金を交換するのではなく、労働のひるがえりと賃金を交換すること。
プログラミングするのではなく、ひるがえりをプログラミングすること。
踊るのではなく、ひるがえりを踊ること。
●●●2006−11−17 金曜日午後8時33分カキコ。●●●
伽羅を描くのではなく、伽羅のひるがえりを描く。
仕事をするのではなく、自分のひるがえりを仕事に活かす。
安全を守りつつ、安全のひるがえりを守る。
アタクしつつ、アタクのひるがえりをアタクする。
等々。




組み合わせによる質量転化。場による変化。これからひるがえるでしょう(未来形、可能性、将来への展望)。共通な否定の否定。
普遍 共通 一般。

柔軟性の確立。質による時間。ひるがえっています(現在進行形、持続性、続く新しさ)。特殊な否定の否定。
特殊 集合 新性。

自在固定。量による数。ひるがえりました(過去形、現実性、課程が見えない結果)。個別な否定の否定。
個別、蓄積、唯一。



一例としては。
話をひるがえらせる(ひるがえりの共通、組み合わせによる質量の転化、場による変化、未来形、将来への展望)。
話のひるがえりを続けている(ひるがえり特殊、柔軟性の確立、質による時間、現在進行形、続く新しさ)。
話をひるがえらせた(ひるがえり個別、自在固定、量による数、過去形、課程が見えない結果)。
かな。
過去形のひるがえりは自在に固定観念、自在固定となるが、それをひるがえりの進行形にすることで柔軟性を得る。
その場がひるがえるでしょうというひるがえりの共通である。
質とか柔軟性を取りたい場合は進行形のひるがえりで行きます。
これは続けて描いているなど。
あまり時間をつめていると柔軟性は低いようですが、続けていることで得る柔軟性と質もあります。
もちろん、一般的にというか大抵は柔軟性とか質のひるがえりを取りたいものであり、あまり時間の無い仕事などは取りたくないものです。
ひるがえりの未来形、過去形、現在進行形。
これがひるがえりの三段活用です。
ちなみにひるがえらない時はすべったと言いますが、受験生の近くでは禁句です。

●●●2006−11−22 水曜日午後11時47分●●●カキコ。
いま、現在というものはすべてその本質は現在進行形であること(進行形、否定の否定、相対方向)。
過去は絶対の方向性であること(過去形、否定、肯定、絶対方向)。
未来は全対の方向であること(未来形、すべての定型、全対方向)。
これはどれが良い悪いではなくて、そういう性質がありどれもサウンドデュアルのひとつです。





千の言葉よりひとつのひるがえり。




●●●2006−11−18 土曜日午前1時10分カキコ。●●●
性質の方向性というものは、ひるがえりによって方向を自在に変化したりまた、別の点を見つけたりします。




●●●2006−11−22 水曜日午後11時31分●●●カキコ。
量から場における質への転化。


空間表出力。
普遍、共通、一般。場の変化。場。

本質共鳴。
特殊、集合、新性。柔軟性の確立。質。

ひるがえり。
個別、蓄積、唯一。積み重ねによる固定化。量。



個別のひるがえりから積み重ね、一定量が土台となったら、共通となる場から特殊の質へと繋(つな)げます。
これはサウンドデュアルのひとつとなります。












仕事、趣味、生活

積み重ね。固定化。
共通
創作。新性。
特殊
組み合わせ。左右混合。
個別










社会構成要素

共通
生活基盤。
特殊
労働と賃金の交換。
個別
商売。


いまはなにか仕事をしていますか。なんにもしてないのなら、バイトくらいしてみたらどうだろうか。
二時間くらいでいいので。自分の生活費の足しに。それと、商売はしていたほうがいい。生活基盤を整えるならば、仕事はこの上なくいい。
仕事をしていてだめな場合は、減らすか、仕事の方向性を変えること。
自分がいまなにをしているか迷った時は、一定の基準、つまり時間が決まっている仕事につくことでとりあえずその時間は方向性が見やすい。
自分の生活が安定していれば、ボランティアでも家事手伝いでもおっけいです。
学生は学業や部活動と遊び。








