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『KANDO』

たかさきはやと




第一話。初めての感動。感動の量が幸せであること。


たかつ先生「どうも作家、学者のたかつよしこです」
あやね「ここでは感動について探求したいと思います」
0 たかつ先生「ラーメン屋さんのドキュメントでね、うまいラーメン作るために睡眠時間けずって生活のすべてをラーメンにささげているシーンがあってね。感動を生み出すのはいくらもらっても金では割りにあわない世界よね」
あやね「金で割りにあわない世界ならなにがその応えになるんでしょうか」
たかつ先生「やはり感謝感激雨あられというのかしらね。ありがとうという気持ちが最高のお礼なのかも知れないわね」
あやね「感動がテーマですか」
たかつ先生「感動がテーマの作品はメジャーでありまたより求められている。売れないDVDや本は簡単なこと。感動がない。それだけ言葉や映像としての動きに感動がない。それだけ作品の純粋さ、純度が高くあること。より作り手が純粋な存在であること。こういうことがひとつひとつ感動となって作品に出てくる」
あやね「偉人伝などには感動があります」
たかつ先生「やはり人の人生には感動がある。特にその命が輝く人というのはみんなが感動する。死ぬことは毎日何千人と死んでるけど特に感動はない。やはりその人生に人は涙する」
あやね「宇宙とはなにかの答え。感動普遍共通一般。愛とはなにかの答え。感動特殊集合新生。自分とは何者かの答え。感動個別蓄積唯一」
たかつ先生「宇宙の不思議には一生をささげてなおあまる感動がある。いまも多くの科学者が宇宙の不思議を探求している。作品でも宇宙を描きだしているものは傑作足り得る。宇宙というテーマは感動のもっとも基本的なものね」
あやね「愛はどうですか」
たかつ先生「ロミオとジュリエットが恋愛ということでここまで傑作足り得る。それはバルディ話もそうね。恋愛に永遠の愛に助け合いなど愛には感動する基本的なスタイルというか形がある。どういう愛か。どれだけの愛か。それは感動に大きく影響する」
あやね「自分が何者かまたは命とでも言えるようなテーマがあります」
たかつ先生「命がけで人を助ける姿というのはもっとも人が感動するシーンね。命とはなにか。人とはなにかというテーマはもっとも感動するシーンね。物語がしばしばキャラクターたちの偉人伝であるのもここに意味があるわね」
あやね「感動が生きがいですか」
たかつ先生「感動が生きる手応えだから感動がないと迷う悩む苦しむ人生になってのたうちまわってしまう。感動を生み出しあい感動を分かち合う世界は幸せでより平和であること」
あやね「いきなり最終回ですか」
たかつ先生「最終回はどんな物語でも感動が多少ふくまれている。これをしてダークエレメンタラーではいきなり最終回の連続構造になっている。まあ一話完結というのかな」
あやね「年をとると感動が少なくあるですか」
たかつ先生「年の数だけ人はより純粋純度をあげていく。いくら自分を子供だと偽ったところでそれだけの年齢になっていくと感動するものが減っていくのよね。バルディ話は宮崎監督も涙したそうだし、めがみは百歳のおばあちゃんも感動したという。それだけ人の心をゆさぶるのは難しくそしてだからこそ挑戦する価値がある。作り手の世界観もそれだけ広くなければ年の純度には応えられないかな」
あやね「歌で感動てどうしました」
たかつ先生「やはり歌詞でいい日旅立ち幸せを探しに母の背中で聞いた歌を道づれにというフレーズにはきたな。歌い方で言えば上を向いて歩こうかな」
あやね「古さが純度ですか」
たかつ先生「神話や古代の歌姫の歌い方は神曲として欧米には多少残っているし古い表現はとても純度が高く純粋でとてもいい。けれども素朴だったりかなり難しくあってたとえばエンヤは神曲を発展させてあそこまでヒットした。ロードオブザリングも神話をよりもっとうまくまとめあげた。トールキンも作家であり学者であったということね」
あやね「人の死が感動ですか」
たかつ先生「それが定番とかお涙ちょうだいと言われる話なのよね。富野監督は戦争でばんばん人が死ぬのを描いたし宮崎監督はそういう手塚先生たちのお涙ちょうだいの姿勢は間違っていると言った。宮崎監督は人の死では感動は生まれないと主張した。またその作品も確かにそう描かれている。確かに感動で勝負した手塚先生の直系の弟子たちの死生観はとても複雑で特にいろんなまた死に方生き方を多様に描きだしている。漫画はいまでも安く手に入り何度でも読み直せるからいいわね」
