極楽山 光厳寺(津山市西寺町43)
本尊 不動明王
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縁起
今から遡ること約370有余年、時あたかも国主森忠政公が津山城竣工を目前に控え、城下の造りも着々と進捗中であった慶長19年(西暦1614年)豪商蔵合氏の発願により、院庄清眼寺に在りし秀照上人が津山の現在地に移り来たりて開基されたとある。
その後数年間は、同じく清眼寺と号していたが、延宝二年(西暦1674年)極楽寺の山号だけ残して「光厳寺」と改め、現在に至っている。
光厳寺という寺名の由来は定かではないが、寛永十九年(西暦1642年)の正月、光厳寺三世上人秀慶法印記す縁起をみる時、津山船頭町田原屋六兵衛なる者、ある夜、牛窓の沖を航行中、海底より光り輝くものをみつけ、早速、船に引き上げたところ、それは五尺有余の木造不動尊であったという。
この不動尊は、六兵衛が当寺の檀徒という因縁により、ご本尊不動明王として納められ今日に至るが、信心深い六兵衛に不動明王が海中より浮かびたまわったのであろうと記される。
この寺伝を見る時、あるいは「光厳寺」という寺号は、不動明王の海底にまぶしく輝く光に由来するものかも知れない。
380年の春秋を経た庫裡は昭和六十年二月に再建。本尊は子育て不動として霊験あらたか。
年中行事
毎月二十八日 縁日護摩供を修し諸願成就を祈る
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寺宝・文化財
・石造の閻魔像
・蔵合氏五輪塔の墓
高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場会発行『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より