妙法山 経王寺(津山市下野田165)

縁起

当妙法山経王寺は、天正年中(西歴1573〜1592年)備前宇喜多氏の老臣岡豊前守家利は美作、勝田郡植月古吉野の両庄に於て五千石を領し植月中村小山の城に住したが、元亀以降の合戦に於て戦死した。一族郎党の菩提を弔ふべく小山城麓に一寺を建立し京都具足山妙顕寺に請ふて僧日随上人を迎へ、これを開基としたがその後宝歴二年(1752)に至り檀家多数の下野田村に寺を移したのが現在の経王寺であり、小山城麓には寺屋敷と称する旧址がある。当寺は創建の時から京都具足山妙顕寺の末寺であったが中世寺運衰退した砌り津山妙法寺の関与によって持続した関係から同寺の末寺として開基日随上人以来歴代住職を得て第三十二世住職黒岩智孝にて現在に至る。寺院大観には元和六年(1620年)三月の創立とある。平成に入り壇信徒長年の願望である本堂建立を発願し、壇信徒法縁百八十六名の浄財により平成四年(1992)八月上棟平成五年(1993)拾壱月完成し、平成六年(1994)四月十七日落慶法要を厳修す。