あやね「ダークヒーローですか」
たかつ先生「アトムが普通にヒーローだとしたら009やガンダムというものはダークヒーローを描きだした。汚れちまった悲しみにという詩があるくらい人の悲しみの戦いを描くというのも人の感動を呼び覚ます。漫画のヒーローはしばしばダークヒーローが多く存在する。宮崎監督はラピュタの時にどうしてもどうにもならないくらい汚れた奴はぜひ殺してやりたいとかたき役のことを愛す言葉を述べている。キャラクターは自分の家族と説く小池先生にも通じるような話ね。愛しているからこそその死に様を描きたいというのは表現者にはあるのかも知れないわね」
あやね「感動の共有ですか」
たかつ先生「もっとも伝統的かつ一般的な感動の手法が感動の共有ね。キャラクターが感動したことが受け手にも伝わるということ。キャラクターの価値観が感動で変わる。たとえば差別だったり男嫌い人間嫌いが感動によって変わる瞬間、受け手の気持ちも感動するというものね。一般的とはいえこれを自由自在にできる表現者も少なくてそれは神クラスの人と言われるわね。感動の共有を極めることも表現をする人ならば誰でも歌手でも演奏でも話術でも問われる腕前ね」
あやね「大きくまとまるですか」
たかつ先生「小さくまとまろうとすると感動も小さくまとまり売り上げも反響も感動も小さくなってしまう。どれだけ器の大きな人間足り得るのか。それが大きな感動にかえってくる。スケールの大きさ世界観の深さ深みというものが感動をより大きくする。小さくまとまろうとするから最近の男はまったくもてないし儲からない。小さくまとまろうとする表現者に女神はほほえまないのよね。感動を探して感動とともに旅をすること。するとおのずと器がスケールが大きくなること」
あやね「感動を生み出すとはリスクを買い続けることですか」
たかつ先生「つまり感動もアイディアもリスクを買い続ける姿勢。逃げない立ち向かう姿勢からしか生まれない。感動を生み出すためにはそれだけのリスクを買い続けることが求められる。星の王子様の作者サン・テグジュペリはナチスと戦い偵察飛行中に行方不明になった。サン・テグジュペリは星の王子様に会えたかしらね。たかさき先生もそれだけの感動やアイディアを生み出すのはそれだけリスクを買い続けているのよね。たかさき先生をどう支えるかも課題かもね」
あやね「全年齢。性別の関係なくですか」
たかつ先生「感動というものは全年齢、性別の関係なく響くなにかなのよね。だからこそなにかマニアックな趣味ではないということかな。カルト作品が悪くはないけどつまり感動というのは年齢や性別を超越している万人向けのものだからね。ここまででいいというものではないわね。その深み深遠はさらに深くさらに奥が深くあること」
あやね「寛容さが感動ですか」
たかつ先生「気持ちが寛容になれる瞬間というのが感動なのよね。天然としてか才能としてか感動が多くて寛容な人もいるけど大半の人は寛容になれる存在を探して求めている。それが子供だったり孫だったりパートナーだったりまあ家族だったりするのは普通のうち。神に寛容になれなければ無宗教になるしキャラクターやアイドルに寛容になるオタクは奇妙がられたりしたものだった。ペットですます人もいるし人の遺伝子に好きになり寛容になれる存在を求めるものがあるのよね。寛容になれる心が広くなれる存在は誰にでもひとつは必要な生きるための糧なのよね。これがなくて感動なく寛容になれなくて心せまく他人を差別して生きる不幸な人もたくさんいるわ。寛容になれる存在があって始めて人は自分に寛容になれる。それが愛。それが幸せ。お互いを愛しあい寛容になりあい感動しあう平和な世界のために力を合わせていきましょうね」
あやね「人の言葉を信じることが器ですか」
たかつ先生「警察や法廷とかじゃなくて表現をするときというのは相手の言葉をすべて信じるということなのよね。嘘だと分かっても嘘をつかなければならない過去が垣間見えること。その人の知り得る限りの人生のすべてに共感して理解すること。バルディ話は日本でテレビでおばあちゃんが小鳥をそういうふうに表現しているのをたかさき先生が信じた実話なのよね。どれだけ信じたか。それは自分の器の大きさ、大きな感動の表現となってかえってくる」
あやね「感動状態ですか」
たかつ先生「表現には幸せになる表現と不幸になる表現しかない。人間の心も幸せか不幸かのふたつの気持ちしかない。愛の表現において人は感動状態となり幸せになる。笑える話に泣ける話も愛があるかないかの違いにすぎない。表現をする機会があればそれは愛を伝えられるチャンスであり幸せにするチャンスであること」
