瑠璃山 常光寺 (小田郡矢掛町本堀488)

本尊 薬師瑠璃光如来

中興 明和・安永年間霊明法印

本尊薬師如来は町の重要文化財

 矢掛町の中心部から西へ二キロ程のところに薬師如来を本尊とする瑠璃山常光寺がある。本尊の薬師如来は、高さ○・四七メートル、総丈一・二七メートルの坐像で町の重要文化財に指定されているものである。本尊脇には曰天、月天菩薩、十二神将、弘法大師、不動明王、地蔵菩薩、毘沙門天、聖徳太子の諸仏が祀られている。
 常光寺の開山・歴住等は不詳とされているが、かつては現在地から三○○メートルほど離れた裏山の中腹に建立されていたという。現在もその裏山には、寺屋敷と称する寺跡と山林が残っており、その後方少し高いところに鎮守社として稲荷明神社が建立されている。毎年十月四日に、上。石井の両地区が交互に祭典を行なっている。
 記録によると貞享三年(1686)十一月十一日法印弘吽の代に施主片山忠衛門によって、その場所に本堂が建立されている。その後、寺門衰頽の一時期を経て、明和、安永の頃、法印霊明の代に至って再興されている。現在の地に移築されたのは約八十年後の安政五年(1858)のことである。
 また、常光寺は明治初年まで村社四位神社の別当寺だった。同神社の社僧として祭典などを執行していたが、神仏分離令によって、合祀されていた毘沙門天を常光寺に移している。以来、引き続いて、正月三日の早朝と同月二十八日に家内安全の大般若祈祷を、また、十月十日、十一日には秋季祭典が行なわれている。
 また、明治期には常光寺には学校が設けられていたこともあった。明治六年、二月から本堀・浅海地区を学区とする第五十二番有常小学校が設けられていた。
 常光寺の梵鐘は霊明法印の代に鋳造。その後、空遍阿闍梨梨によって再鋳造ざれている。その梵鐘も太平洋戦争で供出されている。現在の梵鐘は、恵隆・先代住職によって昭和二十五年に鋳造されたものである。
 その恵隆住職は、吉備真備の祖母の骨蔵器で知られる第百一番圀勝寺住職も務めていた。昭和六十二年に恵隆住職が亡くなった後、志田恵弘大光院住職によって兼務されている。

年中行事

1月3日  毘沙門天祭典 1月28日 大般若祈祷
10月4日 稲荷明神祭典 10月10日〜11日 毘沙門天秋季祭典

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より