三宝院(玉野市胸上1730)

本尊 地蔵菩薩

縁起 胸上の三か寺をその一院に統合してからの名称で、字本陣道の奥にある旧地蔵院の建物をあてているのである。
 胸上の地域の人々の戦時中における大英断の三か寺合併で、他に比べて思い切った処置として、後世から評価されるものものである。
 真言宗に三か寺とも蔵していたことも、断行が容易に出来たのであり、胸上八幡をコンクリート建築に早く踏み切った胸上人にして、はじめて行った歴史的にも当時としては珍しいことであったのである。
 その三か寺を示すと、次の通りである。
◎匡王山薬王寺慈等院 高野山多聞院末寺で、本尊は薬師如来である。児島霊場第四番札所。
◎南海山称名寺吉祥院 高野山多聞院末寺で、本尊は十一面観世音である。児島霊場第六番札所。
 この二か寺は宝徳年中(1449〜1452)の中興となっているのである。
◎宮尾山神宮寺地蔵院 高野山多聞院末寺で、本尊は薬師如来である。児島霊場第五番札所。
 この寺は応永年中(1390〜1434)の創造とあるから、このころ出来たもので、神宮寺として、胸上八幡宮に仕えたものである。
 現在はこの三寺を合併して、「三宝院」と呼んでいるのである。光政公の廃寺とは、その行き方こそ違うが結論は同じである。
 山門・本堂・客殿・庫裡その他完備しているし、仏像・仏画・仏具も多くある。