極楽山 清眼寺(津山市院庄779)

本尊 阿弥陀如来

縁起
当山は、淳和天皇の御宇、弘法大師の開山でもと雲清寺と号した。元弘二年後醍醐天皇气穏岐に御遷幸の砌、御駐輦になられたのは雲清寺と伝う。境内の宝篋印塔がわずかに雲清寺のおもかげを伝えている。後年兵火にかかり、諸堂焼失せるお長録年間宥尊上人今の地に再建清眼寺と改号し今日にいたる。山名勝氏美作の守護職なりし時、当山を祈願所となし寺領を寄進させる。永正年中、入江蔵人村則を葬り嗣子石見守藤忠堂守を修め亡父の冥福を祈る。貞享五年秋九月森家家老長尾勝明、院庄駐輦碑を建て後醍醐天皇児島高徳の由跡を明らかにし、ゆかりの当山に『院庄貽文』を残した。慶応年間城主松平慶倫がこれに副書を添えて模刻し、これも寺に残している。
鎮守毘沙門天は古くから信仰をあつめ、近年美作国七福神霊場として多数の参拝者で賑う。又境内のボタンは福々しい美しい大輪の花を咲かせ参拝者を楽しませている。

年中行事

一月三日 毘沙門天祭
四月下旬〜五月上旬 釈迦花まつり・牡丹まつり
八月十八日 お施餓鬼法会

寺宝・文化財

・院庄貽文(このしぶみ)(市重文)

高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場会発行『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より