鈴木憲ことたかさきはやとについて


普遍、共通、一般
鈴木さんの生活基盤。

特殊、集合、独自
鈴木さんの作品。

個別、蓄積、唯一
鈴木さんへの思い。


鈴木さんへ寄せる思いは悪くありません。それはひとりひとり大事にしといて、鈴木さんの生活基盤を整えていきます。これは別段、他の人と変わりありません。
アタクや性愛撫、ここいら辺は視聴に属することなので、鈴木さんの生活基盤が整うことで解決される方向性もあります。共通から押していくのはちょっと大まかですが、ひとりひとりの気持ちというものがとても曖昧なものなので、個々苛辺は仕方ありません。
鈴木さんのためにしていることであったはずが、横道にそれて迷路に入っていく。自分の気持ちを確かめる時間を持ってください。
鈴木さんと連絡を取るためには、時間が必要です。これは仕事いがいに時間がいります。たとえ鈴木さんがなにかの流れを取っていて、非常にそれが圧倒的でも、いろんな人たちが協力して時間をかければだいじょうぶだと思います。絶対とは言いませんが、厳しい生活のこと、目標は大きくもちましょう。

鈴木憲ことたかさきはやとにとって一番求められているのは作品を作ることである。

鈴木さんの視聴によってその積み重ねによって固定化すること。それに対して柔軟性ある時間と空間を作るためにする距離の取り方とはなにか。鈴木さんの視聴の固定化と柔軟性のサウンドデュアルによって場の変化を得ること。と書くとなにがなんだか分かりませんが、疲れたら休む。楽しくないことは自分の空間のとらえかたを問い直す。内向きに気持ちがなりすぎてしまう時は外へと気持ちを変えること。本を読んだり歌をうたったりすること。等々などかなあ。

まずは鈴鷹さんの視聴の時間を制限すること。
これは緩和策の一環ですが、まあ地道にせつせつと。かな。

鈴鷹さんの視聴。
鈴鷹さんアタク。
鈴鷹さんの吹聴。
と、誰かが引けばいいものを、誰も死にものぐるいで引かなかった。
罪は無いと言う人もいるが、責任はあると思う。
それはまだまだこれからのことだと思う。
とりあえず棚上げ。
この状態が私が10歳から9歳程度から始まったとすると、24年は続いている状態であること。
これだけの積み重ねを個人、一人で覆すのは実情無理だと思います。
経済運動としてもたぶん世界規模の3分の1くらいは軽くあると思います。
緩和することは出来ます。
いやまあそもそも支えようとしないで流すことが大事です。
ふつーつぶれますから。
いやまあ現実はなんでもそうですよ。うんうん。
そもそも分からないからなんだかもう対策が立てられなかったり変なことになってしまうのだ。
分かってしまえばそのための対策を地味に積み重ねるだけなのだ。2006−8−30かきこ


鈴鷹さんの状況と緩和策
普遍、共通、一般。
鈴鷹さんの視聴。
特殊、集合、新性。
鈴鷹さんの主観の客観化現実化。
個別、蓄積、唯一。
鈴鷹さんによる概念新性。
つまり概念とか考え方のようなものの方向性というものを新しく組み上げることにすぐれていたため、雷鳴のごとく?なことになっているような。
概念とか比較的新しい考え方、方向性というものを作り出すことに長けていたので、注目される。
これが鈴鷹さんの視聴となって表れて来る。
ここから出た固定観念には、鈴鷹さんを現場には入れていない。
とか。
鈴鷹さんが書き出さないとかがある。
これは緩和されたものもある。
その状況の中でやりくりすること。
これが緩和策の一面である。
あれがこーだったらなあというのはみんな一緒。
この状況で頑張るとこに人生の醍醐味がある、のかな。
なくていいから楽になりたひ。
とほほ。
この状況を緩和する方向。
鈴鷹さんを視聴する必要がないという方向性。
普遍、共通、一般。
鈴鷹さんの主観は主観であることの方向性。
特殊、集合、新生。
鈴鷹さんの概念新生はちゃんと公開されるという方向性。
主観とは、まあ個人の考え方とか個人の方向性かな。
これは鈴鷹さんを支える人たち、後は視聴してる人たちにも言えるかな。
2006−9−14木曜日午前2時11分カキコ。

2006−10−3火曜日午後11時21分カキコ。
アタクする人たちは生活する甲斐性が無いと思われる。
それはまあ私とおんなじ。
フリーター程度の甲斐性だろう。
それでいて、精神力としてフリーターで生活するだけ働くことは出来ないと思う。
いやまあふつーフリーターで一生生活するのはかなりたいへんなことである。
なるべく自分で働くという思いがあるのは分かるが、生活保護を申請したほうがいい。
これでアタクは大分緩和される。










