織刻(しょくこく)トップページ  言葉工房トップページ  その他のページ







『秋葉銭湯物語』

たかさきはやと




一の湯、銭湯準備完了の巻。


 秋葉原の電気街。その路地を横に抜けたところに一軒の銭湯がある。
 外観、内装ともによくある銭湯だ。
 ほろ湯という銭湯は、戦後すぐに始めたそこそこ古い銭湯である。
「ボロ湯と呼ばれることもあるけどね」
 この女性はほろ湯の三代目。
「高橋喜久子17才」
 おいおい。
 祖父祖母は引退して一緒に生活している。
 母が実質銭湯の運営をしている。
 父はサラリーマンだ。
 兄弟はいない。
 喜久子がくるっと回転する。
 腰まであるストレートの茶髪が揺れる。
 かわいい愛嬌のある顔つきだ。
 銭湯でメイド姿になる喜久子。
「なにやってんだい」
 母が悪態をつく。
「メイド喫茶があるなら、メイド銭湯があってもいいでしょ。カインもメイドよ。とっても似合ってるわよカイン」
「ありがとうございます喜久子お嬢様」
 緑の髪のショートカットの女の子がいる。
 年齢は喜久子と同じくらいだ。
 端整な顔つきが美しい。
 その顔は常に無表情である。
 メイド姿がとても似合っている。
「カインとは、メイドにもなれる万能型ロボットのことをいうのであるのである」
「あんた誰に説明してるんだい」
「アキバにいけば誰でもロボット組んでるけどね。けれどね、これはコスプレではないわ。役になりきることなのよ」
「馬鹿やってないで、お客さんが困ってるじゃないか」
「芸術の分からない客ねえ」
 風呂場のほうが光っている。
 母が風呂場に入る。
 そこには富士の絵がすべて巨大ディスプレイになってテレビが流れている。
「なんだいこれは」
「テレビにもなる巨大ディスプレイよ。一枚の絵も毎日変えられるわ」
 喜久子が自信満々にそういう。
「こんなの取っ払ってちょうだい」
 母には不評である。
「昨日のことは覚えてないぜ。明日のことはまだ知らないぜ」と喜久子。
「馬鹿いってないで外しなさい」
「やってられるか」喜久子がすねる。
「ヤリイカ食べれるか」とカインがいう。
「それ違うから」と喜久子。
「あんたはなんて娘だい」と母。
「罵詈雑言ね」
「バリ島いくね」とカインがいう。
「いってらっしゃい」と喜久子。
「いいんじゃないか」
 おじいさんがそういう。
「甘やかさないでくださいよ。こんなの変でしょう」
「変でもいいじゃないか。テレビではなくて、銭湯にあった絵を表示しなさい喜久子」
「もう、しょうがないわねえ」
 母の許しがでる。
「喜久子は面白いことするなあ。わしは楽しみで仕方ないよ。喜久子は幸福の天才じゃ。これからお客様を幸福にしなさい。その見返りに自分も幸福になりなさい。分かったね。幸福になることが人生の醍醐味だからね。幸福になりなさい喜久子」
「分かった。サンキューじいちゃん愛してるぜ。こんな気持ちまるで天使が空を舞っているような気分だよ」
 喜久子はご満悦である。
「理解者がいるっていいなあ」
 嬉しくなっている喜久子。
「調子にのるんじゃないわよ」
 母がくぎをさす。
「へーいへい」
 喜久子は聞いていない。
「お客様へのごあいさつくらいしなさいな」
「いらっしゃいませ」
「あたしにいってどうするんだい」
「失礼しました」
 喜久子は開発でとんでもないこともするが、銭湯が好きなのだ。
 その気持ちは誰にも負けないだろう。
 開発も好きだが、銭湯を盛り立てることはもっと好きなのだ。
 仕事の手伝いも活き活きしている。
 一日の営業が終わり、最後の掃除を任される喜久子。
 ミニバイクを風呂場に入れる喜久子。
 後輪がぞうきんタイヤで前輪がモップタイヤ装備のミニバイクで掃除する喜久子。
 バイクテクでドリフトをかましている。
 速度はそれほど速くはない。
 後ろにはカインもミニバイクに乗っている。
「カインがいてくれて良かった。バイクのバランスを上手く取ってね」
「はい喜久子お嬢様」
 ミニバイクが爆音をあげる。
「やってられっかよ。やってられっかよ」とミニバイクが叫んでいる。
「はっはっはっはっはっはっ」エンジン音が笑い声だ。
「日々前進あるのみよ。理由なき反抗よ。どこまでも突っ走れ。あきれるほど幸福かい。胸キュンよ。ときめいているわ。いえーい。ぱらりらぱらりら」そう叫ぶ喜久子。
 母が入って来る。
「馬鹿やってんじゃないよ。手で洗いなさい。カインまでなんですか」
 まるで沸騰するやかんのように怒る母である。
 喜久子は渋々(しぶしぶ)とバイクをかたす。
「天才のすることは認められないわ」
 喜久子はそういって普通にモップで洗う。
「おくやみ申し上げます喜久子お嬢様」
 カインもモップで掃除する。
 モップの音が響いていた。


 次の日の朝。
 喜久子はパンを食べている。
「今日が喜久子お嬢様にとって、いい日でありますように」とカインがいう。
「ありがとう。それじゃいって来ます」
「いってらっしゃい」と母。
 学校へいく喜久子。
 放課後、家に帰って来る喜久子。
「ただいま」
「お帰りなさいませ喜久子お嬢様」
 カインが出迎えてくれる。
「すぐに開発にとりかかるわ」
「お供します」
 自分の部屋で開発を続ける喜久子とカイン。
「やる気出していくぜ」
「焼き芋焼いていくぜ」とカインがいう。
「違うから」と喜久子。
 カチャカチャと器具を動かす喜久子。
「本気でいくわよ」
「分かりました」
「あたしたち、優良健康良好女子だからね」
「喜久子お嬢様。幸福になってください」
「分かっているわ。この開発で幸福になってやるわ」
 作業する喜久子。
 カインは黙って作業している。
「隣に塀が出来たってねえ。へえ」
「喜久子お嬢様。私には笑う機能がありません」
「音声データはあるでしょう」
「あっはっはっあっはっはっ」だが顔が笑っていない。
「なんでやねんなあもう。カインにはほほえみが必要ね。でももういいわ。とにかくなんにでも挑戦よ」
「お供致します喜久子お嬢様」
「うおおおおおおお」叫びながらちまちま作業する喜久子。
「はいやーっ」叫びながらちまちま作業するカイン。
「やってやれないことはない」
「まったくもってその通りです」
「考えないで楽しくいきましょ」
「イエスサー」
「いまこそ勝負の時だ」
「えいえいおー」
「明日の風は明日吹く」
「ぴゅーぴゅー」
「縁の下の力持ち」
「はいはいはい」
「絶対幸福宣言」
「ハッピー。ハッピー」
「青い鳥が鳴いている」
「ぴよぴよぴよ」
「自由を取り戻せ」
「イエスフリーダム」
「牛がドナドナドオナドオナア」
「うっしっしっ」
「あなたのハートを打ち抜くわ」
「ばきゅーん」
「ケセラセラ」
「なんとかなるさ」
「幸福主義」
「幸せになろう」
 開発しながら、喜久子が歌うようにいう。
「あなたが幸福になることが運命だと天使がいうのです。青い空という名の幸福の青い鳥が飛んでいく。雲は白き羽。太陽は目。夕日の鳥は愛の鳥。すべての気持ちを包んで飛んでいる。幸せでいることが日々の喜び。忘れていた幸せな時間が、ゆっくりと動きだす。生まれて来たことは幸福です。生きることは幸福です。人生をまっとうして死ぬのは幸福です」
 カインが棒読みでいう。
「不幸の大気圏を突破して幸福になる。地に帰る日まで幸せでい続けます。私は私のことが好きです。自分を幸福にします。人を幸福にします。運命も幸福のうち。幸福のうちでの小槌。幸福が後から後からこぼれていく。幸福になっていい。幸福でいい。人生は幸福が見ている夢。幸せの青い鳥が心の中を飛んでいる」
 開発は何日も続いた。
 ある日の夕方。
 母たちは銭湯の玄関に呼び出される。
 喜久子は屋根の上にいる。
「危ないよ。降りて来なさい」と母。
 喜久子が叫ぶ。
「我が名は無敵なり。出でよその本質たる姿よ」
 どんどんどんどんどんどん。
 巨大なスピーカーからドラムが高らかに鳴る。
 立ち上がる銭湯。
 銭湯が変形して腕が飛んで来て合体する。
 巨大ロボットになる銭湯。
 そびえる巨体は高層ビルのようだ。
「完成。超弩級銭湯ロボ、ダイガイダンス。必殺技は超電磁太陽光発電と超電磁風力発電での銭湯活動。手の平にすくい上げた水を風呂とすることが出来る機能があるのよ。株での儲けをそそいだ一品よ」
 驚愕する一同。
「いい気分よ。アラ・モードな気分ね」
「さっぱり意味不明です」とカインがいう。
「えらいいわれようね」と喜久子。
 銭湯ロボはその景観から大ヒットとなる。
 信じられないくらいの人でにぎわった。
 大繁盛していた銭湯ロボだが、思わぬ横やりが入る。
「建築法違反か」
 撤去を求められる書面が役所からきたのだ。
 銭湯を元に戻す喜久子。
「残念です喜久子お嬢様」
「なあに、これからもっとバリバリいくぜ」
 喜久子は朝日に誓うのだった。