あやね「子供だましと感動は違うですか」
たかつ先生「子供はなにもかも新らしいからなんでも感動する。これを情操教育感情教育として絵本などがある。けれども自殺が始まる年になってくると心はもう大人のそれと同じ心足り得る。同じように感じ同じように感動するようになる。ここまでくるともうへたな理屈とかでは感動しなくなってくる。親も面倒がるくらいに子供はもう同じ考えをするようになる。ここでの感動が人生を決めるといっても過言ではないほどこの時期の感動はのちの人生に大きく影響する。感動の受け手が不幸な人ならば感動の作り手は幸せな人という人生の別れ目になってくる。感動させることができる人はそれだけ感動を探すことに貪欲であること。そのためにさらに感動多く幸せであること。感動を探し続けること。それが幸せな人生であること」
あやね「本質的な感動ですか」
たかつ先生「人は本質的な感動を受けると人を助けるために一生をささぐ。なによりも人助けというものが最高の幸せだからね。この味が分かる人はとても幸せに生き生きと生きられる。この本質的な感動をどう提供できるかも表現者には問われているかな」
あやね「面白さは感動のひとつですか」
たかつ先生「価値観が変わる瞬間それは面白さとして感動する。面白さが積み重なってくると楽しさになる。作り手もそれだけ価値観というかこういう固定観念をたくさん知らないといけない。つまり価値観が変わるというのは固定観念がくつがえることだからね」
あやね「感動が力となるですか」
たかつ先生「感動が生命の原動力ね。感動がある人は力あふれている」
あやね「感動が共感から始まるですか」
たかつ先生「みんなが共感できる愛を感じると感動となる。共感を得られないものはそもそも存在を認めてもらえない。誰もが共感する愛に感動があり、その感動がいま求められていること」
あやね「生きる意味ですか」
たかつ先生「生まれた意味に生きる意味に死ぬ意味に応えること。それが感動となってかえってくる。表現者にはそれだけ意味に応える力が必要かな」
あやね「都合の良さは間違いですか」
たかつ先生「売れないのは作り手が都合がいいから。都合がよすぎると感動は失われ感動なきものに人なども着いてはこない。売れないのは作り手の考え方が間違いそして自分たちに都合がよすぎるから。感動こそが正義であり時に自分は間違っていること。それを認める勇気を持ち続けること。感動に何度でも生まれ変わること。感動を探して感動とともに旅をすること。するとおのずとファンは着いてくるものよ」
あやね「過去を越えるですか」
たかつ先生「過去を飲み込みきって過去を越えた瞬間に感動となってかえってくる。その一瞬のためにも自分の過去と向き合い続けること。それが表現する人には必要かな」
あやね「弱さを抱きしめるですか」
たかつ先生「人間とはとても弱くとても弱い存在なのよ。私が研究してる人や出会った著名なクリエイターもとても弱い人たちだった。その弱さを愛で抱きしめた瞬間に感動となって心が愛で満たされる。その瞬間はとても幸せよ」
あやね「感動のパターンですか」
たかつ先生「だいたいがね話とか歌のパターンはね学生も終わる頃には見尽くしているのがまあふつうよね。そのために大人になるとまったく新らしい感動のパターンを望むようになる。この望みを叶えることのできる作家は神クラスの表現者ね。大抵ファンには神とあがめられてるわね。またそのためにも勉強や研究は欠かせないわね」
あやね「無限大な夢ですか」
たかつ先生「子供の時の理想とかとても有り得ないクラスの望みを持つものね。そのため大人になると夢から引き算されていくばかり。失うばかりの人生となって不幸と嘆く。表現者としては感動でその気持ちに応えたいところね。またそのためにいるのだしね。そのためにも勉強や研究の時間はとても大切よ」
あやね「感動が癒しですか」
たかつ先生「つらいことや悲しみなども感動という癒しによってのみ心は癒されて回復する。感動は心の栄養だしとても心の健康にいいものよ。1に感動2に感動。34がなくて5に感動というくらい感動が大事よ。そしてね。そして感動を探して感動とともに旅をすること。するとファンも癒されて憩いの場を共有することができるわね」
あやね「感動がすべてですか」
