當栄山 妙泉寺(和気郡佐伯町佐伯352 )

本尊 曼荼羅 

縁起

 万富宗堂の妙泉寺の雲哲日鏡が毒殺されたのは元和三年(1617)一月二十三日、三月二十四日、五月十四日の諸説があって確実な事は判明していない。(日蓮宗不受不施派の研究)その弟子日雅が佐伯に来て、豪族金谷の屋敷跡に庵を結んだのが現在の妙泉寺の始めであると伝えられている。
 明治九年(1876)不受不施が独立し、公認されると本堂などの建築にとりかかったようである。釈日地正伝によると、妙泉庵は明治七年(1875)教山という僧が再建したとあるが、現存している棟札によると、明治十二年(1879)日寿時代に建立したと書いてある。比較的大きい建物で畳百枚がひけるといわれている。中央にはマンダラ本尊が安置してあり、妙泉寺門流の信仰形式がよく保たれている。庫裡にある内仏の格天井は相当古いものであり、林浜次氏の談によると、元和の頃の金谷家のものを譲り受けたものではないかとのこと。