瑠璃山 薬王寺 (小田郡矢掛町浅海2671)

本尊 薬師瑠璃光如来

中興 対照二年恵成

入定一千百年御遠忌の大きな記念碑

 矢掛町は江戸時代から参勤交代のため諸国と江戸を往き来する大名の宿場町として栄えてきた町。その矢掛の町を 旧山陽道にそって東西に小田川が流れている。その支流である一ノ瀬川の流域に広がる浅海という地区に瑠璃山薬玉寺がある。
 浅海地区は矢掛町の中心部から南西に約三キロ離れた平野部で、東方にはかって山頂に極楽寺があった伽藍山(標高二九二・三メート)がそびえ、南方には笠岡市との町界をなす阿部山(標高三九七・八メートル)がそびえている。
 周囲は稲作を中心とする田園地帯となっており、近くには矢掛町農協ライスセンターがある。南側阿部山の麓の緩やかな斜面では、ヒロハンブルグという品種のブドウの栽培も盛んに行なわれている。
 薬王寺へ登る参道の石段の左手には、高さ約二・五メートルの自然石でできた石碑が建立されている。その石碑には、二局祖大師一千百年遠諱供養塔」と彫られている。弘法大師御入定一千百年御遠忌の年にあたる昭和九年に建てられたものである。
 表門をくぐり境内に入ると、回りを墓地に囲まれて左手奥に、約二間四面の本堂がある。その中に安置されているのは、十二の大願を発して病気を除き諸根を具足させて東方浄瑠璃世界へと解脱きせ導いてくれるという薬師瑠璃光如来(木仏坐像)である。山号の「瑠璃山」も寺号の「薬王寺」も本尊にちなんで付けられたものである。
 現在、薬王寺の伽藍は本堂だけとなっているが、かっては庫裡と鐘楼堂もあった。庫裡は明治十九年に火災で焼失した後、大正二年に再建。鐘楼堂は宝暦三年(1753)に建立され、明治三十三年(1  900)に改築。梵鐘は寛政九年(1897)に再鋳造。何れも第二次大戦をはさんで長い年月の間  に失われている。
 薬王寺は明治の中頃より兼務住職によって守られてきており、現在は、伽藍山の麓の江良寺谷にある第九十七番大光院の志田恵弘住職が兼務住職となっている。

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より