人助けの方向性。


生活基盤。
普遍、共通、一般
金儲け
特殊、集合、独自
話しを聞く。
個別、蓄積、唯一


社会のためにけれども自分のためにも働くこと。静かな時間に本を読むと話しを聞いてもらったような効果があり、これを持ってインテリというものはそれだけ本を読んでるということが言えます。別段これはテレビでも映画でもある程度はあるものです。









バランス理論
普遍特殊個別。どれかひとつが悪ということでもない。もし不具合があるというならば、それはバランスが取れてないということなのだ。バランスというとどれもと思うかも知れないが、バランスとはこれらの三点で螺旋上昇という時間の流れに乗せることにサウンドデュアルの目的がある。
人は世間一般で悪いと言われることをある程度はしないと生きていけない。もちろん注意もするし、罰しもする。人の罪をすべて罰するならばその国は死刑の嵐となるだろう。
労働と賃金の交換など特殊の部分が悪いわけではない。それにもまさる個別と共通を押して行くことがバランスを取る。








加算主義
普遍、共通、一般。年功序列。
成果主義(結果主義)
特殊、集合、独自。売り上げによる配置。
能力主義
個別、蓄積、唯一。適材適所。








飽和力
普遍、共通、一般。時間。
集中力
特殊、集合、独自。空間。


リラックスがうまくリズムに乗ると集中力へと変化します。
なにごとも包み込む、飽和するだけの時間が集中力の質となります。








貯金
まずお金が出た時に必要なもので物持ちするものは買っておきます。さらにコンビニでの買い物や本を買う場合は最寄りのコンビニで使える電子マネーや図書券を買っておきます。これにはある程度置き場所があることが前提ではあります。
図書券にはカードのものもありますが、最寄りの本屋さんが使えるか確かめときましょう。
なるべく換金したら損で面倒なものを選びます。お金は作業が面倒なほうが浪費しにくいので。
残ったお金を貯金していきます。
それくらいのことはなあんだと思うかも知れませんが、まあ入門というかステレオタイプにはそんな感じです。
一例としてはこんな感じです。色々あるのでこれは自分にあった方法を探してみてください。








労働と賃金の交換による特殊たる問題には
共通たる生活基盤を整える。それの手助けをすること。
個別には話しをすること。けれども話し合いは出来ないことが多くあります。これは話しをする両者の生活基盤が整っていないことがあります。こういった場合には、開示出来る情報を開示することである程度は緊張を緩和することが出来ます。
まずは生活では食費、仕事では原料や資材などの費用をお金が入った時に先に払ったり、自分が使えないように確保します。これだけでずいぶん気が楽になります。それだけでなく、お金が幾ら使っているか見えやすくなります。時間に余裕も出来ます。これは労働と賃金の交換に対する対策の共通の一例です。
残業一時間以上の拘束の場合、簡単なまかないまたぱ弁当の有無を聞いて出します。残業三時間以上の拘束の場合は宝くじをあげます。社員食堂がある場合は決まった定食を社員一人に限り一日一食無料にしときます。
嫌な時はもう眠ってしまう。眠くなかったら時間をかけていくしかない。
出費は抑えなくてはなりませんが、人への投資は増やさなくてはなりません。


病み上がりの時こそ無理しないでゆっくりと行こう。
力が戻って来た時ほど無理が効いてしまうので、こういう時こそちゃんと休んでちゃんと眠ること。
仕事は家で出来る部分を家でして、会社に来なくてもいい日もあるようにする。


話しをすることがいいことは誰でも知っている。けれども現実の前に人は容易に話すことが出来なくなる。不甲斐ないと思うかも知れないが、そんなもんである。こういう場合は一方的でいいのでとりあえず手渡せる人には紙に書いて渡す。またメールで送ってもいい。話せないからその人はどんどん追いつめられて行って、普段は話しもしない十割(とかち)のむちゃくちゃ高い金利で金を借りて追っかけられてしまう。こういう場合は話しが出来ないだけで、非常に話しをすることは求められているのだ。こういう時はなるべく話しを聞いてあげたり、緩和する方向性を見たい。


経済制裁。経済制裁とは用は兵糧責めです。戦争戦術の一環として派生しましたが、近代ではこと細かに資金や資材を止めるために行われます。日数制限や軍事部品に限ったものもありますが、こういったものは全部市民生活に転化されてきます。なによりも先に市民の生活基盤に打撃を受けます。生活基盤が脆くなればより破壊的なもののリスクを抱え込むことになります。お互いの生活基盤をうるい、話していくのが理想的ですが、現実には争いになることのほうが多くあります。