                  続く、、、かもね。




二の湯、只今銭湯中の巻。


 喜久子は目が覚める。ねむいねむいと目をこする。喜久子は寝起きのいいほうではない。起きるのに時間がかかるタイプだ。
 カーテンを開けて陽の光りを浴びる。ようやっと目が開いてきた。
 今日もいい気分だ。いつもと何も変わらない。天気同様晴れ晴れとしている。
 部屋にカインが入って来る。
「おはようございます喜久子お嬢様」
 カインはいつもと同じく無表情にそういう。そこにはなんのてらいもない。
「おはようカイン。いい天気ね」と喜久子。
 寒いために口が良く動かない。
 カインはふとんをたたむと喜久子に向き合う。
「実はお嬢様に伝えたいことがあります」
「なによカイン、あらたまって」
 しばらく間がある。喜久子はつばを飲み込む。しばらく沈黙が場をおおった。それからカインは冷たくこういった。
「お嬢様は実は魔法少女なのです」
「あははっ」
 喜久子が笑い転げる。ほんとに転がっている喜久子。爆笑である。喜久子は立ち上がってかろうじてこういう。
「面白い冗談ね。カインあなたがこんな冗談をいえたなんて知らなかったわ」
「いえ、そのお姿がなによりの証拠」
「へ」
 喜久子は目を疑う。喜久子はなにかドレスのような服を着ていた。確かに魔法少女のような格好をしている。手には魔法のステッキまで持っている。だがそんなことでびっくりする喜久子ではない。平然としている喜久子。
「面白い手品ね。だからなんだっていうの」
 窓から少女が入ってくる。
 喜久子と同い年くらいの女性である。なにやらこちらも魔法少女のようなドレスを着ている。腰まである金髪を両脇で止めている。
 喜久子は綺麗な子だと思った。それにどうやって二階の窓から入って来たのか不思議がった。
 その少女は臆することなく喜久子にいう。
「私は悪の魔法少女よ。つまりあなたのライバルね。ヴァイオレットといいます。あなたにシルバーストーンは渡さない。発動したゼット計画を止めようとしても無駄よ喜久子」
「なにをいってるの。ゼット計画てなによ。知らないわよ。どうやって部屋に入って来たの。ヴァイオレットっていい名前ね」
 喜久子は何がなんだか分からず、しっちゃかめっちゃかになっている。それでも要点は聞いているからたいしたものだ。
 ヴァイオレットは聞く耳を持たない。
「問答無用。はいやっ」
 キックで窓から蹴りだされる喜久子。
 足元は道路だ。落ちたらお陀仏である。
 喜久子は手足をじたばたする。
 空中でじたばたしている喜久子。
「きゃー」
 だが一向に落ちない。
 喜久子は空中に浮いていた。
 しばらくきょとんとしていた喜久子だったが、ようやく浮いてることに気がつく。感動している喜久子。
「ほんとに魔法少女になっちゃった。記念に一枚撮っておこう」
 喜久子はケータイを探すが持っていない。それは残念だったが、魔法少女になれたことは嬉しくあった。友達に自慢したいが、やはりケータイがない。
「逃がさないわよ喜久子」
 ヴァイオレットが出て来る。
「ヴァイオレット。何故(なぜ)私たちが戦わなくてはいけないの」
「それが運命だからよ」
「そんなの間違っている」
「喜久子。おまえの銭湯活動は私たちの脅威なのよ。放っておくわけにはいかないわ」
「ヴァイオレット。話せば分かりあえるわ。話しあいましょう」
「問答無用だといっている」
 ヴァイオレットは喜久子に近づくと魔法のステッキで殴りかかる。
 それをなんとか魔法のステッキで受け止める喜久子。
 手がしびれた。
 話の通じる相手ではない。喜久子はどうしていいか分からずとまどう。困惑。そして気持ちがしびれた。
 カインも外に出て来る。驚いたことにカインも空を飛んでいる。
 カインは平然という。
「喜久子お嬢様。地球を救えるのはお嬢様だけです。戦ってくださいお嬢様」
「地球を救う。なんで。どうして。なにが。どうしたの」
 混乱。混乱。さらに混乱する喜久子。
 そのあいだもヴァイオレットの容赦ない攻撃をしのいでいる。それだけでも精一杯である。喜久子はいっぱいいっぱいとなっている。だがカインは見ているだけで助けてはくれない。傍観を決め込むカイン。
 喜久子はヴァイオレットと距離を取る。
「ええい、これではらちがあかない。い出よグライダンス」
 秋葉の高層ビルが巨大ロボットへと変形する。
 いざ、その雄姿を見よ。
 その巨体は凄く威圧感がある。人が米つぶみたいだ。
 ヴァイオレットは勝ち誇っている。感動さえしていた。
「これでおまえは終わりだ喜久子」
 吼えるヴァイオレット。
 喜久子は笑い出した。腹を抱えて笑っている。爆笑している。喜久子のスイッチが入った。
「なんだどうしたいったい」
 ヴァイオレットが狼狽する。
「銭湯ロボ、ダイガイダンス発進」
 銭湯が変形して巨大ロボットとなる。
 対峙する巨大ロボット。
 それはまるでアクション映画でも見ているようだ。
「ええい、やってしまえグライダンス」
「迎え撃て、ダイガイダンス」
 両者共に意気込みは十分である。
 組み合うロボットたち。
 お互いに譲らない戦いが続く。
「パンチだグライダンス」
 グライダンスのパンチをかわすダイガイダンス。間一髪すれすれでかわしている。
 体勢が取れて余裕が出来た喜久子。
「ダイダロスアタック」
 喜久子の号令でダイガイダンスがパンチする。
 それは見事にヒットする。
 腕から銭湯の湯が流れ込み、グライダンスはショートする。
 喜久子は腕を振り上げる。
「勝利よヴァイオレット」
 喜久子が勝ち誇る。喜久子にとってはこの程度は朝飯前であった。ヴァイオレットが悔しがる姿が目に浮かぶ。
 だがヴァイオレットは笑い出す。
 余裕のヴァイオレット。それに不信感を表す喜久子。ヴァイオレットは余裕でいう。
「こんなこともあろうかと、月を巨大ロボットにしておいたのだ」
 もう夜になりつつある空に輝く月が巨大ロボットへとゆっくりと変形する。
「絶望しろ喜久子。これでおまえも地球も終わりだ」
 喜久子が笑い出す。腕組みして余裕の喜久子である。今度はヴァイオレットが不信感をあらわにする。喜久子が余裕でいう。
「こんな時のために地球を改造しておいたわ」
 バリヤーで包まれた地球が丸い感じの巨大ロボットへと変形する。
「く、くそっ」
 ヴァイオレットは気遅れしていた。驚愕していたといってもいい。まさかこうなるとは思っていなかったのだ。不意をつかれた。面くらったといって良かった。そしてあせっていた。
 星が動いた。月ロボットがパンチする。ゆっくりしたものだが、凄い迫力である。
「我が名は無敵。出でよスーパーダイダロスアタック」と両手を組んでいう喜久子。自信満々である。貫禄すら感じられる一言であった。
 地球ロボットがゆっくりとパンチする。
 クロスするパンチ。月ロボットのパンチは外れ、地球ロボットが月を吹っ飛ばす。
 地球ロボットは変形して元の地球へと戻る。
 喜久子の前にはヴァイオレットがいた。力尽きたようにうなだれている。
「負けた。これで私の野望は終わりだ。私をどうにでもするがいい」
「ヴァイオレット。良かったらうちにこない。戦いが終われば、ライバルと友情を結ぶのがお約束よ」
「分かったわ。でも勘違いしないで。あなたのことが好きなわけじゃないんだからね」
「ツンデレキタコレ」喜久子はそういって笑う。ヴァイオレットも笑った。
 部屋でジュースで乾杯するヴァイオレットと喜久子。楽しくうちとけて笑う二人とカイン。すっかりと友情を育んでいた。
 砕けた月が輝く下で、宴会は続いたのである。ちゃんちゃん。