たかつ先生「感動してる時は堕落した自分を反省できる唯一の時。感動してる時はすべての願いが叶う時。感動してる時はすべての尊厳が回復する時。感動してる時は失ったものをすべて取り戻してすべてを愛にしてかえす時。感動してる時は悲しみの終わりすべてを愛にする始まりの時」
あやね「感動は愛の表現ですか」
たかつ先生「家族愛に人間愛に恋愛に自然を愛することや巡る愛の歌など。千差万別な愛の姿を描いた時にそれは感動となってかえってくる。感動は愛の姿が心に表現されたこと」
あやね「感動がアイディアですか」
たかつ先生「感動を感じるとアイディアがでる。感動を探していてもアイディアがでる。感動を探してるとごほうびがたくさんもらえるものよ」
あやね「感動が幸せですか」
たかつ先生「お金では幸せにはならないという研究結果があるわね。ならばなにが人を幸せにするのか。それは愛が心に姿をあらわす感動の時に人は幸せになる。愛に高度な愛の純度が高い表現者。つまり愛で感動を表現できる表現者はそれだけ多くの人たちを幸せにできること」
あやね「誰かをののしりたいですか」
たかつ先生「誰かをののしって一緒に酒飲んで妥協して堕落すれば愛を口にしなければ雇ってくれる編集者出版社テレビラジオなどがあるのは分かる。そうすればメディアで無視されなくて金も嫁も手に入るのではないか。だからかな。いつもむしょうに妥協したくなる。堕落して愛を口にしたくなくなる。だからそんな自分との戦い。それが感動となるかな」
あやね「通じあいですか」
たかつ先生「心と心が通じあった瞬間感動となる。わりと親から教師から先輩から命令しか受けたことのない人もいる。時々ほわっとした人がいるけど教育で命令されたことがない。通じあうこと。それが感動であり、感動だけが人の心を救い幸せにすることができる」
あやね「幸せですか」
たかつ先生「最高の感動が幸せであり幸せを構成してるのは教養これが普遍共通一般。天理。天のことわり宇宙の法則これが特殊集合新生。決断力これが個別蓄積唯一。これらがふくまれて始めて感動となり人を幸せにする。よく口先だけというけどつまりこれらがないこと。それがつまりは内容がないようになってしまうのね」
あやね「自由な発想ですか」
たかつ先生「はばら監督が言っていたんだけど自由な発想が大事だと。やはりなにかにとらわれた発想ではだめね。後は父が言っていたんだけど見えない山を登れ。まだ見ぬ世界を見せろということね。後は豊富なバリエーション。ワンパターンではだめね。これらが感動につながるわね」
あやね「いっぱいいっぱいですか」
たかつ先生「テンパる状態が続くと人は不幸になる。いっぱいいっぱいな心に余裕を持たせるのは感動だけ。感動で人は愛しあい幸せに暮らすことができる」
あやね「宇宙の構造ですか」
たかつ先生「宇宙の構造から考えることが芸術。それによって感じる描かれる愛に感動となる。妄想やうそばなしには宇宙構造ではないから感動しない。どんな宇宙を感じたら感動となるか。そこから作りだすこと。これが芸術。これが感動。これが愛なのよ」
あやね「根拠のない希望ですか」
たかつ先生「感動が定期的にあるとそれは生きる希望となって心あたたかく生きることができる。感動でみんなに希望を。それが私たちにはできるのだから」
あやね「思いが通じるですか」
たかつ先生「感動の共有よね。宇宙の本質やみんなに一途な思いが通じる。思いが通じ頑固者や過去におったキズが癒されたりすること。思いが通じることでルールが変わったり革命が起きたりする瞬間感動となって涙となってかえってくる。思いが通じることで人が幸せになる瞬間。感動の共有で受け手も幸せになること。それは感動の醍醐味よね」
あやね「地道さが感動を作るですか」
たかつ先生「せっかちがすべてをだめにする。月給末金がないこと。愛と言葉にできないこと。もてないこと。金がもうからないこと。眠れないこと。しめきりに間に合わない。会社でのパワハラ。教育における暴力。いじめ。交通事故。ADを安くこきつかうこと。つまらないこと。まずいこと。寿命いがいの死。せっかちだからテロをする。武力革命。アイディアがでない。家族より仕事を優先する。問題の先送り。誰も幸せにしない政治。誰も幸せにしない自分。せっかちは悪魔のささやき。すべてせっかちだからおきること。逆に言えば地道にやればなんでもできる。不可能はない。地道に歩く時。それは感動となってかえってくる。すべての人を幸せにする時」
あやね「スケールメリットですか」
