瑞秀山 成興寺(津山市加茂町小中原41)

本尊 聖観音

縁起
 当山は小中原にあって、瑞秀山成興寺と号し、聖観音を本尊とする曹洞宗津山長安寺の末寺である。
 「本堂棟札」(安永三年、1774『瑞秀山成興寺記録』)および『東作誌』(文化十二年、1815)によれば、開山は京都天竜寺開山の高僧夢窓国師(1275〜1351)であり、当初山下の矢筈山にあった。天文年中(1532〜54)に草苅加賀守衡継が矢筈山に居城を築く際に、菩提寺として再興し、成興寺と称した(成興寺丸-東西30間、南北8間-の地名が残っている)。天正十四年(1586)草苅氏退城後、寺も廃址に帰した。文禄三年(1594)に草苅氏の家臣で小中原の土豪中西孫左衛門が、小中原の現在地に再興した。元禄二年(1689)には津山西寺町長安寺末寺となり、曹洞宗に改め、同寺三世白善嶺雲和尚が開山となった。
 檀徒戸数は、安永三年(1774)に五十三戸、文政五年(1822)に六十二戸、天保十二年(1841)に七十七戸、昭和四十二年(1965)に百十五戸であり(『瑞秀山成興寺記録』)、現在九十二戸である。
 本尊聖観音座像(坐長四尺五寸)は、安永三年本堂棟札によれば、大檀越草苅氏が寄付したもので雲慶作と記しているが証拠は明らかではない。