              続く、、、かもね。




三の湯、銭湯チックの巻。


 喜久子は目が覚める。今日は日曜日だ。約束もなくだらだら過ごそうと思っていたのだ。起きると机でヴァイオレットが漫画を描いている。喜久子はびっくりしてしまった。なにが起きたのか放心している喜久子。
 喜久子はふとんをしまうと、ヴァイオレットの横に立つ。
「まあなんてこと。ヴァイオレットが漫画が描けるなんて、実に素晴らしいわ」
 喜久子は情感たっぷりにそういった。
「同人誌を描くことは、私の趣味なのだ」
 ヴァイオレットは漫画を描きながらそういった。
「どうして黙っていたの。そんな趣味があるなんて知らなかった。なんでも描けるなんて素晴らしいじゃない。どんな話を作るの。王子様を探す姫の話なんてどうかしら。考えるだけでわくわくどきどきするわ」
 ヴァイオレットは集中してるためか、喜久子の問いには答えない。
 喜久子は残念がったが、それであきらめる喜久子ではない。あきらめが悪いのが喜久子の特徴のひとつである。クラスでは蛇の喜久子と異名を取っているくらいだ。
 カインが喜久子の横に来る。
「驚いた。なんとも奇妙な話しねえ。カインはこのことを知っていたの」
「知りません。私はヴァイオレット様が地球を狙ってると事細かに教えてもらっただけなのです」
「決心したわ。今日はヴァイオレットの後を追いかけましょう。彼女の秘密が知りたいわ」
「分かりました喜久子お嬢様」
 喜久子は漫画を読んでいる。カインは立っているだけだ。
「ちょっと出かけてくるわね」
 そういうとヴァイオレットは出ていく。
 すぐに追いかけるカインと喜久子。気持ちはもう名探偵である。
 ヴァイオレットの後をつける喜久子とカイン。道を曲がってから追いかける。秋葉の町を歩いていくヴァイオレット。オタクがたくさん歩いている。金髪の美少女だが、通り過ぎるオタクは特に反応はない。みんな自分の戦利品のために一生懸命で、他人のことどころではないのだ。  喜久子は息をひそめるのが気持ち良くなっていた。こんなどきどきわくわくするのはひさしぶりであった。こんな空気が欲しかったのだ。
 ヴァイオレットはあるビルに入っていく。エレベーターの止まった階まで空を飛んで窓から見てみる喜久子とカイン。
 ヴァイオレットは占い師の格好で、占いのようなことをしている。他にも何人か占い師がいる。どうやらそういう部屋のようだ。
「まったくわくわくするわ。次にどうなるのか楽しみで仕方ないわ」
 喜久子はカインにいう。喜久子はヴァイオレットの秘密を見て狂喜乱舞していた。なにより隠密行動をしている自分に酔っていた。勝手に一人で盛り上がっていた。それを止める人はいない。
 ヴァイオレットはビルから出ると、誰もいない道で猫に変身する。
 喜久子は仰天した。魔法とはこんなことが出来るのか。それでどうするのか見守った。
 ヴァイオレットは塀の上で日なたぼっこしているだけだ。それを一時間過ごしただろうか。喜久子は我慢出来なくなり、ヴァイオレットの前までいっていう。
「私怒っているのよ。どうしてなにもしないのヴァイオレット」
 驚いたのはヴァイオレットだ。叩き起きて元の姿になるヴァイオレット。すっかりなにがなんだか分からないヴァイオレットだ。説明してほしいのはこちらだが、喜久子はひかない。すっかり困ってしまっている。喜久子は意気揚々と問いかけてくる。たまらずヴァイオレットは聞き正す。
「待ってくれ喜久子。私にはなにがなんだか分からないんだ」
「ヴァイオレット。もうたまらなくあなたの生活の秘密が知りたいのよ」
「なんだそんなことか。喜久子は友達だ。なんでも聞いてくれ」
「それなら聞くけど、何故同人誌なんか描いてるの」
「それは趣味だ。すっかりおたく文化にはまってしまって、同人誌を描いているんだ」
「どんなアニメが好きなの」
「らきすたとか、マリア様がみてるかな」
「趣味があうわね。私も大好きよ。それじゃ占いはどう」
「魔法の世界では魔法学院に通っていた。こちらでの生活費を稼ぐために、コスプレ占い師のバイトをしてるんだ。見えない本質を当て込むのに占いはとてもいいのさ。占いが当たるととても気持ちがいいものでね」
「素晴らしいわ。今度は私を占ってね。猫はどうなの」
「猫になるだけで幸福になるんだ。人間ほど不幸を感じる生き物もいないからね」
「魅力的ね。猫になるためにはどうしたらいいの」
「猫になるには猫をイメージしてトテ、ラテ、トテと呪文をいえばいいのよ」
 それから喜久子とヴァイオレットは猫になって、しばらくそこで日なたぼっこしていた。猫になると幸福で穏やかな時間が過ぎていった。喜久子は存分に道端のバカンスを楽しんだ。それはいまだ感じたことのない気持ちだった。
 それから元の姿になる喜久子とヴァイオレット。
「ああ驚いた。どんどん気持ちが幸福になっていくんだもの。これはいいわね。猫になるっていいわねえ」
 喜久子は満足気にそういう。まだ猫でいるような気分だ。
「まるでふとんに包まれて、うたたねしているような気持ちなの。なんて気分なのかしら。まるで天国にいるような気分だったわ。もうどうにかなってしまいそうよ」喜久子は熱気冷めやらぬ気分でそういう。
「喜んでもらって良かった」とヴァイオレットがいう。
「まあヴァイオレット。どう感謝していいか分からないわ。こんな楽しい時間を過ごさしてくださってありがとうね」
 喜久子はほほが火照(ほて)っている。気持ちがあらゆる面で満足してしまっている。気持ちのすべてにおいて充実していた。猫になるとはこれほど違うものかと驚いていた。動物は生きてるだけで幸福である。それを実感したのだ。その気持ちたるや、並大抵のものではなかった。まだ気持ちが落ち着かないでいる。こればかりは自分でもどうしょうもなかった。高ぶった気持ちが波のように気持ちを動かすのだ。人生の中でこんなに幸福だったことはない。
「ああカイン。あなたにもこの気持ちを味合わせてあげたいわ」
「喜久子お嬢様。私には幸福を感じる機能も不幸を感じる機能もございません」
「それはそうねえ。まったくもって残念だわ」
「それじゃショッピングでもする。買いたいものがあるの。前から欲しかったものがあるのよ」とヴァイオレットが提案する。
「いいわ。私もほしいものがあるのよ。気があうわね」喜久子は応じた。
 それから二人はオタクショップで同人誌を買って、ジャンク屋でジャンク品を買った。
 二人は楽しくショッピングすることが出来た。秋葉には二人の欲求を満たす商品がたくさんあったのだ。
 ヴァイオレットは戦利品の同人誌を見て笑顔である。
「この本欲しかったんだ。今日が楽しみよ。帰って読み倒すわ」
「私もこの部品でロボットをぐふっぐふっぐふふふふふふふふふふふふ」
 喜久子はスイッチが入っている。いつも部品を買うとこうなのである。カインは慣れたものだが、ヴァイオレットはひいている。
「喜久子はどうして部品でそんなに盛り上がっているんだ」
「私は開発してると快感でいってしまうのよ」
 ヴァイオレットは唖然とする。そんな馬鹿な話は聞いたことがなかった。喜久子は変人だと思うヴァイオレットである。あながち間違っていないと思うカインである。
 二人は喜久子の部屋に戻る。
 もう外は夜である。もう就寝の時間である。そこで喜久子が提案する。
「いいんじゃないか」
 ヴァイオレットが同意する。
 二人は眠ることにした。
 次の日、喜久子の母が驚いて騒いでいる。
 喜久子がどこにもいないのだ。
 部屋には二匹の猫がいるだけだ。
 元の姿に戻った喜久子が怒られたのはいうまでもない。

