伽楞山 西極楽寺 西方院 (小田郡矢掛町江良1705)

本尊 不動明王

開基 天平九年行基菩薩

中興 寛永十二年長意法印・寛永十五年精吽僧都

かつての西極楽寺の面影残す 

 西方院のある矢掛町は旧山陽道の宿場町として古くから栄えてきた。その矢掛町の中心部から南方を見上げると伽藍山と呼ばれる山がそびえている。その伽藍山の西側山麓の寺谷と呼ばれる所に伽楞山西極楽寺西方院がある。
 伽藍山山頂には天平九年(737)に行基菩薩によって極楽寺本堂並びに十二坊が開創され栄えていた。西方院は、十二坊の内の一坊として建立されている。西の坊、大光坊、金剛坊、西明坊、辻の坊、宇根坊、大坊、坂の坊、新蔵坊、阿賀井坊、塔善坊、仁王坊の十二坊の内の大坊が後に西方院となっている。
 山頂にあった極楽寺は寛永年間に山頂に本堂を残し伽楞山の東西の麓に分かれ移転している。東側の里山田には宇根坊、仁王坊、坂の坊、塔善坊、阿賀井坊の五坊が移転して東極楽寺となり、西側の寺谷には、西の坊、大光坊、金剛坊、辻の坊、大坊、新蔵坊、西明坊の七坊が移転し西極楽寺を形成している。
 文献によると、西方院は寛永十二年(1635)長意法印により中興開山されたとも、寛永十五年1638)精吽僧都の本願で現在地に再興されたとも記されている。その後、寛文十一年(1671)には西方院の公称が許可されている。
 西方院の本堂は、南側に隣接していた西極楽寺の本堂を昭和十年頃に譲り受けたもので、現在も庫裡と本堂の間には境内地を分ける土塀が残されている。この本堂は天明年(1781−88)に火災に遭い、その後文久三年(1863)に再建されている。庫裡も慶応二年(1866)に焼失し一緒に重要な記録等も失われている。現在の庫裡は明治元年に再建されたものである。
 本堂の下には、本堂と同じく西極楽寺のものだった仁王門がある。仁王像は雲慶の作との説もある。
 西方院のすぐ下には、同じく極楽寺十二坊の一坊だった大光坊から改称した大光院がある。二つ寺院が立ち並ぶ風景は優美そのもの。寺谷が古くからこの地域の大師信仰の中心となってきたことを今に伝えている。

年中行事

正月 年始受、答礼 3月 四国霊場巡拝
4月 総供養、施餓鬼法要 5月  高野山団参
8月 盆行 9月 四国霊場巡拝
その他毎月1日信仰会、史談会 毎月2回金剛講

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より