岩生山 元恩寺(和気郡和気町原308)

本尊 十一面千手観音 

縁起
 村の中央山麓に、本堂(方五間)は南面し、其の西前には本坊、東前には妙行院、正面には単層仁王門、西後上には寶積院、東後に開山堂、後に山王社、前に鐘楼等がある。而して、本堂の礎石には、古い物が敷箇用ひられて居る。本尊は十一面千手観音立木像がある。(四尺五寸)寺記によると、大字本字榎木谷の中の尾に在った。それを康保元年信源上人によって移転され、寛文の騒動にに甚だしく壊れ、延寶年中に復興したと。今榎木谷の口、大字田原下の分に、門の奥と云ふ字があるが、是れだけでは、寺址を證するには、尚ほ不十分である。若し此に寺が在ったとすれば、古瓦が在ってよき筈、縁起書にも古瓦在りと書いて居るから、村の人の努力によって、古瓦を、此の榎木谷に於て、発見して貰ひたい。
 寺中寶積院の歴代の内に、寶積院祐好と云ふ住持があった。元恩寺第十五代法印、岩本祐應の弟子で、行年二十二歳の時、流注を発して遂に早世した。時に元治元年子星十二月十一日で、境内に葬った。後誰云ふとなく、是れを腫物の神ととして参詣者甚だ多く、寶積院と云へば、附近で知らぬ者は無く、昭和五年三月には、立派な寶積堂(五、五間 三間)が建てられて居る。