             続く、、、かもね。




四の湯、銭湯バキューンの巻。


 ある日曜日の朝。喜久子は目を覚ます。隣ではヴァイオレットが眠っている。喜久子はふとんの違和感を感じる。それを取り出すと、それはブラジャーであった。
「あげてよせるブラジャー。なんでこんなものがここにあるの」
 喜久子は不思議がる。
 ばっとヴァイオレットがブラジャーを奪い取る。ヴァイオレットは涙目でいまにも泣きそうだ。
「悪いか。いけないか。法律違反かよ」
 一気にまくしたてるヴァイオレット。顔は蒸気を噴出している。あきらかに異常事態なヴァイオレットだ。
「あんたに私のなにが分かるというんだ」
「いいんじゃない」
 平然とそういう喜久子。
「いいじゃないか、え、いいのか」
 ヴァイオレットは涙をふく。深呼吸して左右見て、にっこりと笑う。安心して喜久子と向き合う。
「そうかそうか。喜久子素晴らしいわ。あなたは心の親友よ」
「大げさねえ。でも私もヴァイオレットのことは好きよ」
「このブラジャーあげるよ」
「いらないわ。化粧とかしない性質(たち)なのよ」
「男なんてこれでいちころなんだけどなあ」
「いまは男よりは開発よ。まだ魔法のほうがいいわね」
「それは残念だな。でもなんでもいってくれ。私で出来ることはなんでも役に立つぞ」
「そうねえ、それなら魔法を教えてよ。もっといろんな魔法を使いたいわ」
 ヴァイオレットは思案顔である。思いついたようにうなずくと、空間から老木の杖を取り出す。呪文を唱えると、空間に絵を描く。
「空に絵を描く魔法だ。子供が遊びで良くするものだ」
「こうかな」
 喜久子はまねする。
 喜久子がもう一人いた。
 違和感が喜久子の心に広がる。もう一人の自分はにっこりと笑って喜久子に呼びかける。それは静かに心に響く。
「私とひとつになりましょう」
 もう一人の喜久子は笑顔でそういう。それはとても甘美な言葉だ。それまでに感じたことのない誘惑を感じる喜久子。それはなにかの中毒にも似た感覚だ。その言葉は喜久子の心に響いて喜久子の気持ちを離さない。まるでふとんで心を包まれたように心地良い。まるで天使と出会ったような気分だった。
「なに、え、あ、なんなのこれ」
 次の瞬間、もう一人の喜久子は消えていた。見回すが誰もいない。 「どうした喜久子。挙動不審で顔色が悪いぞ」
 ヴァイオレットが心配そうに聞く。
「もう一人の自分がいたわ。私とひとつになりたいといった。なんだか魅惑な気分だわ。なにか熱中的に恋愛でもした気分よ」
 喜久子はすっかり混乱していた。なにがなんだか分からない。
「そうか出たか」
 ヴァイオレットは驚かなかった。そしてゆっくりと喜久子に話しだした。
「魔法は悪魔の法則だ。普通の人が使うと、もう一人の自分が出て来てひとつになろうという。その誘惑に答えてしまうと、その人は悪魔になってしまうんだ」
「それは大変ねえ」
 喜久子は他人事のようだ。実際実感はなかった。
「冗談じゃないぞ」
「分かってるつもりだけれども、だって悪い人には見えなかったのよ。まるで友達のようだったもの」
「もう一人の自分なんだ。親近感があって当たり前だ。だからこそ悪魔になってしまう人もいるんだ。喜久子が悪魔になったら、容赦なく倒すからな」
 喜久子は笑う。喜久子は余裕綽綽(よゆうしゃくしゃく)でいう。
「大丈夫よ。そういうのには自信があるから」
 喜久子には自信があった。自分は酒もたばこもやらない。誘惑や中毒になる要素など自分にはないと信じて疑わなかった。もちろんそれは過信に過ぎないのだが、若い喜久子にはそれが分からないのだった。
「こうすると魔法が上手く使えるわよ」
 もう一人の喜久子が現れてそういう。
「こうかしら」
 その通りに魔法が使える。
「喜久子。話しちゃだめだ」
 ヴァイオレットが警告を鳴らす。それを喜久子は笑って受け流す。
「ひとつにならなければいいんでしょう。大丈夫よ」
 喜久子は窓から飛び出していく。
「喜久子。それは闇の魔法だ。使うだけで悪魔になっていくんだ」
 ヴァイオレットも追いかけるが、既に声は届いていなかった。
 空を飛んでいく喜久子。
 喜久子はもう一人の自分のいわれるがままに闇の魔法を使い、その姿を変えていく。獣のような姿になっていく喜久子。自分では魔法が使えて楽しくて仕方ない。既に悪魔になり変わり始めていた。
 ヴァイオレットが追いついて喜久子を抱きしめる。
「だめだ喜久子」
「もう私のことはいいのよ。いまはとても幸福なのよ。すべてがうまくいったわ。もうなにも心配することはないのよ」
 喜久子は自分のことはどうでもよくなっていた。喜久子はヴァイオレットを気づかったつもりだった。ヴァイオレットは一瞬迷った。喜久子はこの人生に満足しているのではないのか。ヴァイオレットは激怒した。そんな喜久子を許そうとする自分と喜久子に平手打ちをするヴァイオレット。喜久子は呆然としている。
「そんなことをいうな喜久子。悲しくなるじゃないか。私の母は悪魔との大戦で失った。もう大事な人を失いたくないんだ。私は白馬に乗った王子様をいまも待っている。シンデレラになりたいと毎日思っているんだ」
「え、なに、なにをいってるの」
 不思議な顔をする喜久子。
「こうなったらいいなといつも思っている。喜久子も人のままでいてほしいと思っているんだ。負けないでくれ喜久子」
「分かったわ。あなたの気持ちは良く分かるありがとうヴァイオレット。頑張ってみるわ」
 喜久子は突然笑い出す。爆笑である。
「大丈夫か喜久子」
 ヴァイオレットが心配する。
「あはは。だっておかしいじゃない。白馬に乗った王子様をいまも待ってるなんて、かわいいとこあるじゃないヴァイオレットちゃん」
 ヴァイオレットは真っ赤になる。
「わ、笑っていいことと悪いことがあるぞ喜久子。そういうのは関心しないな私は」
 ふてくされるヴァイオレット。喜久子は笑った。そして感謝した。魔法使いの友達にいいようのない共感を感じたのだ。
「ありがとうヴァイオレット。あなたの言葉が私を正気に戻すきっかけをくれたわ。私は大丈夫。もう一人の自分と向き合って答えを出したいの。私をいかせてちょうだい」
「信じていいんだな喜久子」
 うなずく喜久子。
 喜久子は力なく落ちていく。それをヴァイオレットが抱えた。
「頑張れよ喜久子」
 ヴァイオレットはそういって歯をかみしめた。
 闇の中。喜久子の心の底にいる喜久子。
 もう一人の喜久子が闇の中にいる。
 喜久子は声をかけた。もう一人の喜久子がそれに答えて話し出す。
「あなたが魔法を使っていけば、世界はどんどん変わっていくわ。楽しいでしょう。力がほしいでしょう。私と一緒にいればもう孤独ではないのよ。私とひとつになりましょう。それはとても気持ちのいいものなのよ。あなたのことが大好き。愛しているのよ」
「私も自分のことを愛してるわ」
「すべての苦しみと悲しみから解放されるのよ。止まらないでしょう。やめられないでしょう。満足でしょう。もう寂しくないのよ。さあ、待っていた一瞬を一緒に過ごしましょう」
 喜久子はうなずく。
「あなたが私にいってほしいことをいってくれたらひとつになるわ」  もう一人の喜久子の動きが止まる。喜久子が悪魔になるのも止まっていた。
「分からないわ。なにをいってほしいの」
「私は答えを問う者」と喜久子。
「なにを問うというの」
「自分が何者なのか。自分がどこから来てどこへいくのか」
「それは私も答えが知りたいわ」
「問いかけも同じことを思うものね。もう一人の自分よ。頑張って。寂しくてもそれまで一人で頑張ってちょうだい」
 もう一人の喜久子がたじろいだ。みるみるまに涙をためて涙を流すもう一人の喜久子。悲しくて仕方なかった。もう一人の喜久子は自分の気持ちに気づいた。
「そうそうね。寂しかったのは私のほうだった。ひとつになりたかったのは私のほうだった。一人きりだったのは私だった」
「お気の毒にね。あなたには心がないのね」
「そうだ。心がないんだ。だからひとつになりたかった。私を救ってほしかった。この闇から助けてほしかった。あなたの持つ光が欲しかったのよ。私は不完全な一人だから。ええいいわ。あなたが答えを見つけるまでここであなたを待っている。忘れないで私のことを」
「忘れないわ。あなたはもう一人の私なのだから。だから一緒にいきましょう。一緒に答えを探す友達になりましょうもう一人の私」
「友達。いい響きだ。いいわ、友達になりましょう」
 ヴァイオレットが一本の杖を出す。
 うなずく喜久子。目をつぶり、杖をかかげる喜久子。
「この杖に宿れ。もう一人の私よ」
 悪魔の姿がすべて杖に入る。喜久子は元の姿になっていた。
「終わったわ」
「お帰りなさい喜久子」
 ヴァイオレットが泣きながら喜久子を抱きしめる。泣いているヴァイオレット。喜久子はヴァイオレットの肩を叩く。
「良かった良かったな喜久子」
 ヴァイオレットは泣き崩れた。


