瑠璃山 日光院 真福寺(津山市加茂町行重1700)

本尊 薬師如来

縁起

当寺は行重にあって、瑠璃山日光院真福寺と号し、薬師如来を本尊とする真言宗古義派高野山理性院の末寺であり、檀家は百二十戸である。
 行基(667生749没)の開基と伝えられ(寺伝)、『東作誌』によれば、寛永年中(1624〜43)に字槍原より現地に移り、それまでの薬師院万福寺の称を日光院真福寺と改め、また権大僧都光範(元文年中-1736〜40-以前)が中興開山となった。
 寺には、『東作誌』(文化十二年1815)に記録されている一尺五寸坐像の本尊薬師如来像(作者不明)、脇仏の弘法大師像、阿弥陀如来像、別に毘沙門天像がある。
 寺の年中行事には、正月の檀徒家内安全、部落安全牛馬無事、五穀成就を祈る修正会、二月三日の厄除け祈祷の節分会、土用丑の日の「きゅうり加持」、盆八月十六日の壇信徒の精霊供養をする「施餓飢法要」、秋旧九月九日の祗園神社(寺の裏山)大祭の餅投げ福銭投げ、十二月二十日から大晦日の間に檀徒一戸一戸を浄めて廻る「家浄会」、その他部落ごとの「百万遍」などがおこなわれている。
 境内には、改正一揆八十周年記念碑(昭和三十一年建立)があり、その指導者仁木直吉はこの寺の檀徒であった。蜂起の合図を鳴らしたつり鐘は第二次大戦で供出して今は無い。

年中行事

修正会、毘沙門天供、節分法祭、胡瓜加持、諸病封じ、施餓鬼法要、観月会、家浄。


△美作国七福神霊場所(弁財天)

寺宝・文化財

・石造の閻魔像
・蔵合氏五輪塔の墓

高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場会発行『高野山真言宗美作八十八ヶ所霊場』より