伽楞山 極楽寺 大光院 (小田郡矢掛町江良1720)

本尊 聖観世音菩薩

開基 天平九年行基菩薩

庭に美しく咲く山茶花

 旧山陽道の宿場町として栄えてきた矢掛町。その南部にそびえる伽藍山の西中腹の寺谷に伽楞山西極楽寺大光院がある。かつて伽藍山山頂には、天平九年(737)に行基菩薩が開基したと伝えられる極楽寺があった。大光院は、その極楽寺十二坊の中の一坊として同じ年に創建されている。
 極楽寺十二坊は、西の坊、大光坊、金剛坊、西明坊、辻の坊、宇根坊、大坊、坂の坊、新蔵坊、阿賀井坊、塔善坊、仁王坊で、この中の大光坊が後に大光院になっている。また、大光院の東側には同じく十二坊の中の大坊だった第九十九番西方院がある。
 山頂にあった極楽寺は寛永年間に、山頂に本堂を残し伽楞山の東西の麓に分かれ移転している。東側の里山田には宇根坊、仁王坊、坂の坊、大坊、阿賀井坊の五坊が移転して東極楽寺となり、西側の江良寺谷の寺院は、西の坊、大光坊、金剛坊、辻の坊、塔善坊、新蔵坊、西明坊の七坊が移転し西極楽寺となっている。
 その後、両極楽寺の間で山頂の本尊をめぐる論争が起き、山頂の本堂を撤去することになった。その際、本尊の基上身を西極楽寺が持ち帰り、御坐を東極楽寺が持ち帰ったと伝えられている。
 延享二年(1745)西明坊は川面村宇内に移して西明院と称し、残り三ヵ寺は廃寺となっている。そして明治初期には、金剛院、大光院、西方院のみとなっている。
 大光院の本尊は創建当時のもので、天平三年に行基菩薩によって彫られたと伝えられている聖観音木仏座像である。
 大光院には、光明両界曼茶羅図(宝暦年間、縦六尺二寸、横幅二尺九寸)、涅槃図(文化年間、縦一メートル、横一・四メートル)、十六羅漢掛軸(五尺九寸)などの寺宝が伝えられている。
 ちなみに、昭和九年金剛院は愛知県瀬戸市へ移転。財産は川面村東川面妙覚寺(現在の四王寺)に譲渡されている。
 大光院の庭には秋から冬にかけて山茶花が美しく咲き乱れる。かつて歌人の楠木憲吉氏が矢掛町を講演に訪れたとき大光院に立ち寄り、二つの歌を詠んでいる。
  「谷の山茶花 三日遊べば三日散る」
  「寺深秋 御母豊かに存します」

年中行事

1月2日 年始受け 1月3日〜5日 毘沙門天縁日
5月上旬 霊場巡拝 8月  盆行
その他春・秋彼岸会    

『高野山真言宗備中寺院めぐり』より