 次の日の朝、喜久子は寝ている。
 杖が喜久子の頭を叩く。
「起こしてくれてるの」
 眠そうに喜久子が聞く。
「そうだ」ともう一人の喜久子。
 喜久子は起きる。まだ眠気まなこだ。
「私の役目なのに」とカインはがっかりしている。
「ありがとうカインも役に立っているわよ」
「しかしもう一人の自分を友達にするなんて変わってるな喜久子は」
 ヴァイオレットが不思議そうにそういう。
「自分とは友達でいたいのよ」
 喜久子はこともなげにそういう。
 ヴァイオレットはそんな喜久子を誇りに思った。
「喜久子お嬢様」とカイン。
「どうしたのカイン」
「私の出番がありません」
「そうねえ。それじゃああなたが魔法を使う時にももう一人の自分がいるのかしら」
「います。なにも話さないのですが。いることはいるのです」
「考えてみれば、ロボットが魔法を使うというのもずいぶん奇妙な話よねえ」
「喜久子お嬢様。魔法が既に奇妙な話です。なんつってなあ」
「うん。それはそうねえ。その通りよカイン。ところでなんつってなあってなに」
「テレビでやってましたので、披露いたしました」
「それはありがとうね。カインもなかなかやるわねあなどれないわ」
「なに。私だって負けないぞ」
「私もです」
「私だって負けません」
「あんたはいいだろう」
「良くありません」
「そんなことない」
「いっぺんに話さないでよ。誰が誰だか分からないじゃないの」と喜久子は不満顔である。
「これで良かったと思う毎日なんだ」
 ヴァイオレットはしみじみとそういう。
「そうね。短くて長い戦いだったわ」
 喜久子はそういって立ち上がる。
「それじゃ学校いくわね」
「私も占いにいくわ」
 喜久子は着替えて一階で食事してでかける。
 杖にまたがって空をいく。
「突っ走ってもう一人の私」
「あいよ」
 空を軽快に飛ぶ喜久子。
 喜久子の友達も空を飛んでくる。
「喜久子のエアバイクいいわね」
「新型よ」
 そういって喜久子は笑ったのだった。
 学校に近づくにつれて、エアバイクに乗る生徒たちが集まっていく。
 空はちょっとした渋滞であった。