ボランティアを地道にすること。これが労働と賃金の交換を緩和します。そもそも人の時間に対して賃金はそれだけ無いのである。だからもうボランティアで生活を助けて行く。これはお互いのである。とは言っても何から初めていいのか分からない。そこは色々調べてからしたい。仕事では幾ら無料で働いても残業にしかならない。残業はどんなものであれ、お互いの個性を狭めてしまう。残業はしないですむにこしたことたあないのだ。
社会主義だとか労働と賃金の交換だとかなんだとかすぐに全部ただばたらきにすることあない。まずはボランティアといまの労働との両用でどちらもやりながら空間を作り出すことを目指す。安全と自由を目指すのだ。とかなんとかね。

お金の悩みは他人になるたけ話したほうがいい。それはメールでもネットでもなんでも。お金のことを考えることはいいことですが、悩みの場合はそれがなにか良くないことへとつながってしまうことがあります。無理は禁物です。

自治体や国の決算は公開出来るレベルで個別に公開したほうがいい。企業の場合は社員や株主に対してかな。たとえばネットで公開していって地道にね、それで意見をメールで常に募る。んで集まった意見を表にしたりしてまたネットで公開する。これ自体が労働と賃金の交換を緩和させることはないが、こういった量から、ここからいい意見やアイディアが出ることは考えられる。地味なことだが、出来ることはやっておきたい。

空間の量が自由であるが、労働と賃金の交換の空間は限られている。さて、どうするか。

賃金というかお金というものは人の数だけ、それだけの人を養うだけ無いということがあります。大企業や大金持ちに税金を課してもそれには限界があります。お札を刷ってもそれではインフレになってしまう。時価総額というものはお札を刷っても変わりません。緩和する場合もありますが、それはほんとに一時的な対処に限ってです。









物品、商品の作成と運用。


資材の高騰。
人件費の高騰。
価格の低下。


資材も人件費も高くなり、商品の価格は意図したよりも低下していく。別段商品の品質が下がっていなくても、競合商品のクオリティが上がるにつれて、比較されてこの商品の価値は下がって行く。大量生産されるものにはこういった自転車操業のような一面が常につきまとう。企業はアルバイトを雇ったり、資材を安く仕入れたり、新商品を発表してこれらの案件に対応したりする。
機械、資材や工場。
たとえばネットで商売しょうと思ったらまずはパソコンとネット回線が必要となる。この機械を導入するにはお金がかかる。当たり前と言えばそうだが、人を雇うのと対になるほどこの機械を購入して動くように調整していくのは手間とお金がかかる。それだけでかい機械や資材を持っていたほうが商売には有利だが、それだけリスクがあると言える。








商売。




労働。
普遍、共通、一般。サウンドデュアル。

課金。
特殊、集合、新性。ツインサウンドデュアル。

商品。
個別、蓄積、唯一。ワンサウンドデュアル。








労働と賃金の交換の緩和策のひとつ。


国が税金をバランス良くかける。
普遍、共通、一般。
企業が労働に見合った賃金を払う。
特殊、集合、新性。
個人がボランティアする。
個別、蓄積、唯一。


税金のかけかたとしては、大企業には個人に比較して大きく税金をかける。
大富豪は個人とみなす。
よっぽど会社の金を貯蓄しては出してみたいなでもない限り。
また大企業の株の売買には税金をほかの株に比較して大きくかける。
お金の世界において、貯蓄のある大企業を強者とみる。
株に税金て、と思うかも知れませんが、煙草やお酒や石油にかかってることもあります。
これは国によって多少違います。
労働に見合った賃金はそのまんま。
個人のボランティアは別項目にもあるけれども、会社の残業ではなく、個人的に参加するなにがしか。
問題の共通の対策としては、経済の組み合わせという個別による緩和策を出して行くことの課程の見えない結果という特殊によって表されます。
消費税自体が悪ではなく、経済の組み合わせが悪であり、その組み合わせがいまいちなために良くない結果が出ていること。


2006−10−3火曜日午後11時21分カキコ。
大企業の社長だか大臣だか共産党だか知らないが、いまから年商一億稼ぐ企業を立ち上げろと言われてそう出来るものではない。
問題は経済運動から来るが、それに対して往々にして人は無力ということ。
格差社会を是正すること。
たとえばそれは富裕層からお金を取ってということでなく、政策によって結果として格差が縮まっていくような感じのこと。

















二律背反は相対矛盾である。








参考文献。
新日本出版社、国民文庫、岩波書店、中央公文庫等々、難しい系の新書や文庫のたぐい。












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