たかつ先生「スケールが大きくあると感動も大きくなりどんな大きな悩みも入る。それだけ感動をすることは大変だけどスケールメリットがどうにかやってくれる。スケールメリットはどんな企画も通る。スケールメリットはどんな問題も入るしどんな現場でも作れる。万能の環境なのよ」
あやね「経験から語りだすですか」
たかつ先生「知識ではなく経験からしか感動は生まれない。人間関係の経験からしか感動は生まれない。人の経験を聞くこと。またシミュレーションしてもいい。経験こそが正しくいいものであること。そこからしか感動は生まれない。歴史上の人物の経験やみんなの経験から感動は生まれる。経験談こそが感動の材料となること。たかさき先生は人と話すと質問攻めにして経験を聞きだすそうよ。それは物語も経験足りえること。歌は経験足りえること。感動は口先ではなく経験から生み出されること。新らしい経験をさせること。それが物語と歌と食事。経験。それが感動。感動は経験としてその人の人生を豊かに幸せにする。どんな経験をしてもらうか。そこが感動の醍醐味」
あやね「あきらめない気持ちが感動となるですか」
たかつ先生「あきらめるとき人は不幸となり感動を感じない。あきらめないからたかさき先生は常に感動がたくさんあふれている。あきらめない気持ちが幸せの状態だから前向きな人は幸せに生きている。よくあきらめ気味の人があきらめない姿が感動となるのはこのためね。あきらめてる時間はストレスとなり善玉菌が減って病気になってしまう。必要以上にアルコールで酔っ払うのはあきらめている気持ちをアルコールでマヒさせるから。健康でいるためにもあきらめないのは大事なこと。このあきらめない気持ちを持つとき人は幸せに一生を充実して生きる。どうあきらめない気持ちになってもらうか。そこが感動の基礎となるものね。感動であきらめない幸せな気持ちにしましょう」
あやね「感動は愛のバリエーションですか」
たかつ先生「たかさき先生は愛のバリエーションを言葉にしてるだけよ。つまり愛愛言葉にしてるだけということね。感動とは愛が別の姿をしてることなのよね」
あやね「幸せとはなにか考えぬいた先に感動があるですか」
たかつ先生「幸せとはなにか考えぬいた先に感動がある。それだけ幸せとはなにか問い考えていること。それが必要かな」
あやね「生まれ変わるですか」
たかつ先生「感動は幸せ。幸せはからを破り心がひとまわりもふたまわりも大きく生まれ変わること。何億回心は生まれ変わるだろう。その手助けをクリエイティブなものはできるわ」
あやね「いっぱいいっぱいですか」
たかつ先生「睡眠に人生の何分の一かはつかってしまうように、いっぱいいっぱいさ加減をどうするかというのも人生の命題なのよね。いっぱいいっぱいさ加減は物語の感動でのみ癒される。歌は音楽はスポーツは物語であること。スポーツ選手はその物語からとてももてる。作家も感動を描く人はもてねわね。歌手ももてる。ティータイムにコーヒーブレイクにたばこに酒に食事。みんないっぱいいっぱいを緩和するための物語の感動というわけ。旅行もそう。ミニ祭りというのかな、物語の感動で人は幸せになることができる。作家には感動させる腕前が必要かな」
あやね「不思議ですか」
たかつ先生「不思議な感覚が感動として人には感覚される。感動とは不思議なことからしか生まれないのよ。よくアイディアマンの発想は不思議だといわれる。そもそもアイディアというものは不思議の追求の上に存在する。そして感動も不思議なことを探すなかで見つかるもの。つまりは不思議こそが人を幸せにする種というわけ。商売でも人助けでも不思議の提供というのは大変大きな役割をしめている。不思議の追求の果てに人の幸せがある。ファンタジーやSFは不思議の二大ジャンルよ。これが理解できる人材は大変貴重な存在よ」
あやね「行動による変化ですか」
たかつ先生「行動によって行動が起きる。そして行動によって現実に変化が起こる。それこそが感動よね。行動の連鎖そしてその行動の連鎖によって感動の連鎖、涙の連鎖が生まれること。行動による感動の千変万化。変幻自在に感動が生まれること。それこそが人の幸せであること。現実が行動によって感動に千変万化すること。それが幸せであること。行動というのはどう話したか答えたかもふくまれること。これは家族や仲間との人間関係にもお客様へのサービスにもあてはまることだから奥はとことん深くあること。あきらめない行動の連打による現実を感動へと変えるトライアンドエラー。それを極め続けること。それこそが人として大切なことかな」







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