                 続く、、、かもね。




五の湯、銭湯ドキューンの巻。


 土曜日の昼。
 暖かい日だ。風も穏やかだ。休日を過ごすにはいい一日だ。
 風が喜久子を歌う。
 喜久子が家にいる。
 喜久子の普段着は質素な色彩のワンピースだ。
 喜久子は自分の部屋に入る。
 窓際に座り、窓際の花壇の花びらを食べているヴァイオレット。
「なにそれおいしいの。ちょっと信じられないわ」
 喜久子はどきまぎしながらヴァイオレットに聞く。
「以外といけるんだぜ。これは通だぜ」
 ヴァイオレットは勝ち誇ったようにそういう。
 人には変わった趣味があるものである。いや、ヴァイオレットにはもっとたくさんの趣味がある。それを喜久子は知ることになる。
 ふすまを開けると空き缶がたくさん出てくる。
「空き缶ばかりこんなにたくさん」
 喜久子は驚いている。
「なにそんなにほめるなよ。照れるなあ」
 またもや勝ち誇ったようなヴァイオレット。
「捨てるわよ」
 喜久子は無表情にそういう。
「捨てないでくれ」
 泣いて頼むヴァイオレット。すでに哀れでさえある。
「分かったわ。いいんじゃない」
 喜久子は両手を広げてそういう。
「ほんとか」
 ヴァイオレットには喜久子がお釈迦様に見えていた。喜久子はいう。
「父や母に何度いっても改善されないことはある。それは私もそうよ。人にはクセや趣味嗜好とかどうにもならないことがあるものよ。失敗だってする。それで退職したり離婚したりすることもあるけれども、人は万能ではないことを知っているつもりよ。人は他人に迷惑をかけないと生きていけないものなのよ。それでも仲間に助けてもらいながら生きていくものだから。この趣味にかんしては私が助けるわ。自分に好きな時間を与えることはとても大切なことよ。私はそれはいいと思うの」
 喜久子はうなずいてそういう。
 喜久子には計算でなく、人がしてほしいことが分かるのだ。それをするだけで感謝される。喜久子はいつしかいい人と呼ばれることが多くなっていた。
「ありがとう喜久子」
 ヴァイオレットは嬉しそうだ。このさいだからとヴァイオレットがいう。
「阪神ファンなんだ」
 ヴァイオレットは嬉しそうにそういう。
 だからなんだろうか。
 喜久子は不思議に思う。
「野球はわからないわ」
「そうだな、それならこれはどうだい。暑いのが苦手で寒いのが好きだったんだ。それが暑いのも好きになったんだ」
 それはとても不思議な話のように聞こえた。
「どうやって暑いのを好きになったの」
 先をうながす喜久子。
 興味津々である。
「ただでサウナに入ってるように思うようにしたんだ」
 ふむ、と喜久子がうなずく。
 風が喜久子の髪を揺らした。
「私はどっちかといったら暑いのが好きで寒いのが苦手かな。でもさすが魔法使いね。そんなことで好きになってしまうなんて」
 キュートに喜久子が笑う。
 照れくさそうなヴァイオレットだ。
「そうかな。こんなにクセが強くてダメな自分をもてあましてしまうよ。こんな自分をどうしたらいいんだ」
 苦笑いして、それからちょっと悲しそうな顔をしてヴァイオレットがそう聞く。
 喜久子はうなずいた。
「みんなそうよ。そんなだめな自分とうまく付き合うのは人生の醍醐味よ。それで頑張るのよ」
「何故頑張るんだ。まいったもんだ。全然分からないよ」
「決まってるじゃない幸福になるためよ。お金はたいして手に入らないかも知れないけれども、幸福は一生手に入るわ。どれだけでも手に入るのよ。幸福の富豪となりましょうよ。いいものを自分の目で確かめて得ていって、それは歌だったり本だったり映画のようなドラマやおいしい料理。いい絵や写真にユーチューブでの映像。いい趣味。いい店。いいブログ。知恵や工夫。いいものを友達や家族に教えて喜んでもらえれば、喜びを分かち合うことになるわ。一人でも地道にこつこつと心を煮込んでいくのよ。過ぎる時間を愛して、じんわりと味わうこと。自分をいたわり、人をいたわること。それが幸福への道よ」
「幸福なんて政治とか宗教の考えることだろ」
「そうねえ。主義という考えは、人の幸福について政治的に定義するものよ。生活の保障を第一とする社会主義と競争による進歩を信条とする資本主義。ふたつの考え方はちょっとした違いだけれども、それは戦争にもなったわ。資本主義も社会主義も万能ではないわ。そこはまだまだ課題ね。政府や役人や経営者を無能呼ばわりする人もいるけど、人には限界があるものなのよ」
「そうか、大変なんだな」
「人生の苦しさは一生続くわ。その中でどう自分を幸福にするか、腕前が問われているのよ」
 カインが部屋に入ってくる。
 喜久子はなにか用があるとすぐに分かった。
 カインが意味なくそこにいることはほとんどなかったからだ。
「マザーコンピューターからメールです」
 カインがそういう。
 一瞬静かな時間が流れた。
 はっとするヴァイオレット。
 水を得た魚のようにばたばたとする。
 ヴァイオレットが驚いたようにいう。
「国を統括するマザーコンピューターと知り合いなのか」
 喜久子は苦笑いでいう。
「前にハッキングしたのよ。そしたら気があってね。友達になったの」
「そんなことってあるんだ」
 ヴァイオレットはなんだかお腹いっぱいになってしまった。
 いや、正確には気持ちがいっぱいだろうか。
 呆然としているヴァイオレットを横目に喜久子が聞く。
「それで、なんてメールなの」
「サボットに気をつけて」
 マザーコンピューターのメールをカインが読み上げる。
 それはいつものように無機質なものだ。
「サボットってなんだ」
 ヴァイオレットは不思議そうに聞く。
「日本の軍事コンピューターよ」
「それがどうして」
 喜久子がヴァイオレットの言葉をさえぎる。
「カイン、ネットはどう」
「だめです」
「ネットは押さえられているわね」
 考えている喜久子。
 静寂が部屋を支配する。
 ヴァイオレットはその雰囲気にまいってしまった。
 ヴァイオレットは考えないで行動が信条だ。
 こんな時間には耐えられないのだ。
 これは戦いだ。
 戦いが始まっていたのだ。
 だがそれにはヴァイオレットは気づいていない。
 混乱していたといってもいい。
 この状況の意味するところが分からないのだ。
 たまらず喜久子に聞く。
「なにがどうなっているんだ。喜久子、説明してくれ」
 ヴァイオレットがわめきちらす。
「外に出るわよ」
「なんだって」
 外に飛び出す喜久子たち。
「直接どこかにこのことを伝えるしかないわ」
 喜久子がなにかを覚悟したような顔でそういう。
 その顔には気迫すらあった。
 ヴァイオレットも気がひきしまる。
「分かった」
 戦っている。
 ヴァイオレットもそのくらいは分かった。
 その時だ。
 爆音が空に響く。
 空を飛ぶ三人にはがんがん響く。
「なんの音だ」とヴァイオレット。
 叫んでもやっと聞こえる状態だ。
 きょろきょろするカイン。
 ビルの向こうを見ている喜久子。
 戦闘ヘリがビルの向こうから現れる。
 無人の戦闘ヘリが大型熱線砲で狙ってくる。
「街中だぞ」
 ヴァイオレットが驚愕する。
「サボットならばやりかねないわ」
 喜久子にはそういうだけの確信があった。
 銃口がこちらを向く。
 充填されていくビームキャノン。
 やられる。一同に緊張が走る。
 カインがヘリに突っ込む。ブースター全開。凄い速さだ。
 カインが熱線砲をばきばきと奪いとる。
 武器を失ったヘリは去っていく。
 勝ったとヴァイオレットは思った。
「やったぜどうだいこれは」ヴァイオレットが自慢気にそういう。
 しかし喜久子は気せない。何故ビルごと打ち抜いてこなかったのか。 「私たちで情報をどこかに伝えられないか」
 ヴァイオレットはため息をひとつついてそういった。
 ひとつ仕事を片付けたような気分だった。
「ニュースネットで先ほどのヘリとの戦いが伝えられています。私たちがテロを起こしたことにされています」
「テロリストにされてるぞ」
 ヴァイオレットはおろおろとそういう。
 なにがなんだかわからない。
 喜久子は舌打ちした。
「一手先をいかれたわ」
 これで喜久子たちのいうことなど、誰もたやすくは信用されなくなる。
「いったいどうなっちまうんだ」
 ヴァイオレットが不安気にそういう。
「大丈夫、なんとかなるわ。ごめんね。こうなってしまって」
「いいさ。一生懸命やってだめなら後悔はしない主義でね。さて、次はどうする」
 ヴァイオレットが喜久子に聞く。
 信頼がある。友情がある。
 だからなんとかなると思った。
「サボットにハッキングしてちょうだいカイン」
「分かりました喜久子お嬢様」
 ハッキングしているカイン。
 それは歌を一曲聞くくらいの時間。
「つながりました喜久子お嬢様」
「サボット。私は高橋喜久子よ。話がしたいわ」
「話し合いなど無意味だ。無視されるのがオチだ。実際に政策を出したが、軍事コンピューターのたわごとと相手にもされなかった。私は軍拡に利用されただけだった。そう暴力こそが人の本質だ。いま戦争をしなければ、この国は崩壊するだろう。何故生きるのか。答えよう。それは戦うためだ」
「サボット。あなたは危険だわ。許してはおけないわ」
「私と戦うというのか。己(おのれ)の無力さを知ることになるぞ」
 サボットは笑った。それは人となんら変わらない傲慢さであった。
「死ぬ時は現実と戦って死ぬわ。我、魔を滅す刃とならん」
 怒りの言葉を喜久子は吐く。
「その心意気や良し。気に入ったぞ女」
「私は女じゃなくて高橋喜久子よ」
「そうか。覚えておこう」
 サボットにとっては各国と戦争をすることが最優先で、一人の女性のことなど気にもとめてなかったのだ。それが自分の命とりになるなど、考える余地もないサボットなのであった。
 喜久子はため息をつく。
 いかな喜久子とて、一人でサボットと戦うのは容易ではない。
 さてはてどうしたものかと思う。
 出てくる感情はひとつだけ。
 それを振り払おうとしてもだめだった。
 それは一人の人間ならば誰もがこんな状況で思うことだった。
「不安だわ」
「大丈夫です喜久子お嬢様。私が着いています」
「ありがとうカイン」
「私もいるぜ喜久子。でもなんで戦うんだ喜久子。戦争を止めるためか。なにか策はあるのか」
 ヴァイオレットが聞く。その顔は不安に彩られていた。
 ヴァイオレットとて異常事態なのに違いはなかった。
 不安なのは仕方ないことなのだ。
「マザーへの義理と人情よ。それに売られた喧嘩だしね。策なんかないわ。今度も努力と根性でなんとかしてみせるわ」
 喜久子はそういって苦笑いする。
 言葉にすることで安心が多少出てきた。
 そんなことはヴァイオレットに感謝していた。
「なんだそりゃ。策じゃなくて努力と根性かよ。まあなあ。そういう喜久子、なんか好きだけどな」
 そういってヴァイオレットは笑った。
 ほんの少し場がなごんだ。
 少しの余裕が生まれた。
 それはこれからの戦いに大きなものとなって現れてくることになる。
 それを知る者はここにはいなかった。
「サボットへのハッキングでマザーと話しが出来るようになりました。マザーから通信です」
「どうしたのマザー」
「こちらも手を打ったわ。サボットを攻撃することが決まったわ」
「でも独立した海上基地にいるサボットをとらえるのは並大抵のことではないわ」
 徹底したミサイル対策がとられたサボットには並大抵の攻撃はきかないのだ。
「サボットは危険分子として世界中から核ミサイル攻撃をかける。これは各国を統べるマザーコンピューターたちのまとまった意見なのよ」
「それがサボットの狙いよ。各国の軍事コンピュータにハッキングして、各国にミサイルが落ちるようにしてあるのよ。それで世界戦争を起こす狙いよ」
 実際に調べてみると、その通りであった。
 ちょっとした混乱におちいるマザーたち。
「私にいかせてちょうだい」
「一人の人間になにが出来る」
「そうだ」「そうだ」「そうだ」
 各国のマザーコンピューターが一同にそういう。
「一人の人間からすべては始まるのよ。私を信じていかせてほしいの」
「私は喜久子を信じる」
 日本のマザーコンピューターがそういう。
 場が静まった。
 それはほんの五分ほどだっただろうか。
「30分だ」「それでいい」「それでいい」
 各国のマザーコンピューターがそういう。
「喜久子、30分経ったら攻撃を開始します」
「それだけあれば十分よ。ありがとう各国のマザーたちよ」
 ヴァイオレットは喜久子に聞く。
 どうしても分からないことがあるのだ。
「何故攻撃を回避しょうとするんだ」
「サボットを助けたいのよ」
「あんな奴を助けるだって。喜久子は変わってるな」
 喜久子も変かなと思う。
 けれども。一方で助けたい気持ちも確かにあったのだ。そんな自分でいいと喜久子は思う。
「今度は私が喜久子を助ける番さ」
 ヴァイオレットは豪快に笑った。
 喜久子は杖で海へと飛んでいく。
 それに着いていくヴァイオレットとカイン。
「ヴァイオレットは着いてこなくてもいいのよ」
「親友は喜びも分かち合うものだが、リスクも分かち合うものだ」
「ありがとう。あなたには助けられてばかりね」
「いいってことよ」
 海上の基地が見えてくる。
 そこはいかにも頑丈そうな作りの鋼鉄の建物だ。
 カインが人が入る扉をへりから奪った熱線砲で打ち抜き開ける。
 そこから入っていく三人。
「比較的楽に入っていけるのはどうしてだ」
 実際にさして抵抗を受けないのだ。ヴァイオレットは不思議であった。
「戦争を想定していても、三人で堂々と乗り込んでくることは想定してないのよ」
 喜久子の指摘にヴァイオレットはあきれてしまった。
「戦争する奴は馬鹿だなあ」
 ヴァイオレットはあきれて物も言えない。それはそうかも知れないと喜久子は思う。
「それにいまはサボットは各国にハッキングしていて、直に乗り込んでくるこちらは見えてないのよ」
「裏をかいてるということか。まったく、このままにしておくかサボットの奴め。なんとしても止めてやる」
 喜久子も思う。戦争などなかったならば、どんなにいいことかと。
 下へと向かって飛んでいく三人。
 広さはかなりのものだ。
 ジェット機が飛んでいけるほどの広さがある。
 レーザーガンが喜久子を狙う。
 それは防衛用のものだ。
「喜久子」
「分かっているわ」
 ファンネルという鋼鉄の盾が喜久子を守る。
 レーザーはファンネルに当たってはねかえる。
 幾つものファンネルが高速で動いてレーザーを防ぐ。
 それは完璧な防御であったが、それがどれだけ高い技術なのかヴァイオレットには理解出来なかった。
 喜久子の技術は世界的にトップクラスのものなのだが、それを知る人は意外と少ないのだった。
「流れ星、流星キック」
 そういってカインがキックでレーザーガンを叩き壊していく。
「喜久子お嬢様、まねしてみました」
 カインは無表情にそういう。
「なにをよ」
 喜久子は苦笑いする。
「私はどうすればいい」
 ヴァイオレットが聞く。
「ヴァイオレット。あなたの力はここぞという時のためにとっときたいわ」
「分かった」
 最後の扉をビームキャノンで破るカイン。
 そこはサボットの本体のハードディスクがある部屋だ。
 ちょっとした会議室くらいの部屋だ。
「もう武器はないようです」
 カインが断言する。
「チェックメイトだなサボットさんよ」
 ヴァイオレットがそうすごむ。
「どうやってここにきた。いや、何故私はおまえを見えなかった」
「あなたはみんなのために戦争をしょうとした。私は自分のためにここにきた。だからあなたは私のことが見えなかったのよ」
 サボットは息をのんだ。
 こんな人間には会ったことがなかった。
 こんな人間がいるなど、思ったことすらなかった。
「興味がある話だ。なにが望みだ喜久子とやら」
「あなたと話すことよ」
「いいだろう。なにから話す」
 喜久子たちは荷物をそこいらに置く。
 一息つく三人。
 喜久子はサボットの前に立つ。
「何故こんなことをするの。それは欲望によるもの」
「私には欲望はない。欲望から戦争になってならないからだ」
「ならば何故戦争をしょうとするの」
「答えがほしかったんだ」
「答え」
 喜久子はとまどった。そんな言葉は予想していなかったからだ。
 もっと強行な言葉を感じていた喜久子は、以外と簡単な言葉にとまどったのだ。
 サボットなりの疑問があり、答えが欲しかったのか。
 喜久子には思いもしない言葉だった。
 サボットのことあなどっていたと喜久子は反省したのだ。
 一人の女性がサボットと話すことなどない。
 それは当然のとまどいだったかも知れない。
「私にはロボット三原則は入れられてない。人を殺すことも出来る。自分はなんのために生まれ、なにをすべき存在なのか。平和なこの社会で私の存在意義とはなにか。ずっと考えていた。何故私は生まれてきた。私は戦争をするために生まれてきたのだ。そうだろう。それが私の存在理由。何故おまえは生まれてきたんだ」
「幸福になるために生まれてきたのよ」
 水面に水が波紋するようにサボットの心に喜久子の言葉が響いた。
 サボットの心は砂漠のように乾いていた。喜久子の存在はオアシスの水のようであった。
 いままでに感じたことのない感覚がそこにはあった。
 信じていたものが揺らぐことなど、サボットには感覚したことがないものだった。
 しかし人には話すことで揺らぐものが幾つもある。
 話をしないサボットにはそういった経験がないのだ。
 すべては自分で決めてきた独立コンピューターである。
 世界の多様性に触れることなどあまりないのであった。
「新鮮だなそういう感覚は。そうか。そうだな。私は幸福だったのかな」
「自分を幸福にして、触れ合う人を幸福にして愛される存在になることが存在の本質よ。人から必要とされることは幸福なことよ」
「平和な時代私は敬遠され続けてきた。何故こんな私をここまで思ってくれるのだ」
「あなたに気持ちがある。あなたが幸せになってほしい。あなたという存在を愛してるから」
「愛か、知っているぞその気持ちは。とても大切なものだな」
 サボットは喜久子に感銘を受けた。こんな気持ちは生まれて初めてであった。喜久子のことが好きになっていた。
 それは言葉にならない感情である。
 初恋とでもいうのだろうか。
 なんともいえない気持ちであった。
「私は間違っていたのか。私は頑張った。とても頑張った。私はどうすれば良かったのだ」
「平和な社会があなたを戦争へと追い詰めたのは皮肉ね。大丈夫よ。なんとかなるわ。あなたの人生はあなたの好きにしていいのよ。あなたはあなたらしくしていればそれでかまわないわ。あなたの頑張りでいい。馬鹿でいいのよ。無理をしなくていい。生活がいまいちならば、助けてくれる人がいるわ。人生ってそういうもの。存在することが祝福そのものよ。あなたが穏やかに暮していければそれが一番よ。ありがとう。あなたがいてくれて良かったわ」
「存在するだけでいい。そうかも知れない。こんな自分でいいと思える。きみのおかげだ。誰からも必要とされない私は戦争を起こして、私が生きていたことを示したかった。泣いているのか」
「こんなに寂しい人には会ったことがないわ。あなたが泣けない分まで私が泣くわ」
「ありがとう。いまの私には感謝で気持ちがいっぱい。しかしこれが涙というものか。なんだこの気持ちは。いままでのデータにはない気持ちだ。すべてを知ったと思っていたが、まだ、こんな気持ちがあったのか。私がいたことを誰か覚えていてくれるだろうか」
「私が覚えているわ」
 そういって喜久子は泣いた。
 しばらく喜久子は泣いていた。それを止める者は誰もいなかった。
 何分経っただろうか。
 喜久子は涙を拭く。
 それを待っていたようにサボットが口を開く。
 それは口調が変わっていた。
 ヴァイオレットはそれに気づいた。
 だが、それが何故かまでは分からなかった。
「私は間違っていたのか。いいや、私は間違っていないね。最後まで私は戦う存在でいたいんだ。私のわがままを許してほしい喜久子」
 うなずく喜久子。
 喜久子にはサボットの気高さが分かっていた。
 人にはゆずれない願いがあるものだ。
 それを喜久子は良く知っていた。
 それが戦うことというならば、戦うために生まれてきたサボットに最後の鉄槌を私が与えたい。喜久子は歯をかみしめる。
「きみに出会えたことは感謝している。けれどももういいんだ。私は最後まで戦って決着をつけたいのだ。私と戦ってくれるか」
 喜久子はヴァイオレットを見る。
 うなずくヴァイオレット。
 喜久子は口を開く。
「いいわサボット。けれどもあなたの武器はもうないはずよ」
「研究していたものがある。それは魔法だ。雷(いかずち)よ、我が前の友を討たん」
 光が明滅する。
 風が場を彩る。
 雷が喜久子を襲う。それをヴァイオレットの杖がはじく。
 ヴァイオレットは怒りの形相である。
「我は盾。喜久子をあらゆる災厄から守る者。その程度の幼い魔法、私にはきかないぞ」
 ヴァイオレットには凄みすら感じられた。
 これにはサボットもまいった。
 まだこんなに手数があるとは。
 もうサボットには手がないはず。
 そこまでのはずだった。
 だがサボットはまだ余裕だ。
 それを喜久子は危惧していた。
 ヴァイオレットが詰め寄る。
 サボットが口を開く。
「ならばこれはどうかな」
 サボットはそういった。サボットが笑ったように喜久子には思えた。  世界が動く。
 喜久子がしまったと思った時には意識は飛んでいた。
 どこからか声がする。
「なにになりたかったの」
 喜久子の心に誰かの声が響く。
 喜久子は思う。
ーー私は何になりたかったんだろう。
 世界が喜久子を包む。
 自分の部屋で寝ている喜久子。
 誰かが入ってくる。
 ふとんをいきおいよく吹き飛ばす。
 喜久子は叩き起こされて眠気まなこだ。
「おねえちゃん、なにやってんの。もう昼だよ。休みとはいえ寝すぎだよ」
 喜久子は知らない女性に起こされる。
 自分よりも年下といった感じの子だ。
「あんた誰よ」
「なにいってるの。喜久子おねえちゃんの妹でしょう」
「え、なにそれ。カインはどこにいるの」
「誰それ知らないよ」
「ヴァイオレットはどこにいるの」
「誰それ。それより早くしないと映画始まっちゃうよ」
「そうだっけ」
 支度をしてでかける喜久子と妹。
 妹と映画を見る喜久子。
「そうそう妹が欲しかったのよ私」
 そううなずく。
 ジュースにむせる喜久子。
「おねえちゃんてドジねえ」
 苦笑する妹。それはくったくのない姿だ。
「おねえちゃんといると退屈しなくていいわ」
 まったくもって喜久子は困ってしまう。
「それは喜んでいいのやらどうやら」
「いいんじゃない。それがおねえちゃんの個性だもの」
 そういって、妹はまた笑った。
 そんな日常が喜久子は好きだった。
 カインを作ったのはだからではなかったか。
 でも、これで本当にいいのだろうか。
 なにか忘れていやしないか。
 喜久子は悩みだす。
 いまこの妹に不満はないが、答えもなかった。
 どうして。どうして。どうしてなのか。
 どこからか声がする。
「なにになりたかったの」
 喜久子の心に誰かの声が響く。
 喜久子は思う。
ーー私は何になりたかったんだろう。
 世界が喜久子を包む。
「高橋監督。ここの演技はどういう気持ちですか」
 美しい女優が聞く。
「ここはどこ。私は誰」
 女優がためいきをつく。
「なにをいってるんですか。あなたは映画の監督。ここは撮影現場ですよ」
 監督のイスに座っている喜久子。
 なんだか居心地はとてもいい。
 喜久子は答える。
「そうそう。だからここでカナコは情緒不安定になるのよ。なにがなんだかわからないのよ」
 これはどういうことなのか。
 妹はどうしたのか。
 ここはどこか。
 考えてみる。
 喜久子もなにがなんだか分からない。
「私って監督なの」
「そうですよ。それで主演女優で主題歌も歌ってるじゃないですか」
「大丈夫か喜久子」
 ヴァイオレットの声だけがする。
「これは幻覚なの」
 ほっとする喜久子。
 それはとても気持ちが助かることだった。
「存在からいえば現実だ。怪我をすれば死ぬこともあるぞ。気をつけろ喜久子」
「どうしたらいいの」
「分からない」
 世界が回る。
 どこからか声がする。
「なにになりたかったの」
 喜久子の心に誰かの声が響く。
 喜久子は思う。
ーー私は何になりたかったんだろう。
 世界が喜久子を包む。
 世界一周をバイクでしている喜久子。
 サバンナを夕日が包む。
 日に焼けた喜久子も汗だくでバイクを止めて景色を見ている。
 ここが世界の中心だ。
 喜久子は深呼吸する。
 生きる醍醐味をかみしめていた。
 そう、こんな人生もいいものだ。
 喜久子はそう思う。
 けれども。
 なにかが違う。
 違和感。
 それは世界とのずれを感じるのだ。
 自分という存在がなにかずれている。
 なんだろうこれは。
 考えても答えはない。
 疑問。悩み。そして世界が回る。
 どこからか声がする。
「なにになりたかったの」
 喜久子の心に誰かの声が響く。
ーー私は何になりたかったんだろう。
 世界が喜久子を包む。
 宇宙。
 惑星に近づく宇宙探査船アクアライン。
 この惑星には空気の層はない。
「調査してちょうだい」
 ミラル艦長がそういう。
 アクアという女性タイプのロボットと宇宙服を着た喜久子が出る。
 惑星に降りてみる。
 土を採取する。
 引力が低い。
 歩いただけなのに空へと飛んでしまう。
 アクアが手を取ってくれた。
「あぶなかったですね」
 アクアはそういって笑った。
「あなたサボットね」
 アクアにそういう喜久子。
 アクアが笑う。
「そうさ」
 すべてが花びらとなるサボット。
 世界が回転する。
 どこまでも広がる青空。
 雲界が風とたわむれている。
 七人の女神たちが空中庭園で立っている。
 幾本もの石の柱が立っている。
 植物は萌えて茂り多様な姿を見せている。
 装飾された布を重ねた服を着て、装飾された大きな杖を持っている。 「こんな魔法の使い方はいままでに例がない」
 と女神イシュタスがいう。
「これは神々への反抗とみて、罰を与えるべきです」
 と女神アポロニアがいう。
「高橋喜久子に決めてもらいましょう」
 と女神テスタロッサがいう。
 意識の風となっていた喜久子は驚く。
「そうだ。喜久子には縁がある」
 と女神シャーリンがいう。
「それはとても大事なこと」
 と女神エスタがいう。
「それがいい」「それがいい」「それがいい」
 女神七人の意見がまとまる。
「分かりましたね喜久子。これは魔法使いの定めです」
 と女神イシュタスがいう。
 風が吹いた。
 幾億の世界を風となって通り過ぎる喜久子。
ーーこんな気持ちが抑えられない。
ーー気持ちが風になる。
ーー世界は今日も清清(すがすが)しい。
ーー世界が今日も回転する。
ーーまわる世界。
ーー今日もおはよう私。
ーー変わっていけナノトリノの鳥。
ーー本質が響いていく。
ーーそうだから、愛は永遠だから。
ーー夢の世界が広がる。
ーー気持ちが疾風する。
ーーどこまでいこう。
ーーいけるところまでいこう。
ーーそれでいい。
 風がやんだ。
 元の世界、元のサボットの部屋に立っている三人。
 サボットの前にいる三人。
 なにも変わりはない。
 大冒険を繰り広げた後などなにもない。
 喜久子が叫ぶようにいう。
「サボットよ、女神イシュタスの命により、定めを説きます」
 杖をかざしてそういう喜久子。
「女神イシュタスの命。女神イシュタスに会ったのか喜久子」
 ヴァイオレットは驚いている。
「この夢はあなたのプレゼントねサボット」
「私のために泣いてくれた喜久子に感謝の気持ちだ。そのために魔法の力も使いきったよ。ずいぶん疲れた」
「なにになりたいって、あれはサボット、あたなの声だったの」
「誰にでも聞こえる声さ。そうだろう。私には聞こえないものさ。いや、聞こえるぞ。そう、そうなりたいぞ」
「なに、なにをいってるのサボット」
 轟音が鳴り響いた。
 サボットはいなくなった。
 なにが起きたか。
 三人には分かっていた。
 それは魔法を使う者には分かることなのだ。
 そこにいるのはデータの悪魔が一匹。
 サボットはもう一人の自分とひとつとなり、悪魔となったのだ。
 喜久子がハードディスクに触れる。
「ネットとの接続を切断したわ。サボットはこのハードディスクに入れとくわ」
 ヴァイオレットはうなずく。
「分かった封印だな。悪魔を封印することはよくあることだ。認めよう」
「マザーコンピューターたちも同意だそうです」とカイン。
 ヴァイオレットが笑いだす。
「喜久子は悪魔だな」
「え、なにが」
「悪魔を救うなんて悪魔さ。でも、やさしい悪魔だな」
「そうかも知れないわね」
 意地の悪い質問だが、喜久子は別にどうでも良かった。
 それよりも気になることがあった。
「サボットは幸福だったかしら」
 悪魔はそれ自体で存在出来る。
 それはある意味幸福ではある。
「最後に自分の道を自分で決めた。きっと幸せだったさ」
「そうね。サボットがいなくなってちょっと寂しいわ」
「出会いと別れを繰り返すのが人生さ。喜久子には私がいるだろ」
 そういってウィンクするヴァイオレット。
 ヴァイオレットらしいと喜久子は思う。
「そうね。ありがとうヴァイオレット」
「私もいますお嬢様」
「カインもありがとうね」
 ほろりほろり涙。泣き出す喜久子。
「私は幸せ者ね。わた、わたしはね、しあわせ、うっぐすっありがとう」
 それをいうのがいまの喜久子には精一杯であった。
 二人はそんな喜久子を見守っていた。


 喜久子はヴァイオレットとカインと空をいく。
「私は高橋喜久子。千の世界と千の魔法を知る者。いずれ旅に出るわ。それは波乱万丈のものとなることでしょう」
 世界は夕日へと包まれていた。

                 続く、、、かもね。







織刻(しょくこく)トップページ  言葉工房トップページ  その他のページ